【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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四十五話

 翌日も父の機嫌は悪かった。食事時は取り繕っていたが、ウィスタもリーマスも仮面の下に隠された感情を察していたのだ。

「親父のこと頼むね。俺が言うのも変なんだけど」

 あんたに任務があるのも分かってるけど。厨房で皿洗いをしながら、ウィスタは養父に頼んだ。長々としたため息。洗い終わった食器を片づけ、リーマスは頭痛をこらえるような顔をした。

「私の親友がすまないね、養い子くん」

「いいんだよお養父様」

 厨房には二人きり。こんな莫迦げたやりとりをしても問題ないわけだ。

「あいつがハリーをちゃんと教えると思う?」

「セブルスもいい大人だよ」

「子どもの前で杖抜いてたけどね!」

 切り返し、リーマスの苦々しげな顔を見やる。全く取り繕えていない。

「……君も叫びの屋敷でのあれこれを見たろう?」

「前々から訊こうと思ってたんだけど、おふくろはなんで自分の大怪我の原因つくった野郎と結婚したんだろう」

 私に訊くな。リーマスの眼はそう言っていたが、ウィスタは無視した。

「それを言ったら私と友達付き合いしてくれた時点で、彼女は寛容だった」

「あんたは悪くないだろう。病気なだけで」

「私は病を理由に責任逃れをしたくない」

 真面目かい。軽く言うが胸は塞がる。いくらでも病のせい、フェンリールのせいにすればいいのにしないのだ。養父が救われる日は来るのだろうか。ずっと罪悪感を抱えて生きていくのだろうか。

――母ならどうしたろうか

 リーマスの憂いを理解していたはずだ。だけど、呪いを――病を解く前に逝ってしまった……。

 あんただって幸せになる権利はあるんだぞ。言いかけて首を振る。結局ウィスタでは役に立たないのだ。あくまでも養い子だから。

 ◆

 休暇明け二日前。ウィスタはブラック邸を出ることにした。ハリーたちは見送ろうとしてくれたが「どうせ会うんだから」と断る。そんなこんなで玄関ホールには父とウィスタだけがいた。エリュテイアは気を利かせて離れた場所にいる。

「ホグワーツにこだわることはない。嫌になったら帰ってこい」

「んなわけにいくか」

 何を言っているんだか。ウィスタは駒のひとつだ。ガマガエルへの餌であり、毒である。混ざり者とはいえ創設者の末裔で、ホグワーツでできることも多い。あれが一線を超えたら強制的に追放できるだけの権限があった。

 父の手が、ウィスタの首にマフラーを巻く。思いもかけないほど繊細な手つきだ。もうウィスタは十五歳なのだが。父が家出したのと同じ年だ。子どもではない。大人にもなりきれないわけだが。

「あと」

 父の輪郭が――纏う空気が重くなる。静かなのに腹に響く声。

「当主の位も棄てたいなら棄てていい」

 とっさに言葉が出なかった。父から眼が逸らせない。

――極力気づかれないようにしてたんだが

 よく眠れないことも、『谷』で時たま厭な思いをしていることも。己の血を呪っていることも。不眠はバレていると知っていたが、ほぼ全部見抜かれているのか?

「……代わりが、」

「どうとでもなる。なんのために家を分けてると思っている。リアイスが文句を言ってきたら、俺が返り討ちにしてやるし北米にでも連れて行ってやる」

 流れるように返された。リアイスは本家と八つの分家で構成されている。誰かが死んでも次の当主を立てられるように。黄金のグリフィン。本家当主が儚くなろうが、すぐさま次のグリフィンが現れる。何度でも。最悪どうにかなる。英国を出て大陸に紛れれば、見つからない……と思いたい。

 曾祖父はウィスタの身を守るために当主に推した。そして父は――ウィスタの心を守るために言っている。

「やつは逃げても追ってくる。だからいいんだ。俺は《ランパント》。獲物は絶対逃さない」

「リーンも頑固だった」

「血筋だよ。あんたも相当頑なだけど」

 そうしてぶっきらぼうに言った。

「気持ちだけ受け取っておくよ」

 

 沈黙したままブラック邸を出る。姿くらましで『谷』まで跳んだ。幸いバラけもせずに、無事であった。非合法だが姿くらまし現しを習得できたようだ。数年後、どうやってできないふりをするかが問題だが、先のことを心配しても仕方ない。

 防止領域から天馬に乗って『谷』の内に。久々に乗る闇毛の天馬は、気が高ぶっているのか素晴らしい疾さで飛翔する。やはり箒より天馬のほうが好きだった。懐かれたらなおさら。

 手綱を握りながら、前を見据える。父の言葉がぐるぐると脳内を巡った。逃げたところでどうするのだ。どうせ先はないのだ。ウィスタはあれの血を引いていて、ずっと狙われている。腕利きの闇祓いですら殺された。

 たくさんだ。全部あれのせい。ウィスタが消えたとしても、追って追って、地の果てまで追いかける。血の足跡と屍を後ろに残して。そんなのは厭だった。どれほどの惨状になることか。あんな、暴力や犯罪に酔っている、自分を卿だと呼ばせて悦に入っている頭の足りないやつのために、なぜウィスタが逃げなければならない。迎え撃つのみだ。

――そう

 心のどこかで、普通の子になりたかったと思っていても。そんな欠片は放り棄てて進んでやる。

 ウィスタは黄金のグリフィンなのだから。

 たとえ偽りと呪いにまみれていようと、成すべきことを成すまでだ。

「ホグワーツに常におり、名目さえあれば接触が可能。なおかつハリーから情報が漏れても問題がない相手」

 皺だらけの指が、一本二本三本……と折られる。ウィスタはホグワーツ校長室、革張りのソファに腰かけて眉間に深い渓谷を刻んだ。何も言い返せない。ハリーとスネイプの『授業』なんて無茶だろうと校長室に乗り込んだが、どうにもならないようだ。

――漏れてはいけない情報とはつまり

「本当に大丈夫なんでしょうね」

「あれは死喰い人に呪縛を科しておる。漏らせば――漏らそうとすれば死ぬように」

 固く眼を瞑った。墓場でヴォルデモートが言っていたのはこのことか。『お前の口からは言えぬな。そうとも言おうとすれば滅びるのだから』

 孫への愛情ではないだろう。都合のよい駒が殺される懸念があるのだろう。だからこそ縛った……。そしてスネイプは闇の印を刻まれた、れっきとした死喰い人。呪縛は有効。ハリーの訓練相手にはもってこい。つまりほかのリアイスやら閉心術士やらを手配するより安全だと。

「分かりました」

 苦味を飲み下した。甘いことを言っていられない。やつを討つまで死ぬわけにはいかない。リアイスに事が露見すればよくて幽閉か社会的な抹殺、悪くて処刑だ。世間もリアイスもウィスタの存在を許容しない。奇跡などない。現実は御伽話ではないのだ。そして、ウィスタの秘密が漏れれば、確実に血が流れるだろう。巻き込むわけにはいかない。秘密を守る身内も、友人たちも。

「すまんのおウィスタ」

 いえ、とだけ返した。ダンブルドアに非はないのだ。たとえば五十数年前にトム・リドルの悪事を完璧に暴いていればとか、言っても仕方ないではないか。ダンブルドアだって万能ではない。神ですらも。

 休暇が終わり、生徒たちが戻ってきた。活気が戻った寮で、ハリーは肩を落としていた。

「そんな」

「――こればっかりは無理だった」

 談話室の隅でハリーが頭を抱える。ウィスタが事態をひっくり返すことに期待していたようだ。ウィスタが同じ立場なら同じように期待する。なにを好き好んで寒い地下で、陰気なスネイプと授業をしなきゃいけないのか、と。

 休暇明け一日目、ハリーは心ここにあらずだった。現実を直視したくないのだろうと放っておいた。ウィスタにできることはない。スネイプを襲撃して授業を延期させることはできなくもないが、ハリーは閉心術を習得すべきだ。

――祖母様ですら

 服従の呪文にかけられたのだ。ましてやハリーとやつは繋がっている。どう利用されるかわからない。ホグワーツにいればある程度の干渉は阻めるだろうが……。

「いいことがなんにもないよ」

「活動があるさ」

 うなだれるハリーをロンが慰めている。反対にハーマイオニーは眉を下げていた。どうやら彼女はウィスタと同じく心配性らしい。

 とぼとぼとした足取りでハリーは談話室を出ていった。しばらくしてウィスタはソファから立ち上がった。

「もう寝るの?」

「野暮用」

 答えになってない、とロンが怒ったが無視した。エリュテイアを手招いて階段を登る。自室に入れば、忠実なる従者が問いかける。

「さて、一通り煎じますか」

「……おかしいな。閉心しているはずなんだが」

「我が君の御心を覗くなど。ただの推理ですよ」

 さらりと返され、それ以上なにも言わないことにした。大鍋やら材料やらを引っ張り出す。たいていのものなら煎じられるほどの材料を持ち込んでいるのだ。

「ハリーもぶっ倒れるかもしれないしな」

 ウィスタはぶっ倒れたわけだが。開心術というのは簡単にいえば精神攻撃である。ウィスタは自身を強い心の持ち主だと思っていたが――誰だって延々と刺されて傷口をえぐられたら弱るわけだ。どうにかこうにか一番の秘密とクインとのあれこれは守りきったが。死んでも見せるものか。

 曾祖父の手ほどきでは少し体調を崩すくらいだった。しかしイルシオンの訓練が最悪だった。あれは昼行灯のふりをしているだけで、腕は一流だ。おそらくルキフェルの開心よりも上だろう。イルシオンと手合わせする、三日寝込む。手合わせする、二日と半日……という具合にぶっ倒れては訓練し、ぶっ倒れては訓練し、だった。どこの闇祓いの教練だ。おかげで閉心術を習得できたわけだが、二度とやりたくない。

 二人で手分けして薬を煎じていく。悪夢除けから熱冷ましまで通り一遍。ウィスタが世話になった薬たちである。よく効くが味は最悪だ。

 一時間ほどしてハリーが戻ってきた。案の定顔色がよくない。倒れなかっただけマシだろう。

「夢で見ていた場所が分かったよ」

 青白い顔をしているものの、眼は輝いていた。好奇心旺盛なグリフィンドール生。談話室に人はまばらだ。耳塞ぎから盗聴防止まで通り一遍の魔法をエリュテイアがかける。

「ハリー、夢を見ないために閉心術を――」

「どこだったんだ?」

 ハーマイオニーの小言を、好奇心旺盛なグリフィンドール生その二がぶった斬った。ハーマイオニーのきつい眼なんて平気らしい。かれこれ五年はつきあっているのだから慣れだろう。

――ハーマイオニーの懸念は大抵当たるんだけどなあ

 聞きやしないのだ。

「廊下の先には神秘部がある」

 アーサー小父さんはあそこで襲われたんだ! ハリーは大興奮だ。どうしたものか。失神呪文で無理矢理寝かそうか。

「じゃあ武器が魔法省の中に……いやでも神秘部ってなにやってるかわかんない部署で」

「極秘ななにかをつくるにはぴったりなんじゃない?」

 緑、青、茶色の眼がウィスタに向く。

「俺は知らないぞ」

 ダンブルドアもさすがに『何が』あるかは言わなかった。答えようがない。

「君んとこの一族が――」

「いてもおかしくないが、おおっぴらに神秘部所属どうこうと言わないものらしい」

 リアイスは一族主義だ。しかし、魔法省に勤める以上、ある程度は規則を守っているはずだ。緊急時は規則なんぞ木っ端みじんだが。結局、我が強くて扱いにくい面もあるのだリアイスは。

「どうせなるようになる」

 締めくくれば、ハリーは眉間に皺を立てた。

「もう寝るよ」

 おぼつかない足取りで階段を登っていく。ロンと顔を見合わせた。いちいち言うまでもなく、ウィスタとロンは立ち上がる。ハリーの後を追った。寝台にたどり着く前に床と濃厚接触する可能性大。

 忍び足でハリーを追う。たった数歩離れた二人の気配に気づかないくらい、ハリーはお疲れだった。男子寮、五年生部屋に到着し――ハリーが立ち止まり、天を仰ぐ。

「斬新な絶望のポーズだね」

「お前閉心術を嘗めるなよ。あんくらいやりたくなるんだからな」

 くだらないやりとりは、甲高い笑声に引き裂かれた。ロンがハリーに平手打ちをかます。一度、二度、三度。ハリーが膝を突いた。ウィスタも傍らに膝を突く。

「おい、ハリー……」

 しかし呼びかけは、宙に生じた炎と降ってきた紙片に遮られた。ゆうらりと舞うそれをつかみ取り、文字を追って眼を見開いた。

「――やられた」

 

 魔法省はテコでも失態を認めたくないらしい。

 日刊予言者の一面は、集団脱獄の記事で埋められている。ベラトリックスを筆頭とした、死喰い十名の脱獄に関してだ。ファッジはお役人の常で「最善を尽くす」としか言っていない。挙げ句に「シリウス・ブラックが手引きしている」とほざく始末だ。おいおっさん。

 一般市民がほしい情報を発信していないに等しい記事だった。

――吸魂鬼が制御できなくなりつつある

 なんてことは隠蔽しているわけだ。昨夜、第五分家から報せを受け取って愕然とした。第五分家当主《クーシャント》の筆跡からは怒りがひしひしと伝わってきた。ファッジに吸魂鬼以外の、人間の看守の増員をそれとなく提案したようだが却下されていたのだとか。第五分家の人間が脱獄騒動で何名か負傷したようだ。

 泡を食ったファッジが、急ぎ増員をはかっているなんて話も記事には出ていない。ファッジの政治生命は風前の灯火である。省内での評判は下落の一途。ついでにリアイス宛に「看守を増員したいので人をよこせ」という文書がきたので回答を保留している。自分のケツくらい自分でどうにかしろ。そのうちアズカバンを放棄することになりそうなので、魔法省の一部でも動きがあるとかないとか。アズカバンとは別の監獄を整備中のようだ。第五分家も噛んでいる。どうせスクリムジョールが暗躍しているのだろうが、もちろん文書なんてもんは残っていない。

――着々と準備中だ

 ファッジを引きずりおろしたら、速やかに座は埋まるだろう。ウィスタも無能な働き者よりはスクリムジョールに座ってもらったほうが楽だ。

 集団脱獄の報は、数日もすればホグワーツに浸透した。ウィスタのことを指さしてひそひそ言う連中も増えた。

「……やってらんねえ」

 ホグズミード、雪を蹴りながらウィスタはぼやいた。

「いつまでその変装なのよ?」

「平和になってからかなあ」

 クインは「私はかまわないんだから」と言ってくれたが、ウィスタがかまうわけだ。なにせシリウス・ブラックの息子、死喰い人の息子なのだ。クインに何か被害が及んだら最悪である。今日も今日とて学年不詳のレイブンクロー生デュランダルの格好をしていた。注目されないのは楽でいい。

 二人でぶらぶらと店を見て回り、クインの提案でマダムなんとかという喫茶店に足を運んだ。

――上品だけど乙女仕様が少しある

 つまり女の子が好きなそうな店だ。そういやロジャーから「女の子を誘うならここ!」と推されていた気がする。ナルシストなロジャーがウィスタは嫌いではなかった。が、だ。

「……鋼の精神だぜ先輩」

 案内された席はよりにもよってロジャーの近所である。銀髪に青い眼の女の子とデート中。ロジャーは失恋の痛みがまだ癒えていないようだ。意外と未練がましい。彼にとって残念なことに、大陸育ちの妖精さんは赤毛一家の長男とひっつきそうなのだが。

 未練を引きずる男と妖精さんの身代わりがお茶をしているだけならかわいいものだった。しかし、やたら密着していちゃいちゃし始めたものだから困った。公共の場で絡み合ってキスをするな。

 鼻を鳴らして杖を振った。ロジャーたちを視界から遮断する、

「なんにする?」

「このセットでいいわ」

 ウィスタもクインも何も見なかったように振る舞った。多少は顔が赤いかもしれないが。あんなもんを眼にしたら、あれこれ思い出すではないが。もっとも、ウィスタたちは物陰とか空き教室でこっそりするが。奥ゆかしいのである。

 店主手ずから紅茶その他を運んできて、妙齢の魔女は「あらデート?」とにこにこして去っていった。あれだろう。若い子の恋愛が好物な魔女だ。きっとそうだ。

 他愛もない話をし、和やかに時間が過ぎていった。ホグワーツだと気が休まる暇もないので貴重な息抜きだ。

「そういえば、冬の社交でグリーングラスの令嬢が大人気だったんですって」

 不意の発言に、危うく紅茶をこぼすところだった。内心で冷や汗をかきつつ、問いかける。

「ダフネ嬢か?」

 ダフネ・グリーングラスはウィスタと同学年である。もっとも、寮がスリザリンなので見かけるくらいだ。たしかダフネも社交の場にいた。

「リディア嬢よ」

「イルヴァモーニーの?」

「踊りも上手で美人だし、縁談が舞い込んでいるらしいわ」

「それはよかった」

 えらいことになっていた。なんせ女装が露見してはいけないから、本気で踊りも習得したのだ。やりすぎた。野郎であるウィスタは、野郎の心理にも通じているわけで、間違っても勘違いされないように振る舞っていたのだが。

「高嶺の花、孤高の令嬢なんですって。遠目に見たけれど、たしかにそんな雰囲気だったわ」

――しまった

 リディアやグリーングラスのお母様やお祖母様とも打ち合わせて綿密な設定で挑んだが裏目に出たようだ。リディアは縁談なんて面倒だし野郎に媚を売るつもりもないし、私の理想は高いのよ! と力説していた。手紙だけれど。

 今度リディアに手紙を送ろう。そう心に留めた時、固い音がした。チョウが席を立ち憤然と店を出て行く。相手は誰あろうハリーである。絶句し固まっているではないか。

「ああもう」

「追いかけないと」

 ウィスタとクインも立ちあがる。ウィスタが会計をしている間に、クインがハリーを外に引きずり出した。

「ハーマイオニーが三本の箒に来いって言うから」

 ハリーはへたりこんだ。ウィスタは天を仰いだ。

「デート中に他の子の話を出したらだめでしょう」

 クインは容赦なかった。まったく容赦なかった。

「機嫌を損ねるわよ。後でハーマイオニーに教えてもらいなさい。女の子の心理ってものを」

 チョウの姿はどこにもない。ウィスタは嘆息してハリーの肩を叩き、背を押した。

「ハーマイオニーんとこに行ってこい。チョウとデートってことを承知で呼んだんだ。なにかある」

 とぼとぼと去っていく背中を見送りながら首をひねった。ハーマイオニーらしくない。気遣いはできる性格だ。どうしても今日でないといけない理由があるとみた。

「あなたは呼ばれてないの?」

「だとしても蹴ってたね」

 なんせ貴重なデートだし。クインが眼を泳がせる。城に帰るまでウィスタはすこぶる上機嫌だった。しかし談話室に戻り、顔をひきつらせるはめになった。

「よりもよってザ・クィブラーにインタビューを掲載」

「ええ」

「暴露記事を」

「そうよ」

「あんの腐れ女に」

「大丈夫。ギャラは発生しないから」

 だって大手が載せないんだからほかを当たるしかないじゃない。ハーマイオニーはウィスタが受けた衝撃など知ったこっちゃないと言わんばかりだ。ウィスタはまじまじとハーマイオニーの顔をみた。

「……暴露して刺激して、どう出るかみようって腹もある?」

 どうかしらね、とハーマイオニーはにっこりするばかりだ。無謀なんだか策士なんだか。

 一週間経った頃、ルーナの父の笑いが止まらなくなったらしい。

――ザ・クィブラーは最高益を記録した。

 

「……あの女、本当にホグワーツ出身か?」

 アンブリッジは廊下で誰彼ともなく呼びかけて、所持品検査をしていた。空回り、徒労、無駄骨。ウィスタは心優しいので、愚かな魔女の好きにさせることにした。

「いくら出世しようが得意不得意があるものです」

 エリュテイアは通常運転である。どうしようもない駄犬か路傍の石を眺めるような眼でアンブリッジを見ている。突き詰めれば、ウィスタに危険が迫るだとか直接的に有害だとか、ウィスタが「やれ」と命じれば嬉々として動くだけ。エリュテイアが積極的に動こうと思うほどの相手ではないのだ。

――ファッジの周りにはろくな人間がいないな

 わかっちゃいたが。足を早める。次の授業は古代語だ。まったくホグワーツは広すぎる。教室への移動も楽じゃない。

「先生、だから言ったじゃないですか」

 後ろからハッフルパフ生の声が追いかけてくる。

「教科書しか入ってませんよ」

「あら失礼」

 心なしかハッフルパフ生は勝ち誇っており、反対にアンブリッジの声は苦々しげだ。問題の雑誌、ザ・クィブラーなんてもうみんな読んでいたし、噂は広がっている。もはや誰にも止められない。そもそも雑誌を変身させれば検閲はくぐれる。ついでに新聞部がザ・クィブラーを大量に買い付けて売りさばいたせいもある。隠蔽工作済みのものだ。

 どうせ魔法省は命令することしかできないのだ。実効性はほぼない。さすがのファッジも闇祓いやその他実行部隊をホグワーツに送り込むほど阿呆ではない。そもそも名目がない。さらには、実行部隊を送り込もうものなら、教師陣が反撃する。

 今のところ口喧嘩と机の下で足を蹴り合うような争いだけである。勝手にやってろ。

 ◆

 ザ・クィブラーは爆発的に部数を伸ばし、世間の風向きはハリーに味方しつつあった。もちろん墓場のあれこれの役者にはウィスタもいたのだけれど、今回の主役はハリーだ。リータ・スキーターのインタビューに答えたのもハリーだったし、拙い案件は巧みに除いて話したわけだ。

「エリュテイアがいてくれてよかったわ」

 ハーマイオニーは大満足だ。談話室の壁に、ザ・クィブラーの表紙が引き延ばされて貼られている。グリフィンドール生の一部でさえハリーに懐疑的だったというのに、見事な手のひら返しだ。もっとも、貼ったのは双子で、彼らは最初からハリーの味方だった。さすがウィーズリー家。

「その場にいただけですもの」

 ソファに腰かけ、エリュテイアは優雅に紅茶をたしなんだ。インタビューの日、ハーマイオニーからエリュテイアを貸してほしいと頼まれたのだ。エリュテイアがいいならいいよと了承し、ウィスタはウィスタでクインとホグズミードに向かった。さすがに従者付きでデートも厭だったので渡りに船であった。

 ハーマイオニーと買い物に行くのだろうと踏んでいたら、ろくでなしのスキーターの抑え役として保険をかけたかったらしい。従者は見事に役目を果たした。

「――うっかり筆が滑ろうものなら分かっていますかと言っただけで」

「脅迫だよ?」

「あれに情けをかける必要はありません。ああ、未成年をよってたかって叩いていた皆様も同罪ですがね」

「僕は満足だよ」

 ハリーが長々とため息を吐く。チョウと仲直りできたしな。言おうとしてハーマイオニーに首を振られた。なんと才媛は開心術まで使えるようだ。なんて恐ろしいのだ。そうして開心術で思い出した。

「で、個人授業はどうなんだ」

「僕とスネイプだよ? 僕とスネイプ。ルーピン先生じゃなくて」

 ねえルーピン先生って閉心術使えないの? すがるように見られても、ウィスタは何も返してやれないわけだ。多少は心得があってもおかしくないが、相性の悪さという致命的な問題を除けば、スネイプが条件にぴったりなのだ。なんの運命の悪戯か。

「――扉の向こうが気になって仕方ないんだ」

「開いたのかよ」

 だめだこりゃ。ヴォルデモートの欲求がそこまで強いとみるべきか、ハリーの防衛力が弱くなっているとみるべきか。ウィスタだって神秘部に何があるか気にはなるのだが、あいにくあれこれ忙しくて――各地からあがってくる報告に目を通したりだとか――神秘部の秘密にかまっていられない。

 このままヴォルデモートがじれてお出ましくださったら万々歳。ファッジも隠蔽できないだろう。しかしその前にハリーに何かあれば面倒なことになる。既に影響が出ている節もあった。

「なんのためにダンブルドア先生が」

「わかっているよハーマイオニー」

 小言も効果なしだ。  

 

 就寝時間をとっくに過ぎた深夜、ウィスタは校長室に乗り込んだ。ダンブルドアはまだ眠っておらず、ココアを振る舞ってくれた。ありがたくもらって、ついでに暖炉の火でマシュマロを炙って二人で食べた。

「……祖父の家に遊びに行った孫か貴様は」

「なんだ俺と食べたかったのかじいちゃん」

 フィニアスは舌打ちする。わかりにくい爺である。そもそもこいつが孫と楽しくおしゃべりしている光景が浮かばない。だいたいフィニアスは父の高祖父だ。ウィスタにとっては曾祖父の祖父にあたる。ややこしい。玄孫の次ってなんていうのだろうか。

「それでどうしたねウィスタ」

 ダンブルドアに柔らかい声で問われる。このまま呑気にココアを飲んでいたいなあ……なんて欲求は暖炉に放り込んだ。

「神秘部に何があるのか、ハリーに明かしたらどうです」

 あいつは好奇心ではちきれそうですよ。ついでに俺にも教えてくれたら嬉しいですね。

「まだいかん」

 ダンブルドアの皺だらけの手が、髭をしごく。ライトブルーの双眸がつかの間ウィスタとかち合ったが、すぐに逸らされた。

「……それが何かは知りません。けれど、最優先にするほど重要なものではないんでしょう?」

 そんなに拙いものなら、いっそのこと壊すだろう。賢者の石を壊した時のように。どうにもダンブルドアは煮え切らない。

「左様。あれにとっては喉から手が出るほど欲しかろうよ」

「なら、」

「儂はの」

 君たちに健やかでいてほしいだけじゃ。声に芯が通っている。ウィスタは両手を上げた。説得失敗だ。

「……釣りをするのは結構ですけど、早くケリをつけてくださいね」

 あいつが爆発する前に。席を立つ。ダンブルドアを振り返りもせず校長室を出た。

 ◆

「品性って顔に出るんだな」

 落としたつぶやきは、周囲のざわめきにかき消される。玄関ホールには人だかりができ、ウィスタは円形にぽっかりと空いた空間の縁にいた。人垣の最前列だ。

 今日の授業はすべて終わり、ウィスタは嫌がるハリーを地下に送り出し、大広間で夕食をとっているところで騒動が勃発した。誰かの高笑いと重いものが落ちる音。ハーマイオニーが真っ先に大広間を飛び出し、続いてロンとウィスタとエリュテイアが出た。そしたらなんとも醜悪な光景が広がっていたのだ。

「あなたには適性がありませんの。なにが偉大な予言者の子孫ですか。詐欺師でしかないわ」

 すっくと立つのはアンブリッジ。へこんだトランクの傍らで身を震わせているのはトレローニーだった。

――言っているのがアンブリッジでなければ

 拍手していたかもしれない。たしかにトレローニーは普段の行いからして詐欺師である。たまにあたりを引くらしいから、完全に能力がないとは言えないけれど。トレローニーはどうにも預言の才が少しあるようだ。三年生の時には見事に言い当てた。ちなみに未来を見通して語る者を予言者、いずこからか託宣を――預けられた言葉を語る者を預言者というらしい。ウィスタの血族のクロードは予言者であり預言者、トレローニーは予言者である。そんな厳密な違いはどうでもいいが、ともかくもトレローニーは崖っぷちに立たされている。自業自得といえば自業自得だが、衆人環視のもとでなぶられる必要もないだろう。

「そんな……わたくしの……ここは家で――」

 トレローニーは酷い有様だった。ショールは肩からずり落ちて、眼鏡も歪んでいるし、酒臭い。

「この事態も予見できなかったのかしら? ねえカッサンドラ・トレローニーの血筋なのでしょう?」

 アンブリッジの唇がひくひくと震えていた。怒り? いや喜びを抑えて、けれど抑え切れていないのだ。

「大臣の許可も得ています。あとはわたしが署名すれば――」

「……楽しい夕食の時間に、なにを大騒ぎしとるのかね。アンブリッジ先生」

 ダンブルドアが軽やかに階段を下りてくる。いささか冷たい声にも、アンブリッジは平然としていた。単に鈍感なだけだろう。ウィスタはダンブルドアをじっと見た。眉を動かすこともなく、泰然としている。

「高等尋問官令により、解雇を――」

「試みてみるがよろしかろう」

 ダンブルドア? と誰かが言った。それはアンブリッジの声だったのかもしれない。彼女は首を傾げ、まじまじと校長を見て、クリップボードに挟まれた羊皮紙に羽根ペンをはしらせた。かりかりと音がして、また音がする。アンブリッジの顔つきが険しくなり、足が床を叩いた。

「……どういうことです」

「どうもこうも。教師の任免を決めるのは校長の役目じゃ」

「大臣が――大臣の署名まで――」

 消えていくではないですか! 常の嫌らしい笑いは消え、アンブリッジの声は甲高い。彼女の高ぶりとは反対に、ダンブルドアの声は落ち着いたものだった。

「儂は言ったのじゃよ。やってみるだけやってみるがよろしかろうと。しかし大臣令にうなずいた覚えはない。じゃから解雇通知にあなたが署名しても無効じゃよ」

 アンブリッジが停止した。いや凍った。ダンブルドアは絶好調であった。

「契約もしていないのに履行しようとしても、そりゃ無理じゃて」

 ファッジも学び舎に眼を向けるのは構わんが、他に心配することがあるんじゃないかのお。ジャブからのストレート。アンブリッジは息も絶え絶えだ。ノックアウト数秒前。

「な……」

「おお、そうじゃ。教師をひとり増やそうと思う」

「ふざ――」

「占い学を担当するフィレンツェ先生じゃ」

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