【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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三十四話

 ネビルから重い秘密を打ち明けられ、ウィスタは誰にも口外しないと誓った。たとえハリーたちにだってエリュテイアにだって明かすまい。少なくともネビルが自分の口から言いたくなるまでは。

「……ちょっと近所に遊びに行くくらいの気軽さだなおい」

 グリフィンドールの部屋で頭を抱えた。原因は一通の報せだ。父からだ。なんでもバーサの行方不明事件が気にかかる。よってアルバニアに発った等々。ヘカテとルキフェルがお供である。ルキフェルは本職の闇祓いで死ぬほど忙しいはずなのだが、無理矢理『休暇』をとったようだ。

「裏でスクリムジョールの意を受けているのでしょう」

「そんくらいやるよな」

 アルバニアはヴォルデモートの潜伏先候補であった。しかも学者先生――クィレルは世界旅行の最中、アルバニアの森に立ち寄って不幸に見舞われたのだ。闇祓い局も把握だけはしているだろう。しかし、だ。英国魔法省がしゃしゃり出るわけにはいかないし、アルバニア側も実害は受けていないのだ。動きようがない。

 さて、ヴォルデモートがアルバニアにいるというのにクィディッチワールドカップでは不穏な騒動があった。ひとまず腕利きをアルバニアに送り込みたいと思っても不思議はない。休暇中の旅行ならば角も立たない。

「親父が一緒とまでは計算していないだろうが」

 それか眼こぼししているのか。そこまで甘くはないはずだ。魔法省の威信がかかっているし、闇祓い局としても矜持があるだろう。仮に冤罪を確信していたとして――醜聞隠しのために抹殺なんてことまではしない、と思いたい。心配し始めればきりがないのだ。父関連のあれこれは、冤罪を晴らさない限りどうしようもない。

――ベラトリックスについて訊きたかったのだけど

 直接顔を見て話したかった。調べてみたら最悪なことに、ネビルの両親を拷問したベラトリックスは、実父の従姉だった。終わっている。ブラック家の出なのだ。よりにもよってそんなやつと親戚なんて……と思っているのはどうやらウィスタだけではないようで、驚いたことにベラトリックスの姉妹にアンドロメダとナルシッサがいた。彼女たちは長姉と慎重に距離をとっていたようだ。いまのところベラトリックスは終身刑でアズカバンに放り込まれているので心配はいらないようだけど。

「だーーれもそのあたり話してくれなかったけど、俺はトンクスやマルフォイと又従兄弟になるわけか……」

 しみじみ呟く。エリュテイアは急な話題転換にも難なく追従した。

「リアイスとブラックの血筋でございますからね。辿ればどの家とも繋がっているとお思いくださいな」

「……あんた、俺の家系図暗記しちゃってる?」

 ウィスタだってせいぜい二代三代前しか覚えられないのだ。あとは有名処とか。物騒な名前の公主やらなんとか公やらブラック家の城を吹っ飛ばした聖ジェロームとか。リアイスの血筋は過激すぎる。ああ厭だ。

「教養の範囲内です」

 私の辞書に不可能という言葉はない、と言わんばかりの堂々とした宣言であった。

 ◆

 過激派はここにも、と言いたくなるような人物がいた。誰あろうマッドアイである。

「先生……あの、服従の呪文は……終身刑に値すると……先生?」

 良識と勇敢さを兼ね備えたハーマイオニーが、彼女にしては珍しくおどおどとしていた。それも当然、マッドアイは生徒に服従の呪文をかけて抵抗力を見定めると言ったのだ。

「ダンブルドアに話は通してある。それにだ、のっぴきならない状況でかけられて、後悔したいか? グレンジャー」

 マッドアイの返答は素っ気なく、片手間だった。彼は杖を振って教室内の机と椅子を片づけた。広々とした空間が現れる。ハーマイオニーはうなだれて引き下がった。

「授業の一環ですで言い抜けられるか?」

「ダンブルドアが責任をとると言っているのですから、好きにさせればよろしい」

「エリュテイア、たまに大人みたいな口調になるよね」

「……ロン、僕らが子どもっぽいだけだと思うよ」

「よくわかってるじゃない」

 ぼそぼそと話している間に、マッドアイは次々と生徒を操った。ネビルは見事なバク転を決めたし、ロンは蜘蛛を撫でた。ハリーが「言わないでおいてやろう」と呟いた。同感だ。ハリーは呪文を打ち破った。正確には途中まで操られていたのだが、抵抗したのだ。大喜びのマッドアイは、次にウィスタを指名した。

「服従せ――」

 よ、と言われるまえに、盾の呪文を行使した。反射的に動いたのだから仕方がない。

「リアイス」

「はい。ごめんなさい。俺はパブロフの犬です。ええ、ええ……わかりましたよ」

 マッドアイに説教され、無言の威圧を受けて穏和しく服従の呪文を受けるしかなかった。

 頭を下げろ……頭を下げるのだ……。最高の気分のなかで、囁く聲。前後左右が曖昧で、つかみ所がない。

 二年の時の夢の世界のようだ、とぼんやり考える。大変不愉快な思い出だ。頭を下げるんだったか。待てよ。

――こういう場合

 頭の隅で何かが囁く。こういう場面では油断はしないほうがいい。ウィスタは体験済みなのだ。誰かが干渉しているぞ、眼を覚ませ。

 下げろ。聞けないのか。下げるんだ。

 強い聲に顔をしかめる。

「誰が――」

 言うことを聞くかってんだよ。気づけば手には杖。腕がしびれるように痛かった。一条の傷から、血が滴っている。今にも飛び出しそうなエリュテイアを、ハリーたちが三人がかりで抑えている。

「さすが孤高のリアイス傲岸なるリアイスだ」

 マッドアイは今にも飛び跳ねそうなくらいの喜びようで、眼は爛々と光っていた。

「今度は自傷ではなく、術者に向かって攻撃呪文だ」

 わかったな、と言うマッドアイは、なるほど確かに狂っていた。

「先生、絶対にこれは拙いと思います」

 ウィスタは懸命に言い募った。床の上で。周りの面々は気の毒そうな顔をしてウィスタを見るばかり。救援はまったく期待できない。おいゴドリック。あんたの作った寮はとんだ臆病者の集まりだぞ。

「お前が抵抗するからだろう」

 穏和しく呪文を受ければいいものを。マッドアイは当然のように言った。

「だからって生徒を縛る教師がいますか!」

 がっちり拘束され、ウィスタにできることといったら口を動かすか、身を転がすかだ。仮にマクゴナガルが現場に居合わせれば断固として止めてくれたに違いない。じゃあ二回目、と服従の呪文をかけてこようとするものだから、ついつい抵抗したのだ。

――こいつの呪文は厭だ

 気が進まないどころではない。理屈を飛び越えて厭だった。我慢しようと努力はしたが、反射的に動いたのだから仕方がない。埒が明かんと縛り上げられてこの様である。

「抵抗力を知るのも大切なことだ。さて」

 マッドアイは生徒たちを見回した。

「一番いいのは服従の呪文にかけられないようにすること。敵が正面切って親切にかけてくれるとは思わないことだ。たいてい背後からひっそりと……気づかぬうちにからめ取られる。常に警戒しろ。油断大敵」

 後ろに眼でもつければいいんですかね、とぼそっと呟けば、マッドアイににっこりされた。不気味さが増した。

「気配に聡くなることだ。誰しも抵抗力が強いわけではない。お前たちは服従の呪文の恐ろしさを体験した。これは財産だ」

 ひゅ、とマッドアイが杖を振る。

「服従せよ」

 ◆

 狂ってるぜ。呟いて、ソファに身を沈めた。ふらふらになりながら寮に帰りつけたのは奇跡だ。

「マッドアイの喜びようったら」

 ハリーが呻いた。ウィスタと同じく疲労困憊でソファにもたれかかっている。自棄になったように膝のクルックシャンクスを撫でていた。

「レポート免除してくれてもいいのに」

 あれからモルモットのような扱いを受けて、ウィスタとハリーは呪文を破った。ウィスタに関しては「こいつは例外的だから参考にならん」と断言されたが。自らつけた傷はエリュテイアがオレガノのエキスを塗って包帯を巻いてくれた。マッドアイによれば「痛みで覚醒するのは有効だがおすすめしない」とのことだ。

 そこここでマッドアイの授業の話をしている。好評なようだ。真新しさもあるし、大人が誰も踏み込んで話さないような領域にまで連れて行ってくれるのだ。好評でないわけがない。

「ダンブルドアも思い切ったことをしたわね」

 ハーマイオニーは興奮半分、心配半分といったところだ。ロンは「ダンブルドアだしな」で流した。流したくなる気持ちもわかる。だいたいのことは「ダンブルドアだし」で済むのだ。そんな人でなければ、あれこれと……慣例破りなところもある校長だが、ウィスタは感謝していた。なにせダンブルドアがいなければ、リーマスはホグワーツに入学できなかったし、希望も与えられなかったろう。教師にもなれなかったろう。スネイプさえいなければまだ教師を続けていたかもしれないと思うと、あの顔面を殴りたくなる。

「いいのではないですか。不愉快ではありますが。授業そのものは理に適っています」

 エリュテイアはいささかご機嫌斜めである。放っておこう。それにしても、どこがどうとはいえないが、エリュテイアこそ教師のようだった。服従の呪文にしたって破っていたし。本人は「リアイスに仕える者として当然の技能ですので」で押し通していた。周りは「リアイスだからな」で納得していたのが恐ろしい。

「授業っていえば」

 ハリーが弾んだ声で言った。

「十月三十日は、魔法薬学が三十分短縮だ」

 ボーバトンとダームストラングからのお客と握手したいくらいだ。

 ◆

「ウィーズリー! なんですかそのばかばかしい格好は!」

 ホグワーツ、正面入り口前に怒声が響く。客人を迎えるために集合していた生徒たちはざわめいた。どうやら前列のほうだ。ロンが「僕はなにもしていない」と狼狽え、ハリーがちらとウィスタをみた。

「俺も知らないぞ」

 現在ホグワーツにいるウィーズリーはジニー、ロン、双子である。ジニーとロンは騒ぎを起こす性格ではない。やるとしたら双子であるが、悪戯の計画は聞いていない。

 人をかき分けどうにかこうにか前まで躍り出る。エリュテイアが「ありがとうございます。紳士淑女の皆様方」と路をゆずってくれた面々に礼を言っていた……が、ウィスタは飛び込んできた光景に、諸々が吹っ飛んだ。

「あら先生」

「お客様を迎えるのでしょう」

 派手な衣装に身を包んだ、なんだったか……マリー&ジェーンだったか……が出現していた。

――莫迦ではないのか

 莫迦である。諸々を捨てた莫迦だ。

「一応それも客人を迎える服装ですが、とにかく女装ごっこをしている場合ですか!」

「ええー」

「私たちとっても気合いを入れたのに」

「そのやる気をどうして勉強につぎ込めないのです!」

 どこぞのご家庭の会話みたいですね、とエリュテイアが言った。ウィスタは口端がひきつった。ガミガミしかる母とどうしようもない息子たちの図だ。ウィスタだって『ご家庭』とやらはよくわからないのだが。参考になるのはウィーズリー家くらいだ。実父とウィスタの関係ときたら、端から見たら事務的極まりないだろうし。

 唖然としているうちに、マクゴナガルの視線が矢のように飛んできた。

「リー、リアイス! なぜこの二人を止めなかったのです」

「無茶を言わないでくださいよ」

「俺は無罪です」

 ぶつくさ言いながら、リーがジョージを、ウィスタがフレッドを拘束した。玄関ホールで着替えてこい、と送り出して一息吐く。周りはくすくす笑っていて、決まりが悪いったらない。

 成り行きで六年生、七年生の場所に居座るはめになった。今更人をかき分けて戻るのも面倒だったし、マクゴナガルもよしとしたのだ。

 客人を出迎える前に余計な仕事をしたせいか、眼まで悪くなったようだ。黄昏の空に黒い点が滲んでいる。

「ドラゴン……か?」

 羽ばたいている何か。いいやでも、ドラゴンは乗用にはならないし、人に馴れる性質ではないのだ。

「いいえ、我が君」

 エリュテイアが囁いた。

「マダム・マクシームは淑女ゆえに、優雅なやり方を好みます」

 ぐんぐんと影が近づいてくるにつれ、形がはっきりしてきた。ドラゴンではない。巨大な天馬だ。アブラクサン。巨大なパロミノだ。六頭立てで馬車を引いている。彼らは矢のように急降下し、校庭へ降り立った。

 馬車の扉が開き、音もなく現れたのは魔女だった。ハグリッドと張るくらい巨――いいやふくよかだ。彼女はダンブルドアに親しげに話しかけ、抱擁を交わした。彼女の影に隠れていた生徒たちが続々と顔をだす。寒いのだろう、一人は薄いショールを被っていた。そうして、眼が合った。エリュテイアがすっと階段を降りる。

「ようこそ、我が姉」

「また会えてうれしいわ我が妹」

 鈴を転がすような声。ボーバトンの何某かはショールを脱ぎ捨てる。覚えのありすぎる顔だった。

――そういやボーバトンだって言ってたな

 こぼれる髪は銀色。眼は深い青。フラー・デラクールはエリュテイアと熱い抱擁を交わし、ウィスタに片眼を瞑った。

 

「だから俺は止めとけって言ったんだよ」

 十月三十一日。玄関ホール。ウィスタは真っ白な髭を生やした双子に懇々と説教した。こんなことはウィスタの役目ではないのだけど、言わずにはいられないのだ。

 ダンブルドアがにこにこしながらウィスタたちを見ているので、早口になってしまう。どうせ『老け薬』を使って突破しようとする輩がいるとわかっていたに違いない。

「だってさあ」

「一千ガリオンだぜ」

 双子は未練たらたらに『炎のゴブレット』を見やった。赤い服を着せたらサンタクロースになれそうだ。魔法界ではサンタクロースがどういう解釈をされているか知らないけれど。あれも魔法使いの扱いなのだろうか。今度ロンにでも訊いてみよう。いくらなんでも注目を浴びすぎる。とにもかくにも双子を玄関ホールの隅に引っ張っていって、強引に『若返り薬』を飲ませた。やらかしそうなので作っておいたのだ。案の定だ。リーの野郎は抱腹絶倒していて役に立たない。

「お前らならどこでも生きていけるよ」

 そこまで金銭に執着する二人ではないのだが、最近は変だ。そりゃあ悪戯グッズをつくって売りたいと計画しているようだし、商才はある。だからといって三校対抗試合なんてある種の博打に賭けるとは思えなかった。

――なにを隠しているんだか

 双子の謎にかまけている暇はなかった。五年生で受けることになる普通魔法技能試験に向けて課題が増えていたし、少々煩わしい問題が持ち上がっていた。

「屋敷しもべの解放は必要だと思うの!」

「そうだな。あいつらが望めばな」

 土曜日だというのに、ウィスタはなにをしているのだろう。図書館でハーマイオニーの熱弁を聞いているわけだ。もはや生返事である。エリュテイアも「いいですかハーマイオニー、ゴドリック様た……創設者たちは無理矢理彼らを連れてきたわけではないのですよ」とたしなめた。やたら詳しいなと思ったが、なにも訊かないことにした。屋敷しもべはヘルガ・ハッフルパフが声をかけて集めたらしい。ウィスタの先祖のひとりである。彼女は薬草学と料理が得意で、第七分家には彼女が遺した大鍋やらレシピがある。ホグワーツの厨房にもレシピは受け継がれていて、現在もおいしい料理を生徒たちに提供できているのである。

 ハッフルパフにはとにかく人望があって、ホグワーツ建設も彼女の伝手があったからできたようなものらしい。ちなみに動く階段やその他仕掛けはレイブンクローが魔法をかけた。彼女もまた、ウィスタの先祖のひとりで、灰色のレディことヘレナの母親である。そもそもホグワーツをつくろうと言い出したのはグリフィンドール。城の守りの基礎、防衛等々は彼が手がけたとされている。そうして創設者たちは屋敷しもべを迎え入れ、仕事を頼んだのである。そんな昔のあれこれは、ハーマイオニーにとって馬耳東風だろう。才女が暴走すると質が悪い。

「誰もわかってくれないんだわ。あなたでさえ!」

「あいつらが不満たらたらで反乱起こすってんなら俺だって考えるけど」

 そんな気配はないのである。ハーマイオニーに失望されようが意見を曲げる気はない。ハリーとロンは校庭で箒に乗って遊んでいるだろう。巧く逃げたものだ。ウィスタが休みを潰して図書館にこもっているのは人目を避けるためだ。奥まった一画は絶好の隠れ場所で、煩わしさから解放される。

「……クラムがこちらを窺っているようです」

 エリュテイアがハーマイオニーに聞こえないように囁いた。そっと柱のほうを見てみれば、確かにクラムがいる。不機嫌そうだ。笑顔のクラムなんて想像もつかないのだが。

――俺がマグル生まれに何かすると思っているんじゃないだろうな

 何せウィスタは死喰い人の息子である。ダームストラングやボーバトンの面々の反応はまちまちで、死喰い人の息子扱いするかリアイスの子扱いするか……だ。大陸のほうでもリアイスの名は有名らしい。さて、クラムは前者のようだ。闇の魔術を推進しているダームストラングの生徒の癖に、よくわからない。ダームストラングだからどうこうと考えるのはよくないのだが、クラムはあまり友好的ではなかった。逆にフラーはかなり、強烈に友好的だ。まさか己の従者とフラーがいわゆる姉妹関係を結んでいるとは知らなかった。芋蔓式にウィスタとも距離が近くなり、周りから嫉妬の眼で見られるはめになっている。

「杖を抜いてきたら別だが、放っておけ」

 返し、額をもみほぐした。忠実なる従者である。世界的クィディッチ選手だろうが容赦しないだろう。大問題になること必至。クラムと仲良くするつもりはないが、あの敵意はどうにかならないものだろうか。

――代表選手が選ばれれば、くだらない騒ぎもおさまるだろう

 今のところそれが唯一の希望だった。

 ◆

 読みが甘かった。まったく甘かった。

「大方貴様がポッターの名を入れたのだろう」

「もっとマシな言いがかりをつけてくれませんか」

 大広間脇の小部屋――壁際に追い込まれ、ウィスタは呻いた。ハロウィンの宴は台無しだった。ウィスタはシェパードパイやロックケーキを食べる暇もなく連行され、この様である。

「炎のゴブレットはリアイスの所有。ならば細工もできるだろう」

 カルカロフが同調する。てめえここでお前が死喰い人だった前歴を暴露してやろうかヤギ髭野郎が。全然似合ってねえわ。

「スネイプ先生。この子は一生徒にすぎません。このように連れ出すなど……」

 マクゴナガルがスネイプを押しのけた。ウィスタはどうにか抜け出した。野郎に壁に押しつけられるなんて最悪だ。いいや淑女にされてもたぶん厭だろうが。

 ハリーは青白い顔をしているし、セドリックは眉間に皺を立てていた。少なくとも二人とマクゴナガルはウィスタの味方だ。

――俺に訊くなよ

 ゴブレットがハリーの名前を吐き出した理由なんて知るわけがない。驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになったし、猛然とやってくるスネイプに抵抗する暇もなかったし、とにかく大混乱なのだ。

「……おっつけリアイスの人間がきますから」

 エリュテイアが即座に『炎』を飛ばしたので、そろそろのはずだ。

「で……もし俺が入れるんなら」

「君の名前を入れるんだろう! 数百年ぶりの代表選手選出! それでもよかったな」

 ルードは楽しそうだ。逆にクラウチは静かだった。ここぞとばかりに噛みついてくると覚悟していたので拍子抜けだ。

「リアイスの者は出られないのじゃルード」

 大陸でも制限がかかっている家門はいくつかある、とダンブルドアが付け加える。いつもは輝いているライトブルーの眼が、今日は陰っているように思われた。おそらく校長にとっても不測の事態なのだ。

「――そうです」

 ぱっと扉が開く。若い男が立っていた。漆黒の外套には獅子紋、双眸は鋭く研ぎ澄まされている。

「我々が競技に出るには、姓を捨てるほかない」

 踵を鳴らし小部屋に踏み込む。ハリーたちに微笑みかけ、ウィスタに力強く頷きかけた。ああ助かった。救世主登場だ。

 男――ナイアードが指を鳴らす。卓の上のゴブレットがふわりと浮き、彼の手に収まった。

「そしてゴブレットには鍵がかかっている。リアイスをはじめとしたいくつかの家門の者は選ばないよう。そもそも投じられないように。そちらは破られていない……が」

 ナイアードは沈黙する。マダム・マクシームが礼儀正しく訊いた。

「それで?」

「ゴブレットは、今回開催の対抗試合が四校によるものだと思いこまされたようだ。ホグワーツ、ボーバトン、ダームストラング、イルヴァモーニー……。イルヴァモーニーの選手候補はハリー・ポッターだけ。だから彼が選ばれた」

「実に巧い手だな。この際ゴブレットの鍵に、年齢に関するものも加えていればよかったものを」

「既存のあれこれを書き換えて調整するのは難しいのですよ、マッドアイ」

 ナイアードの声が尖る。マッドアイはどこ吹く風だ。

「ダンブルドアが年齢線を引き間違えるようなヘマはせんだろうし、何人もの愚か者が弾かれたのだから正常に作用しておった。しかも魔法契約によってポッターは競技に出場するほかなくなった」

 理路整然と述べられ、ウィスタの中で断片がつなぎ合わされた。安全措置を講じているとはいえ、試合は危険を伴う。だからこその年齢制限だ。そこに十四歳のハリーを放り込めば――楽に殺せるかもしれない。わざわざゴブレットを錯乱させてまで、ハリーを選出させた。ハリーの死を望んでいる誰か。つまり。

――ヴォルデモートの配下が

 ホグワーツに入り込んでいる。

 

「契約解除は不可能なのですか」

 ナイアード。向かいの席に腰かけたマクゴナガルの顔色は悪かった。紅茶を淹れてようとして、手つきが酷く危なっかしい。ナイアードがポットを取り上げた。

「ゴブレットを破壊すればあるいは……」

 なんとも平和的な解決方法だ。ウィスタとマクゴナガルは呻いた。錬金術の傑作、三校対抗試合の象徴なのだ。たとえ契約解除のためとはいえ、ゴブレットの破壊が認められるとは思えない。

「巨人が踏んでも壊れない、ドラゴンの炎でも、悪霊の火でも無理ですね」

 茶器が置かれる。マクゴナガルの室に、芳しい香りが広がった。就寝時間間際、マクゴナガルからお茶に誘われた――のはナイアードなのだが、ウィスタも便乗したのだ。

「やりすぎだろ」

 ゴブレットを破壊される想定なんてしていなかった。ナイアードは鼻を鳴らすばかりだ。

「そんなもの。破壊なんぞされたらリアイスの面目は丸潰れだ……今回の騒動でそれなりの傷はついたが」

 低い声だ。抑制はしているが、内心腹に据えかねているとみた。ウィスタは『犯人』に同情した。そいつがリアイスの名誉を傷つけるつもりがあろうがなかろうが、特定された暁にはどういう目にあうかわかったものではない。報いを受けることは確実だ。

「賽は投げられました」

 マクゴナガルは、ゆっくりと首を振った。今晩の悪夢を振り払いたいのかもしれない。ウィスタも同感だ。

「……なるようになるでしょう」

 ナイアードは背もたれに身を預け、片手で顔を覆った。彼の両眼は『識眼』と呼ばれる。魔力を読みとる眼らしく、ホグワーツのような場所では遮断しておかないと負荷がかかるのだそうだ。

 最悪なのは、と彼は続ける。

「敵がホグワーツに入り込んでいるのに、ハリーを殺そうとしなかったことです。やろうと思えばできたはず……ダンブルドアの庇護があるとはいえ、隙はある。事故に見せかけて殺そうとしている疑いが濃厚ですが――」

「裏の意図があるにしろ、目的が読めないのが問題ですね」

 マクゴナガルの返答は淀みない。親愛なる女史もあれこれ考えていたのだろう。

 大人たちの表情に眼を走らせながら、ウィスタは紅茶を一口飲んだ。

 確かなのは、今年も平穏な生活から遠ざかったということだけだ。

 ◆

「……誰か煽ってやがるな」

 日曜日の早朝。大広間。ポトフを食べながら、あたりを見回した。お世辞にも好意的とはいえない視線がグリフィンドールのテーブルに浴びせかけられている。

「スリザリンの坊ちゃま方でしょう」

 どうせたいしたことはできません。エリュテイアは今日も淡々としていた。こそこそ話しているスリザリン生たち――マルフォイたちに、幼い子を見守るような眼を向けた。しょうがないなあ、とでも言いたげだ。つまりは歯牙にもかけていない。

「ハッフルパフは面白くないでしょうし、スリザリンはああいう態度になるのはわかっていたけど……」

 レイブンクローまでぴりぴりするのはどうかしら。ハーマイオニーは呟いて、心なしか肩を落としていた。いつもならばロンが「レイブンクローは頭でっかちだからね。気にするなよ」と言いそうなものだが、ロンはいない。ウィスタもエリュテイアもハーマイオニーもその件には触れないようにした。触れてもどうしようもないのだ。

――まさかなあ

 ロンが臍を曲げるなんて思っていなかった。完全に拗ねている。マクゴナガルの室からナイアードに寮まで送ってもらえば、お祭り騒ぎだった。ロンが隅に座っていて、ウィスタが近づけばこう言い放たれたのだ。

『君がゴブレットの出し抜きかたをハリーに教えたんだろう』と。

 あれこれ考えて疲れていたウィスタは、当然ながら沸点が低くなっていた。事の重大さをさっぱりわかっていない寮生どもにも苛立ったが、ロンの疑いの眼差しときたら。

 反論しようとしたらハーマイオニーに腕を引かれ、ロンがますます怒り狂った。ハーマイオニー逆効果だよと言おうにも後の祭りだった。ロンは踵を返して寝室に駆け上がり、エリュテイアは「そのうち頭が冷えますよ」と大変落ち着いていた。

「……余計にこじれたな……」

 ハーマイオニーもジニーも友人なのだ。ロンが勘ぐるようなことはない。

「お葬式みたいな顔ね」

 フラーだった。相も変わらず銀髪は輝いていて、癖もない。青い眼は生き生きしている。

「ウィスタ様はこのような状況を望んでいないのですよ。フラー」

 エリュテイアが返し、フラーに席を勧める。フラーは当たり前のような顔をして、エリュテイアとウィスタの間に収まった。ウィスタは野郎どもの視線を無視した。レイブンクロー方面、特にロジャー・デイビースからびしばし飛んでくる。小難しそうな表紙の本をこれ見よがしに読んでいたがあれはフリだろう。悲しいかな、フラーの関心はエリュテイアにあるようだった。

「軽薄な目立ちたがり屋だったら、あなたが「心に決めたひとがいる」なんて言わないものね」

 とんでもない発言が飛び出した。ウィスタとエリュテイア、フラーしかフランス語がわからなくて幸いだった……いや、ハーマイオニーが眼を白黒させているから、実は聞き取れているのか?

「そのあたりを詳しく」

 三校対抗試合なんて吹っ飛んだ。

「あれは春の日のことよ。庭園に花々が咲き乱れ、妖精が飛んでいて、空は高く澄み渡り……」

 歌うように語られる。詩的な表現をすっ飛ばすと、こうなる。曰くボーバトンはお嬢様校で、上級生と下級生は姉妹の契りを結ぶことが多々ある。エリュテイアから聞いてはいたが、強烈である。

 さて。エリュテイアはフラーと姉妹の契りを結んでいるのだけれど、昨年にエリュテイアの『妹』になりたいと申し込んでくる下級生がかなりいたのだそうだ。

「私は勧めたのよ。そろそろあなたもかわいい妹を持ちなさいって」

 だというのに。はあ、とフラーがため息を吐く。甘い香りが漂って、ウィスタは小難しい魔法理論を頭の中で暗唱した。

「それで?」

「残念ですがマドモワゼル。私には心に決めたひとがいるのです……ってね」

――どこの紳士だ。どこの騎士だ

 大騒ぎだったわ。どこの令嬢がエリュテイアの心を盗んだの! ってあの子たちいきり立つし、いいえもしかして外に男がいるんじゃないかってなんとかかんとか。滔々とフラーが語り、ウィスタは頭が痛くなってきた。ホグワーツとは文化が違うことを差し引いても強烈である。

「どの道今年にはホグワーツに赴く予定でしたしね。可愛い妹たちの心をかき乱して去るのは……」

「十分に乱したんじゃないか」

「ああお姉さまと泣いていたわよ」

「さもあらん」

 想像がついてしまう。ところでフラーはどうしてエリュテイアと姉妹の契りを結んだのか。水を向けてみれば、彼女はエリュテイアの手をそっと握った。なんだかドキマキしてしまい、視線を逸らした。

「ヴィーラ混じりなんて言われて絡まれていたら、私の妹が助けてくれたの」

「貴女に助けが必要とは思えなかったのですが、つい」

「……混じり?」

 思わず呟く。フラーは胸を張った。

「祖母がヴィーラなの」

「納得した」

 とても納得した。頭がふわふわする理由もわかった。

――つまり

 ガブリエルやフラーは、ウィスタをからかって遊んでいたのだ。

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