【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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三十七話

 風呂、と鸚鵡返しした。風呂だよ、とハリーは頷いた。

「俺の個人風呂なら提供できるけど」

 ダンブルドアに融通してもらったものだ。身体がめちゃくちゃなことになっているので、愛用せざるを得ないのだ。

「……セドリックがわざわざ教えてくれたから、監督生用じゃないとダメなのかもしれない」

 行ってみてなにもなかったら君の風呂を借りるよ。ハリーは悲壮な顔で言った。セドリックには頼りたくない! と大書してある。チョウとセドリックは破局の予感はない。二人揃って「今度のホグズミードはクインと一緒に行くんだよね」とからかってくる。クインとのおつきあいは内緒なのだが、そのあたりもくみ取ってこそっとからかってくるのだ。畜生。

「地図は貸そう」

 もやもやを振り払い、フィルチの巡回時間を教える。ついでに卵を思い浮かべ、ハリーをみた。

「鞄も持って行けよ。リュックのがいいか」

 透明マントを着て、片腕に卵を抱えるなんて動きにくくて仕方ないだろう。幸いリュックはハーマイオニーが提供した。花柄のかわいらしいやつだ。ロンが笑い転げ、ハリーに蹴られていた。

 どうせハリーのことだから無事に帰ってくるさ、とその日は自室に引き上げ……翌日。

「クラウチがいた?」

 朝食の席で、とんでもない爆弾が投げ込まれた。ハリーの顔は真剣そのもの。課題のことも気がかりだが、真夜中のホグワーツに魔法省高官がいた事実のほうが重要らしい。

「地図にバーティ・クラウチって」

「……地図の認識が狂ったんじゃないだろうな」

 ありえないことだ。エリュテイアが即座に『炎』を飛ばす。ダンブルドア宛とリアイス――クロード宛だ。あとで父にも飛ばしておこう。ホグワーツの近くに待機しているのだ。なにかあったときのために情報を渡しておくべきだった。

 問い合わせの返事はすぐに来た。クラウチ氏は相変わらず自宅療養中で、ホグワーツ訪問の話もない、と。父もまた同様で「クラウチほどの人物が、手順を無視してホグワーツを訪ねるとも思えない。もしなにか捜索したいのなら、口実をつけて訪ねるだろう」とのことだ。ごもっともで。

 ウィスタはこの件を棚上げにした。大人たちに任せればいい。問題は第二の課題だ。湖にもぐって「大切なもの」を取り返さないといけないらしい。

「……答えを知っていても言えない辛さよ」

 ハリーたちが張り切って図書館に行くのを見送って、ウィスタは呻いた。試合に噛めないのだからどうしようもない。それとなく誘導するのも公平ではないだろう。

「泡頭呪文をかけて水魔に乗る……」

「それもいいんだけど」

 俺見ちゃったんだよね。

 スネイプの研究室に、鰓昆布があるのを。

 ◆

 日々は飛ぶように過ぎ、第二の課題が迫り――大波乱で終わった。多くは語るまい。

「……だから俺じゃないですって」

 魔法薬学の授業の後、ウィスタだけが居残りを命じられ、壁際まで追いつめられた。第三者が見れば、何の罪もない少年を脅している教師、という最悪な光景であろう。

「貴様以外の誰が鰓昆布の所在を知っている」

「……一年生の時からさんざん整理させといて」

「黙れ」

「冤罪ですよ」

「証拠は?」

「悪魔の証明ですから。真犯人を見つけるしかないでしょう」

「お前が一番真っ黒だ」

「仮にも学年上位なんですよ俺は。足がつくような真似をするとお思いで」

 ウィスタは学年二位であった。襲撃その他のせいと、学期末試験でまね妖怪を木っ端みじんにしたせいもある。順位はともかく、ウィスタが莫迦ではなくて、むしろ小賢しいことはスネイプも承知しているはずだった。

 スネイプの肩に手を伸ばし、押しのける。うれしくないが段々視線が近くなっている。こんなことで成長を実感したくないのだけど。

「あれが疑り深いのはいつものことだ。何にでも影を見るんだ」

 根暗だからな。せせら笑ったのは父であった。ホグズミードの叫びの屋敷。ウィスタが持参してきたチキンを平らげ、パンも片づけ、スープも飲み干し、父は満足したようだった。

「あれはうっとうしく飛び回るが、今回の――対抗試合の黒幕ではない、と思う」

「本音はどうよ親父殿」

「口実さえあれば叩きのめしたいね」

 あからさまな願望であった。聞くまでもなく、リーマス失職の原因となったスネイプを許していないのだ。

「じゃあおじさん、クラウチさんの件はどう思うの?」

 綺麗に整えられたソファで、ハリーはくつろいでいた。父が「ハリーが来るだと!」と張り切って内装を綺麗にしたのだ。実の子の訪問にもこれくらいやる気を出してほしいのだが。

「やりかねないと思うが――同時に頭も回る男だ。損得勘定ができない男ではないし、公正明大清廉潔白たる己を示そうと、息子をアズカバンに送ったくらいだから」

 聞いた話だ。息子を許さず、裁判にかけて監獄に送った。そして息子は死んだ……。

「あんまりにもひどすぎない?」

「……と、世間も思ったのさ、ロン」

 正しいことはよいことだ。ただ、正しすぎるものは怖いものだ。父が言い、疲れたように片手で顔を覆う。

「少なくとも、クラウチの息子が死喰い人だったという証拠はない。闇の印はなかったし……本人は否定した」

「印のあるなしは関係ないの?」

「印がない、すなわち死喰い人ではないのなら……私がアズカバン送りになることはなかったろう。状況証拠と目撃証言だけだったから」

 ハーマイオニーが息を呑む。ウィスタも改めて父に対する惨い仕打ちを思った。いくらでも冤罪を着せられるだろうし、社会的に抹殺することも可能だろう。策さえ弄せば。特に父の場合は黙りで送られたのだ。

――下手に騒げなかったのだろう

 父はリアイスの婿である。もしかしてリアイスの権力やダンブルドアの発言力を使えばどうにかなったのかもしれないが、聞く限りでは望み薄だった。条件が悪すぎた。秘密の守り人の真実を知る者は父以外は死んでしまったのだから。無理矢理ひっくり返したところで、権力の濫用だとかでリアイスとダンブルドアに火の粉が飛んだろう……だとか、父の沈黙の理由は察せられる。苦いものがこみ上げてきた。

 父に比べたら、ウィスタの境遇なんて楽なものだ。

 

 数日後、ウィスタはぼやいた。

「……特派員って、ほかのもんでも記事書けるんだ」

 てっきりスキーターは日刊予言者新聞社の社員だと思っていたのだが、違ったらしい。

「新聞社は新聞だけを出しているわけではありませんからね。『週刊魔女』は雑誌部門で。ありえないことではないかと」

「それにしたってなあ」

 にやにやしているマルフォイから手渡され、もといぶん投げられ受け取ったのだが、低俗な話が書いてあるわけだ。

「ハリー・ポッターの密やかな胸の痛み……動悸の薬は入り用か?」

「痛いどころか張り裂けそうだよ」

 怒りでね、とハリーの言を継いだのはロンで、ハーマイオニーは「いい年した大人が莫迦じゃないのかしら」と白けていた。

「こいつらに倫理はないのか」

「あったら恥ずかしくてこんな記事は書けませんよ」

「それよりクラムとハーマイオニー、」

 ロンが食いつこうとしたが、エリュテイアが黙らせた。流石だ。親愛なる『週刊魔女』によるとハリーは失恋したことになっている。ハーマイオニーに恋していたのだが、彼女はクラムをたぶらかして、ハリーを振った悪女扱いのようだ。ちなみに「黒髪の御曹司」はどろどろの話から姿を消していた。一応配慮はしたらしい。

――潰してやろうかな

 やってもいい。やろうと思えばきっとできる。ナポレオンだって言っていた。成せばなる不可能はない。偉人の言葉が混ざっている気がするが、たいした問題ではない。

「彼にブルガリアに遊びにおいでって誘われたのは事実なの」

「……で、それをどうしてか聞かれたの」

 ハリーとハーマイオニーが大真面目に議論し、ロンは歯を食いしばっていた。ダンスパーティの時に素直になっていればよかったのに。

 ウィスタは二人に聞こえないように声を低くした。

「見ようによったら、マグル生まれの魔女が生き残った男の子をたぶらかした……っていう差別意識むき出しじゃないか」

「煽っているのですよ。嘆かわしい」

 エリュテイアが指を鳴らす。たちまちのうちに雑誌が燃え尽きた。

 記事が掲載されて、数日が過ぎた。ハリーもハーマイオニーもいつもと変わらない様子だった。半分以上が強がりなのだけど、そうするしかないのだ。

 毎朝の恒例行事。ふくろう便の時間になった。羽ばたきとともにふくろうがやってくる。それぞれのテーブルに――グリフィンドールにどっさりと。

「いつからこんなに人気者になったハーマイオニー?」

 ぎゅうぎゅうになるふくろうを払いのけ、しかしまたやってきて、と大混乱。ハーマイオニーはあんぐりと口を開けていた。

「これは……どうしましょう」

 小さなふくろうから、ハーマイオニーが手紙を受け取る。しばらくして顔を真っ赤にした。放り出された手紙がぽとんと落ちる。んな、と誰かが声をあげた。

――扇動されるやつがいたんだ

 新聞を切り取ってハーマイオニーを侮辱する文をつづっている。ハリーとロンがいくつか開封したけれど、似たようなものだ。穢れたマグルめだとか、ふしだらな女だとか。悪意に満ちていた。

「それ以上はお止めなさい」

 何事か、とマクゴナガルが走ってきていた。手紙とふくろうの山、唖然としているハーマイオニーを見て事情を察したらしい。

「きわめて低俗な――」

 続きを聞くことは叶わなかった。羽ばたきがして、上を見た。ふくろうが数羽いて、ぽとりと手紙を落とし――弾けた。一瞬の出来事だ。気づけばハーマイオニーが顔を押さえていて、ウィスタはエリュテイアにかばわれていた。

「お怪我は」

「腕を少し……あんたは」

「背を斬られただけです」

 ちょうどエリュテイアに押し倒されるような格好だった。幸いといっていいのか、ほかに被害はない。追撃のふくろうは、マクゴナガルが追い払った。

 ポモーナ! とマクゴナガルが叫ぶ。ハッフルパフの寮監で薬草学の専門家でもあるスプラウトが走ってきた。

「なんて陰湿な! さあさ、これで応急処置をしましょうね」

 どろりとした軟膏をハーマイオニーに塗る。しゅうしゅうと煙が上がり、ハーマイオニーが涙をこぼした。

 ウィスタはオレガノのエキスを自分とエリュテイアの傷にふりかける。大広間は大騒ぎだ。なんと言っているのか聞き取れない。

「さあ、医務室に」

 マクゴナガルが担架をつくる。ウィスタは問答無用でエリュテイアとハーマイオニーを転がした。

「あなたも乗りなさい!」

「俺は腕だけです。歩けます」

「ウィスタ様、私もたいした――」

「静かにしてろ」

 一瞥すれば、エリュテイアは押し黙った。マクゴナガルが付き添おうとしたが断って、担架ふたつを引き連れて大広間を出ようとする。

「ハーニオウンニニー」

 今日は千客万来だ。スリザリンのテーブルから、クラムが猛然とやってきた。ただれた顔を見られたくないのか、ハーマイオニーは両手で顔を覆っていた。

「セクタムセンプラに劇薬に……なにを考えているんだ英国人は!」

 クラムから見た英国人の株が地に落ちたようだった。そりゃあそうだ。

「ウィスタ、呪い返しならしておくわよ」

「頼もしいなクイン」

 クインも颯爽とやってきた。男前だ。女の子だけど。ついでにセドリックもやってきていたし、チョウも一緒だし、フラーは「女の子の顔になんてことを万死に値するわ」とお怒りだった。フラーは己が美しいことを熟知しているし、ものすごく高飛車だが、こういう下衆な真似はお嫌いらしい。

「それに私の姉妹にも。エリュ、ボーバトンに戻りましょう」

「私はウィスタ様の側にいます」

 すったもんだしながら医務室に向かうだけで疲労困憊したのは言うまでもない。

 狂気、呑まれて

「俺って愛されてんだな」

 実父からの、そして養父からの長いながーい手紙を読み終えて、二通とも灰にした。ふくろう便事件の翌日、ウィスタは過保護なマダム・ポンフリーに軟禁されていた。エリュテイアとハーマイオニーも同じくである。

「そういうことを君のパパに言っちゃダメだよ。ルーピン先生にもね」

 きっとショックを受けるよ。ロンらしいまっすぐな言葉であった。貧乏だがそれなりに家族仲がいい環境で育ったのだ。親の愛情を疑ったことなんてないだろう。

「言うかよ……呪い返しはリーマスがきっちりしたみたい」

「さすが先生」

 ハリーが感心したように言う。ウィスタは眼を逸らした。どんな返しをしたのか怖くて訊けない。そしてマクゴナガルも、リーマスに呪いの手紙を全部送りつけないで欲しかった。返すには発信元の特定が不可欠で、手紙は格好の材料なのだ。

「ハーマイオニーを狙ったものが大半で、いくつかはウィスタ様狙いだったようですね。便乗したのでしょう」

 寝台に横たわり、エリュテイアは不満そうだ。さすがの彼女もマダム・ポンフリーには勝てないのだ。午後には退院できると信じたい。

「リータ・スキーターも、煽られるひとたちも邪悪すぎるわ」

 ハーマイオニーの顔は少しだけ爛れている。最初は酷いものだった。腫れ草の膿の原液なんてもんを送りつけるやつがいるとは。スプラウトの応急処置のお陰で痕も残らないようだけど。

「お見舞いはもう終わりです」

 十分すぎています。厳しく言って、マダム・ポンフリーがハリーとロンを追い出した。

 

 報復が効いたのか、嫌がらせの手紙は来なくなった。リーマスによると「骨身に染みるほどの恐怖を植え付けた」ようだからさもあらん。

 やりすぎたのよね。優雅な手つきで紅茶を注いで、クロードが呟く。ゴドリックの谷、ランパント城。当主の執務室である。イースター休暇に突入し、ウィスタは『谷』に赴いたのだ。

「あちらこちらの家から……名門ね……声があがったのよ。子ども相手になんてことを。いや、成人だとしても品性の劣る行いだとか」

「……と、リアイスが社交の場で言ったと」

 笑顔が答えである。ともかく莫迦を牽制したのは間違いないようだ。

「上から下へとそういう世論にして、考えなしを締め上げておしまい」

 なんで後先考えられないのかしら、ああいう人たち。クロードは口から火を吐かんばかりだった。

「嫌がらせしか楽しみがないんだろう。かわいそうに。それか自分が正しいと思っているか」

 まったく怖いことだ。ある程度「考え」がある連中は手も読みやすいが、一番面倒なのは世間に潜んでいる普通の方々である。どう暴走するか読めやしない。ハーマイオニーへの攻撃が、マグル生まれ差別だとか世間ではよろしからぬことだとか考えてもみないのだろう。かわいそうなハリー・ポッターを自分が助けるのだと信じているのだ。反吐が出るね。

「訴訟したいなら手伝うと、ハーマイオニーには伝えておきなさい」

 個人と、新聞社と。どっちも粉砕してくれるわ。クロードはやる気満々である。たおやかに見えてやはりリアイスの女なのである、クロードも。

「それで、制御法を学びたいんですって?」

「未来と過去は方向性が反対だけど、性質は同じだろう」

 スネイプの研究室で昏倒し、さすがに拙いと思ったのだ。あれこれと事件が持ち上がり、過去視について真剣に考える時間もなかった。けれどそろそろどうにかすべきなのだ。

「暴走すれば命に関わるから……そうねえ」

 クロードは立ち上がり、ウィスタの傍らに立った。両肩に手を添えられる。

「使えればとても便利でしょう。覚えておいて損はない……釣り糸を垂らして針をひっかけるのよ」

 眼を閉じて。呼吸をゆっくりと……己の中を探りなさい。血の流れを想起して。だってこれは魔法族の血がなせる異能なのだから。

 呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ……じわりじわりと身体が熱くなる。ふっと眼をあければ、執務室は黄昏色に染まっていた。座っているのは黒髪の魔女である。

「ロケット、カップ、ティアラ……四強ゆかりの品は……探し出さないと」

 すべてを終わらせるために。

 固い決意の滲む声。もっと視ていたいのに、時は離れていく。視界が『戻る』。空気も音もなにもかも、切り替わった。

「……あなたは」

 なにを求めていたんだ。

 ◆

 過去視の名残を引きずりながら、翌日にはランパント城を後にした。

――四強の品

 母はなぜ求めていたのだろう。年は二十歳前後……だと思う。もしかしたら十七、八かもしれないが。女の年齢はよくわからないのだ。

 謎が増えるばかりだ。言ってはなんだが、リアイスは三家の末裔だ。ゆかりの品なんぞけっこうあるのだ。わざわざ「四強」の品を求める意味が分からない。クロードにもエリュテイアにも、誰にもこのことは漏らさなかった。こうして秘密と――謎は増えていく。

「ゆっくり休もうと思ったらこれか」

 ダンブルドアに帰還の挨拶をしようと校長室に向かえば、ガーゴイル像に向かって喚いているやつが一人。

「どうしたハリー」

 弾かれたようにハリーが振り向く。髪はいつも以上にくしゃくしゃで、ふっと森と汗の匂いがした。

「ダンブルドア先生にお目にかかりたいんだ! クラウチさんが森に!!」

 ハリーがこれほど焦っていなければ、ウィスタはなにを寝言を言ってんだと流していただろう。しかしどっからどう見ても本気であるし、ハリーは悪戯を仕掛けるような男ではない。指を鳴らして『炎』を飛ばす。一分もかからないうちに校長が降りてきた。問われる前に踵を返す。

「森にクラウチ氏がいるようです」

「どうも正気じゃありません! でも、どうしても先生に会わないと……と。クラムに看てもらっています」

 ダンブルドアは四の五の言わなかった。奇妙だとか雇う人選に偏りがあるだとか言われる魔法使いだが、非常時に大変頼りになる人である。杖を一振りする。銀色の影が飛び出していった。そうして喚ぶ。

「フォークス」

 宙に深紅と黄金の光が溢れ、霊鳥を形づくる。ダンブルドアはフォークスの尾を掴み、片方の手を差し出した。ハリーが掴み、ウィスタは「頼む」と言ってフォークスの足を掴んだ。ふっと視界が暗転し、草地に降り立つ。

 森を浸食する闇を、不死鳥の輝きが追い払う。光の中に倒れ伏すクラムの姿が浮かび上がった。

 ハリーは杖を引き抜いたままあたりを見回し、ウィスタは唇を引き結ぶ。ダンブルドアは片膝を突き、クラムをゆっくりと検分した。

 気付け呪文が唱えられ、クラムが身じろぐ。

「あいつが僕を! 審査員が……わけのわからないことばかり……少し眼を離したら――」

「怪我はないかの。痛いところは」

 喚くクラムも、ダンブルドアのライトブルーの眼差しを前にして、段々と落ち着いていった。

「問題ありません。驚いただけで……」

「ウィスタ、エリュテイア、彼を医務室へ」

「そして儂は」

 草を踏み、駆けつけたマッド・アイが唸る。魔法の眼も生来の眼も炯々と光っていた。狩人の眼だった。

「――クラウチを探そう」

 言葉少なに言い、森に飛び込んでいく。まるで獣であった。あの牙からは誰も逃れられないだろう。あっという間に影は小さくなっていく。目的地を知っているかのように迷いがない。長年の経験値がなせる技だろうか。

 クラムに声をかけ、肩を貸す。彼の震えが伝わってきた。

「ホグワーツはあんたにいいところを見せられてないな。こんなことに巻き込んでしまって」

 一歩一歩進みながら、クラムを落ち着かせるために語りかける。

「この試合は最初から変だ」

 ぽそり、とクラムが返す。

「ハリーが選ばれて……僕もセドリックもフラーも」

 誰かに見られている気がする。

 視線を感じるんだ。

 

 クラウチ失踪の件は、ダンブルドアをはじめとした関係者に激震をもたらした……のだが、カルカロフは「陰謀だ」と決めつけた。うちの大事な生徒をどうこう、とダンブルドアを詰り、ハリーをけなしたらしい。最終的にマッド・アイがカルカロフを一睨みして黙らせたようだ。

「これが推理物の小説かドラマだとしても、犯人を当てるのは難しいよな」

 ホグワーツの北塔に登り、夜空を見上げる。鴉は沈黙し、肩に乗ったままだ。エリュテイアは扉のところで控えている。

――結局

 クラウチは見つからなかった。捜索は一旦打ち切られたのだ。これはクロードからの報せが決め手になった。

 彼はもう生きていないでしょう。姪たる私の血で占じたのです。生存か否か……答えは否。今は生きている者の心配をすべきです、と。

 合理的というべきか、冷徹というべきか。魔法省も乗り気ではないようだ。バーサ・ジョーキンズがアルバニアで発見され、その火消しに追われている。そんな中で今度は高官が――名門出身の魔法使いが失踪したなどと、記者たちの羽根ペンがうれしさにくねること間違いなしだ。

 魔法省の結論も「放置」に落ち着いた。となれば、ダンブルドアも腹のうちはどうあれ、生きている者のために注力するしかないわけだ。

「クラウチを恨んでいるのは誰かっていうと」

 息子になるのだろうか。クラウチのことは好きにはなれないが、失踪しても黙殺されるのはあまりに無情だ。そもそも下手人が息子なわけがないのだ。彼は死んでいる。亡骸はアズカバンに葬られ、死して訪ねる者はない。

「これもあいつの一手なのか。偶然か」

 仕組んだのは誰なのか。なにもかも判然としないまま、イースターは過ぎて、今は六月。第三の課題はもうすぐだ。

 眼を細める。ああ、いつかフィレンツェが言っていた。火星が赤い、と。

 ただの杞憂であればいいが。星は、滴る血の色をしてウィスタを見下ろしていた。

 ◆

 クラウチ失踪の件にばかりかまけていられなかった。学期末試験が近づいていたのだ。とっくのとうに四年生の範囲は終えていたので、ハリーを間接的に手助けした。呪文を練習するための空き教室をマクゴナガルからもぎとったのだ。今回ばかりはウィスタも介入できるのである。なにせ課題は迷路を突破せよというもので、攻略法を教えようがない。ウィスタもどういう仕掛けがあるのか知らないのだ。多少の手伝いならできる。

「箒を使えないのは残念だよ」

 第三の課題前日、朝食の席にふらりとやってきて、セドリックがこぼした。少しだけ眼が赤い。学期末試験期間だから、セドリックでなくとも眼が赤い連中が多い。ハーマイオニーもいささかやつれているくらいだ。

「乗れてなくて苛々してる?」

「君と勝負がしたいよ。君とハリーとグリフィンドールチームと」

 僕は来年で卒業なんだ。念を押され距離をとった。

「……入れと?」

「いいだろう?」

 考えておくよ。かなり適当な返事だったが、セドリックはうれしそうだ。ちなみに迷路は箒禁止で、なぜかというと不公平になるからだ。フラー以外は飛び手なのだから、そりゃあ禁止にもなる。おそらく、箒を呼び寄せて乗ってもたたき落とされるだろう。ルード・バグマンは乗り手の心理に精通しているのだから、それくらいは考えている……と思う。

 少し機嫌がよくなったセドリックが、ハッフルパフのテーブルに帰って行く。その背を見送りながら「どうせアンジェリーナに捕まるもんなあ」と己の将来を悲観した。

 試合当日になり、試験が終わりたいていの生徒は飛び上がって喜んだ。試験を免除された代表選手は思い思いに過ごしていたようで、ハリーはどこか吹っ切れたようだった。

「ここまできたらなるようになるさ」

 なるようになるどころか、呪文の知識はかなり増えたろう。父が実用的な呪文をずらずらと羅列した手紙を寄越すわ、ハーマイオニーがスパルタ指導するわである。ちなみにロンはハリーを励ましていた。美しい友情である。

 時間の流れがはやくなり、遅くなり、飛び飛びになり……晩餐でなにを食べたか覚えていない――第三の課題がはじまります、とマクゴナガルが呼びかけた。代表選手たちと生徒たちが立ち上がる。クィディッチ競技場――迷路へと歩を進める。ウィスタも人波に紛れ、校庭を突っ切り――後ろから肩を叩かれた。

「先生?」

 誰あろうマッド・アイだ。真剣な顔だ。傷跡だらけだから読みとりにくいが、ふざけていないのは確かだった。

「話がある」

「今――」

「お前の母親に関してだ」

 嘆息する。エリュテイアに『炎』を送った。側を離れないように言われていたのに、人波にもまれて分断されたのだ。後でしかられそうだ。ウィスタが主なのに。

 身振りでついてこい、と示され、素直に従った。凄腕の闇祓いが、こんな局面でなにを持ち出すのか興味があった。連れて行かれたのは森の端。ちょうどクラムが倒れていた場所だ。ウィスタは樹に背を預けた。

「趣味が悪すぎませんか。それとも闇祓いはそういうもの――」

 なのですか、と言おうとした。だけれど音は言葉にならない。視界がぶれる。黄昏の色は同じ。誰かの恐怖がせり上がる。

 警告しなければ。ダンブルドアに。リアイスに。ハリー・ポッターに告げなければ。なんてことを。私は罪を。情に負けた。妻の願い……一族の恥だったのに助けて……息子は償いきれぬ罪を――。

 あれはクラムか。危ない。来てはいけない。私はなにをするか……伝えないと。呪文に支配される……破ったのに……これほど優秀とは。

――誇れればよかったのに

 どこで間違えたのか。全部間違えたのか。クラムが倒れた。助けないと。手を伸ばす。しかし身体が言うことを聞いてくれない。ちっともだ。思うとおりの人生ではなかった。ずっと。掴もうとしたものは奪われた。

「哀れだなあ」

 ひ、と。嘲りが響く。青い眼。魔法の道具……顔は傷だらけ。姿はあれと同じだが、直感に導かれて囁いた。

「愚かな息子よ。お前など――」

 生を与えるべきではなかった。断罪の刃を振り下ろすことは叶わない。影の唇が弧を描いた。

「息絶えよ」

 杖が歌ったその瞬間、彼は祈った。

 どうか止めてくれ。息子を――バーティを止めてくれ。

 眼を見開く。影を――マッド・アイを……ダンブルドアさえ騙した男を見た。

――過去視はなんて役立たずなのだろう

 こいつが『バーティ・クラウチ』だと看破したところで遅すぎる。なにもかもが。

「さて」

 闇の帝王に供物を捧げん。

 何かを握らされる。青い光が世界に満ちた。覚えのある輝き。

 ポート・キーの光であった。

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