「お断りします」
ホグワーツ城・校長室。ウィスタは革張りの椅子に腰を下ろし、グリンデルバルドを倒した英雄に笑顔を向けた。
「……ウィスタや」
「俺まで引っ張り出す必要がありますか。ハリーだけでいいでしょうよ」
「いい子だから――」
「俺はもう十六歳です」
「儂にとったら曾孫くらいの年齢じゃよ」
「知りませんよそんなもん」
肖像画たちが嘆息する。「ついに反抗期か」と誰かが言ったが無視した。誰が反抗期だ。ウィスタはずっと聞き分けがよかったし、これからもそれなりに聞き分けはいいはずである。例外はあるけれど。
「ホラスからリーンの話を聞きたくないかの」
スリザリンの寮監で、リーンのことも気にかけておったよ。滑らかにダンブルドアが言う。
「母を餌にしないでください」
心が揺れるけれど、うかうかと釣られてたまるか。ウィスタはホグワーツの障壁を強化してくたびれていたし、気も立っていた。ダンブルドアと遠出。それはいい。しかし――。
「ハリーへの言伝は、エリュテイアに託します。スラグホーンのことはそっちでなんとかしてください」
「……仕方ないの」
ダンブルドアが折れた。まったくうれしくないけれど。彼はウィスタに弱いのだ。特に神秘部での一件があってから顕著になった。
――ダンブルドアのせいではない
闇の勢力のせいであり、卑しい妖精による情報漏洩……ともいえない、ささやかな手みやげのせいでもあり、軽はずみに行動した誰かのせいでもあり、名付け子のために動いた本人のせいでもあり……妖精に優しくした甘い息子のせいでもある。どれもが些細な要素で、それが最悪の形で絵を描いてしまっただけだ。だけだ、と言い切れるほど整理がついているわけではない。もちろんダンブルドアも。
「エリュテイアは俺の右腕です。道中なにかあっても、存分に力を発揮するでしょう」
ダンブルドアを――萎びた片手を見る。どうやら強い呪いがかかっている。切り落としてどうにかなるものでもないようだ。
「手負いでも、未成年に頼るわけにはいかんよ」
「――こいつが」
振り返る。控える従者を見やった。
「未成年の枠なんて飛び越えていることは、ご存じでしょう」
「言い換えようか。君もエリュテイアも、儂の生徒じゃよ。能力は大人と大差なくとも」
従者が眼を見開いた。灰緑の双眸によぎるのは戸惑いだろうか。
「先生は、必要な方です」
「ただの老いぼれじゃよ、エリュテイア」
柔らかい声であった。ウィスタは再度ダンブルドアの片手を見た。こういう時、自分が生粋のリアイスでないことが悔やまれる。不吉な予感がしても、呪いの詳細がわからない。一族を遣わせましょうかと言っても拒否された。
――まさかな
胸の内にわだかまる暗雲を振り払う。そろそろ茶器が空になるな……と思えば、芳香が立ち上った。エリュテイアの仕業である。ダンブルドアの茶器も同様だった。できる従者。
「……相続に関しては任せたぞ」
「拒否されたらどうします」
「無理矢理鍵を渡しとけ」
そうでもしなけりゃ親父に叱られる。苦々しい声になっていないだろうか。ポケットにいれたグリンゴッツの鍵がひどく重い。
あの日、ランパント城に帰還すれば、執務机の上に箱が出現していた。闇色の箱に触れればあっさりと開いた。中に入っていたのは遺書と鍵だった。
『ブラック本邸および別邸、財産、家督――息子に譲り、当主とする。なお、名付け子ハリー・ジェームズ・ポッターにも財産を分与することとする』
事務的な内容の連なりだった。食い入るように遺書を読み進め、しかし最後の一文を眼にした途端、ウィスタは机に突っ伏した。
己を労るように。誰かに頼るように。きっとお前よりも先に逝くだろう。守ってやれないのはわかっている……。
十二年もほったらかしですまなかった。
どこまでも不器用な父で、いつだって遅いのだ。こんな言葉を遺して逝くなんて狡いではないか。
過去から己を引き離し、現在へと立ち戻る。沈黙は瞬きの間にも満たず、ダンブルドアもエリュテイアもウィスタの波打つ心には気づいていないようだった。
「……警護の闇祓いですが」
「ナイアードが立候補しておったよ」
「あの莫迦」
十三、四ほど上の又従兄弟をけなした。リアイス一族第二分家当主《ステータント》。やたらとウィスタの服を仕立てたがる、リガーダント兄弟を従える男。錬金術師。ついでに闇祓い資格保有者で、臨時で出張る時もある。
「ルキフェルに説教されておった」
「楽しそうですね」
第三分家の次男坊に思いを馳せる。金髪紫眼のルキフェルも、ウィスタの又従兄弟だ。こちらは本職の闇祓いだった。闇の勢力が台頭し、ホグワーツの警備に関しても検討されたのだ。スクリムジョールが闇祓いを常駐させると主張し、ダンブルドアが受け入れた。なにせ子どもたちが集まる場所だ。英国魔法界の象徴ともいえる場所でもあった。何事かあれば厄介だ。守りは堅いに越したことはない。
「ドーリッシュとかいう野郎の配属は断固拒否ですよ」
「心配いらんよ」
「ならいいです」
勇み足で突っ走った挙げ句に、マクゴナガルに失神光線を食らわせた無能である。降格されているはずで、そんなやつを派遣してこようもんなら、もう一度蹴りを入れなければならないと考えていた。スクリムジョールもそのあたりは承知していたようだ。
「ウィスタ」
「……暴力はいかんし、君の行動は決してほめられたものではない。闇祓いもあれこれあるが――よくやった」
口を開けそうになり、どうにか閉じた。
ああなるほど。
ダンブルドアもお怒りだったようだ。
ざわめきが渡る。いくつもの気配がホグワーツ特急に乗り込む気配がした。
「ハリーの移送が完了したようだ」
「分からねえぞ」
特急を丸ごと爆破なんてこともありうる。最奥のコンパートメント――座席に身を預けたウィスタを、金髪紫眼の魔法使いが凪いだ眼で見やった。
「二重三重に守りを固めている……昔、特急が襲撃されたことがあってね。それからは特に」
そのときは先代が迎え撃った。だろうな、とだけ返した。ウィスタでもそうしたろう。ホグワーツ特急は生徒の送迎に必要であるし、キングズ・クロス駅も特急も、ある意味ではホグワーツの象徴だ。手を出されて黙っていられない。
――とはいえ
ウィスタは今年、ホグワーツに戻るかどうか真剣に悩んだが。呑気に学業をしている場合でもないし、そもそも高等魔法試験さえ通ってしまえば――通れるだろうが――卒業まで在学する必要はない。過去にはさっさと高等魔法試験を受けてホグワーツを出て行った猛者もいるのだ。
膝の上の柔らかい毛並みを撫で、嘆息する。仔ニーズルは穏和しく丸まっていた。ニーズルとは魔法界の猫のような生き物で、耳は大きく尾は獅子に似ている。賢く愛らしく、悪意ある人間を見極める。『谷』の牧場に捨てられていた仔を曾祖父が引き取って、ウィスタに与えたのである。やたらと身体をすり付けてくる仔を構い、時たま外套のフードに入れたまま出歩き、ミルクを与え……と世話を焼いていれば気が紛れた。
「ホグワーツにはトンクスが配置されているから、何かあれば言いなさい」
「……あんたは?」
「僕はルーファスの側についたりなんだりでね」
ルキフェルはウィスタの肩を叩き、仔をそっと撫でて出て行こうとする。
「スクリムジョールによろしく言っておいて」
「ああ」
戸が滑り、閉じる。コンパートメントに沈黙が満ちた。エリュテイアはいつものように紅茶を入れるだけだ。ハリーたちを探さなくていいのかなんて訊いてこない、ありがたい従者であった。
「――イゴール・カルカロフが発見されたようです」
北方のどこぞで死んでいたとか。
「頑張ったほうだな」
およそ一年半だろうか。ヴォルデモートが裏切り者を放っておくわけがない。ウィスタはカルカロフなんて忘れ去っていたが、やつは覚えていたわけだ。離脱した死喰い人は残らず始末されるだろう。もしかして、連日の行方不明や死亡者のなかに紛れているのかもしれない。死喰い人がどうなろうと知ったことではない。
窓の外に一瞥をくれる。心弾むような曇り空だ。あちらこちらに吸魂鬼がいるのだろう。胸くそ悪いことだ。第五分家が狩りに乗り出しているだろうが、どこまで効果があるかわからない。吸魂鬼の数なんて概算でしかないのだ。そうでなくとも忙しいのである。アズカバンの放棄。それに伴う囚人の移送。『九つの塔』へ機能を完全に移管し……一連のあれこれで第五分家当主《クーシャント》はやつれていた。第五分家は守人であり、昔から監獄の管理に噛んでいたのだ。ファッジに見切りをつけてスクリムジョールが裏で動いていたお陰で、多少は楽ができたようだが、それでも負荷が大きかったのだろう。彼にも仔ニーズルが必要かもしれない。
◆
旅は静かなものだった。誰もウィスタを訪ねてこない。人除けしているのだから当然だ。コンパートメントを独占するなんて公平性に欠けるが、これくらいいだろう。どうせ生徒の数は減っている。親がホグワーツに戻したがらない家庭もちらほらとあるようだ。子どもを退学させて英国を出る家庭、それか休学させて身を潜める家庭。様々だ。英国の魔法界は、教育を義務化していないのだ。よそはどうだか知らないけれど。
特急で仔を撫でながらまどろみ、気づいたら日が暮れていた。
「そろそろ着替えませんと」
促して、エリュテイアは音もなくコンパートメントを出て行った。
――今年は破れなけりゃいいが
毎年毎年新調している有様だ。本当ならば今年は多少直せば着られるはずだったが、神秘部の戦いで駄目になった。ベラトリックスに吹っ飛ばされたせいで見るも無惨な有様になっていたのだ。ウィスタも頭やら腕やらを切っていた。巻き添えを食ったルシウス・マルフォイに比べれはかわいいものだけれど。
さっさと着替え終わり、しばらくすると特急が足をゆるめ始めた。肩に仔を乗せ……いいや、勝手に乗ってきて頬にすりすりしてくるので、フードに放り込み――立ち上がる。速やかにコンパートメントを出た。この時間に、出口に向かう生徒はいないだろう。コンパートメントで荷物の整理に追われているはずだ。
静寂に包まれた通路を進む。背後をちらと見て、従者がついてきていることを確かめた。なにせ足音も気配も殺しているのだ。ウィスタに脅威が迫ろうものなら、音もなく排除するに違いない。それができる魔女である。
出口近くにさしかかったとき、うずくまる影を見つけた。おそらく一年生。男の子だった。その背を撫でているのは女の子だ。すすり泣きがわずかに空気を震わせるのみ。耐えて、押し殺し、聞かれまいと……。
――どうしたもんか
監督生や首席はなにをやっているのか。
「なにかあったか」
声をかければ、男の子と女の子はぱっと顔を上げ、ウィスタを捉えて眼を丸くする。特に片眼を見ているようだ――と思い至り、胸の内に重いものが澱んだ。
「あの……」
おずおずと、女の子が口を開く。男の子は泣いたせいで眼を腫らしていた。なんとも痛々しい。
「ペットでも逃げ出したか」
膝を突き、目線を合わせる。ペットに逃げられるのはネビルだろうに。自分の言に苦笑が漏れた。今年も逃げられているのだろうか……。
「……上級生に、言われて」
女の子がきゅっと唇を結ぶ。続きを泣いていた男の子が引き取った。
「マグル生まれなんて帰れって」
穢れた血ってなんですか。幼い声で問われ、寸の間言葉を失った。
「うっかり口にしようもんなら、夕飯抜きで尻叩きされるくらいの言葉だ」
お前たちはちっとも悪くないし、俺の友達はマグル生まれだけど学年首位だよ。なるべく柔らかく言ってやる。マグル生まれならば、ウィスタの片眼は怖いだろう。血のような紅色。黄金の稲妻……どれも異常なものだから。
女の子の背を軽く叩いてやる。どうやら二人は幼なじみで、マグル生まれで、奇妙なことをたびたび起こしては厄介者扱いされていたらしい。
「だから、僕ら……魔法学校に行けることになってうれしかったんだ」
男の子の眼に涙が盛り上がる。
「だろうな」
俺もそうだった。言って、二人に訊いてみた。
「お前らに暴言吐いた弩級の阿呆はどんな面してた」
労働階級の発音に切り替える。ふ、と二人の肩から力が抜けた。
「白金の髪に薄い青色の眼で――」
――あいつも監獄に放り込んでやろうか
なにが純血だ、貴族だ。誇りもクソもなく小さな子を虐める阿呆めが。情けない野郎である。
「ああ、わかった。そいつにはもう近づくな。緑と銀のネクタイを締めた連中ともお近づきにならないほうがいい」
杖を取り出す。男の子の眼の腫れを治してやりながら、四つの寮について簡単に説明してやった。マグル生まれに学用品リストやら漏れ鍋への行き方やらを説明するついでに、寮についても説明すべきだと思うが先生方よ。雑すぎないか。
特急が止まり、扉が開く。ウィスタは身軽に下りて、男の子の手を引いてハグリッドに引き渡した。エリュテイアは女の子の担当である。
「お前監督生みたいな真似しちょるなあ」
「成り行きだよ」
ホグズミード駅に、次々と生徒が下りてくる。ウィスタはニーズルをフードから引っ張り出し、肩に乗せた。頭にフードを被る。
「行くぞ」
従者を促して馬車だまりに向かおうとした時「あの」と声をかけられた。くるりと振り向けば、男の子と女の子がウィスタを一心に見つめてきた。
「あの、ありがとうございました。お名前は――寮も……」
「グリフィンドールのウィスタだよ」
じゃあなと手を振って、今度こそその場を離れる。馬車に乗り込み、天井を見上げた。ハーマイオニーみたいなことをしてしまった……と思い、首を傾げる。いや……むしろ――。
『せっかくの入学式だ。腫れたままだとかわいそうだしね』
泡のように浮かび上がる記憶。ゆるゆると眼を瞑った。
「――あんたのせいだぞ」
セド。
「ホラス・スラグホーン先生。魔法薬学を担当なさる」
ダンブルドアの宣言に、寮を問わずざわめいた。ウィスタは黙々とスープを飲んだ。
「あの先生がどうかしたんですか?」
リアイス先輩、と左右から問われ頬がわずかにひきつった。ちまちました一年生。マグル生まれ。特急で縁があった子たちで、グリフィンドールに組分けされたのだ。ウィスタはまさか自分が、こんな小さい子たちに……懐かれるとは思っていなかった。
――まあ可愛い、みたいな眼で見てるんじゃねえよ
ハーマイオニーに助けを求めても流された。監督生のくせに。ちなみにパーバティやラベンダーも「まあ可愛い」な眼でこちらを見ている。役に立たない。
「あの先生はなんともないんだな。むしろ――」
「そして闇の魔術に対する防衛術は、スネイプ先生が受け持つこととなった」
えええ! と声をあげたのは誰だったか。グリフィンドールの誰かであろう。スリザリンの席からは拍手が起こった。ハッフルパフ、レイブンクローは絶句しているようだ。
ウィスタは一年生たちを見下ろした。さて。魔法薬学でいびられるのと、闇の魔術に対する防衛術でいびられるのと、どちらがマシだろうか。
「……去年よりはまともな人事だから、よかったな」
◆
物々しい雰囲気で学期が始まった。闇祓いがホグズミードに常駐し、生徒たちも心なしか張りつめている――かと思えばそうでもなかった。
「時勢も読めねえのかてめえらは」
爽やかな朝。埃っぽい空き教室に転がる影たち。ひいふうみい……五人。どいつもこいつもスリザリンカラーのネクタイを締めている。入りたてほやほやの新入生――それもマグル生まれに暴言を吐き散らかしていたので、躾の最中だ。
「こんなことして――」
「知るか」
「監督生でもないのに」
「役職以前の人としての当然の行為をしているまでだが?」
すっくと立ち、腕を組み、ウィスタは莫迦どもを見下ろす。
「お前らがやっていることは、人種差別だってわかってるか?」
「すぐに闇の時代が……」
なにをどうしたらこんなに歪むのだか。処置なし。ウィスタは背後――扉の外に呼びかけた。
「だ、そうですけど先生」
「嘆かわしいことだね」
するりと扉が開く。入ってきたのは恰幅が良い魔法使いである。ホラス・スラグホーン。スリザリン出身。魔法薬学教授。年齢不詳。好きなものはパイナップルの菓子と生徒の支援。
「スリザリンの減点と罰則。暴言もさることながら、二人の生徒を五人がかりで」
「――いやいやいやいや!」
「むしろ僕たちが」
「さすが先生話が分かる」
うむ、とスラグホーンが頷いた。笑顔でウィスタの肩を叩き、ついでに仔ニーズルを撫で、廊下を出る。わめいているスリザリンズは放置である。
「さて。君を探していたのは他でもない。私の集まりに参加しないかね」
――なるほど
巧い具合に通りがかったと思えば、そういうことか。ちらほらと噂は聞いた。スラグ・クラブとかいう集まりである。スラグホーンのお気に入りばかりを集めたサロンとでも言えばいいのだろうか。ジニーがちらりと話してくれた。ハリーも呼ばれたらしいが……直接話す機会に恵まれなかったのだ。
「俺に益がありませんので」
やんわり断ろうが、はっきり断ろうが同じだ。そんな仲良し倶楽部に入ったところで、である。
「そうか」
スラグホーンは少しだけ肩を落とした。もっと押してくると思ったのだが、意外である。
「では一緒に朝食はどうかね。そちらの彼女も」
「軽くなら」
とたんにスラグホーンの顔が輝いた。まるで子どものようである。おっさんどころか爺さんなのに。
二人ならんで廊下を歩く。殿を務めるのはエリュテイアだった。一旦玄関ホールに出て、地下へと向かう。招かれたスラグホーンの私室はすっきりと片づいていた。
「なにがいいかね。紅茶? 珈琲? それともカボチャジュースとか」
紅茶を、と応じた。白湯でもいいくらいなのだけれど、うきうきとしているスラグホーンに水を差すのはためらわれた。
席を勧められ、ソファに腰かける。エリュテイアも促され根負けして座った。
スラグホーンはウィスタをちらりと見、紅茶をいれた。そうして屋敷しもべを呼び出して「軽食を」と頼んだ。
顔なじみの屋敷しもべは、心得たようにウィスタとエリュテイアの前に食事を用意する。ついでに仔ニーズルのおやつまで準備していた。
「俺をしつこく勧誘しないのは、どういうわけで」
「そりゃあ来てくれたらうれしいがね。君には私の助けなどいらんだろうよ」
スラグホーンは出っ張った腹の上で指を組む。威厳よりも茶目っ気を感じさせる男であった。
「私は人を見極め出世させるのが好きだから」
――やっぱり
スリザリンだな。印象を修正する必要がありそうだ。ある意味貪欲。生徒を通じて名誉欲を満たす……。これはこれで使いようがある。つまり、才能さえあれば、支援は惜しまない。
「マグル生まれでも?」
「今時純血がどれだけ残っていると思う? 必要なのは志であり才だ。それと適切な環境」
「ダンブルドアの要請で復職しただけはありますね」
「仕方なくだ」
君のことも気にかかっていたし。
印象がころころ変わる。今度は親戚の小父のようではないか。
「父君のこと、お悔やみ申し上げる」
いえ、と応えた声は掠れていた。父の汚名は晴らされた。だけれどもその死を悼む者よりも、好奇の眼で見る者のほうが多かった。父の死など、身近な者でない限り、ただの娯楽のネタに過ぎないのだ。
『実の父が死んだというのに』
泣きもせぬ。いや、それでこそリアイス……。
大臣に鉄槌を下したのだからよいではないか。ブラックも喜ぼうぞ。
泣いてわめいてどうにかなるなら、いくらでもそうした。うんと幼い頃はどうだったか知らないが、ウィスタはとうの昔に泣きかたなんて忘れたのだ。
「一限は空いているだろう。くつろいでいてくれて構わない」
茶葉はそこ、菓子は棚の――、あれこれ言って、スラグホーンは出て行った。彼が消えた扉口をぼんやり見やり、膝の上の仔ニーズルを撫でた。
どうやらウィスタは、端から見て酷い有様なようだ。
「エリュテイア」
「はい」
「一限が終わる頃に起こしてくれ」
かしこまりました。柔らかい声に、眼を瞑った。
椅子で微睡んでいたはずが、長椅子に転がっていた。えらくご立派な椅子で、スラグホーンの室にはなかったはずだ。だがウィスタは何も訊かなかった。従者も何も言わなかった。従者は女でウィスタは男だ。女である従者がどうやってウィスタを長椅子に転がしたのか、怖くて訊けない。ウィスタにも矜持というものがある。
ぴゃあぴゃあ鳴くニーズルにミルクをやり、腹がくちくなった小さなふわふわの毛玉をフードに放り込む。次の授業は闇の魔術に対する防衛術だ。一旦寮に戻ってニーズルを置いていくほうが無難だが、それだと授業に間に合わない。スネイプに見つかったところで、せいぜい減点を食らうだけだろう。
――スネイプには
大して思うところはない。ハリーは違うようだけど。今更ではないか。父は死んだ。スネイプが憎む対象はいなくなったと言っていい。学生時代にどんな確執があったにせよ、もはや意味のないことだ。スネイプは元々底意地が悪い。ウィスタの顔に父を見て八つ当たりするのは昔からだ。かなり鬱陶しいが……散々底なんて見てきたし泥水もすすってきたような身だ。傷つくような繊細さは持ち合わせていない。己の身の上を哀れんだところでなんになるだろう。他人の不幸が大好きな連中の餌になるつもりはなかった。
「……趣味悪ぃな」
闇の魔術に対する防衛術の教室は四階に移った。広すぎず狭すぎず。カーテンは落ち着いた色で、陽射しを嫌うがごとく閉められている。せっかくの気持ちのいい秋だというのに台無しだ。明かりは蝋燭で、暗い教室がさらに暗くなっていた。とどめに壁には絵がかかっていて、呪いの過程を描いたものだ。
――薬品があるわけではないのだから
明るくしたっていいだろうに。地下にいたときの癖が抜けないのか、生徒を威圧しようとしているのか。気が向いたら天井にミラーボールでもつけてやるか。双子やリーがいれば手を叩いて喜んだろうに。
くだらないことを考えつつ、教室の後方に陣取った。ちらほらと生徒がやってきて、昨年結成した秘密組織DAの連中がウィスタを見つけて片手を上げる。ハーマイオニーも教室に入ってきて、ちらりとウィスタを見た……が近づいて来ることはない。すっと最前列に席をとった。そしてハリーたちもあわてて入ってきて、最前列に滑り込む。ウィスタは詰めていた息を吐き出した。ハーマイオニーはお節介なところはあるが、察しはいい。ハリーはハリーで気まずいのだろうし、ハーマイオニーに倣えだ。今はそうしてくれたほうがありがたい。
薬草の匂いが鼻先をかすめる。ついと入り口に向ければ、ネビルだった。ウィスタたちを認めるや、さっさと近寄ってくる。
「なにか必要なものはあるかい?」
「いや、足りてるよ」
「大丈夫か」なんて言われるより、よほど楽だった。ネビルはちらりとウィスタを見て嘆息する。
「スプラウト先生がわけてくれたから、いるなら言ってね」
「ああ」
我ながら淡々とした返事である。しかし、ネビルは気を悪くした様子もなく、またもため息を吐いただけだった。教科書を取り出し机の上に置く。ウィスタもエリュテイアも準備はできていた。もっとも、スネイプがどんな授業をするのか分からない。どこかの愚かしい女よろしく座学で済ませることはないだろう。
フードがもぞもぞと動くので、ニーズルを引っ張り出す。机の上に置けば教科書を枕にして寝始めた。まあいいさ。ざっと読んではいるし、要点は押さえている。
戯れに柔らかな毛並みを撫でているうちに、スネイプが登場した。相変わらずの黒ずくめだ。
「――誰が教科書を出せと言った」
声は冷ややかで、甘さの欠片もないい。しかし六年生はスネイプのそんな態度と意地の悪さには慣れていた。人間、突然性格が変わるわけでないこともわかるくらいの年齢にもなっていた。沈黙したまま教科書を仕舞う。ウィスタはニーズルをそっと除けて教科書を引き抜いた……ら、今度はウィスタの腕を枕にしはじめた。どうしたもんか。
「リアイス――」
「許可はもらっています。なんなら書面を見せましょうか。第一、ニーズルは猫の一種のようなもんでしょつまり猫です。寮に置いて出て行こうにもひっついてくるのでやむなく連れて――」
「やかましい。グリフィンドール十五点減点」
ウィスタは肩をすくめるだけに留めた。反論を封じ込めようと攻めの姿勢だったのだが、スネイプには無駄だったようだ。軽く舌打ちし、スネイプは眼を光らせた。
「――授業を始める」
◆
じわじわと減点されたものの、闇の魔術に対する防衛術を罰則なしで乗り切った。嫌がらせ目的でハリーとウィスタを組ませようとしたときは断固拒否したけれど、スネイプは減点するだけで罰則は科さなかった。ハリーはハリーで「生意気な態度」のせいで罰則を食らっていた。
「でもスネイプは――」
魔法薬学の教室――地下へ向かいながら、ハリーがいきり立つ。黒髪と赤毛と栗毛の後ろを歩いていたウィスタは、歩調を早めた。ハリーを追い越しざまに肩を叩く。
「あんまりカリカリすんなよ」
「ウィス――」
緑の眼がくっと見開かれる。
「難はあるし面倒な野郎だが害はない」
「でもあいつのせい、で」
ハリーは言い掛け、唇を引き結ぶ。最後まで言わないのは賢明である。若葉の色がウィスタの群青から逃れようと逸らされた。ウィスタは何も言わず先を急いだ。
誰だって誰かにせいにしたがるものだ。そのほうが楽だから。ハリーの場合はスネイプのせいにしたい。いや、一番責めたいのは自分自身だろう。そんなものだ。
「手が出なくてよろしゅうございました」
「どうせお前が止めるだろうよ」
一歩後ろからついてくる従者に返す。
「前に一発殴ってる。それで仕舞いだよ」
お仕舞いにしたいと思う。少し時間はかかるだろうが。
影を――長い長い影を、いつまでも引きずっているわけにはいかないのだ。
忘れてはいけない。本当に倒すべき者が誰なのかを。
首を刎ねるべき獲物を。