【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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十九話

 ぐずぐずと寝込んでいる間にも、城には恐れと混乱が広がっている――と報せてくれたのはハリーだった。

「だーれも一人で歩いてないし、マグル生まれの子なんておびえてるよ。それとジニーも沈んでて」

 医務室の、少しガタがきている椅子に腰かけて、ハリーが言う。骨生え薬の効果は確かで、腕はすっかり元通りだ。逆にウィスタのほうがかれこれ三日ほど床から離れられていない。マダム・ポンフリーの薬を飲み下し、涙目になりながら言った。

「ジニーは純血だろ」

「呪文学とかで、席が隣になってたみたいで」

 誰と、とは言われずともわかった。あまり友達がいないようだったから、いてよかったと言うべきか、友達が襲われて残念だなと言うべきか……。

 杖を振り、耳塞ぎ呪文を発動させる。なんだいとハリーが身を寄せてきた。

「毒ツルヘビの皮の千切りやら、早めに手に入れておきたいんだけど、やっぱ盗むしかないと思う」

「スネイプのところから?」

「一番確実だ。なんやかんやとやつの手伝いをさせられてるからな。あるぞ」

「命知らずにもほどがある」

「スネイプが怖くて学生してられるか」

 ピシャリと返し、なんで俺はスネイプを基準にしているんだと首を傾げた。

「作戦はハーマイオニーがなんとかしてくれるだろ」

 ハリーの非難がましい眼を無視する。ひとから財布をとったり鍵を開けたり、忍び込んで食べ物をくすねたり小銭をくすねたりとまあ、あまり誉められたものではない技は持っている。スネイプ相手でも、できなくはない……かもしれないが、かなり無茶だ。

――ハーマイオニーなら察するはずだ

 ウィスタが作戦立案を任せた意味を。ハリーとロンは前科があって、下手なことをすれば退学。ウィスタは実行犯になれるが、スネイプに眼をつけられている。

「ひとまずこれを渡しとくよ」

 脇机からフィリバスターの長々花火の束を取り出した。

「火蜥蜴に食べさせようって?」

「んなことするかボケ。双子じゃあるまいし」

「わかってるさ。君が最高にクールでクレイジーだってことは」

「イカレ野郎で悪かったな」

 ウィスタのことをなんだと思っているのか。聞きたかったがやめにした。どうせろくな答えが返ってこないに決まっている。

 ◆

 作戦を丸投げし、ウィスタは医務室で微睡みながら過ごした。何度かぼんやりした影をみたように思う。鳶色の髪の少年がしきりに謝っていて、誰かが――たぶん少女がなぐさめていたりだとか、こっそりと誰かが忍び込んできて、ローブをとって、代わりにハニーデュークスの菓子を置いて行ったりだとか。途切れ途切れの、しかも脈絡もない断片。夢なんてそんなものだ。ただ、なぜか鳶色の髪の少年が気になった。

――いまにも死にそうな顔だったな

 ゆっくりとネクタイを結ぶ。手は問題なし。眼も問題なし。姿見に映るのは、少し青白い顔をしている少年だ。前髪をずらし、紅に金の紋が入っている片眼を隠す。魔法界にコンタクトはあるんだろうか。あったとしても眼になにかを入れるのは嫌だ。髪と眼くらいなら変身術でなんとかなるし、いいか。

 マダム・ポンフリーに挨拶して、医務室を出る。後ろから「体調が悪くなったらすぐに来なさい」と声が追いかけてきた。心配性だ。

 寮に戻ろうと廊下を進むと、出会うやつ出会うやつ幽霊でも見たかのように青くなり、飛び退いた。まだ俺は犯人扱いなのかね。

「息災なようね、獅子の子」

 ぼうやりとした光のなかに、灰色のレディがいる。ウィスタは叩き込まれた魔法騎士の礼をとる。

「ごきげんようレディ」

「ごきげんよう」

 レディはそっと笑む。そうしてウィスタと並んで歩き――レディはゴーストなので歩いてはいないが――はじめた。

「俺に出くわすと皆逃げて行くのですけど、レディ」

 何か知ってるかと水を向ければ、彼女はくすくすと笑った。

「あなたが門をくぐったと思っているのよ」

 相変わらず雅な表現が好きなレディだ。とてもじゃないが真似できない。ウィスタはなんとか言葉をひねり出した。

「不勉強なもので」

「よくよく仕込まれているようね」

 そりゃあもうたんと。二年生の範囲でない勉強はしているし、マナーは仕込まれるし、ウィスタにふつうの学生生活は無理だ。

「■■ということよ」

 囁かれ、ウィスタは口を開けた。

――なんだって?

「僕らはね、ちゃんと言ったんだよ」

 でも信じなかったんだ、とロンが腹を抱えて言う。土曜日のグリフィンドール談話室は閑散としている。三年から上はホグズミードに行っているのだろう。

 ソファに腰かけ、暖炉の火にあたり顔をしかめる。

「だからって勝手にひとを殺すなよ」

 コリンとともにウィスタも襲われたと噂が駆けめぐり、医務室を覗き込んでもカーテンに囲われているし、授業にも出ていないし、見かけないしでそういうことになったようだ。

「だいたい俺は――」

 純血だ。口にしようとして胸のうちがざわざわした。どこの誰が父親なのかもわからないのに、純血もなにもないじゃないか。夢のなかのクソ野郎からは相性がいいだとか言われた気もするけれど。

「――材料は全部手に入ったし、あとは煎じるだけよ」

 女子寮から降りてきたハーマイオニーが、ウィスタにノートを手渡す。休んでいる間にこれほど溜まっているとは思わなかった。

「ありがとう――スネイプは疑ってるか?」

「……僕をね」

 箒を片手にハリーがやってくる。唇が少し青い。オリバーが月月火水木金金の勢いでグリフィンドールクィディッチチームをしごいているのである。

「証拠はないさ」

 ロンはにやっとする。

「燃えかすも残らない改造版だからな」

 悪戯の実行犯もすれば裏方もする。それがウィスタである。たまたま脱狼薬について調べていたら、煎じの時間短縮術に行き着き、そこからなぜか痕跡を残さないための薬品の掛け合わせまで本を読みあさったからだが。役に立ったからよし。

 魔法薬学で、スリザリンの誰かの大鍋に花火をいれて爆発させる。騒ぎのなかでハーマイオニーが盗みを働くという、単純な作戦だった。

「傍目にはゴイルが調合に失敗したと思われてるし、実際ひどい出来だったもの。スネイプにはなんにもできないわ」

 はきはき言って、ハーマイオニーの茶色い眼がウィスタを眺め回す。

「それはそうと大丈夫なの? 寝込むなんて……」

「今のところは」

 慎重に答えた。原因不明の不調なのだ。どうしようもないし、やたらフルーティーな名前の聖マンゴで調べたところで無駄だろうと思っていた。

「なんだか、事件のたびに寝込んでない?」

「俺は繊細なのさ」

 茶化して、無理矢理笑みを浮かべる。いつから不調なのかもよくわからなくなってきた。

 呪いだとナイアードは言っていた。だとしたらあの紅い眼の男を殴り倒すしかないのだろう。

 ただ問題は。

――そいつが夢の中にいて

 ウィスタの妄想の可能性もある、ということだ。

 

 膨れ薬爆発事件はあったものの、ほかにはさして事件がないまま、数日が経った。双子とリーがフィルチで遊んでいたのは「たいしたことない」事件に分類される。

 寝込んでいる間に発覚していた新事実は、ブラッジャーに仕掛けをしていたのが屋敷しもべのドビーだということだ。捕まえて吐かせればよかったと思っても、そのときウィスタは寮の談話室にいたわけで捕まえようがなかった。

「……なあネビル」

「うん?」

 首から薬草をさげ、腕には水晶玉のブレスレットをし、なにかのお守りをわんさかつけてネビルがこちらを見た。地下の廊下、魔法薬学教室前だ。前の授業が終わっていないのだ。

 純血名家のお坊ちゃんに訊きたいことがあったのだが、ウィスタは黙って首を振った。問答無用でお守りをひっぺがす。

「ちょっと待ってなにするんだよ。僕のお守り!」

「つけるんならルーン石にしておけよ」

「あれはつくるの難しいんだよ?」

「マジか」

「どっちかというと錬金術師の分野で」

 へえーと思ったが、手は容赦なく動く。バカバカしいお守り一式をどうにか回収した。周りはくすくす笑っているが気にしない。パーバティとラベンダー……シェーマス、ディーン、お前等止めろよこうなる前に。

「そうじゃなくて、お前は純血なんだから襲われないだろう」

 継承者が狙っているのはマグル生まれだ、と強調する。マルフォイの野郎が「なんだあいつらいちゃいちゃして」と馬鹿笑いしていた。

 杖を振って沈黙呪文をかけてやる。マルフォイの顔が凍り付き、唇をもごもご動かすだけに終わった。いい加減懲りればいいのに。

「あー……また先生に減点されるよ?」

「俺が稼いだ点だからいいんだ」

 ハーマイオニーの不満げな眼なんて気にしない。スネイプのことだ、どうせ罰則だろうしまたぞろ材料や薬品の整理やら調合の手伝いだろう。悲しいかな、慣れた。

――なーんかスリザリンの動向がわかれば御の字なんだけど

「僕はスクイブだもの」

 ウィスタの杖をうらやましそうに見ながら、ネビルが呟いた。

「ちょっと鈍くさいだけだよ」

「正直すぎない?」

「変な慰めがほしいのか? それよりも、純血の名家って屋敷しもべが絶対にいるものなのか?」

 やっと本題に入れる。マルフォイとゴリラーズが迫ってきたが、盾の呪文で囲ってやった。応用できれば便利である。

「僕のところはいるけれど、よそはよく知らないなあ。古い家で、そこそこお金があればいると思うよ。リアイスだっているだろう?」

「俺よく知らねえもん」

 ばんばんと盾に拳を打ち付ける音がするが、ウィスタは無視した。悔しかったら解除してみろ。

「そうだったね」

 ネビルがしみじみと言った。ぽっちゃりした顔には労りの色が濃い。しかし、威圧的な、高く鋭い靴音と、翻るローブの音に、顔をこわばらせた。

「……これはどういうことかねリアイス」

 ウィスタは振り向きもしなかった。

「礼儀正しい距離の取り方のレッスンその一です」

 うわあ、とどこからか声が聞こえる。「ごまかさないし否定しないしウィスタにしか無理だね」とロンが囁いていた。助ける気はないらしい。

「グリフィンドール二十点減点、加えて罰則。土曜の午後一番」

「承知しました。教授」

 振り返り、にやっと笑って礼をとる。スネイプの顔に青筋が立った。

 ◆

 だからスネイプを挑発するなって、と寮生に散々説教されたが、ウィスタは反省しなかった。してもなにも変わらないではないか。

 全部の授業を終えて寮に戻ると、掲示の前に人だかりができていた。ジニーが飛び跳ねていたので「失礼するぞレディ」と声をかけて腰を掴んで持ち上げてやる。胸もとがじんわりと熱くなった気がしたけれど「決闘クラブだって」とジニーが言って気が逸れた。

「ウィスタ、人の妹になにをやってるんだなにを」

「噛みつくなよロン。お困りのようだったから手助けしたただけだよ」

 ひょい、とジニーを下ろしてやる。今度自分に浮遊呪文をかけてみなと囁いた。「ありがとう」とジニーが片眼をつぶる。ちょくちょく調子を崩しているようだが、今日は顔色がいいほうだ。

「落ち着けよ、ロン」

 ハリーがたしなめ、ハーマイオニーが話の舵取りをした。

「行ってみない? 決闘クラブ」

――発想はよかったけれど

「人選ミスだろ」

 決闘クラブは大混乱だった。なにせ講師がロックハートで、助手がスネイプだった。繰り返そう。講師がロックハートで助手がスネイプだった。世も末だ。

「フリットウィック先生は決闘が得意だって聞いたことがある」

「スネイプを吹っ飛ばすフリットウィックの図、見たくないかセド」

 二人して立ち尽くしたまま、他愛もない話をするしかなかった。もはや肉弾戦になっている組もあれば、上級生は白熱した戦いを繰り広げているし、めちゃくちゃだった。巧い具合にセドリックを捕まえた判断に間違いはなかった。スリザリンズに囲まれかけたのである。

 こうなったらアクシオ電光石火! やめろおお! というやりとりが聞こえてきて、直後に大広間の窓が割れた。絶対オリバーとパーシーだ。さすがオリバー。ぶっ飛んでる。

「……人選ミスだね」

 セドリックが遠い眼をする。ウィスタは嘆息した。彼の腕を掴んで大広間の扉を示す。

「アーニーやジャスティンも回収しようか。君は?」

「ハリーたちを捕まえる。どこいったんだか」

 こんな講義、受けるだけ無駄だ。講師が誰か知っていれば出なかったのに。ぐるっと大広間を見回しても、煙や閃光があふれていてなかなか見つけれない。

「お止めなさい! 武装解除だけだと言ったのに!」

 ロックハートの悲鳴が響き、あちこちで解除呪文が唱えられ、大広間の煙が晴れた。

「――私の計算違いでした。よろしい……どこかの組を見本にいたしましょう」

 ロックハートはすこしよれよれになったローブを直す。控えるスネイプの唇がめくれあがった。なんでこいつが教師をやっているのか謎である。看守か拷問官のほうがよほど似合うだろうに。

 彼の視線が矢のように飛んできたが、ウィスタは控えめに拒否した。顔を明後日のほうへ向ける。その先には運悪くハリーがいた。十中八九スネイプもハリーを捉えたと思った。

「どうですかな。マルフォイとポッターなどは?」

「おお、それはいい。クィディッチでもいい試合をしていましたしね!」

 ロックハートはぱちんと指を鳴らす。ハリーの腕の骨を引っこ抜いた過去などゴミ箱に放り捨てたらしい。ウィスタが顔をひきつらせるなか、ハリーがスネイプに引きずられていった。「助けてよ」と口パクされたが無理なもんは無理だ友よ。

 マルフォイは胸を張って、ハリーは心底厭な顔をして壇上に立つ。スネイプがマルフォイになにか囁いて、ロックハートは得意満面にハリーに向かってなにか手本を見せていた。

「それでは数歩離れて――そう向かい合って、礼」

 ハリーもマルフォイも杖を構える。ハリーがなにごとかロックハートに訊いていたが、ロックハートは歯を見せて笑うだけだ。

「では、始め!」

 そこからはあっという間だった。マルフォイが蛇を出す。下手に動けないハリーをよそに、ロックハートがしゃしゃり出て蛇をぶっ飛ばした。

「――げ」

「拙い」

 黒い蛇は宙を飛び、床に叩きつけられた。近くにはよりにもよってジャスティンがいて、皆悲鳴を上げる。

――これが上級生の近くならよかったのに

 ウィスタは急いで人混みをかき分ける。セドリックもついてくる気配がした。

『……おのれ』

 声が、した。低く這うような声だ。蛇が鎌首をもたげる。

『呼び出した挙げ句にこの仕打ち。貴様か小僧!』

 足を止める。手で口元を覆った。

――蛇がしゃべってる?

 そんな莫迦なことがあるか。お伽噺でもあるまいし。ついに俺はおかしくなったのか。と、そのとき鋭い声が降ってきた。

『そいつは敵じゃない。去れ!』

 は、と壇上を見る。ハリーが緑の眼を爛々と光らせていた。大広間に溢れていた悲鳴がぴたりと止まる。蛇もまた動きを止めた。

「ジャスティン、下がれ。ゆっくりだ……」

 声を絞り出す。一歩二歩と踏み出して、蛇へと近づいた。ジャスティンの顔は紙のように白い。彼と蛇の間に割って入り、鎌首をむんずと掴んだ。

『なにをする』

 蛇がうなる。妄想か気が狂っているのか。今は考えないでおこう。

「ウィスタ」

「……こいつは気が立っているだけだよセド。捨ててくる」

 咬もうとしても無駄である。鎌首を掴まれていたらなにもできやしない。いささかの同情をこめて、蛇を見やる。すると、身をくねらせていた蛇が腕にぐるぐると巻き付いた。

『青き血にお目にかかれるとは、恐悦至極に存じます』

――なんの

 こいつはなにを言っている。絡みつく蛇は、腕を振っても落とせない。慕うように舌を出している。

 きつく眼を瞑る。オリバーが粉砕した窓から校庭に降りる。しゃがみ込んで蛇に言った。

「行け」

『御意に』

 するりと蛇がほどけ、這い、どこかへ消えていく。背後――大広間は不気味なほど静かだ。恐ろしくて振り向けないウィスタは、誰かが呻くのを聞いた。

「ポッターが蛇舌……?」

 リアイスが、蛇使い。

――スリザリンの

 継承者、と。

 

 状況は最悪だ、とウィスタはうなった。廊下は寒々しく、外は大雪だ。学期最後の薬草学は休講になって、ジャスティンに説明する機会を失った。

『魔法界では――とりわけ英国では、蛇と親しくするのは闇の魔法使いだと言われている』

 昨日、大騒ぎの決闘クラブからウィスタを連れ出し、セドリックは言った。

『スリザリンは蛇舌と呼ばれていて、蛇と話せたらしい。だから寮の象徴は蛇なんだ……』

 君が話せるかは知らない。けれど、懐かれてはいたから――。

「なにがスリザリンの末裔かもだよ」

 吐く息が熱い。ハリーのやつ、俺を置き去りにしやがって。ジャスティンを探しにいくんなら一緒に行きたかったのに。どこにいるのだろう。

――厭な予感がする

 ジャスティンに会わないと。なにを言っても聞いてくれないだろうけど。なんせ朝食の席にはいなかったし、アーニーなんて「だってウィスタは父親知らずじゃないか」と言っていた。ハンナやスーザンがたしなめていたけれど。

 グリフィンドールの連中は変わらなかった。あいつらは君たちが賢者の石を守ったって知ってるのに。莫迦じゃないかという態度だった。

――厭な予感が

 早くしないと。なぜだろう。今朝ジニーが校庭の花壇のところで泣いていたからか。服には血がべっとりついていて、どこのどいつにやられたと聞いても首を振るばっかりで。困り果てて外套を被せてやって、通りかかったチョウに助けを求めて……そうだって、ジニーは女の子だ。殴られた痕を確認するわけには……それで、チョウが。

 壁に手を突く。爪が折れたが痛みはない。

「ペネロピーを、呼んで」

 それからどうだったのか。そういえば夢にやつが現れた気がする。「見つけた」と綺麗な顔で笑んでいた。

『獲物だ』

 密やかな声が聞こえる。狩りだ、狩りだ。ご主人様の命なのだ。

 幻聴かそうでないのか。

「ジャスティン……どこだ……」

 見つけたとあれは言った。ハリーに興味を持ったと言ったのか言わなかったのか。よくないもの、穢れ。在ってはならないなにか。

 いつの間にか廊下は真っ暗になっていた。授業の声も聞こえない。

『ああ、君が……僕の捜し求めていた女だったか』

 覚えのある声。闇に滲む二つの影。黒髪の青年の眼がとろりとした色を帯びる。向かい合っているのは、白金の髪の女生徒だ。

 総毛立った。あいつはだめだ。女を不幸にする類のろくでなしだ。早く引き離してやらないと。よろりよろりと、歩を進める。なんで誰もいないのだろう。夕食時なのかそうでないのか。

『安心しなよアリアドネ……マグル生まれを殺すのなんて、ただの遊びさ……君はいまから上等な獲物だ。祖先サラザールに捧げる子羊だ』

 うふ、と青年が笑う。

「逃げろ!」

 女生徒の手を掴もうとして、空をかく。甘い声が木霊した。

『忘却せよ』

 視界が晴れる。確かにあった足場が失せた。身体が傾ぐ。永遠にも思える滞空。

「……は、」

 なんでどうして俺はさっきまで廊下にいた。なんで階段――落ちて――る、のか。

 いやそれよりも階段の先に――踊り場に誰か、倒れて。

 心臓が凍り付く。ああ、あれは。

『さあ次は誰にしようか』

 穢れた風がまとわりつく。からみつく。鎖のように。胸許を、守りを握りしめ、ウィスタは階段に叩きつけられ何度も何度も転がって、衝撃とともに意識が引き裂かれた。

 ◆

「儂はの」

 リアイスを怒らせたくはないんじゃ……と言う老魔法使いに、セブルスは鼻を鳴らした。今現在獅子の尾を踏みまくってるくせになにを言うか。時刻は深夜。ジャスティン・フィンチ=フレッチリーとニコラス……なんだったか本名は。ニコラスことほとんど首なしニックが石となって数時間が経っていた。ハッフルパフは狂乱状態で、グリフィンドールに乗り込もうとする莫迦者数名をスプラウトが止め『血の惨劇! 犯行現場にいたのはポッターとリアイス!』という見出しでレイブンクロー生が記事をつくろうとし、フリットウィックとペネロピー・クリアウォーターが縛り上げたらしい。

 夕刻には監督生および首席による緊急会議が開催されたがスリザリンは欠席。話し合いがどうなったかは知らないが、芳しくはなかったろう。

「早急に解決しませんと、ナイアードが爆発しますよ」

「リアイスは厄介だの……」

 首を振り、ダンブルドアは杖を振る。校長室の吹っ飛ばされた壁は綺麗に修復された。

「目星はついているのでしょう」

 机の前に立ったまま、静かに問いかける。ダンブルドアは有能だ。それだけは理事たちも認めている。

「誰が『器』になっているかわからん」

 昨年のクィレルのようなものだろう、とセブルスは己を納得させた。ただし本人がホグワーツにいるわけではなかろう。印は静かなままだ。

「マルフォイではありません」

「ほかに最適な器がおるからの」

「守りを敷いておられるでしょう?」

 なぜかセブルスの肩で鳴いている雛を撫でてやる。セブルスもたいがい極悪人だというのに、不死鳥に嫌われないのは奇妙な心地だ。

――我が輩がなにをやったか知らぬはずがなかろうに

「ある程度は防げているが――水より濃い繋がりじゃからの……」

 ダンブルドアの皺のひとつひとつから、憂いが滲み出る。ライトブルーの眼に哀れみの色が過った。

「いつ――」

 声がうまく出せなかった。逝った友人の顔が浮かぶ。よりにもよってと思ったものだ。約束された黄金の路を絶ちきられ、棘の迷路を歩むしかなかった友人。

 滅多なことでは泣かなかった。姉のように慕っていたひとが死んだときでさえ。けれど、セブルスの前で、セブルスにすがって泣いたことがある。七年生になったばかりの頃、隠し部屋で。

『言わないのはフェアじゃないから』

 ずっと隠しててごめんなさいセブ。

 わたしは、わたしは――。

 公正明大であらんとした魔女。スリザリンに君臨した女……。

『――の』

 告白をきいたとき、セブルスの胸に去来したものは。

『幻獣に忠誠を』

 彼女がセブルスに誓わせた意味。守れと言った意味が腑に落ちたのだ。

「明かす、おつもりで」

「まだいかん。あまりにも――まだ子どもじゃ」

 酷にすぎる、とダンブルドアは吐露する。偉大な魔法使いではなく、ただの老人のように。

「ただの子どもでいさせてやりたい」

 それが叶わぬ願いだと知っていてもなお。

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