「ダンブルドアはどうしてスネイプなんかを信用したんだ?」
ハグリッドの小屋からの帰り道、ロンは信じられないとばかりに両手を広げた。
「うーんでも、ほかの先生の『守り』があるから……」
「ねえハリー、この間の試合の後、スネイプ先生がクィレル先生を脅してたって言ってたわよね」
ハリーが力強くうなずいた。
「どちらにつくべきかはわかっているだろうとか、我が輩にはわかってるだとか……もしクィレルが守りの突破方法を教えてたら――」
困ったわね、とハーマイオニーは腕を組む。守りの一つは駄目かもね、と彼女も認めた。ウィスタは沈黙を守ったまま、三人の後に続いた。
――扉の三頭犬、スプラウト、フリットウィック、マクゴナガル、クィレル、スネイプ、ダンブルドアの守りがある
ハグリッドに吐かせたところ、防衛に関わったのは六人と一匹だとわかった。並の魔法使いや魔女では突破できん、とハグリッドは胸を張っていた。だからウィスタたちに情報をもらしたのだ。
誰だって言うだろう。心配しすぎだ、これだけの守りがあるのだからと。ウィスタだってそう思いたい。たとえクィレルが裏切り者で賢者の石を狙っているのだとしても手を出しようもないのだと。
――なんでだろう
子どもの出る幕なんてない。そのはずなのに。どうしても安心しきれない。ウィスタだけだ。クィレルに不吉なものを感じて――認めたくはないけれど恐れているのは。普段は少しとろくさくて変わり者の学者先生なのに、近づけば眼が痛む。何かを警告するように……。
「いつ孵るんだろう。見に行きたいなあ」
「でも、違法なんでしょう? ハグリッドが隠し通せると思えないわ」
「どれくらい大きくなるの、ロン? 犬みたいに小さな品種をつくったりとかないの」
「あー……そういう品種改良ができるような生易しい生き物じゃないからさ。チャーリーの火傷の痕をみせてあげたいよ」
前を行く黒と赤と栗色の頭を眺め、レイブンクロー塔に眼をやった。賢者の石は命の水と黄金をつくり出す。この世でひとつしかない秘宝。ウィスタだって黄金はほしい。生きていくのに必要だから。けれど命の水はどうだろう。
――長く生きてもどうしようもないだろう
死にたいわけではない。でも生きたいわけでもないのかもしれない。リーマスはウィスタのことを大事にしてくれる。家族みたいなひとだ。ホグワーツの友達だって大事だ。贅沢なのだとわかっている。それでも欲しかったものがあった。永遠に手に入らないと知っていても。それはウィスタにとって命より黄金より憧れてやまないものだ。
◆
クィレルとスネイプに動きはなく、ひとまず平穏な学生生活が続いた。襲撃事件のせいでスリザリンは大幅に点を減らされ最下位に転げ落ち、おまけに後ろ指を指されて肩身が狭そうなことを除けば。
「なんでだよ、ウィスタ」
地下――スリザリン生をよく見かける区域で、フレッドが眉根を寄せる。手にはクソ爆弾。双子の片割れジョージや悪友のリーも同じくだ。
いいものを見せてやると連れて行かれたらこれだ。ウィスタは頭を振りながら冷たい石壁に寄りかかる。上級生三人を順繰りに眺めやった。
「今んとこやつらは穏和しいだろ。わざわざクソ爆弾を炸裂させる意味ある?」
「お前に酷いことをしたじゃないか」
フレッドの声は尖っている。心底不思議そうな顔をされた。頭痛が痛い。いや頭が痛い。
「イージスは、」
名を口にしたとたん鳥肌が立った。傷跡が痛む気がして、首筋に手を添える。
「追い出されたんだ。だから、いい」
えー、とジョージとリーが声を漏らす。
「俺だってスリザリンは好きじゃない。孤児だってバカにしてくるし。けどな」
スリザリンだからって何してもいいわけじゃねえだろ。熱い息とともに吐き出して、フレッドを押し除ける。
「おい、ウィスタ」
「やるんなら自分でやる。イージスに報復できるんならするさ」
そのままずんずん廊下を進み、足の向くままあてどなく歩く。地下は魔法薬薬の教室以外はよくわからない。何度か角を曲がり、突き当たりで止まった。
孤児だからバカにする、スリザリンだから何をしてもいい。二つになんの違いがあるだろう。やられたらやり返すが、スリザリン全体になにかをしたいとも思えなかった。フレッドもジョージもリーも一緒にいると楽しくて、こっそりホグズミードにも何度か行って、兄貴分で友達だ。ウィスタのためなのはわかっていても、たまらない気持ちになった。苛々がつのっていく。
「感心な少年だ」
声は、壁の肖像画から聞こえた。無我夢中で歩いていたから、どこになにがあるかなんて気にもしていなかった。額縁の主は、白い髭をそよがせる。手には長い杖。御伽噺の魔法使いのようだった。
「なにが?」
ついぶっきらぼうに問い返す。気を悪くするでもなく、魔法使いは笑った。
「無闇に復讐に走ろうとせず、仲間を諭した。まことに誇り高い」
円卓に勧誘したいくらいだよ、と魔法使いは続ける。ウィスタは肖像画を穴が空くほど見た。どっからどうみても魔法使いだ。騎士ではない。
「貴族とはそういうものだ。本来ね」
君はスリザリンに入るべきだったと残念そうに言われ、鼻を鳴らした。
「他人にレッテルを貼るお貴族様がいなけりゃな」
これは手厳しいと魔法使いは言う。そうして、背を向けた。驚いたことに背中もちゃんと描いてある。魔法の絵画はどういう仕組みなのだろう。
「お友達が呼んでいるようだ。行っておいで小さな騎士アーサー」
「わかったよマーリン」
◆
ドラゴンが孵るって、と興奮しきりの三人に連れられてハグリッドの小屋を訪ねた。暖炉には轟々と火が燃えさかり、黒い卵からカリカリ、コツコツと音がしていた。
「いよいよだ」
ハグリッドの眼には涙があった。気が早すぎる。カリカリ、コツコツの間隔が短くなって、一筋の亀裂が入る。そしてもう一筋、一筋と広がって、黒い何かが顔を覗かせた。卵が割れ、小さな影が転がり落ちる。炎をものともせずコウモリのような翼を広げた。
「あ~みんなに自慢したいのにできないんだもんなあ」
ロンの眼はきらきらしていて、ハーマイオニーは「ほんとにドラゴンだった」と困った顔をしていて、ハリーはドラゴンとハグリッドを交互に見ていた。
「ああなんて美しいんだ。生き物が生まれる時っていうのは」
ハグリッドがドラゴンをつまみ上げ早速噛まれていた。早すぎる反抗期だなと彼らを横目にみて、これ幸いと卵の殻を回収する。面白い魔法薬がつくれるはずだ。双子たちにあげよう。証拠隠滅にもなるし。
ドラゴン革の巾着に殻を入れ、立ち上がる。ふ、と窓の外をみれば綺麗な金色がカーテンの隙間から覗いていた。慌てて駆け寄れば、覚えのありすぎる背中が城へ向かって走っていく。
「やべえことになった」
よりにもよって、マルフォイに見られたのだ。
世の中そうそううまくいかないものだ。順調かと思えばつまずくし、一寸先は闇。期待すれば裏切られ奈落へ真っ逆さま。
――わかっていたはずだった
やっちまったと嘆息する。空を見上げれば真っ暗で、紅い星が輝いている。星は夏の物語を紡ごうとしていた。
「お前たちのせいだぞ」
低く押し殺した声。紅い星を意識から振り払った。青白い顔のマルフォイが眼を怒らせている。それとも怖いから虚勢を張っているのか。どちらでも構いやしなかった。
「てめえが空回っただけだろう。お利口さんにしてりゃよかったな」
嘲りを唇に乗せれば、マルフォイの杖から火花が散った。いい気味だ。
「お前を……お前たちさえ捕まえられれば……」
腹を抱えて笑ってしまう。いかにも金持ちのボンがこんなにも悔しそうにしているのだ。罰則を受ける価値はあるし、ドラゴンはロンの兄に託せたし、まずまずだろう。たとえ寮から二百点近く引かれようがどうだっていい。寮生からごちゃごちゃ言われてもなんてことない。どうせスリザリンだって襲撃事件で凄まじい点数を減らされ、さらにはマルフォイが五十点減らしたのだ。グリフィンドールと仲良く最下位争いをすればいい。
隣でハリーが「面の皮が厚すぎないかウィスタ」と苦い顔をしていたが聞かなかったことにした。ウィスタにも、ハリーにもハーマイオニーにも非はあるのだ。なんであのとき透明マントを置き忘れたんだか。ドラゴンの密輸出に関しては後悔していない。その後が拙かっただけで。
「聞いちょるのか、そこの三人!」
ハグリッドが怒鳴る。傍らにはボアハウンドのファングがいて、ネビルの顔面を舐め回していた。ハーマイオニーが見かねて洗浄呪文をかけてやっている。
「ごめん全然聞いてなかった!」
「堂々と言うな」
ハグリッドが腕を組む。フィルチをぞんざいに追い払い、こほんと咳をした。
「これから森に入ってもらう」
「待て。書き取りとかじゃないのか罰則って」
マルフォイが間髪入れずに騒ぎ出し、ハーマイオニー、ハリー、ネビルの顔が暗くなる。三人で「一年生への罰則? これが?」とか「帰りたいよお」とか「誰が決めたんだろう」とこそこそ言い合っていた。
「呪文を書き取りしたところで意味がなかろうが? 働け。つまりお前さんたちは仕事をするわけだ」
「父上が聞いたら……」
「親父さんももちろんホグワーツの出だ。罰則のあれこれくらい心得とるわ」
マルフォイがうつむいた。ハグリッドに『父上』とやらの権力が通じないのは明らかだった。
「僕たちはなにをすればいいの?」
「おう。森に行って一角獣を見つけておくれ。ハリー」
そこらでフィッシュ&チップスを買ってこい並に気軽に言われた。
◆
「なんで僕がこんなことをふざけるな」
「うるさいよマルフォイ。ウィスタにひっつくなよ」
「お前もだろうが」
――どっちもうるせえよ
ハグリッドの独断と偏見により組分けされ、ハリー、ウィスタ、マルフォイ組、ハグリッド、ハーマイオニー、ネビル、そしてファング組に分かれた。納得の組分けだ。罰則の内容はどうかと思うけれど。
「なんで俺にひっつくんだよ邪魔重い動きにくい」
「お前こういうのに慣れてそうだし」
「僕都会っ子だから森はさあ」
放せ、と小声で唱えれば二人はよろめきつつも距離をとった。威力を弱めたレラシオの呪文だ。そもそもウィスタはべたべたされるのが苦手なのだ。
「とにかくキノコ……じゃねえや一角獣を探す。ハグリッドに知らせる。以上だな」
「おなか減ってるのウィスタ」
「食えそうなもん探すの癖でさ」
「あとでクッキーあげるから我慢して」
「うん」
「真面目にやれ!」
マルフォイが怒鳴り、ずんずん進んでいく。さっきまでのチキンぶりが嘘のようだ。
森の端までは行ったことがあるか、踏み入るのは初めてだ。たしか人狼がいるだとか、ほかにも魔法生物がいるだとか聞いたことがある。もっとも、人狼に関しては嘘らしい。正確には満月の夜に雄雌の人狼がああしてこうして生まれた狼がいるんだ、とリーマスが教えてくれた。言葉を濁さなくてもそこらへんは知ってるよリーマス。
三人で杖明かりを頼りに地面をみていく。柔らかい感触と、折れた枝のほかにはなにもない。森は夜に黒々と浮かび上がり、樹々を透かして紅い星が宝石のように輝いているだけだ。
――よくない星だ
ウィスタは眼を逸らした。あれは火星のはずだ。夏至が近いとはいえ、あんなにも輝くものなのか。なんで不吉だと思ってしまうのだろう。
黙々と小途をたどり、途中で枝にひっかかった銀の糸をみつけた。いいや糸じゃない。一角獣のものだ。たてがみか尾かはハグリッドに訊かないとわからない。とにかく一角獣がいるのは確実だ。
さらに進んで、ハリーが息を呑んだ。杖明かりに浮かび上がったのは、銀色の血だ。点々となんてものじゃない。あっちにもこっちにもぶちまけられたようになっている。
――一角獣は疾い
罠でも仕掛けなければ捕まえられるものではないし、並の魔法生物では歯が立たない。それに一角獣を傷つけるのは禁忌だ、とハグリッドは言った。
一角獣を襲った『それ』が未知の魔法生物なのか、それとも人の心をもたない誰かなのか。ウィスタは深呼吸して杖を握りしめた。ただの遠足にはならなさそうだ。
血を追いかけて、乱れた足跡を踏んで森を突き進む。大量の血をみたせいか、悪寒が止まらない。片眼がじんわりと熱を帯びてくる。
――待てよ
ウィスタはぎくりとした。片眼の痛み。悪寒。それはいつだってクィレルがいたときに起こった……。
やがて樹々が途切れ開けた場所に出た。月明かりに真っ白な何かが輝いている。
一角獣……とハリーとマルフォイのどちらかが呟いた。息がないのは明らかで、けれど命を失った器だとは思えないほどに美しく、惨い有様だった。ハグリッドの言葉がすとんと腑に落ちた。一角獣を傷つけてはいけない。いいや、傷つけようとも思わないだろう。まともな人間なら。
痛みが酷くなってきた。片眼を押さえながら、ハリーのローブを引く。
「一旦帰ろ」
う、と言おうとして、舌がもつれる。突き抜ける痛みと熱、どっと脂汗が噴き出す。ウィスタ、とハリーが叫ぶ。ぼやけた視界に黒い影が現れた。這いずるように一角獣に近づき、唇を寄せ――。
ウィスタは膝を突く。マルフォイが叫んで、慌てたように逃げ出す気配がした。ハリーが呻き、誰にもどうしようもできない。あの影がやってくればおしまいだ……。
痛みと熱のなかに、ぴぃんという音が響いた。と、と何かが突き立つ。
「――去れ」
涼やかな声。一気に視界が澄む。最初に飛び込んできたのは輝く月の色。そろそろと顔を上げれば半分が馬、半分が人――ケンタウルスだ。深い海、それとも夜明けの蒼色がウィスタをからめ取った。
「大丈夫だ。脅威は去った。リアイスの子。ポッターの子」
片手には弓、背中には矢筒を背負ったまま月白のケンタウルスは言う。
「……なんで俺らのことが……」
そっくりだからさ、とケンタウルスがハリーを助け起こしながら答え、口元に淡い笑みを浮かべた。
「その片眼、リーン・リアイスによく似ている」
――片眼?
聞き返そうとしたが「あれはなんだったんですか」とハリーの震える声にかき消された。
ケンタウルスは厳かに告げた。
「この上なく呪われたもの。偽りの命を得たいと望む者。戦乱を呼び、今は人でも霊でもない影……その宿星は」
禍つ星なり。
森での一夜を境に、ウィスタたちを取り巻く状況は少しずつよくなった。ひとつは風当たりが弱くなったこと。真夜中に出歩いて大量減点を食らい、グリフィンドールを暫定一位から最下位近くまで転落させたウィスタたちだったが、禁じられた森に罰則で連れていかれた、人狼に襲われてからがら逃げ出した……と噂が流れ、寮生たちは無視をしたり後ろ指を指さなくなった。単純に学年末試験が始まったので構っていられなくなったせいもある。
周りがどういう態度をとろうが、ウィスタを悩ませることはなかった。第一、皆ハーマイオニーとウィスタが寮の点を稼ぎまくっているのは知っていたので当たりはまだマシだったのだ。さらには襲撃事件のせいで散々な目にあったばかりなので、ウィスタに対して皆同情的だった。それに、セドリックもチョウもクインも、呆れながらも優しくしてくれたのだ。悩みがあるとすればひとつだけ。
夕暮れが混じった優しい群青の眼と、金の光と黒い影。視界を覆う緑の閃光。伸ばした手は届かずに、遠くにいってしまう夢。断片的で、けれども胸がかきむしられるような心地がする。
影と遭遇してから毎晩のように見るのだ。夢にしては生々しく、悲鳴を上げて飛び起きることもしばしばで、ウィスタの気力体力はじりじりと削られていった。
――ニコラス・フラメルとダンブルドアは友人で
――ダンブルドアはヴォルデモートが畏れた唯一のひと
そしてヴォルデモートは十年前に姿を消した。死の呪文が跳ね返ったのだろうと新聞は書かれていた。もし死んでいなかったとすれば。たとえば半死半生で、一角獣の血を飲んで命を繋いでいる……。そして、賢者の石を使う。不老不死とはって完全な存在になるだとか、もし賢者の石が魔力をたっぷり蓄積した道具だとすれば別の使い方ができるのかもしれない。
仮説を組み立ててはいるものの、誰にも話すことはしなかった。ハーマイオニーは森には行ったがあの現場はいなかった。ハリーは影をみたし、影響も受けていたようだけど、試験でヴォルデモートの陰謀どころではない。
結局、上の空で試験に臨み、合間合間に四階の廊下へ向かって三頭犬が生きていることを確かめた。著名なニュート・スキャマンダーだって三頭犬の攻略法は書いていなかったはずだ。ヴォルデモート――手下のクィレルが知っているとも思えない。
――考えすぎか
証拠はなにもない。クィレルが賢者の石を狙う現場を押さえるか、自白でもさせない限り無理だろう。
なにをどうすればいいかわからない焦燥のなか、試験最終日の朝を迎えた。大広間に降りると、グリフィンドールもスリザリンもハッフルパフもレイブンクローもひそひそ話しながら、さっとハリーに視線をはしらせる。
「なんだろう」
注目されることもひそひそ言われることも慣れっこになったハリーは、トーストをかじった。ウィスタもトーストを手に取り、オレンジのジャムを塗る。しまった。イチゴのジャムを塗っちまってた。死ぬほど甘くて好きじゃないのだ。ナイフで削ろうかどうしようか悩んでいると声をかけられた。振り向くとセドリックがいて、灰色の眼を陰らせていた。
「どうしたんだ、セド?」
トーストをもらってくれるならありがたいけどと付け加えてもにこりともしない。いつもなら楽しげにするのだけど。彼は新聞を差し出してきた。一面におどろおどろしい文字が躍っている。
「嘘だろ?」
どこかの町の写真。点々と散る血痕。題はイージス家の悲劇! 最後のひとり殺害される――。
「ホグワーツを追放された数時間後に殺害された模様……」
飛び込んできた文字を読み上げ、続きを読んで凍り付いた。
子息は、全身を切り裂かれ、四肢および頭部切断のうえ殺害された――。
◆
そのあとどうやって試験を乗り切ったかわからなかった。答案を書いたかも覚えていない。頭の中は記事の文言で埋め尽くされ、初夏だというのに寒かった。
全身を切り刻まれていた。まるでウィスタのようではないか。とどめに四肢と頭を落として……。誰かの底知れない悪意と、冷たい意志を感じる。
――誰なんだ
ただの強盗や通り魔の仕業だとは思えない。手が込みすぎている。
「――ウィスタ」
瞬く。ハーマイオニーが顔を覗き込んでいた。
「医務室に行く? ぼーっとしちゃって」
すっかり病弱なお嬢さん扱いだ。冬の襲撃事件の衝撃は強かったらしく、ハーマイオニーをはじめとした寮生は、なるべくウィスタを一人にさせないように張り付いていたし、先生はかなり甘くなったし、マダム・ポンフリーには定期検診ですと呼び出されるし。マクゴナガルとスネイプだけは態度を変えなかったけれど。スネイプなんか補講の名目で薬品庫の整理その他、授業に使う物品の準備等々、お前一年生にそれやらせる? という仕事を投げてきた。唖然としていると「できないのかねグリフィンドールの秀才殿」とせせら笑われ、意地で全部終わらせたものだ。ハリーに「それはいいように使われてるんだよ!」と叱られたけれど。
「イージスの件に関しては、魔法警察……闇祓い局が突き止めてくれるわよ。石だってスネイプ先生はあきらめたのかもしれないし……」
大丈夫よ、と背を叩かれる。
「テストの答え合わせをしましょう」
「もう出したんだから答え合わせもクソもないだろ」
「来年のためよ! 弱いところを休み中に補強しなきゃ」
真面目か。真面目だったハーマイオニーは。しかも必要に迫られてやっているのではなくて、勉強が好きなのだ。
「心配しなくてもハーマイオニーが一位に決まってるよ」
言って、眼を瞑る。校庭の湖畔、巨木の陰は昼寝にはもってこいだ。隣にハーマイオニーもいることだし少し休もう……。
「ハリー! ちょっと待ってよえええはっや! 地上でもはやああ!!」
叫びに眼を開ける。直後、目の前を影が横切った。それから十秒ほど経ってロンが走ってきた。わき腹を押さえ、息が荒い。
「どうしたのよロン」
「……なんか、ハリーが、聞かなきゃいけないって……ハグリッドに……」
もうだめ、とロンが座り込む。暑い暑いと言いながらネクタイをむしりとって放り出した。
「またぞろ変なもん飼おうとしてないだろうな」
「やめてくれウィスタ。そんなぞっとしない」
「ないとは言い切れないわね」
ハーマイオニーが遠い眼をする。そうこうしているうちに、ハリーがやってきた。息一つ乱していない。クィディッチで鍛えているとはいえ、ハリーの体力はなかなかのものだった。
「どうした……世界の終わりみたいな顔してるぞ」
走ってきたというのに、ハリーの顔は青白い。唇にも血の気がなかった。
大変なんだ、とハリーは言ってウィスタを引っ張る。
「ハグリッドが……三頭犬の攻略法を漏らしてたんだ!」
◆
「――今夜」
石のところまで行こう、とハリーが言った。落ち着きなく暖炉の前を行ったりきたりしながら、つらつらと続ける。
「ダンブルドアはいない。僕たちしか石が危ないって思ってない。おまけにスネイプはいつだって突入できる」
「俺らが言ったところで信じてくれないし、だな」
ウィスタは古びたソファに身を預け、呟いた。ダンブルドアはおびき出されたのかロンドンに向かった。それならと腹を括って賢者の石が危ないんですとマクゴナガルに訴えれば「幾重にも防衛線を張っています。ダンブルドアまで仕掛けているのですよ! あなた方は学生なのです。このことはお忘れなさい」とはねつけられた。ぐうの音も出ない正論で、すごすご引き下がるしかなかった。
「でも、僕らになにができる? 相手は大人で……もしかしたら『あの人』もいるかもしれない」
「ロンの言うとおりよ。よーく考えてちょうだい。闇の魔法使い相手に……どれだけのことを『あの人』がしてきたか……や、闇祓いですら殺されたのよ」
「ハーマイオニー、君ならわかるだろう? もしヴォルデモートが石を手に入れたらどうなるかくらい」
ハリーの声は炎そのもののようだった。
「不老不死を手に入れて、少なくとも寿命じゃ死なないし病死もしない。黄金をわんさか生み出して使い放題。逆らう奴らは皆殺し」
ウィスタは言い、顔をしかめた。きっとハーマイオニーたちが正しいのだ。できることなんてほとんどない。談話室で縮こまってても誰も文句は言わないだろう。
「……君たちはそこでじっとしてればいい。僕は行く。父さんや母さんみたいなひとを生み出しちゃだめなんだ!」
「骨は拾ってくれよ」
いかに無謀なことを言っているかわかっている。けれど、ウィスタたちは知ってしまった。せめてダンブルドアが戻るまでの時間稼ぎくらいならできるかもしれない。
――誰も信じてくれなくても
――やらなければいけない
無茶だのなんだの理由になんてならないのだ。
「行くわ。ここで行かないなんて言ったら友達の資格なんてない」
「僕もだ。二人だけじゃあ心配で行かせられないよ」
行こうと言ったのは誰だったか。杖を手に、出口へ向かおうとしたそのとき。
「君たち、どこにいるの?」
ぎくりとして振り向いた。パジャマ姿のネビルが険しい顔でウィスタたちをみている。
「急用なんだネビル」
ハリーが早口で言った。
「……四人して、急用? もう就寝時間は過ぎてる。見つかったらまた減点だよ」
「急用なんだ」
もう一度言った。けれどネビルは飛ぶように肖像画の穴へ走り寄り、両腕を広げる。
「駄目だ! たくさん助けてくれた君たちでも……行かせないよ!」
ウィスタは助けを求めるように三人を見た。けれど皆、困惑しているようだった。
「――頼むから行かせてくれ、ネビル」
「嫌だ」
「……俺が呪いをかけると言っても?」
「絶対どかない!」
しかたないな、と呟いて、ウィスタは杖を振った。
「石となれ」
呪文は正確に発動し、ネビルは倒れ伏す。間違っても窒息死しないよう、ウィスタは彼を仰向けにした。
「悪いな。いちいち説明してられねえんだ」
あとでわかるさと言い置いてその場をあとにした。
◆
いつの間にか戻ってきていた透明マントの恩恵と、ウィスタの抜け道の知識を駆使し、四階の廊下までたどり着いた。途中でポルターガイストに遭遇したが、ハリーの冴えでどうにかした。危機になればなるほど頭の回転が速くなるのがハリーなのだ。扉を開ければ、三頭犬が眠り込んでいた。ハープが楽を奏でている。魔法でも酒でもない、音楽こそが三頭犬の弱点だった。
「先に行け!」
ウィスタは仲間を蹴り出すようにして送り出し、自分もあとに続いた。仕掛け扉まで走り寄ったとき、弦がぴぃんと震え、沈黙する。楽の余韻が消えるとともに、ウィスタは床を蹴り、身を躍らせた。
ぽっかり空いた暗闇のなかを滑り降りていく。深く深く……どこまでも深く。
やがてなにか柔らかいものの上に着地する。杖をしっかり杖を握りしめたままぐるりとあたりを見回す。「ルーモス!」と叫んだ。照らし出された光景に背筋が寒くなった。
「ロン!」
一面、蔓だらけだった。太くぬめぬめした植物蔓は、ロンの全身を締め付けている。焼けばいいのか切ればいいのか。束の間ウィスタは立ち尽くした。そのうちに妙なことに気がついた。
もがき続けているロンは、じりじりと締め付けられている。しかし比較的動きの少ないハリーやハーマイオニー、ウィスタは締め付けられていないのだ。さらに、杖明かりに近い所では、蔓の動きがやけに遅い……。
「なんとかならないの!?」
たまらずハリーが絶叫する。その間もウィスタの頭は回転を続けていた。なにかあったはずだ。蔓。質が悪くて、専門家しか栽培できない……ネビルが貸してくれた本に――。
「……これは『悪魔の罠』だわ! ええと、弱点は――」
はっと息を呑む。魔法植物図鑑第二三○頁の八行目。悪魔の罠。その性質は。
「熱と光だハーマイオニー!」
薪がないわ! と悲痛な声を上げるハーマイオニーにウィスタは唖然とした。ホグワーツにいるというのに、何を言ってるんだ。
「君は魔女だろ!?」
息も絶え絶えにロンが叫んだのと同時に、ウィスタは呪文を唱えた。
「燃え上がれ!!」
杖から紅と金色が混ざり合った炎が噴き出し、蔓を焼き尽くしていく。遅れて、ハーマイオニーがリンドウ色の炎を呼び出した。暗闇が紅に、金に、蒼に、紫に染められていく。めまぐるしく色を変えていく視界の中で、ウィスタは弱りきった蔓を吹き飛ばし、ロンをひっぱり起こした。
「今のうちだ」
四人は駆け足でその場を脱出した。湿り気のある足場が堅い石畳になるまでさほど時間は掛からなかった。ロンはまだ息を荒くしていたが、立ち止まっている暇はなかった。扉を見つけ、なだれ込む。
目に飛び込んできたのは、無数の輝く鳥達だった。