季節は冬。各家はホグワーツから帰ってきた子どもたちを迎え入れ、語り合い、クリスマスの飾り付けをし、あるいは社交に着ていく衣装を確認し、楽しいひとときを過ごしているに違いない、とナルシッサは思った。例年ならば、ナルシッサもいつもと同じように息子を迎え、宴の段取りを整えていただろう。マルフォイの館は飾り付けられ、庭は美しく整えられていた。
それが今や、とナルシッサは面を俯け、垂れ落ちる髪の紗の内で唇を噛んだ。それを知るのは絨毯に織り込まれた竜のみ。力強い眼が、ナルシッサを励ますように見つめ返している。
「ウィーズリーの愚か者を片づけることができなかったのは、少し惜しいな。ナギニに飲み込ませて攫わせればよかったか……」
ぷつぷつと声が呟く。ひとしきり、己の思考を整理するように。
「……こちらは順調なようだな」
シシー、と美しい声が、ナルシッサの愛称を呼ぶ。
「すくすくと育っております」
馴れ馴れしい、という思いを即座に封じ込める。侮蔑を振り払う。心を堅く堅く、堅く閉じた。
――悟られてはならない
この男を、内心で見下していることを。
『上手に振る舞わないといけないわ』
シシー、と淡々とした声が言う。柔らかな亜麻色の髪、灰色の眼を持つ姉が脳裏に過ぎった。アンドロメタ。愛称はドロメダ。なんでもそつなくこなす姉。優しい姉であった。長姉のベラトリックス――愛称をベラという――は、ナルシッサのことをかわいらしいお人形、庇護すべき存在と思っている節があるが、アンドロメダは違った。ただ「可愛がるだけ」のベラトリックスと違い、アンドロメダはナルシッサにいろいろなことを教えてくれた。嫌らしい殿方のかわしかたとか、長姉の怒りにいかに触れないか、とか。
『ベラはあなたに甘いから』
涙目で「お願い」すればころりと言うことを聞くわよ。次姉はすらすらと言って、苦く笑った。
『きっと悪気はないのよ。ベラがあなたを可愛いと思っているのは本当だもの』
可愛い、逆らわない妹として振る舞いなさいな。
――あなたが、可愛がられることにうんざりしているなんて悟られたらだめよ
きちんと心を閉ざしなさい……。
月が綺麗な夜だった。ふっと眼を開ければ、アンドロメダが寝台の脇に立っていた。亜麻色の髪を一つに結び、ナルシッサの前髪をそうっと払っていた……。月に照らされ、その姿は奇妙に神秘的にも、勇猛にも思えた。まるで弓もつ狩猟神のように。
眠れないの? とナルシッサは次姉に尋ねた。いかにも愛されて育った、無邪気な姫君のように。甘えたな妹のように。一緒に寝る? 小さい頃はそうしていたものね、と。眠れないからそっと忍んできたわけではないとわかっていながらも、ナルシッサの唇は驚くほど滑らかに動いた。
アンドロメダは寝間着ではなかった。どこかに出かける――戦いに行くような格好をしていた。そしてその眼はどこか暗く、厳しく、悲しげであった。
――なにかを捨てででも
成し遂げるのだという決意が覗いていた。強い眼であった。
『私たちの路は分かれるわ』
ぽつ、とアンドロメダは言った。起きあがろうとするナルシッサを制した。
どこに行くの、とナルシッサは尋ねた。心を閉ざせ、悟られるな。ベラトリックスには特に注意深くしなさい、と折りにつけ教えてくれた次姉。それはアンドロメダこそが心を閉ざし、注意深く振る舞ってきたという証だったのだ、と今更ながらに気づいた。そういえば、家の中でもホグワーツでも、穢れた血とは口にしていなかった、と思い出した。はいともいいえとも言わず、見事に踊っていたのだ。誰もがアンドロメダはブラックの娘であり、当然ながら純血主義だと思っていた。思いこんでいた。その踊り――欺きに、眼をくらまされていた……。
行かないで、ではなく「どこに行くの」。妹の問いに、アンドロメダは小さく笑った。
『私の望むところに』
――どうして
ナルシッサは己の行いを振り返る。なぜ、素直にアンドロメダを見送ったのだろうか。月の夜。ぼうやりと青く染まった世界。バルコニーに続く窓をそっと開け、軽く手を振るアンドロメダを止めるべきだったのに。行かないで、と言えばよかったのに。
じゃあ、さようならなのねと返した。それがふさわしいように思えたのだ。アンドロメダに、囚われの姫の役なんて似合わないと思った。彼女は救世主を待つ生け贄の姫ではないと思った。むしろ、救世主を捕まえに行くほうだ。
馬鹿なねえさん、と言えばアンドロメダはにやりと笑った。驚くほどシリウスと似た笑みであった。
『気づいてなかったのシシー』
私は大馬鹿者なのよ。
さようならシシー。巧くやるのよ……。
『私、この家の考えには賛成していないけれど』
だからといって、あなたに辛い思いをしてほしいとは思わないのよ。
そうして、アンドロメダ・ブラックは永遠にいなくなった。大騒ぎになった。ナルシッサはなにも言わなかった。ただただ「馬鹿な人」と言った。それは本音であった。少なくとも、半分は。
面を上げろ、許すと告げられる。ナルシッサはゆっくりと顔を上げた。己の長い髪が鬱陶しい。纏め上げ、綺麗にしたいのに目の前の屑は――そう屑だ――それを許さない。美しい金糸は、流れるままがよいと言って。
「元気な子を産めるように」
頼むぞ、といかにも親しげに闇の帝王は言う。ナルシッサの隣に跪拝する夫――ルシウスは「お任せください」と恭しく言った。ナルシッサは夫の眼に侮蔑と恐怖を読みとった。ナルシッサもまた同じだから。
「そんなに泣いて泣いて」
かわいそうに。安楽椅子にぐったりと身を預ける若い娘に、闇の帝王は囁く。柔らかく甘い声。かすかに漂うのは腐臭だ。落とされ、踏みにじられた正道という果実が放つ、朽ちた香りだ。
ナルシッサはそっと娘を窺った。側に膝を突いた闇の帝王に手を握られてもぴくりとも反応しない。ライラックの眼は閉じられ、世界を、闇の帝王を拒絶する。金の髪は整えられ、魔法灯を受けて煌めいていた。若い娘の心とは裏腹に。
ほっそりとしたその身。胎はすこしふっくらとしている。宿った命は旺盛に育っているのだ。
そして闇の帝王は、まるで尽くす夫のような態度で若い娘に接している。表面上は、だが。片眼を切り裂かれ、眼帯をしているのにも関わらず、片腕を斬り落とされ、銀の義手をはめているのにも関わらず、闇の帝王は変わらずに美しかった。内面はどす黒く、おぞましく、忌まわしいというのに。反比例するように美しさが増しているように思えてならなかった。魔性、それとも悪魔。そんな言葉が浮かぶ。紛れもなく悪魔であろう。若い娘を閉じこめ、籠の鳥にして。髪を整えさせ、薄く化粧をさせて。綺麗な人形にしてしまった。そして人形の胎を切り裂いて、中に詰め物をするような――無邪気な残酷さを、ナルシッサたちに見せつけている。
――切り裂いて
中にあるものを取り出せてやれたら、どれだけいいだろう。
そっと眼を伏せる。ナルシッサは己が弱いことを自覚している。アンドロメダのような気概はない。狩猟神のあの強さが羨ましかった。馬鹿な人と思う一方で、まばゆいと思ったのだ。それか闇の帝王に心酔できれば楽であった。ベラトリックスの所業は許されることではない。それでも、ある意味羨ましい。悩むことはなく、揺れることもないのだから。
ナルシッサはなにもできない。娘を助けてやることはできず、ブラック家の女は髪を流したままでいろ、暗にだらしなくしていろ、と命じられ従っている。可愛い可愛い我が子を宿した若い娘を際立たせるために、それかブラック家の女をおとしめるための、闇の帝王による趣味の悪いお遊びだ。
――付く側を間違えたのだ
生き残りをはかったはずであったのに。いいや、包囲は固められていた。なにせ姉が死喰い人なんてものになってしまった。ルシウスだって同じだろう。彼は父が死喰い人であった。中立を保つことは難しく、かといって背くことも難しい。逆らうことはすなわち滅亡を意味していた……。
せめて、息子は近づけまいと思い「帰ってくるな」と手紙を出した。こんなおぞましいことに、息子を深入りさせたくなかった。息子は、意に反して「合わさった卵と胤」を植え付けられ、すすり泣いている娘の姿を見ている。闇の帝王が帰ったあと、手洗いで嘔吐したであろうことも察しがついている。息子は――ドラコは、女に乱暴をして、喜ぶような性質ではないのだ。幸いなことに。
――これが
乱暴だと、罪だと闇の帝王は思っていまい。狂った化け物だ。陵辱はしていない? 意に反して子を生ませることは罪だ。若い娘を穢し、貶める行為だ。
最低、と内心呟いた。
本当に、最低。
娘をどうしてやることもできない。いかに姉の子であろうとも、流れてしまえばいいのにと思っていても、命令には逆らえない。ナルシッサは息子のことが可愛い。失敗の見せしめに息子が殺されるなんてことになれば耐えられなかった。
そのために、他者を犠牲にしているのだと、わかっていても。
生まれてこなければよい。無事に生まれてほしい。私たちのためにも。葛藤を胸の内に仕舞う。
闇の帝王が立ち上がる。そうっと娘の頬に触れ、踵を返す。ローブの裾が翻った。鋭い音に、身をすくませる。高貴なる闇の帝王と由緒正しいブラック家の間の子が失われればどうなるかわかっているだろうな、という警告がたっぷりと含まれていた。
「また来る」
ナルシッサもルシウスも深く、深く頭を垂れる。あまりに醜悪な男の姿を見たくないが故に、必要以上に恭しくしてしまう。そのことをお互いに分かっていた。
「見送りはいらぬ」
我がライラックの世話をしてやれ。そう意って、足音が遠ざかり、扉が開いて閉まった。
怪物が去ったとわかっていても、ナルシッサは動けなかった。
『上手に振る舞わないといけないわ』
永遠のさようならをした次姉の言葉を噛みしめる。
そう。
悟られてはならないのだ。ナルシッサが闇の帝王を怖れるその一方で。
殺してしまいたいと願っていることに。
「……なんでこうなってるんだろう」
クリスマスの夜、ブラック邸。食堂の片隅でケーキを頬張り、ウィスタは呟いた。『谷』で過ごそうと思っていたら、父に呼び出されたのだ。マルフォイ家に招かれてもいないし、スリザリン所属なので、わざわざ社交に精を出して動向を探るのもばからしく、各家へのクリスマスの挨拶文は出し終わっていた。
もちろん友人――ハリー、ロン、ハーマイオニーとか、ザビニとか、マルフォイ坊ちゃんとか、セドか、ほかにも色々。恋人への贈り物も用意して発送済みであった。ぶっちゃけるとハリー、ロンとの距離感はわからないのだが、別に喧嘩をしているわけでもないので友好的な態度はとっておくべきだろう。ハーマイオニーとは友人である。少なくとも、ウィスタはそう思っている。エリュテイアは友人というよりも従者なのだが、贈り物は用意した。
ほぼやることを片づけて、予定はすっかすかで休もうと思っていたのに、のこのことブラック邸に顔を出してしまったのだ。
冬期休暇前にかなり忙しかったのだから勘弁してくれと言っても、父は聞かないだろう。
なぜ忙しかったか。アーサー小父ことアーサー・ウィーズリーが蛇に襲われた。結果だけ言うと無事であった。現在入院中である。魔法省のどこかで襲われた、と聞いている。ウィスタが眼の痛みで飛び起き、エリュテイアが異変に気づいてウィスタの室に飛び込み、ほぼ同時刻にハリーも夢を見て飛び起き、と忙しなかった。主に異変があったのならば、ハリーにもなにかあったのでは? と思いついたエリュテイアが即断即決で最短経路でマクゴナガルの室に突撃。彼女をたたき起こし「グリフィンドール寮で何事かあったようです」と結果として合っていたがほぼはったりを言い、マクゴナガルを寮に向かわせた。そしてエリュテイアは校長室に向かい……と、活躍した。できる従者。結果として密かに、迅速にホグワーツからハリーとウィーズリーきょうだいを逃がすことができた……。ウィスタとエリュテイア(とハーマイオニー)はホグワーツに残り「ちっ、獲物を取り逃がした」という顔をしているアンブリッジの顔を見たくもないのに見ながら過ごし、無事に冬期休暇に突入したのである。
で、アーサー小父のお見舞いに行けば、ネビル・ロングボトムに遭遇。ロックハートにも会ったがどうでもよろしい。あれよあれよという間にロングボトムの大奥様と会い、壊されてしまった夫妻にも会った。
「病院にはスリルがいっぱい」
へろへろであった。色々な意味で。モリー小母のケーキのおいしさを噛みしめる。お客さんに家事をさせるのはと言って手伝おうとしたのだが、泣かれた。家事をしているほうが気が紛れるらしかった。ウィスタはいたたまれなくなって、ハンカチだけ差し出して逃げ出したのである。
「……ボードの件は片づきました」
あと、お見舞いの品こと「悪魔の罠」を病室に運んだ女癒は、聖マンゴの支部に異動という手はずに。隣でケーキを食べる従者が言う。ウィスタはうん、と頷いた。なんとか・ボードは神秘部の所属で、正気を失って聖マンゴに入院していたのだ。彼が生きていれば都合が悪い誰かによって暗殺されかけた。「悪魔の罠」差し入れ作戦はロングボトム――薬草学が得意なロングボトム――によって破綻したのだ。
「諸々了解」
ちまちまとケーキを食べる。楽しそうな笑い声がする。ウィスタがブラック邸に到着したときには、食堂はダンスフロアと化していた。
なにかの拍子に「今年の冬の社交は控えめらしい」という話が出たらしい。そしてジニーが「シリウスって踊れるの?」と本当になんの気なしに聞いた。父は「もちろん。しごかれたしね」と言って「……リーンと最初に踊ったのはルシウス・マルフォイだった」と今更すぎる嫉妬を口にした。馬鹿ではあるまいか。ハーマイオニーが「名家ってすごいわね」と当たり障りのない方向に舵を切った。ハリーが「シリウス小父さんすごいね」とよいしょした。いや、心から言った。フレッドとジョージが「本物の大貴族の踊りを見てみたい」と盛り上がった。
……で。
なぜか父は「リーマスも踊れるが?」と暴投した。は? となる養父をよそに、事態が進行したらしく、ビルが「ほら、トンクス君も踊れるだろう。華麗に見本をみせるときだよ」とトンクスに相手役を振った。なんで?
そして今、ピアノの音色が響く中、一組の男女が踊っている。いやー、父、ピアノ弾けたんだ……と感心するしかなかった。なんでこうなっているか考えても仕方ない。考えるな、感じろ。リーマスとトンクスが息ぴったりであった。
そのうちにお祭り騒ぎになった。フレッドとジョージがダンスフロアに飛び込んで、めちゃくちゃな踊りを披露した。さすが双子である。元気を爆発させている。
くすくす笑いがどこからか響く。次々に影が滑り出していく。ぼーっと眺めていると、ハリーとジニーがぎこちなく踊り始めた。ウィスタは、ハリーも一応名門の生まれだし、機会を見つけて踊りを指導するべきか、と悩んだ。ロンとハーマイオニーも踊っていた。さっそく喧嘩か!
そして、豊かな栗色の髪をふくらませた怒れる猫こと、ハーマイオニー・グレンジャー女王陛下に、哀れなる下僕はダンスフロアに連行された。
「ねえ俺、恋人いるんだけど!」
「友達じゃない!」
ロンには我慢ならない! キレていた。ウィスタは恋人にテレパシーを送った。
ごめんねクイン、君のことはめちゃくちゃ愛しているけど、怒れる猫様を放っておけないんだ。
もうひとつ、謝ることがあったな、とウィスタはそっとため息を吐いた。
俺の血筋は厄介すぎる。きっとその手を離すべきなんだ。
離さないと、いけないんだ。
休暇明けの数日前に、ウィスタはホグワーツに赴いた。同行者は父とナイアードだ。目指すは校長室……ではなく、ホグワーツの墓地であった。
きんと冷えた日の、黄昏時であった。吐く息が白く凍る。空は暗く、いまにも雪が降りそうであった。立ち並ぶ墓石の中、比較的新しいものに向かって父が歩く。迷いのない足取りだった。その墓石の前に立ち、黒い杖を振った。ウィスタの母であり、父シリウス・ブラックの妻――リーン・リアイスの形見を。
墓石が重々しい音を立ててずれる。深く掘られた穴がちらりと見えた……と思えば、柩がふわりと浮かび上がり、音もなく地に降りた。父は再び杖を振る。するすると柩の蓋が開いた。数歩離れた場所にいたウィスタは、詰めていた息を吐き出した。そのときにはもう、同じく待機していたナイアードは柩の前に膝を突いていた。同じように膝を突いた父と一緒に、柩を覗き込んでいる。
ウィスタは腹を括って、柩に寄った。そもそも言い出したのはウィスタだった。直してやりたい、と。
「……切り口は綺麗だな」
これならやりやすい。呟いたのはナイアードだった。彼の声には温度がなく、空色の眼も奇妙に凪いでいた。巻き尺を取り出して「失礼するぞ」と声をかける。返事はない。ここには生者が三人ぽっち。死者はたくさん。そして、柩の主は永遠の眠りについている。 ――ついている、はずだった
そろそろと柩をのぞき込む。そこには、若い――ウィスタより少し年上の少女が眠っていた。黒髪、白い肌。瞼は閉ざされ、唇はほんのりと赤い。まるで、本当に眠っているだけのようだった。綺麗に化粧され、少しの間だけまどろんでいるかのように……。
「……たった十七歳だった」
父が囁く。死者の眠りを妨げないためか、悼んでいるからか、ウィスタにはわからなかった。灰色の眼は眠る娘――ウラニア・ユスティヌ――ウラニア・ペンドラゴン・ユスティヌを見つめている。
ひょう、と風が吹く。ちらちらと雪が舞い始めた。
「冬の、こんな雪の日に」
彼女は死んだんだ。
「先代に討たれて」
歌うようにナイアードが口にする。彼は面白くなさそうな顔をして、巻き尺でユスティヌ――最後のユスティヌの、残った片腕を計測している。経や長さ、指の一本一本まで、精密に。メモをすることもなく、なにやら呟いていた。
「……と、いうことになっている」
「別に驚きはしませんけどね」
誰かを踏み台にすることはよくある、とナイアードは続けた。父は嫌そうな顔をした。ものすごく嫌そうだった。
「十五歳の娘が、十七歳の娘を始末するほうが問題があるだろうが」
「先代ならできたでしょうよ」
「できることと、実際にしてしまうことは別だ」
「そうでしょうね」
ナイアードは半分仕事に思考を持っていかれているのか、気もそぞろであった。袋からあれこれ取り出して、せっせと作業を進める。ユスティヌの、喪われた片腕を修復するという作業を。
柩の側に座り込んだウィスタは、そっと息を吐く。
――もっと
なにかしらの感情を露わにすると思っていた。ナイアードはヴォルデモートに父親を惨殺されていると聞いていた。いいや、祖父もだ。ウィスタの祖母、アリアドネの弟……。
リアイスにはヴォルデモートを憎む理由が星の数ほどある。クロードもナイアードもウィスタも、祖父を、祖母を殺されている。さらには親も殺されている。アシュタルテの子たち、孫たちはほとんど殺されているのだ。
ナイアードはヴォルデモートを、ひいては闇の陣営を、スリザリンを憎んでも憎み足りないだろうと思っていた。ましてやユスティヌはリアイスの宿敵であった。もしかして、ヴォルデモートよりもずっと。
ユスティヌ一族はリアイスが切り落とした闇、牙を剥いた影であった。簡単にまとめると、ゴドリック・グリフィンドールの曾孫の世代に一悶着あり、その末に追放された『消された九番目』ペンドラゴンがスリザリンの末裔――孫だか曾孫だかと結びついて生まれたのがユスティヌ一族である。
「このお嬢さんはもう死んでいる」
ウィスタの視線に気づいたのだろう。ちらと空色で一瞥をくれる。彼の杖は歌を紡ぐ。宙に、銀の腕らしきものが形を現していた。
「生きていれば俺より年上だったはずの。十七歳で、こんな寒い日に……」
父親に殺されたであろう娘。父親に腕を切り落とされた娘を――。
「これ以上辱める必要はないだろう?」
それともなんだ、父上と同じように蛇に呑ませればいいのか。ふん、とナイアードが鼻を鳴らす。
「俺の望みはヴォルデモートの討伐だ。この娘は」
たぶん、もう罰を受けただろう。
「俺はリーンはウラニアを殺さなかったと言っただけなのに」
「ちょっと考えれば分かりますよ」
消去法です。俺たちに提示されていた情報は、ユスティヌはヴォルデモートの配下だった。そしてヴォルデモートは先代を狙った。争いの果てに先代がユスティヌを討ち取り、ヴォルデモートは逃げ去った。
だが、先代がユスティヌを殺していないという。ならば、討ったのはヴォルデモートしかいない。
さらに、とナイアードは続ける。杖が紡ぐ魔法は、銀の腕に、ほっそりとした指を作り出していた。
「ヴォルデモート復活の際、父親の骨とユスティヌの肉、敵二人の血が使用された、と」
《ランパント》、君はそう言った。
「肉――器を一から作る方法は色々ある」
死者の肉を継ぎ接ぎにする方法。手っ取り早く、簡易なものを求めるならばこれで十分だ。さらに、生命力の強い生き物の血を混ぜ合わせ強度を上げる方法もある。
「肉すらなくなった、死者の蘇生の試みは様々に行われてきた」
「お前のとこが恋人の亡骸を保存してどうこうとか、そっくりな肖像画を描いてどうこうとか、人形をつくってどうこうとか、あとなんだっけ、吸魂鬼に魂を吸い取られて空になった身体を調達して、恋人の魂を入れようとしたとかはいいんだが」
何人やらかしているんだよ、と父が言う。ははは、とナイアードが笑った。
「それ、全部一人のやらかしだから」
「えっ」
父とウィスタの声が重なった。えっ。
「第二分家には天才魔法使いがいたんだな。恋人の亡骸が一番可能性が高かったが失敗。ならばと肖像画をつくったり、人形をつくったり、吸魂鬼がどうこう……結局発狂して肖像画に話しかけるようになり、より鮮やかで美しい恋人の似姿を求めて生け贄の儀式を……」
「おい、リーンはそんなこと言ってなかったぞ。さも複数のように言ってたが。ざっと千年の歴史があるんだから、おかしいのは何人か出るわよとか言ってた!」
「そんなもん、狂った天才魔法使いの子孫だって言いたくなかっただけでしょうよ。実は――公と呼ばれてリアイスが討ったとされてるあれ」
「伝説の魔法使いか……。自分とこから輩出しといてさも他人のような顔をして討った、と」
「ユスティヌと同じようにね」
父がぎりぎりと歯ぎしりした。ウィスタは第二分家のどろどろした血が自分にも流れているのか、と戦慄した。歴史とは闇である。そもそもヴォルデモートの孫なのだからどろっどろだが。さらさらの血に戻りたい。
ウィスタは話の軌道修正をはかった。
「ナイアード、あんたのとこの闇が最後までたっぷりな歴史の話はいいから、結論」
「確実なのは男と女の血とか肉とか、骨とかを使うこと。生まれ直しの見立てというか。理屈の上ではそういうことになる」
ただの男と女よりも、血縁が望ましい。父の骨。できれば母の肉か血……それが手に入らなかったから、ユスティヌの肉。娘と考えれば綺麗にはまる。年齢的にも合うし、ヴォルデモートがわざわざ手に掛けたのもわかる。大方、混血の孤児なんかよりも自分のほうが上だと思った「娘」が背いて、反逆した「娘」を「父」が討ったとか、そんなところか。
「ただ復活したいだけならそれで十分だったろう」
銀の腕が形を整えていく。白く色づき、指先には爪らしきものがあり、薄紅の色がぽっと咲いた。
「だが、やつはその先を目指した。以前よりも強く。であれば、やつの死の呪文から逃れた者たち……君とハリーから素材を得ることは、不自然じゃあない」
できあがり、とナイアードは告げる。一見してむき出しの腕にしか見えない。「本職の
ふうと息を吐いたナイアードはさらりと告げた。
「あなたが着けてあげればいい」
「俺が?」
「婚約者だったでしょう」
「……なんだって?」
ウィスタは父を見た。ウラニア・ユスティヌは母の異母姉だ。つまり、つまり……父は婚約者の異母妹と結婚したと? 恋愛小説にありそうな展開。
「元婚約者」
父は訂正した。
「元でも婚約者」
ナイアードはにやにやしていた。が、すぐさま真顔になった。仕事の速い男。切り替えの早い男。それがナイアード。
「この中で一番関わりがあったのはあなたでしょう。ユスティヌはもう滅びた。曲がりなりにも、ブラック家はユスティヌの臣下であったし、飛び去った王を待っていたはずだ。そして元婚約者」
「……クロードも呼べばよかった」
父は呟きながら、その腕を受け取った。「男に触れられるのは嫌だろうこいつも」と言いつつ、柩へ身を乗り出す。ウィスタは背を向けた。見てはいけないような気がしたのだ。ナイアードも同じくだった。
「お前はリーンによくしてくれた。どうせ、甘やかして堕落させろとでも父親に言われていたんだろうが」
たぶん、リーンは嬉しかったと思うぞ。誰かが側にいてくれて。たとえそれがユスティヌの女でも。
「……孤独だったからな」
俺は寮が違ったし、リーンのことは嫌いだったから……。嫌いだと思っていたから。あの頃はあまり支えたり、助けたりしてやれなかったよ。俺じゃあ駄目だったんだ。
だから。
「ありがとう」
優しい声だった。ウィスタは眼を瞑った。少なくとも、と思う。父は、ユスティヌの腕が奪われた返礼をヴォルデモートにするくらいには――ヴォルデモートの腕を斬り飛ばすくらいには、ユスティヌに対して情を抱いていたのだろう。なにせ妻の異母姉であるし、父親によって非業の死を遂げたわけである。
――ヴォルデモートは
実の娘を二人とも殺したのだ。孫のウィスタは今のところは殺されないだろう。しかしそれは、ただの猶予でしかない。いずれ殺し合う時は来る。
なぜならば、ウィスタはヴォルデモートに代償を支払わせるつもりだった。必ずだ。そうでなければ誰も報われない。流された血と涙、狂わされた運命に釣り合わない。
囁きが止んだ。ウィスタは振り返り、そっと柩を覗き込んだ。
ユスティヌは眠っている。穏やかな顔をして、切られた片袖は修復され、両手指を組まれて。
ウィスタは杖を振った。現れたのは薔薇だった。花弁どころか茎も、棘も雪のように白い薔薇。『谷』の紅薔薇――その変種であった。穢れなき永遠の白。流された血の、その罪を雪ぐ……と言われている。
黒のリボンをかけ、ウィスタは最後のユスティヌに花束を捧げた。
「父親に命を奪われ、片腕も奪われたけれど」
この薔薇は、誰にも奪えず、誰にも穢せない。
永遠に貴女のものだ。