【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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二十一話

「……根拠はわけのわからない日記だけだろう」

 ひとまず三人を招き入れたウィスタは、興奮気味のハリーに冷や水をぶっかけた。円陣の真ん中には謎の日記が置いてあって、相変わらず真っ白だった。

「でも、見せてくれたんだよ」

「お前は監視カメラの映像をそのまま信じるのかって話だ」

 例えにどうもキレがない。ここは魔法学校で、日常には魔法が溢れている。日記が過去を見せることもあるかもしれない……が。なんの検討も分析もせずにそのまま信じるのは危ない気がした。

「ハグリッドに訊くのが一番早いわ」

「そりゃあハーマイオニー、とっても楽しいお客様だよね僕ら。ハイ、ハグリッド! 五十年前怪物を飼ってたの? って訊くわけ」

 僕は嫌だね、とロンが言う。ごもっともで。ウィスタだって嫌だ。

「ハグリッドが故意にやったとも思えないし、リドルが本当のことを言っているのかもわからない。ホグワーツの秀才だか天才だったとしても、記憶の一部分を本に封じ込めるなんてことができるかもわからない」

 指折り数えながら挙げていって、ちらとハリーを見た。

「――声は、壁の中から聞こえてきたろ。リドルの見せた光景と食い違ってないか?」

「うーん」

 ハリーも首を傾げた。蛇語がわかるのはウィスタとハリーだけだし、二人とも壁の中を声が移動していると感じていた。だとすれば、怪物の隠れ家は人目につかない地下とか、壁の中――ホグワーツの壁の中はどうなっているんだろうか――だろうし、ハグリッドがどこかの物置に隠していたのもなんだか変だ。隠さなくても隠れられるのではないか。

「ひとまず保留にしない? なんにも証拠がないよ」

 ロンが言って、皆頷いた。ハーマイオニーだけは首を傾げて壁を見ていた。

 ◆

 日記は引き続きハリーが管理することになり、慌ただしく日々は過ぎていった。

 襲撃はぴたりと止み、緊張が段々とゆるんでいくのを感じ取った。とはいえ、ナイアードやマクゴナガル、フリットウィック、スプラウト……つまりスネイプ以外の寮監と、リアイスの男だけは警戒し続けていた。スネイプはなにを考えているかわからないから除く。ロックハートは「襲撃者は去ったのです」とほざいていてはり倒したくなった。

「……去ったわけがねえだろうがクソが」

 ぶつくさ言いながら大広間に下りる。この前まで二月だったはずなのに、いつの間にか復活祭が過ぎていた。今日はグリフィンドール対ハッフルパフ戦だ。

 どうにか朝食の席に滑り込む。

「医務室に行くかい?」

 ハリーに心配そうに覗きこまれ首を振った。

「これから試合だろ。ちょっと、変なだけだ」

 昨日からおかしいのだ。男子寮の、二年生の室が荒らされて、日記が無くなっていたし、このところご無沙汰だった夢も見た。青年はにんまり笑っていた。

――何かが起こる

 青年が喜ぶとき、襲撃が起こった。厭なやつだ。遊びを楽しんでいる。マンドレイクは成熟しつつあるし、本気でホグワーツをめちゃくちゃにしたいのなら、スプラウトを襲うか、共犯者に言って温室を荒らせばいい。それをせずに期間をあけて油断を誘う。大変に面倒なやつだ……。

 ため息を吐いて、手首のブレスレットを外す。チョウとクインから昨年にもらったものだ。一度だけ身を守ってくれると言っていた。

「ハーマイオニー」

「そうね、やっぱり医務室に行きましょう。真っ青よ」

「違う、これ」

 どうしてどいつもこいつも俺を病弱扱いするのか。悔しさを噛みしめながらブレスレットを差し出せば、ハーマイオニーが固まった。なぜかロンも口をOの字にあけていた。

「どうしましょう。絶対熱があるわ。あなた、クインからもらったものでしょう。ダメよ」

「なんにもなかったらいいんだ。学期が終わるまで……マグル生まれだから、危ない」

 だって、壁から声が聞こえると呟いて、ぷつんと意識が途切れた。

『さあさ、楽しい時間だ』

『人の不幸は蜜の味』

『君が怒れる時』

 どんな顔をするのだろう。至高の青はどんな色に変わるのだろう?

 柔らかな声に眼を開ける。すると澄んだ灰色とかち合った。

「……セド?」

 大広間の長テーブル。ハッフルパフのユニフォームを着たセドリックが、眉をひそめていた。

「医務室まで送るよ」

「いや、ちょっと、待ってくれ」

 あんたはこれから試合だ、と言う隙も与えられず、ウィスタは肩を差し入れられ、無理矢理立たされた。

「ちょっとくらい大丈夫さ」

 ハリー、ロン、フーチ教官に事情を説明しておいてくれる? とセドリックは手早く言う。ウィスタは重い頭を動かして、大広間から次々に出て行く生徒たちと教師たちを捉え、いつの間にかハーマイオニーが消えていることに気づいた。

「俺、どれくらい?」

「五分もなかったよ。ハーマイオニーは心配してたけど、図書館に行っちゃった」

 ブレスレットはちゃんとつけたよ、とロンが続ける。ちょっとふてくされている。俺がハーマイオニーに抱いているのは友情であってその他のややこしそうなあれこれじゃないんだロン、と言う気にもなれなかった。

 セドリックに引きずられるようにして大広間を出る。途中で「おいセド、継承者に構うなよ」とか「お人好しすぎるだろう」と言われても、セドリックはどこ吹く風だった。

「セド、ハーマイオニーが一人で行っちゃった。駄目なんだ……今日は特に。マグル生まれだから」

「君を医務室に送り届けたら、誰か先生に言おう」

 心配しなくていいよと力強く言われる。病人の譫言だと思われているらしい。

「ウィスタ、どうしたんだい」

「パーシー」

 いつもきっちりしているパーシーは、ぼさぼさ頭だった。まじまじと見ていると「課題に手こずって……あわてて起きてきた……んだ」と耳を真っ赤にして言われた。

「パーシー、パーシー、助けてくれ。ハーマイオニーが一人で図書館に……マグル生まれなのに……厭な予感がするんだ」

 普段あれこれ理屈を並べ立てるパーシーであったが、青い眼に使命感が燃え上がった。

「ディゴリー、ウィスタを頼むよ。あとでハッフルパフに加点しておくからね!」

 と言うか言わないかのうちに、階段を駆け上がっていった。

 ウィスタは医務室に放り込まれ、マダム・ポンフリーにココアを押しつけられながらも「マグル生まれなのに、ひとりで、あの莫迦あああ」と喚いた。

「あの子なら心配ありませんよ。パーシーが見つけて連れ戻している――」

 はず、とマダム・ポンフリーが締めくくろうとしたとき、扉が開かれた。血の気のない顔をしたフリットウィックが立っていて、ひび割れた声で告げた。

「今度は三人です。クリアウォーター、ナイアード……」

――グレンジャー

 

 赦さない。赦さない赦さない赦さない赦さない。

 お前だけは。私の誇りを踏みにじったお前だけは。

 紺色の天に、冷たい色の月。雲がゆっくりと空を喰らっていく。

 黒々とした梢。吐く息は白く凍る。

――赦さない

 背の高い影が、彼女を見下ろしている。双眸は禍つ星の色。

 ユスティヌ。近くて遠い血の幻獣も、この男も、リーンも。

 ああリーン。不出来な子。呪われた子。生まれてきてはいけなかった子。私の影。

――私は

 まだ生きなければ。為すべきことがあるのに。

 歌うように呪文が唱えられる。緑の輝きが溢れる。死神の腕が、彼女を包み込もうとする。

 たとえ。たとえ、いま倒れようとも。

 ああ、せめて報いを。決して赦さぬ。その喉首に喰らいついてくれる。

 黄金のグリフィンは。

 死には死を、血には血を求めるのだ。

 

 頬に生温かいものが伝って眼を覚ました。視界が真っ赤で、手でこするとべったりとしたものがついた。

――涙が

 血の涙が止まらない。憎い、と身体の奥底――もっとも深いところからどす黒いものが溢れそうになる。憎い、赦さない。あれだけは。あれは滅ぼすべき者――。

「……起きましたか」

 かき乱された心を、凛とした声が鎮めていく。紅の世界の中に、マクゴナガルが現れた。

「さあ、ゆっくり息を吸って吐いて……」

 背を叩かれ、ハンカチで眼を拭われる。それでも涙が止まらない。

「先生……」

 小さい子のように背を叩かれているうちに、涙がおさまった。ハンカチは血で染まっている。

 マクゴナガルが、ウィスタの手から何かを抜き取った。それは灰色がかった少し捻れた杖だった。柄にあるのは『交差する杖と剣』の紋。マクゴナガルは震える指先で杖を撫でると、そっと脇机に置いた。

「先生、俺、なにが……」

 なんで泣いたのかもわからない。それに血の涙なんておかしい。ウィスタは医務室にいたけれど、起きていたはずだ。なんで寝ていたのか。ナイアードの杖を握りしめてたのもおかしい。

――ナイアード

「ハーマイオニーたちが、」

 衝撃が舞い戻ってきた。ハーマイオニーたちが襲われて、ブレスレットは粉々になっていて。図書館近くの廊下が現場で……ナイアードは二人を庇うように……分厚い氷の壁が廊下を塞いでいて、手鏡が落ちていて……フリットウィックがそう言っていた……。

――ひとりで行かせるんじゃなかった

 お守りは役に立たなかった。胸元を握りしめる。

「……い」

 ぎゅっと肩を掴まれた。強い意志がウィスタを貫く。

「気をしっかり持ちなさい。あなたはウィスタであって、アリアドネではないのです」

 静かな静かな声だった。ウィスタを唇を噛みしめ、眼をぎゅっと瞑った。アリアドネ。祖母だという人。マクゴナガルがなぜその名前を出したかわからない。

 マクゴナガルにハーブティーを差し出され、飲み終われば寝かしつけられた。まるで手のかかる子どものような扱いだ。

「いま、どんな状況なんですか」

 いつ気を失ったかもわからない。二年生になってからしょっちゅうな気もする。椅子に腰掛け、マクゴナガルもハーブティーをゆっくりと口にした。茶器を持つ手が細かく震えていた。

「あの日から二週間ほど経っています」

「うわあ、俺、妖精の国にでも行っていたんですかね」

 軽口を叩いても、マクゴナガルはにこりともしない。代わりに軽く頭をはたかれた。

「どれだけ心配をかけたと思っているんですか。もう五月ですよあなた」

「はい」

 恐ろしいくらいに課題がたまっているだろうことはわかった。マクゴナガルは小さく咳をして、膝の上で両手を握りしめた。

「学校は厳戒体制を敷いています。医務室は原則出入り禁止です。生徒の面会もいけません……教師は例外ですが。当然ですとも……なぜならば――」

 ダンブルドアが追放されたのです。

 ◆

 ウィスタが寝ているだけのなにかに成り果てている間に、事態は動いていた。ハグリッドがアズカバンに連れて行かれ、ダンブルドアはホグワーツを追放された。そして。

「……でね、アラゴグが言ったんだ。五十年前に女の子が一人死んだ。その子はトイレで発見されたって」

「こーーーんなでっかい蜘蛛で」

 と、ハリーとロンが身振り手振りを交えて禁断の森での大冒険を語った。医務室で目が覚めて三日後、ウィスタの室でのことだ。

 ウィスタは寝台に座り、ハリーとロンは敷物の上に腰を下ろしていた。

――五十年前、トイレ、死人……

「まさか、マートル?」

 そのとおり、と二人は頷く。たいしたものである。ハグリッドが蜘蛛を追うように言ったらしいが、本当に城を抜け出して、手がかりまで掴むなんて大人でもできるかどうか。

 ウィスタは考えこみながら、捻れた杖を撫でた。触れていれば熱い何かが流れ込んでくる――ような気がする。いいや、ウィスタから何かが流れていっているのだろうか。

『ダンブルドアがあなたに渡すように、と』

 マクゴナガルはそう言っていた。杖が二本あるのは悪くない。闇祓いは二本の杖を持つらしいし。

「証言をとらないといけないな」

 まるでハーマイオニーのようだ。そう、ポリジュース薬をつくろうとしていたときも、女刑事のように言ったものだ。自白させないといけないとかなんとか。ひとりで図書館に行ったハーマイオニー。しょっちゅうホグワーツの歴史を読んでいたハーマイオニー。なにか考えるように、壁を見ていた……。

「女子トイレまで行けたらね」

「ちょっと厳しい。かなり厳しい」

 教室から教室への移動は教師が引率するし、常に人の目があると思った方がいい。

「陽動作戦でどうにか……ちょっと計画を練ってみる」

 窓から覗くのは燃えるような夕暮れだ。

「大広間に行くかい?」

 ハリーの問いに、首を振った。

「後で行く」

 ハーマイオニーが襲われたことで、ウィスタたちの継承者疑惑は晴れた。しかもナイアードまで襲われたのだ。ウィスタが継承者だとほざくやつがいればお目にかかりたい。

 親戚が襲われた、と無駄な注目を浴びるので、大広間には行きたくないのだ。

「ジニーも最近泣いてばかりでさ、女の子たちが困ってるみたいだ」

 ロンがぼやく。ジニーはハーマイオニーが襲われたことに心を痛めているらしい。

「どうにかしてやれよ、兄貴」

「妹ってもんは難しいのさ」

 ハリーとロンが出て行って、ウィスタは自室にひとりになった。

――あとでジニーを厨房に連れて行ってやるか

 単独行動はいけないが、二人ならまあいいだろう。ウィスタもジニーも純血だし。

「……ナイアードが襲われたんだったな」

 たまたま遭遇したのだろう。ハーマイオニーとペネロピーをみかけて、心配になって送っていこうとしたか。

「なんで図書館に行ったんだ。なにを調べたかった?」

 壁から声が聞こえると言って、ウィスタが気を失ったあとに図書館に向かったのだ。なにか関連があるだろう。

――壁の中

 三人を襲った怪物。たぶん人じゃない。どうやって移動したのだろう。

「壁の中には、なにが――」

 なにがあるっけ。マグルの住宅なら色々な配管が通っているはずだ。水道管とか……。

「ホグワーツにも水道はあるよな……」

 最初はそこらで用を足して消失呪文で痕跡を消していたらしい。そりゃあ消失呪文の有効性はウィスタも知っている。ナイアードに軟禁されている間に、自分で吐いて自分で消していたから。あんな形で習得したくなかった。

 で、大規模改修工事がどこかの時代であったのだ。ホグワーツの歴史に書いてあった。かくしてマグル式のトイレがホグワーツに設置された。だから水道管は城の中――見えないところに張り巡らされている。一般家庭用と違って太さも相当なものだろう。

――あれ?

 ウィスタは立ち上がる。つまりだ、壁の中に経路があるということにならないか。声は壁の中から聞こえていた。移動していた。太い管の中を。

 苛々と足踏みした。出てきそうで出てこない。

「声は俺とハリーにしか、聞こえない」

 それは蛇語だからだ。くっと眼を見開く。

――わかった

 ハーマイオニーも同じ結論に達したに違いない。図書館に行ったのは確かめたかったからだ。それの名前と性質を。

 バジリスク、と小さく呟いたとき、扉が叩かれた。うろうろと歩き回っていたウィスタは立ち止まり、扉を細く開けた。ジニーだった。

「大広間には行かないの?」

「厨房に行こうかと。一緒に行こうか」

 隙間を広げる。ジニーがそっと入ってきた。片手には杖。寮内でも杖を手放さないなんて感心である。

「ううん、ほかに行ってほしいところがあるの」

「ホグズミードはまだ早いぞ」

 にっこりとジニーが笑う。その笑顔が誰かと重なる。杖を――祖母の杖を堅く握りしめた。ウィスタの杖はホルスターに挿してある。

――相手はジニーだ

 だから、警戒する必要もないはず。理性ではそう思っても、力を抜けない。

「相談に……わたし、虐められて……」

 ジニーが顔を伏せる。思わず身をかがめた。空いた片手を、ジニーの細い肩へ置く。

「どこのど――」

 唇が動かない。

――莫迦な

 呪文は聞こえなかった。いや、これは無言呪文。しかも沈黙呪文だ。

 沈黙呪文と失神呪文は覚えておけば便利だと、いつか言った。こんな形で返ってくるなんて。

「お人好しな騎士だ。さすがはグリフィンドール。か弱き者の庇護者。輝ける者……」

 だから引っかかるんだ、とジニーが笑う。双眸は深紅。禍つ星。戦を呼ぶ者の色彩。

 声も出せずに、ジニーを凝視する。彼女の背後に影を見た。黒髪の青年。双眸は深紅。あの青年だ。

「動いてみろ。お嬢ちゃんが死ぬぞ」

 ジニーの手が、細い喉許へ向かう。とたんに紅の線がつう、とはしった。

――拙い

 こいつは本当にやる。ジニーが死のうがどうだっていいのだ。だって力を手に入れたから。用済みだから。

 あの日記だ。記憶を封じたもの。記憶とはつまり人格。分けられたそのひと。黒髪の青年。成績優秀で、特別功労賞を手にした。

 全部が繋がった。ジニーは体調を崩しがちだった。ウィスタもそうだった。きっとジニーに接触したからだ。守りがあっても、彼女と接触すれば破られた……。

 日記とジニーがつながって、ジニーとウィスタが接触した。だから青年は干渉してきた。魔力をすするために。ジニーは一度日記を手放したのだ。女子トイレなら安全だと思ったのだろう。けれどハリーたちが拾ってしまった。日記は宿主と引き離された。力を発揮できずに、ウィスタから奪おうとしたけれど思うようにいかず。

――そうして

 ジニーは日記を回収したのだ。次の日に、日記はジニーを操って、眼を付けていた獲物を狩った。

 T・M・リドル。五十年前の事件を解決した英雄。いいや、黒幕。

「ふざ、ける、な、よ」

 無理矢理に呪文の枷を外す。喉から溢れた血が、敷物に滴った。

「さすがはリアイス。だが、君の敗けさ」

 杖を押し当てられる。

「僕の真の名を教えよう」

 ヴォルデモート卿。

 声を出す間もなく、暗闇に引きずり込まれた。

 

 たとえ私が倒れようとも。

 次なる黄金のグリフィンが現れる。

 何度でも何度でも何度でも。

 

 さあ、あの男に滅びを与えましょう

 

 

 眼を開ければ、固い地面の上だった。いや、石畳。石床……だろうか。身を起こす。魔法灯がぼうやりとその場所を照らす。どこかの聖堂だろうか。長椅子はない、十字架もない。けれどもここは聖堂だと思った。分けられた場所。非日常。なぜか背筋が伸びるところ。

 広さはよくわからない。白い彫像がいくつもある。剣を持った男、杖を持つ魔女……性別も年齢も様々だ。立ち上がり、一番真新しい彫像へ歩み寄る。男だ。いくつなのだろう。理知的で穏やかな眼、ナイアードよりは年上。騎士ではなく賢者に見える……。

「それは我が夫、ミスラ」

 振り向く。忽然と現れたのは魔女である。白金の髪、燃えるような群青の眼。纏っているのは黒いローブ。金色の徽章が眼をひいた。

――闇祓いだ

 なんで闇祓いがここにいる。そもそも、ここはどこだ。

 ウィスタは身構える。先まで持っていた灰色の杖はなく、ホルスターから深紅の杖を抜いた。

「――あんたは誰。ミスラがあんたの旦那さんって……」

 ミスラは確かウィスタの祖父だ。同名の別人の可能性はあるが、あまり聞かない名前だった。

「私はミスラの妻、アリアドネ」

 彼女はきつい眼でウィスタを睨み、告げた。

「お前の祖母よ。当代ランパント」

「どうなってんだよ。さくっと説明してくれよ」

 祖母様とは言わなかった。こんな慈愛の欠片もない祖母がいてたまるか。じいちゃんばあちゃんは孫に甘いもんだろう。

「……外の育ちだとこうなるのね。嘆かわしいこと」

 冷ややかに言って「ここは私の夢の中。あの男は干渉できない。私はあの忌々しい日記のようなもの。死ぬ瞬間に一部を杖に封じたの」と約十五秒で説明を済ませた。明瞭簡潔。無駄は一切ない。不親切すぎるともいう。

「だいたいわかった」

 分からないなんて言っていられなかった。祖母の一部とやらは猛々しく、激しい憎悪に眸を――ウィスタと同じ群青色を――たぎらせていた。

 まさしくグリフィンである。危険極まりない黄金のグリフィン。か弱き者には慈悲を。敵には死を。

「話が早くて助かるわ」

 アリアドネは、ウィスタの顔を眺めまわす。

「結局あれは、子を生んだのね」

 意外だわ、と呟く。白い手が乱暴にウィスタの頭をかき回した。

「なにすんだ」

「あれにはしなかったからね」

 鼻を鳴らし、アリアドネは何かを放り出す。澄んだ音を立てて突き立ったのは、白銀の剣だった。柄には大きなサファイアがはめこんである。

「これはあなたのものよ、《ランパント》。手に取りなさい――行くわよ」

 にぃ、とアリアドネが笑う。狩人の笑みだった。

「どこへ」

「蛇の巣よ」

 次の瞬間、世界が黄金の光輝に覆われた。

 ふっと、気が付けば誰かの悲鳴が響いた。

「まさか、アリアドネ……なぜ……その姿は……」

 先と同じく身を起こす。手には剣を握りしめ。今度は陰鬱な空間だ。壁には蛇の装飾。どこからか水が滴っている。遠くにジニーが倒れている。

 駆け寄ろうとしたけれど、鉄錆の臭いに振り向いた。巨大な蛇がいる。黄色い眼はくり抜かれ、近くにはハリーがいた。組分け帽子をかぶって、うずくまっている。彼の腕に紅と黄金の鳥が頭をすりつけていた。放り出された剣――柄頭には紅玉がはまっている――剣身は血に染まっている。

「ヴォルデモート。お前を滅ぼすために地獄から戻ってきたに決まっているでしょう」

 赦さない、と呟くのはアリアドネ。黄金の炎にからめ取られ身動きを封じられているのはリドル――未来のヴォルデモートだ。

「莫迦な。顕現できるはずが……」

「孫がいたからね」

 リドルの眼が、ウィスタを捉える。そのとき、何かを引きずるような音がした。はっと見てみれば、大蛇が――信じられないほど大きなバジリスクが――ウィスタに近づいてきた。精一杯長躯を伸ばし、舌を伸ばす。虚ろな眼窩がウィスタを捉えた――と思った。スリザリンの怪物は、見るも哀れな姿だった。

『尊き青き血……』

『おい、バジリスク』

 僕を見ろ、とリドルが呻く。しかしバジリスクはウィスタだけを見ていた。

 ウィスタは手のひらを差し出した。そうしてやらなければいけないと思った。だってこいつは操られていただけなのだから。報いは十分に受けている。

『いいんだ』

 バジリスクが、そっと、弱々しく手のひらに頭をすりつける。大きな鱗が剥がれ名残を惜しむように張り付いた。

『眠るといい』

 囁けば、ふう、とバジリスクは吐息を漏らす。ゆるゆると頭を垂れ、地に伏せて、やがて動かなくなった。

「お前は何者だ。アリアドネの……」

 拘束されたリドルが言いかけて、不意に笑い始めた。アリアドネを見て、ウィスタを見る。黄金の炎がますます燃えさかり、苦痛に顔をゆがませながらも笑い続けた。幾重にも幾重にも木霊して、何人ものリドルがいるようだった。

「そういうことか。ただのリアイスではない。相性がいいとは思っていたが……ふ、ふふ……ああ、アリアドネ! 未来の僕が顛末を見られないは残念だが……そうか」

 僕は目的を達成したわけか。

「……黙れ」

 アリアドネが震える声を放ち、炎はますます激しくなった。リドルは今や黄金の蛹となり、寸毫も動けない。

「――ウィスタ」

 白い指が、放り出されていた日記を示す。

「やりなさい」

 ウィスタは剣なんて振ったこともなかった。けれどできないとも思わなかった。柄はあつらえたように手になじみ、重さを感じない。一歩、二歩、三歩。四歩目で踏み込んで、剣は完璧な弧を描く。開かれた日記を両断した。傷口からどす黒い何かが流れ出す。黄金の繭が眩く光り、リドルの絶叫がほとばしった。剣の力が、日記を凍らせていく。邪悪な思念もなにもかもを呑み込んで。そうして日記は凍り付き、ほろほろと砕け散っていった。

 剣を握ったまま、ハリーの許へ駆け寄る。服は泥と血にまみれ、腕の部分には穴があいていた。まさかバジリスクに――と慄然としたが、アリアドネが言い切った。

「生きているし怪我もない。フォークスに感謝なさい」

 ポッター家も父親にそっくりじゃない、と付け加えるのも忘れなかった。

 彼女の輪郭が、金の光に縁取られる。今まで確かにあった存在が薄れていった。影が淡くなり、彼女の向こうに壁が見える。

「行くんですか」

「所詮魂の一部だもの。やつに一矢報いただけよしとするわ」

 端から金の粒子となって解けながら、アリアドネはウィスタに歩み寄る。そっと頬に触れられた。

「一つ、覚えておきなさい。お前の魂は黄金のグリフィン。そしてお前は……望まれて生まれてきたのだと」

 なにがあってもそれは変わらない。

 ◆

 事件が解決し、城はお祭り騒ぎだった。あちこちで花火が上がり、夜空に花を咲かせた。

「参加しなくていいのか?」

「君はどうなんだ」

 ホグワーツの姿現し防止領域から抜けた場所。城と花火の光に浮かび上がるのは、ナイアードだった。

「俺は疲れたから寝たいんだよ。ローブもボロボロだし。最悪だぜ。代えがぜーーんぶなくなった」

「助かったよ」

「俺はなんもしてねえよ」

 ハリーたちは秘密の部屋を突き止めて、乗り込んで。落盤とかロックハートがどうとかはあったけれど、ウィスタがいなくてもどうにかしたのである。ハリーなんて不死鳥のフォークスが組分け帽子をもってやってきて、なんと剣が出てくるなんていう運の引き寄せっぷりである。しかもその不死鳥とやら、ぴいぴい鳴いていたあの雛だってんだから大笑いだ。不死鳥を懐に入れてかわいいとか癒しだとか思ってたのは誰にも言うまい。絶対言うまい。

「最後にとどめを刺したのは君だろ?」

「……おいしいとこかっさらっちまったよなあ」

 ハリーの功績八割だろう。バジリスクはほとんどハリーが倒していたから。

「んなことより、来年の闇の魔術に対する防衛術の教授として残ってくれよ。ダンブルドアだって理事だってオーケーするよ。ルシウス・マルフォイがいなくなったんだし」

「だってなあ、遊学は終わりだってぎゃあぎゃあ言われてるんだもん」

 帰らないと、と言うナイアードの傍らにはトランクがひとつ。旅行用のローブをまとって準備万端だ。

「誰だって残りたいよ。ここは俺たちの城だから」

 果たさなきゃいけない務めがあるのさ、と片眼を瞑る。

「なに、心配するな。すぐに会えるとも」

 空色の双眸が捉えるのは、ウィスタの左手中指――正確にははめられた銀の指輪だ。

「君は認められた。文句を言うやつらもいないだろう」

「なんのこ――」

 すらりとした足が、軽やかに踊る。ローブが黒い渦を巻いて、次の瞬間にはどこにもいなかった。

「ふざっけんなあの野郎!」

 俺の父親は誰なのかとか疑問が腐るほどあるんだよなんだ畜生おおおお! という叫びが、天に吸い込まれていった。




風呂の栓が抜けてたのでヤケクソで更新。秘密の部屋編終了です。
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