【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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アズカバンの囚人
二十二話


 高い壁があるわけでもなし。酷寒なわけでもなし。黒々とした海の、只中に浮かぶ島。かつてはとある闇の魔法使いの根城であり、数えきれぬ者の怨嗟が染み込んだ忌まわしき場所である。

 船着き場は一つきり。島の上空には絶えず暗雲が渦を巻き、晴れ間はない。

 地図に記されぬ島。アズカバン。時の魔法大臣が『九つの搭』に代わる施設として計画を推進し、監獄となさしめた。なにせ鎖も牢もたんとあり、なにより鉄壁の守りがあるのだからと言って。人道にもとると反対する向きもあったが、黙殺された。

――脱獄者は皆無

 三百年近い歴史のなかで、誰ひとりとして脱出は叶わなかったのだ――と。

「……いま、なんと?」

 英国魔法省・闇祓い局。もたらされた報せにルーファス・スクリムジョールは問い返した。常ならばありえないことである。一度聞けばたちどころに意を解し、判断は的確で、即断即決。その彼をして聞き返させるだけの威力があった。

「シリウス・ブラックが脱獄したと」

 金の髪の魔法使いが繰り返す。神秘的な紫の双眸は鋭く研ぎ澄まされ、感情の一切を読みとらせなかった。

――リアイスの情報網か

 権門リアイス。あらゆる分野に進出し、歴史に名を残す。優れた魔法使いと魔女を輩出し、その功績は数知れず。リアイスが滅びる時は英国魔法界が滅びる時だとすら言われる。弱きを助け、強きを挫く、魔法騎士の一族。アズカバンにも抜かりなく人員を送り込んでいる。その筋からの情報であろう。

――事実は小説より奇なり

 よく言ったものだ。ありえないことが起こった。しかし、絶対というものはない。受け入れるしかないのだ。

 スクリムジョールは杖を一振りした。銀色の影が飛び出し、ひとつはまっしぐらに省の最高責任者――魔法大臣の許へと向かう。もうひとつは魔法法執行部へと向かった。魔法大臣が狼狽えるようならば、執行部の長アメリア・ボーンズとともに尻を蹴飛ばさねばなるまい。

 三度杖を振った。するとさきほどよりも多くの影が飛び出していって、数秒……いや一分後には執務室に黒衣が翻った。

 闇祓い。その中でも最精鋭の者達である。

「まだ公にはなっていないが、シリウス・ブラックが脱獄した。ブラックの探索とアズカバンへの調査を。指揮はキングズリーに任せる」

「生死問わずですか?」

 深く落ち着いた声が問いを発す。スクリムジョールはキングズリーの凪いだ眸を見返した。ヒステリーを起こした魔法大臣はどう出るか……。

――関係あるまい

 闇祓い局は狩人の牙城だ。風見鶏の機嫌を窺う必要もあるまい。

「可能な限り生かして捕らえろ」

「承知致しました」

 さっと一礼し、キングズリーたちが去っていく。ただひとり、金髪の魔法使いだけが残っていた。

「お前も加わりたかったか?」

 ルキフェル、と呼びかければ、彼はゆるりと首を振る。

「僕には別の仕事がありますので」

「察しがよくてなによりだ」

 スクリムジョールは立ち上がり、魔法騎士に告げた。

「私をゴドリックの谷へ。獅子公へ急ぎ面会を」

「既に手紙を送っています。否とは言わないでしょう」

 事は我々にも関わる。そう言ってルキフェル――リアイスの男はスクリムジョールのために扉を開けた。

 ◆

――やってらんねえ

 燦々と陽が照るなか、ウィスタは長椅子に腰かけていた。身につけているのは屋敷しもべに探させた、綿のシャツと黒いズボン。汚れても構やしない服である。頭に麦わら帽子、首にはタオル。丸きりどこぞの農家の格好だ。左手の指輪と、腰のベルトに挿した杖だけがそぐわない。

 リンゴジュースでもお飲み、と小母さんに差し出され一気にあおった。飲まなきゃやってらんねえ。

「俺、小母さんとこの子になりたいよ。つーか住み込みで働きたいね」

「またまた。リアイスの子がなにを言うかね」

 丸顔の小母さんはにこにこ顔だ。酪農家の――まあリンゴもつくっているけれど――一家はみんなにこにこしていて楽しそうだ。今度羊の毛刈りをするから手伝っとくれと言われ、屋敷しもべたちに助けてもらいながら脱出してきた甲斐があったというものだ。

「だって勉強ばっかなんだ」

 ウィスタはもう一杯リンゴジュースを飲んだ。とびきり美味い。ほんとに、外に出てこうして発散しなけりゃやってらんねえ。

 駆け寄ってくるボーダーコリーの毛並みを乱暴にかき混ぜる。放牧場には毛を刈られた羊がうろうろしていて、まさしく牧歌的な光景が広がっている。夏休みの一幕にふさわしいではないか。

 夏休みはあれをしてこれをしてという計画が覆されたのは、キングズ・クロスに着いたときだ。寝込んでる間にたまった課題をハーマイオニーやジャスティンと一緒に必死こいて片づけて、ぐったりしながら特急に乗り込んだ。なんやかやと教師陣は融通をきかせてくれて、課題はまだ少なかったのだけれど、ゼロにはならなかったのだ。ジャスティンなんて「気がついたら医務室で。半年くらい経っていてなんの冗談ですか」と頭を抱えていた。わからんでもない。

 と、まあともかくだ。精魂尽き果てながらも解放感に浸っていたのだ。ハリーを励ましながらホームに降り立つまでは。

 待っていたのは養父ではなく笑顔全開のナイアードだった。おいあんたすぐに会えると言ってはいたけどこんなすぐなんて聞いてねえよと胸ぐらを掴みたくなった。

『さあ行こうか』

 腕をひっつかまれ、問い返す間もなく付き添い姿くらまし。気づけばゴドリックの谷――の姿くらまし防止領域外。つながれていた馬に乗せられてとある城に直行した。パッサント城。リアイス一族筆頭分家の城である。眼を回しているうちに放り込まれ、待ちかまえていた下働き、いいや侍女? に浴室に連れていかれた。服を脱がされそうになったから全員叩き出した。

 彼女たちは扉越しに訊いてきた。

「ランパント様、入浴の介助をせよと仰せつかっております。同性のほうがよろしいでしょうか」

 答えはノーだ。いささか困ったように再度問われた。

「これから面会予定が入っております。ですからお召し物を整えていただかなければ。誰でしたらおそばによってもよろしいでしょうか」と。

 困らせたいわけではなかった。たぶん自分でざっと洗うだけでは駄目なのだろうとも感じ取った。渋々答えた。

「屋敷しもべを誰か呼んで」

 そうして付け加えた。

「母親に仕えていたひとがいれば、そのひとがいい」とも。

 かくして母親付きだった屋敷しもべがすっ飛んできて「触れませんから監督だけします」と譲歩され、やれ頭の洗い方がどうのとか肩までしっかりつかりなさいだとか小言を言われながら身綺麗にした。

 服はこれ、髪は整えますと指図され、息つく暇もなく城の奥へと連れて行かれた。

 獅子の紋が彫られた扉まで先導され、ちりんと音色が響くとともに扉が開き、心の準備なんてないまま、曾祖父とご対面だった。

――挨拶したら帰れるのかなと思ったらだ

 そうは問屋が卸さなかった。曰く。

『長い間本家当主の位を空けておくわけにはいかん。功績は十分。資質も問題なし。冬の息吹に認められ、お前を阻むものはない』

 とのことで、吉日に本家当主となった。どうせお前はやつに狙われている身。もらえるものはもらっておけ、使えるものはなんでも使えと曾祖父がぶっちゃけたせいもある。お前が就任するのが一番ごたごたしないだとか、本気で拒むのであればそれは構わないだとか言われたせいもある。それこそ強制的な物言いをされていれば蹴っていただろう。

 ともかくだ。本家当主《ランパント》に就任し、遊びほうけて暮らせるはずもなかった。礼法その他教養を叩き込まれ、気づけば二週間ほどすぎていた。

――ホグワーツに帰りたい

 木剣で打ち合うだとかダンスの練習だとかの実践教育は少なくともないし、曾祖父と一緒に飯を食うこともないし、時たまやってくる分家の連中にひそひそも言われないのだ。曾祖父は「なんなら黙らせてもいいぞ」とさらっと言ったが。嘗められるなよというわけだ。

 いまのところは、こっそり抜け出して毛刈りの手伝いをしたり、村をぶらぶらするくらいが息抜きだった。

「もう行くよ。小母さん」

「ありがとうね」

「いいんだよ」

 手を振って放牧場を立ち去った。そろそろ戻らないと拙い。

 村の小道を駆けていると、黒い影が舞い降りてきた。鴉である。ゴールデンオレンジの眼をした彼――あるいは彼女は、麦わら帽子の上に遠慮なく着地した。とびきり賢い鴉で、曾祖父のお使いなのだろう。ウィスタの行動はきっと筒抜けなのだ。

「あと少ししたら戻るから」

 ほんとに、と言い訳して、花屋に寄る。白い薔薇を一輪もとめて、聖堂に直行した。ジェローム聖堂だ。ステンドグラスから降り注ぐ光を浴びながら、奥の扉を抜ける、ずらりと並ぶ墓碑をひとつひとつたしかめた。アボット、マッキノン、ペベレル、リアイス、リアイス、リアイス、ポッター、プルウェット……多すぎてわからない。眉を寄せて考え込んでいると、鴉が飛び立ち、とある墓碑のうえに留まった。行ってみれば、まさしく探していた墓碑だ。リーン・リアイス。ウィスタの母親で、先代本家当主《ランパント》。誰かが先に来たのだろうか。一輪の菖蒲が置いてある。その隣に薔薇を献じた。片膝を突き、ウィスタは足跡に眼を留めた。

――野良か?

 猫ではない。たぶん犬。それも大型――かなりの大型。間隔からしてお座りの姿勢でいたらしい。野良にしては行儀がよい。首を捻っていると、肩に鴉がとまり、軽く頬を突いてくる。

「なんだよ」

 この鴉はとびきり賢い。なにを報せようとしているのやら……と思えば、靴音が聞こえた。二人分。不良になりきれない半端者の足音ではない。規則正しく、揺るぎない。しかし、軽く足をひきずっているようだ。軽く杖に手を添えて立ち上がる。くるりと反転すれば、男がふたり近づいてきた。ひとりは黄褐色の髪の男だ。髪というよりたてがみを思わせた。目つきは鋭く、眼の色は獅子のそれ。もうひとりは輝く金髪に紫の眼で、たぶんナイアードと同い年くらい。どちらも黒衣を纏っている。なんの装束か、ウィスタはすぐにわかった。昔の新聞で眼にしていたし、ついこの間見たのである。獅子を彷彿とさせる男の徽章は大きな星がひとつ。小さな星が三つ。つまり――。

「闇祓いの局長さんが、こんな田舎になんのご用です?」

 足音が、止まる。男の底光りのする眼がウィスタを――群青の片眼を捉えた。口角がかすかに上がり、皺を刻む。

「アシュタルテ翁に会いに来たのだよ」

 そうして男は名乗る。

 ルーファス・スクリムジョール、と。





人物・設定

ウィスタ・リアイス
ホグワーツ三年生。黒髪に深紅と群青の目。グリフィンドール所属。
名門リアイスの嫡子。本家当主《ランパント》を襲名。

リーン・リアイス
故人。闇祓い。先代本家当主。黒髪に群青の目。スリザリン出身。一族から疎まれる。

アリアドネ・リアイス
故人。闇祓い局創設者。リーンの母、ウィスタの祖母。白金の髪に群青の目。黄金のグリフィン。苛烈なるグリフィン。先々代本家当主。

アシュタルテ・リアイス
アリアドネの父。リーンの祖父、ウィスタの曾祖父。元筆頭分家当主《パッサント》。本家の姫君ディアドラを娶り、支えた魔法騎士。母がダンブルドア家出身。アルバス・ダンブルドアの従兄弟。

クロード・リアイス
筆頭分家当代当主。《パッサント》。先視の魔女。筆頭占者。ウィスタの又従姉妹。銀髪に氷のような薄青の眼。ウィスタ+16歳。

ナイアード・リアイス
第二分家当代当主《ステータント》。錬金術師。闇祓い資格を保有。先年の闇の魔術に対する防衛術助教授。リーマス・ルーピンを教授に推薦。
黒髪に空色の眼。ウィスタ+14歳。

ルキフェル・リアイス
第三分家当主《シージャント》の次男。上に兄がいる。闇祓い。金髪に紫の眼。
ナイアードの従兄弟、ウィスタの又従兄弟。ウィスタ+15歳。

ヘカテ・リアイス
第七分家当主《ドーマント》の息子。上に兄と姉がひとりずついる。
亜麻色の髪にあさぎ色の眼の魔法使い。ウィスタの又従兄弟。ウィスタ+17歳。

本家 
ランパント 盟主
筆頭分家 パッサント  占術
第二分家 ステータント 錬金術
第三分家 シージャント 歴史・情報
第四分家 セイリャント 探索
第五分家 クーシャント 守人
第六分家 クーラント  獣使い
第七分家 ドーマント  学者
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