【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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炎のゴブレット
三十一話


「……お前だからこそできるのだろうよ」

 正気か、とアルバスに吐き捨てたのは従兄弟のアシュタルテである。夏休み中のホグワーツ城・校長室。勝手に出現させた革張りのソファに腰かけ、足を組み、アシュタルテはふんぞり返っている。自分がここの主だと言わんばかりだ。傲岸不遜唯我独尊孤高不恭のリアイスらしい。アシュタルテが恭しく接するのは伴侶のディアドラくらいのものだった……と懐かしく思い出す。ため息を堪えた。先視の姫君は随分前に逝ってしまった。アシュタルテだけが取り残された……。

「アラスターは君の要請だとしても聞いたのではないかの」

 気を取り直し、返してみてもアシュタルテはにべもない。

「どうだか」

 元闇祓いならいくらでもいるだろうに。ゴールドスタインしかり、リアイスしかり、と指を折っていく。そこにフォークスがやってきて、アシュタルテは厭そうな顔をしながら膝に乗せた。

「重いのだが」

 抗議の声にもフォークスは素知らぬ顔だ。わざと『重く』して遊んでいるのだ。アルバスの腕に器用に乗っても、重さを感じないのだ。

「二年で防衛の基礎、三年で闇の魔法生物への対処……となれば」

「より本格的な領域に踏み入れたいと?」

 知らんぞ。アシュタルテは投げやりだ。諦めて皺だらけの手でフォークスを撫でてやっていた。

「禁断の呪文を知っておいたほうがよかろうよ」

「――使おうとする愚か者が出なければいいがな」

 セクタムセンプラやインセンディオで傷害事件を起こした極めつきの莫迦者もいたしな、とアシュタルテは口から火を吐きそうだ。ダンブルドアは沈黙を守った。下手なことを言えば爆発すること必至だ。昨年とてついに校長室に突撃され、焼き討ち覚悟であった。わかっているともダンブルドアが全部悪いのだと。

「起こさせぬよ」

 返事は冷ややかな視線だった。

「……カルカロフ監視のためか」

「それもある」

「なにができるとも思わぬがな。ご主人様が戻ったとして……」

 アシュタルテの眉間の皺が深くなる。じわりじわりと魔力がにじみ出る。銀の魔法具が老いてなお猛々しい獅子に恐れをなし、小さく震える。

「我が一族の血を流し、穢した罪」

 その首で償ってもらうぞ。

 ヴォルデモート。

 ◆

 誇り高く、強い魔女だと言われていた。身に流れるのは紅と黄金の血統。双眸は至高の青。夕暮れがほんの少し混ざった群青色を、一部の者は尊んだ。

 グリフィンドールの末裔。本家当主《ランパント》。不遇な子ども時代を過ごし、されど闇に屈しなかった。

 繰り返し言ったものだ。それはお前の罪ではない。親の業を引き継ぐ必要もない。ならば俺はどうなるのだと。俺だって真っ黒い血が流れているのに。どれほどマグルを迫害し、蔑んできたか知れない。

 グリフィンドールの部屋に、余人はいなかった。肖像画は理由をつけて退席願った。ここには彼と彼女だけ。

「わたしは、いてはいけないの」

 なぜなのか、痛いほど分かった。すがりつく女の背を撫でながら、彼は唇を噛む。強いものか。どこもかしこも脆い。当然だろう。一族からは蔑まれ、爪弾きにされ、挙げ句に秘密を抱え。ようやくのことで吐き出せたのだ。よくも壊れなかったものだ。

「……望まれなかったのだわ……」

 うん、とだけ返した。女の受けた傷は深い。あまりに深く、おそらく癒えることない。母親に疎まれるとはそういうことだ。いいやもっと惨い。誰かが赤ん坊は母親を選んで生まれてくると言っていたが、大嘘だ。ならば女の母親はなんだったのだ。子の誕生を呪っていたろうに。

 惨い、と内心で独白する。名門に生まれ、健やかな身体を持ち、魔力も申し分なく、すべてを持っていると言っても過言ではない女だ。誰もが羨むはずの生まれだ。だというのに。

――決して欠かせてはならぬ愛を

 女は半分しか受け取っていない。その半分がなければ、闇に堕ちていただろう。

 細い身体を抱きすくめる。相反する思いがせめぎ合う。

 なあ、アリアドネ。あんたはなぜ産んだのだ。苦しみぬいて生きるのだと分かっていたろうに。

 けれど。

 

 産み落としてくれなければ、この女と出会うこともなかったのだ。

 

「……ねえわ」

 八月。ウィスタは闇毛の天馬から転がるように降り、石畳に膝を突いた。ぽたぽたと水が垂れ、敷石を濃く染めていく。天馬に髪を食われながら――毛繕いしているらしい――立ち上がる。片手には手綱。その先には淡く透き通るこれまた馬。水をそのまま馬の形にしたような具合だ。こちらは穏和しくたたずんでいる。

 ウィスタは嘆息し、ベンチに腰かけた。夏の陽射しはずぶぬれの身を乾かしてくれるだろう。

「十四の子どもに……」

 ちょっくら水魔を捕まえてこいと送り出されたのだ。そこらでピクニックでもしておいで、という気軽さで。ケルピーがいれば便利だぞとそそのかされたせいもある。

 かくして、肩に鴉を乗せ、闇毛の若駒にまたがり――グレニアン種はたいてい灰色なのだが、こいつは黒変種だ――『谷』にある湖畔へ向かった。霧の湖やら、貴婦人の湖やら呼ばれている場所だ。

 魔法生物学の第一人者ニュート・スキャマンダーが記すところによると、ケルピーは水辺に現れ、人を水中に引きずり込む。すると内臓だけが浮かんでくるそうだ。対処法を知っていれば殺されることはない。縄をかければいいだけである。そうするとケルピーは従って、こうしてウィスタの言うことを――こいつも毛繕いを始めやがった――聞くのだ。

 夏休みの日記なんて課題があれば、書くことには事欠かない。ケルピーの捕獲、ヒッポグリフや天馬で駆け回り、木剣で打ち合い。

――逃亡犯である父からは、時折土産が届く

 時に情報であったり、時に物品であったりと様々だ。ふくろうを使わなくとも『炎』でやりとりできるので楽だった。無論、日記に書くわけにはいかない話題だけれど。

 北から南まであちらこちらに行って、目撃情報をばらまいたらしい。フランスの闇祓い組織や北米の闇祓い組織が気づく頃にはとっくのとうに抜け出したようだ。気がかりがあるので英国に戻る、と手紙がきたので、そのうち戻ってくるだろう。ちなみに夏休みに入った当初、ウィスタにも監視がついていた。どうやら一応、念のためらしく、新人のトンクスとどうやら上級位にいるらしいキングズリー・シャックルボルトという闇祓い組だった。本来、キングズリーは犯罪者の息子の監視なんて雑用をするような下っ端ではないのだ。位は第十二階位。つまりは幹部であり、次期局長候補だ。ウィスタの母の生前の位は第十一階位。これもまた十分に局長位を狙える地位であったという。

 ウィスタも視線に気づいてはいたのだが、のんびりと夏休みを満喫した。牧場の手伝い、林檎ジュースをたらふく飲み、生き生きとした緑の中で思う存分転がりながら読書。ついでに乗馬。炎天下の中延々と監視任務も気の毒なので、さっさと近づいて林檎ジュースの瓶を渡してやった。

 監視のはずなのだが、局長にしかられるなとのんびり言って、キングズリーは木陰から姿を現した。トンクスはさっそうと木から飛び降りようとして、足をくじいた。惜しい。

 なぜ気づいたと問われ、適当にお茶を濁した。視線はなんとなく感じたが、明確な場所に気づけたのは鴉のおかげだ。賢い鴉である。

 そうして簡単に顔を合わせ「スクリムジョールさんには適当に言っておいて」とぶっちゃけた。俺の血統上の父親はいないし、どうしようもないよと。

――仮に所在地を教えたところで

 闇祓いが急行するか、当該国の魔法省が動く頃には雲隠れしているだろう。

 君は、とキングズリーは言った。私たちが君を捕縛するか不利益をもたらすとは思わなかったのかねと。

 答えはノーだ。あなたたちの局長は、そんなに暇じゃないし切れ者でしょう、と。そうかと深い声で言って、キングズリーはトンクスを促して帰って行った。トンクスが手をぶんぶん振って別れを惜しむので、闇祓いの威厳が台無しだった。

「とりあえず、凶悪犯の息子は監視したし、その結果……害はない……って報告をあげていればいいけど」

 ケルピーと天馬を撫でて、ひとりごちる。ファッジとしても頭が痛い問題だろう。シリウス・ブラックの手がかりを求めようにも、その息子はリアイスの子息で、しかもリーン・リアイスの息子であるし、闇祓い局の創設者アリアドネ・リアイスの孫で、しかもグリンデルバルドを倒したひとり、アシュタルテ・リアイスの曾孫である。取り扱い注意物件だ。理由をつけてどこかに監禁尋問もできない。

 どうも、今回の監視はルーファス・スクリムジョールの一手のようだ。手を打っていると印象づけたいファッジを落ち着かせるための、ゆるい監視。血気盛んな若手は使わず、ウィスタに好意的なトンクスと、職に忠実ではあるが、物事をよく知っているキングズリー・シャックルボルトを派遣した。

 曾祖父アシュタルテに報告したときも「さもあらん」と納得していた。どうせなら城に招いて歓待してやったらよかったのにと言われたのには面食らったが。たまにお茶目なのである。

 ともかくも、ウィスタから監視は外れ、自由である。かなり限定的な自由だけれど、それは考えないでおこう。

 ひとしきり撫でて、ケルピーと天馬は満足したようだ。ベンチから立ち上がり、今度はケルピーにまたがった。鞍がなくともなんとかなるだろう。軽く首筋を叩けば、ケルピーは駆け出した。後ろから天馬がついてくるのを確認し、速度をあげていった。

 ◆

「……なあクライン。正装一式準備ってどういうことだよ」

「坊ちゃま。背が随分と伸びましたね」

 問いかけてもしわくちゃの屋敷しもべは耳をぱたぱたさせるばかりである。ケルピーにまたがって意気揚々と帰ってみれば、執務室は布の見本市のような有様になっていた。即座に開きかけた扉を閉めようとすれば、有無をいわさず引きずりこまれた。「よい服とは精確な採寸から」となにやらヌード寸法を計ろうとするので拒否した。火傷切り傷その他のえげつない跡に関してはある程度割り切っているものの、服を剥かれて下着姿になるのは嫌であった。さんざん揉めた挙げ句に、別室にて屋敷しもべが採寸することで同意した。

「十四だしね」

 小汚くて貧弱な子どもではなくなった。黙っていればそれなりに見えるだろう。黙っていれば。自覚はあるのだ。あっても改善しないのがウィスタなのだが。

 クラインが涙ぐんでいるのはわかっているが、いつものことだ。この妖精はウィスタの母付きだったらしい。その前は祖母に付いていたと聞く。あれこれと思うところがあるのだろう。

――妖精が親代わりか

 母リーンと祖母アリアドネは折り合いが悪かった。いいや、悪かったでは生ぬるい。最悪だった。祖母は養育を放棄したらしく、妖精が世話を焼いた……。いくら娘がスリザリンに組分けされたからといって、異常にすぎる。だけれども、確かに祖母ならやりかねないのだ。トム・リドル――スリザリンの末裔に向ける憎しみを見てしまえば納得するしかない。

 あちらこちらと妖精が測っていく。小さな頭を見下ろしながら、苦い固まりを飲み下した。

 きっと母も妖精に寸法を測ってもらったのだろう。本当なら、あの生地がどう、この飾りがどう、と母親とおしゃべりするものだろうに。そういった機会はなかったに違いない。妖精との絆の深さは、親子の断絶の裏返しだ。

「坊ちゃま?」

 大きな眼がぐりぐりと動く。ウィスタは軽く首を振って「続けてくれ」と促した。

 余すところなく寸法が書かれた用紙を片手に、執務室に戻った。第二分家配下のリガーダント兄弟に渡せば、彼らは張り切って生地をウィスタに当て始めた。

「……どうせいま作っても活躍しないんじゃないか」

 言ってみたが、リガーダント兄弟どもは聞いてやいない。好き勝手に意見を戦わせ、やれ深い緑の生地がどうこう、光沢がどうこう、靴はこれと盛り上がっていた。なんでもいいから早く終われ。

「必ず必要になりますので。学用品リストにも書いていたでしょう」

「四年生以上は用意しておくこと?」

「それですとも」

「三校対抗試合絡みか」

「内緒です」

 絡みなんだな。どうせ突っ込んでも答えてくれないので、黙ることにした。リガーダント兄弟のおしゃべりに耳を傾けつつ、汚らしい襤褸をまとっていた数年前と、かいがいしく世話を焼かれ、服を仕立てている現在に思いを馳せる。あの場所に戻っても、誰もウィスタに気づかないだろう。それくらい変わったのだ……。

 心を無にして耐えていると、固い靴音とともに老魔法使いが入室してきた。

「なにをやっているリガーダント」

 よく透り、聞いた者は背筋を伸ばさずにはいられない声。獅子公アシュタルテ。曾祖父であった。

「ああ、アシュタルテ翁」

「どれもこれも映えるもので、つい」

「黒でよかろう。刺繍は黒の『剣に蔓薔薇』。一つだけ金糸にしておけ」

「承知しました」

 裏地は、靴は……と曾祖父は素早く決めていく。どうも人の服を見立てるのに慣れているらしい。驚くほどの早さで話がまとまり、騒がしい兄弟は去っていった。

「ありがとうございます」

「捕まると時間を食うからな」

「緊急の案件でも? ワームテールの居場所とか……」

 曾祖父が曾孫の服の見立てのためだけに、執務室にまで来るとは思えなかった。ううむ、と曾祖父は唸り、肩をすくめた。

「おそらくアルバニアに向かったのだろうが、不明だ」

「――首を落としておけばよかった」

「気にするでない」

 皺だらけの手が眉間をもみほぐす。歯でも痛むのか、たいそうなしかめっ面だ。

「では何の……?」

「おまえがほしがると思ってな」

 ひょいと封筒を渡される。断って中を改めると数枚のチケットが入っていた。クィディッチワールドカップの観戦チケット。しかも貴賓席だ。

「ウィーズリーの倅と息抜きしてこい」

「さすが曾祖父様」

 にこりとした瞬間、片眼がうずいた。ぱっと手で覆い、直感のまま告げた。

「――ヴォルデモートはどうやら」

 英国に戻るようです。

 

「なんとも規律正しい」

 声に、組んでいた腕をほどく。浅黄色の双眸がウィスタをじっと見ていた。

「――そう思われたのでは?」

「墓地みたいだ」

 あちらこちらにテントが張られ、火花が上がり、笑いさざめき……子どもが泣き、まるで祭りだ。いいや祭りなのだけれど。クィディッチワールドカップの決勝戦。アイルランド対ブルガリア戦。各国から人が集まり、収益を見込んだ商人どももやってきて、しっちゃかめっちゃかだ。おそらく裏では賭博もあるだろうし、なにかの取引もあるかもしれない。ともかくも魔法省の役人は大変だろう。

 曾祖父からもらったチケットを大事にしまい込み、完璧なマグルの格好でキャンプ地に到着したはいいが、ここまで混沌としているとは思わなかった。

 なにせ決勝戦ですからねえ、と言いながらヘカテが歩き始める。振り返って手を差し出されたが「僕は都会育ちでね」と固辞した。都会どころかど田舎育ちだ。あんまりにも人が多くて目眩がしそうだ。だからといって野郎と手をつないで仲良くする趣味はない。じゃあ、と野球帽を頭にのせられる。嘆息して深く被った。シリウス・ブラックは国際指名手配犯なのだ。ウィスタの容姿から察する者もいるかもしれない。父親の若い頃の写真を見せてもらったが、気色悪いくらい似ていた。ついでに叔父であるレギュラスの写真も見せてもらったが、これもまた似ていた。将来どういう顔になるか確定したようなものだ。結婚式の時に撮ったものだそうで、誰も彼も楽しそうにしていた。

――そして破綻したのだ

 浮かれ騒ぐ声が遠のいていく。たった一人の裏切りにより、すべては崩壊したのだ。それともワームテールが裏切らなかったとしても、避けられなかったのか。どうしたって隙は生まれる。守り人が裏切らず、邸にこもっていれば安全だが、それだけともいえる……。

 草を踏みにじる。今更ああだこうだ言っても仕方がない話だ。ウィスタに母はおらず、父は冤罪で指名手配犯になっていて、ワームテールはどこかにいる。きっとヴォルデモートのところへ行ったのだろう。ヴォルデモートを憑依させて英国の土を踏んでいるのかどうか、定かではない。片眼の痛みとともに「英国へ戻る」という閃きだけがあったのだ。

「どう出るつもりだ」

 ヴォルデモートはゴースト未満の残り滓だ。誰かに運んでもらったとして、英国に戻ったとしてなにができるのか。腰の杖を撫でる。東洋龍の角と賢者の石からできた逸品だ。逸品ではあるが、ただの杖である。ヴォルデモートが奪ったとしても賢者の石としての働きはしないだろう。残り滓と魔法使いでなにができるのか。

――憑依してもいずれ死ぬ

 乗り換えればいい話だが、そうそう手頃な『物件』はないだろう。それよりもワームテールに勝手に死なれると面倒だ。あれはウィスタにとっての証拠物件なのだから。俺ならいちいち器を探す手間を省きたい。だったら、なにか器をつくるとか?

 置いて行きますよ、と声をかけられ、はっとする。ヘカテが随分先に進んでいた。小走りで追いついてテントの群を縫い歩く。やがて古びたテントの前へ出た。

「やあヘカテ、ウィスタ」

 アーサー小父が片手をあげた。地べたに座ってロンと同じ色の眼を輝かせていた。薪が組み上げられ、マッチ棒の残骸が散らばっている。丸太に座り、なにをやってんだかという顔をしているのは双子だ。

 ウィスタは軽く挨拶し、薪のそばに膝を突いた。かなり適当に組んでいる。これでは火が安定しないだろう。さっと組み直し、アーサー小父を振り返った。

「ロンたちは?」

「水を汲みに行ってるよ」

「アグアメンティでどうにかできるのでは? 小父さん」

 できるだろうとも。アグアメンティはインセンディオの反対呪文だ。確か五年生か六年生で習う呪文だ。普通の使い方だと洗い物に使ったり、洗濯に使ったりする。やり方次第では水の球をつくって相手の顔を覆って溺死。物騒である。確実に俺もリアイスに染まっている。

「何を言うんだい。これは機密保持を守ることは大人として当然の……ああああぁヘカテ! テントはマグル式で……」

 小父さんの建前に付き合わず、ヘカテはウィスタたちのテントをさっと組み立てた。ウィーズリー一行が割り当てられている隣がウィスタたちの場所なのである。適当に手を回したのだろう。きっと。

「遊びに行っておいで。私はアーサーとおしゃべりしておこう。フレッド、ジョージもいいよ」

 柔らかな物言いだが、つまるところ「アーサーのお守りは任せて行ってこい」ということだ。双子はにやりとして、ウィスタはアーサー小父にマッチの使い方のコツを伝授して立ち上がった。

 ◆

「飯はうちからいろいろ持ってきてるから」

 ぶらぶらと歩きながら言えば、双子は歓声を上げた。

「助かるぜ」

「さすがリアイス様」

「おう」

 まさか曾祖父に相談したら「専属料理人を連れて行くか」だとか「キッチンカーごと持って行け」だとか返されたなんて言えない。規模が違う。そのうち孤島でも買い取ってウィスタのためにテーマパークでもぶっ建てそうだ。やりかねないしできてしまいそうだから怖い。

 ウッドを見かけたが避け――三人ともクィディッチ談義に巻き込まれるのは御免だった――悪友のリーと会った。双子はしばらくリー一家のところにいるようで、ウィスタは単独行動となった。

――また怒られそうだ

 しかし、四六時中誰かがべったりなんて無理な話だ。帽子を深く被り直したとき、肩に重みがかかった。曾祖父の鴉である。曾祖父のものかは知らないが。

「一人じゃないってこれで言えるな」

 屁理屈だ。鴉は嘴を鳴らした。ハリー、ロン、ハーマイオニーご一行は水を汲みに行ったらしいから、合流するかどうするか。どうせテントで会えるだろうし、急ぐこともないのだけれど。

 あてどなく進んでいるうちに、外国のティーンエイジャーの集団をみかけた。あれは魔法処の生徒なんだろうか、あっちはイルヴァモーニーで……。

「魔法処まで行ったら、さすがに何もごちゃごちゃ言われないよなたぶん」

 話し相手もいないので鴉に問いかけてみる。ホグワーツにいるからリアイスだとかブラックの息子だとか言われるのだ。学歴がほしいなら別の学校へ行ってもいいわけだ。

「それともイルヴァモーニーとか」

 たしかニュート・スキャマンダーの奥さん、凄腕の闇祓いの出身校である。寮が四つあるらしく、なんとなしにホグワーツに似ている。

「ボーバトンは駄目だろ。女子校だもんな。ダームストラングはどう?」

 鴉に頬をつつかれた。駄目らしい。あまりよくない噂も多いし、グリンデルバルドの出身校でもある。なにかやらかして放校処分になったようだけれど。

 対抗試合はボーバトンとダームストラングとホグワーツでやるんだっけかと考えを巡らせているうちに、森の中に入っていた。夏とはいえ、木陰に入ると随分冷える。それにこの森はあまり手入れをされていないようだ。野放図に草が伸び、枯れかけている木もある。ここで襲撃でもされたら面倒だな。すっかり用心深くなったウィスタは、踵を返そうとして銀色のきらめきが視界の端に映った。つ、と顔を向けるか向けないかのうちに鴉が飛んでいく。

「おかあさん? おねえちゃん?」

 茂みの側で小さな子が泣いている。ウィスタは杖を仕舞い、なるべくゆっくりと歩み寄った。

――フランス語か

 将来役に立つと言われて渋々やっていたが、まさか使う日が来るとは。

「とにかく森を出ようか」

 丁寧に言って、片膝を突く。どうやら女の子のようだ。綺麗な銀髪、涙に濡れた眼は深い青色。ついでに言えばおそろしく顔立ちが整っている。保護者は何をやっているのか。悪いやつがいたら何をするかわからないではないか。ぞっとしない話だ。

「おかあさんもおねえちゃんもいないの」

 うん、と返す。ひとまず上着を脱いで女の子に着せてやる。

「探しに行こう」

 手を差し出す。小さな手が重ねられた。あまりの警戒心のなさに頭痛がする。不審者に会ったら金的を蹴るくらい教えておけ。

「レディ、君のお名前は?」

「ガブリエル」

 女の子ことガブリエルはウィスタを見上げ、笑顔になった。

 

 どうしてどいつもこいつもあいつもそいつも女の子が一人で歩いているのに気にかけないのだ。しっかりとガブリエルと手をつなぎ、ウィスタは内心で苛々しながら、キャンプ場へ戻った。さっさとどうにかしないと誘拐犯扱いされるかもしれない。マグルの世界だって子どもの誘拐はあったし、そのおぞましさときたら。

「迷子預かり所に行こうな」

「私は迷子じゃないもん」

「失礼しましたレディ」

 さっきまで泣いていたのはどこのどいつだ。誰かと一緒で安心したのか、ガブリエルの足取りは軽い。ウィスタの足取りとは正反対だ。

――ハーマイオニーかジニーと合流できたらいいけど

 こういう時は女の子の助けが必要だ。生き残った男の子の金看板を背負ったハリーでも構わない。とにかく無事に預かり所まで到着して、係員に引き渡せばいい。

 ウィスタはどこのひとなの、だとかホグワーツ? だとかガブリエルのおしゃべりに付き合った。大変なつっこい。どうやらお姉ちゃんはボーバトンの生徒で、ものすごく美人であるらしい。そりゃあ妹がこれなのだから姉も相当だろう。問題は、ガブリエルをみていたらなんとなしにふわふわした気分になることだ。

――俺の守備範囲じゃないんだけど

 ないはずだ。守備範囲だったら問題だろう。倫理的に。

 首を振る。預かり所まではけっこう歩かないといけない。馬がいれば早いのだけど。天馬なら人混みも飛び越えられる。せめて箒を持ち込んでおくのだった。

 なんだかよからぬ視線を感じて帽子を脱ぐ。軽く洗浄して、ガブリエルの頭にのせてやった。

「大きすぎるわ」

「お守り代わりだよレディ」

 人目をひく容貌なのも大変だ。しかも誰も助けてくれないときた。世は無情。あれはアイルランドの、あっちはアメリカの、と解説をしながらじりじりと進む。アイルランド贔屓のところは緑にまみれているし、アメリカは花火をバンバン打ち上げてバーベキューをしている。機密保持なんて蹴り飛ばしているのは明らかだ。

「ウィスタ?」

 前からやってくるのはクインだった。マグダラ家のお嬢様だ。彼女を見た瞬間、頭にかかっていた靄が綺麗に晴れた。

「やあ」

「ええご機嫌よう……どうしたのその子?」

 クインもまたマグルの格好をしていて、なんだか新鮮だった。なにせホグワーツでしか会えないのだから。

「ああ、迷子で」

 間髪入れずに足を蹴られる。気が強いレディだ。

「観光案内人を仰せつかって」

 クインはじっとウィスタを見て、ガブリエルを見る。何事か呟いて顔をしかめた。

「一緒に行きましょう」

「あんたは神だよ」

「変な気分になってない?」

 そのままフランス語でやりとりする。クインも話せるようだった。さすがだ。なんだか胃のあたりがむずむずするが、気のせいだろう。

「いつもの通り湿っぽい顔をしてるよ」

 なあにそれ、とクインは口端をゆるめる。

――俺は何を考えていたのか

 ダームストラングやイルヴァモーニーに留学? 冗談じゃない。ホグワーツ一択だ。

 ◆

 ガブリエルを預かり所に引き渡し、はいさようならとはいかなかった。保護者が来るまでクインと二人でガブリエルの面倒を見て、小一時間。テントに飛び込んできたのは美人と美人であった。二人は案の定ガブリエルの母親と姉だった。礼を言われ、名前を問われたが「しがない通りすがりです」と逃げようとした……ら、姉のほうがウィスタをじっと見た。

――まさか

 死喰い人の息子だと露見したか。世間ではグリンデルバルド配下の関係者も嫌われているが、ヴォルデモート配下、つまり死喰い人関連も嫌われている。たしか大陸のほうだとグリンデルバルド関係のほうが恐怖の対象ではあるが。

「リアイス家の令息ね」

「ええ、レディ」

「ガブリエルはまたとない幸運を引き寄せたわ。どうなっていたことか……」

「ちなみになぜご存じで」

 シリウス・ブラックこと父の情報は流出していても不思議ではないが――リアイスがあれこれ抑えているにしても――ウィスタ自身の姿が出回っているとは思えない。

「個人的に知っているの。それにしても、夕暮れ混じりの至高の青色って本当なのね」

 そのうちわかるわ、とにっこりされる。ふっと花の香りがかすめたが、息を整えて気持ちを落ち着かせた。魅了呪文でもまとっているかのようだ。ともかく心が引っ張られそうになる。

「では、私たちはこれで」

 そっと腕を掴まれ、クインに促されテントを出る。背後から「ホグワーツで会いましょう」と声が追いかけてきた。

――転校でもしてくるのか

 あんな物凄い美人――美少女よりは美人が似合う――がやってきたら、ホグワーツはどうなるのだろうか。

 ◆

 ふらふらになりながらウィーズリー家のテントまで戻ると、昼食の準備が進んでいた。

「よく焼けているよ」

 ハリーが焦げ目のついたソーセージを差し出しきた。ハリーたちは久々に会うのだが、いまさら改まった挨拶をする仲でもなし。ありがたく受け取って丸太に腰を下ろす。

「おう、君がウィスタ・リアイスか」

 陽気な声とともに、蜂がやってきた。太った蜂……もとい眼が痛くなるような黄色のユニフォームを着た魔法使いだった。親しいおじさん、という雰囲気である。こんなおっさんは親戚にいないが。皆外面はいいが中身は血の気が多いのだ。

「ええ。あなたは――」

「ルード。魔法ゲームスポーツ部の部長だ。君のお母さんに助けられたことがある」

「それはそれは」

 握手を求められる。この人は安全だろう。ウィスタに対する興味はたっぷりあるが、輝く眸に陰はない。子どもがそのまま大人になったような印象だった。

「バーティ、しけた面してないでこっちに来いよ」

 ウェーザビー君と仕事の話をしてどうするよ、とルードが手招きする。さっきまでベーコンを食べていたヘカテがいつの間にか側にいて、首を傾げている間に魔法使いがやってきた。これぞ紳士という格好である。マグルの大企業の役員、あるいは取締役……それか裁判官だとか。お堅い職業に就いていそうな頑固さを感じる。

「鍋底のみならず製品の規格統一は難しいのだよルード」

「そのうち頭の血管が切れるぞ」

 な、とルードに片目を瞑られる。なんという暴投だろう。

「ドイツか日本の――マグルですけど――基準を参考にしてもいいかもしれませんね」

「ふむ」

 マグル、と聞いても相手からは何の反応もなかった。いいとこの出らしいが、マグル差別思想はないようだ。

「資料を集めねばならないか……私はバーティ・クラウチだ」

 クソ真面目だな、と茶々を入れるルードを無視し、クラウチは手を差し出してくる。軽く握手を交わしたが、さっと触れて離れただけだ。

――丁寧に接してくれてはいる

 が、どうもウィスタはクラウチ氏に嫌われているようだ。かなり。こういう時に限って逃げ出す口実はない。潔癖な者ほど汚点がある人間には厳しいのだ。

「パーシー、クラウチさんがあんたのスペシャルブレンドを飲みたいって」

「なんだって!?」

 パーシーが眼を白黒させた。スペシャルブレンドなんて口から出任せだ。しかしパーシーという男は人が好い。せっせと珈琲豆を引き始めた。そもそも豆を持ってきているとは知らなかった。この分では茶葉も持ち込んでいそうだ。追い払う、抜け出すができないのならばウェーザービー君に押しつけるのが吉。

「……それは私も飲みたいものだ」

 気配もなく誰かがやってきた。ぎょっとして振り向けば、なんとルーファス・スクリムジョールだ。

「ああ、ルーファス。あんたはカンヅメだと思っていたよ」

「籠もっていてばかりだと黴びるばかり」

 会場警備は闇祓い局も噛んでいるのでね、とルーファスは続ける。クラウチのように一分の隙もないスーツの着こなしではなく、ネクタイその他が洒落ているのに気づいた。ヘカテが「あのスーツはバリバリ戦闘用ですよ。釦も簡易魔法発動できるものですね」とひそひそ教えてくれる。

「局長が油を売っていていいのかね、ルーファス」

「私には信頼できる部下がいるので」

 ルーファスが笑顔になった。肉食獣の笑みである。なぜかウィスタ、ヘカテを挟んでルーファスとクラウチが対峙している。ルードはさっさとウィーズリー一家の側まで退避していた。

――なんなんだこの状況はよ

 猛獣と猛獣に挟まれている。そしてこの二人、とっても、大変、仲が悪いようだ。

「油を売っているとは心外な。現地の把握は仕事であるし、迷子を助けた善良な少年の顔を見に来るのも仕事だ」

「……さすがはアリアドネ局長の部下だな」

 上司の孫が気に入りか、とクラウチは続ける。ルーファスは肩をすくめた。

「穿ちすぎだ」

 嫌な沈黙が流れる。パーシーが「クラウチさん、お召し上がりになりますか」と割って入った。

「いいや。また今度にしよう。では失礼するよ」

 にこりともせずにクラウチが姿くらましする。ルードがため息を吐いて、ウィスタに近づいた。軽く肩を叩き、彼も姿くらました。  





人物・設定

ウィスタ・リアイス
ホグワーツ四年生。黒髪に深紅と群青の目。グリフィンドール所属。
名門リアイスの嫡子。本家当主《ランパント》。 
シリウス・ブラックの息子。犯罪者の息子扱いを受けることもしばしば。

リーン・リアイス
故人。闇祓い。先代本家当主。黒髪に群青の目。スリザリン出身。母親から疎まれて育った。

アリアドネ・リアイス
故人。闇祓い局創設者。リーンの母、ウィスタの祖母。白金の髪に群青の目。黄金のグリフィン。苛烈なるグリフィン。先々代本家当主。

アシュタルテ・リアイス
アリアドネの父。リーンの祖父、ウィスタの曾祖父。元筆頭分家当主《パッサント》。本家の姫君ディアドラを娶り、支えた魔法騎士。母がダンブルドア家出身。アルバス・ダンブルドアの従兄弟。

クロード・リアイス
筆頭分家当代当主。《パッサント》。先視の魔女。筆頭占者。ウィスタの又従姉妹。銀髪に氷のような薄青の眼。ウィスタ+16歳。バーティ・クラウチシニアの姪。家督継承権保持者。

ナイアード・リアイス
第二分家当代当主《ステータント》。錬金術師。闇祓い資格を保有。先年の闇の魔術に対する防衛術助教授。リーマス・ルーピンを教授に推薦。
黒髪に空色の眼。ウィスタ+14歳。実はネビルの従兄弟。

ルキフェル・リアイス
第三分家当主《シージャント》の次男。上に兄がいる。闇祓い。金髪に紫の眼。
ナイアードの従兄弟、ウィスタの又従兄弟。ウィスタ+15歳。

ヘカテ・リアイス
第七分家当主《ドーマント》の息子。上に兄と姉がひとりずついる。
亜麻色の髪にあさぎ色の眼の魔法使い。ウィスタの又従兄弟。ウィスタ+17歳。実はスーザンの従兄弟。

本家
ランパント 盟主
筆頭分家 パッサント  占術
第二分家 ステータント 錬金術
第三分家 シージャント 歴史・情報
第四分家 セイリャント 探索
第五分家 クーシャント 守人
第六分家 クーラント  獣使い
第七分家 ドーマント  学者

配下――リエーフ

エリュテイア・リアイス・リエーフ
リアイス家配下、リエーフ家の魔女。黒髪に灰緑の目。
ボーバトンに留学していたが帰還する。ウィスタの従者。
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