【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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四十一話

 ちりん。ちり……りん……。

 愛らしい音に、瞼を押し上げる。鼻腔に触れるのは薬草の香。

 頭の靄も、ずっと巣くっていた気だるさも失せていた。深く息を吸って吐いた。初めてまともに息をした気さえする。夢も見ずに眠ったのはいつぶりだろうか。

 身を起こし、薄手の毛布を蹴り飛ばす。靴を履いたところで扉が控えめに叩かれた。

「……今起きた」

 それはよろしゅうございました。扉の向こうから従者が呼びかける。

「そろそろ行きませんと」

「一分待て」

 言いおいて身支度を整える。とはいっても、制服を着て、口をすすぎ、手櫛で髪を整えるくらいだ。しかしまあエリュテイアは優秀だ。ウィスタの眠りの間隔を計っていたのか承知しているのか。強制的な安眠法とやらを問答無用で処置されたが、それだけの価値があった。

 室を出れば、エリュテイアは準備万端だった。杖を一振りすれば、ウィスタたちの姿は背景に溶け込んでしまう。無言呪文を使いこなすなんて、こいつは本当はいくつなのだろう。イルシオンも年齢不詳だし、老いも若きも男も女も……な変装術の使い手なのだけれど、エリュテイアも大概おかしい。

 階段を末裔特権で最短経路接続し、グリフィンドール塔から玄関ホールに至る。もう生徒たちが到着していて、ウィスタたちは人混みに紛れ込んだ。ゆるやかに目くらまし呪文が解除される。何食わぬ顔で大広間に入り、グリフィンドールの席に滑り込んだ。

「――どこに隠れてたんだよ?」

「探したんだぞ」

 二本の腕が伸びてきて締め上げられる。重い。もはやいつものことだがきつい。

「どけ双子」

「やだね」

「急に出て行くんだから」

 暑苦しい。フレッドとジョージの親愛の情はとにかく暑い。オリバーほどじゃないが。どうにか腕を引きはがし、座らせる。エリュテイアは退避済みだ。害はないと判断したのだろう。間違ってはいないが、目立ってしまってある意味害ともいえる。今年は特に静かにしていなければならないのに。

「あーそうそう」

「うちのママがごめんな」

 さりげなく言おうとしていて、けれど芯から固いものがとれていない声だった。なにを口にしても嘘になる気がした。モリー小母を責め立てたいわけではないし、本人からも謝罪はされている。振り上げた拳の行き場がなくなってしまって、困っているだけだ。

 二人の安堵の息が聞こえてきて、ウィスタはゆるゆると眼を瞑り、開いた。気持ちを切り替えていく。ぐずぐずと考え込んでいられるだけの時間なんてないのだ。そんな贅沢は切り捨てるしかない。

 いつの間にか向かいにはロンやハーマイオニー、ハリーが座っていてウィスタを心配そうに見ていた。ロンは心配と後ろめたさが半々か。そばかすだらけの顔がほんの少し赤い。大丈夫だと片眼を瞑り、ふっと暗いものが忍び寄ってきた。

――パーシーを思い出してしまう

 彼もまた耳やら顔を赤くする傾向があった。ウィーズリー家はそんなものだと括ってしまえばおしまいなのだけれど。

 少し威張ったところがあったが、ウィスタには親切だったパーシー。あれこれと世話になったものだし、他のきょうだいたちに比べれば融通が利かないところはあるが、取り立てて気になるほどではなかった……のだが。

 まさか魔法省側につくなんてなあ。独りごちて空の皿を見つめる。じきにごちそうでいっぱいになるはずだ。上座をながめれば、丸椅子に置かれた帽子と、並ぶ新入生の列が眼に入る。皆すんなりと組分けされればいいけれど。

 意識を組分けに振り分けつつ、何割かはパーシーのこと――ウィーズリー家のことを考える。パーシーは入省二年目だ。直属の上司は公的には病死し、パーシーはあれこれと尋問され、すわ出世は絶望的かと思われた。なにせ上司の異変に気づかず、事態を放置したのだ。事実はどうあれ、言いがかりのネタにはなるわけで、ともかく魔法省の『どこか』の『誰か』はパーシーをいいように転がせる材料を持っていた。煮るなり焼くなりお好きなように、だ。

 ところがパーシーは出世した。大ざっぱに言えば大臣の補佐官になった。まずありえない人事である。この一報を聞いたとき「莫迦じゃねえの」と吐き捨てたものだ。最近口が悪くて仕方ない。残念ながら昔から口は悪い。改善の見込みはない。

 出世の理由は上司がいないにも関わらず孤軍奮闘し、立派に代役を務めた等々……らしい。こじつけにもほどがある。パーシーが大臣の甥だとか隠し子だとか、高官の子息ならわかる。しかし、彼はウィーズリー家の子で、言わずもがなアーサー小父は出世するより現場主義である。人脈は広いが、それを積極的に出世に使う人ではなかった。つまり、こじつけてまでパーシーを出世させたのは、手駒にするためだ。ウィーズリー家の内情――もっと言えばダンブルドアの監視をさせたかったのだろう。明け透けに言ってしまえば間諜だ。

 あんまりにもあからさますぎる。そのまませめて大臣付きの誰かの補佐官にするだとか、どうせ秘書室のような部署があるのだからそちらに異動させるだとか、さりげなくできたはずなのだ。大臣御自ら、がっちり囲い込む気満々である。そしてパーシーはあっさり転がった。ダンブルドアは偉大だけれどさすがに耄碌していて、ヴォルデモートの復活に関しても信じなかった。あげくに家族と決別して一人暮らしだ。ついでに、ハリーのことも疑っている。この件に関して誰よりも怒ったのはジニーであった。いますぐあいつの家に行って扉をぶち破ってやるわ! とご立腹だったそうだ。確実にフレッドとジョージの影響を受けている。教育に悪い双子である。

 今のところウィスタの出番はない。ただやるせないだけだ。場合によってはジニーと一緒にパーシー宅にカチコミに行くかもしれないが。そのときは双子も誘おう。

 パーシーは自分がどんな立場にいるのかわかっているんだろうか。ファッジの手駒だということは、裏を返せば人質にも成りうるのだ。

 ウィーズリー家は、完全に家族を切り捨てられる人たちではない……リアイスと違って。

 気づけば、組分けは終わっていた。上座の方を見ていたはずが、完全に思考に没頭していた。それもこれもエリュテイアがいるからなのだが。多少気を抜いても、彼女がどうにかしてくれる。最初は護衛の存在に違和感しかなかったが、一年も経てば厭でも慣れた。

 ダンブルドアが立ち上がり、お決まりの挨拶をする。とたんにごちそうの数々が長テーブルに現れた。

 ロンは早速骨付き肉にかぶりついていた。ウィスタは鍋からリゾットを取り分けて、匙ですくった。食が細くなっている自覚はある。ひとまず食べられそうなものを食べるしかないだろう。

 パーバティとラベンダーが、なにかこそこそ話している。ハリーのほうを窺っているようだ……ウィスタと眼が合って、パーバティは顔を赤らめ、ラベンターはふいと眼を逸らした。

――さあて

 ハリーの言葉を、ダンブルドアのことを完全に信じているわけではなさそうだ。仮にも数年ともに学んできたというのに、脆いものだ。二人とも噂好きだし、トレローニーを尊敬している。つまり現実主義者ではないし、少し夢見がち、神秘主義者。ハーマイオニーとは対極だ。ウィスタは二人のことを嫌いではなかったが、たまに見せる女の子らしさが苦手だった。

 こんなこったろうと思った。口中で呟いて黙々と食べ進める。昨年リータ・スキーターが好き勝手書いたせいだし、誰もヴォルデモートの復活なんて望んでいない。特に大人は恐怖の再来なんて冗談ではないのだ。

 デザートを口に運び、皆が満足したころ、ダンブルドアが着任者の紹介をし始めた。ハグリッドの不在はさらりと流し――闇の魔術に対する防衛術教授の紹介もそつなく終わらせようとしたら、思わぬ番狂わせが起こった。

「校長先生、歓迎のお言葉ありがとうございます」

――いけない  ウィスタは鳥肌が立った。甲高い声もなにもかも受け付けない。写真で見て覚悟していたが、ドローレス・ジェーン・アンブリッジがもたらす嫌悪感は半端なものではない。見た目で人を判断云々なんて建前は彼方に吹っ飛んだ。

 声と格好がつくったものなのか、素なのかはわからないが――獣が無理矢理服を着て、本性を隠そうとしているようにしか思えない。前情報があったから余計に強く思う。

 姿勢だけは正し、いかにも優等生然としてアンブリッジの演説を聞いている……ふりだけした。どうせ聞く価値もないし、ハーマイオニーやアーニーやジャスティンあたりがきちんと聞いていることだろう。

 無の一二分が過ぎ、アンブリッジの演説が終わった印に、ダンブルドアが拍手した。教授たちが気のない拍手をして、宴はお開きになった。

 皆がそれぞれの寮に向かう。途中、下級生上級生問わず、ハリーを見てなにやら囁き交わしていた。ハリーは努めて無表情を装っていたが、肩に力が入っていた。ウィスタはハリーに忍び寄り、人波から連れ出す。玄関ホールから隠し通路に連れ出した。

「君、忍びの地図を暗記してる?」

「自力で見つけたのも多いけどな」

 通路に響く足音は三人分。エリュテイアは殿を守っていた。

 ウィスタは長く息を吐く。空気が変わったのを察して、ハリーがちらとウィスタを見た。

「……今日の真夜中、話そうと思うんだ」

「分かった」

 なにをと言わずとも、ハリーには通じた。彼の緑の眼には嫌悪も侮蔑もない。それだけで安堵する。

「どこで――」

「女子トイレ――の先だ」

 スリザリンの秘密の部屋なら、もってこいだろう。

 

 隠密行動、秘密の作戦。この言葉に胸をときめかせる少年少女は多い。少なくとも、グリフィンドールが好む勇猛果敢な連中は該当する。つまり、ロンは喜び勇んで女子トイレにやってきた。エリュテイアとともに先に到着していたウィスタは、ロンの好奇心に満ちた眼をやり過ごし、ハリーとハーマイオニーにも黙っているように身振りをし、蛇語で入り口を開いた。意識して話すのはあっけないほど簡単だった。そもそも意識すらしていない。英語を話すときに「今から英語で話すぞ」なんていちいち思わないものだ。ちなみに今日はゴーストによるゴーストのためのお茶会だか座談会で、マートルは不在だ。親愛なるレディに「友人たちに込み入った話がしたいから」とマートルを遠ざける相談をすれば、レディは男爵の尻を蹴り飛ばし、かくして大規模なお茶会が開催された。おそらく尻は蹴っていないだろうが、とにかく男爵はレディのことならなんでも聞くのだ。もはや下僕である。千年前になにがあったかは、まだ訊けていない。

 約三年前、ウィスタは『秘密の部屋』に行った。しかし往路の記憶はない。クソ野郎に失神させられぽっかりと記憶がないのだ。担架をつくって運べたろうし、隠し通路を使えば女子トイレまではたどり着ける。どうとでもなったろう。復路はフォークスに捕まってほぼ一瞬で通り過ぎたので、道筋を知らない。

 かくして先導するのはハリーの役目となった。太い道――トンネルが一本と枝分かれしているトンネルがいくつかなので、迷う心配はないけれど。黙々と歩を進め――途中で蜘蛛が落ちてきてロンが悲鳴をあげた以外は静かな道行きだった――扉の前にたどり着いた。ウィスタは再び蛇語を口にして、主の意を受け扉は開いた。

 ◆

「……で、どうしたのさ。ちょっと大仰じゃない?」

 秘密の部屋に足を踏み入れるなり、ロンが口火を切った。やたらと早口である。エリュテイアが杖を振り、革張りの椅子を四脚出現させた。エリュテイアは立っているつもりらしい。

「――聞かれるわけにはいかないからな」

 椅子に腰を下ろす。忠実なる従者に椅子を用意してやっても、どうせ固辞するだけだ。妙なところで頑固なのである。

「ここなら俺とハリー以外は入れない」

 ヴォルデモートも該当するが、言わないでおく。やつがホグワーツまでやってくる可能性は低い。バジリスクは既に死んでいるし、秘密の部屋はただの箱と成り果てた。歴史的価値はあるかもしれないが、ウィスタの知ったことではない。

 ハリーは口を閉ざしたまま。ハーマイオニーはウィスタから視線をはずさずにそれぞれ座る。

「――リアイスに関して、なにか……重要な話なの?」

 ゴドリック・グリフィンドールの末裔だという以上の事項があるのか。暗に問われ、肘掛けをなでた。

「俺の出自に関して」

「まさかシリウスじゃなくてレギュラスの子とか」

「昔それは考えたけど違う」

 ロンの言に脱力する。父親が誰だと悩んでいた頃が懐かしい。今となっては父親が本当に死喰い人だろうが、たいした問題ではなくなってしまった。

「あの墓場の一件なんだが……俺の血がとられたのはなんでかっていうと」

「ブラックとリアイスの血筋――だけじゃない?」

 どう思う? とハーマイオニーに訊きたくなった。頭脳明晰な魔女がどういった答えを導き出すのか。限られた欠片から真相にたどり着けるのかどうか。彼女にわからなければ、誰にもわからないということだ。だとすればどこからか漏れない限りは秘密は保たれるだろう。しかし問答をしている暇はない。厭なことは早めに終わらせるべきだろう。

「おふくろが、いわゆる不義の子だった」

「は?」

「待ってウィスタ」

 ロンは凍り付き、ハーマイオニーは口元を手で覆った。そうなるだろう誰だって。特にロンは純血で、魔法族の育ちで、リアイスの高潔さあるいは傲慢さを知っている。

「あ、あ、ありえないだろう。あのアリアドネ・リアイスだよ! ないない」

「なかったらよかったんだけど……あー、ちなみに……彼女の名誉のために言うと、たぶん」

 合意じゃないと言おうとして、吐き気がこみ上げた。たまらずに立ち上がり、床に這い蹲る。しばらく吐いて、ハリーに背をさすられ、エリュテイアに洗浄呪文をかけられてどうにか落ち着いた。椅子に座り直す気力もなく、床を見つめたまま一気に言い切った。

「アリアドネは……ヴォルデモートにはめられたんだ」

 水を打ったような沈黙が満ちた。誰も咳すらしない。ウィスタは思い切って顔を上げ、口を半開きにしたロンと、蒼白な顔で今にも吐きそうな様子のハーマイオニーを見た。ハリーは唇を引き結ぶばかり。エリュテイアは影のように気配を消していた。

「そして生まれたのが、あなたのお母さんなのね」

 ハーマイオニーの声は震えていて、ウィスタは謝りたくなった。こんな荷物を背負わせたことに。特にハーマイオニーやエリュテイアには酷な話だろう。アリアドネがいかに踏みにじられたか、想像がつくはずだから。

「じゃあ、君のお母さんは……実の父親に殺されたの?」

 ロンの顔は真っ赤だった。信じられない、と青い眼が言っている。今のウィスタには毒になりそうなまっすぐさだった。当時のリアイスにも、ロンのような人間がたくさんいればよかったのに。血筋がどうだとか言わずに、寄り添ってくれるひとがいればよかったのに。

「――あれは、娘だろうがなんだろうが殺せる男だ」

 そして俺は、そいつの孫なんだ。

 呻いて、かろうじて頭を抱えることだけはしなかった。本当なら巻き込むべきではないのだ。ウィスタの胸におさめておくべき問題だ。なのに吐き出してしまった。すがるべきではないのに。これ以上情けない様はさらしたくない。

「……君が、君のお母さんが望んだわけじゃない。きっとおばあさんだってそうだ……あいつはあの時笑っていた。得意になって……。おばあさんのことをあざ笑って。君があいつの血筋だろうが、僕はどうだっていい。秘密は守るよ」

 緑の眼が、ウィスタを射抜いた。

「破れぬ誓いを結んだっていい!」

「あなた、ものすごく高等な呪文なのよ……」

 ロンが吼えるように言って、ハーマイオニーはため息を吐いた。まったくいつものおしゃべりである。ここが湿っぽい秘密の部屋だという事実が吹っ飛びそうになるくらいに。

「なんにも変わらないわよ。ウィスタは私たちの友達だもの。秘密だって守るわよ」

 そっと手を握られる。言葉もなくうなずいた時、エリュテイアの無機質な声が響いた。

「我が君は我が君です。私はあなたのために生まれてきたのですから」

 肌を灼熱をはらんだ風が撫でていく。ウィスタ、ハリー、ロン、ハーマイオニーは息を呑んでエリュテイアを見やった。灰緑の眼には爆発寸前の熱がたぎっている。

「サラザール・スリザリンですらここまで下衆ではありませんでしたよ。ええ、我が君。あれを始末しましょう。亡骸はもちろん……」

 塵も残さず消すのです。そうすれば安泰ですね。

 完璧なほほえみを浮かべる従者が、ヴォルデモートよりも恐ろしく感じた瞬間であった。

  真夜中の密会があっさりと済んだことに、ウィスタが誰よりも驚いていた。帰り道、やっぱり夢ではないかと思って「ハリー、俺のことを殴ってくれ」と頼んだら容赦なく右ストレートをぶちかまされて頬が腫れた。ついでに鼻血も出た。やたらと怖い顔で「自分の血筋でぐだぐだ言ったらもっと殴るからね」と警告され、ウィスタは文句を言うことなく従った。

――それにしたって都合がよすぎる

 闇の魔術に対する防衛術の教科書を読んでいるふりをしつつ、ウィスタの思考はあちらこちらへ飛ぶ。一大決心で告白すればさらりと受け入れられたのだ。ありえないだろう。マグルでたとえるならば、ウィスタはヒトラーやその他諸々の独裁者の子孫のような立ち位置なのだ。石だって投げられるだろうしまともな人生を送れない……はずだ。魔法界もといリアイスの拒絶反応など火を見るより明らかで、だからウィスタは友人たちのことを信じたいとは思っていたが、どこかであきらめてもいた。万が一拒絶されたら忘却呪文をかける覚悟だった。使わずに済んで本当によかった。

――こいつに

 忘却呪文をかけて魔法省に送り返してはだめだろうか。こっそりと教室を見回す。グリフィンドール生たちは輝きを失った眼で教科書を読んでいた。わざわざ買わなくて正解だった。図書館にあったのでさっさと借りてざっと読んだが、理屈ばかりこねているどうしようもない本であった。金の無駄だ。

「――けれど先生。著者は防衛術を使うことについてなにも書いていません」

 ハーマイオニーが鋭い舌鋒でアンブリッジを追いつめていた。偉ぶっている教師もどきをやりこめるのは楽しいものだ。グリフィンドール生はわくわくした表情を隠そうともせず、アンブリッジとハーマイオニーを見つめた。ウィスタは隣のエリュテイアに視線を走らせた。録画は起動させてある。教師として不適格な証拠その一は早くも手に入れられそうだ。

 羊皮紙に素早くペンを走らせる。防衛術を使う必要などありません。結局学校というものは試験に合格するだけのもの、実技なんていりません……。さすが役人。それもうっかりしている役人だ。ここまではっきりと言うとは恐れ入った。じゃあおまえら、教科書を読んだだけで姿くらましをしてみろ。バラけるぞ。

 教室内はもはや大騒ぎだ。ディーンもパーバティも絶句し、実技の練習なしで普通魔法試験に合格しろと? とアンブリッジに質問を浴びせかけている。答えはイエス。

「理論がなんの役に立つんです? 外の世界になにが待ち受けているかわからないのに」

「ここは学校ですよ。現実世界ではありませんし、なんの危険もありません。あなた方のような子どもを誰が襲うと思っているの?」

 嘗めくさった回答もあったものだ。アンブリッジの口元はゆがんでいる。教え諭すもとい、幼児に言い聞かせる口調なのも癪に障る。

「襲われますとも。同じ学生に。セクタムセンブラやらインセンディオやら受けてみますか先生」

 言う寸前に、エリュテイアの目配せを受けて思いとどまった。ああ、アンブリッジをこてんぱんにしたい夢はまだ叶えられないらしい。

「そうですねえ」

 ハリーは止める間もなく言い放った。

「誰が僕たちを襲うって? ヴォルデモートとか」

 あちこちで息を呑む音が聞こえる。ウィスタは眼を瞑った。もう言わせてしまうしかないだろう。

「虚言も甚だしい。あなたは見たと思っているだけです」

「――先生は、セドリックが勝手に死んだと思っているんですか」

 激しい怒りに震える声に、ウィスタは唇を噛む。アンブリッジの――魔法省の回答など容易に想像できた。

「あれは事故だったのです。とても悲しい事故でした」

 セドリックを、一生徒を悼む気持ちなど欠片も感じられない。魔法省にとって、セドリックの死などその程度のものなのだ。真相などどうだっていい。ただ、魔法省を今のまま存続させるためならば。道ばたの石のように蹴り飛ばし、花のように踏みつけるだけで。

 教科書を強く握りしめる。拍子に頁が破れた。

 両の眼が酷く熱い。ウィスタにはわかっている。今己の眼が、何色に染まっているか。

 それは禍つ星の色彩。呪いの深紅に変じているだろうと。

――セド

 お前の命を取り戻せなくても。

 せめてお前の名誉だけは守ってみせる。必ずアンブリッジを、ファッジを引きずり下ろし、後悔させてやる。

 一人の青年の人生を軽くみた罪は、重い。  

 

「一度はダンブルドアの言葉を信じたじゃないか」

 夕食時の大広間で、ハリーは暗い顔をしていた。それも当然で、あちらこちらから悪意のこもったつぶやきが聞こえるのだ。暗い顔をするなというほうが無理だ。ハッフルパフのテーブルでは「セドリックが事故だってふざけるな」や「だけど復活したなんて」や「ポッターのやつめ、セドリックの死を利用している」やら、大混乱だ。スリザリンの方面では……言うまでもない。やつらはいつもハリーの言う事なんて嘲笑するのだ。そしてレイブンクロー。まずチョウが涙ぐんでいる。やつれたようだった。それを慰めているのはクインだ。

――話さないといけないのだけど

 いつ話せばいいのか見当もつかない。眼をそらそうとしても永久粘着呪文で固定されてしまったかのように、視線をはずせない。一番いいのは別れてしまうことだ。手紙も焼いて処分。ろくにデートもしていないが、クインの安全には代えられないではないか。秘密を明かすよりそちらのほうがいい……はずなのだ。

 ふ、と藤色がウィスタを捉える。軽く片手をあげれば、笑顔を向けられた。

――なんで俺が

 人並みの幸せを手放さないといけない。幸福感と怒りが同時にわいてきて、息をゆっくりと吸って吐いた。悪いのはあの野郎だ。ウィスタは被害者だ。いや、被害者であり加害者の血族なのだが、ともかく。クインとのあれこれは保留だ。

「あなたが狂ってないのはわかっているわよ。でも、ほかの人たちは……軽く二ヶ月はあの下劣な記事をみせられたのよ」

 ゴシップだってなんだって、信じるひとはいるじゃない。ハーマイオニーが理路整然とハリーに返す。ウィスタはハリーの肩を叩いた。叩いてやることしかできなかった。

「世間のみなさまは、お前ほど勇敢でも強くもないんだよ。ひとまず愚民と思っておけ」

 なんせ噂を信じて未成年に呪いを送る莫迦もいたしな。付け加え、さらにもう一言添えた。

「心配しなくても、あれには災厄の卦が出ているらしい」

 クロードが伝えてきたのだ。

 学期末には人馬の難に見舞われるから、と。

 さてはケンタウルスに蹴られて召されるのかもしれないと、ウィスタは期待している。

 

 夕食を終え、談話室に戻っても気分は晴れなかった。

 疲れる一日だったのは間違いない。驚け、まだ九月二日なのだ。授業初日からこれほどてんこ盛りなのだ。先が思いやられる。

「あの二人ってば!」

 荷物を寮に置く暇もなく、ハーマイオニーが叫んだ。談話室の一画ではフレッドとジョージがなにやらやらかしていた。火蜥蜴に花火を食べさせるなら可愛いものだが。ついでに悪友のリーも噛んでいる。かわいらしい一年生を集めて「さあ、食べてみるんだ。大丈夫だ……」と紙袋からなにか取り出して手渡している。

 フレッドがクリップボードを持って構え、ジョージが魔法薬の瓶をずらりと並べて待機している。率直に言おう。目立ちすぎだあんたら。

「あれは駄目よ」

「お菓子を配っているだけ――」

「ロン、バカなふりはやめなさい!」

 ハーマイオニーが言葉の切っ先でロンを刺し、眼を怒らせ談話室の隅もとい、実験場へ突撃する。

「鼻血ヌルヌル・ヌガーか……」

「気絶キャンディ?」

 ウィスタがつぶやき、ハリーがそっと言い添えた。とたんに一年生が失神していく。ジョージが素早く薬を飲ませていた。

「さすがにいけませんね」

「固いことは言いたくないけど」

 おいロン。あいつらなんとかしろ。顎をしゃくっても、ロンはなるべく気配を殺すことに忙しい。頭をかきむしり、エリュテイアに鞄を預け、フレッドたちのもとへ向かった。

「もうたくさん!」

「だな。用量はこれくらいで――」

「ロンといいあなたといいバカなふりはやめなさいよ」

「いや俺たち賢くないもん」

「いーえ……いえそういう問題じゃなくて、こんな実験駄目よ」

「金は払っているよ」

 ハーマイオニーは怒りのあまりフレッドにからめ取られている。ウィスタはハーマイオニーとフレッドの間に割り込んだ。フレッドは得意げに胸を反らした。

「どうだい兄弟、いい出来だろう」

「俺も絶賛したいんだけどな」

 ちら、と一年生たちを見る。幸いジョージの魔法薬が効いていて、意識を取り戻していた。おそらく何のお菓子か聞かされていなかったのだろう。青ざめている子もちらほらいた。

「金払っているとはいえ、事前の説明も十分じゃない」

「本当に病気やなにか副作用があったらどうするのよ」

「ハーマイオニーの言う通りだ」

 深く頷いた。フレッドたちはあっけにとられたようにウィスタを見た。知らない誰かを見るように。

「なんでお前、監督生にならなかったの?」

「俺のややこしい身の上はご存じだろう諸君? ……じゃなくて」

 話が逸れる逸れる。

「リアイスが薬学に噛んでるのは知っているだろう。性別体質その他諸々で思わぬ事故もあんだよ。だから――」

 ちらりとハーマイオニーを見て、脇によけた。彼女はかばわれるほど弱くないのだ。とっさに前に出てしまったけど。

「今は年齢制限をかけるのと……何歳くらいからがいい――」

「ウィスタを噛ませなさいよ」

「そう俺を――?」

 ハーマイオニー、今なんて言った? 隣を見れば、腕を組み、思慮深げに一年生たちとフレッドたち、魔法薬の瓶とキャンディの紙袋を眺めていた。ひとまず怒りは去って、考えをまとめているようだ。

「あー……じゃあ……エリュテイアをつける」

 数歩離れたところにいる従者に視線を投げれば「お任せください」と一礼された。頼もしいことだ。

「ひとまず十五歳からにしましょう」

「その根拠は」

 ジョージがつっこんだ。エリュテイアはさらりと答えた。

「昔の成人年齢が十五歳でした」

 ウィスタが口を挟むまでもなく、話がまとまった。悪戯専門店通販および開発部相談役。エリュテイア・リアイス・リエーフの誕生である。

「あんまり変なことをしたら、あなたがたのお母様に手紙を書きますからね!」

「そんな殺生な!」

 ハーマイオニーが釘を刺し、フレッドとジョージが悲痛な声をあげた。

 蓄積する疲労を抱えながら、ウィスタがソファに戻った。どさりと腰をおろすと、ハーマイオニーに問いかける。

「一律禁止にするかと思ったんだが?」

「どうせこっそりやるもの。あと……今日の授業からすると……悪戯専門店の出番が来るかもしれないしね」

 何の授業が言われずともわかった。ウィスタはにやりとした。

「すばらしい才能だってほめてやれば?」

「だめよ。図に乗るもの」

 絶対フレッドたちは喜ぶのになあ。ウィスタは残念に思ったが、それ以上言わなかった。

 ◆

「――選抜に来るんだ」

「俺の人権は」

「クィディッチは治外法権だ」

「なんという新解釈だよ」

 翌朝、朝食の席で暴君を見上げた。名前はアンジェリーナ・ジョンソン。どうやらオリバーが乗り移ったらしく、両眼は物騒な輝きを帯びている。ロンがこそこそと「ねえオリバーが生きているか、チームに連絡したほうがいいかも」と囁き、ハリーが「どうする幽体離脱してたら」とまじめな調子で返している。

「出るよ。箒も用意してある」

「それでこそだ!」

 アンジェリーナが抱きついてくるものだからたまらない。猛獣に襲われている気分だ。しかも、やたらとハイになっていて、締め上げられるものだから。

「おい、アンジェリーナ」

 背をばんばん叩いてどうにか逃れる。ぜえはあと息をついていると、一転してアンジェリーナから冷気が流れてきた。

「で? ハリー。君にはカレンダーが読めないのか。金曜に選抜だって私言ったよね?」

「不可抗力だよ! あんなの黙っていられる!?」

「それとこれとは別だ!」

 結局、ハリーはアンブリッジに罰則の日時変更を申し入れることを約束させられた。ウィスタの見立てでは通る可能性はゼロだ。

 金曜日。ハリーはなるべく堂々とアンブリッジの室に行き、ウィスタは選抜に参加した。すんなりとビーターの補欠に選ばれた。

「……出るんなら言えよ」

 箒を担ぎ、帰りもエリュテイアをひっつけて、グリフィンドール塔へ向かう。隣のロンは顔を真っ赤にしていた。買ってもらった箒を担いでいる。

「だって、僕が出るって言ったら……」

「双子はともかく俺は言わないし、ハリーも言わないだろうよ」

 ハリーならむしろ、友人がチームに入ってくれれば心強いだろう。

 アンジェリーナは思うところがあるようだが、今考えても仕方ない。

 階段を昇り、昇り、いつものように末裔特権を駆使して最短経路をとり、ようやく『太った貴婦人』の前に到着した。婦人は意味ありげに目配せする。視線の先には片手を押さえたハリーがいた。

 ロンと顔を見合わせる。そうして踏み出したのはロンで、ハリーの腕をつかんだのはウィスタだった。手が離れる。たらりと血が滴った。

「あんの」

「クソババア」

 ハリーの手の甲に、いびつな文字が刻まれている。

 『僕は嘘をついてはいけない』

 

「鞭打ちもたいてい酷いのですが、これもまた悪質ですね」

 嘆息しながらエリュテイアが言い、ウィスタも頷いた。夜も更けた談話室にはウィスタたち以外いない。ロンがハリーを引きずるようにして寮に放り入れ、マートラップの溶液をボウルに満たしたハーマイオニーがやってきて、ウィスタはハリーを座らせて痛み止めの薬草を口に突っ込んだ。流れるような連携である。

「精神をえぐる意味でな」

 証拠集めの一環で、ハリーに断って写真を撮った。光に照らされて、傷が不気味に浮かび上がる。鞭の跡も残るものだし、何度も打たれれば皮膚が破れ血が出て、それもう酷い傷になるものだ。ハリーの手の甲の傷はまだ可愛いもの……といえる。しかし、刺青を無理矢理入れるような、それか「僕はバカです」と立て札を持たせて立たせるような悪趣味さがあった。幼稚でありながらこの上なく醜い罰則だ。

「……ただの書き取りで言い逃れできないでしょう」

 ハーマイオニーはカンカンだった。頭から角が生えていないか、ウィスタは思わず確認した。

「言い逃れする必要もないんだろう。ファッジの肝いりだから」

 仮にファッジが実態を知ればどうするだろうか。なにもしないだろう。知りませんでした。アンブリッジが勝手にやりました。そんな指示はしていない。私は悪くない……こんなところか。強引にアンブリッジを押しつけておいて知りませんでしたと吐いた日には、大臣の座から引きずりおろすだけでなく、あらゆる罪状をひっつけて身ぐるみはがしてやる。そもそも、生徒が適正な教育を受ける権利を侵害しているのは魔法省のせいだ。なおかつダンブルドアやハリーの名誉毀損をしているのも魔法省もといファッジだ。アズカバンにぶちこまないだけ優しいと思ってほしい。

「マクゴナガルに言えよハリー! あんまりだ」

「どうせアンブリッジがファッジに言って命令を出させるだけだ。僕は泣きつきたくない」

 ハリーは薬草を吐き出し、断固として言った。痛み止めが苦すぎたせいかもしれない。涙目である。良薬は口に苦しだ。我慢してほしい。

「そんなこと言ってる場合か!」

「負けるもんか」

 赤毛と黒髪の口論は平行線である。ウィスタは黙ったままハリーの手をボウルから引き上げた。ひとまずオレガノのエキスを振りかけて、包帯を巻く。ここまで言い張るのだから、罰則を続行してもらうしかない。

「保護薬を塗って対策は?」

「あれの性格上、血が出るまでやらせるでしょう」

「だな」

 カッターで切ったくらいの傷とはいえ、痛みは長引くだろうし、跡も残るだろう。残すことこそ目的で、最小限の行為で最大限の効果を得ようとしているのだ。

――ダンブルドアに言うべきかどうか

 相当に悩ましい。言えばひとまずしのげるだろう。それは間違いない。が、ファッジが圧力をかけるなり、ダンブルドアを無理矢理辞任させるなりしかねない。もちろんハリーが踏ん張る必要はない……のだが。

「こんなことくらいで、僕は折れないぞ」

 こうである。普段はあまり見せない負けん気が着火したらしい。ダンブルドアが一言「よくやった」と言えばさらにやる気が出そうだ。もっとも、近頃のダンブルドアはハリーとの接触を減らしているような気がする。理由は知れないけれど。ウィスタとの接触は、これまでとたいして変わらない。どうせリアイス関連のあれこれで顔を合わせる機会もあるのだし、なくならないだろう。

「今度の罰則の時に、先に痛み止めを飲んでから行ってこい」

 あまり何の解決にもなっていない妥協案を出して、ウィスタは眼を瞑った。

 ◆

 翌日、リアイスから送られてきた手紙に眼を通した。差出人はリディア・グリーングラス。イルヴァモーニーに通っている女学生で、ウィスタは彼女の名前と姿を借りて、夏の間好きなように使わせてもらっていた。

 そもそもリディアは社交の場が面倒だったのと、セドのためなら……と借用を了承してくれ、ウィスタはとても助かった。礼も兼ねて仕入れた情報を送ったら、返事がきたのだ。

 こちらこそ社交の場をさぼれてよかった云々、北米では英国の魔法省はバカなんじゃないどうこう……大陸のほうでは、英国の評価が下落している。知っていた。あっちこっちの新聞でハリー少年の苦難が取り上げられているし。どれだけ英国魔法省が箝口令を敷こうが、ハリー少年が狂っているとつるし上げようが情報は漏れるものだ。それに、大陸からすれば少年を叩きに叩いている英国魔法省のほうが異常であった。なおかつ、グリンデルバルドを倒した英雄に対する信頼は篤い。それもう篤い。なにせ彼が猛威を振るっていた主戦場は大陸であったのだ。

――島国にこもっているからこうなるのかね

 視野が狭い。異常。間違えた。以上。

 リディアへの返信をしたためる。こっちはくそったれなアンブリッジとかいうカエルが跳ねてるよ。そのうち踏みつぶしたいね、と。もちろん婉曲に書いたが伝わるだろう。そしてリディアから北米――イルヴァモーニーに伝わる。ひとまず外の人間に実情を知ってもらわなければならない。魔法省はヴォルデモート復活の口封じに忙しくて、他国からどう見られているかてんで理解していない。ファッジがあんまりにも見苦しく大臣の座にしがみつくようなら、外から無言の圧力をかけるしかないだろう。後釜が大変なことになるので、なるべく控えたいが。

 手紙に封をしてエリュテイアに託した。一息吐いたとき、炎が宙に燃え上がる。落ちてきた手紙をつかみ取れば、第五分家からだった。アズカバン――吸魂鬼の調査は続行中という報告。続いて炎が燃え上がる。今度は第四分家のイルシオンから。羊皮紙に素っ気なく書かれていたのは、騎士団員捕縛の報だ。

「スタージス……」

 スタージス・ポドモア。神秘部への侵入と窃盗未遂容疑で現行犯逮捕。騎士団が神秘部のなにかを守っているのは知っている。しかしそれがなんなのかはダンブルドアが教えてくれなかった。

――ひとまず

 そちらに眼がいけばよい。ダンブルドアはひっそりと言ったものだ。あやつが手に入れてもなにもできぬ。いや、手に入れる条件を満たさない限り無理じゃ。つまり、守りたいものは囮であるらしい。ヴォルデモートも無限の人員を持っているわけではない。少しでも人を割かせたいのだろう。それかしびれを切らしてヴォルデモートが出張るのを待っている。気の毒なスタージスは死喰い人に操られただとか、そういうとばっちりだろう。それか魔法省がスタージスに目を付けていて、罪状をでっちあげたか。

 騎士団が守っているものはなんなのだろう。封じ込めたはずの好奇心が疼き出す。父に聞いてもはぐらかされたものだ。

 しかし、灰色の眼は陰っていた。アズカバンが刻みつけた闇であり憂いが満ちていた。

『ただ』

 密やかに、父は言った。

 あれさえなければ、すべては違っていたかも知れない、と。

 

――調子に乗ってやがる

 誰かファッジを止めろ。古代語の授業は、常は静かなものだ。ほとんど自習に近い――が、今日は違った。教室の隅でクリップボードを手に、なにやら書いているカエルが一匹。目障りかつ耳障りであった。おそらく教授も思うところがあるのか、カエルことアンブリッジの質問は軽く流している。真面目に相手をするだけ無駄だ。さすが教授わかっている。

 ハリーが罰則を終えた頃、新たな魔法大臣令が下された。ホグワーツ高等尋問官という職位の制定だ。いや、査察官だったかもしれないがもはやどうでもいい。つまるところホグワーツに介入できる権限をもつ職位だ。

「歴史から学べよ」

 ルーン石の在庫に関して考えを巡らせながら、ぽそりと呟く。未だにリーマスがせっせと作ってくれるが、ウィスタでも作れるようにはなったのだ。なにせネフティスに錬金術を仕込まれているから。もっとも、実父のように装飾品への高度な魔法の付与ができるようになるには、まだ修行が必要だ。手取り足取りでないとおぼつかない。

「あまりやりすぎると教師も生徒も暴れますよ」

 と、エリュテイア。

「千年間で三回くらいだったかしら」

 『ホグワーツの歴史』を読み込んでいるハーマイオニーが言う。独立不可侵の教育機関だと言っているのに、余計な手出しをしてくる輩はいたのだ。そのたびにつぶしてきたわけだし――歴史書には書いていないが、リアイスが暗躍してもいた。いくつかの家門が連合して動こうものなら丸ごと滅ぼし、魔法省が介入してこようものなら大臣の首をとばした。物理的なのか、辞任させたのかははっきりしないが。

 ともかく、物のわかった連中はホグワーツに手出ししないものだし、名門はそのあたりの加減をよくわかっている。せいぜいが気に入らない校長を辞任させようとあれこれするくらいで、ここまで介入してこようとするのも珍しい。

――最悪

 インフラ関係や司法その他は機能を残して、魔法省を解体するか。煙突飛行ネットワークからふくろう便から、あらゆる分野に食い込んでいるのがリアイスだ。本気になれば英国くらい牛耳れるだろう。面倒だからやらないだけで。ひとまず一回叩きのめして膿を出さないと駄目かもしれない。少なくともファッジがいる間は自浄作用もなさそうだ。

「仮に教師を辞任させたとしても、再雇用すればよろしい」

 エリュテイアは実に淡泊だった。

「あれが校長になろうとしたところで無駄です」

 ああ、と声をあげる。確かに。

「……末裔ストップでもかけるのかしら」

 ハーマイオニーがひそひそ言う。ウィスタは片方の眉を上げた。新しい言葉だ。末裔ストップ。障壁の強化やら、補修やら、姿あらわしくらまし範囲の変更やら、階段を操れるやら、末裔権限はあれこれあるが。

「適当な理由をつけて理事を送り込むか、校長送り込めばいいからなあ」

「校長になろうとしても、城が拒むでしょうからね」

「その前に俺たちで魔法をガンガンかけとこうぜ」

 絶対破れない守りを結んでおけばいい。ついでにマクゴナガルやフリットウィックやらスプラウトあたりも巻き込みたい。そのときになれば声をかけておこう。なんやかんやで大喜びで協力してくれることだろう。

 ◆

 アンブリッジはちょろちょろと動いて大変うっとうしかった。もはやでかい蠅くらいの存在感だ。

 教室の隅でカリカリカリカリされてみろ。誰だって苛立つ。さて、我らが女史のマクゴナガルは極めて上品かつ理論的にアンブリッジを黙らせた。ウィスタの見立てでは、マクゴナガルとアンブリッジは水と油だ。どうもアンブリッジは、授業がどうこうというよりもマクゴナガルが嫌いらしい。

「そのように授業妨害をなさって。飴を差し上げましょうか。それとも医務室に案内を? 高等尋問官殿、本日の査察はおやめになっては」

 完璧な上流階級の発音でマクゴナガルが言い、アンブリッジが顔をひきつらせた。

――こりゃ駄目だ

 楽しすぎる。腹筋に力を込め、今にも笑い出しそうなハリーに沈黙呪文をかけた。気持ちはわかるがアンブリッジに眼をつけられたら拙い。ロンは「お腹が痛い」と言い繕って教室を離脱した。トイレで大爆笑するのだろう。ウィスタもついていきたいくらいだ。

 実はというかやはりというか、マクゴナガルはお育ちがよろしいほうだ。対するアンブリッジは言うまでもなくよろしくない育ちである。母親がマグルだとか父親がスクイブだとかはアンブリッジのせいではないし、出世に貪欲なのも悪いとは言わない。しかしやり方があまりにも汚い。

 そんなこんなでアンブリッジは上流階級らしさをにじませるマクゴナガルが嫌いなのだろう。しかも、マクゴナガルは魔法省のしかるべき地位への道が開けていたのにそれを蹴ってホグワーツの教師になったというのだから、嫉妬もする……はずだ。

 アンブリッジの羽根ペンが猛烈な速度で動く。大変にうるさい。ウィスタはまったく心配していなかった。マクゴナガルがアンブリッジに隙を見せるようなへまなんてしないのだ。たぶんトレローニーは解雇されそうだが。

――そのあたりはダンブルドアがどうにかするだろうよ

 ウィスタの管轄ではない。ついでにスネイプも解雇してくれればいいのだが、さすがというかなんというか、あの教授もアンブリッジに隙をみせるわけがなかった。

 が、隙を見せまくる男がいた。

「ああ、クィレルはすばらしい先生でしたとも」

――誰か

 この愚かな子羊を黙らせたまえ。防衛術の教室で、立ち上がったハリーの袖をぐいぐい引っ張ったが、親愛なる相棒は大暴走だ。わからんでもない。わからんでもないが今は拙いって俺は何回も言ったよな!

「ただ、ちょっとだけあって欠点があって、ヴォルデモートが後頭部から飛び出していたけど」

 ハリーは言い切った。偉大なるゴドリックよ。あんたの求める資質をふんだんに持った子羊に、ヘルガの忍耐とロウェナの叡智とサラザールの機転を与えたまえ!

 案の定ハリーは罰則を与えられ、ざっと一週間手の甲から血を流すはめになった。ハーマイオニーもウィスタもロンもエリュテイアも慣れたもので、戻ってくるたびにマートラップの溶液に手をつけてやり、世話を焼いた。ウィスタはきっちり写真をとった。

「このままじゃいけないわ」

「傷跡が残るな……刺青でも彫る?」

 そういや実父の身体にも刺青があったな……と思い出し、顔が熱くなった。ブラック邸で、たまたま着替えている最中のところに遭遇し、その場ではなにも訊かなかったのだが。

 調べてみればあれだ。伴侶に対する守りの術で、古代の魔法に分類されるのだが。やり方が十五禁だか十八禁だ。つまり肌の接――刺青がまあまあびっしりだったので、執着の深さも相応なもので、破廉恥案件――いけない。

「そうじゃないわよ。ウィスタ……ウィスタ?」

「な、な、なんだよ」

 平静になろうとしたが、動揺が表に出てしまった。ハーマイオニーが首を傾げ、敷物の上に座り込んだハリーが、溶液まみれの手をのばしてくる。

「熱はないね」

「いい加減病弱設定は解除されたろう」

「怪我は多いけどね。今年はなにもないといいけど」

 ぐうの音も出ない。

「話を戻すわよ。このままアンブリッジの授業を受けてたんじゃ、わたしたち落第するわよ」

「ハーマイオニーなら大丈夫」

「もちのロン」

「ありがとう……じゃなくて!」

 私たち、もっと深い学びをすべきよ。ハーマイオニーの決然とした言葉が、深夜の談話室に響いた。

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