進路相談やら、大量の課題やら、暴れ回る花火やらその他諸々で忙しかろうがクィディッチはある。品性をどこかに捨ててきたスリザリンは相変わらず合唱団を結成しようとした――が、なぜかメンバーが鼻血を垂らしたり嘔吐したりの汚い目にあい、結成に至らなかった。ついでに誰かがルーナ・ラブグッド発の獅子帽子を大量に作成しばらまいた。
「……いやあ」
お祭り騒ぎのグリフィンドール談話室。ウィスタは従者をほめちぎった。
「俺にはもったいないね」
「持ち上げてもなにも出ませんよ」
ウィスタは林檎ジュースを一口飲んだ。ロンを励ましていたものの、優勝できるとは思っていなかった。せめて妨害をやめさせて状況をよくすることしか考えつかなかったし、それでもロンの精神面の弱さをどうにかできるかわからなかったのだ。後半で覚醒するとは何の奇跡だろう。グリフィンドール優勝だ。寮生は浮かれている。だが、ハリーとハーマイオニーの表情は固かった。
「そんなに試合に出たかったのか?」
水を向ければ、ハリーが瞼を痙攣させた。なにかあるな。ハーマイオニーが無言で杖を振って、盗聴その他をかけてしまう。どうしよう深刻な問題発生だ。確定だ。
「――なにがあったんだよお二方」
訊きたくないしずっとソファでゆったりしていたい。しかし訊かないわけにもいかない。特にハリーが持ち込むものはさっさと処理にするに限る。あとで苦労するはめになるのだ。
「ハグリッドね、怪我して帰ってきただろう?」
それ、巨人の弟を連れて帰って世話してたからなんだ。
杯を持つ手に力がこもる。
――聞かなかったことにしたい
「故郷に帰せ」
「僕ら世話を頼まれて」
「お前らを殺す気かハグリッド」
なんでも禁断の森に匿っているのだとか。純粋な巨人で、ハグリッドの父親違いの弟だ。身体が小さくて虐められていたのを不憫に思ってつれて帰ったようだ。これが人間の弟なら心温まる話で済んだのだが。
「夏休みまでハグリッドがぐずぐずしているようなら、人を動かして大陸に戻すからな」
言い切った。殺されるよりましだろう。もちろんハリーたちには言わない。友人たちにはあまり暗くてどうしようもない側面は見せたくないものだ。
◆
ハグリッドの弟問題は放置した。ダンブルドアに報告もしなかった。彼はホグワーツを離れているのだからどうしようもないし、忙しいマクゴナガルを煩わせたくもなかった。ウィスタたちもハグリッドに構っていられなかった。
そしてウィスタたちと同様に、アンブリッジも忙しくなった。マクゴナガルがここぞとばかりに準備を押しつけたのである。普通魔法試験の試験官を出迎える準備、会場の準備、言ってしまえば全部。
「お願いしますね新校長殿?」
マクゴナガルはいい笑顔だった。
「私たちに権限があるか存じませんし。これも校長の大事な仕事ですので」
廊下でたまたま見かけた一幕である。無表情を保つのに苦労した。他の教師もマクゴナガルに倣えで、アンブリッジに仕事を押しつけた。元々大臣がひっかき回そうとしなければよかった話だ。そろそろファッジの後ろでスクリムジョールが大鎌を構えていそうだが、ファッジは気づいているのだろうか。誰も教えてやるわけがない。
試験が近づき、おかしくなる連中が増えていった。アーニーは「あと八時間勉強……ああああ」とぶつぶつ言いながら徘徊し、下級生を怯えさせていた。寮が違うとはいえ、小さい子に精神的な傷を残すわけにもいかないので、アーニーを失神させて厨房前に放り出した。ウィスタはオリバーとの遭遇を思い出した。あれもなかなか強烈であった。もう少し幼気だったらうなされているところだ。
「……なんで君が監督生じゃないんだろう」
アーニーに毛布をかけてやりながら、ロンが呟いた。ウィスタは肩をすくめた。ハーマイオニーが下級生に優しく声をかけ、ハリーはジャスティンを発見して引きずってきた。エリュテイアは「お茶でも飲ませて落ち着かせることです」とジャスティンに言い渡した。
――そして
普通魔法試験がやってきた。
◆
ウィスタは試験の成績にこだわりがなかった。中退しようが立派に生きていけるのは、双子やニュート大先生が証明している。頭がよかろうが容姿が優れていようが、品性――それか思いやり――がないと駄目だろう。それにリーマスのように能力はあるのに不遇な人間もいるのだ。試験さえよければ人生が楽になるなんて甘い考えだ。
――とはいえ
父親たちの手前、あまり手は抜けない。なので呪文学から始まった一連の試験もそつなくこなした。
「追加点はありがたいです。けど」
やりすぎでしょう。叫びながら、迫る影を避ける。鈍く光る鎧――絡繰人形だ。マーチバンクス教授は満面の笑みを浮かべた。
「リーン・リアイスにも同じ課題を出したものだ」
「ありがたいんだかありがたくないんだか!」
一歩退く。鎧の木剣を盾の呪文で受け止め、そのまま包み込む。球体の中でもがく鎧は今や哀れな虜囚であった。杖を下ろし嘆息する。
「素晴らしい」
これで闇の魔術に対する防衛術に優をくれなかったら抗議してやると心に決めて、一礼した。
天文学の試験は真夜中に行われる。この試験は天候に左右されるので、予備日も設けられていたけれど、幸い空には雲一つなく、試験が延期になることはなかった。後ろにずれようものならハーマイオニーの試験がみっちり詰まってしまい溺死するところであった。一安心だ。
粛々と望遠鏡で空を覗き、羊皮紙に星図を書き込んでいく。静かな夜であった。心なしか風にわずかなぬくもりがあり、銀色の月光も柔らかであった。
しかし、鋭い音が静寂を切り裂いた。ウィスタは望遠鏡から眼を離し、北塔から身を乗り出した。音の出所は、おそらく禁断の森方面――ハグリッドの小屋のほうだ。澄んだ月が、小屋の扉が開き、大きな影が飛び出す様をくっきりと照らし出した。窓がどんどんと破られていく。失神光線がハグリッドに向かって発射された。
――実力行使か
任免権がないものだから、我慢の緒が切れたのだろう。
「――なんてことを!」
悲鳴が響き、背の高い影が校庭に走り出た。マクゴナガルだ。彼女は素早く杖を振る。失神光線を相殺し、ハグリッドを庇うように割り込んだ。ウィスタは舌を巻いた。品性と実力を兼ね備えた真の魔女だ。
「彼がなにをしたというのです!」
応えは紅い光線だった。何本か打ち消したものの、そのうち二本がマクゴナガルの胸に突き刺さった。ウィスタは羊皮紙をマーチバンクス教授に渡した。引き留められることもなく、ウィスタは北塔を降りた。背後から靴音がついてくる。
医務室に飛び込めば、寝台にマクゴナガルが横たわっていた。
「容態は」
飛び込んできたウィスタに、マダム・ポンフリーは片眉を跳ね上げる。しかし、よけいなことは訊かずに答えをくれた。さすが腕利きの癒者。
「命に別状はありません。念のため聖マンゴに入院させます」
「長めに入れといてくださって結構ですよ。お疲れでしょうしね」
なあルキフェル。振り向けば、又従兄弟にして闇祓いが杖を強く握りしめていた。足下には闇祓いの誰かさんが転がっている。ウィスタはそいつを思い切り蹴った。あばらが一本折れたかもしれないが、知ったことか。ルキフェルもマダム・ポンフリーもエリュテイアも止めなかった。
「俺の大事な先生になにをしてくれてんだアホンダラが。スクリムジョールのおっさんにちゃんと報告をあげるんだろうなルキフェル!」
「報告済みだし、アンブリッジはスプラウトとフリットウィックがなだめている」
疲れたように言って、ルキフェルは足下の闇祓いを冷たく見下ろした。
「越権行為につき降格は免れ得ないだろう」
当然の報いだ。
ウィスタは怒り心頭に発したまま眠りについた。そして翌日、急な呼び出しがかかり魔法史の試験をすっぽかした。すぐには抜け出せず『谷』――パッサント城に到着したのは午後二時過ぎだ。
当主たちが居並ぶ中に踏み込み、ためらいなく空いた席――《ランパント》のための座に腰を下ろす。
「ベラトリックス一派の場所は」
帰還の挨拶もすっ飛ばし、本題に入っても誰もウィスタを咎めない。いまは礼儀礼節なんてものは役に立たない。そして《ランパント》の学業に関しても誰も言及しない。良い成績を修めるのは当然だ。たとえ一科目不受だろうが問題ない。
「バッキンガムシャー州だ」
ナイアードが壁の大地図、その南部を杖で示す。バッキンガムシャーからエセックス、ハートフォードシャー……と光る軌跡が描かれた。
「怪しいものだが」
金髪の男――ルキフェルの父、第三分家当主《シージャント》が言った。
「囮やもしれない。それとも焦っているのか――」
「そしてこれらの州はロンドンにほど近い」
今度は第四分家当主《セイリャント》だ。彼は静かに続けた。
「魔法省に乗り込むつもりか……」
「断定はできないだろう。シージャントの言うとおり、餌の可能性もある」
腕を組む。死喰い人も重要だが、ウィスタが欲しいのはヴォルデモートの情報だ。単独行動をしているのか、はたまたどこかに潜んでいるのか。それともベラトリックスと一緒か。
唸った時、宙に『炎』が顕現する。落ちた紙片を掴み取った。他の当主たちも同じくだ。署名はないが当たりはつく。イルシオンからだ。どうせろくな報せじゃないだろうよ。厭々ながら眼を通し、舌打ちが漏れた。
「ざけやがって」
先日魔法省の職員が行方不明になり、先刻遺体を発見した。
ロンドンに向かう死喰い人。魔法省職員の遺体。なんとも心躍る展開だ。
ちりん、と鈴が鳴る。ランパント様。侍女の声にエリュテイアが立ち上がった。戻ってきた彼女は手紙を差し出す。
「今度はなんだ」
殴り書きのそれを一読し、椅子を蹴立てて立ち上がった。
「ランパント?」
《シージャント》に眼もくれず、杖を掴む。拙いことになった。
「ハリーが魔法省に」
差出人はスネイプだ。インクがあちこち飛び散った羊皮紙には「ポッターがおびき寄せられた」としか書かれていない。それで十分だ。
「エリュテイア」
「なりません」
「俺を止めたいなら死ぬ気でかかってこい。ハリーを釣り上げたのはヴォルデモートだろう。俺の獲物だ。誰にも渡さない」
なにがどうしてこうなったかはどうでもいい。ハリーは自分の危機に気づいていない。よほどの何かがあったのだろう。むざむざと殺させるわけにはいかない。
《ランパント》とリエーフの嫡子はしばし睨み合った。瀟洒な窓が黄金のグリフィンと獅子の気迫におののく。緊迫の糸を切ったのは《ドーマント》の進言だった。
「愚息をお連れください」
「お借りします」
「ドーマント様!」
エリュテイアが叫ぶ。《ドーマント》――第七分家のヘカテの父は、青緑の双眸を鋭く光らせた。
「主を守るのがお前の仕事だ。そも、ここで尻ごみする者なぞ、黄金のグリフィンにあらず」
「承知しました……」
「――それで」
冷えた声が割って入った。背筋を伸ばし、獅子公アシュタルテは筆頭分家と第二分家の席に一瞥をくれる。
「お前たちも行くと?」
「いいでしょう曾祖父様?」
「腕が鳴りますね」
「……生きて帰ってこい」
薄い群青が、ウィスタ、クロード、ナイアードを見やる。
「私は曾孫まで失うのはごめんだ」
◆
ウィスタはクロード、ナイアード、エリュテイア、合流したヘカテとともに魔法省を目指した。姿くらましでロンドンへ跳ぶ。吐き気をこらえつつ目的地へ向かう。エレベーターからホールへ向かおうとしたが、ナイアードが鋭く言った。
「空間が閉じられている」
「解除は」
答えは引き抜かれた杖である。ウィスタも年長者たちに倣い、構えた。五振りの杖が魔法を生み出す。
「破砕せよ」
粉々呪文を上回る、破壊の呪文が一度、二度、と行使され。三度目で儚い音とともに障壁が砕け散る。圧迫感が失せ、ゆるりと風が吹いてくる。
「すべてを砕く時間はない」
ヘカテが駆け出す。ホールは不気味なほど静かだった。省員になりすまし内部から障壁をつくりだしたのだろう。ウィスタたちが砕いたのは一部だけ。しかしそれで十分だ。
鉄錆の臭いが流れてくる。どす黒い血と、転がる首を認めた。守衛である。切り口は鮮やかで、下手人の熟達した手腕のほどが知れた。
――殺すことにためらいがない
ウィスタが対峙するのは、そういう輩たちだ。
弔う暇はない。目礼だけにとどめ、足を早める。やつがハリーをおびき寄せるとしたら、神秘部しかありえない。
「――ウィスタ!」
叫びに身を反転させ、口を開けた。やってくるのは父である。騎士団もいた。
「あんたなに――」
「ハリーだけではなく、他の子もいるようだ!」
「あんの暴走野郎、なに巻き込んでんだ!!」
吼える。てっきりハリーだけ乗り込んだのかと思っていたのに。冷静に考えてみれば、絶対にハーマイオニーとロンはいるだろう。十中八九ハーマイオニーは止めようとしてなし崩しで同行したのだろう。最悪だ。友人三人をいっぺんに亡くすなんて冗談ではない。ハリーは後で殴るとして、とにかく救出しないと。
リアイスと騎士団で神秘部になだれ込む。ウィスタは焼印がつけられた扉を蹴破った。とたんに襲いかかってきた光線を、三々五々に散って回避。父がすかさず戦場に飛び込んでいく。
瞬く間に混戦状態となり、ウィスタとエリュテイアは渦の中を駆けていく。棚が倒れている室を抜け、倒れている友人たちを見つけた。
「ルーナ!?」
後輩の姿を認め、ウィスタは息を詰まらせた。おいハリー。お前はなに下級生を巻き込んでいるんだ。
ウィスタの驚愕などかまわずに、ルーナが叫ぶ。
「ウィスタ! ロンのことは任せて。ちょっとおかしくなってるんだ……。行って。あいつらハリーを狙っている!」
「陰に隠れて透明呪文だぞ!」
手が回らない。もっと人を連れて来たらよかったと臍を噛んでも遅い。後ろ髪を引かれながら星が浮かんだ室を抜ける。通路の先に飛び込めば、視界が霞んだ。よりにもよってこんなときに不調か――と思えば違った。
「霧……?」
乳白色の紗がゆらめく。そこは円形の室であった。すり鉢状で、階段の下には舞台と門があった。門だけが。
「死の門――」
エリュテイアがつぶやきを落とす。常の従者とは異なり、声には畏怖が――確かな畏れがこもっていた。
じわりと汗がにじむ。ここにいてはいけない。ここにいたくない。あの門はいけない。警告が脳裏に木霊する。理屈ではない本能が、門を拒んでいた。
が、もみ合うような音と、くしゃくしゃな黒髪に躊躇が吹っ飛んだ。
「ハリー!」
影と影の間に盾を創り出す。ハリーと……ネビルに食らいつこうとしていた呪文を相殺した。段を踏む。浮遊呪文を行使し、地上の軛から逃れ、数秒も経たないうちにすり鉢の底へ到達した。
「これだから」
死喰い人が呻く。ローブの紋は『蠍』。すなわち――。
「奥さんのケツに敷かれてるレストレンジとお見受けする」
「――顔はシリウスだが、育ちが悪いなウィスタ・リアイス」
「野育ちなもんで」
口を動かしつつ、互いに杖を振る。しかしどれも相手には届かず、中空で衝突し弾けて消えた。
「見事だ」
「そう思うなら投降したらどうだ?」
「できない相談だ」
ウィスタとレストレンジは軽やかに床を踏み、階段を上る。クロードとナイアードの姿を目の端に認めた。二人は死喰い人を叩きのめしていた。父とベラトリックスが階段を疾風のような速度で下っていく。破片が飛び、火花が散り、力強い魔法の気配がした。
ウィスタが上段。レストレンジは下段。杖を振る。レストレンジは無意識に応じようとして、繰り出された跳び蹴りをもろに喰らった。あっけにとられたレストレンジが階段を転がり落ちて失神した。
ふと見れば、ベラトリックスと父が舞台で舞っていた。杖と杖を構え、さながら剣舞――命がけの剣舞だ。
「愚かなシリウス! こちらについていればリーンを失わずに済んだろうに!」
「その名を呼ぶな!」
ベラトリックスから血が飛沫く。しかしヴォルデモートの副官は恍惚とした笑みを浮かべるばかりだ。
舞踏にみとれた隙を、呪文が埋める。だが、ウィスタは身を逸らし避けきった。
「――息子が泣くぞ。帰ってやれよ」
「黙れ」
ルシウス・マルフォイだった。以前までの冷徹さは影を潜め、頬はこけ、髪は艶をなくし、眼だけが光っていた。連射される呪文をどうにか退ける。埒が明かない。喉の奥で唸ったそのとき、衝撃が襲い来る。かろうじて受け身をとったが、絶息した。眼が眩む。素早く立ち上がる。
――仲間ごと吹っ飛ばしたか
マルフォイが失神していた。
「ウィスタ!」
父が叫ぶ。血が垂れた。頭を切ったか……。これくらいなんてことない、と言おうとして。ベラトリックスの杖先がすいと動いた。ほんのわずかな隙を貫かんと。父を――狙って。
三日月の笑み。紅唇が歌を紡ぐ。
「息絶えよ」
◆
父が停止し、倒れていく。糸の切れた人形のように。
駆けた。手を伸ばす。伸ばしてどうするのかもわからない。
「親父!」
高笑い。勝利の声。父は動かない。
――動かない
セドのように。母のように。ありえない。両眼が熱を帯びる。門の傍らで笑っていた女が――父と同じ双眸を持つ女が――ひくりと喉を震わせた。優越と余裕がもろくも崩れ、とって代わったのは畏怖だ。痙攣し、ローブを翻す。脱兎のごとく駆ける女を、ウィスタは追った。室を、廊下を抜け、元のホールに至る。世界のすべてが燃え上がっているようだ。それか凍り付いているようだ。
身体が心臓そのものになったかのよう。脈打ち、暴れ狂い。そのうち弾けてしまうだろう。
ベラトリックスが立ち止まる。ウィスタに向き直った。杖が霞むほどの速度で振られ、ウィスタの杖はあっけなく転がった。
「さあ穏和しく――」
するんだ。それともしなさい、か。どうだっていいことだ。ウィスタは口端を吊り上げる。ベラトリックスが眼を見張った。転がっていたはずの杖が、己が武装解除したはずのそれが、ウィスタの手に戻っていたので。
「お前は俺たちから奪ってばかりだな? そろそろ思い知ってもいいだろうよ」
酷く柔らかな声が出る。紅の杖を優雅に――指揮棒を振るように踊らせた。
「
死の祈りは眩い輝きとなって顕現し、ベラトリックスに牙を剥かんとする。忌まわしい光が魔女の醜い顔を彩った。弱々しい紅の光をも、呑み込まんとし――。
「さしものお前も荷が重いか」
ベラ。囁き。床を蹴る。大理石に穴が空いた。両眼がますます燃え上がり、心臓が獲物を見つけた喜びに震えた。
「さすが我が孫」
「もっと早く出てこいよ」
軽口を叩く。ヴォルデモートは細い息を漏らした。片眼には眼帯、頬には傷。紅の片眼でウィスタを見やる。
「お前も俺様に反抗するか。よい、もがくがいい。俺様は慈悲深い。片眼を奪われようとも、お前を後継と定めよう」
「両眼を潰しときゃよかったよ」
ふん、とヴォルデモートは鼻を鳴らす。
「誰かから奪うだけだ。無論、お前は大事な後継ゆえ、欠かせはしまいが」
「させねえよ」
互いに杖を構える。呼吸をはかり、唱える。
「息絶え――」
しかし、詠唱は灼熱の痛みに引きちぎられた。たまらず膝を突く。固く杖を握りしめたまま。磔刑の呪文――。
「ポッターに見せた光景そのものか……。お前の父は死んだが」
血を吐く。床に爪を立てる。転がり回る。眼が溶ける骨が燃える杭が打ち込まれる。
「服従せよ」
甘い声。痛みが遠ざかり、すべての苦しみが取り除かれる。楔が抜かれ、鎖が解かれる。なんの憂いもない世界。幸福のすべてがある世界。
――従え
――杖を振るうのだ
――殺せ
毒が浸食していく。思考が絡め取られていった。もうなにも考えたくはない。奪われたくも……。
――誰を
父の姿が浮かんだ。熱い滴が頬を流れる。視界が急速に鮮やかになり、紅と黄金の血統の、千年にも渡って蓄積された怒りが、まやかしを打ち砕いた。奪われてなるものか。失ってなるものか。守り抜いてみせる。それが魔法騎士なのだから。数多の魔法族、魔法の徒の守護こそが使命。
――こんなところで
膝をついてなるものか。壊れた叫びをほとばしらせ、ウィスタは立ち上がる。ベラトリックスが気圧されたように後退した。
「――さすが我が娘の子。アリアドネの孫だ」
それでこそリアイスというものよ。にぃ、とヴォルデモートの唇が弧を描く。
「服従――」
「そこまでだ、トム」
時が止まった。ヴォルデモートはぎこちない動きで声のほうへ顔を向ける。
「ダンブルドア――!」
ベラ、行くぞ! ヴォルデモートは副官をひっつかみ杖を振る。姿をくらますと同時に悪霊の火を放った。
「激流よ」
ウィスタの杖先から大狼が飛び出す。忌まわしい蛇を咬み裂いた。蒸気が溢れ――片眼に千の針が突き立った。悲鳴が漏れる。
「ハリー!」
ダンブルドアの声が聞こえる。聞いたことがないほど、せっぱ詰まったそれ。
よろめくようにしてダンブルドアの許へ、ハリーの許へ向かう。
「君はハリーじゃ。ハリー・ポッターじゃ。やつとは違う!」
「ダンブルドアめ。赦さん……俺様を殺したければ……ダンブルドア……殺して……」
ハリーのものであってハリーのものではない声。拳を握る。一族の至宝『冬の息吹』がウィスタの呪いを鎮めていった。
――ふざけるなよ
「どこまで下衆なんだ」
膝を突く。ハリーの肩を掴んだ。鎮まった呪いが、活性化する。ハリーに乗り移っているのはヴォルデモートだ。片眼の痛みがその証。
ハリーの腕を押さえる。今にもダンブルドアに杖先を向けそうだった。
「殺してくれ」
「――お前は、奪わせたままでいるのか! こんなやつのために!」
頬を張った。高い音。ふ、と緑の眼がウィスタを――捉えた。
「シリウス――」
涙がハリーの眦からこぼれる。そうして、潮が引くように痛みが去っていった。
「活きよ」
「癒せ」
ゴドリックの『谷』、ランパント城の奥深く。殯の間に歌が響く。生を願い命を尊ぶ歌が。
「癒せ……」
歌は段々と小さく細くなり、やがて絶えた。ウィスタは冷えた床に座り込み、壇に安置された亡骸を見つめた。父の死に顔は穏やかだった。聖骸布さえなければ、今にも起き出しそうなくらいに。
――気付けや癒しが効果を発揮するのは
生あればこそ。死の腕にとらわれたものに、加護は届かない。
父は死んだのだ。数日殯の間に安置され、しかるべき手順を踏んで聖域に眠ることになるだろう。
――お前のせいだと
ハリーをなじった。いつもそうだ。なんでハーマイオニーの警告を聞けなかった。わかっているさ、俺がお前でも出て行ったろう。それでも!
殴り、放り出し、一族に父をランパント城へ運ぶように言いつけて、魔法省を後にした。大臣の進退なんてどうでもよかった。すべてが無意味だった。ハリーとウィスタに下された預言もくだらないものだった。
足が向いたのはブラック邸で、そこにはクリーチャーとウィスタ付きの屋敷しもべ、クラインとその息子がいた。
死にましたか。クリーチャーは訊いた。ウィスタは黙って頷いた。彼がなにを思って主を裏切ったのか。後の祭りだとしても、ウィスタは聞かなければならなかった。もはやウィスタこそがブラック家の主なのだから。
けらけらとクリーチャーは笑った。クラインが黙らせようとしたが、ウィスタは首を振った。
「そんなに憎かったのか」
「純血にふさわしくない人でした。クリーチャーを汚物のようにみました」
「そうか」
「けれど、主でした。ですから逆らうわけにはいきませんでした」
そうか、とウィスタは答えた。が、次の一言で凍り付いた。
「坊ちゃんが言ったのですよ」
なにを。クリーチャーの丸い眼が、とろけるようにウィスタを見た。ひきつけを起こさんばかりに笑い、踏みにじられてきた妖精は言の葉を紡いだ。
「クリーチャーにも意志があるのだと、坊ちゃんが言ってくださった。お優しい方。だからクリーチャーはそうしたのです」
レギュラス様に似ておられる。
ウィスタの一言が、妖精の背中を押してしまったのだ。
立ち上がる。ここにはウィスタと父だけだ。壇をのぞき込む。眠る父の顔を見つめた。
罪がないとは言えない。聖人君子なんてどこにもいない。傲慢なところもあったろう。でも友人思いだった。信じる人だった。だから裏切られた。良くも悪しくも激しい人だった。愛も憎しみも。賢いはずなのに不器用で、身を守れたはずなのに守らなくて。名付け子のことになれば突っ走って。実の子への愛情表現がへたくそで。大人なのに子どもみたいなところがあって。
本当に生き方が下手だった。
「あんた……十二年も監獄に入れられて、名誉もなくして、妻も殺されて。奪われて……俺のために黙って……黙り続けて……誰かのために……」
ちっとも自分の身をかえりみなくて。
あげくに息子のせいで死ぬなんて。
騎士の中の騎士に対して、あんまりな報いじゃないか。ゴドリック。
――風が吹く。薔薇の香をはらんだ風が
歩き続けて幾時か、草原に影が見えた。ほっそりとした、華奢なそれ。風に吹かれて髪が揺れる。細く艶やかな黒色が。
誰なのか、すぐに分かった。
彼女は佇んでいたが、背を押されるようにして歩き始める。だが、彼は動けなかった。縫いとめられたように動けない彼の背を、誰かが押す。
『さっさと行きなよ』
『そうよ。待ってたんだから』
――ああ
懐かしい声だった。逝ったはずの。
よろめくようにして、再び歩を刻む。黄昏色に染まった草を踏みしめて。
「■■■■」
彼女が、彼の名を呼ぶ。距離を詰めたのはどちらからか。抱きとめる。掻き抱くようにして。
別れて十数年。逝かずにこの場所で待っていたのだ。ずっと。
「……待たせて、悪かった――」
リーン、と囁くように名を呼んだ。
不死鳥の騎士団編終了