【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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二十三話

 馬上で唇を噛みしめる。農民ルックで出るんじゃなかった。まさかお偉いさんに出会うなんて思わないではないか。金髪の魔法使い――ルキフェルに問答無用でとっつかまり、馬上に押し上げられ、二人乗りだ。仮にも二十世紀に馬かよとも思うのだが「馬車で仰々しく行くよりはいいだろう」と耳打ちされて黙るしかなかった。

 俺はもう十三歳だひとりで馬くらい乗れると主張しても鼻で笑われ、お偉いさん……ルーファス・スクリムジョールには肩をすくめられた。

「生粋の魔法族で現代でも馬を乗りこなせるのはリアイスくらいのものだ。私とてあまり得手ではない」

 村の中を突っ切りながら、白馬に乗ったルーファスに言われ、嘆息した。

「箒でもいいだろ」

「見栄というものだ」

 それに乗れたほうが得をする、とスクリムジョールがにやりとする。実際、村人はスクリムジョールたちを歓迎した。林檎やら野菜やらをぽんぽん投げてよこし、ルキフェルには「お帰りなさい」と言って、ウィスタには「まったく、ふらふら出歩くんだから」とお小言だ。

 ルキフェル曰く、馬に乗れなければ半人前だそうだ。ちなみに彼はウィスタの母親の従姉妹の息子。ええいややこしい。ウィスタの母親とルキフェルの母親が従姉妹で、ウィスタとは又従兄弟になるらしい。さらにはルキフェルとナイアードが従兄弟どうしらしい。ナイアードの父親が先代第二分家当主で、ルキフェルの母親が当主の妹。この令嬢が第三分家に嫁いだのだとか。

 こっそりとルキフェルが次の《シージャント》かと問えば、彼は首を振った。僕は次男だと。上に兄がいるそうだ。

 世間話をしながらも、ルキフェルもスクリムジョールも具体的な用件については口を割らなかった。曾祖父――一族最長老と楽しくおしゃべりに来たわけではなさそうだ。闇祓いってのは暇ではないはずだ。

 そうこうしているうちに、馬は薔薇の茂みに突っ込んでいく。す、と鮮やかな紅と深い緑が退いていって、パッサント城が姿を現した。

 ◆

 叱られるのかと思ったが、侍女や侍従たちはなにも言わなかった。お召し替えをと促され、自室――というよりも、ウィスタに割り当てられた客室へ連行される。麦わら帽子もタオルもとられ、ぱりっとしたシャツとズボンを差し出される。ボウタイを結んで、丁寧になめされたドラゴン革の靴を履けばどこぞの坊ちゃんの出来上がりだ。

 着替え終わり、入室してきた侍女たちが、脱ぎ散らかしたものを集め始める。

「それは俺の外出着なんだから捨てるなよ!」

 せっかく屋敷しもべたちに見つけてきてもらった服なのだ。

「またお出かけなさいますの?」

「いいだろう?」

 じっと侍女――たぶん二十歳前後を見つめれば、彼女はふいと眼を逸らした。仕方ありませんわね、と言質をとる。

「アシュタルテ翁が、ランパント様もいらっしゃるように、と」

「……偉いさんの話し合いに?」

 ウィスタみたいな子どもを呼んでどうするのか。本家当主になったとはいえ飾りのようなものだし、勉強で手一杯だし、それに。

 ちら、と己の腰――ベルトにさげた杖を見る。柄にあるのはウィスタの紋。本家と分家の当主になった者は、儀式を経て杖に刻印がきざまれる。個人個人で違い、たとえばウィスタの母は『天秤をくわえた獅子』、祖母は『交差する剣と杖』だ。

『……蛇』

 儀式が終わり、現れた紋に誰かが言った。不吉な、と。獅子と星。そして蛇が紋章となっていたのだ。

――リアイスは

 蛇が嫌いなのだ。スリザリンの象徴で、すなわち悪そのものだから。マグルの世界でも嫌われがちではあるが、世界保健機構の象徴はアスクレピオスの杖である。蛇がぐるりと巻き付いた杖で、アスクレピオスは医神だ。マグルならば、ウィスタの紋に蛇がいようが問題にもしないだろう。

「面倒だな」

 たとえ衣食が足りていても、住むところに困っていなくとも。悩みはつきないものらしい。

 ◆

 勝手知ったるパッサント城、応接室を訪ねれば、曾祖父であるアシュタルテ、その曾孫で……ウィスタも曾孫だけれど――又従姉妹かつ当代筆頭分家当主、号を《パッサント》、名をクロード、それにスクリムジョールとルキフェルが茶を飲んでいた。

「おいでなさい」

 クロードに手招かれ、彼女の隣に座る。円卓の上には茶器と菓子が置かれていた。

「……この子も?」

 スクリムジョールが片眉を上げ、アシュタルテは静かな眼でウィスタを見やった。

「子どもだが、無関係ではおれまい」

「なんの話です?」

 どうにも厭な感じだ。ゴドリックの谷に犯罪者が逃げ込んだとか、そういう話ではないらしい。

「ヴォルデモートのク……になんか動きが?」

 底辺育ちの口の悪さを誤魔化そうとしたが、大人たちにはバレていた。スクリムジョールが眼を丸くし、ややあって白い歯を見せた。

「リーンがここにいれば、なんと言うかな」

「誇るであろうよ。口の悪さはいかんともし難いが……」

 ウィスタは息を詰めた。曾祖父とスクリムジョール、二人に凝視されてまさしく針の筵だ。

 奇妙な沈黙の後、スクリムジョールが茶器を置く。

「シリウス・ブラックの脱獄の件だが、心当たりは」

「あるわけなかろう。谷にも逃げ込んでおらん。探したいなら探すがいい」

「――いや。その必要はない。ここに逃げ込むほど愚かではないだろう。くれぐれも頼みたいのは」

 やつを殺すなということだ。

 室の空気が一気に重くなる。ウィスタは極力気にしないようにしながら、スコーンを手で割った。シリウス・ブラックが誰か知らないが犯罪者なのだろう。

――レギュラス・ブラックの親戚なんだろうか

 クィディッチ杯に名前があった。たしかシーカーだった。

「見つけ次第捕らえ、引き渡せばよいのだろう。そこらをふらふらしているとも思えん。私としては、ホグワーツを重点的に守るほうが賢いと思うがな」

「ダンブルドアがいい顔をしないだろう」

「……保護者や理事会の声、子どもたちの安全を盾にとればよい」

「――アシュタルテ翁。あなたはダンブルドアの味方では?」

 いささか呆れたようにスクリムジョールが言い、クロードはちいさく笑い、ルキフェルは眼を泳がせた。

「たわけ。腐れ縁だ。とかく、ホグワーツの件はこちらで対処する。そちらはやつらの造反の可能性の調査、ブラックの追跡で忙しいだろう」

「ごもっともで。ただ、ファッジが暴走するやも……おそらくホグワーツにやつらを送り込もうとする……」

「あんな劇薬を投入したがるか。ファッジの莫迦めが――さてはて。己が権威に傷がつくのを恐れているのか……」

「ハリー・ポッターが狙われているのだ。今頃伝わっているかと思うが……それに」

 声が鋭くなる。

「ウィスタ・リアイスも」

 己の名に、ウィスタは急いでスコーンを飲み込んだ。

「どういうことだ……です?」

 呑気に見物している場合ではない。どうやらウィスタは思い切り当事者らしい。

「アズカバンに投獄されていたシリウス・ブラックが脱獄した。目的はお前とハリー・ポッターの可能性が濃厚。なにせやつのヴォルデモートの麾下だ」

 祖母アリアドネを思わせる、明瞭な説明だった。いいやアシュタルテにアリアドネが似たのか。

――他人事のようにしか思えない

 ヴォルデモートがしつこい野郎だというのは知っているし、ついでにトム・リドルだったときから歪んでいたっぽいし、秀才でマグル嫌いで、ウィスタの祖母や母親、たくさんのリアイスを殺したのも知っているのだが。今では何かにとりつかないと動けない有様だ。その麾下――配下に狙われていると言われても。

「ご主人様と合流して、準備整えてから俺らを狙ったほうがよくないか? 投獄されてたんなら弱ってるだろうし」

「……冷静すぎないか? 貴公の曾孫は」

「リーンの子だからな。育ちは違うが腹は据わっている」

 ふむ、とスクリムジョールが頷く。ルキフェルとクロードは額に手を当てていた。

「ご主人様はともかくとして……俺なら行き帰りを狙うね。それかホグワーツに入る直前。気が緩む」

「そのあたりは要検討だ。ウィスタ」

 スクリムジョールに名を呼ばれ、なんだか背筋が伸びる心地だった。

「どんな子かと思えば、なかなかよい騎士だ」

 彼は紅茶を飲み干し、立ち上がる。アシュタルテに一礼し、ルキフェルを伴って退出した。

 室にはアシュタルテとクロード、ウィスタが残された。

「……で」

 ウィスタは茶器を傾ける。誰ともなしに問いかけた。

「話が進みまくってるのはともかくとして……」

 指を鳴らす。屋敷しもべが銀の盆を手にして現れた。ウィスタは盆に手を伸ばす。

「俺の学生生活に彩りがほしいんです」

 曾祖父に手渡したのは許可証だ。三年生から行くことができる、ホグズミード行きの許可証。親か後見人、あるいは保護者の署名が必要だ。すぐに思い浮かんだのはリーマスだったが、悲しいかな、一年くらい会っていない。夏休みとともに森の邸に帰る計画が台無しになったからだ。酷い話だ。リーマスに会えないとなったら、あとは曾祖父にもらうのがいいだろう。リアイスなんて腐るほどいるし、年上のお兄さんお姉さんもたくさんいるだろうから、誰かからもらえればいいのかもしれないが。

――まだあんまし一致してないんだよな

 当主にはなったが、それだけだ。七分家の当主とは顔を合わせたけれど、ほかの人間には会っていない。当主就任の披露目をするとかなんとか聞いた気もするが、アズカバンから囚人が脱獄して忙しいのだから無理だろう。

「許可できんな。諦めろ」

 一刀両断である。ウィスタの茶器に亀裂が入り、じわじわと紅茶が漏れ出した。

「成績優秀で文句のつけようのない曾孫だと思いますけど!」

 自分で言うことではない。けれども叫ばずにはいられなかった。一年生のときから散々な目にあっているのだ。たかだかホグズミード行きくらい許可してくれたっていいだろう。

 隣の曾祖父をじとりと睨めば、皺だらけの手が伸びてきた。乱暴に頭をかき回される。

「お前が誰かを狙うとしたら、どういう場面で襲う?」

「移動している時」

 茶器がばらばらと砕ける。熱い紅茶が卓にこぼれたが、どうだっていい。ホグズミード行きに許可が出ない理由はわかってしまったし、大人からしたら仕方のないことなのだろうとも察した。が。

「……赦さねえぞシリウス・ブラック。俺の学生生活をよくも……ヴォルデモート共々クソッタレめ。殴る」

「お前の城の調度も整えねばならんし、学用品のこともある。憂さ晴らしに色々買い込んで構わんぞ」

 卓の上に巾着が放られる。さすがべらぼうな金持ちである。ざっくざくのガリオンに眼を回しかけた。

 ホグズミード行きも許可されず、ダイアゴン横丁行きも駄目だと言われ、ウィスタは山積みのリストから、絨毯はこれ、カーテンはこれ、家具はこれ、壁紙は……と選別作業に追われた。今はパッサント城に間借りしているが、ウィスタは《ランパント》だ。自分の城がある。先代――母親が死んでからは、ほとんどの部分が閉ざされて、管理のために屋敷しもべが住んでいる有様らしい。

「……執務室はいじらなくていいだろう」

 客間と玄関ホールはまあまあ見られる感じにしよう。告げれば、第二分家配下のリガーダント家の兄弟が歯切れよく頷く。第二分家は大ざっぱにいえば物作りが得意な家で、菓子から服から箒からなんでもござれだ。配下のリガーダントは服飾を主に取り扱っているのだが、第二分家の麾下の職工たちのとりまとめ役――つまり第二分家の側近筆頭だ。

「《ランパント》、制服一揃えの採寸を」

――マダム・マルキンじゃあ駄目なんだろうなあ

 正直ウィスタはなんでもいいのだ。一年の時も二年の時も襤褸きれに成り果てたのだから。服も元はただの布だ。

「ドラゴン革のブーツも。靴底固いやつ」

 荒事の予感がひしひしとする。蹴り技が抜群に効きそうな靴は必須だろう。

「……ナックルは要りますか」

「いらない」

 察しが良すぎるうえにぶっ飛んでいる。魔法族でも殴り合うのか。いいや、子どもにナックルを勧めるなよ。

「――それよりも侍女侍従の選定だ」

 ずかずかと入ってきたのはナイアードである。

「飯食って寝れればいいし、どうせホグワーツにいるし、屋敷しもべだけでいい」

「せっかく選りすぐったのに」

「いなくても回るだろう」

 パッサント城には、ランパント城から引き取った屋敷しもべが多く住んでいる。その連中を戻せばいいだけだ。パッサント城に残りたいなら残ればいいし、無理強いはしないけれど。

「先代もあまりひとを置きたがらなかったらしいから」

 まあいい、と肩をすくめてナイアードが羊皮紙を振った。

「手紙か?」

「親愛なるファッジからのね。アシュタルテ翁宛だが。ハリーが家出したらしい」

「ブラックがハリーを狙っているとか言ってなかった?」

 忘れていたが、ハリーへの報せはどうなっているのだろうか……と言わずとも、ナイアードは答えをくれた。

「マグルのニュースにもブラックという凶悪犯の報せは流れている。けど、ハリーは自分が狙われていると知らない」

 穴だらけじゃねえか。

「俺がすべきことはあるの」

「ないね。保護されて、漏れ鍋に滞在中だ。監視にはルキフェルがついているから心配するな」

 つらつらと言って、ナイアードはもう一枚、羊皮紙を差し出した。

 さっと一読して署名。杖先を押しつければ《ランパント》の紋とウィスタの紋が押捺された。

 ダンブルドアからの人員派遣の要請であった。

「……なあナイアード、ホグズミードの許可証に署名してくれない? めちゃくちゃがんばってるんだけど俺」

「駄目」

 即座に却下され、菓子をやけ食いした。

 ◆

 夏休みは『谷』から出ることもなく過ごした。ランパント城に引っ越して、当主として知っておくべきあれこれを叩き込まれた。一族の有名人だとか、貴族の家系図だとか。とはいえ複雑怪奇で覚えきれるものではない、とざっくりとした説明だけ受けた。リアイスはグリフィンドール系――あるいはグリフィンドール派の筆頭で、リアイス、ポッター、ロングボトム、プルウェット、ウィーズリーでグリフィンドール五大名門と呼ばれるだとか。昔はマッキノンという家系あって、六大名門と呼ばれていたが、マッキノンはヴォルデモートに本家分家ともに根絶やしにされただとか。いまや末裔は残っているが、家としては消滅しているそうだ。

「対して……」

 杖が振られる。黒板にいくつかの名が浮かんだ。

「スリザリン系はユスティヌを筆頭として構成されていたの」

 ランパント城、当主の執務室。ウィスタは椅子に背を預け、黒板の前に立つ魔女を眺めた。筆頭分家当主《パッサント》、クロード。一族の筆頭占者で、先視の魔女らしい。行方不明になっていたウィスタの生存を告げたのもクロードだったらしい。親戚のお姉さんで、ナイアードともどもウィスタの教育係のようなものになっている。

「クィディッチ杯で見たよ。あー、じゃあリアイスとは仲が悪い?」

 けれど、ユスティヌ……なんだったか名前は。とにかくユスティヌとウィスタの母親がチームメイトだったなんて意外だ。犬猿の仲ではないのか。それとも腕がよければ関係がないのか。

「最後のユスティヌは随分前に死んだわ。滅亡したのよ」

 淡々とした声だった。クロード個人はユスティヌになんの感情も抱いていないのだろう。ウィスタもたいして興味がない。

「じゃあ、今の筆頭は?」

 ブラックか、と黒板の名を示す。クロードは首を振った。

「ブラック家は絶えたも同然よ。本家の当主だったレギュラスが消息不明だし、シリウス……シリウス・ブラックは投獄されているし」

 ははあ、と声を漏らす。

「スリザリン系と名乗っているだけあって、マグル嫌いでヴォルデモートの子分になったってことか」

 シリウス・ブラックは十二年前に大量殺人の罪で投獄された。裁判なしの監獄直行便だったらしい。アズカバンには身の毛もよだつような看守がいて、脱獄は不可能だった――のだが、ブラックはそれをやってのけて、未だに捕まっていない。

 ひとり納得しているウィスタをよそに、クロードは軽く黒板を叩いた。

「今はマルフォイ家が筆頭のようなものだけれど。ヴォルデモートが純血主義を掲げてあれこれやらかしたせいで、スリザリン系は穏和しいわね」

「あそこの坊ちゃんは調子こいて父上がどうこうとか、ダンブルドアなんてとか、穢れた血だとか吹かしてけど」

「……マルフォイ夫妻はどういう教育をしているのか」

 クロードは大仰にため息を吐く。

「息子はどうあれ、ルシウス・マルフォイは慎重な男よ。魔法省の高官だし、大臣のお気に入り。死喰い人だと疑われても逃げおおせた」

 奥さんには弱いし、屋敷しもべには逃げられるし、アーサー小父さんに邸に踏み込まれて、あれこれと闇の品物を押さえられた上に、罰金をふんだくられたけどね、と心中で呟いた。アーサー小父が本気を出せばすごいのだ。なんたって娘が危ない目にあって、それがルシウスの紛れ込ませた日記――ヴォルデモートの一部入りの危険な品のせい――だと知って眼をぎらぎらさせていたのだから。

 マグル不正使用だかなんだかいう窓際に飛ばされた冴えないおっさんではなかったのだ。元々ロンから手紙で「マルフォイ家の地下が怪しい」と知らされていて、こっそりと下準備はしていたらしい。ポリジュース薬で腰巾着に化けたのも無駄ではなかったのだ。ロンとハリーのお手柄である。

 アーサー小父は顔が広いし、一応、貧乏とはいえ名門で、学生時代は首席だったらしい。役人勤めも長くて根回しの仕方を熟知していた。お友達にこっそり耳打ちして、それが回りまわって闇祓い局の耳に入り、なにかの不思議な力が働いて魔法警察だとかいうところが動いた。小父が「マグルにとって危険な品があるという通報が」とあれこれと情報を投げて、小父はルシウスをこてんぱんにしたようだ。

「どうせドラコ・マルフォイは口だけでしょうよ。喧嘩しちゃだめよ」

「基本的なご近所づきあいしかしないよ」

 穢れた血って言ったら黙らせるとか、盾の呪文で閉じこめるとかくらいだ。かわいいもんだろう。

 そうこうしているうちに、九月一日になった。ウィスタはマグルの格好をしたナイアードに送られてキングズ・クロスに到着した。あちこちにブラックの手配書が貼られていて、昏い眼がウィスタを見つめ返す。アズカバンがどういったところかは知らないが、あまり衛生的ではなさそうだ。服は襤褸のようだし、髪はぼさぼさ、痩せこけてしまっている。

――こんな有様でどうやって抜け出したんだか

「かなり早いけど、乗っているといい。一番後ろの車両に行きなさい」

 ナイアードが保護者ぶって言った。保護者のようなものではあるけれど、たまに苛つくのだ。

「はいはい」

「で、これは先代の杖だ。曾祖父様から」

「は……、ん? おふくろの?」

 握らされたのは漆黒の杖だ。あちこち傷があって、柄の部分には『天秤をくわえた獅子』の紋がある。

「二本目を持っておけと」

「……ブラックに狙われているから?」

 ナイアードは肩をすくめ、ウィスタの背を押した。振り向けば、彼は真剣な眼でウィスタを見た。

「覚えておいてほしい。周りに惑わされず、君は君の思う道を行け」

「ナイアード?」

「……俺ちょっと良いこと言っちゃったな」

「台無しだよ」

 真剣だと勘違いしたではないか。さっさと背を向けて、コンパートメントを探しに行った。

 ◆

 宙に黄金の炎が燃え上がる。リアイス一族伝達術式『炎』。不死鳥の炎に着想を得た、情報と歴史を司る第三分家が編み上げたものだ。ふくろうよりも疾く、守護霊よりも容易に遠隔地とやりとりが可能だった。

「……私の手を離れたな」

 報せはナイアードからのもの。ウィスタは無事に特急へ乗り込んだ。道中は守りもあるから云々。あとは成り行き任せどうこう。俺もホグワーツに行きたいです翁……は余計だった。

 茶器を手に取る。《パッサント》を継いだ曾孫は、ソファで物憂げな顔をしていた。

「曾祖父様」

「どうした」

「正しかったのでしょうか……脱獄を察知していたのに」

 曾孫は先視の魔女。賢者の石についても預言し、此度のアズカバン脱獄の件も視た。正確には脱獄の記事を視たようだ。

「訊かれなかったからな」

 くつ、と笑いを漏らす。アシュタルテもクロードもなにもしていない。ただ黙っていただけだ。アシュタルテの娘アリアドネが手塩にかけて育てた部下の一人、ルーファス・スクリムジョールとて協力を要請してきただけだ。あれも思うところがあるのだろう。

「では、曾祖父様は彼が……」

 無実だと。幽けきささやきが室にたゆたう。

「状況証拠は黒だが……」

 大勢の目撃者がいた。あれもまた否定しなかった。自分のせいだと狂ったように言って、あとは黙りだったと聞く。世間は、魔法省はそれを肯定と捉えた。

 娘を喪い、曾孫の行方も知れなかった彼は、監獄を訪ねた。

「すまないと言っていた」

「裁判を――」

 声をあげかけたクロードを、片手で制する。

「できたと思うか? あの状況で」

 混乱の時代。帝王が倒れたとはいえ火種はあちこちにあった。なによりも魔法法執行部の長官は死喰い人に裁判などいらぬと言ってのけた。

 クロードもわかっているのだろう。小さくうめき、うつむいた。銀の髪がさらさらと流れる。

「曾祖父様は、あの人を……見捨てたのですね」

「そうだ」

 躊躇いなく言い切った。そうするしかなかった? いいや。都合がよかったのだ。

『おそらくひっくり返せません』

 暗い牢。鉄格子を掴んだ手は汚れ、眼は奇妙に凪いでいた。

『証拠がない。ないものは証明できない……』

 俺は、と彼が言った。

『沈黙します。俺が犯人だと思えばいい。世間はそれで満足する』

 誰がお前をはめた?

 彼はひきつった笑いを漏らし、首を振る。意味がないのだと頭を抱えて。

『ダンブルドアが俺が秘密の守り人だと証言した。ならば俺が犯人なのです』

 ですから、と彼は鉄格子を握りしめる。手のひらから赤いものがこぼれた。

『俺は沈黙します。貝のように……肯定だと捉えるでしょう……』

 ふっと眼が陰る。

 アシュタルテ翁、と彼は名を呼んだ。切実な声で。

『心臓が弾けて死ぬようにはしてあります。それでも、なによりも恐ろしいのは――頭を覗かれて……』

 万が一にも。

 あの秘密が暴かれること。

 それだけは避けねばならない。




ナイアード…第二分家当主《ステータント》。錬金。先学期はDADA助教授を務めた。ルキフェルの従兄弟(ナイアードの父とルキフェルの母が兄妹)。ウィスタの又従兄。
クロード…筆頭分家当主《パッサント》。先視の魔女。ウィスタの又従姉。
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