【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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二十五話

 用事を済ませ、隠し部屋で昼食をかき込んで、ウィスタは飛ぶように廊下を走り、最短経路で校庭――ハグリッドの小屋近くまでたどり着いた。雨は止んでいて、生徒の姿が何人か見えた。

「ウィスタ」

 変身術をさぼってどこ行ってたのさ、と小走りでやってきたのはハリーだ。ウィスタは「善行を積んできた」とだけ答えた。ハリーは首を傾げ「なんだよそれ」とつぶやいたけれど、深くは追求してこなかった。つき合いも三年目ともなると、互いの距離感がわかってくるものだ。

――説明が面倒だ

 レディに連行されて犬を見つけました。苦労しながら城まで連れて帰りました。なんせ犬もウィスタもずぶぬれで、九月なのに寒いし凍えて死にそうでした。前半だけでこれだ。さて後半。なんとグリフィンドールの部屋なるものがありました。おいおい。番人はウィスタの先祖のネフティスという魔法使いで、ゴドリック・グリフィンドールの孫にあたります。駄目だ。説明しても唖然とされるだけだ。ネフティスの肖像画はウィスタをすんなり通してくれました。そこは楽々と共同生活が送れそうな空間で、本がびっしり、家財道具もたっぷり、ネフティスに認められた者たちが残していったものの数々が。寝室もあるし、浴室もあるし、いたれりつくせり。たぶんハーマイオニーなら一生こもっていそうな夢の空間だ。

「……無理だろ」

「どうしたの」

「いや」

 情報量が多すぎる。そのうちに開示する事項がまた増えた。犬はネフティスの指示で洗浄呪文をかけて、乾かして、腐るほどあった治療薬をぶっかけて毛布をかけて放置してきた。「犬に人間用の薬品ってどうなの」と訊いてみたが「問題ない」と押し切られた。かなり雑だ。レディにあれこれと訊きたかったのに、ウィスタをグリフィンドールの部屋まで送ってさっさとどこかへ行ってしまったし。

――犬の飼い方なんて知らないぞ

 庭付きの一戸建てに住むような生活なんて夢のまた夢という環境だったし、諸々すっ飛ばして今は城が住居だ。邸宅ならまだしも城。ウィスタは個人で犬なんて飼ったことはなかったし、ふくろうはたいして手もかからないし、つまり飼育の経験がない。

 授業の間はネフティスに任せておこう。どうやら寮から直接『部屋』まで行ける術式が組まれているから、夕食後はこそっと動けるだろう。ホグワーツで飼えるのは猫とヒキガエルとふくろうだ。あくまで原則なのでダンブルドアに掛け合えばなんとかなるかもしれないが。『ご褒美』権を使う手もある。ただ、レディがわざわざ手引きした理由が気にかかった。

「よーしみんなそろっちょるな!」

 うきうきとした足どりで、ハグリッドがやってきた。秘密の部屋の汚名が晴らされ、今年から魔法生物飼育学の教授になったのだ。『谷』にいる間にそのあたりの情報は掴んでいて、いまさら驚かない。ただし保護者からの反発は大きそうだと言ったのはナイアードだった。ダンブルドアは奔放にすぎるとかなんとか、よく言われているそうだ。

「まず教科書を出して――」

「どうやって出せばいいんですかね?」

 小馬鹿にしたように言ったのはマルフォイであった。坊ちゃんが魔法生物飼育に興味があるなんてかなり意外だ。薄青の眼は不快を隠そうともしていない。ほかのスリザリン生も同じくだ。まさかケトルバーンが辞めてハグリッドが着任するとは思っていなかったのだろう。

「怪物的な怪物の本……噛みつく本だなんてよく指定し――」

「マルフォ――」

 飛び出しかけたハリーを後ろに追いやる。ロンはハーマイオニーが止めていた。世話の焼ける。

「脅すか撫でろ」

「待てウィスタ。撫ぜてやりゃあ……」

 ウィスタは芝生の上に『怪物的な怪物の本』を落とした。拘束しているわけでもないのに大変穏和しい。

「魔法使いらしく杖で脅せばいけたよ」

 かた、と本が震えた気がしたが無視だ。学用品が届いた当日、検分してみたら噛みついてきたのが悪い。

「みんなは……撫ぜてやろうな」

 ハグリッドは嘆息する。「生き物には優しくしてやれや」と小言をいわれたが、人類みなきょうだい、危険な大蜘蛛もきょうだい、ドラゴンもきょうだいな男に言われたくはない。秘密の部屋の冤罪事件だって、ハグリッドが大蜘蛛を飼わなければよかったのだ。冤罪は晴れたが大蜘蛛の不法輸入と持ち込みの件はダンブルドアが聞かなかったふりをした。というよりも、ハリーもロンもウィスタもぐるになって誤魔化した。いまさらほじくり返してもどうしようもない。禁断の森の奥深くに行かなければ問題がないわけで、そもそも禁断の森は一種の治外法権らしい。大蜘蛛が城にいるのなら問題にせざるを得ないが、禁断の森から出なければどうとでもなる。

 皆『怪物的な怪物の本』を穏和しくさせて、ハグリッドは安堵の息を吐いてどこかへ行ってしまった。

「あのでくの坊が教えるなんて」

 隙あらばとマルフォイが声を張り上げる。

「黙れマルフォイ」

「嫌なら授業を辞めろよ」

 ウィスタとハリーがすかさず言い返した。まだ第一回目だ。まさかグリフィンや二角獣を出してくるとも思えない。いちいち文句を言わないと気が済まないのだろう。面倒なやつ。

 は、とマルフォイが白い歯を見せた。

「リアイス、ポッター、お前たちの後ろに吸魂鬼が――」

 倒れたんだって? ほかにはだーーれもそんなことにならなかったのになあ。にやにやした顔のむかつくこと。

 腹がかっと熱くなる。

「吹っ飛べ」

 杖を構えて唱えれば、マルフォイがニ、三歩よろめいて尻もちを突いた。グリフィンドール生がどっと笑い、スリザリン生が「野蛮人め」と非難する。

「礼儀がなってないのはどっちだよ?」

 嘗められてたまるか。やられたらやり返せ。目には目を歯には歯をだ。マルフォイが杖を抜く。今度はハリーが前へ出たそのとき。

「すごいわ!」

 ハーマイオニーが放牧場の向こうを指さした。ウィスタは目を見開いた。

「第一回でこれは」

 十数頭のヒッポグリフが駆けてくる。半鳥半馬の魔法生物で、昔は戦にも使われていたらしい。鳥と獣の王といわれるグリフィンほどではないが、飼育は難しい。つまりだ。三年生には早いはずだ。

 ヒッポグリフたちはハグリッドの言うことをよく聞いて、囲いの中に整列した。

「初の授業はこれにしようと思っとった。俺が雛の時から育てたんだ」

 ハグリッドは誇らしげに胸を反らす。グリフィンドール生もスリザリン生もヒッポグリフの迫力にのまれて声も出ないようだ。

――見たことがあってよかった

 『谷』にヒッポグリフもグリフィンもいるし、天馬もいるのだ。天馬は移動の足で、ヒッポグリフとグリフィンは戦時の備えらしい。物騒である。

 ハグリッドが滔々と注意事項を述べていく。ヒッポグリフと視線を合わせたままお辞儀をしろ。いいか、ヒッポグリフに「乗せてもらうんだ」と。

 マルフォイは聞いちゃいなかった。なにやら相談中だ。ハリーはさりげなくマルフォイの後ろに陣取った。さすが慣れている。なにかやらかそうとしたら止めるつもりだろう……とぼーっと眺めていたら。

「ほいじゃあウィスタ、乗ってみろ」

「いやいや」

 ハグリッドはにこにこしていて「アリアドネもリーンも天馬を乗りこなしとったぞ」と爆弾を投下した。

「待って俺乗れるけどまだ地上しか――」

 半ばヒッポグリフの前までひきずられた。ウィスタはせめてもの抵抗でハリーに視線を投げた。

「僕もやるよ」

 やれやれと言わんばかりにハリーもやってきた。お前も道連れだ。

 それぞれヒッポグリフに頭を下げ、許しを得てまたがった。

 そうして気づいた。

 ヒッポグリフに鞍がないことに。

 ◆

 最期の会話は他愛のないものだった。行ってきますと言って彼女は去っていった。細い背中を見送って、それきりだ。それきりになるなんて思っていなかった。いいや。覚悟はしていたが――先に逝くのは自分だと思っていたのに。

 昏い水面から現実へと、意識が戻る。夢と現の紗が破られ、鮮やかな紅と黄金が眼を射る。

 見慣れた色だ。そして見慣れた室だ。

――いつのまに眠っていたのか

 真夜中に二人で忍んで、肖像画にも邪魔されないようにして。それから。隣を見る。あるべき影がなく、彼もまたあるべき姿ではなかった。黒い足に、黒い巨躯。かりそめの姿。

――なにがどうなって

 頭を振る。そうして思い出した。とっくのとうに儚い夢は潰えて、彼女だけ門の向こうへ行ってしまったこと。すべてを黙したまま死ぬはずだった己は、やむを得ず奈落から地上へと立ち戻ったこと。

「起きたか」

 久しいなあと肖像画は笑う。快活で、しかし藍の眼は陰っていて。

「さて天狼よ。血に背いた者よ。汝の目的は」

 静かな問い。彼は獣の姿を脱ぎ捨てた。教え込まれた魔法騎士の礼をとった。

「裏切り者を狩るため――」

 償うためです。

 ◆

 「……裸馬に乗せるって、やっちゃいけないと思うんだよ」

 夜、ウィスタはグリフィンドールの部屋で呟いた。犬は穏和しく伏せていて、上目づかいにウィスタを見ている。やせ細りみずぼらしいが、どこかで飼われていたのかと思うほど人慣れしていて、撫でられても嫌がらない。

「一般教養の部類だぞ」  

 我が子よ、とネフティスが言う。彼の時代――ざっと千年前は一般教養だったろうさ。ただし馬に乗れたのは一部の階級の者だけだったのではないか? ウィスタはそこまで歴史に詳しくないのでかなりぼんやりした想像だけれども。

「俺ははぐれ者のリアイスでね」

 どうやったって自嘲が漏れる。なにせ同じく鞍なしでヒッポグリフに乗ったハリーは、見事に着地してのけた。ウィスタはなんとかこなしたがヒッポグリフから転がり落ちた。マルフォイに思い切り笑われたのだ。

「時間が解決してくれる。よくやっているとも」

「そりゃあどうも」

 答えながら手を休めることはない。腐るほどある備蓄から、悩みに悩んでミルクとパンを取り出した。簡易厨房もあったので鍋でミルクを温めてちぎったパンを入れてやる。

「……ほぐした肉もいるのかな」

 タマネギとチョコが駄目だとどこかで聞いた覚えがあるが、弱った犬が生肉を消化できるかわからない。ネフティスの指示に従っているまでだ。ご先祖ならば猟犬を飼っていても不思議ではない。

 皿に移して居間に戻る。犬の近くに置いてやり、ウィスタは敷物に座って、バゲッドにあれこれ盛って食べ始めた。犬はふんふんと匂いを嗅いでゆっくり食べ始める。

「それで? ヒッポグリフが生徒に怪我をさせたと」

「マルフォイ家の坊で。調子に乗ってヒッポグリフを煽ってさ。腕をざっくり」

 莫迦すぎる。吐き捨てて、膝に乗る黒い前足に気づいた。灰色の眼が、皿に盛られたハムを捉えている。

「お前、弱ってるのに胃が受け付けるのか?」

 小言を言いつつも、あまりに哀れっぽく鳴かれて降参した。何枚か空になった皿に入れてやる。

「校医が治すだろう」

「そりゃな。セクタムセンプラで滅多切りされても助けてくれたからな。あれくらいなら傷跡も残らないだろうよ」

 よく生き延びたもんだ。後遺症もないし、傷跡は残ったものの仕方がない。首の痕は諦めて晒したままだ。冬はマフラーでも巻けばいい。

「息子の怪我をだしに……ルシウス・マルフォイが――どうした」

 犬がハムをくわえたまま硬直している。なんだなんだ保存呪文が実は失敗していて毒素でも発生していたのか。空いた片手で頭を撫でてやっても沈黙していた。

「過酷な野良生活で精神的に不安定なのだろう」

「あんた適当に言ってないか」

「さてな」

「……とにかく、マルフォイんとこがいちゃもんつけてきそう」

 ハグリッドは教師として不適格だとか、そこからダンブルドアの辞任だとか。

「昨年の件があるから、派手なことはできなかろう。理事会も魔法省もダンブルドアに負い目がある。さらには、ハグリッドを不当にアズカバン送りにしたことだし」

「あれ、公式に謝罪とかあったの?」

「あるわけなかろう」

 さすが魔法省。ダンブルドアもあえてなにも言わなかったのか……とまで考えて、ああと膝を叩いた。

「今回の件でなにか言われても」

「ハグリッドの冤罪が手札になろうな」

 本来ならば賠償金をふんだくれるのだぞとネフティスは付け加える。しかしウィスタは眼を逸らした。あんまり秘密の部屋の件をほじくり返すと、ハグリッドが違法にドラゴンを飼っていた件だとか、アクロマンチュアを飼っていた件が暴かれそうだ。

「俺の考える話でもないよな」

 ハリーたちは夕食後にハグリッドの小屋にすっ飛んで行ったけれど。どうせ行っても仕方がないと思ってウィスタは辞退した。まだ事件が起こったばかり。動くも動かないもないのだ。

「やるべきことは、よく食べて寝ること。そして犬の世話だ」

「それもかい」

「まずは名前をつけてやりたまえ」

「バロンとかでいいだろ」

 野良だけれどなんとなしに貴族っぽいし。ざっと洗って手当しただけだから毛はぼさぼさで絡まっているが、躾もきちんとできている。

「スナッフルズでよかろう」

「俺の案は無視か」

「これは男爵ではなく騎士だからな。かといってナイトと名付けるのもつまらん」

「もういいよスナッフルズで」

 なにを考えているかわからないご先祖様である。

 

 忙しくしているうちに数日が過ぎた。ハグリッドは人生の終わりのような顔をしているらしいし、実際に朝食や昼食の席でも浮かない顔をしていた。マルフォイのやつは「傷が痛むんだ……」とかなんとかほざいて、医務室に居座っていた。お前仮病はいいがあとで課題が大変だぞ。

「あいつ後先考えてないだろう」

 オニオンスープを飲み下し、ウィスタは言った。スリザリンは相変わらずウィスタとハリーをちらちら見ては、吸魂鬼の真似をしていた。お前ら縛り上げてあいつらの前に放り出してやろうか……と物騒な考えがよぎる。スリザリンは貴族が多いと聞くが、お育ちはよろしくないらしい。知っていたよ。

「マダム・ポンフリーに治せないはずないのに」

「そりゃあ死にかけも生かしたから」

「僕だってさぼりたいよ」

 ハリーが憤り、ロンがいささかずれた願望を口にする。そんなもんウィスタだってさぼりたいわ。

「でもねえ、痛まないってことを証明できないわけでしょう?」

 ハーマイオニーが嘆息する。

「マダム・ポンフリーも困ってたよ」

 三年生になっても医務室通いは続いていた。セクタムセンプラの傷跡もあるわ、孤児院時代の傷跡もあるわでウィスタの身体はなかなか悲惨なことになっているのだ。東の島国日本では温泉なるものがあるらしく、信じられないことに裸のつき合いなる文化があるそうだが、ウィスタは無理だ。グリフィンドールの部屋の、かつての住人が残した日記に書いてあった。

「うるさいから寝かせているんだとさ」

 凄腕の癒者はご機嫌斜めだった。ハグリッドはどうなると思います? と尋ねてみれば難しい顔をしていた。通常ならば減給処分で済むのだろうけど、ルシウス・マルフォイが理事会に手紙を送ったので、どう転ぶかわからないそうだ。

――ダンブルドアが巧くおさめるだろう

 そうじゃなきゃ、ハグリッドがああいう性格なのに教師にしないだろう。

 ハグリッドのことばかり考えてもいられない。たとえばロンのネズミをハーマイオニーの飼い猫が襲おうとしているだとか、今日は魔法薬学が控えているだとか、部屋に隠した犬――スナッフルズの世話だとか問題は山積みだ。

 朝食を終え、大広間から玄関ホールへ、そして地下へと足を運ぶ。行き交う生徒たちは「シリウス・ブラックが煙のように消え失せたんだって」とか「ダンブルドアも大げさだよな。リアイスのひとまで呼んで」と気ままにしゃべっていた。

「リアイスのひとたち、ウィスタは知ってるの?」

 ロンの青い眼がウィスタを見る。

「顔は合わせた。親戚だし」

 あんまりどういう人たちかは……とはぐらかしておいた。ウィスタが許可したから派遣されたんだぞだとか、ダンブルドアはたぶん、シリウス・ブラック対策ではなく吸魂鬼対策で呼んだんじゃないかな……とか。よけいなことは言わないに限る。彼らは校内を巡回していることもあれば、教師の手伝いをしていることもあった。たとえばスプラウトの魔法植物の手入れだとか、マダム・ポンフリーの代わりに医務室にいたりだとか。教師たちにも生徒たちにも受け入れられている。

「安心よね。ブラックがここに来ても」

「これだけ厳重にしていれば来ないんじゃない?」

 ハリーの声は期待に満ちている。わからんでもない。外――城との境界線――には吸魂鬼。中にはリアイスと教師陣。乗り込もうなんて無謀の極みだ。

「目撃証言がないらしいからなあ」

 脱獄囚なのだから、着の身着のままだろう。道々食料を調達しながら進んだとしても、下手をしたらのたれ死んでいるのではないか。それならそれで死んでいる確認がとれなければ、事態はなにも進まない。

「あれだハリー、来ないという証明ができなければ、どうしようもない」

 最近なにかを証明しなければならない問題が多い気がする。

 ◆

 魔法薬学はいつもの調子だった。つまりウィスタはいびられていた。ハリーもなにかにつけていびられていた。「ポッター、身だしなみがなっていないぞ」で五点減点なんて通常運転だ。

「悪いねリアイス」

「……坊ちゃんは不器用でいらっしゃいますからなあ」

 医務室から『生還』したマルフォイの世話係に任命されてしまい、ウィスタは笑顔をはり付けながらも、腸は煮えくり返っていた。

――こっすいなこいつ

 こすい、せこい、意地が悪い。ジャスティンやセドの性格の良さを見習えよ。

 ネズミの脾臓を切ってやり、萎び無花果の皮をむいてやる。仮病を使って他人に手伝わせて悦に入るなんて、ウィスタなら羞恥心で死ぬ。どこまで面の皮が厚いのだか。

 なるべく手早く作業を終えたとき、マルフォイのねっとりした視線とかち合った。寮監だからといってあの目つきまで真似をしなくとも。反射的に顔をしかめる。

「なんだよ。ご不満かよ?」

 言ってはなんだが完璧だ。傷が痛いと装っている莫迦にはもったいない出来だろう。

「僕と仲良くしていたほうがいいぞ」

「……お貴族様倶楽部に入るつもりはない」

「本当に知らないのか」

「なにが」

 わけのわからない坊ちゃんだ。意味ありげなことを言って攪乱しようとしているのか。けれどなんのために。

「ふん……」

 お前の周りの大人たちは、不誠実なんだな。

 哀れみのこもった言葉だった。

 

「諸君。見ていたまえ」

 教壇に立ち、スネイプが言う。片手にはヒキガエル。もう片手にはスポイトを持って、黒い眼が光っていた。

「ロングボトムの調合が失敗であるならば……失敗かと思うが……縮め薬は毒となっているはず。試してみればわかること」

 それもこれも君が不出来な調合をするからだとスネイプは言い放った。ネビルは青ざめ、眼の縁には涙が盛り上がっている。スリザリンの連中はにやにや笑ってこのちょっとした悲劇をみている。

――まあ……ほんとうに

 性格が悪いな寮監も寮生も。こいつら暇なのか。暇だから無駄に矜持が高くて無駄に意地が悪いのか。教師としての適性に関して、ハグリッドもたいがいだとは思うが、優しいし親切だ。ちょっとした欠点はあるにしろ。スネイプは育ちすぎた蝙蝠のように悪意をまき散らし、生徒をいじめているではないか。たとえ腕がよかろうが不適格だろう。理事会はハグリッドではなくこいつを槍玉にあげるべきだ。

「大丈夫よ」

 ハーマイオニーがささやいて、ネビルの肩をそっと叩く。ウィスタも小さく頷いた。調合は失敗していたが、ハーマイオニーが手助けしてちゃんとした縮め薬に仕上げたし、ここが一番大事なのだが縮め薬の調合を失敗したからといって、毒にはならないはずだ。スネイプはとろくさいネビルを虐めて楽しんでいるだけだ。悪趣味。

 ぽつ、と滴がトレバーの口に吸い込まれる。一拍後、軽い音を立ててトレバーはオタマジャクシになった。スネイプは舌打ちし、グリフィンドールは拍手した。が、ここで終わらせるスネイプではない。

「グレンジャー、君の鼻持ちならないでしゃばりな真似で、グリフィンドール十点減点」

 ◆

 肩を落とすハーマイオニーとおろおろするネビルを寮生みんなで慰めつつ、昼食に向かった。スネイプは最悪だと言い合いながら食べ終わり、闇の魔術に対する防衛術の教室に向かった。昨年ナイアードがぶんどっていた、やたらと広い室である。到着してもリーマスはまだ来ていなくて、わいわいがやがやと着席して杖を教科書を取り出す。双子とリーは「これぞまともな教師ってやつだ」とリーマスの授業を絶賛していたが、いったいどういう授業なのか。クィレルは広く薄く当たり障りのない授業であったし、ロックハートは論外。実質の教師だったナイアードは主に武装解除や実戦的な呪文について。さすがリアイス。どこまでも実戦型。さてナイアードが推薦したのだから、リーマスも腕がいいはずだ。ナイアード式を引き継いで実戦型にするのか、それとも……。

「やあ遅くなってしまったね」

 教材をなにも持たず、リーマスが駆け込んできた。ぐるっと教室を見回して小さく笑む。

「教科書をしまって。杖だけあればいい」

 リーマスの先導で寮生はがやがやと移動する。途中でピーブズがリーマスをからかったが、リーマスが軽くひとひねりした。うっとうしいからウィスタは『全身金縛り』をかけて追い打ちをかけた。なに俺の養父を侮辱してんだ。

 こっそりしたはずなのにリーマスにはバレていて「気にしなくていい」と囁かれた。ともかくも、一行は授業の場所――職員室に到着し、なんとうっとうしいことにスネイプがいた。いかんなく性格の悪さを発揮してネビルをいびる始末である。ハリーがスネイプを睨みつけ、ウィスタは歯噛みしながら我慢した。今度とんでもない仕返しをしてやろうではないか。

「……おや」

 リーマスが穏やかに笑んだ。ウィスタは眼を逸らした。スネイプよ。リーマスは猛烈に怒っているぞ。笑顔なのは怒りを表に出さないためだ。

「ネビルは巧くやりますよ」

「どうだか。悲惨な事故が起こらないようにお祈り申し上げよう」

 さっとスネイプが出て行って、リーマスはため息を吐いた。

「授業を始めようか」

 教材は職員室の時計のなかに隠れていた。まね妖怪といって、その名の通り他人の心を読みとって一番怖いものになる妖怪である。なるほどリーマスは魔法生物の対処法を今年教えるのか、と感心している暇はなかった。

「怖いものを思い浮かべて、どうやったらおかしな姿になるか考えてごらん」

 ネビルのように怖いものがスネイプで、それにど派手な帽子をかぶせるなんて策が浮かべば楽勝だろう。真っ赤なコートに真っ赤な帽子に、てっぺんには剥製なんて奇抜すぎないか。

 ウィスタの怖いものはなんだろう。ヴォルデモート? だけれどあいつは死に損なって隠れている。怖いというより殴りたい相手だ。では吸魂鬼? 確かに厭な相手だけれど、あのときはなにがなんやらだった。

――拙い

 怖いものはたくさんあるのだろううけど、わからなくなってきた。

「みんな準備はいいかい?」

 いかにも「俺は準備ばっちり」という風を装いつつ、内心は冷や汗だらだらであった。好きなもの、嫌いなものならはっきりしているが――怖いものなんて浮かばない。

 ぱっと時計がひらき、ネビルの前にスネイプが立つ。実物より背が高く、邪悪そうで、いかにネビルがスネイプを怖がっているかよくわかった。

「リディクラス!」

 ネビルがつっかえながら唱えると、ボガート=スネイプは派手すぎる婦人服をまとい、ウィスタは焦りが吹き飛んだ。腹がよじれるくらい寮生が笑って、ボガートはあっちにいきこっちにいき、次々と姿を変えていく。ロンの前では蜘蛛になり、あちらでは泣き妖怪になり……ハリーの前に転がろうとして、ボガートは突き飛ばされたように宙をとんだ。まさかハリーに隠された力が? と思って見てみれば、ハリーはぽかんとしている。そうこうしているうちに、ボガートがウィスタの前に着地した。

「こっちだ!」

 リーマスがあわてたように言う。だが、ボガートは姿を変えた。背が高くてスリザリンのネクタイを締めた上級生。

――イージス

 反射的にポケットのルーン石を取り出した。脂汗が滲む。あんな思いはたくさんだ……。

 と、イージスを輪郭を崩す。紅色が床に広がり。

「い、いやだああああ!」

 血だまりに、全身を切り裂かれた魔女が倒れていた。

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