【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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二十四話

 特急のなかには誰もいなかった。当然だ。ナイアードが張り切ったせいで発車時刻の一時間前にキングズ・クロスに着いたのだから。お前は校外学習前日の子どもかと言いたい。校外学習がどんなものか、ウィスタは知らないけれど。ハーマイオニーやハリーによるとそういう『お出かけ』があるようだ。あんな不良校でそんなもんをやってみろ。結果は火をみるよりも明らかというやつだ。

 トランクを転がし、肩に黒ふくろうのヴァルナを乗せながら、特急の奥――最後尾を目指す。連結部分の窓から、鴉が飛んでいくのが見えた。曾祖父の鴉だろうか。

「……寝かせてくれてもよかっただろうこれ」

 ランパント城で準備を整えて、方陣――魔方陣でパッサント城に跳んで、そっからナイアードと一緒に馬上のひとになって、付き添い姿くらましで駅まで一瞬だったわけだ。断言するが十分前に『谷』を出発しても間に合った。

 なにがしたかったんだあの野郎。不満たらたらで最後尾に到着し、最後尾の最奥のコンパートメントをのぞき込み――声を呑んだ。

――待てよ

 ひとがいる。いやそれはいい。いいんだが。

 扉を開ける。座席に腰かけたその人が「やあ」と言った。

「――感動の再会だしハグしたほうがいい? 養父殿」

「それはいいよ。元気そうでよかった」

 座りなさい、と座席を示され――ウィスタは養父に弱かった――素直に腰を下ろす。伏し目がちな養父・リーマスの顔を眺め回した。

「どの教科」

「三本の箒の住み込み従業員かとは訊かないんだ?」

「あんたよく皿割ってるから無理だろ……あー、ナイアードのやつこれを狙ってたのか」

 やたら早く着いたのも、最後尾に行けと言ったのもこのためだったのだ。ということは、つまり――。

「闇の魔術に対する防衛術教授に就任ってことか」

「正解」

 ナイアードが推薦してきてねえとリーマスが言う。心なしか目の下にうっすらと隈がある。

「ごり押しされた?」

「想像に任せるよ」

 ごり押しされたんだな。

 リーマスは小さく欠伸をした。相当にお疲れのようだ。ナイアードが帰還すると同時にリーマスを推薦したとして、準備期間は約二ヶ月。生徒宛に教科書リストを発送しなければいけないわけだから、最悪でも七月末には教科書の選定は済ませないといけないとして。

「……えぐいなおい」

「私の養い子は察しがいいね」

「養父が養父ですので」

 リーマスがにっこりする。そうするとずっと若く見えた。ああもったいない。彼にいいお相手はいないのだろうか。いないだろうなあ。こんなでっかい養い子がいるんだから……。しかもそいつはややこしい家の出で、闇祓いの息子で、死喰い人に狙われていて。いかん。リーマスが一生結婚できなかったらどうしよう。結婚がすべてではないんだろうけど。俺が老後も面倒をみるしかないのか。みるけど。

「ホグワーツでは、教師と生徒の関係で通す」

「真面目だな」

「私が養父だということは伏せなさい」

「ハリーたちにも言っちゃ駄目?」

「ああ」  

 リーマスの返事は簡潔だった。なんでと訊いてものらりくらりとかわされるだろうし――言を左右するというんだったか――建前ばかり口にするに違いない。リーマスはそういうところがある。なかなか腹の中を見せない。

――仕方ないんだろうなあ

 私は人狼なのが露見すればどうこう、養い子の君に迷惑がかかる……とかなんとか。理由なんてそれっきゃないわけだ。俺はそんなの気にしないと言っても無駄だ無駄。

「……わかったよ」

「すまないね」

 なんであんたが謝る必要があるんだと口から出かかって、かろうじてこらえた。

――このひとは

 いったい何度謝ったのだろう。人狼だということを引け目に感じたのだろう。そうして気づいた。

 人狼の養父を受け入れてくれた友人は、もう誰もいないのだろうと。

 ウィスタの母もハリーの父も逝ってしまったのだから。

 ◆

 話し込んだあとに「少し眠る」と言ってリーマスが眼を瞑った。三秒後にはかすかな寝息が聞こえてきて、ウィスタは養父を検分した。といっても目視だけだけれど。白髪が増えている。ちょっとやつれているし、たぶん食事を適当に済ませているな。無理矢理脱出して邸に行けばよかった。放っておくとかなりずぼらなのだ。

 通りかかった車内販売魔女を呼び止めて、食いでがありそうな菓子やかぼちゃジュースを買い込んだ。曾祖父からたんまり小遣いをせしめているのだ。カートの中身を丸ごと買い上げることだってできるだろう。

 昏々と眠っているリーマスのためにいくつか取り分けて、ビターチョコをかじった。去年まではチョコは蛙チョコだけだったはずだが、今年は大量の板チョコが積んであった。市場調査の結果なのかマンネリ防止なのか。

 宙に黄金の炎が燃え上がる。はらりと落ちた紙片を掴みとり、一瞥しただけで読みとった。ホグワーツに人員配置完了。各分家から二名ずつ。計十四名……ブラックが乗り込んできた際には捕縛するものとする。後に挨拶に伺います。第七分家のヘカテより。  無駄足じゃねえのかなあとぼやいた時、どやどやと人が乗り込んできた。発車時刻十五分前だ。ウィスタは眠り込んでいるリーマスと距離をとった。いかにも他人、たまたま乗り合わせただけに見えるように。養父だと紹介したいのに。

 あれこれ葛藤していると、いくつかの足音が近づいてきた。小窓から見えたのはハーマイオニーと従者たちだった。

 ◆

「……ファッジはお前に好意的ってことか」

 ホグワーツ特急、最奥のコンパートメントでウィスタはうなった。ハーマイオニー、ハリー、ロンと合流し、夏休みの話に花を咲かせた。といっても、ウィスタは特に報告することはなかった。『谷』で勉強漬けだったよと言っただけだ。まさか魔法省のお偉いさんが訪ねてきただとか、ブラックがウィスタを狙っているだとか言えないだろう。三人にはあれこれ隠しているが、どんどこ項目が増えていくのが悩みの種だ。かといって言ったとしてなんになるだろう。友人だからといってすべてを明かすこともない。いまはブラックの件で忙しいのだ。いくつか開示するにしても落ち着いてからのほうがいい。その前に膝の上のクルックシャンクスをどうにかしたい。顔は不細工だが毛並みは柔らかく、なぜかロンのネズミを狙っていて、騒動になりそうだからウィスタが捕まえたのだ。これがまたけっこう重い。

「なぜかお咎めなし……いや。僕がブラックに狙われていて、それで慌ててたんだろうけど」

「ハリー……よくよく気をつけないと」

 ハーマイオニーが心配そうに言って、ハリーは嘆息した。

「よく分からない凶悪犯に狙われてるなんて言われても。僕が何したって言うんだ?」

「『例のあの人』を倒した」

「偶然だと思うよ。僕のどこにそんな特別な力があるんだい?」

 生き残った男の子はやさぐれている。周りからあれこれ言われるのがお嫌いなのだ。

 紅茶を飲んで口を挟む。

「ダンブルドアが言ってるだけだしな」

 うっかり見落としていたのだが、ヴォルデモートがポッター家を襲撃して、ハリーの両親は殺されて、ハリーだけが生き残った。額に傷があって、ヴォルデモートはどこかへ消えた。消去法でハリーになぜか呪文が効かず、ヴォルデモートが逃げ去ったんだろうと言われている。だからハリーは生き残った男の子なのだ。

――俺もあてはまらなくもないのだけど

 母親もヴォルデモートに殺されたわけで。たまーに見る不思議な夢によるとウィスタも死の呪文を受けそうになって辛くも逃れた。詳しいことは聞いていないがポッター家の襲撃より前に母親は襲われて始末されたのだろう。一応、ウィスタも生き残った男の子といえる。が、ハリーの陰に隠れてそのあたりは話題にならない。しかも、リアイス家の子息が行方不明という話も出回らなかったようだ。ウィスタが帰った途端に「リーン・リアイスの息子は諸事情でマグルの所で育てられた」という情報が出回った。曾祖父あたりが手を回したのだろう。ヴォルデモートに母親を殺された挙げ句にマグルの許で育てられた悲劇の少年の誕生である。ほんとにあの人たちはなんでも利用する。

「ヴォルデモートがしつこく狙ってくるから……つまりあいつは僕こそが元凶だと思ってるんだろう」

 迷惑と顔に大書してあった。お気の毒さま。

「いいかいハーマイオニー。僕は穏やかで平凡な学生生活を送りたいしクィディッチがしたいだけで! 目立ちたくもないしトラブルにも巻き込まれたくないしむしろトラブルのほうが飛び込んでくるんだ!」

 ノォオ! と頭をかきむしるハリーは鬼気迫っていた。

「そうだよなあ」

 力強く頷いた。誰がトラブルを招きたいと思う。昨年なんて散々だ。ほぼ寝込んでいたせいで記憶がない。成績は普段の素行――内申というのだったか――と学業成績で算出されるのだけど、授業はあんまり出られなくて、課題はどうにかこうにか仕上げて。学年末試験が免除されて、ウィスタは『特別功労賞』を考慮されて成績上位を維持した。とはいえ首席から三位か四位に転落したけれど。報奨金は断って「どっかの施設に寄付するか、困ってるやつに回しといて」とダンブルドアには言った。なにか褒美をやろうと言われたけれど、それは保留だ。

「おまけにホグズミードに行けないなんて」

 ハリーの表情はどんよりしている。そりゃあウィスタは一年の時からちょくちょく行っているが、ハリーは城から出たことがない。どれだけ残念か察するに余りある。

「安心しろよ。俺も行けねえから」

 行くけど。ブラックなんて知るかボケ。ヴォルデモートの配下の痩せこけた野郎が怖くてリアイスなんてもんがやってられるか――という本音は隠して、はあ、とため息を吐く。ナイアードあたりが見たら爆笑しそうな憂愁の美少年を装った。

「後見人が署名をくれなくてな」

 曾祖父しかり。爆睡しているリーマスしかり。理由は納得のいくものだったから駄々をこねるまい。

「ええっ。それは酷いよ」

 ハリーもウィスタも任せといて! お土産買って帰るよ! とロンが請け負った。貧乏だなんだとぼやきながらも、こういうときのロンはけちらないのだ。アーサー小父が宝くじに当たって、少しだけ家計に余裕ができたせいだろうか。折れた杖も新調してもらえたし、ローブも新しくなったのだ。

「ねえ、ウィスタ」

 和やかな空気を、ハーマイオニーの声が切り裂いた。

「なんだよハーマイオニー。紅茶のおかわりか?」

 わざと朗らかに言っても才媛には通じない。茶色の眼が射抜くようにウィスタに向けられる。ああ、こういうときのハーマイオニーは厄介なのだ。

「あなたもブラックに狙われてるんじゃないの?」

「……ご明察」

 すぐさま白旗をあげた。隠せるものなら隠したかったが、こうなったらどうしようもない。隠し通せるとも思っていなかった。

「あー……」

 ロンが眼を泳がせる。

「リアイスだもんねえ……狙うか」

「すげえ理不尽だと思う」

「ウィスタも大変だねえ」

 言いながらハリーは少しうれしそうだ。てめえ。ホグズミードには行けない、ブラックからは狙われている仲間ができて喜んでるな?

「ウィスタ……気をつけないと」

「問題ないね」

 拳を握りしめ、にぃっと笑った。

「会ったら殴る」

 ◆

 リーマスは相変わらず起きなくて、ハーマイオニーが心配し始めた。

「息してるわよね? ものすごーーく疲れてない」

 急遽教授に抜擢されて、授業計画やらその他諸々で忙殺されるし、月一で体調は崩すしね、と言いたくてたまらなかったが我慢した。ホグワーツの人事その他運営は奔放すぎやしないか。生徒の数に対して教師が少なすぎるし、授業も学年ごとに行うだけだ。マグル育ちのハーマイオニーやハリーによれば「理解度別に分けることもあるし、学年ごとに担当教師がいるよ」らしい。ウィスタもマグル育ちだけれど、なんせ学校が学校だ。授業自体があんまり成立していなかった。ウィスタは図書室に逃げ込んで手当たり次第に本を読んだり、不良の王様に気に入られて教えてもらっただけだ。

「蘇生呪文でもかけてみるか」

 気付けの呪文だ。もっとも、本当に死んでいたらかけたところで意味はない。治癒魔法も同様だ。

「使えるの?」

「まだ無理」

 どちらかといえばウィスタがかけられる側だろう。一年の時といい二年の時といい、トラブルまみれだったことだし。

「沈黙呪文と盾の呪文は得意なのに」

「自衛って大事だろ?」

 軽く言えば、いきなり戸が開いた。現れた三人を認めた瞬間に、ウィスタは杖を振った。

「マナーがなってねえぞ坊ちゃん」

 戸が猛烈な勢いで滑り「リアイス! おまえええええ!」と坊ちゃんことマルフォイの叫びが響く。

 鼻を鳴らす。誰かあいつに礼儀礼節謙虚闘争心を教えてやれ。ウィスタは最後のひとつを除いて夏休みに叩き込まれた。身についているかは知らない。

 ぎゃあぎゃあと大騒ぎするのを徹頭徹尾無視し、やがて「くそ……なんだ……酷くないか……せっかく……」とぶつぶつ言いながらマルフォイは帰って行った。何をしに来たんだお前はよ。

「容赦ないね」

「俺ほど心の広い男はいないぞ」

 断言したが、ハリーに疑わしそうに見られた。リーマスの手前ホグワーツでは優等生ぶっているし、拳を使わずに呪文で対処しているし。優しいだろう。そろそろあいつの鼻をへし折ってもいいかもしれない。

――どうせ父親知らずとか言うんだろうよ

 もっとも昨年ウィスタを侮辱したアーニーは謝ってきたが。「俺が授業を休んだ時にノートを貸せ」と言って手打ちにした。なんでかジャスティンまで謝ってきたので怒る気が失せたのだ。

 対してマルフォイは反省というものをしない。まあしない。ウィスタにやり返されても僕は被害者だといわんばかりだ。これだから坊ちゃんは。

「鬱陶しいなあ」

 窓の外には曇天が広がっていて、憂鬱な気分に拍車をかける。おまけに雨まで降ってきたし、特急の速度も落ちて……。

「ハーマイオニー。今何時?」

「まだ十六時くらいよ。ホグワーツより■■キロ手前」

 さすがハーマイオニー。行程を把握している。

「ストライキ?」

「緊急点検?」

 ハリーとロンが首を傾げる。途端に特急がとまった。ふっと灯りが消え、おまけに。

「……まだ九月だぞ」

 雪。いや雹か。窓に当たって固い音を響かせる。室温がぐっと下がり窓が凍り付いていった。

「ルーモス」

 ハリーがすばやく唱え、闇が祓われた。ウィスタは杖を抜きはなったまま身構える。窓をぶち破って脱出したほうがいいのだろうか。ナイアードは「お勧めしない」と言っていたが。怖い警備員がいるとかなんとか言っていた気がする。

 どん、と轟音が響く。頭の上――屋根のほうから。

「なんなんだよ」

 ロンが呻き、ハーマイオニーもまた固い顔だ。

「……外に出ないように」

 落ち着いた声がして、肩を掴まれる。ウィスタはそっと囁いた。

「ごきげんよう養父殿。なんか心当たりが?」

「うれしくないことにね」

 リーマスもまた杖を構えたようだった。戸口に意識を集中させながら、一拍、二拍と待ち受けたとき。

 戸がすべり、ぬうっと手が忍び入ってきた。冷気がますます強くなる。顔が痺れてきた。背の高い影。顔は頭巾で隠れている。

 左手中指が燃えるように熱くなった。ひとつの単語が頭に浮かぶ。

――吸魂鬼

 もっとも忌まわしく穢れた者。一族の秘宝は邪を滅ぼす魔法剣。敵を斬りたくてうずうずしているのだろう。

「……心配しないで」

 養父にそっと言った。

「いざとなれば俺が――」

 斬る、と言おうとして。吸魂鬼の眼が――あるはずない眼差しが――ウィスタを捉えた。

 心臓が跳ねる。喉の奥から息が搾り取られ、頭の中がかき回される。たまらずに膝を突いて、そこから先は闇に覆われた。

 

 と、と天から地へ。正確にはホグワーツ特急の屋根に降り立つ。黒衣が翻り雨滴を弾く。山々は銀の紗に霞み、絶好の行楽日和にはほど遠い。彼は黒髪を濡れるに任せ、杖を構えた。

 ゆらりゆらりと特急を囲む影。死者の無念が形を成したとも、闇の魔法使いがつくりだしたものだともいわれている。穢れ者、滅すべきもの。吸魂鬼。

――二、三は特急に入ったか

 この数だ。仕方があるまい。リーマス・ルーピンが対処するであろう。

 固い音が頬を打つ。雨が雹に変わったのだ。吸魂鬼はこの世からぬくもりを消し去るのである。

「――この特急に踏み入るのは勧めない。去ることだ」

 どこかで爆音が響く。そら『彼女』がお怒りだ。オッタリン・ギャンボルの時代から特急の番人を務めてきた彼女が動かないはずがない。二、三か五、六体は追い払ったろう。

 しかし、侵入者は爆音も彼の言葉もどこ吹く風だ。するりするりと距離を詰めてくる。窓や扉を壊してでも入ろうというのか。やつらにとってホグワーツ特急は宝の山だ。金貨に眼のくらんだ竜のように、理性が吹っ飛んでいるのだろう。

「警告はした」

 害されて困る生徒が幾人かいるのでね、と彼は微笑し。灯し火の眼を燃え上がらせた。

「守護霊よ来たれ」

 ◆

「俺は病弱じゃないし虚弱でもないし繊細でもないし今回倒れたのはたまたまです。無実です冤罪です勘弁してください!」

「寝なさい」

「マダム・ポンフリーの言うことを聞きなさい」

 九月一日夜。立て板に水の主張をあっさりと流され、ウィスタはホグワーツ城・医務室の寝台の上で膝を抱えた。

 なにからなにまで最悪だった。記憶はホグワーツ特急で途切れていて、気づけば馬車に乗せられていた。なんとびっくりリーマスと二人乗りである。リーマスは真っ青な顔でかくかくしかじかと経緯を説明した。

『吸魂鬼にあてられたんだ』

『肝が冷えた』

 謝るのも筋が違うし、大丈夫だよと言いたくても言えないほど疲労困憊していたし、なによりも身体が冷え切っていた。無理矢理チョコレートを食べさせられても少しマシになっただけで。呆然としているうちに医務室に連行された。ちなみにハリーも倒れたらしいが、我らが英雄殿は解放された。「あとでシェパードパイとか持って行くから」とこそこそ言われたが気持ちは晴れなかった。

「一年の時といい二年の時といいなんなんですか」

 ぶつくさ言ってもマダム・ポンフリーもリーマスも無視だ。ふたりしててきぱきと体温を計ったり病人食を用意したりと手際がいい。挙げ句に

『ウィスタ』と名前が刺繍された寝間着まで用意されていた。ああ我らが祖偉大なるゴドリックよ。子孫はすっかり病弱認定を受けてしまいました。

――もうこんなパジャマを使うはめになるもんか

 絶対嫌だ。嫌ったら嫌だ。男の世界で病弱だなんてレッテルがどんだけめんどくさいか分かるまい。すぐさまあいつは女なんだろうどうこうと言いがかりをつけられて虐めてもいいやつ認定なのだ。くそったれ。そもそも病弱くんだかさんだってなりたくてなってるわけじゃないだろうが。ふざけやがって。

 内なる怒りを燃やしているウィスタなど置いてけぼりで事態は進行していく。カーテンがさっと閉められ、むくれながら着替えた。あの二人に――過保護と過保護に逆らっても無駄である。しかもあの二人のことを嫌いではないどころか、である。逆らえるわけがないだろう。

「リーマス。はやくお行きなさい。挨拶があるでしょう」

「この子をお願いします」

 リーマスが慌てて出て行って、医務室にはマダム・ポンフリーとウィスタだけになった。

「先生。吸魂鬼ってなんですか。なんで俺は倒れたんですか。特急のそいつらは結局……」

 椅子も腰かけたマダム・ポンフリーは、ウィスタの額に湿布もとい冷却材――マグルのドラッグストアで売ってるようなあれだ――を貼り、首を振った。

「寝なさい」

「話してくれるまで寝ません」

「熱も出てるんですよ!」

 じっとマダム・ポンフリーを見つめれば、彼女はたじろいだ。どうもホグワーツの教師の何人かは、ウィスタの眼に弱いらしい。母親そっくりの眼らしいから。利用するのは気がひけるが、手段を選んでいられない。

「この世でもっとも穢らわしい者。吸魂鬼。アズカバンの看守です。あの愚――魔法大臣がホグワーツに派遣したのです」

――愚かって言おうとしたよな?

 マダム・ポンフリーは魔法大臣がお好きではないと。確か曾祖父もあの莫迦とか言ってなかったか。いやスクリムジョールが言っていたのか。どうだっていいがあまり冴える男ではなさそうだ。

「んで、そいつらが……ホグワーツ特急に来たのは」

「シリウス・ブラック捕縛のためです。大臣の命を拡大解釈したのでしょう。あんなものはアズカバンに封印しておくべきであって、外に放つべきではないのです」

 怒りも露わに言いながら、彼女はウィスタの首にタオルを巻いた。完全に風邪の時の対処法になっている。

「車両内はリーマスが、車両外はダンブルドアが手を打ったのでしょう。追い払いました」

 銀色の光で闇が晴れてさ、とか雹が止んだとか生徒たちがおしゃべりしていたのでそのあたりは知っている。リーマスが「外は結構な――十、いや二十以上の吸魂鬼がいたようだ」と言っていたので、相当な腕前なのだろう。吸魂鬼を追い払った誰かは。もしかしたらダンブルドアが遠隔で何かをしたんだろうか。なにせ不死鳥のフォークスを従えるような規格外だ。ダンブルドア曰く「友人」らしいけれど。

「……今は休みなさい」

 断固として言われ、ウィスタは観念した。

「わかりました」

 布団をかけられ、カーテンを閉められる。マダム・ポンフリーが続き室へ去っていって、退屈のあまりカーテンの隙間をそっと開いた。窓からは校庭が見える。

――どうしちまったんだろう

 眼をつけられたと言われたけれどなぜなのか。ウィスタの魔力が多いからか。先学期はそれでトム・クソ野郎に粘着されたのだが。でもあれは魔力を吸われる感覚ではなかった。明らかに違った。だって。

「……あんなもん見たくねえよ」

 己の母親の死に際を。血にまみれた姿。のばされた手。たぶん母親だけなら逃げられたろうに。そんなに息子が大事だったのか。

『……をお■い――』

 最期の言葉は聞き取れず、緑の閃光に貫かれて逝った。忌まわしい杖は自分に向けられて、そこで途切れた。

 希代の闇祓い。彼女は死ぬ必要などなかったのだ……。

 唇を噛みながら、校庭の遙か向こうに横たわる禁断の森を見つめる。なにも心弾むものはなく、ひたすらに沈黙するのみ。す、と黒いなにかが窓枠から顔を覗かせた。

「……あ?」

 犬である。いや狼だろうか。それとも狼犬? とにかく黒くて大きい顔で、やたらと薄汚れていた。眼が合った――と思ったら、犬はぱちぱちと瞬いて、次の瞬間には身を翻していた。驚くほどの速度で森に駆け込んでいく。

――疲れてるな

 あんなでかい野良がいれば噂になってるだろう。疲れてる。ウィスタは疲れているのだ。それかファングの親戚か。かなり無理があるけれど。

「俺が欲しいのはニフラーだっての」

 カーテンを閉めて、今度こそ眠ろうと眼を瞑った。

「大事がなくてよかった」

 九月二日の早朝、医務室にやってきたのは一人の魔法使いだった。彼はウィスタに見舞いの品を渡し、慣れたように寝台そばの椅子に腰かける。亜麻色の髪にあさぎ色の双眸。穏やかで落ち着きがあって、女の子にもてそうであった。年はよくわからない。なんとなしにリーマスを思い浮かべた。

「……あなたがヘカテ?」

 半身を起こしたウィスタが問いかけると、彼は頷いた。マダム・ポンフリーは心得たように出て行って、室にはウィスタとヘカテだけだ。

「第七分家当主の息子、ヘカテと。あなたの母方の又従兄弟にあたります」

「親戚多すぎないか?」

 またややこしいではないか。もう駄目だ。クロードにナイアードにルキフェルだけでもややこしいのに。

「ウィーズリー家も多いですよ……あなたの祖父と私の祖父が兄弟でして」

 ヘカテはさらりと流し、ウィスタは顔をしかめた。ウィーズリー家も多いだろうけれど、リアイスほど密接な交流はしていなさそうではないか。アーサー小父一家は子沢山なので将来的にえらいことになりそうだが。

「あー……第七分家の筋ね。わかった」

 ウィスタの母方の祖母の筋ではなくて、その夫――ミスラ・リアイスの筋だ。第七分家は学者肌の人間が多く、薬師や癒者、薬草師などが多い。植物の扱いに長けた『緑の手』という者もいるらしかった。脱狼薬を代々研究している家筋でもある。

「申し訳ないことをしました。まさか……」

「――うちの曾祖父様はどう出るのかな」

 眼を伏せたヘカテに問いを投げる。謝罪なんていらないのだ。ウィスタはなにかすべきなのか、吸魂鬼の暴走をどう捉えるべきか考えなければならない。

「なにもなさらないかと。ダンブルドアが動くでしょう」

「連中を引き上げてくれると思う?」

「無理でしょうね」

 ファッジは悪人ではありませんが、大臣の椅子がお好きなので。ヘカテは鼻を鳴らした。昔、リーマスが「リアイス一族は傲岸不遜唯我独尊孤高不恭」と言っていた意味がわかってきた。リアイスにとっては魔法大臣など屁でもないようだ。

――こいつらが本気出したら

 魔法省を乗っ取れるんじゃないか。実戦部隊の闇祓い局は抑えられるだろうし、煙突飛行ネットワークも抑えられるし、癒者もいるし、大領地のゴドリックの谷を本拠にしてるし。権力に興味がないんじゃない。金も権力もたんまりあるから穏和しいだけだ。

 いまさらながら、とんでもないやつらの上に立つはめになったわけだ……とヘカテの顔を眺めていると、額に手を当てられた。

「熱はありませんね」

 手首に触れられる。

「脈も正常。マダム・ポンフリーも退院許可を出してくれるでしょう」

 チョコレートを持っておくように。どかっと積み上げられ、ウィスタは眼を瞑った。吸魂鬼にはチョコレート。昨年は栄養ドリンクの世話になり、今年はチョコレートの世話になるのか。最悪だ。

 ◆

 ポケットにチョコレートを詰め込み、ウィスタは退院した。城は九月なのに冷えていて、外は小雨が降っていた。心なしか霧も出ているようだ。

 寮へ行こうと階段を上っていると、見慣れた白金が映った。

「お前一限目はどうしたよ」

「僕は空いている。占い学なんて興味もない」

 踊り場でにやにやしながらウィスタを見下ろしているのは、親愛なるドラコ坊ちゃんであった。例によって例のごとくゴリラーズも一緒だ。仲良しか。

「気が合うなんて最高だ……で? 見舞いの品でもくれるのか」

「病弱な上に乞食か」

 は、とマルフォイが笑う。病弱はともかく乞食は言われ慣れているのでどうでもいい。

「僕と仲良くしておいたほうがいいぞ病弱」

「……なんかの薬品とか民間療法とかドラッグとか売りつけようとしてないか。ネズミ講はかーちゃんに駄目だって言われてない?」

「なんでそうなる!」

 マルフォイが吼え、ゴリラーズは適当に「そうだよなひどいよな」とか「ネズミ講ってなに?」とか言っていた。温室育ちの世間知らずどもだよまったく。

「あの英雄気取りのポッターと仲良くしてたら後悔するぞ」

 せせら笑うような調子から一転、声には不吉な響きがあった。

――いつもの絡みじゃない

 しかし、マルフォイの意図が掴めない。どこから突っ込めばいいのやら。

「いきなりなんだ。ハリーと殴り合いしたいのなら呼んできてやる。俺が誰と友達だろうが関係ないだろうお前には」

「僕が穢れた血のように拳を振るうとでも? あんなやつらと一緒にするな。いいか、言ったからな!」

 すっと指を突きつけて、マルフォイたちは階段を駆け下りて行った。最後の三段でなぜか階段が身震いして、悲鳴をあげて落ちていた。たいした高さではないからいいだろう。

「はあ……ゴドリック。なんであんたはスリザリン生を置いておいたんだ」

 祖先に苦情を言いながら、階段を上った。スリザリン生が全員が全員あんな差別主義者じゃないと思いたいが、印象が悪すぎる。あのノリでマグル社会に出てみろ。袋叩きだろう。

――本音がどうだとしても

 表向き身分制度がない魔法界だけれど、貴族――純血家が幅を利かせているし、差別がないわけじゃない。ついこの間『マグル保護法』が制定されたらしいが、中身はともかく名前の付け方が最悪だ。『人狼保護法』も最悪だ。

「……保護ね」

 上から目線なこった。苦いものを飲み下し、口端を吊り上げる。廊下に滑り出た時、窓の銀雨を透かしつつ、貴婦人がウィスタを待ち受けていた。

「ごきげんようレディ」

「ごきげんよう。獅子の子」

 灰色のレディは、軽く膝を折る。ウィスタは魔法騎士の礼をとった。

「なにかお困りですか」

「いい子ね」

 彼女の細い指が、窓の外――禁断の森を示す。

「哀れな宿なしをなんとかしてちょうだい」

「……は?」

 お前ならできるでしょう、獅子の子とレディに言われ――いいや脅され――ウィスタは隠し通路そのほかと、透明呪文を駆使して、校庭へ出た。傍らにはレディも一緒だ。といっても、彼女は存在を『薄く』して、見えなくなっている。「だって私が校庭になんていたら目立つもの」だそうだ。

 透明呪文が使えてよかった。ほんとによかった。ナイアードに鍛えられて死ぬ気で覚えたのだ。「いざというとき隠れられるように」とか言われてやらされた。フレッドとジョージとリーは使いこなせるが、ウィスタはまだ覚えてなかったのだ。

 小雨はいつの間にか大雨になり、濡れネズミになりながら、禁断の森へ駆け込んだ。

「こちらよ」

 レディが現れ、導かれるままに森の縁を往く。樹の根元に黒い塊がうずくまっていた。

「宿なし?」

 思わず指さしても、レディは堂々と頷いた。

「そうよ。おなかを空かせて汚らしいこの子」

「……汚らしい」

 玲瓏たる佳人――どこかの小説で使われていた言い回し――が言うと、やたらに刺さる。呪文を解いて塊のそばに膝を突く。黒い犬。グレートなんとかいう犬種ばりにでかい。あちこち傷だらけで、痩せていて、汚らしい。昨夜みた犬だ。間違いない。

「レディの飼ってた犬の子孫とか?」

「私は鷹を飼っていたのよ。この子は」

 私の大事な子が大事にしていたの。

 なんだかとても悲しそうに言った。ウィスタは首を振り、レディを見た。

「どうすればいい?」

「隠し場所まで案内するわ」

 誰にも見つからない。だってそこはあなたの部屋。

 グリフィンドールの部屋。




ヘカテ…第七分家の魔法使い。亜麻色の髪に浅葱の眼。
ウィスタの又従兄弟。
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