【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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三十八話 太陽を射落とした者

 鐘を鳴らされているかのような頭の痛みと、灼けるような眼の痛みで覚醒した。湿った土の臭い。ぬるい風に混じるのはかすかな腐臭。立ち並ぶ影は月の光に晒される。

――墓地だ

 打ち捨てられているのだろう。墓標には苔が生え、地には草が生い茂っている。そしてウィスタが縛り付けられているのも墓標だろう。近くに転がっているのはポート・キー。やられた。呟こうとして果たせない。ご丁寧に轡を噛まされ、沈黙呪文までかけている。

 第一に。苦痛の間隙を縫い、思考する。呪文を解除する。集中すればできるだろう。第二に……轡を解く。並べれば簡単に思えるが、今のウィスタには難題だ。

 痛みが鎮まればどうにかできるだろうが、酷くなるばかり。呻こうにも呪文のせいでままならない。苦痛は蓄積されて膨れ上がる。

 あいつがどこかにいる。近くに。きっとこの墓地に。

 してやられた。だが誰が――死喰い人が、マッド・アイになりすましていると思うだろう。気づくか気づかないかの違和感はあったのに。あえて無視していたのだ。

 身をよじる。耳障りな金属音が響いた。

――『冬の息吹』で砕けば

 そうしたら自由になれる。ポート・キーを拾えば……帰りも使えるのだろうか。ともかく脱出するのだ。

 目眩がする。亡霊がやってくる。柩は三つ。担ぎ手たちの顔は一様に暗い。悲しみの影はなく、柩の主たちが敬愛どころか疎まれているのだと読みとれた。服装からしてマグルだ。ここは魔法族の集落ではない……。

 ウィスタの足許に穴が掘られる。乱暴に柩が置かれ、誰かがなおざりに唱えた。

「安らかに眠りたまえ」

 トム・リドル。

 息を吸い込む。影はどこにもなく、墓石は変わらずにあった。トム・リドル。あれは過去だろう。けれど、ウィスタの知るトム・リドルは――。

 どこかで落ち着いて考えようにも、どうにもならない。なるべく痛みが少なくなるようにゆっくりと息を吸って吐く。やがて闇夜に光が灯った。ふたつ。

「ここは、どこだ?」

 訝しげな声。飽きるほどに聞いた。眼を見開く。そんなまさか。ありえないだろう。

「ハリー、ともかく警戒しよう……優勝杯がポート・キーだったなんて」

――セドとハリー

 驚愕が恐怖にとって変わる。声が出せたなら。まだ沈黙呪文も解除できていない。足で墓石を蹴る。暴れ、暴れに暴れ、鎖を鳴らす。気づけ。ここは拙い。早く逃げろ。

 はた、と影たちが立ち止まる。

「ウィスタ!」

 異口同音に叫んでこちらに駆けてくる。違う、そうではない。ウィスタのことはいいのだ。

――逃げろ!

 貫くような痛みが襲う。ハリーが倒れ、セドリックが助け起こそうとする。

「余計な者はいらん」

 情の欠片もない声が戦慄を奏でた。

 息絶えよ。

 

 知っていたはずだった。望みを抱けば砕かれて、大切なものほど奪われるのだと。身にしみていたはずだった。昨日と同じ日々が続くのだと限らないと。

「……セ、」

 両眼が燃える。溶ける。痛みと苦しみ。火炙りにされている。ひたりひたりと満ちた激情が呪文を打ち砕く。

「――セド!」

 返事はない。仰向けになったまま。灰色の眼は見開かれ、指先は動かずに。なんでそんなありえない莫迦なあっていいはずがないセドはただの魔法使いだウィスタのような厄介事なんて抱えていない親切な親切で兄のようで友達でこんな風に死んでいい男ではない。

――殺されていいはずがない

 何か抱えた小柄な影が、よろりよろりと歩を進める。獣の唸りを発するウィスタを見て、後退した。投げ出された大鍋にぶつかり、水面が揺れる。とりどりに色を変え、火の粉をまとわりつかせ、ぽっかり開いた魔物の口のよう。煙をあげるそれに、影が包みを投げ入れる。

 儀式だ。なんの儀式かはわからない。ひょっとしたらウィスタもハリーも首を斬られて鍋に入れられるのかもしれない。たとえ首だけになっても、肉の塊になっても一矢報いてやる。ウィスタは黄金のグリフィンなのだから。

 凶悪な感情がわき上がる。巡る血潮が囁いた。狂える黄金のグリフィンの心が、今は理解できた。決して赦さない――大鍋を睨みつければ痛みが増す。痛みと怒りこそがウィスタをウィスタたらしめていた。

 やつは大鍋の底にいる。理屈を飛び越えた直感で確信した。どんな手を使ったかは知らないが、あれは仮の肉を得ていた。

 大鍋が輝き、天を白く染めていく。影の――卑しいワームテールの息づかいが早くなった。

「時は来た」

 やれ。どこからともなく響く声に、ワームテールは震える。わななく唇が唱えた。

「父親の骨、知らぬ間に与えられん。父親は息子を蘇らせん!」

 ウィスタの足許が割れ、白い粉が大鍋に降り注ぐ。水面が禍々しい青色に変わった。

 ワームテールはすすり泣き、泣いて泣いて、歯を食いしばる。今度は杖を己の腕に向けた。

「しもべの肉――喜んで差し出されん……しもべは主を蘇らせん!」

 喉も枯れよとばかりの叫びがウィスタの鼓膜を貫いた。水面が音を立て、ワームテールは倒れ伏し、転がり回った。しかしよろよろと立ち上がる。血を滴らせ、暗い色の軌跡を描きながら、ウィスタの隣の墓石に縛り付けられた、ハリーへ向かう。無事な片手に杯と杖を持って。

――聖杯

 血を受け止める器。ある種の魔法具。朧気に輪郭が見えてきた。

 力を得るために喰らい、取り込む思想があると父は言っていた。お伽話のようなもの。骨と肉と血……。どれも魔法の強力な媒介だ。

「敵の血、力ずくで奪われん――汝は敵を蘇らせん」

 ハリーが呻く。杯に血が滴り、重い音を立てた。

 ウィスタは眼を瞑った。敵の血。生き残った男の子の血こそがふさわしい。そうしてウィスタの場合は――純血ゆえに……。

 しかし、予想は覆された。

 ワームテールが迫る。

「眷族の血、捧げられん! 汝は王父を蘇らせん!!」

 息を呑む。闇の魔力が向かってきて、肉を切り裂いても、ろくに反応できなかった。

――なんだと

 心臓が早鐘を打つ。二人の血が大鍋に降り注ぎ――光が弾け、影が立ち上がった。

 闇を紡いだがごとき黒髪、骨のごとき肌、片頬には傷、双眸は禍つ星の色彩。

「ワームテール」

 帝王は下僕を喚ぶ。圧倒的な強制力を前に、ワームテールは這うようにして主の許へ至った。長い指が彼の腕に触れ、何かの焦げる臭いがした。

「――上々だな」

 帝王が歌うように言う。一陣の風が吹いて、外套を纏った影たちが、帝王を取り囲む。恭しく頭を垂れた。

「お慶び申し上げます。我が君のご帰還をお待ち申し上げておりました」

「舌のなめらかなことよ、ルシウス」

 抜け目のないやつめ。帝王はせせら笑う。あらぬほうに杖を向け、ややあって死喰い人のひとりがのたうち回った。

「魔力も戻ったな」

 よろしい。確認を終え、痙攣する僕など一顧だにしない。帝王にとって僕は僕であり、それ以上ではないのだろう。

「――我が君」

 そっと、死喰い人――ルシウスが呼びかけた。いつになく機嫌のいい帝王は僕を見下ろす。

「このような偉業をどのようにして……前人未踏でございますれば」

「興味はそそられような」

 滔々と帝王は語る。己だけの魔法薬。愚かな魔女の血をすべて抜いて、一角獣の血も使い、蛇の毒も少々……殊にまるまる一人分の血を調達できたのはよかったぞ。命の水は最高の媒介だからな。

「仮の肉体だけでは足りぬ。永遠を求めるのは諦めた。賢者の石は失われたからな……必要なのは骨と肉と血であった。血は邪魔者のハリー・ポッターの血が必要であった。誰もが気のゆるむ瞬間、ポッターが一人になる瞬間があった」

 それは優勝杯を掴む時。ポート・キーに変え……拉致させればよい。

「そして……そこなリアイスは――」

 ルシウスは言葉を濁す。帝王は軽やかに笑った。

「お前の口からは言えぬな。そうとも言おうとすれば滅びるのだから」

 踵を鳴らし、帝王がやってくる。愛おしむようにウィスタの頬を撫でた。痛みを越える痛みと、迫り来る破滅の予感に身を震わせた。

――その先を

 言うな。間違いであるはずだ。帝王が杖を回す。鏡が現れ、紙のように白いウィスタの顔を映し出す。

「リアイスとブラックの子だから? 違う。我が眷族……愚かな我が娘、リーンの息子――」

 我が孫ゆえに

 必要だったのだ。

 

 紅の双眸こそ、その証。

 ありえない、とは言えなかった。むしろ腑に落ちてしまった。受け入れるか受け入れないかは別として。

「アリアドネは才媛であった。そして良き友であった……俺様が誰かも知らず、グリフィンドールの末裔だと名乗った……」

 聞きたくもないのに帝王の語り声はじわりじわりと侵入し心をかき乱す。

――信じていたのだろう

 そうして、惨いことに……。

「俺様は思いついた。太陽を射落とすことを。さてどのようにすべきか? 誇り高い女。絶望させるには――呪いをかけようと思いついた。黄金の血統を殊の外大切にしていたのだ」

 うふ。歪な笑声が墓場を渡る。片膝を突いたルシウスが、耐えかねたように震えた。

「服従の呪文、記憶の改竄……決定打だけは与えずに、覚え込ませた。黄金のグリフィンどもは、案外脆くてな。アリアドネは俺様の仕掛けに気づかなかった。卒業し……結婚を先延ばしにし……とある夜に一撃を与え」

 アリアドネは狂った。もはや取り消せぬ。時間は戻せぬ。あの顔は見物だった。

「そうして生まれたのが我が娘よ。リーン・リアイス。偽りのグリフィン」

 歯が鳴った。この痛みが誰の痛みなのかわからない。消えてしまいそうな、いいや消え去りたいと強く思う。

――祖母様

 狂うはずだ。怒るはずだ。憎むはずだ。憎んで憎んで憎んだ。二年前のあの怒りは正当なものだった。弄ばれ、望まない子を産み落とし……疎んで遠ざけた。

 母さん。小さく小さく呟いた。最低なんて言葉で言い表せない。地獄でしかない。誰も幸せにならない呪いだ。

「――そしてミスラのやつは、娘のために命を散らしたのだ。実に滑稽よ。血の繋がらない子のために! 知らぬが華というものよ」

――ああ

 口の中が泥の味だ。これほどに卑しい男をウィスタは知らない。そうして呪われた血はウィスタにも流れているのだ。

 帝王は沈黙したままのウィスタを見、そうしてハリーを見て眼を光らせた。

「お前には消えてもらわねばな、ハリー・ポッター。慈悲をくれてやろう。決闘する権利を与える」

 ハリーの拘束が解かれる。互いに杖を構え、生き残った男の子と闇の帝王は向き合った。

「礼をせよ――するのだ!」

 動こうとしないハリーの頭を、見えない手が押し下げる。笑いがさざ波のように広がった。

――逃がさないと

 忌まわしい真実を突きつけられ、痛みで気が狂いそうになりながら、どうにか意識をつなぎ止める。

 帝王が呪文を放つ。ハリーが磔刑の呪文の前に倒れ、転がった。這うようにして立ち、痙攣する足を動かして逃げる敵を、帝王は眺めた。いつでも殺せるのだというように。

 ハリーが墓石の影に飛び込む。次の瞬間、石が砕けた。

「隠れん坊かポッター?」

 侮りと優越をのせ、帝王が呼びかける。墓石に飛び込む。砕かれる。また飛び込む。砕かれる。三度のやりとりの果てに、ついに事態は動いた。

「息絶えよ!」

「武器よ去れ」

 緑と紅が宙で交わり、喰らいあう。じりじりと緑が勝っていく――と思われた瞬間、黄金の光が溢れ、光の檻が出現した。驚愕の声がいくつも漏れるなか、結びついた杖と杖が、使い手と使い手が宙に浮く。

 ハリーも帝王も、いいや誰もが言葉を失った。空白を埋めるように、影が滑り出る。

「セド」

 声が掠れる。淡い真珠色の影は、決然とハリーとウィスタを見た。

「僕を連れて帰ってくれ」

 頷きを返す。満足げにセドリックは笑い、地上へ降り立った。死喰い人の前に立ちふさがる。

 影は増えていく。バーサやマグルの老人はハリーを励まし、地上へ降りる。セドリックと同じように死喰い人からの盾となった。

――死者が

 魔法ならざる魔法だ。理屈ではない。奇跡そのもの。息を詰まらせているうちに、またひとつ影が現れた。長い髪、アーモンド型の眸。写真で見たことがある。

 リリー小母さん。

 彼女はハリーとウィスタに微笑んだ。

「……ジェームズとリーンも来ますよ……」

 名が紡がれるのを待っていたかのように、影が二つ躍り出た。纏うのは闇祓いのローブ。ぱさりと翻るその背には『鷹の翼持つ死神』。言葉を交わすまでもなく、慣れたように二人は杖を構え、背中合わせになった。

 母は愛おしげに笑みを向ける。帝王とはまったくちがう、ぬくもりのあるそれがウィスタに力を与えた。

「時間を稼ぐわ」

「優勝杯を掴んで帰るんだ」

 二人は――帝王と直接対峙し、命を散らした闇祓いは、不倶戴天の敵を睨みつける。

「たとえ死しても」

「お前の好きにはさせないよ」

 行きなさい。囁きに背を押され、ハリーは杖を捻る。糸が絶ちきられ、黄金の輝きが失せていく。

「ウィスタ!」

 叫び、転がるようにハリーがやってくる。ウィスタは意識をこらした。杖は手元にない。鎖は頑丈だが。

「凍て砕けよ」

 主の命に従い、一族の至宝『冬の息吹』が力を発揮する。鎖がたちまちのうちに凍り付き、軽やかな音色とともに砕けた。待ちかねていたように固い感触が手に飛び込む。魔法剣をひっさげ、バジリスクの杖を抜き、伏した紅の杖を呼び寄せた。

「逃がすなぁああ!」

 帝王が吼える。ハリーを追いかけ、ウィスタに至ろうとする死喰い人たち。影に阻まれ――いまや数え切れぬほど――動きは鈍い。

 剣を振るう。白銀の軌跡を描き、凍て風を現出させる。死喰い人の足を、墓石を、草を白い封じに閉じこめた。

 地を蹴る。力を振り絞り、ハリーと距離を詰める。

――逃がさないと

 せめてハリーだけでも。

 バジリスクの杖を振る。転がる優勝杯とセドリックがふわりと浮かぶ。そして滑るようにハリーの許へ向かい――触れた。

「な……!」

 眼を見開いたハリーの顔が、青い光に包まれ、夢のように消えていた。セドリックもろともに。

「さすがは勇猛果敢な黄金のグリフィン」

 静かな声とともに影が降り立つ。纏うのはホグワーツの制服。髪はきっと闇を織ったような黒。その隣に母が並ぶ。

「私とシリウスの子だもの」

 二人は笑みを交わし、まったく同時に視線を投げかけた先。

「貴様……貴様ら……死に損ないが!」

「ご機嫌よう」

 激する帝王とは反対に、少女は余裕たっぷりだった。いつの間にかウィスタの周りに影が寄り添っていた。それは帝王が殺した人間にほかならず、罪の数そのものだった。

「死人になにができる。よい」

 帝王は笑みを浮かべた。顔立ちが秀麗なだけに、ひどく歪に見える笑み。

――こいつは

 なにも変わっていない。きっと子どもの時からこうなのだ。

 恐怖が薄らいでいく。影がいるせいかもしれない。いくら力を持っていようとも、いくら才能があろうとも、帝王には理解できない。なにも。死ねば終わりではないのだ。

「こちらへ来いウィスタ」

 優しい祖父を意識しているのだろう。だけれども失敗だ。こいつの本質は自己愛だ。誰も愛さず、誰にも愛されず。奪い、壊し、憎しみを生み、怒りを掻き立てる。

 切っ先を帝王に向ける。冴え冴えとした輝きが、穢れた闇を祓っていく。

「お前の主張なんぞどうでもいい。どんなご高説を垂れようが、どんな境遇だろうが……一人の女の人生を壊し、実の娘を殺した時点で……死ぬべきだ」

 黄金の太陽を射落とした罪は重い。

「手元に置くべきだった」

「御免だね」

 踏み込む。流れるように魔法剣を振りかぶる。死喰い人が惚けたように軌跡を追う。果たして業物の切っ先は、剣を知らぬ魔法使いの顔を――片眼を正確に切り裂いた。

「血の代わりとしちゃ安いが」

 剣を振るまでもなく、血糊は失せていた。魔法騎士の血と志を脈々と継いだ末裔は、臆することなく帝王を睥睨した。鋼の意志をこめて。

「躾がいるな」

 呻きながら帝王が杖を向け、呪文を放つ。飛び出た禍々しい光を、何かが吹き飛ばした。同時に、重い音とともに帝王が腕を掴む。血が溢れ滴った。

――銀の矢

「遅くなりました我が君」

 降り立ったのは白百合の騎士。ウィスタの右隣に控え、弓矢を構える。

「行方不明になられるのは困りますね」

 坊ちゃん、と誰かが呼びかけてくる。はらはらと黒い羽根が散った。

 殺気が満ちる。気がつけば一族が集っていた。ナイアードにヘカテ、ルキフェル……見知らぬ女性も。

 不利を悟ったのか、帝王が地を蹴った。捨てぜりふさえ吐かずに逃げ去っていく。配下たちもまた主を追った。

 幽冥の影が薄れていく。少女がウィスタの許へやってきて、指で額を突いた。

「時がくればわかるわ」

 熱いものが流れ込む。■■の森……と聞き取れるようで聞き取れない言葉が浮かび、影たちは消えていった。

「さて」

 どう報告しましょうかね。困ったように左隣に控える男――おそらく男――が言う。首を傾けて、ウィスタを眺める双眸はゴールデンオレンジ。

 あの鴉であった。

 

「だからあれほど護衛を離すなと言ったろうが」

 死にかけたんだぞ! ウィスタはソファに身を沈め、父を見下ろした。父のほうが死にそうな顔をしていた。

「……不可抗力だ」

 今すぐ意識を手放したい。いや、現実を直視したくない。ここが校長室だろうがどうだっていい。一晩寝たら悪夢は覚めているはずだ。

「セドとハリーは」

「セドリックはご両親と一緒におるよ。ハリーは医務室じゃ」

 治療も受けさせずにすまないの。ダンブルドアが膝を突き、ウィスタの顔をのぞき込む。不意に熱いものがこみあげてきた。

「知ってたんですか」

 主語のない問いを、ダンブルドアは正確にくみ取った。

「ああ……もちろんシリウスものぉ」

 ダンブルドアの顔にも声にも嫌悪はない。労りと哀れみをウィスタに向けるだけだった。父は顔をゆがめて、呻いて今にも吐きそうな様子だった。

「リーンはずっと狙われていたんだ。あいつに……執拗に……五年生の時が一番危なかった……誰が望むだろう。あんな男の娘であることを」

 母親から疎まれることを。惨すぎた。

――何重にも苦しめられたのだ

 祖母も母も。父の言葉が深く食い込み実感となって迫る。ウィスタだって知りたくなかった。あれの血を引いているなんて死んだほうがマシだ。

「なんで、」

 母は俺を。問いは形にならない。ならずとも父は答えた。眸に青い光を躍らせて。

「ただ望んだんだ。なあ、ウィスタ。俺もリーンも家族にはあまり恵まれなかったから……だからこそ……欲しかったんだ。何と引き替えにしても幸せな子になってほしかった」

 見たこともないほど優しい笑みであった。偽りなど欠片もなく。真実のみを語っている。

 呆然として父を見つめる。そうして、もう一つの真実に気がついた。

 どうして父が抗弁もせず、誰にも助けを求めなかったか。十二年もの間監獄に留まったのか。裁判なしでの投獄を受け入れたのか。

 もしかしなくとも。

 この秘密を守るためだったのか。訊いても答えてくれないだろう。優しい嘘を吐き続けるだろう。

――このひとは

 己の名誉もなにもかもを擲ったのだ。

 歯を食いしばる。父の顔をまともに見られなかった。小さな小さな声で囁いた。

「――ありがとう」

 それはあまりに重い愛の形であった。




ゴブレット編終了
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