不穏な場面に居合わせもとい巻き込まれ、なにも言えないでいるうちにルーファスが去っていった。なぜか上着と帽子をくれた。クラウチよりよほど好感が持てる。
「祖母の部下だったって?」
気を取り直して食事を再開し、ヘカテに訊いてみる。答えたのはアーサー小父だった。
「彼女の腹心の部下と呼べるのは二人。ひとりはスクリムジョール。もうひとりがマッドアイだよ」
省内で有名だった、と懐かしそうに言う。なんでも二人とも局長候補に上り詰め、さあどちらが次の局長なのかと賭も行われていたようだ。
「でもパパ、マッドアイって……」
「――変人だって」
「ロン、ジニー、せめて独創的だと言いなさい」
ビルが優しくたしなめた。あまりたしなめる意味もなさそうだが。
「アズカバンの独房の半分を埋めたのがマッドアイさ」
今度はチャーリーが言う。そしてビルが引き取った。
「もう半分を埋めたのがリーン・リアイス」
生きていたら彼女が局長だったかもしれないな、とビルが呟く。アーサー小父がそっと息を吐いた。
「マッドアイは凄腕だが、ほとんど誰もついて来れなかった。単独行動を好んで、異常な勘で罪人の行動を読みとり、ともかく身軽で……ルーファスのほうが人望はあった」
でしょうね、と答えたのはヘカテだった。いささか覇気がないようだ。ウィスタの『お守り』で神経をすり減らしているのか。
「マッドアイってひとはともかく……偉いひとがこんなところまで来なくてもいいんじゃないですか、小父さん?」
ハリーが口を挟む。アーサー小父がぐるりと一同を見回し、眉根を寄せた。
「お祭りっていうのは騒動が付き物なのだよ」
◆
アーサー小父の予言は的中した。前代未聞のクィディッチワールドカップ決勝戦が終わり、アイルランドはどんちゃん騒ぎを繰り広げ、それだけならよかったのだ。
「このためだったのかもしれないわ」
ハーマイオニーが息を切らしながら言う。ウィスタは帽子をハーマイオニーに被せながら頷いた。
「すぐに鎮圧されるだろう」
あちらこちらで悲鳴が響いている。時刻は深夜。ヘカテに叩き起こされ、森まで逃げるように言われた。質の悪い暴動だと言って。
「……酷い」
ロンが息を整える。空が明るいほうを見て、耳を赤くしていた。マグルの一家が玩具にされているのだ。そうしてそれを見ながら、ウィスタたちは逃げてきた。
きっと大丈夫さとハリーが返し、けれども表情は冴えなかった。どこかで花火が上がる。けらけらと笑っている。彼らにとっては遊びで余興なのだろう。
――胸くそ悪い
虫の羽をもいでみたり、水に沈めたりするようなものだ。楽しいからやっている。傷つけても構わない。マグルは劣っているから。自分の父親が、そんな連中の仲間だと思われるのは腹立たしかった。
「隠れていよう」
囁いて、進み始める。あてなどない。方陣を描いていくつか呪文を重ねて騒ぎが収まるまで待つべきだ。あんな中に子どもが飛び込んだところで邪魔になるだけだし、ましてやリアイスの子――あるいは死喰い人の子――がいても混乱させる。ついでに生き残った男の子が登場しても同じだろう。マグルで遊んでいる連中の標的になりかねない。
「ジニーが心配だ」
「あいつらがいる」
まったく心配はいらないだろう。ウィーズリー家は純血だ。ウィスタが気がかりなのはむしろハーマイオニーだった。ハーマイオニーも察しているのか顔色が悪かった。杖を固く握りしめ、すがるように帽子のつばに触れている。
「……ない」
なにが、と言ったのは誰だったか。ウィスタ、ロン、ハーマイオニーは両手を広げたハリーを見た。
「杖がない」
「金は」
「無事。君が言ったんじゃないか。あちこち分散させろだとか、噛みつく財布に――いやそれはいいんだ。ないんだよ杖!」
ハーマイオニーが即座に「アクシオ、ハリーの杖」と唱えたら、甲高い声がした。明かりの外――影絵のような、茂みのほうだ。
「いけませんいけません……どうか――様!」
――なんでここに屋敷しもべが
主人の側にいるものではないのか。疑問は低い声にかき消された。
「闇来たれ」
緑の閃光が夜空に打ち上がる。花開いたのは髑髏と蛇。四方八方から悲鳴が聞こえる。
「逃げよう!」
ロンが叫ぶ。
「あれは拙いんだ。こんなところに居合わせたなんて……それか死喰い人が――」
「ロンあれは――」
「いいから」
ロンはハーマイオニーを、ウィスタはハリーを追い立てようとした。ウィスタも知識だけなら持っている。闇の印。不吉の象徴。
「あれはヴォルデモートの象徴」
なんだ、と言おうとして、いくつもの気配が降ってきた。いいや生じた。
「失神せよ!」
「妨害せよ!」
閃光が一斉にやってくる。ウィスタはとっさにハリーの頭を押さえつけ、己も伏せた。肩から重みが消える。羽ばたきの音。顔を地につけていてもなお、閃光は強烈だった。激しい音、振動。そして悲鳴。金色の光が溢れる。
「盾の呪文を誰が――」
「待てこの炎は」
しゅ、と風切り音が響く。
「杖を下ろしなさい」
冷たい――ぞっとするほど冷たく、しかし熱い声だった。ウィスタは顔を上げる。
銀色の弓矢を構えた背があった。ぴぃん、と弦音。踏み出そうとした誰かのつま先を縫い止める。
「――どこの生徒だ。いいや何者だ」
「待ちなさい。黄金の炎は――あれは」
リアイス、誰かが呟く。ふ、とウィスタたちを庇う影が笑った。
「リアイスなど恐れ多い。私は仕える者」
影が、ウィスタに一瞥をくれる。
「リエーフです」
白百合の騎士、とどこからともなく聞こえる。ウィスタは眼を見開いて、影を――彼女を見ることしかできなかった。覚えのある状況だった。
黄金の炎。現れた誰か。
「遅くなって申し訳ありませんでした」
我が君、と。
あのときと同じように彼女は言った。
「リエーフ。容疑者を庇うのかね」
「とんでもありませんクラウチ氏」
柔らかく、魔女が続ける。しかし、彼女の周りは陽炎のように揺らめいている。こぼれた魔力が空気をかき乱しているのだ。
「話し合おうと申し上げています」
――どの口が言うんだ
ウィスタは二の句が継げないまま、事態を見守るしかなかった。リエーフと呼ばれた魔女は弓矢を構えたまま。たとえば杖を振ろうとする。矢が飛ぶ。たとえば呪文の一音を口にする。矢が飛ぶ。魔女はいかにも慣れたように構えているし、腕前は実証済みである。暗がりでつま先――靴だけを射抜くなんてできないだろう。
「……ウィスタ・リアイス」
杖を構えたまま、クラウチが言った。
「なんとかしなさい」
「できませんよ」
「この場にいるリアイスは君だけだろう。リエーフに命じろ」
――ややこしいな
命じろ、というクラウチの言は正しい。リエーフはリアイスの配下である……らしい。ウィスタは知識として知っているだけだし、ここ数代、リエーフは沈黙していた。つまり形式としてはリアイスが主でリエーフが従なわけだが。主従関係が生きているかは不明だ。
「武器を下ろしてくれ」
仕方なしに命じ、声を張り上げた。
「まさか、ここにお集まりの皆様が――ハリー・ポッターやウィーズリー家の子やマグル生まれの魔女が闇の印を作ったなんて思っていないだろう!」
ひく、とクラウチの顔がひきつる。包囲のどこかで「ハリー・ポッターだって!?」と声が聞こえた。ついでに「待ってくれ私の子がいるに違いない!」とアーサー小父の叫びも聞こえた。
「パパ! 僕らめちゃくちゃ疑われてる! パパ!」
絶妙に哀れっぽくロンが叫んだ。
「闇の印が子どもに作れるわけがないだろう! ふざけてるのか! 通してくれ! どこのどいつだうちの子たちを疑って――」
どうやらアーサー小父はウィスタたちのことも「うちの子」に勘定してくれているらしい。ウィスタは緊迫した場面なのにも関わらず、胸が熱くなった。ハリーもそっと息を吐く。ウィスタたちは草やら土やらひっつけたまま立ち上がってはいた。しかし魔女の鉄壁の守りに阻まれて動けないでいる。
包囲を突き破り、赤毛が飛び込んでくる。続いてヘカテもやってきたようだ。
「ええい、なんだ君たちは子どもに杖を突きつけるとは恥を――」
「アーサー」
「しかもこんな人数で囲んで」
「アーサー」
小父は聞いちゃいない。パーシーそっくりである。杖明かりに眼を細めながら、ぐるりと現場を見渡して口を開けた。
「なんとクラウチさんどういう――え、は? お嬢さん、物騒なものは仕舞って――」
ディゴリーが額に手を当て、優しそうな魔女が天を仰いだ。
「子どもたちに杖を突きつけている莫迦者は私だが?」
アーサー小父が静止した。口端がひきつるのを確かに見た。クラウチは高官であり、アーサー小父は弱小部署の職員である。つまりクラウチは上位にあり、いささか拙い。
「うむ……ええ、緊急事態なので貴方も気が逸ったのでしょう。しかし杖は下ろしてください……そこのお嬢さんも武器を下ろして」
己の発言はさらりと流し、しかし謝罪することもなく、アーサー小父はクラウチと魔女の間に立った。
「容疑者はとうに去ったでしょう」
さりげなくクラウチの隣に陣取って、ヘカテが言う。
「調べないわけにはいくまい」
クラウチ、アーサー小父、魔女、ヘカテへとめまぐるしく視線をやりながらディゴリー氏が言った。そうしてウィスタたちを見た。
「君たちは何を見たのかね」
四人の間で視線が交わされた。ハーマイオニーが普段よりは勢いがないが、はきはきと答えた。暴動が起こり、森に隠れていたこと、そして声を聞いたこと。
「たぶん男のひとの声と――いえ、その前に高い声が……」
ふ、とハーマイオニーが言を切る。ロンが付け加えた。
「屋敷しもべ……みたいな」
ハリーが口だけを動かした。ウィスタは正確に読みとった。ウィンキー、と。
「しもべが……?」
誰かが言う。しもべを連れていたのなんて――それは……。
「見てこよう」
ウラウチの顔には感情らしき感情がなかった。不気味なほど静かな声でハーマイオニーに問いかけた。
「どこから聞こえたのかね」
あっちの茂みから、とハーマイオニーが示すや否や、磨かれた革靴が草を踏み、茂みへ分け入っていく。小枝が折れる音が厭に耳につく。一同が――闇の印が打ち上げられ、使命感に駆られてやってきた一同が――固唾を飲んで見守る中、クラウチが何かを片手にぶら下げて帰ってきた。スーツは乱れ、頬には一筋の汗が伝っている。彼は小さな、人形のようななにかを放り出した。なにかではない。屋敷しもべだ。ウィンキーだった。酷い、とハーマイオニーが言いかけたが、もう一つ放り出されたものに押し黙った。ウィスタは眼を瞑った。
――屋敷しもべの存在は予想していたけれど
これはないだろう。
「なんで――」
ハリーが震える声で言った。
「僕の杖があるんだ」
◆
クラウチめ、どこまでも不運な男
なにせ息子が――挙げ句にしもべまで
嫌疑……
ひそりひそりと声が渡る。ウィスタたちはヘカテとアーサー小父の背中を追った。身体が重い。ハリーが容疑者になりかけたり、大人のややこしいやりとりがあったり、かわいそうな妖精が解雇されたり、と最悪だった。時折聞こえるすすり泣きはウィンキーのものだ。彼女は銀の弓矢を背負った魔女に抱えられていた。
「……あんたのところで雇うのか」
名を呼ぼうとして、知らないことに気がついた。状況が状況だ。のんびり名乗り合っている時間なんてなかった。
「エリュテイア、と。エリュテイア・リアイス・リエーフと申します。我が君」
「……あんたに我が君呼ばわりされる覚えはとんとないのだけど?」
「生まれた時から決まっております」
――どうすりゃいいんだ
時代が違う。こんな台詞小説でもお目にかかれるかどうか。かろうじてアーサー王系統の物語ならありえるけれど。
「ウィスタ、あきらめたほうがいい。リエーフとはそういうものです」
ヘカテは振り向きもしない。驚いてもいないようだ。
「私はあなたに仕える者です……無論、お嫌なら――」
ぴんと張りつめた声が、いささか揺らいだ。先刻、見事な弓射を披露した魔女とは思えない。行き場のない子どものようだった。
「構わないけど」
――リエーフは引っ込んでたんじゃなかったのか、とか
聞きたいことは腐るほどある。リアイス配下リエーフ家。エリュテイアはそこの本家筋とでもいえばいいのか、嫡子だろう。ミドルネームにリアイスを持つのだから。エリュテイアはともかくとして、母の代も祖母の代も曾祖母の代も、リエーフは表舞台に現れなかった。少なくとも従者として仕えたとは聞いていない。いまさら出てきてどうしようというのか。
「我が君の周りは少々騒がしいと聞いております。微力ながらお役に立てればと」
「十分助かったよ……盾の呪文に迎撃に、とんでもないな」
エリュテイアが瞬いた。
「盾の呪文は私ではありませんよ」
「じゃあ誰が」
間違ってもウィスタは使っていない。無意識に魔法を使っていたとしたら、誰かを傷つける方向性のものだったろう。後ろを振り返っても、ハリーたちは首を振る。
「私の口からはなんとも」
エリュテイアは優雅に肩をすくめる。妙に大人びて見えた。なにもかも手慣れているような。灰緑の眼はどこか陰りがあった。
――こいつが俺の従者だって
手に負えるとも思えない。ひそかに吐息をこぼした時、肩に慣れた重みがかかった。ウィスタは鴉をそっと撫でた。
「どこ行ってたんだよ。どうしようか。さすがに人間を返品できないよ」
エリュテイアに聞こえないように囁く。鴉は嘴を鳴らすだけ。はいなのかいいえなのかわかりやしなかった。
と、と地に降り立つ。ウィスタはしゃがみ込み、吐き気をこらえた。付き添い姿くらましなんて大嫌いだ。馬か箒のほうがいい。曾祖父だって馬のほうがいいと言っていた。
呼吸をどうにか整え、顔を上げる。涼しい顔をしているヘカテと、エリュテイアを見た。
「ヘカテはともかくなんであんたはできるんだよ?」
「年の功です」
エリュテイアは静かに答えた。年の功もなにもあるか。どうやら同い年らしいし、ヘカテも「何を言っているんだか」という顔をしているし。
「ええと、我が君のお側に侍るために」
「わかった」
首を振る。そうともリエーフとはそういうものだと割り切るしかないのだろう。奇妙な言動はあるものの、腕は確かだ。姿くらまし現し術は、試験に合格しないと使ってはいけないのだが……眼を瞑ろう。ウィスタにそこまでの遵法精神はないのだ。
「ウィンキーの身の振り方を決めてやって、ええと報告して休んで……休みたいな……」
嘆息して馬に乗る。暴動から始まる一連の騒動の最中、ウィスタはヘカテに引きずられるようにして『谷』に戻った。当初の予定ではウィーズリー家に顔を出せるはずだったのだ。小母さんの顔を見ておきたかったのだが。どうせ常日頃から世話になっている礼とか言って、金銭を渡そうとしても拒否されるに決まっている。なのでバーベキューの残りと称して食材を渡すつもりだったのだ。食べ盛りがたんといるのだ。いくらあっても困らないだろう。ヘカテがアーサー小父に押しつけた。そうして仮眠すらとらずに出発したのだ。
「パッサント城へ行きましょうか」
ヘカテもまた馬に乗る。後ろにはエリュテイアが乗っていた。ウィスタは薔薇の香に眼を細め、夜明けの青い闇の中を、白馬が駆けてくるのを認めた。
「パッサントでいい。クロードのお出迎えだ」
鈴の音とともに、白馬が止まる。馬上から淡い青の眼が向けられた。
「ウィンキーは私が引き取る。ウィスタ、曾祖父様が首を長くしてお待ちよ」
◆
「……で、今に至る」
『谷』の外れ、深い森に抱かれた邸――本家別邸の、整えられた居間でウィスタは珈琲をすすった。
「災難だったな」
「まったくもって」
骨ばった手がパンをちぎる。テーブルの向かいにいるのは誰あろう実父である。英国に戻ると言っていたのは本当で、曾祖父への報告を済ませ、仮眠をとって訪ねてみればいたのである。出迎えはリーマスだろうと思っていたので正直なところ面食らった。我が実父ながら行動が早い。とにかく早い。
「クラウチも思うところがあるんだろう。着々と地位を固めていたのに、不祥事で左遷されたから。息子が死喰い人として捕縛されたのだ」
「ははあ」
ウィスタに対する反応も、ウィンキーに対する仕打ちも合点がいった。潔癖な父親。犯罪者の息子。クラウチは名誉を重んじる人間なのだろう。
「その息子は?」
「アズカバン行きとなって獄中死した。ただ……」
「本人は否定していたけれどね」
トーストとスクランブルエッグがテーブルに載る。リーマスだった。エリュテイアに「食べなさい」と促した。
「席を共にするの――」
「あんたもホグワーツに行くんだろうたぶん。細かいことは気にするな」
反論を封じ込める。謙虚な従者なことだ。涙が出る。
「それともあんたは別の寮に行くのか」
「私はグリフィンドールに参ります」
するりとエリュテイアが席に座った。あまりにも確信に満ちた言に瞬く。
「リエーフも代々グリフィンドール? でも組分けは絶対決まっているわけじゃ……」
「もう組分けは済ませているのですよ。英国に戻り、ホグワーツに行って諸々の準備は終えています。荷物も運び込んでいますし」
手回しが良すぎる……と、保護者二人が呟いた。ウィスタも同感だ。
「無論、我が君がレイブンクローに行ってもハッフルパフに行っても……」
「スリザリンでも?」
そっと聞けば小さく頷かれた。
「組分け帽子次第ですもの。あれは私の説得に応じてくれる」
「俺にそこまで張り付かなくていいんだぞ」
異性だから風呂その他は除外できるだろうが、それ以外はべったりなのではないか。密着二十四時か。ハリーたちとは友人で、行動をともにすることも多いのだけど、エリュテイアは一段上だ。
「……側につけておけ」
「ほう。父親らしいじゃないかパッドフット」
リーマスがからかえば、実父は顔をしかめる。
「わかっているだろうムーニー? リーンの時はろくに護衛もいなかった」
ジェームズは張り付きたかったみたいだが、と結ぶ。実父と母がどうして結婚したのかも謎なのだが、ハリーの父と己の母が幼なじみなのも不思議な気がする。
「いっそ僕がスリザリンに入っていれば! と嘆くことしばしば」
「よい心がけです」
エリュテイアは満足そうだ。ウィスタは眼を泳がせた。親の世代の関係性がよくわからなくなってきた。つまりだ、なぜに母はジェームズ小父を選ばなかったのか。
「あいつ兄ちゃんぶりたかったからな」
「リーンにしばかれてたのにね」
「だから、護衛は――」
いらない。言おうとしたが灰緑の眼に黙らされた。捨てられた子犬のような眼を向けないでほしい。
「どうせ寮が一緒なんだからわかったよ」
主従なんて嘘だ。エリュテイアが主でウィスタが従だ。
「例年とは違って第三勢力も入ってくる。用心だけはしておけ」
「ボーバトンとダームストラング?」
ああ、と父は頷いた。珈琲を飲み干して、指を組む。
「特にダームストラング。誰かが紛れ込んでいてもわからない。三校対抗試合でなにかをしようとしているのかも――」
「魔法生物の輸入とか種の手配とかで報告上がってきてはいるんだけど、誰も全然、試合がどういうものか教えてくれないんだ」
概要すらも概要未満という始末だ。三校で試合します。三種目あります。交流試合です。以上。実質なにもわからない。
「代表選手を各校から一人出す。三種目の競技に挑んでもらう。心配するな。どうせリアイスは出られない」
それともお前は一千ガリオンがほしいのか。問われ、片眉を上げた。初耳だ。
「ガリオンは別に。試合も特には。リアイスが出られないっていうのは」
「競技の手配に噛むのと……」
「昔は、リアイスが出たら優勝する確率が高くて。実力を示す機会だと喜んで出ていたようだ」
お前達が出たら勝ってしまうから出るななんて、乱暴な話もあったものだ。
それでね、とため息を吐いたのはリーマスだった。
「どんどん競技が過激……いいや複雑化して、死者累々」
「わかったリアイスは出なくていい!」
弊害が凄まじい。穏和しく裏方で結構だ。さらに詳しく聞いてみると、優勝枠はたいていリアイスやあちらの名門で争っていたようだ。これでは公平性に欠けると判断され、あげくに死者も多く、交流試合の意味もなくなって、衰退。なにをとち狂ったのか魔法省が数年かけて準備して今年復活させるのだ。
ウィスタは実父と養父を眺め回した。やけに用心深い。
――確かに
一年の頃から散々な目にはあっているし、心配するのもわかるのだけど。
「対抗試合で何かが仕掛けられると思う理由は」
単刀直入に切り出せば、思わぬ答えが返ってきた。
「魔法省の職員が行方不明だ。そこからやつに情報が漏れた可能性がある」
重々しい声だった。実父は胸元を――首から下げた一対の指輪を握りしめる。
「名をバーサ。魔法スポーツゲーム部所属……当然三校対抗試合のことも知っていたはず。そう――」
ホグワーツで行われることも。
あれこれと頭の片隅に留めておくべき問題はあった。バーサ・ジョーキンズ行方不明の件も、クィディッチワールドカップの騒動も解決していないのだ。
「暴れていたのは死喰い人が一割でしょう。残りは祭りに浮かれた痴れ者かと」
静かに言って、エリュテイアの手は魔法植物を採取していく。本家別邸には小さな園があるのだ。薬草がたくさん植わっていて、もちろん脱狼薬の材料となるものも植わっている。八月も後半になり、そろそろあれこれ準備しなければならない。教科書その他と新しいローブ一式は揃っている。あとはホグワーツでも調合できるように己の材料を確保するだけだった。いちいち生徒用の棚に取りに行くのも面倒だ。
ついでにハーマイオニーが「オレガノのエキスがほしいのよね」とこぼしていたので摘んでおく。薄紫色の花をつけ、荒れ地でも育つ植物だ。動いたり悪臭を放つわけでもないし、マグルの世界でも一般的な植物なのだけど、ほとんどホグワーツで過ごすわけなので、植物を育てる余裕があまりないらしい。
「穏和しくしてりゃあいいもんを」
死喰い人に関しては父二人が詳しかった。あいつとあいつとそいつとそいつがどうこうで、生徒のうち誰それが死喰い人の子だとか。中でも「マルフォイは絶対死喰い人だった」と断言した。なんでだよと訊けば「レギュラスの情報だ」と実父は言った。
――叔父のレギュラスは死喰い人だったのだ
とはいえスパイとして潜り込んだに過ぎなかったらしく、ヴォルデモートの気に入りの一人だったようだ。なにせ純血主義のブラック家の当主である。すんなりと入り込めた。
『だがあいつは行方不明になった』
おそらくスパイなのが露見して殺されたのか……。実父は言葉少なだった。元々おしゃべりだったかは知らないが、アズカバンでの十数年間が多少なりとも影響しているのだろう。若い頃の写真にあった、明るい笑顔はない。
「――マグルを別の生き物と見なす者は多いですから」
エリュテイアの声に引き戻される。
「生き物ときたか」
違う人種とはいかないのがなんとも生々しい。文化が違いますのでね、と返される。それにマグルの側も我々を別種のものとみなしていた、と。
「ただの善良な老婆を魔女だと言って処刑したり、病をまき散らすと村ごと焼いたり……遠い昔の話です」
静けさの中に一欠片の痛みがあった。感受性が強いのか、それともほかの理由かウィスタにはわからない。従者の言動には不可解な点が多いのだけどあえて訊かないようにしている。話したければ話すだろうさ。
「捕まえたのがチンピラばかりってのが痛いなあ」
闇祓いも配置されていたが、広範囲で暴動が起こったので本星である死喰い人の皆様には逃げられたようだ。魔法省は「クィディッチワールドカップでの失態」とかで叩かれている。魔法大臣のファッジはたいして好きじゃあないがさすがに気の毒であった。
「どうにか火消しするでしょう。要人が襲われなかっただけよしとすべきです」
「おっしゃる通りで」
外国の要人も招かれていたのだ。なにもなくて不幸中の幸いだった。ただ祭りに浮かれた連中だけあって、マグル虐めに勤しんでいただけだ。これが本格的な組織だった暴動であれば、真っ先にファッジやほかの要人が狙われたことだろう。あとはあれこれ嗅ぎ回った記者が、バーサの行方不明やクラウチの屋敷しもべとウィスタ達が現場にいたことをすっぱ抜かなかったことも幸いだった。あれこれと面倒が積み重なっていただろう。
『バーサの件はこちらに任せておけ』
実父は請け合った。本当はアルバニアに踏み込みたかったようだが、一旦英国に戻ってからあらためて赴くことにしたらしい。ウィスタも「好きにすれば」と返した。我ながら可愛げのない返事もあったものだ。たぶんハリーのほうが愛想がある。
そしてハリーで思い出した。
「エリュテイア、お使いを頼みたい」
「なんなりと」
「オリバンダーに、杖の製作を依頼してくれ」
従者は流れるように立ち上がる。
「素材はございます?」
おそらくオリバンダーは泣いて喜ぶだろう。希少も希少。この世に二つとない代物だ。
「バジリスクの鱗を」
◆
エリュテイアと犬の姿の実父をダイアゴン横丁に送り出した。リーマスが「シリウス退屈そうだから連れて行ってやってくれないか」と頼まれたのだ。名目はエリュテイアのお供である。エリュテイア本人は「構いませんよ」と承知した。優秀な従者に護衛なんて必要ないのだが、建前は必要だった。本人も守られる気はさらさらないようで「なにかございましたら父君は必ず逃がします」やら「我が君は私が戻るまで邸にいてくださいませ」やら言われた。ウィスタがふらふらとどこかに出かけるとでも思っているだろうか。計画を練れば『谷』を抜け出すことはできるかもしれないが、骨が折れるのだ。それに無断外出は絶対にばれる。
送り出して一時間ほどでエリュテイアと実父は帰ってきた。オリバンダーは小躍りしていたそうだ。
「十一月にホグワーツにお届けすると」
「わざわざ?」
夕食をつつきながらウィスタは首を傾げた。オリバンダーは爺さんである。ウィスタのほうが冬休みやイースター休暇に取りに行くつもりだったのだ。
「ご用事がほかにあるようで」
「ならいいけど」
二本目の杖が手に入るのならなんでもいいのだ。母の杖は実父に渡っているし、そろそろ杖がほしかった。
エリュテイアがふっと視線を泳がせる。直後鋭い音とともに小さな影が現れた。ウィスタ付きの屋敷しもべ、クラインの息子だった。
「どうした」
「坊ちゃまにお客様がおいでになります」
屋敷しもべは恭しく礼をする。
「誰だ」
「害はございません。我々の同胞です」
――屋敷しもべ?
私が出ましょう、とエリュテイアが玄関へ向かう。しばらくすると小鐘が鳴った。実父は素早く犬になり、リーマスは興味深そうに玄関のほうを見る。ウィスタも席を立った。
「……で、誰だったんだエリュテイア?」
エリュテイアが振り向く。
「雇ってほしいそうで」
「足りてるからなあ」
言いつつ、従者の横をすり抜ける。耳をぱたぱたさせ、大きな眼を輝かせ、けれども屋敷しもべはみすぼらしかった。
「どうかお若い坊ちゃま、お雇いになってくれませんか」
「技能その他応相談だな。どうした、雇われてたとこが没落でもしたのか」
ウィスタはしゃがみこんだ。変な屋敷しもべだ。片方の足に薄汚れた靴下を履いている。
「ああ、坊ちゃまはお優しい。このように薄汚れたしもべなど、門前払いしますのに」
「失業者には優しいんだ。で、どうなの」
「元いたところはそれはそれは潤っておりまして、没落はしておりませんが……とにかく悪、」
い、と言おうとしたのか、かった、と言おうとしたのか不明である。失業屋敷しもべははっと眼を見開くと地面に飛び込んだ。いいや頭を打ち付けた。
「ドビーは悪い子!」
「出たよドビーは悪い子」
ハリーから聞いていた通りだ。ドビーはとにかくすぐに自分にお仕置きしようとするから止めるのが大変だったとかなんとか。そう、ドビーだ。
「お前が噂のドビーか!」
マルフォイ家に仕えていた屋敷しもべ、ハリーを救おうと騒動を引き起こした前科のある妖精は「ドビーの悪評は千里を走っているのですか」と目を剥いた。
エリュテイア…従者。一章に出てきた『白百合の騎士』。できる魔女。秘密主義。主人公専用セ◯ム。