【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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十六話

「カラスビシャクと満月草と生姜」

 沸騰した湯に刻んだ生姜を入れ、すり潰した満月草とカラスビシャクを入れる。時計回りに……。

 吐き気止めの薬は思ったよりも簡単だ。本を閉じ、机に放る。

「坊ちゃま、材料はこちらでよろしいでしょうか」

 ウィスタのつぶやきを聞いていたらしい妖精が、盆の上に必要なものをそろえてくれていた。瓶の中には竜胆色の炎、小鍋、ナイフ、椀にはそれぞれの材料。

「ありがとう」

「お役に立てて光栄でございます」

 妖精は耳をぱたぱたさせ、ちょこんとお辞儀をして仕事にもどった。これから昼食の準備があるのだ。

「穢れた血っていうのは」

 最低のスラングなの。怒気もあらわにジニーは生姜を滅多切りにする。本には切り方まで書いてなかったし、とウィスタは目こぼしした。

――あの坊ちゃんが言いそうなこった

 ジニーと一緒にココアでも飲もうと厨房へ行ったのが十五分前。直後にチョウとクインがやってきた。二人ともお冠で、競技場に行ったんじゃなかったの? と訊けばかくかくしかじかと経緯説明。なんでもスリザリンが横合いから競技場の予約を分捕って、新しい箒を見せびらかして、女なんかいるチームがどうこう、ハーマイオニーが反論すれば「穢れた血め」とマルフォイがののしり、スリザリンとグリフィンドールの乱闘が勃発。最終的に「今すぐやめないとニンバス2001を灰にするけどよろしい?」とクインが箒を人質にとり、なんとかおさめた。ちなみに乱闘に参加していたロンは、折れた杖で無茶をやらかしてナメクジ呪いにかかったとか。

「――で? 穢れた血っていうのは、マグルを指す言葉?」

「そうよ。ぜーーったいにそんなこと言っちゃいけないの。パパやママにお説教されて物置に入れられてご飯抜きになるんだから」

 信じられないと言いながら、ジニーは猛烈な勢いで満月草とカラスビシャクをすりつぶした。助手がいると楽だ。

「でもマルフォイはそう言ったわけか……」

「あそこは代々純血なのを鼻にかけてるの。狂ってるんだから」

 純血といっても怪しいの、とジニーが続けた。「ほら、うちのパパなんてああだし。純血だろうがなんだろうが気にしないくちだもん。パパは純血なんて言ってるがどこかでマグルの血は入ってるだろうって言ってたし」

「そんなもんなの?」

「たぶんね。純血名門なんて、誰かが勝手に言い始めたんだから。少なくとも」

 ちら、とジニーがウィスタを見る。

「リアイスからじゃないわ」

「どうせマルフォイみたいな連中が言い出したんだろうよ」

 生姜を放り込み、かき混ぜる。純血だなんだとどうでもいい。マグルの間で育ってきた身としては、魔法族の暮らしはあまりに突飛すぎるし、マグルとの文化の壁は大きいだろう。だから、マグルに拒否感を持つのは理解できなくもない。そもそも人間なんてもんは金のあるなしや容姿の良し悪しで差別するものだ。孤児だったうえに父母も知らず、お前は不義の子なんだろう、私生児め、と言われ続けてきたのだ。

――理想郷なんてない

 だから、今更驚かない。

 ほどなくして薬ができあがり、ついでにお粥や昼食を妖精たちにつくってもらった。バスケットに詰めて寮へ戻る。

「一人で出歩くなよ」

 道すがら言えば、にっと笑って返された。

「ウィスタもね」

 ◆

「どんな手を使ったんだ?」

 ナメクジ呪い事件から数日後、オリバー・ウッドに詰め寄られた。ウィスタはジャムとクロテットクリームを塗ったスコーンを飲み下し、ついでに紅茶も飲む。優雅な朝食を堪能したかったが無理なようだ。

「なにがだ? オリバー」

「競技場の件だ」

 オリバーが身体をねじ込んでくる。隣に座らなくていい。近い。

 結局スリザリンが競技場を横取りしたのは一回きりだった、と口にして、オリバーはバナナジュースを一気飲みした。この男は健康志向だ。筋トレも欠かさない。いまだにチームに入れ入れと突進してきて、ウィスタの盾の呪文にぶち当たり、鼻血を流すこともあるクィディッチバカなのだ。

「マクゴナガルがなんかしたんじゃねーの」

「マルフォイが「僕はシーカーとして十分にやっていける」と鼻高々で、スリザリンの令嬢方が「聞きまして? リアイス家のウィスタ令息が太鼓判を捺したのですって」と噂してるのに?」

 スリザリンの令嬢役が妙に巧すぎる。気持ち悪いほどだ。いやいや待て待て令息ってなんだ。

 鳥肌が立った腕をさすりながら、さらりと返した。

「レイブンクローのお嬢さん方とおしゃべりしてたのが耳に入ったんだろう。坊ちゃんは素直だね」

「君はレイブンクローかスリザリンに入るべきだったのかもな」

 オリバーが小さく笑う。

「冗談抜かせ。ハーマイオニーにスラング言うような寮なんてお断りだね。去年なんて逆恨みで襲ってくるバカもいたし」

 イージスは死んだのだったなと思い出す。

『お前のために殺してやったのに』

 ほんの数ヶ月前、いびつな姿をした闇の帝王は言った。深紅の双眸を爛々と光らせて。

――なんなのだろう

 軍門に下れとほざいたり、人の母親を殺したり、ウィスタのためにイージスを始末したり。やっていることがめちゃくちゃだ。

 ただの赤ん坊だったハリーとウィスタを狙った理由もわからない。リアイス家やポッター家に隠された力があるのだろうか。そんなバカな。

『ヴォルデモートは君の母を――リーンを……リーンに流れる血を、厭わしく思っておった。同時に、焦がれてもいたのかもしれない。最初はリーンを闇へと誘おうとした』

 母が、自分がグリフィンドールの血を引くからか。きっとそうなのだ、と己を納得させつつ、頭の片隅でちいさなちいさな声がした。

 なにかが隠れているぞ、と。

 

「らしくないねウィスタ」

 金曜日、グリフィンドール寮談話室。ウィスタは古びたソファに腰掛け、ぼんやりとハリーを見ていた。片手に器用に包帯が巻かれていく。

「お前がサイン入りの写真を配るくらいありえないな。ああ……」

 片膝を突き、ウィスタの手当をしていたハリーが緑の眼を光らせる。

「ロックハートが勝手に言ったんだ」

 きつく包帯を締められ呻いた。最後に留められ「はいお仕舞い」と告げられる。礼を言って息を吐き出した。

「それで、君が調合に失敗するなんてどういうこと? ハーマイオニーが落第するくらいありえないよ」

「あら、私だって落第…………はしないわね」

 ハーマイオニーはご機嫌だ。無駄に謙遜しないし、賛辞は素直に受け止める。実は下級生に人気なのである。なんでも知っているお姉さんとして。

「飛行術で落第するんじゃないの」

 左隣のソファに身を預けたロンが言い、直後うめき声を上げた。ハーマイオニーが素早く呪文をかけたのだろう。口は災いの元である。

「それにしても最近少しおかしいわよ」

 右隣のソファから、ハーマイオニーが身を乗り出す。

「いやあスネイプ先生が怖くて怖くて……」

 金曜日の午後最後の授業は魔法薬学だった。課題は変色薬。たとえば髪を染めたり、衣服などの物品を染めるのにも使われる。もっとも、人体とモノでは調合がいささか異なるらしい。変身術や呪文学が苦手な層に人気らしい。

 嘘だあ、とロンが言う。嘘でも言わなきゃやってられるか。自信家のロックハートじゃあないが、あんなもん鼻歌交じりで調合できなきゃおかしい。

「やたら眠いんだよ」

 ハリーに腕を掴まれ白状した。案外力が強い。そして容赦がない。火傷したところを掴むやつがあるか。悪魔かこいつ。

「夜更かししたの?」

「まさか外出」

「君たち不良娘をたしなめる親になってるよ」

「飯食ってても授業受けててもなんかめちゃくちゃ眠いんだよ……今はなんとか……なってるけど」

 ふあ、とあくびが漏れる。ハロウィンに向けて悪戯仕掛け人たちとあれこれ計画を練ってはいるが、夜更かしまではしていない。なんせ双子はクィディッチの朝練があるのだ。

「だるいし、眠いし……」

「うん、それはおかしいなあ」

 白い手が伸びてきて、顔をくいっと反らされる。生き生きとした顔が至近距離にあった。

「その症状は」

 女の子に当てはまるもんね、と耳元で囁いたのはアリシアだ。

「まさか女の子じゃないよねウィスタ?」

 これはケイティ。女の子、眠気、だるい。つまり――とまで考えて顔が熱くなった。鈍感なままでいれたらよかったのに。

「俺のどこが女に見えるんだよ」

「あらー、恥ずかしがって。じゃあ雄しべと雌しべがの理屈も知ってるわけ」

 アンジェリーナは大変に楽しそうだ。少し意地悪なところがフレッドを思わせる。

「やめろぉおお」

 眠気が吹っ飛ぶ。大笑いしながらアンジェリーナが手を離した。頭を戻せば、ハリーとロンはきょとんとしている。ウィスタだってそっち側にいたかった。会話の一部始終で察したのか、ハーマイオニーは眼を逸らしていた。

 きりきりと歯噛みしながらソファから降りる。

「畜生俺は寝るからな!」

 散々な金曜日だ。なんにもわかっていないハリーとロンにも腹が立つ。こいつら明日の罰則でひいひい言えばいいのだ。

 ◆

 土曜日、ウィスタはここぞとばかりに寝こけた。起きたら十時半で、ついに孤児時代の早起き習慣とおさらばできたのか、そうでないのか悩んだ。

――なんか変なんだよな

 眠くてたまらないはずで、つまりレム睡眠だかノンレム睡眠のはずだ。脳も休んでいるから夢も見ない。

「……はず、なんだけど」

 薬入れから薬草を取り出して口につっこむ。あまりの苦さに涙がにじんだ。寝台から降り、頬をつねる。なんとかかんとか眠気を追い払いながら、厨房へ向かう。肖像画に挨拶を返しつつ、階段を最短経路で繋いだ。どうせ朝食は終わっているだろう。妖精たちになにかつくってもらったほうが早い。

 あくびをこらえながら厨房に到着すると、思わぬ先客がいた。ふ、と空色の眼がウィスタを捉える。

「おはようウィスタ」

「……おはようございます。リアイス先生」

「固いなあ」

 リアイス先生ことナイアードに手招きされ、向かいに腰を下ろした。妖精たちがサンドイッチを置いてくれる。野菜ジュースと食後のコーヒー付きだ。いたせり尽くせりで、自分が坊ちゃんにでもなったような錯覚に見舞われる。

「先生も寝坊?」

「暴れ柳の治療にかり出されてね」

 薬草学の専門家、スプラウト先生でも手が足りないということか。

「じゃあ先生は防衛術だけじゃなくて、薬草学も詳しいの」

 サンドイッチにかぶりつく。生ハムを贅沢に使っていて、これだから厨房通いがやめられないのだ。

「いや」

 ナイアードが皿に盛られたサンドイッチを手に取る。ウィスタは「悪いけど追加お願い」と妖精に頼んだ。

「君の食いっぷりを見たら食べたくなる……で、俺はだいたいなんでもできるが」

「ロックハートタイプだったの先生」

「あれは目立ちたがり屋の身の程知らずなだけさ。専門は錬金術。だから薬草学も魔法薬学も得意だ。防衛術はリアイスならできて当然だから数には入らない。本来ならば一族の緑の手を派遣するところなんだが」

 片手でサンドイッチを持ったまま、ナイアードは杖を取り出す。灰色の、すこしねじれた杖だ。柄にある印――剣と杖が交差している――が眼をひいた。

「これは暴れ柳の枝からつくられていてね。だから暴れ柳を制御できる。大伯母上――君の祖母の杖だ」

 一本目は折られてしまって、これは二本目だとか。ナイアードの言を聞きながら、口を開いた。

「つまり俺と先生は何になるわけ?」

 たぶん従兄弟の次なのだろうけど、なんだったか。

「従兄弟の子どうしだから、又従兄弟だ。君の母親と俺の父親が従兄妹だから。ほかにも何人かいるから、そのうち会うだろう。皆君に興味津々だ」

 片眉を上げる。声が低くなった。

「その割には十年ばかり放置していたようだけど?」

「あ~、それについては悪かった。捜索隊を出したり俺らも探したんだが……」

 ナイアードが言葉を切る。肩を落とした。す、と灰色の杖を振る。ざわりと肌が粟立った。なにか術がかかったのだろう。

「聞きたいのはそこじゃないよな。なんで君を一族が引き取らなかったのか。なぜリーマス・ルーピンに預けたのか……君の母君、先代《ランパント》の意向もある――」

――おいおい

 またぞろ新しい用語が出てきたんだが。学校に親戚のお兄さんが登場しただけでもイベント盛り沢山なのに勘弁してほしい。

「先生。ランパントって俺のミドルネームで本家直系がなんとからしいけど? 今のはどういう意味合いですか」

「君の母君は本家の当主だったんだ」

「聞いてねえよ!!」

 ナイアードが眼を泳がせた。

「当たり前過ぎて言うの忘れてたな、みんな……ともかく城は子育てに向いていなくてね。だから森の別邸を使っていたわけで」

「それとリアイスが引き取らないのは別の話だろう。曾祖父さんなんて手紙だけだ」

「君、いきなり魔法使いだと言われて引き取られて、貴族の家系図や礼儀作法その他学問叩き込まれたらたまらないだろう? だからリアイスは様子見してるわけだよ」

「フランス語とブルガリア語だけでも死にそうなんだが」

「そのうち役に立つから覚えなさい」

――こういう時だけ教師面か

 舌打ちをこらえた。ナイアードの面を殴りたいが我慢だ。

「俺のことを思って引き取りを見合わせてるだけじゃないだろ。なにを隠してる」

 す、とナイアードの面からからかうような雰囲気が消え去る。仮面が即座に切り替わった。先生でも親戚のお兄さんでもない貌。

「……君のことを手放しで歓迎する層ばかりじゃないってことだ。昨年賢者の石を守ったから、そこまでむちゃくちゃなことにはならないだろうが」

「嫌われるのには慣れてる」

 コーヒーを一気に飲み干す。どうせウィスタが孤児で、卑しい育ちだからだろう。母の血族とはいえ相手は貴族だ。それか、母の子ではないと思われているのか……。

「君はよくやっている。少なくとも、第二分家当主《ステータント》は味方につこう」

「ずいぶん若い当主だね」

「父がヴォルデモートに惨殺されてね」

 ナイアードの笑みがゆがむ。眼を細めると、ついと手をのばしてきた。頬に触れられる。

「黒い影……呪いか?」

 浄火よ。小さなささやきとともに、ほのかな熱が染み込む。自覚さえしていなかった不快感が融けて消えた。

「さあ行くといい。なにかあれば訪ねておいで」

 柔らかな声に背を押されるようにして、厨房を出た。まとわりつく眠気は鳴りをひそめ。

 黒髪に紅い眼の青年の夢も――呼び声も、忘れたことすらも忘れ、奥底へ沈んでいった。

 

 ウィスタの眠気その他はすっかり消え去り、図書館で課題を仕上げたり、パーシーとチェスをしたりして過ごした。有意義な休日を謳歌しているウィスタとは対照的に、ハリーとロンの気分はどん底だった。

 フォードアングリア墜落事件の罰則が待ち受けていて「ロックハートは嫌だ」「フィルチは嫌だ」とぐずぐす言う二人を、ハーマイオニーと協力して蹴り出した。

 どうせ帰ってくるのは深夜だろう。ロックハートはハリーにご執心だし、フィルチは陰険だ。こっそりと厨房に行って、ココアや軽くつまめるものを用意してもらう。談話室の一画に置いてやり、俺ってばできる男だと自画自賛した。夜の十時。談話室にはまだまだひとがいて、ハーマイオニーは一年生に勉強を教えてやっていて、ネビルはふわふわのスリッパを変色させる呪文を練習していた。アンジェリーナが寄ってきた。

「もう眠り姫にならないの?」

「善い魔女が呪いを解いてくれたからね」

「それは残念。君の寝顔は高く売れそうなのに」

「百億ガリオンで売ってやるよ。眠り姫……じゃなくて具合の悪いお嬢さんがいるみたいだ」

 隅のソファでジニーが膝を抱えている。一年生に混じるわけでもなく、ぼんやりしていた。アンジェリーナに目配せすると、頼りになる姉貴分は軽やかにジニーへ近づいた。

 ウィスタは魔法瓶からココアを入れてやる。ハリーとロンの分が少し減るがかまわないだろう。

 アンジェリーナに引きずられてきたジニーに、ココアを差し出す。

「風邪か? さっさと寝な」

「ありがとう」

 ジニーの手は小さく震えている。寒いのだろうか。暖炉の火で熱いくらいなのに。氷のような指先に触れて、顔をしかめた。冷たすぎるし、なんだかしびれる。

「元気爆発薬でも飲むか?」

「……あれははずかしいからやだ」

「ウィスタは気が利くのに女心をわかってないんだ」

――耳から湯気が出ないやつをつくってみるか

 開発できたら稼げそうだ。むしろ今まで誰も改良しなかったのか。

「おやすみジニー」

 アンジェリーナが手を振る。ジニーも小さく手を振って、女子寮に消えていった。

「なんだかあの子は妙だね」

 アンジェリーナはドレッドレアをかき上げた。鋭い眼が女子寮を捉えている。

「友達ができないタイプなわけじゃないだろうし、一人が好きなタイプにも思えないのに」

 私が見かけるとき、たいてい一人なんだ。

 ◆

 翌日、ハリーたちから最悪な罰則について散々聞かされた。

「壁から声が聞こえてきて、僕は宛名の書きすぎでおかしくなったのかと思ったよ」

 ハリーはオリバー推奨の健康メニューをがっつく。口の端にスクランブルエッグがついてるぞ。

「うたた寝してた?」

「それは君のほうじゃないの」

 眠いんだろと返されて顔をしかめた。ナイアードになにかをしてもらったのに、数時間で眠気が戻ってくるとは。

「女の子にアロマとか訊こうかな……」

「君は気軽にそう言うこと訊くよね」

 ロンはげっそりしている。ひく、と喉が鳴って懸命に飲み下したようだ。なめくじ発作再びである。

「甘ったるいのはあれだけど、訊くくらいなら」

 リラックスがどうこう、痛いのがどうこう、と談話室の隅でよくおしゃべりしている。いやいや痛いのはどうでもいいんだ。コーヒーを流し込んで深呼吸する。ハリーもロンも、談話室で交わされる会話の意味なんてたいして理解していないだろう。かなり羨ましい。

「……あんまりよくないようなら、マダム・ポンフリーのところへ行けよ」

 それだけ言って話を切った。

――医務室に行くべきなのは俺じゃあないのか

 月曜日、火曜日……となんとか授業をこなし、苦い薬草を口に突っ込みながら乗り切っていった。親愛なるスネイプには相変わらず意地の悪い質問をされ、答えても加点はなく、フリットウィックは「課題を終えたら好きにしていい」と言われたので爆睡した。飛行術では壁に激突し、変身術ではコガネムシをボタンに変えるはずがトカゲにしてしまい、薬草学では蔓植物に締め上げられた。闇の魔術に対する防衛術ではハーマイオニーにコテンパンにされた。総合的に最悪だった。

――変な夢も見るし

 黒髪に紅の眼の青年。おそろしく整った顔立ちだ。じろじろとウィスタを見てきて「■■■さんだけじゃ■■■■だったからちょうどいい」と言って、なぜだか撫でられた気もする。確か夢とは深層心理がどうこう、記憶の整理がどうこうだとマグルの学者が言っていたと思う。

「まさかあれが俺の理想とかじゃあないよな?」

 渡り廊下から湖を眺め、呟いた。土曜日、天候は雨。多少濡れるが構いやしない。あまりひとの来ない場所で、お気に入りだった。欄干に額をつける。なんなんだこの眠気。

――成長期ってやつ?

 ざっくりとしか知らないがそろそろのはずだ。去年でがっつり食べられるようになったし、マダム・ポンフリーからも健康体ですと太鼓判を捺されたし、成長期に突入していてもおかしくはない。ただ、あちこちの傷跡は薄くはなっても消えないだろうが。

「優しげな顔のいいやつのほうがもてそうだよな……」

 夢の中のなんとかさんは、あまり信用する気になれない。眼が笑っていないし、とにかくいけ好かない。夢なのに。

「そう、こう……セドとか」

 親切なセドリック。モテモテである。チョウはどうするんだろうか。明らかにセドリックに気があるのに。クインなんて面白がって……。

「図書館に行くか」

 どうも変なことを考えてしまっていけない。

 ふらふらしながら図書館へ行けば、ハッフルパフの一団と会った。仲良く勉強会らしい。

「やあウィスタ。君は勉強なんていらないだろう」

「寮だと騒がしくってなアーニー」

 横を向いてあくびをこらえた。困った。

「なんかめちゃくちゃすごい眠気ざまし、誰かもってないか」

「マグルのガムですけど、いります?」

 気前よくブラックなんとかガムを一パックくれたのはジャスティン・フィンチ=フレッチリーだった。めちゃくちゃいいご家庭のお坊ちゃんである。なんせイートン校を蹴って得体の知れないホグワーツなんて選んだマグル生まれだ。同じ坊ちゃんでも、マルフォイと違っていいやつだ。

「ありがと」

 代わりにフリットウィックからもらったしゅわしゅわ飴玉をあげて、ガムを口に放り込んだ。

「おしゃべりしてたら眠気も失くなるんじゃない? 勉強教えてよ」

 ハンナ・アボットがにっこりした。

「ちゃっかりしてるよ」

 ハッフルパフ生の間に身を滑り込ませ、魔法薬学の課題をみてやって……いつの間にか寝ていた。気づけば寮の寝台の上で「アーニーたちがグリフィンドールの寮ってどこ!? って騒いでたらセドリックがあなたを引き取って、おんぶして運んでくれ、パーシーがセドリックを見つけて、寮まで連れ帰ってくれたのよ」とハーマイオニーがくすくす笑いながら教えてくれた。

 ウィスタはうめいて布団をかぶった。

 なんてこった。穴があったら入りたい。

 

「数多の女の子を差し置いて」

 セドリックに横抱きで運ばれたですって!

 ウィスタはコーヒーを噴いた。ふらふらしながら大広間に降りれば、例のごとくチョウにとっつかまり――しかも監督生のペネロピーも加わり――レイブンクローの席に引きずられた。文字通り引きずられた。上座のナイアードは抱腹絶倒していた。あの野郎あとで殴る。教師だろうが親戚のお兄さんだろうが知るかクソが。

「待て、背負わ、れた、んだよ」

 変なところにとびきり苦いコーヒーが入り盛大にむせた。クインが背中を叩いてくれる。なんだかぞくぞくしたが気のせいだろう。

「じゃあパーシーはどうなの?」

 ペネロピーが割り込んでくる。なんでそんなに真顔なのだペネロピー。レイブンクローのお下げの女の子はかわいいとグリフィンドールじゃ評判なんだぞペネロピー。

「うちのパーシーは秀才だぞ。担架つくったに決まってる」

 なんせ学年トップである。確か学費免除を受けていた。モリー小母が「なんて孝行息子なのかしら」と感激していたものだ。たぶん魔法省に入りたいのはロンやジニーの学費をどうにかしてやりたいからだろう。各種減免があったとしても、学用品はそれなりにする。ロックハートのようになんも考えずに高価すぎる本を指定するやつもいるし。

「そうよね」

 ペネロピーは胸をなでおろした。なにをそんなに気にしているのか。もはやどろどろの黒いなにかを流し込み、涙目になりながらウィスタは問いかけた。

「お嬢さん方は、横抱きというか……お姫様抱っこにあこがれるもの?」

 周りの男子の視線が突き刺さる。どいつもこいつも全力で耳を傾けているようだ。ああ、レイブンクローとはいえ皆ふつうの男子であった。

「そんなロマンス小説みたいな展開ありえないから」

「想像すらしたことない」

「どうかしらね……」

 よっぽど好きかよっぽどスマートな人じゃないとね。レイブンクローの女の子たちは大変に現実的だった。女の子なんてそんなもんだ。男どもはうなだれていた。気持ちはわかる。じゃあ仮にお姫様抱っこをしてもこう……つまり……いやいや俺はなにを考えている。もう一杯暗黒の液を飲んで眠気を飛ばした。

 ◆

 ひたすら眠気を飛ばし、なるべく食べるようにし、魔法史と呪文学で爆睡し、日々を凌いだ。

 夢の中で、相変わらず黒髪の青年が――男からみても感心するくらいの美形が――接触してきた。と、いっても細かいところまでは覚えていない。ウィスタはとにかくそいつが気に入らなくて「お前みたいな世の中嘗めくさってる野郎」とか「帰れ」とか言ったように思う。ほかにも色々言ったと思うのだが、青年が「君が心を開いてくれないと」とほざいたのでキレた。「自己啓発セミナーかよ」と怒鳴って蹴り出した……と思う。お陰で起きたときには大変不機嫌で、勢いでマダム・ポンフリーのところへ駆け込んでかくかくしかじか眠気が止まらないと訴えた。真面目な顔であれこれ調べられ「魔力が不安定ですね……なにかしら。少し早い思春期?」と首を傾げられた。なんだか妙に減っているらしい。魔法がうまく使えない幼児、それか思春期の子によくあることらしい。無駄に力を使ってしまうのだそうだ。マダム・ポンフリーに栄養ドリンクを一ダースもらい、食事のたびに飲んだらずいぶんとマシになった。

 そうこうしているうちに十月末日、ハロウィンを迎えた。今年はトロール乱入事件なんて起こらないだろう。しかしなにがあるかわからないので、靴紐の先には小さく加工したルーン石をつけ、ポケットにはフィリバスターの長々花火や針金、それにルーン石を突っ込んだ。それにホグワーツ特急で受け取った、ダンブルドアからの手紙についてきた羽根もいれておいた。紅と金色の綺麗な羽根だ。持っているだけでいいことがありそうな気がする。

「ねえ、パーティー行かなきゃだめかな?」

 昼食の席で、ハリーがアスパラガスを突っついていた。心なしか眼鏡もくもっている。ただ汚いだけか。ハリーはけっこうズボラだ。トランクの中もごちゃごちゃしているのだ。

「約束したんでしょ」

 ハーマイオニーが正論で叩き潰した。

「みてみろよニックの期待に満ちた眼を。きらきらしてるよ」

「あれはお前の兄貴たちが魔法をかけてるからだ」

 きらきらもといギラギラだ。簡単な呪文をいくつか掛け合わせたのだろう。ニックが輝いている。本人は気づいていない。ウィスタも言うつもりはなかった。ゴーストに魔法をかけたんじゃなく、ゴーストの周りに干渉したのだろう。双子は器用なのだ。

「ウィスタも来てよ」

「あん? 嫌だね」

「僕たちの友情は紙より薄かったのか」

 飯は確保しといてやると約束し、夕方にハリーたちと別れた。宴が始まると同時に花火が上がる。双子とリーが派手にやりたいというものだから、フィリバスターの長々花火を分解して改造し、打ち上げ花火にした。眠気倦怠感に打ち勝って突貫工事でつくった割には良い出来だ。

――空飛ぶスパゲッティやパンプキンパイにしなくてよかった

 案にはあがったし、スネイプに思う存分ぶつけたかったのだけど、結局スマートさに欠けるよな……と意見が一致したのだ。会場内に獅子や穴熊、子猫や子犬、小鳥に子羊……たくさんの銀色の影が飛び回る。ほんとに双子どもは器用だ。才能の無駄遣いだ。

 去年ろくに食べられなかった分までがっついていると、グラスが震え、ねじれた。

――なんだ?

 す、と血が下がっていく。周りの音が聞こえない。ひどい耳鳴りがする。

『……裂いて』

『ずいぶん待った――』

『小手調べだ』

 やれ。

「――スタ」

 誰かが声をかけてくる。耳鳴りは消えていて、視界も澄んだ。けれど、冷や汗が止まらない。テーブルに手を突いて立ち上がる。ローブの袖を引っ張られたが振り払った。大広間を出る。片手には杖。

――なにかがあった

 よくないことだ。あの冷たい声はなんだ。どこか聞き覚えがある……。

 心臓が早鐘を打つ。穏和(おとな)しくすればいい。知らないふりをすればいい。けれど、あの声と滴るような悪意を感じた後では、動かずにはいられない。じんわりと両眼が熱を帯びた。ぼうやりと浮かび上がる影。白金の髪の女生徒。

『ここはわたしの城。我らの領域』

 高く鋭く、靴音が木霊する。窓の外から覗く月は――あんなに傾いていたろうか。さきほどみたときは中天より少し西にいたはずなのに。思考の靄が晴れていく。あの女生徒は誰だろう。宴から抜け出したのか。疑問が次々にわいたが、ウィスタの足は止まらない。

『かならず見つけだす』

 スリザリンの継承者!

 燃えるがごとき怒りがウィスタを貫く。女生徒が煙のように失せた。蹈鞴を踏み、気づけば水たまりのなかにいた。水たまり……ではない。あたり一面水浸しだ。

「わけわかんねえぞ」

 なにを焦っていた。なにが悪い予感だ。馬鹿馬鹿しい。

「疲れてるな……」

 頭を振って、水面が光っているのに気づいた。松明の明かりではない。もっと気味の悪い、てらてらとした緑色。視線を上げる。不良の落書きよりも数段優美な文字が、壁を彩っていた。

「秘密の部屋は開かれたり――」

 継承者の敵よ気をつけよ。




ナイアード…リアイス第二分家当主《ステータント》。黒髪に空色の眼の青年。錬金術師。ホグワーツに派遣される。ウィスタの又従兄弟。
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