【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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五十一話

「……嫌がらせですか」

 ソファに身を投げ、ウィスタは言い放った。今更取り繕う必要もない。どうせ一族はいないのだし、肖像画がわめこうが叱ろうが知ったこっちゃない。

「知らねばならん」

 孫子も言っておるよ。亜の兵法家の名を挙げるダンブルドアの顔に拳を贈りたくなった。敬老精神なんぞドブにぶち込みたい。

「それはそれは。正論ですね」

 まったくウィスタにとって酷な話だ。誰が忌まわしい男の過去――来し方を知りたいと思う。

「……先生……つまり、あのメローピーとかいう娘が――?」

「あれの母親じゃ」

 ハリーがおそるおそる聞き、ダンブルドアが無神経ともとれる簡潔さで答えた。ウィスタは黙りを貫こうとして、我慢できずに口を開いた。

「美女と野獣もびっくりな組み合わせですが? それともメローピーに隠し財産でもあったのですか」

 メローピーは虐げられ虐げられして魅力は皆無であったし、虐げられていなくとも、マグルの青年と釣り合う美貌だとは言い難い。残るは名誉か金である。スリザリンのロケットを売れば、かなりの財産になったろう。本来、値がつけられない代物である。

「いや。ゴーント家は落ちぶれていた。スリザリンの末裔ではあるが、同根のユスティヌに追いつめられ粛正されての。リアイスも相手にする価値なしとして放置しておったくらいじゃ」

「でしょうね」

 わざわざ根絶やしにする必要もない。吹けば飛ぶような小屋に、極端な暴力性と、おそらく精神疾患……。どこかで見た記述では、ゴーント家は超純血主義で、同族間の婚姻しかしなかったとあった。血族婚の弊害を抱えながら、よくもまあ血筋が続いていたものだ。

「二人とも、忘れているようじゃがメローピーは魔女じゃよ」

「つまり、服従の呪文で?」

 ハリーの声がぼやけて聞こえる。すっと血が下がっていった。一番手っ取り早いのはそれだろう。墓場の一場面と、高笑いする影が過ぎる……。

「いいや愛の妙薬ではないか、と思う」

 どいつもこいつも、どうして平然と話していられるのか。喉が鳴る。手で口を覆った。ダンブルドア、と誰かが警告する。はっと息を呑む音。こらえきれずに吐いた。

 風切り音。吐瀉物が消失し、衣も顔も洗浄された。衣擦れの音がして、揺れる世界のなかで顔を上げる。ライトブルーの双眸が間近にあった。

「メローピーは無知で、まともに育てられておらなんだ。本当の愛も知らぬまま、不遇のまま生きておったのじゃよ」

「……赦せとおっしゃるので?」

 ひきつった笑いが漏れた。ダンブルドアのほうがお人好しではないか。無知は罪だ。不遇がなんだという。哀れだから赦されるとでも思っているのか。メローピーは己の欲望のために、一人のマグルの人生を奪ったのだ。少なくとも、ウィスタにとっては、メローピーという女もゴーントの一族も罪人で元凶だ。まとめてユスティヌに根絶されていればよかったのだ。それかリアイスが全員の首を刎ねていればよかった……。過去に跳べたのなら、ウィスタがその仕事をしてもいいくらいだ。己も消滅するだろうが、構うものか。

 ウィスタの憤激に、ダンブルドアが首を振った。

「言えるものか。メローピーは間違った。だが、こういった生まれ育ちだったことは心の隅に置いてほしいのじゃよ。赦さなくてよい。君の怒りは正当なものじゃ」

 ライトブルーの眼を睨みつけた。ダンブルドアは嘆息し、立ち上がる。憂いの篩を棚に仕舞い、椅子に腰かけた。

「さて。ここからは多分に推量が入るのだが……メローピーは偽りの愛が真のものになったのだと、愚かしい勘違いをした。夫に薬を盛るのをやめ……腹の子のためにも、夫が自分を愛してくれると思ったのかもしれんが――むろん、トム・リドル・シニアは妻を捨てた。故郷に戻り、たぶらかされたのだと周囲に言った。それしか言いようがなかったのじゃろうて。そうして子の行方も、妻――自分をたぶらかした女の行方も探そうともしなかった」

 莫迦な女。吐き捨てるウィスタの頭をハリーの手が乱暴に撫でた。髪がくしゃくしゃになる。ハリーの手を振り払った。

「偽りから生まれたものが、真になることもあるのじゃよ。メローピーの場合は不幸な結果に終わったが」

 唸りが漏れた。

「あんたそれ、世の不幸な女性――いや男でも……言えます? やってることは■■■ですよ」

 ろくでもない産物があれであり、そいつがまたどうしようもない真似をしやがったせいで祖母が壊れ、母は虐げられ、ウィスタまでもがいらんものをたんまり背負うはめになったのだ。どこまで忌まわしい血なのだか。どこかで絶えるべきだったのだ……。

――つまり

 固く固く眼を瞑る。眼を背けていた事実を、改めて突きつけられる。脳裏に過ぎるのは白金の魔女の姿だ。  

 絶やそうとするならば、決して――。

 結ばれてはいけない。

 

 人間、突き抜けると笑顔がこぼれるものなのだとエリュテイアは永い経験から悟っていた。『エリュテイア』としての生はたかだか十数年に過ぎないのだけれど、エリュテイア・リアイス・リエーフだろうがノクト・リエーフだろうがなんだろうがもはや変わらない。前回の続きを生きているようなもので、幾人もの『自分』を経て、今はエリュテイアという器にあるだけである。

 つまりは、エリュテイアは経験豊富である。髭をしごいている老賢人よりも。

「必要性は理解しましょう。我が君も同じように答えるでしょうよ」

 ソファで昏倒している――ダンブルドアが無理矢理に眠らせた――主を見下ろす。本来ならばもっと早くから側近くに侍るはずだった。なんの運命の悪戯か、時を空費して、侍ってからまだ二年ほどだ。ネクタイをゆるめてやり、腕を回して半身を起こしてやる。吸い飲みをあてがって薬を飲ませた。幼年期に十分な栄養をとれなかったせいか、主は細身である。少なくとも、主の祖ゴドリックのような頑健さは持ち合わせていないだろう。魔法使いの癖して、剣も一流であったし、敵対する者も軽々と斬り伏せ、馬術も巧みであり、まさしく天才であった。

 蒲柳の質でないだけよいが、やつれた主の姿は、エリュテイアの不安を掻き立てる。

『ノクト』

 遠い遠い記憶が、泡沫のように浮かび上がる。最初の主。暗い室。灯火が揺れ、苦悩に満ちた眼がノクトを見た。

――あの方ですら

 最期は。

「――エリュテイア?」

 いえ、と応える。無理矢理に意識を切り替える。今の自分はエリュテイアだ。ノクトではなく……。

「いくら理屈が通っていようと、正当であろうと、無体に過ぎましょう」

「承知のうえじゃ」

 主ならばなんと言うだろう。ふざけんな、だろうか。エリュテイアも言えるものなら言いたいものだ。この爺、と。

「他に振れるものなら振りたい。が、できぬのじゃよ」

 ダンブルドアは立ち上がる。ゆったりと歩み、ソファの傍らに――エリュテイアの隣に膝を突いた。

「あれはハリーを選び、祝福と呪いを授けた。あれはアリアドネを壊し、血を呪った……流れに流れ、ウィスタにたどり着き、血と死の呪いで紐付いておる。あれを真に滅ぼすには、二人が必要なのだ」

「深遠なるお考えがあるのでしょう」

 わかっておりますよ。吐き捨て、ツキリとした痛みに眉をひそめた。

――真に滅ぼすには?

 頭の奥底――身の内の、底の底。それとも魂に蓄積された何かが、障る。それは。それは――何か覚えていなければならないもので。

 翻る青地の旗。躍るは幻獣。呪いの紅と至高の青の双眸。若い――魔女で。

 鎖の感触。小さな室――。喉に当てられた鋭い感触。

『光栄――リエーフ……お前は■となり我が■■への■を■■■』

「――ティア」

 はっと意識を取り戻す。老いた手が、エリュテイアの肩を掴んでいた。

「君も疲れているのではないかね」

「主がこのような有様になれば、そうもなりましょう」

 わざと皮肉っても、ダンブルドアは小揺るぎもしなかった。エリュテイアは彼のライトブルーの双眸をのぞき込む。すべてを見透かす遙けき青。

 開心術を行使されているのだ。しかし覗かせるつもりはない。ひたすらに主を案じる忠実なる従者の心を映し出す。なに、嘘ではない。どれも本当のエリュテイアだ。ただ、いかな老賢人とはいえ、エリュテイアの心を覗けば狂うであろう。覗かせないのは温情だ。

――おおよそ千年

 幾人にも渡る人生。すべてを覚えているわけではなくとも、エリュテイアは男であり女であり夫であり妻であり、子であり親であり、仕える者であった。殺し殺され、看取り看取られ、そうして死んでいった。黄金のグリフィンに仕え続けた……。血族婚を繰り返し、繋いで繋いでここまで来た。常軌を逸した執念。

 嘆息をこぼし立ち上がる。杖を一振りして甲冑を呼び出した。主を抱えさせ、ダンブルドアに一礼して辞去を述べる。

「我が君もハリーも、年若いのだということをお忘れなきよう」

 

 夜も更けた廊下を、黙々と進む。古い古い通路を駆使して、寮までの最短経路をとった。太った婦人に合言葉を言って、帰寮する。談話室には誰もいなかった。ハリーは先に帰したし、先に寝るように言っておいた。どうせ彼の口からハーマイオニーとロンに詳細は伝わっているだろう。ゴーント家のこと、それがヴォルデモートと名乗る愚か者の祖であること……。

 階段を上る。甲冑も穏和しくついてきた。主の室に踏み入り、甲冑が膝を突く。優しい手つきで病んだ黄金のグリフィンを寝台に横たえた。

 甲冑を下がらせて、エリュテイアは主の骨ばった手をとった。

「因果なことです。できることなら、お逃がししたい……」

 ダンブルドアの言葉で、一つ確信した。ヴォルデモートはおそらく魂を割いている。きっと主を巻き込もうとする理由も、そこにあるのだろう。

 リエーフという本の一頁に、確かにあるのだ。血で彩られた記憶が。

 踏み入ってはならぬ領域。閉ざされるべき闇。

 その名を『分霊箱』。かつての己はそのために殺されたのだろう。

 苦いものがこみ上げる。脳裏に銀の髪と紅の双眸がよぎる。壊れてしまう前の、理知的で癒しの術に長けた魔法使いの姿が。

 彼ならば決してしなかったろう。道を違えたとはいえ、魔法というもの、世界の理をわかっていた。

 魂を割くことは、人ではなくなること。不死ならざる不死。もっともおぞましいものになるという意味。

「サラザール。蛇遣い座の名を持つ者」

 どうしてこうなったのだろう。四人でつくった学び舎は、避難所であったのに。血筋に関係なく、魔法の徒のための最後の砦であったのに。

「あなたに良心の欠片でも残っているのならば……ひとりの子孫を滅ぼすことに頷かれよ。そうしてここにおられる、真の子孫を守りたまえ」

 奥底から熱が噴き上がる。祈りなど無駄だ。わかっていても、とうの昔に逝った魔法使いに告げたくなった。彼の善き部分を知っていた。そうして昔々に子孫の一人が新天地に行ったこともわかっている。その魔女は新たな学び舎をつくったのだ……祖の杖を携えて。

 サラザールという男の光と闇。いいや、主ゴドリックの血筋も思いもどこかでゆがんでしまった。グリフィンドールはマグルの差別を憎んでも、スリザリンの血族をここまで憎むものではなかったのに。

「願わくば」

 千年の業に終止符を。

 

 目覚めは最悪だった。トム・リドル・シニアと無知で愚かなメローピーがなんやかんや絡み合っている夢なんて見たくもなかった。夢なのだから曖昧でいいのに、かなり鮮明な夢だった。つまりなんだ、ウィスタは知識だけはあるし幼年期に事故のような形でそこらへんの現場を見たこともあるので、夢が詳細なのは仕方ないのだけれど、■つもんも■たねえわ。元からそのあたりは淡泊らしく、これまた事故のような形でいかがわしい本その他を見かけてもたいして刺激されない。野郎としてどうなのか、機能的に大丈夫なのかとか、以前は心配したものだが、一応皆無ではないのはわかっている。興奮するもとい■■する対象が限定されているだけのようだ。

「あーあ」

 一生秘密にして添い遂げるか、腹を括って打ち明けるか。未だに踏ん切りがつかない。どちらにせよ、おつき合いが巧く進んでどうこうになったところで、実子は無理だろう。父母のような覚悟を、ウィスタは持てそうにない。そもそも論でつきあっている段階で先のことまで考えるほうが重い。重すぎる。相手がどう考えているかわからないではないか。ほかに好きな相手ができるかもしれないのだし、そうなれば――。

「……しかないよなあ」

 かなり厭だが、惚れた弱みというやつだ。相手の幸せを願ってこそ男というものだろう。ウィスタなんぞに関わったら九割九分苦労させるに決まっているのだ。彼女はお気楽な貴族の三男坊あたりを婿にとったほうが幸せだろう。

 口の中がしょっぱいが気のせいだ。心もかなりしょっぱいけれど、錯覚だろう。呻きながら寝台を出て、穴だらけの記憶から眼を逸らした。ついでになぜかクルックシャンクスを抱き抱えて寝ていたのだが、考えないことにする。キャスまで寝台に潜りこんでいて、毛だらけだ。ダンブルドアに失神させられたのだろう。爺のくせしてどんな杖さばきだ。

 最悪な授業から、ダンブルドアは頻繁に城をあけるようになった。元から忙しい御仁なのでたいして気にもならない。誰も伴わないのが秘密主義だと思うだけだ。

「……もてるねお前」

 ここ最近の朝食――のみならず、昼食でも夕食でも、グリフィンドールのテーブルはやたらと熱い。暑いというよりも熱い、がぴったりだ。その原因たる英雄殿は眼を瞬かせた。

「なにが」

「下級生がお前にお熱だぞ」

「僕は君の体調が心配だよ」

 ハリーはまったく取り合わない。バカバカしい。そんな声まで聞こえてきそうだ。ハーマイオニーに視線を投げかければ、彼女はくすくす笑いながら口を開いた。

「自分の魅力に無頓着なんだから。あなたのこととってもセクシーって言ってるのよ、みんな」

 ロンがジュースを噴いた。ウィスタは友人の背を叩いてやる。ウィスタも何かを飲んでいたら噴いているところだ。ハーマイオニーは率直すぎるし、歯切れがよすぎるし、言葉が刺激的なのだ。

「……だとさ」

 ハリーは沈黙し、視線をさまよわせた。ウィスタの気のせいでなければ、緑の双眸はグリフィンドールのテーブルを舐め、赤毛の魔女をかすめたようだ。あいにく、彼女はディーンとおしゃべり中だ。

――俺が干渉することでもなし

 男女のあれこれは、ウィスタの手には余る。

 スープを口にしながら、頭痛をこらえた。六年生は闇の勢力どうこうの問題よりも、ある意味厄介なことが起こりそうだ。

 同輩どもが節度を守って時と場所を選んであれこれしてくれることを祈ろう。

 

 応募者のあまりの多さにハリーは困惑していたが、新生グリフィンドールクィディッチチームをどうにか編成した。ウィスタもエリュテイアもハリーに拝み倒されて選抜に参加し、ビーターになった。ハリーからの「願い」などあまり覚えがないので、つい頷いたせいだ。「だって僕が見た限り、君たちが一番いいんだよ」と言われたことも要因だ。頼みに素直にうなずけたことに、ウィスタが一番安堵した。父の死をめぐるあれこれは、どうにか水に流せそうだ。どうせ取り返せないのだし、拘ったところでなににもならない。傷口がふさがるにはまだまだかかるだろう。それでもいいのだ。

 クィディッチチームの編成が済み、ホグズミード行きの日がやってきた。最終学年であるクインは忙しいのではないか、と危ぶんだが無事に約束をとりつけた。

「……私と会うために無理をしているんじゃないでしょうね」

 顔色が悪いわ。頬に手を添えられ、体温が少しあがった。ホグズミードの大通り。手配書があちこちに貼られ、いくつかの店が閉まり、以前に比べれば閑散としているが、ウィスタにしてみればどうだっていい話だ。いまこの時間に比べればたいていのことはどうでもいい。

「俺はいつもの通りだよ」

「……そうねえ、いつものことね、デュランダルさん」

 暗に変装を責められて、眼を逸らした。

「俺、リアイスだし」

「――変なことで悩まないでよ」

 成人したらやめるのよ。あきれ混じりに告げられる。固まるウィスタの手を、クインが引っ張った。

「三本の箒にでも行きましょう」

 なんと答えたか定かではないが、ウィスタは彼女と手をつないで大通りを進む。まるで恋人同士のようではないか。いや恋人であった。手を離さなければと思うのに、魔法にでもかかったかのように離せない。

――まずいな

 深みにはまっている。抜け出せるかどうかは神のみぞ知る。

 ふらふらしながら――傍目にはそう見えないようだが――三本の箒に入店し、バタービールで身体を温めた。混み合ってきたのでそうそうに退散し、大通りに覚えのある影を見た。正確には、影たちを見た。

「――お前も魔法族の端くれなら、己が誰のなにを手にしているかわかっていますね?」

 板の打ち付けられた店の前、へたり込むのはマンダンガス。杖を突きつけているのは白百合の騎士こと、ウィスタの従者であった。

「不要品の処分をシリウスか――」

 ひ、と小さな悲鳴がして、マンダンガスが頬を押さえる。彼の傍らには汚らしい袋があった。

 ウィスタは変装を脱ぎ捨てて、大股に通りを横切った。は、とエリュテイアがウィスタを認め、マンダンガスも気づいたようだった。

「よ、よおウィスタ――」

「ご機嫌いかがかなマンダンガス?」

 笑顔を向ければ、盗人は凍り付いた。口を意味なく開閉させ、音の残骸をこぼすだけだ。袋を見下ろす。中になにが入っているか、たいていはわかる。

「闇市に流しても足がつくだろうに」

「それはそれ、どうにか……」

「俺にはいらんものだ。持って行け」

 ウィスタ様! ウィスタ! と従者と恋人が叫ぶが、ウィスタは無視した。ブラック邸はもはやただの箱にすぎない。価値ある――金銭的に価値あるものは、エリュテイアが回収していた。残っているのはたいした値のつかない銀食器だとか、ガラクタと、老いぼれ妖精だけだ。邸の装飾自体も破壊されているし、マンダンガスがなにをくすねようが影響はない。

「太っ腹だな」

「収益の五割を孤児院に寄付しな」

「……は?」

「ブラック家の黒い遺産をクリーンに使えよ。しないならこの話はなしだ。それは回収してこっちで売り払う」

 たいした値はつかないが、一般的にはそれなりの金銭が見込める品たちだ。純血名門の銀食器なのだ。欲しがる輩はいるだろう。

 マンダンガスは素早く頭を働かせたようだ。袋を我が子のように抱き抱え、小さく頷いた。ウィスタは踵を返し、胸をなで下ろしているであろう盗人に釘を刺した。

「言うとおりにしないならわかっているな?」

「俺はそこまで莫迦じゃねえ!」

 悲鳴じみた応えとともに、姿くらましの鋭い音が響いた。

「……甘すぎますよウィスタ様」

「なんの気まぐれよ」

 二人の魔女から責められて、肩をすくめた。たいした理由はない。

「ああいう奴でも、一抹の良心くらいはあるだろう」

 どうせ親父もいらないって言うだろうしな。

 

 気がつけば、できる従者ことエリュテイアは姿を消していた。ウィスタの意図はわかっているはずなので、マンダンガスを追いかけるような真似はしていないと思いたい。追われていたらウィスタにはどうしようもない。クインを放ってマンダンガスをとる選択肢は端からないのだ。

 ひょうひょうと風が吹く。視界に白いものがちらつき始めた。

「……帰ろうか」

 マンダンガスに水を差されなくとも、どの道帰るはめになっていたろう。湿った、はりつくような雪が灰色の空を席巻する。ウィスタは素早く防水呪文をかけた。

 早く帰らなければと思いつつ、歩みはゆったりとしている。風が強いせいだと言い訳し、クインを横目で見た。寒さに震えている様子もない。至って平気な顔をしていたので、ウィスタはそのままの歩調を維持した。風が強いせいなのだから仕方ない。

 マグルなら遊園地だとかどこかの公園だとか行くのだろうか……ととりとめのないことを考える。十六歳になってもそういった場所に縁がない。魔法界にどっぷりの今となっては、マグルの遊び場で楽しめるかも不明であった。騒がしい場所よりも、日本の温泉とやらに行きたい。湯治というものがあって、治癒作用があるらしいのだ日本の温泉は。いや、温泉はアイスランドだかにもあった気はするけれど。世間一般的な十六歳の遊び場ではないなあ……と遠い眼になった。諸々諦めているとはいえ、傷跡まみれの身体だと具合が悪いではないか。もはや晒す相手もいないだろうけど。

 段々と暗い方向に思考が落ちていく。寒いせいだ。よりにもよってホグズミード行きの日にこんな天気になるなんて最悪だ。おまけに女の声まで聞こえてくるではないか。なにをしているんだか。怒鳴り合って――。

「ウィスタ」

 手を引かれ、クインを見る。彼女は振り返り、ウィスタもまた彼女に倣った。

「放っておいてよリーアン!」

「だめよケイティ!」

 吹きすさぶ風のなか、はっきりと聞き取れたのは奇跡的だ。軽い喧嘩なんてものじゃない。一学年上のケイティ・ベルはあんな軋んだ――狂気的な叫びをあげる生徒ではない。畜生。つぶやいて、一歩踏み出す。放置したいのは山々だけれど、見て見ぬ振りもできない。切り捨てられれば楽なのに。

「ここで待――」

「冗談じゃないわよ」

 待っていてくれなんて言っても聞いてくれる女性ではなかった。一刀両断にされ、押し問答している時間も惜しく、飛ぶように大通りを戻った。二人はもみ合いになっていて、何かが破れ、こぼれ落ち――ケイティが絶叫した。猛る風すら貫く悲鳴。生命の危機に瀕した者があげる悲鳴であった。

 ケイティが浮き上がる。リーアンが手を伸ばすのが見えた。足首を掴む。そこにハリー、ロン、ハーマイオニーも加勢した。残る数歩を詰めて、ウィスタは杖を振る。降下呪文を行使したが、効かない。ケイティは暴れ狂うばかりだ。

 クインもまた杖を振る。ケイティの動きがわずかにゆるんだ――が、止まらない。

 銀の光が流星のごとく世界を裂き、ケイティに到達した。彼女は硬直し、謎めいた浮力から逃れ、墜落する。ハリーとロンがどうにか抱き抱えたのを捉え、ウィスタは銀の光の来し方に視線を投げた。軽やかな動きで屋根から飛び降りたのは、エリュテイアである。銀の弓矢は腕輪となって主に沿っているのだろう。

「よくやった」

「まだ終わりではありませんよ……連絡を飛ばしました」

 断じ、ロンを制止しているクインや、緊迫した面々を一瞥する。

「……オパールだ」

 ハリーがぽつりと言い、ウィスタは顔をしかめた。クインが素早く魔法陣の刺繍されたハンカチを取り出す。軽く首を振り、まずは伏せっているケイティの傍らに膝を突いた。じんわりと指輪が――至宝『冬の息吹』が熱を帯びる。

――即死級の呪い

 なのだと思う。冬の息吹を行使し、呪いを封じ込める。次にハリーを手招いた。なるほど、確かに彼が持っているのはオパールのネックレスだった。

「……ノクターン横丁の?」

 小さく言えば、ハリーは頷く。眉間に皺を立てていた。ウィスタは指を鳴らし、再び冬の息吹を行使した。凍てつく魔力は速やかに呪いを封印した。クインが投げたハンカチを受け取って、丁寧に被せた。ハリーが念のためにマフラーで包み直す。

 一息吐いたとき、セストラルがやってきた。同時に銀色の猫も飛んできた。

 ◆

 馬に乗れるようになっておいて、本当によかった。マクゴナガルの室、暖炉の側のソファに腰かけ、ウィスタは軽く眼を瞑った。ホグズミードからホグワーツの境界までは、姿くらましは使えるものの、校庭を徒歩で突っ切らなければならない。箒を調達している時間はないし、そもそも気を失ったケイティを同乗させられない。馬を――最速の天馬を飛ばしたほうがはやいし確実だ。

「クイン、リーアンを医務室に連れて行ってあげなさい」

「ええ先生」

 隣に腰を下ろしていたクインが、優雅に立ち上がり、そのままリーアンを連れて行くか――と思いきや。

「……あなたのほうが死にそうな顔だわ」

 彼女はマフラーを外し、ウィスタの首に巻き付けついでに、耳元で囁いた。柔らかな吐息がかかる。ひらひらと手を振って彼女とリーアンを見送った。心なしかマクゴナガルの顔がゆるんでいるように思う。気のせいだ。クインとの付き合いは強いて言っていないわけだし。あれは男女間の友情に見えたはずである。たかがマフラーなのだから。

「あれはノクターンにあったもので……マルフォイはボージン・アンド・バークスで――」

 ハリーが順を追って説明する。身振り手振りを交えてマクゴナガルに訴えているが、あまり説得力はなかった。ウィスタもノクターン横丁での顛末は聞いていたものの、様子見するしかないと結論づけていた。

「可能性はあるでしょう。けれど証拠はなきに等しいのです」

「でも先生――」

「今日、彼はホグズミードに行っていません」

「なんですって?」

「私が罰則を与えたからです。そういうわけで、直接ケイティに服従の呪文をかけることは不可能だったはずです……」

 マクゴナガルは眼鏡に触れ、唇を引き結んだ。

「……まかり間違ってもノクターンの深いところに行ってはいないでしょうね」

「なんのことです」

 急な話題転換にもほどがある。ハリーもロンもハーマイオニーもぽかんとしていた。そりゃそうだろう。ウィスタは礼儀正しく沈黙を守った――そも、聴取されているのは主に三人だ――エリュテイアも同じくだった。

 ノクターンの深いところというのは、いわゆるいかがわしい店の連なり――歓楽街のことだ。魔法族もそういう欲はあるわけで、そういったあれこれの需要も存在する。英国にもいくつか歓楽街がある……らしい。裏には裏の情報があるもので、リアイスも当然網は張っていることだろう。そのあたりの授業をしてくれたのはイルシオンだった。「で、どうします変な女に引っかかる前に」とほざいたので舌打ちして黙らせたものだ。変な女どうこうも相まって、縁談が積み上がっているのだろうが、知ったことではない。

「ならいいのです……さて、あなたたちは寮にお戻りなさい」

 マクゴナガルが手を叩く。ハリーが緩慢な動きで立ち上がり、ロンとハーマイオニーも続いた。

「……君たちは?」

 緑の眼がウィスタに向けられる。

「寒くて動けん」

 吹雪の中で天馬をかっ飛ばしてみろよ。さらりと答えれば、ハリーは肩をすくめて踵を返した。扉が開いて閉じる。足音が遠ざかり、吐息を漏らした。マクゴナガルはウィスタを追い立てることもせず、机の向こうから問いかけた。

「さて。言いたいことがあるならおっしゃい、ウィスタ」

 エリュテイアが杖を振り、盗聴その他を排除した。

「先生、わざと言いませんでしたね? 服従の呪文の応用について」

 マクゴナガルが軽く唇を噛む。女史はかつて魔法省――それも高位への誘いがあったくらい優秀な魔女であり、祖母と同年である。つまり経験豊富で、しかもホグワーツの教師。だめ押しに不死鳥の騎士団員である。魔法の造形が浅いわけがないのだ。

「マッド・アイからも……親父からも聞いたことがあるんですが」

 応用というほどのものではない。熟練し、なおかつ力のある魔法使いや魔女ならば、複数人を同時にからめ取ることもできるらしい。そしてもう一つ。

「服従の呪文にかけられた者が、別の者を服従させれば済む話でしょう」

 たとえマルフォイがその場にいなくとも、ホグズミードの誰かを服従させていれば、問題は解決する。『親』と『子』ならぬ『親』『子』『孫』と言おうか。効き目は弱まるが、複雑な命令でなければ一考の余地はある。

「……断定はできません」

 マクゴナガルが額に手を当てる。ウィスタも頷いた。

「わかっていますよ。『三本の箒』に行って探ることもできますが……」

「穏和しくするのです! 証拠を掴んだところで、たいした益はありません」

「先生方にお任せしますとも。くれぐれもお気をつけくださいね」

 先生も十分に標的になりえるんですからね。素早く言ってソファから立ち上がる。エリュテイアが音もなく扉を開いた。辞去を述べ退出する。

「あれだな」

 冷えた廊下を進みつつ、従者に告げた。

「ダンブルドアはまたぞろ釣りをするらしい」

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