「いやー」
「ハロウィンだから」
「なにかしてやろうと思って」
ウィスタを連れ出したんですよね!
元気がよすぎる声に、眼を開けた。床に延び、壁に躍る影。貼られたポスター。洋服かけにはライラック色や勿忘草色のローブがかかっている……。
――連行されたんだったか
文字を見つけて呆然としていると、なぜかハリーたちがやってきて。そのうち宴が終わって生徒が集まってきた……。
「それはそれは間が良すぎるな、双子。ポッターたちとも合流したと?」
低く粘るような声が室に響く。温度のない黒い眼が、双子とリーを射抜いていた。ネビルなら泣いてちびりそうな迫力である。だが、双子とリーは平然としている。スネイプが怖くて悪戯仕掛け人なんて名乗っていないのだ。
「それは俺たちの」
「友情パワーで」
「以心★伝心」
「よく回る口だこと。そろそろお黙りなさい」
「イエス・マム」
マクゴナガルは額をもみほぐした。明かりが女史の顔に複雑な陰影を描く。
「状況を整理いたしましょう。宴の間に、何者かが壁に文字を描いた。ウィーズリー、リー、リアイス……おや、起きましたか」
皆の視線を浴び、ウィスタは口をこじ開けた。
「はい――その、」
まごついた。フレッドたちは関係ないと言えばいいのか。俺はなにもやっていないと言えばいいのか。なにが正しいのかわからない。どうして宴を抜け出したのだと訊かれでもすればおしまいだ。すべてが遠くの出来事のようで、一切の感情が削げ落ちたダンブルドアの横顔が非現実感に拍車をかけていた。
「……去年はトロール事件で台無しだったので」
フレッドのハンドサインを読みとって口裏を合わせた。マクゴナガルはじっとウィスタをみて、ダンブルドアを振り返る。
「たまたま現場に居合わせただけか――と」
「学生の仕業ではあるまい」
「いいえ、いいえ校長!」
フィルチが口角泡を飛ばして叫ぶ。スネイプが嫌そうに距離をとった。
「小僧がやったに違いない!」
「へ?」
震える指が示しているのはウィスタだ。フィルチの両目は飛び出さんばかりで、とても正気には見えない。
――まさか犯人扱いされるとは
廊下を走っていただけで罰則に持ち込もうとする爺さんだ。フィルチを好いている生徒なんていない。けれど、よほどの莫迦でなければ猫を石にするよりも、始末するほうが簡単だと考えるだろう。なんせ魔法じゃなくてもできるのだ。わざわざ石にする意味がわからない。
「俺たちは現場に居合わせただけだ」
きっぱりと言い切る。
「やめんかアーガス。明らかに闇の魔術の痕跡がある……」
「こいつの母親はスリザリンだ! しかもその顔は――」
――またか
リーン・リアイスの息子だからと持ち上げられたり、襲われたり。今度はこれか。無視しよう。眼を瞑ろうとして、瞼が凍り付いた。
「心外ですな」
室の温度がぐっと下がる。スネイプの黒い眼が射抜くようにフィルチを捉えていた。
「スリザリンだから闇の魔法使いだと? そもそも――リーン・リアイスは闇祓いであったし、我が輩と机を並べていた時分も極めて公正明大だった。自寮から数十点引く莫迦はあれぐらいだ。これが――」
スネイプがウィスタを指し示す。
「なぜ現場に居合わせたかは知らん。双子どもとろくでもないことを企らんでいたのかもしれない……余計なことに首を突っ込む愚か者だが――スリザリンを侮辱することは赦さん」
最後の一言はぞっとするなにかを孕んでいた。双子とリーはぽかんとしていたし、ハリーたちは身を寄せ合っていた。
「そうですよ、アーガス・フィルチ」
ナイアードもスネイプに負けず劣らず怒っているようだった。片手を握ったり開いたりしていて、空色の眸は燃えるような輝きを帯びている。
「アズカバンの独房の半分を埋めたのが誰かご存知ないと?」
ぴしゃりと言い「たかが猫一匹でぎゃあぎゃあと」と吐き捨てた。気のいい兄ちゃんから、情け容赦のない男へと変貌する。ハーマイオニーは口元を手で覆い、眉をひくりとさせている。
――暴言だとか思っているんだろうな
フィルチにとっては大切な猫なのよ、とかなんとか。ウィスタもナイアードと同意見だ。たかが猫。死んだわけでもない。リアイスの偉いさんの前で先代当主を――フィルチが知るわけがないとはいえ――侮辱したのだから、当然の怒りだろう。
「ナイアード、抑えなさい」
ダンブルドアが首を振る。鼻を鳴らしてナイアードはそっぽを向いた。室に重い空気が垂れ込める。出て行きたいがそうもいかない。ウィスタたちが容疑者なのには変わりがなく、身の潔白も証明できないのだ。なぜか双子とリーが飛び込んできてなんとか庇おうとしてくれてはいるが。
――困った
相手は先生たちだ。ウィスタたちの下手な言い訳なんて嘘だとお見通しだろう。
「ご安心あれ!」
場違いな登場人物がいた。ロックハートだ。精神的にぼろ雑巾なフィルチとは対照的に、肌つやはよく、髪は綺麗にセットしていて、歯は真っ白。撮影会でもサイン会でもきやがれな完璧さである。これがプロ意識の現れならば感心するが、ただの洒落好きだ。残念なことに。
「これくらいのものならば、わたしが魔法薬をちょちょいのちょいで――」
「ロックハート先生」
スネイプの気色悪い猫なで声に、フレッドとジョージは吐く真似をした。
「論文の執筆で己が職分をお忘れのようだ」
「い、いえ……あの、スネイプ先生のご負担をへらそうかと」
まるで蛇に睨まれた蛙である。その肩にナイアードが手を置いた。いいや、たぶん握りしめた。
「いやー、先生がマンドラゴラを使用した回復薬がつくれると知りませんでしたね」
「う、うん。あーマンドラゴラ? そうだと思っていたのです! いえいえスネイプ先生とスプラウト先生にお任せし、します……私は論文と小説を書きます。はい」
ロックハートはうなだれた。しおれた白菜だったかなんだったか。とにかくしおれた。
「ウィスタ、おいで。もう一度ミセス・ノリスを見ておくれ」
ダンブルドアに言われるがまま、机に近寄る。ミセス・ノリスは眼を見開いたまま固まっていた。
――なんで俺だけ
ハリーがロンとハーマイオニーにぎゅうぎゅうに抱きしめられてるからだろうか。
「みてごらん――」
ダンブルドアの髭の先が机に触れる。そっと囁かれた。誰にも聞こえないくらいの、押し殺した声で。
「なぜ現場にいたのじゃ? なにか見たか感じたのか」
――このひとは
どこまで見通しているのだろう。きっとウィスタの迷いもわかっている。二秒、ライトブルーの眸を見つめて、答えをそっと宙へ放した。
「声が、聞こえたんです」
「帰ってよろしい、ウィーズリー、ジョーダン、この子たちをしっかり送りなさい。グレンジャー、ウィーズリーたちが何かしでかさないかよく見ておくように」
――引率は双子たちに任せるが、お目付役はハーマイオニーか
マクゴナガルは当然のように言ったし、ハーマイオニーも真面目な顔で頷いた。誰も疑問に思わないらしい。
「ふ、寮に戻るくらいで」
「いやさフレッド、女史の懸念は正しいよ」
「はあ……現場の写真撮って新聞部に売ろうと思ったのになあ」
「もう撮ってるんじゃないか?」
フレッド、ジョージ、リー、ウィスタの順番で発言し、マクゴナガルはゆるゆると首を振った。
「穏和しく 余計な ことを しない」
はーい、と答えたのは誰だったか。帰るぞーとフレッドが言って、ぞろぞろついて行く。ウィスタも靴先を扉口へ向けよう――として。
「ウィスタ、ちょっとだけ残ってくれ」
ナイアードに腕を掴まれた。
「まだなにか?」
うんざりしたのが声に滲んでいたのだろう。ナイアードは苦笑いする。
「すぐに済む」
ぱたぱたとハリーたちが出て行って、室にはダンブルドアとマクゴナガル、フィルチとロックハート、そしてナイアードとウィスタだけになった。石になったミセス・ノリスは除く。
スネイプが「こんなところにいても無駄だ」とフィルチを引きずって出て行った。ウィスタは椅子に座らされ、片膝を突いたナイアードに頭から首、手首と触られる。首の傷痕に触れられて、呻きかけたが我慢した。こちらの命を手の内に握られているようで嫌なのだ。
「――浄火よ」
ぬくもりが身を包む。全身から力が抜けていった。
「顔色はよくなったけど、医務室で一晩泊まりなさい」
「過保護か」
言い返してもナイアードはしかめ面のままだ。
「あの緊迫した場面で寝こけてた子に言われたくないね。それと、羽根を預けてくれ」
「――なんで知ってるわけ?」
ポケットから紅と金の羽根を取り出し、手渡した。
「俺がとびきり優秀だからさ」
ぱちんと片眼をつぶる仕草が、嫌味なくらい似合っていた。
◆
結局、ナイアードに医務室まで送られてマダム・ポンフリーに寝台に追い立てられた。慣れたものである。
「ちょっと疲れただけです」
「酷い顔色です。それに……あら? ナイアードがおまじないをしてくれたのね」
ぽいぽいと寝間着を渡されて、歯磨きセットも渡されて、ウィスタは言うことを聞いた。昨年散々心配させたので、マダム・ポンフリーには逆らえないのだ。
枕辺に杖を置き、布団に潜り込む。月明かりが差し込んできて、水差しを仄かに照らした。
石にされた猫、スリザリンの継承者。姿なき声。小手調べだ、と言った誰かの悪意。
「ヴォルデモートか?」
けれど、いまのヴォルデモートは影のようなものだ。誰かに乗り移らなければなにもできない。では誰なのか。あの悪意……。
眼を瞑る。瞼の裏に紅い光がちらついた。燃えるような彩。禍つ星。夢に現れる、あの青年。
「ヴォルデモートの――」
息子、だろうか。呟こうとして、とろりとした闇に絡め取られた。
「君のお陰だ」
柔らかな声。霧に包まれたように白い『どこか』。輝く紅がウィスタをとろけるように見つめた。
「器は手に入れたが、少しばかり力が足りなくてね」
細い指が、ウィスタの黒髪に差し入れられる。身を捩ろうとしたが、ままならない。夢だからかほかの理由があるのか。
「猫をやったのはあんたか?」
「だとしたら? 小さなグリフィン」
「幼稚だな」
始末すりゃあよかったのさ。吐き捨てれば青年は瞬いた。
「リアイスとは思えないな。いいやリアイスらしいのか? 顔はともかくその色はリアイスの至高の青だもの。僕の好きな色さ」
君が誰の子かは知らないが、いてくれて助かったよ。
「あの子を使うには手間がかかる……君と僕は相性がいいらしいが――乗り換えられないからなあ」
経路は繋いだからよしとしよう、と青年は勝手に納得している。頭のいいやつはこれだから嫌なのだ。
「今は眠るといい。小さなグリフィン……絞り取りすぎて枯らすわけにはいかないし。また邪魔な式が打たれたらしいし」
おやすみ。
軽い衝撃とともに、ウィスタの意識は途絶えた。
目覚めたときには夜が明けていて、夢をみたことと、あのお綺麗な顔を殴りたいと思ったことは覚えていたが、詳しい内容は綿飴のように消えてしまった。サイドテーブルに手紙とネックレスが置かれていた。細かな装飾がほどこされた金属の珠に、紅と金色が封印されている。チェーンではなく紐が通されていた。手紙の差出人はナイアードだった。
『身につけておきなさい。君に炎の加護があらんことを』
首から下げればなぜだか安堵した。なにが起こっても大丈夫だ――。根拠のない楽観に背を押され、着替えて大広間に向かった。フレッドたちはいるだろうか。どうやってウィスタがあの廊下にいたとわかったのか、知りたかった。
大広間にいけば、ちらほらと人がいた。
リアイスだ、と誰かが言う。絡みつく視線を無視しようとして、常とは違う温度のそれに暗いなにかを感じた。
「……猫を、」
彼が石にしたんじゃないの。
小さく、怯えきった声が、ウィスタに突き刺さる。
――おいおい嘘だろ
莫迦だろうと笑おうとして、口の端が痙攣した。足許から悪寒が這い上がる。これとよく似た空気を、視線を知っている。それは――。
魔法界に来る前の、汚らしくて乱暴な孤児に向ける眼、だった。
「元気を出しなよ」
「軽く言ってくれるよ」
校庭、ハグリッドの小屋近くにある柵にもたれかかる。囲いのなかには一角獣がいて、曇天の下で輝きを放っている。ウィスタが角砂糖を差し出せば金色の子馬がやってきて、手のひらをなめた。一角獣は美しい外見とは裏腹にどうしようもない女好きであるが、子馬は男でも嫌がらないのだ。もっとも「君の一角獣に対する見方は歪んでいる」とセドリックには言われた。当のセドリックはウィスタの隣で子馬と戯れている。
――ほんっっとに
そりゃあ女の子にもてるよセドリックは……と遠い眼になる。ミセス・ノリス襲撃事件から数日、ウィスタには悪意がまとわりついた。ハリーもハリーでフィルチに「わたしがスクイブだからミセス・ノリスを」とかなんとか言いがかりをつけられたらしい。それでも、ハリーは生き残った男の子だ。ヴォルデモートを失墜させた特別な存在なのだ。多少噂されることはあっても「またポッターが余計なことに手を出した」くらいの認識だった。なぜかウィスタがミセス・ノリスを石にしたのではないか……と囁かれるはめになっている。
「頭のおかしいやつに構ってたら、あんたまで巻き込まれるぞ」
「皆どうかしてるんだ。僕には君がきわめて正気でクールな後輩に見えるね」
さらりと言うものだから参ってしまう。ハグリッドが一角獣を保護しててね、と朝食のときにやってきて連れ出された。チョウの燃えるような眼が忘れられない。すまないチョウ。あんたの恋路を応援したいし誘いたかったのにあっという間に連行されたものだから。
角砂糖をもうひとつ子馬に与える。かわいい。これが将来女好きの馬になるなんて誰が信じるだろう。
「君は間が悪いんだ。色々と」
「正論をどうもありがとう」
優等生セドリック曰く、最近のウィスタの行動は他寮生に不思議がられていたらしい。あの秀才がところかまわず寝ているだとか、飛行術で墜落しただとか、廊下でけらけら笑っていたとか、突然ぶつぶつ言ってどこかへ行っただとか。誇張と嘘と真実が入り交じり、すっかりやばいやつ扱いだ。
「んで病気だろうとかなんとか?」
「残念だけどね」
子馬を撫で、セドリックの灰色の眼がウィスタを気遣わしげにみる。
「君は目立つから」
「悪目立ちの間違いだろ……どうするかは決まった」
「僕にできることならするよ」
「あんたはどこまで善人なんだ」
「だって友――」
「やめろこっぱずかしい」
ぱたぱたと手を振る。からかいや照れがないから厄介だ。これだから育ちの良い坊は。
「処世術その一」
こういうときは何もしない。
◆
ウィスタはひたすら沈黙を貫いた。他寮生にひそひそ言われ、避けられようが我関せず。新聞部のレイブンクロー生が取材を申し込んでこようが蹴った。
「いちいち構ってられるか」
今までの不調が嘘のように、ウィスタの意識ははっきりしていた。ナイアードがなにかをしたのだろうが、彼はどこかに出張している。闇の魔術に対する防衛術は座学であった。ロックハートは別室で新作を執筆して、グリフィドール生は自習をしたりおしゃべりしたりして過ごした。
「この際フィルチに報復してもいいと思わない?」
ロンが口をへの字に曲げていた。授業へ向かう途中、フィルチに絡まれて大変だったのだ。生徒という生徒を憎んでいるように、笑っていたとか音を立てて歩いていたとかいう難癖をつけて罰則に持ち込もうとする。ウィスタやハリーにも言いがかりをつけようとしたが、ハーマイオニーが「彼らは犯人ではないとダンブルドア先生が言っていましたよね」と伝家の宝刀を抜いて事なきを得た。
「我ら悪戯仕掛け人にお任せあれ」
あんまりにもフィルチの言いがかりが酷いので、適当な病気になってもらう予定なのだ。全身できものだらけにしてやろうと薬はつくってある。あとは弾に充填して、双子がフィルチの居場所を割り出し――どうやって割り出すかは教えてくれなかった――リーが発射すれば仕舞いだ。今頃決行されているだろう。
「あまり酷いことはしないで」
「明日はマルフォイがいいやつになってるかもしれないね」
ハリーが茶化せば、ハーマイオニーの頭から角が生えた。誰にも見えてなくてもウィスタには見えた。
「ミセス・ノリスの一件から、ジニーが落ち込んでるんだから!」
「ジニーはミセス・ノリスがどんなやつなのか知らないのさ」
ロンはさらりと流した。ウィスタも頷いた。猫好きなのか知らないが、少し過敏にはなっているようだ。それとなく見守っているが、あまり眠れていないようだし、顔色も少し悪い。とはいえ女の子のあれこれに首をつっこむわけにもいかない。野郎と違ってややこしいのだ女の子ってのは。
あくせくしているうちに二日過ぎ、フィルチは医務室送りになって、一息吐いた。どうやら先生方は積極的に犯人を見つける気はないらしい。フィルチよりも猫を得体の知れない手段で石にした『誰か』を警戒している。
対して生徒たちの一大流行は『ホグワーツの歴史』争奪戦だ。どいつもこいつも図書館に行っては肩を落として帰って行く。ウィスタは遅れた課題を超特急で片づけながら、悲喜こもごもを眺めていた。
「よかった」
元気になったみたいね、と声をかけられる。本から顔を上げれば、柔らかな白金の輝きが眼にしみた。
「俺に関わると――」
「言わせておきなさい。私は構わないわよ別に」
何でもないことのように言って、クイン――クイン・マグダラが向かいに座る。座り方から話し方までお育ちが違う。離れないと、と頭の隅で声がする。彼女とお前では――。
――お前では?
つ、と胸の奥底から眼を逸らす。席を立とうとして、けれどもどうしてもできなかった。
「課題か?」
「ええ。マクゴナガル先生の。ウィスタは?」
「薬草学と魔法薬学と魔法史と変身術」
「あら大変」
口がウィスタのものではないようだった。なぜかクインと話し続けてしまう。
――そりゃあ ミセス・ノリス襲撃事件の犯人だと疑われているなかで話しかけてもらえてるわけで。うれしくもなる。だからおしゃべりしたっていいだろう。
「クインは」
羽根ペンで生徒の群れを示す。寮も学年もてんでばらばらだ。
「なんでみんな『ホグワーツの歴史』を借りようとしてるか知ってる?」
「秘密の部屋のことを調べたいんでしょうね」
クインの藤色の双眸が、青を帯びた。
「誰も見つけられなかった秘密の部屋……」
スリザリンの怪物が住んでいるんだそうよ。
「あの子が犯人だと言う者も多いようです」
校長室の座り心地のよい椅子に腰かけ、ミネルバは指を組んだり解いたりした。ハロウィンから早一週間あまり。フィルチは支離滅裂な言動を繰り返すし、ピーブズは面白がってあの子――ウィスタにちょっかいをかけるし、寮監として頭が痛い。
「さもあらん」
ダンブルドアはさして驚いていないらしい。ただ、ライトブルーの双眸には憂いが深く刷かれている。
「学生にできることではない。既知の魔法ではないなにか……現場にいた生き残った男の子とリアイスの子……飛びつきたくもなるじゃろうて」
ミスター・ウィーズリーたちのお陰で多少はマシだがの。ダンブルドアは片眼をつぶる。
「ウィーズリーやジョーダンは仲間意識が強いですから」
ありがたいこと、と口中でつぶやく。あの子たちが現場にいた理由ははっきりしない。けれど、上級生――人気者のウィーズリーやジョーダンが介入し「悪戯に付き合わされた」体になっている。わけのわからない理由で現場にいました、よりはよほど良い。
「風当たりはあの子――ウィスタのほうが強いようですが」
「嫌だのお、儂はアシュタルテに殴られたくないんじゃ」
「駄々をこねないでください」
「ミネルバはあれの怒りを知らんから……」
偉大なる魔法使い、稀代の天才、グリンデルバルドを倒した英雄……いくつもの肩書きを持つ恩師は髭をしごく。
「静観するしかなかろう。教師が嘴を突っ込んでもどうにもならん」
「リーンの時のようなあれこれはごめんですよ」
「まだヴォルデモートは復活しておらぬ。昨年のイージスのような輩は出ぬであろう」
飛び出てきた名に、心臓が跳ねる。ヴォルデモート。例のあの人。因縁の中心にある者。
「――秘密の部屋は、スリザリンの継承者のみが開ける。であれば……?」
「本人ではなかろう。ナイアードにも確認をとった。やつの魔力とは毛色が違うようだ」
断言され、ミネルバは眉根を寄せた。ヴォルデモート。トム・リドル。ミネルバとは同学年であった。黒髪に赤みがかった眼を持つ秀才で、マグルの孤児院育ちの不遇な少年。品行方正で寮を問わず人気があった。
――もっとも
ミネルバはあまり好きにはなれなかった。あまりにもできすぎていたし――アリアドネを見る眼が厭だった。誇り高いリアイスの、グリフィンドールの直系。白金の髪に至高の群青を持つ黄金のグリフィン。純血名門ロス家の魔女を母に持ち、マグルの牧師を父に持つミネルバとは別世界のひと。
――ミスラがいるから
大丈夫だと思っていたのだ。やけにアリアドネとトムの距離が近くても、アリアドネはミスラという婚約者がいるから……。周りもアリアドネとトムはよき好敵手であり友人だと思っていたはずだ。ミネルバだってそう思っていた。いいや思いたかっただけなのかもしれない。
――アリアドネが、娘を家から追い出すまでは
正義と秩序の体現のような魔女。か弱き者の庇護者。マグルやマグル生まれの迫害に意を唱え、ヴォルデモートに対抗すべく強い権限を持つ闇祓い局を創設した魔女。それがスリザリンに組分けされたからといって娘を追い出す。ミネルバには親友がわからなくなった。アリアドネはわかっていたはずだ。組分けとはままならないもので、娘に非がないことくらい。あまりにも酷な対応であったし、あの朝届いた吼えメールには、憎しみと嫌悪、畏れが凝縮し滴っていた。
異常に過ぎる。同窓のフリットウィックとも話したものだ。アリアドネはどうしたというのだろう……。
『疲れているのかもしれないね。アリアドネは』
フリットウィックは困ったように言って、ミネルバは頷いた。夫を惨殺され、グリフィンドールの末裔として――これはアリアドネから明かされた――魔法界のために働く日々。苛立ちが娘に向いたのであろうし、我々と彼女は違うのだから……。想像もつかない葛藤があるに違いない。
魔法省時代の友人たちから「アリアドネは狂った」「闇の魔法使いは容赦なく血祭りにあげている」と聞かされても耳をふさごうとした。やがて、どこかで悟った。アリアドネは本当に娘を憎んでいて、もしかしたら殺しかねないのかもしれないこと。そうしてふっと思ったのだ。黒髪の娘。アリアドネの眼は継いだが、アリアドネにはない影をひきずる娘を見て。もしかしたら――と。
「彼がそう言うのでしたら。『識眼』は確かでしょうし」
追想から意識を戻し、こわばった唇を動かす。教え子のナイアードは錬金術師であり闇祓い資格も持つ優れた魔法使いだ。そしてリアイスに混ざった血のどこからか異能も授かっている。魔力を視る力。通称『識眼』。
『あの子に蛇が絡みついている』
ハロウィンの夜、ナイアードは大層不機嫌だった。まんまと出し抜かれ、ふざけた落書きをされ、あげくに本家直系に穢れがまとわりついていると。ナイアードは蛇が嫌いなのだ。なにせ父を大蛇に生きながら喰い殺されたので。ばらばらになった肉片と頭部しか現場に残っていなかったと聞く……。
「ミセス・ノリスの件は挑発と宣戦布告。それに――試したかったのだろう」
「でしょうね」
犯人が誰であれ、なんであれ、ハロウィンの夜は十全な状態ではなかったのだろう。五十年前はひとが一人死んでいる。同じことができないはずがない。
『私の庭でよくもやってくれた』
脳裏に猛きグリフィンの面影がよぎる。おそれもせずに夜の城を捜索し、なんとしても犯人を捕まえようとしていた。だがなにも掴めず罪はひとりの魔法使いになすりつけられ、当時の校長は事件に幕を下ろした。
『おかしいわ。ねえアリアドネ――あの子がそんなことをするわけがない……』
ローブの袖を掴む。上質でどこか冷たい感触。マグル生まれが死んで、騒動は終わった。誰もがほっとして、トムをたたえた。アリアドネならわかってくれると思っていた。なのに。
『事故だったのよ。彼に悪気があったとは思えない。私とトムでディペット先生にとりなしたもの』
トムが言うのだから、彼が犯人なのよ。不思議そうに見つめられ、ミネルバは胸の底に切られるような痛みを感じた。いつのまに貴女はトムと親しくなっていたのと訊きたかった。スリザリン生だからと警戒していたではないの。
――訊けばよかった
あの時訊いていれば。アリアドネはあのとき既に絡め取られていたのだ。証拠は何もないけれど――アリアドネにも自覚はなかったろうけれど。訊いて、綻びをつくっていればなにか変わったのかもしれない。
「ミネルバ」
「はい」
ダンブルドアはゆっくりと眼を瞑った。
「あれはヴォルデモートであってヴォルデモートでない者が裏にいる。となれば――」
「ウィスタとハリーですね。よくよく視ておきます」
「頼む」
ミネルバは一礼し、踵を返す。止まり木のフォークスをそっと撫でる。あたたかな羽毛に顔を寄せた。黒髪に群青の眼の少年。生き残った男の子の影に隠れがちだが、その実極めて危険な立場にいる子。彼によく似ていて、でも常に影がある……。
十一年前、ミネルバは叫んだのだ。そんなはずはない。彼はありえない。ありえてたまるものですか!!
「神よ……」
いつ真実をお示しくださるのですか。
アリアドネ…ウィスタの祖母、リーンの母。白金の髪に群青の眼。狂える黄金のグリフィン。苛烈な性格。実の娘を疎んじた。闇祓い局創設者。先々代《ランパント》。
ミスラ…アリアドネの夫、リーンの父。惨殺された。第七分家の出身。
リーン…アリアドネの娘、ウィスタの母。黒髪に群青の眼。闇祓い。故人。先代《ランパント》