【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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三十三話

「生徒は公共交通機関で行くんじゃないのか」

「あくまでも原則だ」

 ふてぶてしい空色の眼を睨みつけた。時は八月三十一日夜。場所はおそらくスコットランドのどこか――の上空。馬車のなか、ナイアードは足を組んでいる。御者はナイアードの側近、リガーダント兄弟の兄のほうだ。弟は留守居である。

――これだもんな

 ため息も出ない。変わったお客であるドビーを宥めすかし、水を一杯やって落ち着かせ、ダンブルドア宛の手紙を託しホグワーツに送り出したのがつい数日前だ。ちょうどよいのでドビーにはウィンキーのことも託した。泣き暮らしているよりもホグワーツで働いたほうが気も紛れるだろう。どうやら今年は城の厨房が忙しくなるようだし。

 そして明日はホグワーツだ、準備は万端だと思っていたら、夕方頃にナイアードが現れて「ダンブルドアに届け物があるからおいで」と言われて馬車に放り込まれた。

「あんたが直々に持って行くのってなんなんだ」

「俺のご先祖が作った聖杯」

「マーリンも円卓の騎士もいるから驚かないけど――本当のところは?」

 聖人の血を受けたものが聖なるなんとかと呼ばれることがある。聖槍ロンギヌスだとか、聖杯だとか。実際にあったかどうかは脇に置いて、リアイス家の気質からしてただの象徴的ななにかをつくるとも思えないのだ。グリフィンドール信仰とも言うべき思想と、政治屋戦争屋、あるいは騎士的な側面を併せ持つ。つまりなにか実用的な機能があるはずなのだ。

「三校対抗試合で使うんだ」

 どうやら重要な役割を果たすらしい。ふくろう便や『炎』で送れる代物ではないのだろう。優勝者には一千ガリオンとトロフィーが贈られるそうなので、聖杯は別の用途がある。側近に任せてもいいとは思うが、ナイアードの性格上、外出の機会は逃さない。よほど仕事が厭らしい。

 ◆

 ホグワーツに到着し、感慨にふける間もなく校長室に向かった。ナイアードは木箱を抱え、ウィスタは荷物もなく身軽だ。先導を務めるのはエリュテイアで、彼女は迷うことなく進んでいく。

――留学していたはずなのに

 先日までボーバトンにいたのだ。ホグワーツの道に通じているはずがない。隠し通路を使って最短経路を選んでいる。何年も何年もホグワーツにいたような落ち着きぶりだ。有能な従者のことだから――大人の魔法使いの一斉射撃にもひるまず、黄金の炎であたりを薙払う魔女を有能と言わずになんと言えばいい――帰国しホグワーツを訪ねた際に道順を覚えたのかもしれないが。

「ご苦労だったの」

 ダンブルドアに歓迎され、席に着いた。卓には夕食が並んでいる。見慣れない料理がいくつかあった。料理長が新規メニューを開発したのだろうか。厨房の長で、仕事熱心で、ウィスタや双子やリーによく試作品を食べさせてくれるのだ。食べ盛りなので遠慮なく食べれば感動されるのだ。

「十月に客人が来るからの」

 ウィスタの視線に気づいたのか、ダンブルドアが言う。

「大陸のほうの料理ってことですか」

 英国は島国で、ボーバトンヤダームストラングとは文化が違う。もちろん料理も違う。ただ、両校とも正確な位置は不明だ。魔法学校の場所は秘匿されるのが常だ。マグルはもちろん部外者にも。

「はりきっておるよ」

 気合の入れようはわかった。ダンブルドアは爺なので勘定に入らないが、ウィスタとナイアードなら平らげられるだろう。

「あとはクリスマスに向けて今から試作品の嵐じゃ」

 料理長の料理魂に火がついているのはわかった。客人も来るのだし、腕の見せ所だろう。

「君も楽しみにしているとよい。今年のクリスマスは特別じゃよ」

「……なにをするんです」

 ダンブルドアの笑顔に不吉な予感を覚えた。大人がやたらと上機嫌なとき、ろくでもないことが起こるものだ。

「内緒じゃよ」

 君には申し込みが殺到するじゃろうのお、とくすくす笑われ、聞き出そうと頑張ったが無駄だった。ナイアードまでにやにやしている。エリュテイアは静かなものだった。フォークスに毛繕いされていたからそれどころではなかったのかもしれない。

 ウィスタは仕方なく別の話題を振った。

「防衛術教授は誰なんです?」

 リーマスが不名誉な形で学校を去り、後釜の話が出ていなかった。これでスネイプが防衛術教授になろうものなら全力で阻止するし一日足らずで辞めさせてやる。人の秘密を「うっかり」「聞こえるように」「大広間で」暴露したのはスネイプだ。辞めるようにし向けたも同然だし、ホグワーツの教師としてもありえない。そんなに気に入らないならダンブルドアに抗議するのが筋だろう。

「あー、人間誰しも過ちは犯すものじゃ」

「そりゃあ先生は人間を善なる者と信じてらっしゃるようですけどね」

「完全な人間はおらぬ」

「知ってますとも」

 声が尖る。ウィスタとスネイプの関係は少々複雑だ。母親とスネイプが友人で、どうやら友人というより親友だったらしくて。父親とスネイプの仲は最悪。そして実父そっくりの容姿のせいか、スネイプはウィスタのことを嫌っている。嫌っているのかと思えば叫びの屋敷に踏み込んできた。事態がややこしくなるからヘカテに失神させられたけれども。ただ、リーマスがホグワーツを去る原因となったのは確かで、つまり許せるはずがないのだ。せめてあんな形で去っていなければ、スネイプに対する感情が好転はしないな。

「心配せずともよい。儂の友人を呼び寄せた」

 曾祖父ではないのは確実だ。ダンブルドアと曾祖父は従兄弟どうしで、友人とは言えない。ダンブルドアに遠慮容赦なく言える間柄というだけだ。さすがに曾祖父が教師として赴任してくるなんて御免であるし。

「君とも多少は縁がある。アラスター・ムーディじゃよウィスタ」

 ダンブルドアの眼はきらきらしている。トランクの中から宝物を引っ張り出して見せに来る子どものようだった。

「それは先生……」

 結構な手札を切りましたね、と答えるしかなかった。

 

「……変人だって本当だったんだ」

 九月一日早朝、手紙を握りしめウィスタは呟いた。マクゴナガルの室で朝食をとっていたらこれだ。

「口を慎みなさい」

 すかさずマクゴナガルに窘められるが、ウィスタは首を振った。『炎』で飛ばされてきた手紙を差し出す。中身をあらためた親愛なる女史は歯が猛烈に痛むかのような顔をしていた。

「……火炎放射をお見舞いするゴミ箱やら、動く石像やら、襲撃してくる鴉やらその他諸々を邸に仕掛けるって変人じゃなくてなんなんですか先生」

「防犯意識が高くて結構なことです」

 苦し言い訳にもほどがあった。さて。通称マッドアイ、本名アラスター・ムーディは腕利きの闇祓いである。あった、と言ったほうが正しいか。年齢はダンブルドアより下、ついでにウィスタの祖母アリアドネと近いようだ。代々公職についていたムーディ家の出身で、マグル風に言うと代々警察官の家系のようなものだ。英国の闇祓いの歴史は浅く、祖母アリアドネが魔法省のいくつかの組織から人を引き抜いて統合し、治安維持部隊より上位――軍をつくった。それが闇祓い局だ。ムーディも引き抜かれた一人で、アズカバンの独房の半分を埋めたとされる。腕はいいが変人、常識の枠から外れている等々の噂は聞いていた。ついでにウィスタの母親の上司もとい師匠であったらしい。

「猫が入ってきて誤作動する仕掛けってどうなんですか」

「完璧なものなどありません」

 マッドアイは十重二十重に守りを敷きますからね。マクゴナガルは厳めしく言った。

「あれを突破できる者などそうはいないでしょう」

「……ヴォルデモートなら?」

 なんとなしに訊いてみる。マクゴナガルは茶器の縁を撫でた。

「あの男と……腕利きの部下が数人いればあるいは……。アリアドネが部下をあそこに放り込んで試していましたが、相当に堅固ですよ」

「なにやってんだ祖母様よ」

 詳しく聞いてみれば、祖母アリアドネは新人闇祓いを訓練と称してムーディ邸に放り込み、どれほど守りを突破できるか実力を測っていたらしい。ムーディは結果を元に守りをどんどん進化させ、恐ろしい邸が爆誕したのだそうだ。

「リーンとジェームズ、アリスとフランクも通過儀礼を受けて……艱難辛苦を乗り越えてアラスターが待ち受ける室にどうにかたどり着いたとか」

 ここで先生、と控えていたエリュテイアが声を上げた。

「室に入って一歩目のところに落とし穴か陣を敷いていたなどは?」

「よくわかりましたね」

 物騒な会話である。ウィスタもそうするが。扉を開けてほっと気がゆるんだときが一番危ないのだ。

「……そこは悪戯ばかりしていたジェームズと、あれこれ返り討ちにしていたリーンと、アラスターの性格を知っていたアリスとフランクが先手を打っていて」

 浮遊呪文で対策済みでした、とマクゴナガルは言った。登場人物がどいつもこいつも規格外なのはわかった。

「――弱体化していますし、部下がいたとして……名の知れた者はアズカバンに入っています。アラスターとて完璧ではないとはいえ、迎撃はしてのけるでしょう」

 それに、マクゴナガルの唇が動く。

「仮に邸に入り込めて、アラスターの不意を打てたとすれば……私ならば彼を始末しているでしょう」

 ◆

 マッドアイの騒ぎは、閑職だけれど顔が広いアーサー小父が丸く収めたようだ。被害妄想に囚われたマッドアイが、ちょっと出来心で守りを堅くしすぎてどうこう。なにせ闇の時代を知っているひとだからね、とか。

「……誰もマッドアイに関わりあいになりたくなかったに一票」

 どう思う? とエリュテイアに問いかける。忠実なる従者は黙って頷くばかりだった。あいにく外は曇っているが、騎乗には問題がない。ハグリッドの小屋へ行ってヒッポグリフを借りてきたのだ。あんまりなまけて腕をなまらせたくないし、一日早くホグワーツに滞在しているものだからやることもなかった。さっさと夏期休暇の課題を教師たちに提出し、自由時間である。ちなみにスネイプにはふくろう便で課題を送った。

「なんにせよ」

 闇祓いがホグワーツに配置されるのはよいことです。ヒッポグリフを撫でながらエリュテイアは言う。

「変人でも?」

「実際に見てから判断なされませ」

「ああ」

 噂だけで決めつけるな、ときた。ウィスタは両手を上げて降伏した。こいつ実は大人の魔女で、ポリジュース薬で化けているか若返り薬で見た目いじっているんじゃないだろうな。どちらも永続性はないので一定時間ごとに飲まなければならず、非現実的な手だけれど。

「カルカロフですよ。あれは元死喰い人。警戒だけはしておいたほうがよいかと」

 そういやそんな話もあったっけかな。ウィスタは戸棚に放り込んでいた記憶から、イゴール・カルカロフの情報をさらった。ダームストラング校長。元死喰い人だが、仲間を売って娑婆に戻った。いわゆる司法取引だ。四角四面のバーティ・クラウチが当時の魔法法執行部の長官で、合理主義で拙速を尊ぶ姿勢だったとか。裁判なしは当たり前。司法取引も場合によってはした。

――ただ

「カルカロフをぶち込むよりも、ほかの死喰い人のほうが重要だったんだろう」

 つまりは小物だ。まんまと娑婆に戻っているのは気に食わないが、変に警戒するのもどうか。

「頭の隅に留めておいてくださいませ」

 貴方をお守りするのが私の仕事です。そう結んで、エリュテイアは手綱を打った。

 さて、運動もしたし……とハグリッドのところへ戻ってみれば、彼は笑顔で手を振っていた。

「お前さんらには先に見せてやる」

 小屋の前には木箱がある。腐った卵の臭いやらともかく不吉な予感がぷんぷんした。

「いや帰る」

「そんなこと言わずに!」

 ハグリッドは止まらない。じゃーんと言って木箱を開ける。渋々のぞき込み、うぞうぞと蠢くものに唇を引き結んだ。ついでに手で口を覆う。

――なんだこれ

「尻尾爆発スクリュートだ」

「ニュート大先生に手紙を書いたらよ」

 少なくともウィスタは見たことがない種類の生物だった。蠍に似ている。色は青黒い。たまに火花を散らして跳ねている。なんだ、趣味がいいなハグリッド。正気にもほどがある。

「あー、それがな……酒場で……」

 ウィスタはじっとハグリッドを見た。嘘が巧いこと。眼は泳いでいるしもじもじしている。

――なんか掛け合わせたな

「マンティコアと火蟹かと」

 エリュテイアが耳打ちする。どうやって手に入れたのだか。火蟹は入手するには許可証がいるし、マンティコアは危険極まりない魔法生物だ。しかもそれを掛け合わせただと?

「こいつらの育成を今期の授業にしようと思ってな」

 ニーズルの子どもを育てましょうくらいの軽さだった。いやニーズルくらいならいいだろう。あれは猫との交配もできるし、交配させるブリーダーもいるし。だがこれは。

 ハグリッドに適当に返事をして、ウィスタとエリュテイアはそそくさと校庭を突っ切った。

「人間様の都合で好き勝手掛け合わせてどうすんだよ」

 ため息を吐く気にもなれない。ハグリッドの気楽さが、あるいは考えのなさには困ったものだ。

「……校長に? それともマクゴナガル先生に?」

「まず女史に」

 エリュテイアがすぐさま手紙をしたためて、炎でマクゴナガルの処へ飛ばす。一応の面会予約である。どうせすぐに突撃するとはいえ、手順は踏んでおいたほうがいい。

 果たして、マクゴナガルは室でリストを見てあれこれと確認していた。

「悪い報せです先生」

「ピーブズがなにかしようと? 安心なさい。私が縛り上げておきました」

 さらりと返され、さすがマクゴナガルと拍手を送りたくなった。なんでも水風船を量産していたから問答無用で拘束したそうだ。

「覚えておきなさい。ピーブズを抑えたければ男爵を動かしなさい。一番いいのはヘレナにお願いして、男爵を動かすことですね。ヘレナはあなたに甘いから」

「親愛なるレディと男爵の間になにが……? いえ、そうではなくて。ハグリッドなんです」

 マクゴナガルの顔つきが瞬時に引き締まる。いつもきりりとしているが、それ以上に張りつめた。

「なにが――」

 聞きたくないと顔に書いてあったが、ウィスタは言うしかなかった。かくかくしかじか。

「本当に、ルビウスときたら……」

 マクゴナガルは嘆息し、しばし壁を見つめた。やがて言った。

「授業目的でなければよいでしょう。魔法省に押しつけるとしましょうか」

 マクゴナルがダンブルドアに話を通し、なにがどうなったか、スキップしながらルード・バグマンがやってきた。

 ハグリッドはさめざめと泣いていたが、ルードは機嫌がよい。魔法生物管理局……だったか。つまりそういう部署の役人も一緒に来ていて、ディゴリー氏の顔はひきつっていた。

「いやはや困っていたんだ。あんまり輸入をするのもってね! ちょうどいい」

「どうぞお願いしますね」

 笑顔のマクゴナガルと笑顔のルードが握手を交わす。ハグリッドの小屋の前には木箱が二つある。中はお察しだ。

「俺のかわいい子たちが」

 ハグリッドの嘆きを聞く者は誰もいなかった。

 夕方から豪雨になった。叩きつけるような雨がホグワーツを覆ってしまう。

 こりゃあ新入生はずぶぬれだし、ホグズミードから馬車に乗る連中も気の毒なことになるだろう。巧くホグズミード駅に紛れ込んでしまおうか……と検討していたのだが止めだ止め。どうせ玄関ホールで人が入り乱れるのだから、そのときにどうにかすればいい。

 夜になって、ようやく生徒たちが到着した。ウィスタとエリュテイアはするりと生徒の中に紛れ、何食わぬ顔で大広間に入った。

「どこ行ってたんだよ」

 濡れそぼったハリーが不思議そうに訊いてくる。

「野暮用で」

「ていうか、特急にいた?」

「フレッドたちが探し回ってたのよ」

「ちょっとややこしい案件があって」

 いかにも深刻そうに言えば、三人ともあっさり引き下がった。計算外だっただけだ。ウィスタだって特急の旅がしたかった。あわよくばレイブンクローの……それはいい。脇に置こう。くそ、時たまセドリックのにやにや笑いが蘇るのだ。なにが頑張れだよ。

「……ウィスタ?」

 ハーマイオニーの問いかけに手を振る。あれこれと話したいことはあるのだが、宴の席で話していいものか。ハグリッドの件は片づいたのだが、あの後問題が発生したのだ。ピーブズである。マクゴナガルに拘束されて暴れまくって解除して、厨房で屋敷しもべたちで『遊んで』うさを晴らしたものだから、大変だった。ウィスタとエリュテイアが丁寧に躾をした……と言いたいが、実際はエリュテイアが「ピーブズ?」と言って、黙らせて、水晶玉のなかに閉じこめた。水晶玉の出所はトレローニーだ。トレローニーは「私にはわかっていましたよ」という顔をしていたが。訊かぬが花だろう。

「いやだやめろてめえこの獅子うぉおおおお前の主に手をだしてないだろうああああ」とピーブズは叫んで、結局穏和しくなったからよしとしよう。どうにか迅速に処理したので、厨房はすぐさま稼働して宴に間に合った。

 大広間が埋まり、一連の儀式も終わり、ダンブルドアの一言祝辞が終わり、料理が現れた。ハリーとロンはがっついて、ハーマイオニーは静かに食べ始めた。ウィスタも焦らずフォークを手に取った。

 クリービー弟――デニスが「ねえコリン、あの黒髪のカッコいい人はだあれ」と聞いていて、ウィスタは今年もセドリックは人気だ、とほとほと感心した。さては特急でデニスの世話を焼いたに違いない。

「……あの人はウィスタ・リアイスだよ」

 コリンの朗らかな声よ。ウィスタは強いてそちらを見ないことにした。お前はハリーのファンじゃないのかコリン。

「ハリーの友達の!」

「ああコリンがいつも言っているハリーの!」

 ハリーが呻いた。ロンはにやにやしていて、ハーマイオニーは困った顔をしていた。ともかく、クリービー兄弟に絡まれたらハリーに押しつけよう。そう、マクゴナガルがスクリュートを魔法省に押しつけたように。右に倣え師に倣えだ。

 ちょうどあれがほしいなと思えば、いつの間にか皿に盛られていた。エリュテイアの仕業である。こいつは俺の心が読めるのでは……と疑っている間に、厨房で起こった騒ぎの話になっていた。

「屋敷しもべたちがかわいそうに怯えまして……」

 ほとんど首なしニックは、やれやれと言わんばかりだ。それはいいとして、ウィスタに向かって片眼を瞑るのは止めてほしい。拍子に首が落ちそうになっているではないか。

「……え、ここにも屋敷しもべが?」

 ハーマイオニーがフォークを取り落とす。ニックは笑顔だった。

「それはそうですよ。これほどの人数の衣食住を整えるのですよ。彼らの魔法がなければとうてい……」

「病欠や年金なんて……? お給料は?」

 ニックは瞬いた。

「病欠はありますが、ほかはどうだか……彼らは基本的に望みませんのでね」

「そんなの」

 酷い、と言おうとしたのだろう。だがウィスタが割り込んだ。

「お仕着せは支給されてるし、労働管理もちゃんとしてるよ。年金はないけど、老後は面倒もみるし」

 ホグワーツはそういう制度だったはずだ。リアイスのほうがもう少し充実しているが。給金もあるし。彼らは小鬼と違って欲がないので、微々たる額である。ともかく、嫌々働かせているわけではない。むしろリアイスやホグワーツは屋敷しもべの最後の砦のようなものなのだが、ハーマイオニーの様子では納得してくれないだろう。

「ハーマイオニー、やつらは働くのが大好きなんだ!」

 ロンが明るく言った。ハーマイオニーの冷たい眼が返事だった。

 奴隷労働よと言ってその後一口も食べようとしなかった。ハリーがあれこれ勧めても無駄で、ウィスタは放っておくことにした。傲慢な『持てる者』の自己満足に過ぎないだろう。そのうち飽きる。

 どことなく気まずい雰囲気で時間が過ぎ、雨風はますます激しくなった。ついでに雷もどこかに落ち耳を聾する轟音が響いた。

 身のうちをざらついた何かに撫でられた気がして、食事の手を止めた。

――なんだ?

 障壁を誰かが通過した。二人……?

 一人はムーディだとして、もう一人は……と上座に視線を投げかける。ダンブルドアはいつもの通りライトブルーの眼をきらきらさせていた。助手か誰か連れてきているのかな、と結論づけたとき、大広間の扉が開いた。

「おお」

 ダンブルドアが立ち上がる。ウィスタも、誰も彼も現れた人物に眼が釘付けだった。灰色の髪、顔は傷跡だらけ。義足……に義眼。

――マッドアイだ

 こつ、こつ、と歩を進める姿に危ういところは見あたらない。義足をつけて長いのだろう。義眼には魔法がかかっているようで、ぐるぐると絶え間なく動いている。つ、と青い眼がこちらを向いた――ように思った。思わず息を呑む。

 腕利きの元闇祓いがにたり、と笑った気がした。

「無茶を言うなよ」

「ええー、だってお前」

「一千ガリオンだぜ?」

 九月二日。朝から双子に絡まれ、おまけに天気は悪く、幸先が悪そうだった。いいやもう悪い。エリュテイアが手ずからいれた紅茶を飲み、背後から首に腕を絡めてきている問題児二人に嘆息した。ウィスタはべたべたされるのが嫌いだ。それは二人だってわかっているはずなのに、こうして接触してくるなんて。よりにもよって首に触れてくるのも最悪だった。

――わかっててやっているのだ

「仮に」

 とん、と踵で床を叩く。すると双子がよろめいて離れていった。杖なしでの魔法は精度が落ちるが便利なものだ。いざという時に役立つから、と実父に手ほどきを受けたのだが、仕込もうとした意味が腑に落ちた。

 杖に頼り切りは危ない。リーンなんてそのあたりは徹底していて、ナイフも使えたし体術も得意で……と眸を陰らせていた。平穏に生きていたならば、必要のない技能だろう。しかし母は「いざという時」が多かった。ともかくも、なんでも覚えておいて損はない。

「老け薬をつくってやったとして――」

 今度は杖を振る。性懲りもなく絡もうとする双子との間に盾を創った。ウィスタの十八番だ。

「外見を老けさせるだけで本当に年を食うわけじゃないだろう。無駄だと思う」

「挑戦する前にあきらめるのはどうかと思う」

「ジョージ、いいこと言うな!」

「やかましい」

 無謀と書いてグリフィンドールと読む。双子はやる気満々だ。育ちのせいもあるだろうし、どうやら金銭絡みの厄介ごとを抱えている気配もある。なんとしても出たいのだろう。

 言ってくれればガリオンくらい出すのに。利子なし割賦払いで返済してもらうけれど。ウィスタの懐目当てに近づいてくる輩じゃないから付き合いが続いているのだ。ロンも同じく。だからこそ手を貸そうと思えるのだが、双子はきっと頼ってこない。かなり拙い状況になるようなら、介入もやむなしだと内心では思っている。

「ダンブルドアが十七歳以上と言ったのですから、なにか仕掛けを施すはずですよ、お二人とも」

 エリュテイアがそっと口を挟む。ウィスタは有能な従者に眼を向けた。

「心当たりが?」

「線を引くのでしょう」

 一線を引くだとか線引きするだとかの『線』か。それだと審査員の意味はあるのかどうなのか?

「審査員が判別するんじゃないのか」

 気づけばグリフィンドール寮生が耳を澄ませていた。どいつもこいつも。さっきまで授業が嫌だトレローニーの畜生だとか言っていたハリーとロンもだ。ついでにハーマイオニーも興味があるようだった。視線はエリュテイアに固定済み。ただし彼女の場合は学術的な興味からだろう。

「感情が入ると過ちを起こすものです」

 どれほど偉大な者でも、過ちを犯さない者はおりません。厳かに告げられ、自然と背筋が伸びた。見た目と中身が合っていないのだ、ウィスタの従者は。ウィスタはエリュテイアの顔を見つめ、不意に悟った。

 感情が入ると過ちを起こす。なら、人間でないものなら――つまり――ナイアードが運んできた聖杯とやらはもしかして。

 選別の杯なのではないか?

 ◆

 あっちでもこっちでも三校対抗試合の話で持ちきりだった。誰が出るつもりだとか、一千ガリオンを得たらどうだとか。

「十七歳以上かあ……そうでなかったら」

 死ぬほどつまらない魔法生物飼育学が終わり、校庭を突っ切っているとロンが呟いた。ハグリッドの落ち込みっぷりに引きずられたせいもあるだろう。レタス食い虫の世話は飽きた。ウィスタの告げ口が原因なのだが。

――あんなもんよりはいい

 尻尾爆発スクリュートの件は、ハリーたちには話していなかった。あの気味の悪い生き物をなんて説明したらいいかわからないのだ。ハグリッドは軽い気持ちでやったのだろうし、危険な生き物が大好きなのでどうしようもない。ダンブルドアも頼むからハグリッドの手綱を持っていてほしい。

「出たいの?」

「ハリーは……ていうかみんな出たくないの?」

「僕はまだ未熟だし。上級生相手に勝てるかどうか」

 ハリーは謙虚に言った。賢者の石を守ったり、秘密の部屋を暴いたりと活躍したのは棚上げにしている。ロンの眼がウィスタを見た。ウィスタは首を振った。

「リアイスは出られないから」

 なるべく嫌味に聞こえないように「昔の三校対抗試合、たいてい名門が優勝してたせいだって」と付け加える。素直に納得された。ロンの中ではリアイス=名門=優勝という図式が成り立っているようだ。

「夥しい死者ってダンブルドア先生がおっしゃってたじゃない? それにガリオンが欲しいなら宝くじを買ったほうがまだマシかも」

 ハーマイオニーは慎重かつ現実的だった。ウィスタも同感だ。上級生相手に勝ち抜くよりは、宝くじのほうがまだ良さそうだ。三億ガリオン当たるかもしれないし。桁が多すぎて巧く想像できない。グリンゴッツの金庫何個分になるやらだ。

「グリフィンドールからはアンジェリーナ、ハッフルパフからはセドリック、レイブンクローからはロジャー、スリザリン――」

「スリザリンのゴリラには興味ねえ」

 いつの間にか候補者を調べてきたらしいエリュテイアの努力を無にしつつ、眼を細めた。どうせ上級生たちの争いになるのだから、関係ないと思いつつも気になってしまうものだ。選抜基準に品性、あるいは性格という項目があったとしたら……。

 きっとセドリックが選ばれるだろう。

 あれほど公平で、親切な男をウィスタは知らない。

――そして

 これほどぶっ飛んだ教師をウィスタは知らない。闇の魔術の防衛術初授業。わくわく顔のロンに押されるようにして、ウィスタたちは最前列に陣取った。張り切っていた張本人は白目を剥いて気絶している。安らかに眠りたまえ友よ。蜘蛛が大嫌いなロンにとっては不幸なことに、肥大した蜘蛛の死体が顔面にぶち当たったのである。トレローニーなら「今日の運勢は土星がどうこう」と言いそうなくらいの大凶事だ。

「今見せたのが」

 死の呪文。アバダケダブラ。軽々と蜘蛛を殺してのけた男は、淡々と言った。ウィスタは固く眼を瞑った。記憶に灼きついた緑の光。死の象徴を見せつけられて、動揺していないと言えば嘘になる。最高の気分だった。

 呪文は知っていたし、対処法も知っていた。

『反対呪文はない』

 だが、手がないわけではない。離脱が無理ならば、遮蔽物を使いなさい。盾の呪文でもよい。あるいは鏡。皿を投げてもよい。私はそれで助かったことがある。そう言ったのは曾祖父だった。

――知識だけじゃ実感がわかないところだ

 これほど素早く命を奪うものだとは。あっけなく、静かに摘み取られるのだ。熱い息を吐き出した。

 あの男は――死の呪文でいくつ命を奪ったことか。その中には。

 ウィスタの母も、一族も。ハリーの両親もいるのだ。

 

 ぐっとローブの袖を引っ張られ、ウィスタは己の運の悪さと性格を呪った。ああそうとも。莫迦のようなお人好しだとトム・クソ野郎に言われたものだ。これからアズカバンに連行されるような悲壮感をにじませている友人を見捨てるのは気が咎めた。

「先生。俺も蔵書に興味があって」

 お邪魔しても? と笑顔をつくる。お前らも来い、とハリーたちに視線を投げかけたが「ごめん」「無理」「行きたいけれど予定が」と断られた。視線だけでここまで会話できる仲になったのだ。くそこいつら薄情だな。

 ネビルが涙を浮かべウィスタに頷いて、マッドアイときたら返事もせずに踵を返した。エリュテイアは当然のようについてこようとしたが「お前は儂の客人ではない」と一刀両断され、ウィスタがひそひそと「滅多なことはないから寮に戻っていて」と説き伏せた。

――生徒を気にかける性分には見えないのだけど

 廊下を突き進む背を眺める。マッドアイは闇祓いであって教師ではない。技術は教えても細やかな気遣いができるようには思えなかった。

 マッドアイに割り当てられた室は広い。ナイアードがぶんどり、リーマスが引継ぎ、マッドアイも室の変更を申し出なかったらしい。

「……敵鏡にかくれん防止器に……ははあ」

 招かれたウィスタは、遠慮なく室を眺めた。あるわあるわ。下手なところに触ればどんなものが発動するかわからない。

 ネビルはそっと椅子に腰かけ、マッドアイは音もなく動いた。その気になれば静かに動けるようだ。つまり……普段はわざと音を立てている。癖者ここに極まれり、だ。ウィスタは手持ちぶさたになり「紅茶をいれますよ」と申し出た。マッドアイは「いらん。お前たち、飲みたければ勝手にしろ」と心温まる返事を頂戴した。とん、と茶器が現れる。卓の上にはご丁寧に砂糖とミルクもあった。ウィスタは魔法で湯を沸かし、茶葉をいれ慎重に蒸らした。なにやらがさごそしていたマッドアイは古びた本を抱えて戻ってきた。

「この本を気に入るかと思ってな。お前のことをスプラウト先生が誉めていた」

『地中海の水生植物とその特性』は図鑑のようだった。ネビルはぱっと顔を輝かせ、本を受け取る。ウィスタは勝手に紅茶を飲みながらマッドアイの優しさに首を傾げた。ロンは蜘蛛のせいで失神しただけだが、ネビルは真っ青になって情緒不安定になっていた。誰が見ても明らかに、だ。だったらマッドアイが気にかけるのも当然といえば当然。聞いた話ではウィスタの母親とハリーの父とネビルの父母はマッドアイの部下だったらしい。つまりネビルを気にかける動機はある。

――どうも俺は勘定外らしいけれど

 視線を感じたのか、ウィスタの心を読んだのか、マッドアイの魔法の眼がこちらを見る。口端を吊り上げた。自分では茶目っ気がある笑みだと思っているようだが、不気味だ。

「お前は修羅場を潜り抜けてきたのだろう?」

「十四にして苦労のフルコースだったのは間違いないですね」

 笑えない。ついでに言えば首から顔から眺め回されて不愉快だった。なんなのだろう。興味津々と断定するにはいささか……。クラウチのような嫌悪ではない。どうもマッドアイはウィスタの父親が誰でも関係ないようだ。

 視線を逸らす。負けた気がしてならないが、まともにマッドアイと見つめ合う気にもなれない。あちらこちらを眺めやり、大きなトランクが眼に留まった。いいや、厭でも眼に入ってはいたのだ。

「ニュート大先生のような拡大呪文が?」

「七つ道具が入っておる」

 拡大呪文には言及せず、マッドアイはさらりと返した。たぶん呪文で拡大しているし、あれこれと入れているのだろう、羨ましいったらない。ウィスタだって持ち運べる自分の室は欲しいのだ。既にグリフィンドールの部屋を持っているけれど。

「たんと秘密を入れられる基地というものは便利だ」

 ふふんとマッドアイは鼻を鳴らす。慣れてくれば表情が読みとれるようになってきた。ただの変人でも堅物でもないようだ。

 時間を見つけて調べようと決意し、紅茶をもう一口飲んだ。自分でいれておいてなんだが美味しい。なにかの拍子にリアイスから追い出されるだとかしたら、どこかで給仕でもして暮らそうか。

「ところでロングボトム」

 アリスとフランクはどんな具合だ。問いかけにネビルが硬直する。ウィスタはマッドアイとネビルを交互に見た。ただの挨拶含みの会話ではない。ネビルの手がぎゅっと図鑑を握りしめ、おろおろとウィスタを見た。

 どうすればいいんだ。あんまりにも不意打ちすぎて、出て行く隙もない。

「なんとかやってます」

 そうか。マッドアイは眼を閉じる。ウィスタは背筋が粟立った。見間違いだと思いたい。それか怒りが突き抜けすぎて、変な顔をしているのだと。

 マッドアイの口元に、ほんの一瞬笑みが浮かんでいるように思うなんて。ウィスタはどうかしているのだ。

 ◆

 辞去を述べ、退出した。扉を閉める間際トランクがかたかた鳴ったように思ったが、気のせいだろう。七つ道具のどれかが動いたとかそんなのだろう。

「聞かないんだね」

 二人で連れ立って廊下を進む。天気はご機嫌斜めで、城は薄暗い。ネビルは図鑑を抱きしめたままだった。

「話したけりゃ話せよ」

 闇祓いのロングボトム夫妻。なにかごたごたした事情があるのかもしれない、両親は離婚して祖母に引き取られているのかな……と推測はしていた。けれど一年生からこっち、ネビルの事情を訊く機会もなく、それ以上にウィスタは自分のことで忙しかった。

「あのね」

 ぽつぽつネビルは話す。両親が闇祓いだったこと。とても優秀だったこと。

「君のお母さんとハリーのお父さんが亡くなった後、期待されたんだって。局を引っ張っていくんだって」

 でもねえ。ネビルの睫が震えた。

「例のあの……ヴォルデモートがいなくなって、しばらくして、死喰い人に拷問されたんだ。で、おかしくなっちゃった」

 立ち止まる。ネビルもはあ、と息を吐いた。二人して壁によりかかる。授業はもうない。

「そっか」

 慰めなんて意味がないだろう。どんな言葉も紙より薄い。

「僕のことわかんないんだ。あの時で時間が止まってる……」

 ばあちゃんに言われて、頑張って、親に恥じないようにってやってきて。でも……でも。

 父さんや母さんにとって、僕は知らない子なんだ。

 ネビルのとつとつとした語りに、耳を傾けた。誰にも話したことがないのだろう。ウィスタだって知らなかった。ネビルの立場ならなかなか口にできないだろう。

「薬草に詳しいのは、そういうことか」

「うん」

 あれこれ育てているのは知っていたし、特に気分を落ち着かせたり、悪夢をみないようにしたりする薬草に詳しかった。

「……俺は助かってるよ。お前のその特技」

「ありがとう」

「いいってことよ」

 ネビルが唇を噛みしめる。血が一筋流れ、魔法灯に照らされて輝いた。

「僕……絶対に赦さないんだ」

 ベラトリックス・レストレンジの一味を。

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