【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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二十六話

「授業に出なくても支障はないだろう」

 休んでいいよと言われ、ウィスタはクッキーをひとくちかじった。闇の魔術に対する防衛術教授の私室。昨年ナイアードが分捕って、リーマスが引き継いだ。

「それは教師が言っちゃいけないと思うんだけど」

「養父として言っている」

 さらりと返されてはどうしようもない。リーマスの顔は青白く、それも酷いものだ。親友の死に様を不意打ちで見せつけられればそうもなるか。ウィスタも似たり寄ったりだ。気づけばリーマスの私室の長椅子に転がっていた。授業を打ち切ったリーマスが引きずるようにして私室まで運び(ウィスタは自失していたらしい)、長椅子に放り出した……らしい。

「まさかあんな……が出るなんて思わなかったんだ」

「君のせいじゃない」

 リーマスの声はかすれていて、いつもの理知的で穏やかな男はどこにもいなかった。いるのは双眸を揺らしどこか不安げなひとだ。

「私は……てっきりヴォルデモートが現れるものだと……だから、そのときになれば割って入ろうと思っていた」

「けど手違いがあった」

 不自然なまね妖怪の動き。リーマスの困り果て具合からして、彼は犯人ではないのだろう。

「それに関しては当たりはついているし、私の管轄ではない」

「うん」

 ひとまず頷いておく。リーマスが放っておけということは、ウィスタに実害はないのだろう。解決済みということだ。ならいい。

 紅茶を飲んで、どこから話したものかなあと視線をさまよわせる。ナイアードが使っていた時とは違って、室はすっきりしていた。変な魔法道具もなければ、床に本が積み上げられていることもない。殺風景ともいえた。すぐに離れることができるようにと、なるべく身軽にしているのだろう。なんだかなと思ったが、ウィスタが口を挟んでもどうしようもない。

「吸魂鬼が……あれを見せたんだ」

「当時」

 震えよじれた声だった。

「現場に駆けつけて……倒れているリーンを見つけた。あんな死に様で……雨に打たれて……」

 君が見ていたとは。リーマスが呻いて首を振った。

「物心つく前の話だぞ?」

「魂に灼きついた恐怖の記憶だ。覚えていないと思っていても、忘れたと思っていても、それはあるんだ」

 なるほどね。相づちを打つしかなかった。たかが記憶だと割り切るには、生々しい光景だった。夢ならばまだしも……。

――前もあったな

 魔法使いだと知らされたばかりのころ。リーマスに連れられて別邸への森を抜けていたとき。あれはなんなのだろう。灼きついた記憶とやらがあの場所だと再現されるのだろうか?

「吸魂鬼に眼をつけられたっていうのも――」

「……君がヴォルデモートに遭ったのは確実だった。ならば……恐怖も植え付けられたろう」

 滑らかな言だ。滑らかすぎるほどに。だいたいは本当のことを話しているが、何割かは嘘とみた。ここで無理に詰め寄って口を割らせる自信も気力もなかった。相手は養父で、ホグワーツの教師。しかもナイアードが推薦した教師だ。

「今年は防衛術三百点は無理だな」

 なんとこの学校、百点満点なくせにそれより上があるのだ。いいとも今年の首位はハーマイオニーに譲ろうじゃないか。興味もないし。

「私はなにも言わないよ」

 言っているも同然だ。学年末試験にはまね妖怪が出る。決定。

 ◆

「大変な噂になっているぞ。我が子よ」

「そうかい」

 授業は欠席して、夕食は厨房で食べて……と寮生を避けまくった。髪を金に、眼を灰色に変えて、ネクタイはレイブンクローカラーにして、まかり間違ってもウィスタだとばれないようにして、深夜『グリフィンドールの部屋』へ忍んだ。

 犬もといスナッフルズは巨体をだらりと伸ばしていて「ここは俺の家ですが何か」という堂々もといなんとなく偉そうな態度だった。回復したならよしとしよう。

「噂には慣れてるよ」

 ネフティスの気遣わしげな視線が煩わしい。

「やってらんねえ」

 愚痴りながらスナッフルズに抱きついた。せっせと手当して洗ったおかげでなんとも毛艶がいい。そしてでっかいので安定感がある。立てば成人男性の身長を超えるだろう。

 スナッフルズは嫌がるかと思いきやゆるゆると尻尾を振った。利口だ。

「明日には授業へ行くのだぞ」

「行かなくてもなんとかなる」

 なんとかなってしまうのだ。リアイスが優秀と言われる理由はいくつかあるが、幼少期からあれこれたたき込まれるからだろう。ウィスタなんてその『幼少期から』を急遽詰め込まれているくちだ。どんな莫迦でもそれなりに仕上がるのがリアイス式である。実態はただのスパルタ式。どこまでも実戦型。聞きかじった話では、母は学生時代に五人に襲われて返り討ちにしたとか。

「……寮生たちが心配していた」

「ふん」

「マルフォイ家の子は君を病弱だと」

「あ? 出る」

 あのクソ野郎。てめえただの擦り傷で死ぬだなんだと騒いでおいて。いっぺん締めたほうがいいか?

「ならばよい。風呂に入って早く寝るがいい」

 まるで保護者である。いや、先祖ではあるが。

――大型犬って

 体臭がきついのだっけ。毎日はいいだろうが、ついでだ。

 立ち上がる。「おいで」と促せば眼をぱちくりした。背中にファスナーでもついていないか。中に人間が入っていても驚かない。

「洗ってやるよ」

 脱衣所で服を脱ぐ。他人に肌を晒す気はないが、犬相手ならいいだろう。穏和しくお座りをしていたスナッフルズがまたもや固まっていた。きゅん、とかくん……とか悲しげな声を出す。

「風呂は嫌いか」

 スナッフルズは鼻を鳴らし首を振った。振ったように思う。ネフティスが「飛び抜けて賢くて自分の世話くらいはどうにかできる」と言っていたがあながち嘘でもないようだ。たぶんウィスタの言葉をある程度理解している。

「ダンブルドアは俺に甘くてな。個人風呂をせしめたんだが……ここのはそれよりもすごい。お前も気に入るだろう」

 うぅ、とスナッフルズは唸り、どこか不満げだ。

――犬はわからん

 いや、人間もわからない。ウィスタがどん底から這い上がったのはたったの数年前のことなのだから。未だに善意や優しさに慣れないのだ。

 黒い毛並みを撫でてやって、魔法使いと賢い犬は浴室へ踏み出した。

 ◆

「まあジェニファー今日のお茶は格別ですわね」

「あらうれしいわシャーリー」

 ホグワーツ大広間・グリフィンドールのテーブルで、ウィスタは頭痛をこらえた。繰り広げられているのはお茶会ごっこ。なんだか朝からスコーンその他てんこ盛りで、テーブルの一画に座っているのは貴婦人二人とおつき二人。

――レイブンクローやハッフルパフなら

 腹抱えて笑えてたのだろうなあ……と遠い眼になる。実際、二寮からはくすくす笑いが聞こえてきて、楽しそうだ。ウィスタもそっちに混ざりたい。

「あらあなたも食べなさいよ執事」

「そうよそうよ」

 執事は相伴に預からないだろうよとは言わず、スコーンを手で割った。莫迦なのではないかこの二人。ジェニファーとシャーリー。燃えるような赤毛と、派手な衣装――真っ赤で、帽子には鷹だかなんだかの剥製が載っている前衛的すぎるそれ――が壊滅的に似合っていない。

「なんで止めなかったんだよリー」

 ぼそぼそと問いかけたら「いやさ俺は冗談で言ったら本気になったんだもん」とリーは肩をすくめた。まね妖怪事件から一夜明けたらこの有様。悪質なごっこ遊びを双子はおっぱじめる始末である。ウィスタはなにも悪くない。大広間に降りたら異様な空気で、あれよあれよという間に引きずり込まれたのだ。

「……裁縫もできたのか」

「俺ら器用だから!」

 リーは胸を反らし淑女二人は「これくらいたしなみでしてよ」「お化粧も完璧」とにやりとした。厭だこいつら。『他愛もない』ごっこ遊びなので誰も叱れない。マクゴナガルは肩を震わせ――激怒している――リーマスは無表情。スネイプは腐った牛乳色の顔をしていた。

 昨日のまね妖怪事件のあてつけなのは明らかで。そりゃあもう明らかで、直接危害を加えるわけではないが精神をえぐるわけだ。双子がここまでノリノリなのは、尾鰭がつきまくった噂のせい。スネイプがなんらかの仕掛けをほどこしてウィスタをどうにか――しただとか、リーマスと嫌み合戦を繰り広げただとか、グリフィンドール生のペットを始末しようとしただとか、ほぼ本当で、少しだけ嘘の噂が出回ったのである。そしたらなにを思ったか双子が暴走した。誰か止めろ。

「ほんとこの生地はいいものねえ」

「ナイアードに感謝しないと」

 ほほほと双子が声をそろえる。なるほどね、ナイアードあんたが噛んでたのね。ちらと上座を見ればリーマスとマクゴナガルは天を仰いでいたし、スネイプは悪鬼の形相になっていた。やべえぞナイアード始末されるぞあんた。

「……もう十分見せつけたろう。引き上げよう」

「ええ、ヤダ」

「もう少しこの格好でいたい」

「そんな不格好かしらわたくしたち」

「頑張ったのに」

 才能の使い方を間違えている。顔のそばかすは綺麗に消えているし、どうやっていじくったんだか女顔というか、違和感がなくなっている。髪も伸ばしてるし、がっちりした肩幅はうまいこと誤魔化している。元々悪戯のために色々な呪文を知っているご両人であるが、ここまでやるとは思っていなかった。

「そんなにお前らが怒ることかよ」

 こそこそ言えばにやりとされた。

「だってなあ」

「いつまでも吸魂鬼ごっこしてるんだぜあいつら」

 ねえ、と顔を見合わせて大変仲がよくて結構なことだ。

「――罰則に持ち込みようがないからなあ」

 しれっとリーが言う。それはその通りで、あからさまな侮辱を口にしているわけでもなく、朝食でお茶会をしているだけであり、ホグワーツの制服を常に身につけるべしなんて条項はない。しかも制服にしたって男女で型は分かれているけれど、男が女の服を着てはいけないなんて規定もない。逆もまたしかり。スネイプにしたってここで言いがかりをつけて減点罰則にしようものなら笑い者になるだろう。

「朝飯食べたろう。行くぞ」

 悪質な双子を縛り上げ、大広間の外へと引きずっていった。道中あれこれと聞けたのだけれど「二人でどんないたずらにしようか相談してたら、お前の親戚のヘカテが通りかかって」「かくかくしかじかスネイプは酷いんだぜ、いっつもネビルは虐められてるし、そうそう、ハッフルパフもよく標的になってるみたいでー」「お下げの女の子……スーザンだっけ? こないだ泣いてたんだ内緒だぜ」と言ったらにっこりして『このすばらしい考えを提案してくれた』そうだ。ちなみにナイアードも即座に乗ったらしい。なにがあった。なにがヘカテとナイアードの怒りに触れたのだ。

 ひとまず莫迦と莫迦を物置に放り込み、着替えも放り込み息を吐いた。

「お前らマダム・マルキンに就職したら」

「壮大な計画があるから無理」

「ひとまずだな、そばかすを消す薬はできたから、そいつを売ってみる」

「……薬師にでもなるのか?」

 双子ならできそうだが、どうにも合わない。

「ノンノン」

「悪戯専門店をつくるのさ」

 どう、出資しない? と元気よく言われ「そばかす治療薬の試供品をひとまず配ってみろ」とだけ返した。

 服はともかく薬はさっさとできるものではないし、薬はもしかして妹のためだろうか。以前からつくっていたとすればありえる話だ。訊いても答えてくれないのだけれど。

 ◆

 極めて悪質な演出により、まね妖怪スネイプの記憶はホグワーツ生にくっきりと刻み込まれた。ちなみに双子はマクゴナガルから懇々と説教を食らったらしい。ウィスタとリーは巻き添え食っただけと認識されていて、難を逃れた。

 宝の持ち腐れだわと嘆息したのがハーマイオニー、ロンはいつものことさと流して、ハリーは絶対僕に対する当たりがきつくなるんだよと顔をひきつらせていた。

 グリフィンドールに対するスネイプの八つ当たりは酷くなった。ただ、なんでかネビルいじめは軽くなった。なくなってはいない。理由は誰も知らなかった。

 シリウス・ブラックの行方は相変わらずわからなくて、生徒の口の端にのぼることもなくなっていた。一見して、ホグワーツは平和そのものだった。

「……なんかなあ」

 十月三十一日、甘い匂いに包まれた城。生徒はハロウィンで浮かれているが、ウィスタは渋面だった。

「お菓子買ってきてあげるから」

「気を落とすなよ」

 昼食の席でハーマイオニーたちに慰められ「ありがとう」と流した。ホグズミード行きは裏口からならできるのだ。どうでもいいっちゃどうでもいい。夢見が悪いのはどうしようもないし、スナッフルズを枕にすればいくらか楽になる。

「厭な感じがするんだよなあ」

「またまたあ。今年のハロウィンはなんも起こらないだろう」

「ブラックが侵入するとか言わないよねウィスタ」

 ロンとハリーの言に、首を傾げた。厭な予感というよりも、厭な視線といったほうがいいか。口にしてもどうしようもないだろうか。廊下で、あるいは――グリフィンドール寮で感じるだなんて。

「……気のせいだと思うけどな」

 残念ながら『厭な予感』は的中した。夕食を早めに切り上げて、さっさと寮に戻ろうとしたら、いたのである。誰あろう、シリウス・ブラックが。

「頼む婦人入れてくれ」

「いけません。合言葉を知らないでしょう」

「生徒に危害を加えるつもりは――」

 ウィスタは己の運の悪さを呪った。なんでよりにもよって自分がブラックと対峙しなきゃいけないのか。ヘカテや他のリアイスや教師が出会ってもいいではないか!

「不法侵入しといてなに抜かしてんだ」

 手は勝手に杖を引き抜き、諸々の鬱憤をこめて呪文を放つ。紅の光線がブラックを襲うが、彼はしゃくに障るほどの鮮やかな身のこなしで避けた。

「てめえのせいでホグズミードに行けねえわ吸魂鬼は来るわ」

 めげずに、二、三と失神呪文を放つが腹が立つことに全部かわされた。どっから入ってきた。しかもこぎれいになっていやがる。

「お前太った貴婦人に当たったらどうするんだ」

「てめえに常識を説かれたくない」

 片手を振る。一族の『炎』を飛ばした。じきに増援が来るはず――。

「ああ、もう、面倒な!」

 ブラックは眼を怒らせ、流れるような動きで距離を詰めてきた。片手のナイフを刺してくるかと身構えれば、彼が狙っていたのは、ウィスタのもう一本の杖。

 思わずそっちかよと声が漏れる。ナイフに集中すべきではなかった。

 至近距離で足払いをかける。すれすれで回避され、面倒そうに唱えられた。

「失神せよ」

 

「十三の少年にしてはよくやったのでは」

「しかし杖を取られたのは痛い」

 三十一日深夜。ホグワーツ城医務室。整えられた寝台に身を起こし、ウィスタは好き勝手に振る舞う一族を見やった。誰も彼も淡々としていて、動揺の欠片も見られない。上流の方々とやらは『こう』なのか、それともリアイスが特殊なのか。

「君たちね、もっと他に言うことがあるだろう」

 椅子に腰かけ、青ざめたリーマスが言った。穏和な彼にしては珍しく、刺々しい。

「この子を心配するのはあなたの役目ですよ先輩」

 さらりと言ったのはヘカテで、彼は壁にもたれ掛かりながら飛んでくる『炎』を受け取っては返している。

 ウィスタが目覚めたとき、医務室にはもっと多くのリアイスがいたが、ヘカテともう二人を残して、城内に散っている。ブラックは煙のように姿を消して、寮の前に倒れていたのはウィスタだけ。いの一番に駆けつけたヘカテがウィスタを医務室に運んだのだそうだ。

「昔から思っていたが、リアイスはどうかしている」

「正気で千年の繁栄があるとお思いか」

 室の空気はすこぶる悪い。ウィスタはため息を吐く気にもならなかった。リーマスが狼狽えてくれただけで十分だ。まさか起きてそうそう抱きしめられると思わなかったが。

「リーマス、リアイスにはリアイスの流儀があります……私もどうかとは思いますが」

 古くて上質な椅子にきちんと腰かけたマクゴナガルが言う。肩をすくめるヘカテを無視して、ウィスタをきつい眼で見た。

「不審者を見かけたら先制攻撃ではなく逃げなさい。相手は大人の男なのですよ!」

 威厳たっぷりな言だったが「いや俺でも失神呪文だね」「まずは石化呪文では」「私でも先制攻撃だろう」と狂ったリアイスどもが茶々を入れた。

「お黙りなさい」

 はい先生、と元グリフィンドール生たちは穏和しくなった。リアイスといえばグリフィンドールに入るもので、つまりはマクゴナガルの教え子たちでもある。リーマスを先輩と呼ぶのも学生時代の名残のようだ。

 沈黙を埋めるように、宙に炎が燃え上がる。ヘカテが紙片を掴み取った。

「ブラックは逃走。発見ならず」

 ◆

「なにがしたかったんだか」

 ハロウィンから数日後、グリフィンドールの部屋。スナッフルズにブラシをかけながら、ウィスタは独りごちた。

「ハリーや俺を狙って寮へ忍び込もうとしたとして……そもそもなんでグリフィンドールの寮の場所知ってんだよ」

 疑問は尽きないのだけど、大人たちは「穏和しくしておきなさい」と言うばかりだ。周りはウィスタが冒険心に富んでいると誤解しがちだけれど、冒険が向こうからやってくるだけだ。あの日だってたまたま早く帰ったらブラックとばったり遭遇しただけだ。

「寮への経路はこの部屋からのもの、あとは肖像画の穴だけだ。しかるにブラックにとれる手段はひとつしかない。場所は……あれはグリフィンドール出身だからな」

「……は?」

 は? である。ブラック家といえば純血主義、スリザリン派の筆頭、マルフォイのような連中がうじゃうじゃなのではないか。

「あー……姓がブラックなだけで不倫とかそういうあれか」

 それなら納得である。頷くウィスタであったが、腕を軽く噛まれてスナッフルズを見やった。なんだか大変不機嫌そうだ。犬とはいえ表情豊かである。思えば、ハロウィンの翌日に訪ねたときはしょぼくれていた。悪いものでも食べたのかと思ったが、ネフティスは「放っておけ」と言うばかりだった。

「なぜお前はそういう下世話な方面に思考がいくのだ」

「そりゃあ下世話で下品でどうしようない場所でお育ちあそばせたから」

 ちらほらとまっとうな人間も――不良にいわせれば軟弱な人間も――いたけれど、結局は拳で物事を解決するような場所であったし、性には奔放だったのだ。村の誰それさんと誰それさんの奥さんがどうこうとか聞こえてきたものだ。

――だから

 リアイスの、ウィスタを子どもとして見ない態度もどうだってよかった 。彼らに悪意や敵意を向けられているわけでもないし、すべきことをしているだけだ。お前なんて価値がないだの、野良犬だの、気味が悪いだの言われることもないわけだ。こんなことをリーマスに開示しようもんなら、どういう衝撃を受けるかわかったものではないので言わないが。

「シリウス・ブラックはブラック家の嫡男だ。そういった憶測が流れたこともない」

「さいですか。でもグリフィンドールに組分けされた?」

「リーンがスリザリンに組分けされたのと似たようなものだ。帽子は本質をみる。血筋がどうこうと言われてはいるが、ならば双子で寮が分かれるはずもなかろう?」

 お前の学年にもいるだろうと問われ、パチル姉妹に思い至った。パーバティはグリフィンドールでパドマがレイブンクローだ。

「ほんとに他に通路はないんだろうな」

「肖像画だけだと考えてよい」

 他寮の生徒が無闇に出入りできないようにするために、出入り口は一つに絞っているようだ。なんでも「つまりお前が言うところの下世話なあれこれが起こっては困る」からだそうだ。さらには「寮内でも男子は女子寮に行けない」とも教えられた。ウィスタはわかりすぎるほどにわかってしまい、己の下世話で下品でどうしようもない場所の育ちにうんざりした。

「……狙いはどうあれ、杖は取り返すし殴るのは決定だ。なにが悲しくて死喰い人の手に」

 よりにもよってだ。ブラシを握る手に力がこもり、スナッフルズが悲しげにくぅんと鳴いた。

「痛かったな」

 耳の後ろをかいてやれば、黒い尾がゆらゆらと揺れた。

 ◆

「あからさまだな」

「あいつら進んで嫌われにいってて莫迦なのかと」

「莫迦なんだろう」

「……それで、セドリックはオーケーしたんだ?」

「そうとも」

 ウィスタと双子が好き放題に話している最中、ハリーがおずおずと、しかし的確な問いをオリバーに投げた。朝食のバナナジュースを一気に飲み、オリバーはぶすっとして頷いた。クィディッチシーズン開幕戦はグリフィンドール対スリザリンのはずだった。だというのに、スリザリンは「うちのシーカーの腕がまだ」とへたくそにもほどがある口実を使ってハッフルパフと順番を入れ替えたのだ。開幕戦の予報は大嵐で、そんな悪天候で試合をしたくなかったのだろう。

 ブラックの侵入から日が経って、ホグワーツ生の関心は狂った犯罪者から、クィディッチに移った。なにせ実害がほぼなくて、生徒にしてみれば大人が右往左往しているだけの話なのだ。わけのわからない侵入者より、目の前の楽しみのほうが優先だろう。

「セドがいいって言ったんなら、受け入れるしかないだろう」

 ウィスタはオリバーの肩を叩いた。始業式の日に吸魂鬼に遭遇したときでさえぴんしゃんしていた男が、クィディッチが絡むと途端にこうだ。なんでも「俺の情熱は吸魂鬼ごときに消せやしない」とのこと。そりゃお前情熱というよりも狂気じゃないのかと思ったものだ。とにかくオリバーは吸魂鬼が近づいても割合平気な人種であった。その頑丈さをわけてほしい。

「しかしなあ」

 これまでの作戦は対スリザリンを念頭に置いていたんだ。ハッフルパフとなると話が違ってくる、とオリバーはぼやいたが、ウィスタは一蹴し、双子もにやりとした。ついでにリーとアンジェリーナも首を突っ込んできた。

「あのな……」

「いやいやオリバー」

「我らがキャプテン」

「これまでの傾向からして」

「どうせあなた」

 ウィスタ、フレッド、ジョージ、リー、アンジェリーナときて、最後にハリーが締めくくった。

「もう各寮の対策は練ってあるんでしょ?」

「な、なぜそれを……まさか夏の間俺のことを監視していたのではないだろうな!」

 ねえよ、と誰かが言った。

 なにはともあれ、オリバーはさっさと気持ちを切り替えて、ざっくりした作戦の詰めとチームの調整に邁進していた。ウィスタとセドリックが親しいのは有名なことだったので、オリバーはウィスタから情報を引き出そうとした。セドリックが有名なだけで、ウィスタはおまけだろう。なにせセドリックは顔よし性格よし頭よし、しかも昨年『継承者』の疑いをかけられたウィスタをなにくれなく庇ったお陰で、株が爆上がりしたようだ。しかも本人に打算がないのだから恐れ入る。これでモテないほうがおかしい。

 友人への義理立てもあるので、オリバーの根ほり葉ほり攻撃をのらくらとかわした。といっても、提供できる情報などないに等しい。だからオリバーに言ってやった。

「スリザリンみたいに汚い真似をするやつじゃないんだ。しっかりチームを鍛えていつもどおりにやればいいさ」

 クィディッチの選手でもないのに追いかけ回され、ハリーからは「スネイプがルーピン先生のためになにか薬を!」と真剣な顔で打ち明けられ、占い学のインチキ女は相変わらずハリーの破滅の予言を声高に言っているようだしで、日々は忙しなく過ぎていった。

「まさか脱狼薬ですなんて言えないしなあ」

 真夜中のグリフィンドールの部屋に湯気が立つ。呟くような声なのは、成長期――いや思春期行事の声変わりの弊害だ。ウィスタの声は嗄れて、いつになったらまともな声になるのか見当もつかない。

「覚えておいて損はない」

 ネフティスは相も変わらず淡々としていた。発端は、体調を崩したリーマスの代理で、スネイプが教鞭をとり、どう考えても嫌がらせ目的で『人狼の見分け方と殺し方』の授業をした。ウィスタはすぐさまスネイプの意図に気づき、スネイプ曰く「無礼な態度」をとった……らこうなった。呼び出しを食らって「そんなに人狼が大事なら煎じ薬くらい作れるのだろうな。よかろう貴様があれのために煎じるがいい」と丸投げしてきたのだ。なんとびっくりな大人げのなさ。

「ハリーが勘違いするのも無理なかろうよ。あれはグリフィンドールと相性が悪い」

「知ってるよ……あー、ほんと、工程の短縮と薬価抑えてこれ? スネイプも嫌がるな……」

 合間合間に煎じるようにしているのだが、手間がかかること。元々は祖父ミスラが開発し、母リーンが改良したらしいが、それでも手に余る。半年分くらい作っておいて長期保存しておこうともくろんでいるのだが、心が折れそうだ。

「本来は高等魔法試験以上の難度だ」

「そらみろよ!」

「いいではないか。ある程度煎じ終わった薬があったのだから」

「そうですね」

 不思議なことにスナッフルズを枕にしながら、ネフティスに「これこれこういう経緯でなぜか俺が脱狼薬を」と言ったら、翌日には鍋材料その他脱狼薬基礎液が整然と並べられていたのだ。なにがあったとネフティスと道具その他を三度見したが「妖精さんの仕業」と投げやりな返事をもらった。疑問は腐るほどあったが、ウィスタは呑み込んだ。ここは魔法界で、しかもホグワーツだ。不思議なことくらい起こるだろう。きっと。

 『妖精さん』は大変マメらしく、ウィスタが力つきて爆睡しても、起きたら綺麗に畳んだ制服が置いてあるし、寝坊しても朝食がそろってるし、膨大な本の中から役立ちそうなものがどかっと置いてある。なんて有能な妖精さんなのか。

「お前は第七分家の血筋でもあるのだから、薬草や薬についてもよくよく勉強しておきなさい」

「はいはい」

「それで? グリフィンドールは勝てそうなのか」

「どうだろう」

 ハリーもセドリックも優秀だからなあとどっちつかずな回答になる。傍らでお座りをしているスナッフルズがぴくりと身じろいだ。

「オリバーには言ってないけど」

 セドも相当作戦練ってると思うね。

 ◆

「いいか穏和しくしとくんだぞ」

 ほんとは犬は飼えないんだから、とウィスタはスナッフルズに言い聞かせた。クィディッチ開幕戦、グリフィンドール対ハッフルパフ。観客席のてっぺんにウィスタはいた。朝食を食べて『部屋』へスナッフルズの様子を見に行けば、くんくんきゃんきゃん哀れっぽく鳴き、体当たりもといじゃれつかれ、ウィスタは押し倒された。それからああしてこうしてこうなった。

――クィディッチを観に行くかと訊いたら

 尻尾をぶんぶん振ったので連れてきたのだけれど、悪天候が味方した。透明呪文をスナッフルズにかけて、多少変な音がしてもわからないし、足跡なんて誰も気にしない。みんな雨風雷でそれどころじゃないのだ。

 己とスナッフルズに防水呪文をかけて、試合開始を待った。やがて選手が入場し――そこから先は誰にも試合運びがわからなかった。

 解説のリーの声が途切れ途切れに聞こえてくるだけ、銀の紗に隔てられ、選手は紅と黄色の影にしか見えない。

「どうするお前、帰るか?」

 ウィスタは正直飽き飽きしていた。が、スナッフルズは違うようで、身を乗り出して、耳をあちらこちらに動かし、眼は誰かを追っていた。

――ハリーに興味が?

 ハリーらしき影は、ひときわ高い場所を飛んでいた。ちょうど観客席よりも数段上。ざっと地上から二十メートルか三十メートル上か。あれほどの高さを飛ぶのはたいていシーカーだ。

 セドリックの黄色い影もぐるりと旋回している。ハリーの動きと競技場全体の動きを把握しているのだろう。

 スナッフルズはぱたぱたと尾を振って、ご機嫌である。対して空の機嫌は悪く、どこかに雷が落ち、競技場を白い輝きが染めた。はた、とハリーの動きが止まる。その間数秒。ウィスタは眼を細めた。スニッチを見つけたわけではない。なにかに気をとられている。とられて、我に返ったように上昇していく。いつの間にかセドリックが上にいた。ハッフルパフの歓声が響く。

「……げ」

 ハリーにしては凡ミスだ。セドリックが先にスニッチを見つけたらしい。ぎりぎりで追いつけるかどうか――。ハッフルパフは大喜びで、グリフィンドールは悲鳴を――悲鳴が――聞こえない。

――音がない?

 バカな。あれほどの音だ。天候が悪かろうが聞こえてくるはず。ああ、しかも霙になって雹まで……。

 杖を握りしめる。吐く息が白く凍る。視界が明滅する。

「しまっ」

 吸魂鬼。競技場に入ってきて、空を飛ぶ。そのうち何体かが。

 ウィスタめがけて、やってくる。




評価などありがとうございます。

メモ
ナイアードはネビルの従兄弟で、ヘカテはスーザンの従兄弟。
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