【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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十五話

――ちょっと魔が差しただけだ

 壁が通れなくなって、空飛ぶ車があって友達がいたら誰だってそうだろう。学校には行かなきゃいけない。ダーズリーのところに戻るなんて真っ平だ。夏休みに餓死するかしないかだったんだから少しくらい、と思ったのだけれど。

やめときゃよかった。ハリーは後悔を噛みしめてロンを車から引っ張り出す。

「避けるんだ!」

 ロンを蹴り飛ばし、自分も横っ飛びに跳ぶ。鞭のようにしなるなにかが、真っ黒な影となって宙を裂いた。

 物心ついたときからダドリーに小突かれ続け、やがて避けるのは巧くなったのだ避けるのは。とはいえ相手――どうやら樹――はダドリーより素早くて重い拳をもっているようだ。

 一、二、三、と避けて、身をひねって。足を掬われて地面に叩きつけられる。むせかえるような芝と土の匂い。ロンの腕が伸びてきて、引きずり起こそうとする。

「うわああ!」

 ハリーかロンか。そのどちらもか。一際太い枝が振り下ろされる。動かないと、と思うのに動けない。

 せめてもと腕で顔を庇う。衝撃に備え――いつまで経っても痛みがない――そろそろと俯けるようにしていた顔を上げる。

「あーあ、君たち……盛大にやってくれたな」

 背の高い影が言った。杖を高く掲げ、灯った明かりに輪郭がくっきりと浮かび上がる。年の離れた兄くらいの外見。眼は空色。杖は灰色で、奇妙にねじれていた。おまけに肩には鴉がいる。

 ざわりざわりと枝がうごめくが、青年が杖を振れば不満そうに軋んで離れていく。次の一振りで、ハリーとロンは芝生を滑り青年の側で止まる。

「――たく、こうなる前に止めてくれよ」

 鴉が嘴を鳴らす。

「……この子たちのことは管轄外って言いたいんでしょう。わかりましたとも」

 鳥相手になにを、と眼を瞬いていると、青年はローブの裾を翻した。

「おいで。ダンブルドアがお待ちかねだ」

「待って、あなたは誰……?」

 泥だらけの、今にも泣きそうな顔でロンが叫ぶ。振り返りもせず彼は言った。

「ナイアード・リアイス。君の兄貴の親友で、ホグワーツの助教授だよ、ロン」

 ◆

 二年生の九月二日。その日はハリーとロンにとって最悪だった。少なくとも現時点では最悪だったろう。朝から吼えメール。ウィスタがインセンディオを使ったせいで爆発し、ロンの眉毛はちりちりになった。

「役所から呼び出しだなんて考えてもみなかったよ」

 学期最初の授業は呪文学だった。一年生のときのおさらいをしましょう、とフリットウィックは元気よく言って、それぞれに浮遊呪文やほかの呪文をためしていた。ウィスタは通り一遍終わらせて、ロンに杖を貸してやった。

「おまけに……杖が……折れる……なんて……」

 深紅の杖を片手に呪文を唱えても、分銅はふらふらと浮き上がって落ちてしまう。分銅と一緒にロンの心も折れた。

「――僕、絶望的じゃない? 杖折れてるのに授業なんて無理じゃない?」

 机突っ伏し、うめき声を漏らす。ウィスタは彼の指から杖を抜き取った。鼻水で汚らしい有様だ。やめろお前これは賢者の石なんだぞ。もう使えないけれど。

 ハンカチで念入りにふき取って、ハンカチは燃やしてしまう。

「ナイアード先生が来なかったら、僕らは寝台の上だったかもよ」

 ハリーがロンの肩を叩きながら言う。昨夜寮に帰ってきたときは頬に傷があったが、瘡蓋になっている。フォードアングリアは哀れ墜落。校庭の巨木に激突。泣きっ面に蜂で、樹が襲いかかってきたらしい。二人でわあわあ言いながら飛んだり蹴られたり蹴ったり避けたりしていると、新任の助教授――ナイアード・リアイスが颯爽と現れたそうだ。

――リアイスね

 朝食の席を思い出す。マクゴナガルと親しげに談笑しているかと思えば、スネイプにもなにやら話しかけていた。スネイプは顔をしかめてしっしと手を振っていたけれど。

 なんでもロンの兄貴、ビル・ウィーズリーと親友だそうで、学年でもトップクラスの実力者だったとか。ただしビルは首席でナイアードは次席だったらしい。なんでもビルは「勉強もできてやさしくて顔もよくて偉ぶらないんだ。クィディッチもしてたしすごいんだ」らしい。もてる要素しかない男なのはよくわかった。ついでに「ナイアードの兄貴はリアイスの偉いさんらしい」と言っていたのは双子だ。偉かろうかなんだろうが、ウィスタには関係のない話だ。親戚なのかもしれないが、ホグワーツでは生徒と教師の関係だ。

――ダンブルドアはなんで

 軽薄そうなロックハートなんて雇ったのだろう。たくさん本を書いているし、武勇伝もあるのだが、なぜだかちぐはぐだ。口がうまいばっかりでなんの重みもない。少なくともクィレルは教師であろうとしていたし、どもりながらも授業はしていた。あちこちを旅した話や、外国で危ない目にあったときの心得を話してくれたものだ。ただ、その旅でヴォルデモートに会ってしまったのだろうし、利用されて死んだのだから不幸としか言いようがない。

 持ち込んだ本に眼を落とす。リーマスがいつの間にか仕込んでいたのだ。どう考えても二年生以上の内容が書いてあった。武装解除は使えそうだ。読み進めながら、耳はハリーたちの声を拾う。

「ロン、僕の杖を貸すから」

「お母様にお願いできないの? 新しい杖」

「自分のせいでしょう! で終わりさ」

 どうもウィスタだけらしい。クィレルの死にもやもやしているのは。

「悪いやつだから」

 死んでもどうだっていいのだろう。ウィスタもハリーも助けが遅ければ死んでいた。ただ、クィレルが手を下したかはわからない。クィレルはただの弱々しい奴隷でしかなかったのだ。きっと最後の最後に身体を動かしていたのはヴォルデモートだ。彼はクィレルを捨て駒にし、黄金の炎に焼かれるままにしたのだ……。

 ◆

 闇の魔術に対する防衛術第一回目の授業は、ロックハートのくだらないテストで幕を開けた。こいつはダメだ。少なくともグリフィンドール男子は全員ロックハートを見限った。ウィスタはテスト用紙を見た瞬間に寝た。やってられるか。

「リアイスくーんリアイスくん、授業なのだよ今は」

 片眼だけ――群青色のほう――を開けると金髪で顔だけはいいロックハートがのぞき込んでいた。少しひるんだようだが、訊く気にもなれない。

「僕は朝から調子が悪くて、やっとの思いで先生の授業に出たんです」

 昨年なんて医務室の住人だったんです。付け加えればロックハートが瞬いた。

「なんと。そうだったのか……」

「ウィスタは先生の本を読破しています」

 とっても面白かったって言ってました! とロンが援護する。朝から調子が悪かったというのは嘘だが、ほかは嘘ではない。医務室の住人みたいなものだったし、それをウィスタが病弱だと勘違いするのはロックハートの勝手だ。本は「読み物としては」面白かった。ためになるとは言っていない。

「いいでしょう。休みなさい」

 ウィンクをかまされたが無視した。女の子相手ならともかく野郎にしてどうするんだ。近くでハーマイオニーが「先生はなんて優しいの」と感激していてげんなりした。学年並立首位の才女も、華やかなロックハートにお熱のようだ。

――セドにしとけよ

 ロックハートのような目立ちたがり屋ではないし、チョウは「彼はとってもすてきなの」と熱弁していたし、今年だって戸惑っている一年生を手助けしていたし、熱を上げるならセドリックのほうがいい。女子の人気はセドリックがかっさらっている。

 『魔術師とおい』の続きを読みたいなあと思っているうちにテストが終わったようだ。

「……起きなさい」

 再度、瞼を押し上げる。空色が眼に焼きついた。ナイアード・リアイスは踵を返す。教壇に立ち、ぐるりと教室を見回すとにっと笑った。

「ロックハート先生は原稿の執筆でお忙しい。さて、授業をはじめようか。レディたち、本を仕舞って」

 今日は武装解除呪文を練習しよう、とナイアードが高らかに宣言した。

 

 新学期が始まって早数日。ロックハートの評判は下落の一途をたどっていた。

「あれはダメだわ」

 チョウはチャイを飲む。

「そうかい。で、俺はなんでレイブンクローの席で朝飯食ってるわけ」

「ウィスタ、紅茶を飲む?」

「ありがとう、クイン」

 チョウの親友で昨年なんやかやと関わり合いになったクイン――クイン・マグダラににっこりすればチョウにどつかれた。

「女の子をたぶらかすのやめなさい」

 クインに聞こえないようにこそこそ言われ、負けじと小声で返した。

「そんなつもりはない。礼言っただけだ」

 愛想良く振る舞えばいいことがあるのだ。昨年で学んだ。なぜかリーマスは頭を抱えていたが。「……中身はリーンとむしろ弟か? どういうことだ」と。すかさず父親について突っ込んだが口を割らなかった。そのうち真実薬の調合を覚えてリーマスに飲ませるしかないかもしれない。工程がおそろしく複雑だけれど確実だ。無味無臭で気づかれない。

「眺めるならロックハート、結婚するならセドリック、付き合うならウィスタ、っていうのが最近の人気ランキングよ」

「勝手に言ってろよ」

 ウィスタはまだ十二だ。惚れたはれたはまだ早いだろうし、リアイスがどうのグリフィンドールの末裔がどうのとややこしい身の上だ。しかも育ちは孤児である。付き合いたいどうのなんて嘘っぱちだろう。

「……で」

 クインの皿にスコーンを盛ってやる。ジャムとクロテットクリームも添えた。

「何の用だよチョウ」

 大広間に降りたとたんにレイブンクローのテーブルまで連行されたのだ。ちなみにロンとハーマイオニーはクィディッチ競技場だ。ハリーが「まさか箒からフォードに浮気するなんて! 俺が夏休みに考えた最強の作戦を実践するときだ」とウッドに連れて行かれたからだ。ウッドはどこまでもウッドであった。夜明け前にチームに招集かけるやつがあるか。

「ハリーの情報収集。去年は当たらなかったけど、今年こそは対決するでしょ?」

「チョウってば残念がってたのよ。いい飛びっぷりだから楽しみにしてたのよね」

 上品にスコーンを食べ終わり、クインが口を挟む。どうやってスコーンをこぼさずに食べられるか訊きたいものだ。魔法でも使ってるんじゃないか。

「あんときなあ」

 先学期最後の試合はグリフィンドール対レイブンクローだった。哀れハリーは昏倒して不参加。グリフィンドールはチェイサー陣が奮闘したものの、負けたのだ。もっともウィスタも意識不明だったので伝聞でしかない。

「……まだ競技場にいるんじゃないか? 行ってきたらいいさ」

 フォークで大扉を示す。夜明け前から出かけたくせに、まだ戻ってきやしない。

「そうね。敵情視察ってやつね」

 チョウが鼻歌を歌わんばかりの様子で席を立つ。クインも続き、口元に指を添えた。なぜだか眼が吸い寄せられて、無理矢理引き剥がす。

「厨房からなにか持って行こうかしら? お腹が減ってるでしょうグリフィンドールチーム」

「さすがクインだ」

 他寮にもやさしいなんて女神だろうか――と思っていたら、チョウに足を踏まれた。

「ヴィーラじゃあるまいし振りまかないの」

 なにを振りまくって? そしてヴィーラってなんだろう。

 ◆

 そのままレイブンクローの席で朝食を食べた。途中「昨年セクタムセンプラを受けたウィスタくんですね! わたくし新聞部呪文記事担当の――」とレイブンクロー生が突撃してきたが、監督生に金縛りの呪文をかけられ、大広間から放り出された。「ごめんなさいね」と監督生――ペネロピー・クリアウォーターが言った。なんだかパーシーばりに金縛りの呪文が得意なようだ。暴走する生徒の抑え役なのだろう。監督生って大変だ。

 一騒動あったが食べ終わり、図書館に向かうことにした。昨年のあれこれがあったから一人で行動するなと言われているが、わずらわしくて仕方がない。ウィスタはどこぞのレディではないのだ。

――薬草学はマンドラゴラについて、闇の魔術に対する防衛術は武装解除呪文について

 二つ課題をやっつければ、あとは自由だ。

「いや」

 フランス語の課題とブルガリア語の課題が荷物に紛れていたのだった。犯人はリーマスだろう。養父は教師になればいいんじゃないか。

――人狼だから無理なんだろうか

 廊下に吐息をこぼす。リーマスだってなりたくてなったわけではないだろう。だからこそ母は――リーン・リアイスは脱狼薬の研究をしたのだろう。文献によるとウィスタの祖父ミスラ・リアイスが脱狼薬を開発し、母がそれを改良したようだ。

 図書館への行程を半分ほど進んだとき「もし、小さな騎士よ」と呼びかけられた。肖像画のひとつだ。彼は藍の双眸を鋭く光らせた。

「なんでしょう?」

「この先で女の子が不貞の輩たちに絡まれている」

「わかった」

 言うや否や駆け出した。輩たちということは複数だろう。ろくでもないやつらに決まっている。

 ルーン石よし、爆竹よし、煙幕よし、杖よし、闘志よし。

「赤毛にそばかす。ぼろぼろの本」

「犬みたいに子沢山なウィーズリー家だろう」

「血を裏切る者め!」

 高い声が響いてくる。眉間に皺を立て、廊下の角に身をひそめた。少年たちのネクタイはスリザリンカラー。囲まれているのはウィーズリー家の末っ子、ジニーだった。いつもは明るくて元気なジニーは、黒い本を抱えてうつむいている。延々とジニーに絡み、生まれをけなしていた。クソ野郎どもが。

「霧よ」

 杖を振れば、廊下が濃い霧で満たされる。なんだなんだと悲鳴をあげる連中に、ルーン石をお見舞いし、ついでにもうひとつ珠を投げる。

「うわああ!」

「誰か火をけして!」

「なんなんだよ!」

 せせら笑いながら、ジニーがいるらしい場所へにじり寄る。小さな手を掴んだ。

「こっちだ」

 壁を蹴ると隠し通路が現れた。青白い顔がウィスタをみとめる。モリー小母似の青い眼が瞬いた。

「ウィスタ……だったんだ」

 大丈夫かとは訊かなかった。訊いたってなんの解決にもならない。

「爆竹でも花火でもルーン石でも呪いでも、好きなコースを選べるけどどうするよ」

 にやりとすれば、ジニーは薄く笑った。かわいそうなくらい縮こまっている。あれだけ言われれば無理もない。

「……いいの。あの子たち懲りないだろうし。やるんなら成績で見返すから」

「偉いなあ」

 双子やウィスタならこうはならない。呪いのフルコースをお見舞いしているだろう。

「なんかあったら沈黙呪文か武装解除を使いな。ジニーならすぐできる」

 うん、とジニーが頷いたとき、男の声がした。

「はあ……大騒ぎして何事ですか」

 通路の『扉』をそっと開け窺えば、霧の晴れた廊下に、藤色のローブをまとい、金髪を綺麗に整えた無能・いいのは顔だけロックハートがいた。

「せ、先生」

「元気がよくてよろしいが、はしゃぎすぎですよ」

 めっ、とロックハートは指を突き出す。ロックハートよ。女の子には有効だろうが男には意味がないぞ。

「ローブを焦がして……身だしなみを整えてこその――おや?」

 ロックハートがかがみ込む。転がる珠を手に取った。その刹那、声が流れ出す。汚いや臭いや血を裏切る者、貧乏人、マグル贔屓その他諸々。耳が腐りそうな罵言の数々だ。

――あとで回収してマクゴナガルのところへ持ち込もうと思っていたが

 ロックハートは唇を引き結び、ぎろりとスリザリン生たちを睨んだ。

「なんと……なんていうことを」

 生まれを莫迦にするなとご両親に言われなかったのですか。ああ、わたくしは悲しい……。マグル贔屓のなにが悪いのです。マグルも魔法族も同じ人間ですよ。とうとうと続け、ロックハートは鼻息を荒くした。

「さて貴族家の諸君。血を裏切る者などと、二度と口にしないように。一人十点減点、しめて三十点。罰則です。スネイプ先生にお話ししなければ」

 来なさい、と生徒たちを連行していく。ウィスタとジニーは顔を見合わせた。無能だが良識はあるようだ。

「あー……厨房でココアでも飲もう」

 抱えていた本も荷物を持ってやる。指先から腕へと熱が駆け抜けた――ような気がした。

「厨房の場所を知ってるの?」

「特別だぞ」

 手を引いて歩き始めたころには、痺れのことは忘れていた。

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