ケイティが聖マンゴに入院したという報は、翌日にはホグワーツ中を駆けめぐっていた。とはいえ、正確な情報を手にしているのはその場にいた面々だけだ。ネックレスへの言及はないし、ウィスタたちが居合わせたことも触れられていない。
「……死喰い人っていうのに襲われたの?」
「ホグズミードに入り込んでまでケイティをやらないさ、ロレンス」
暖炉の近くのソファでくつろいでいたウィスタは、一年坊に言ってやった。マグル生まれの少年は心細げだ。マグルの世界では妙な子どもとして疎まれ、幼なじみの、これまたマグル生まれであるアンと一緒に入学したはいいが、彼らも大変だ。魔法界は楽園でもないし、マグル生まれは阻害される――少なくとも、襲われる対象だということを、知らざるを得ないわけだ。
「同級生と固まっておけ。なにかあったら肖像画やゴーストに助けを求めろ」
いくら教師が警戒していようが、ホグワーツは広い。ぽっかりと空白地帯が出現しているものだ。最悪の場合、真っ昼間に襲われることもある。ウィスタのように。
誰かに呼ばれ、一年坊が駆け去っていく。ウィスタは閉じていた本を開いた。とはいえ、文字を追っても内容が入ってこない。かなりぼんやりしている自覚はある。一年坊も誰も気づいていないようだが。吹雪の中で天馬を駆けさせるもんじゃない。もうすぐダンブルドアの『授業』があるのに困ったものだ。
「お疲れでしょう」
従者が軽く膝を折り、杯を差し出してくる。薄めた『元気爆発薬』だ。ゆらゆらと立ち上る湯気を眼で追い、手を伸ばした。
「ポーカーフェイスは得意になったと思ってたんだが」
「ご心配には及びません。たいていの者は欺けましょう」
しかし従者は騙されないわけだ。大騒ぎされるのも鬱陶しいので顔色などもいじっているというのに。
鼻を摘んで『元気爆発薬』を飲み、暖炉の火を見つめた。
「聖マンゴは」
「ケイティを狙う動きはございません」
背後の喧噪が遠ざかる。寮生たちは爆発スナップをしたり、課題をしたりで忙しい。ウィスタたちに注目する連中はいない。ハリーはハリーでマルフォイ犯人説を考えるのに忙しく、そんな彼をロンとハーマイオニーがなだめている。
「……二弾、三弾と手を打ってきそうだな」
これだけでは終わらないはずだ。ケイティの件はたいして本気ではなかったのだろう。たまたまケイティが使われただけで、彼女が犯人か共犯者の顔を見た可能性はなさそうだ。第一、あまりにも杜撰なやり方だ。
「素人の案件は厄介なのですよね」
エリュテイアは嘆息する。ウィスタも気持ちはよーくわかる。慣れていないやつほど、時に突拍子もないことをするものだ。犯人が仮にマルフォイだとすれば、あれはもちろん素人であり、荒事にも慣れてない。つまりどう暴走するか読めない。関係のない連中が巻き込まれるおそれもある。面倒な。
「仮定だが、あれがあいつに印をつけたとしよう。その目的はなんだと思う?」
従者は口端をわずかに上げた。
「我が君もおわかりでしょうに」
制裁でしょう。
◆
厭々ながら赴いた校長室で、不愉快な『記憶』の第一弾を見せられ、ウィスタは鼻を鳴らした。夜の闇横丁に店を構える、カラクタカス・バークの証言はこうだ。身重の女から貴重な品をせしめた。なんとそれはスリザリンのロケットで……哀れだから十ガリオンくれてやったと。
『記憶』の中だというのに、ウィスタは頭痛がした。勝手な思いこみで青年をめちゃくちゃにして、子どもさえできればどうにかなると突っ走って、困窮してこの有様だ。
「――彼女は魔法を使えたはずです! 服だってなんだってどうにかできたでしょう……」
時には、とハリーが口ごもる。
「マグルからかすめ取るくらいできたろうにな」
ウィスタは続きを引き取った。苦いものがどこからかこみ上げる。
世紀の大犯罪者を産み落とした愚かしい女。そのうえ弱い女だった。適切な処置をすれば中絶だってできたはずだ。なのにそうしなかった。きっと子どもがかわいいだとか、命を大切にだとかいう理由ではないだろう。ある意味ではメローピーの自由の証だ。父と兄から逃れ、ゴーントの血族婚という枷を引きちぎった証……。
カラクタカスの証言からして、メローピーは地獄への道を粛々と歩んでいるようにしか思えない。その思いは、次の『記憶』で強くなった。
またもロンドン。若い頃のダンブルドアが――洒落たスーツを着こなし、帽子も被り、完璧な装いであった――孤児院の前に立っている。
「……第二分家の?」
わざと話題を逸らし、水を向ける。老いたダンブルドアは、若い頃の己を眺めつつ、苦く笑った。
「あー……たしかアシュタルテの見立てだったの……」
紫のスーツなんて奇人変人としか思われんと叱られた、と付け加える。さすが曾祖父。ダンブルドアに辛口である。
孤児院を見上げる。扉の上に看板があるが、錆び付いて名前は読めない。ダンブルドアが扉を叩けば、中から職員が現れた。汚れたエプロンをつけた若い女であった。
ウィスタは腹を押さえた。胃が暴れ出しそうだ。孤児院なんてもんにいい思い出は無きに等しい。誰にも語っていない負の記憶が眠る場所だ。
場面が飛ぶ。ダンブルドアが院長に面会し、寄宿学校の入学審査に通ったと語る。
「聞いたことのない学校ですが――そこにあの子が?」
「ええ」
院長――女性である――が、偽造された書類を一瞥し、頷いた。
「完璧に整っているようですね」
「ついては、彼の生い立ちを知りたいのですが……」
古びた応接間で、ダンブルドアと院長は見つめ合った。院長はふうっと息を吐くと天井に眼をやった。
「大晦日の夜に――ひどく冷える夜でしたよあなた。身重の女が訪ねてきたのです。一時間後にあの子が生まれ、その一時間後に女性は亡くなったのです」
「その方はなにか言い残したりなど――?」
院長は肩をすくめた。
「譫言のように『この子が父親に似ますように』だとか……まあ、その人はお世辞にも美人じゃありませんでしたからね……子どもの名前は父親のトムと、自分の祖父のマールヴォロを取ってつけてくれ、と。妙な人でしたよ」
あの子も変でねえ。院長が呟く。ダンブルドアがすかさず食いついた。
「変、とは?」
「あの子は――」
ぷつ、と言葉がとぎれる。院長が、探るようにダンブルドアを見ていた。この上なく真剣に。
「あの子を間違いなくあなたの学校に連れて行くと、お約束できますか? 私がなんと言おうと」
「ええ。神に誓って」
神なんてろくに信じちゃいないくせに、ダンブルドアは飄々と言い切った。しかし、一定の効果があったのか、マグルの女は肩から力を抜いた。
「あの子は他の子をおびえさせます……」
続く言葉に、胃がむかついてきた。間違っても不遇な孤児の少年の振る舞いではない。
――おいおい
想定できるかこんなもの。ウィスタの場合とずいぶん違う。どころかかけ離れている。トム・リドルは鞭打たれていたわけでもないし、殴られていたわけでもない、数人と乱闘したわけでもなし。食事も抜かれていない。戸外に放り出されてもなければ、ひもじくてそこらの草やら実やらを食っていたわけでもない。
ふざけやがって。固い声音に、ダンブルドアが無事なほうの手で背を叩いてきた。
そうこうしているうちにまたも場面が飛ぶ。今度は殺風景な一室だった。古ぼけた椅子に座っているのは、誰あろうトム・リドル・ジュニア。未来の大罪人、すべての元凶である。
見ているだけで眼が熱くなってくる。どころか全身が燃えるようだ。両手を握って開く。歯を食いしばった。
「――僕を困らせるやつには、いやなことが起こるようにできる。傷つけることだって……」
僕は特別だって知っていた。
幼い声が響き、ウィスタの耳から脳へ到達する。どこかで何かが切れる音がした。気づけば、前に踏み出していた。過ぎ去った過去、取り戻せない時の中を進む。幻の床を蹴り、銀の軌跡が弧を描く。
――ああこいつは
今このとき、死ぬべきなのだ。
細い首を魔法剣が刈り取らんとし――、天地が反転した。
ウィスタは息を荒げ、校長室の床に片膝を突いていた。
片方の眼から、熱いものが滴る。落ちて、紅の小花を咲かせた。
「――なんで、」
顔を上げる。紅涙を拭うこともせず、ダンブルドアを睨み据えた。瞬くたびに濁った視界が晴れ、また濁っていく。血の色へと。
「あいつを、始末しておかなか――」
「まだ子どもだった。あの時点で、予想はできなかった……」
ダンブルドアが穏やかに言い、かがみ込み、膝を突く。ハリーがくしゃくしゃなハンカチを差し出してきた。ウィスタは震える手で受け取り、片眼に当てる。たちまちのうちに紅に染まっていった。
「あれは邪悪だった」
「――闇に踏み入ったのはトムが選んだからじゃ。君は彼もメローピーも疎んじ、なかったことにしたいのだろう。蓋をしてしまいたいのじゃろう。だが……」
君が消したいのは、君自身じゃないのかね。
問われ、澄んだ眼から顔を背けた。
「ウィスタ、君とトムは違うのじゃよ。君は善き道を選び……いいや、そうあろうとしておる」
大丈夫じゃ。堕ちはせぬ。
優しい優しい声に応えず立ち上がり、辞去も述べずに校長室を後にした。
――勝手なことばかり
「……知ったようなことばかり」
夜のホグワーツを、あてどなくさまよう。誰も追ってくる気配はない。そもそもエリュテイアにも「迎えはいらない」と『炎』を飛ばした。気を揉んでいるだろうが、今のウィスタは従者にまで構っていられない。
吐息が白く凍る。創設者たちは、生徒の住環境にまで配慮をしなかったらしい。寮に行けば暖はとれる。通路や庭にまで手をかけなかった。魔法の知識を得た今ならばわかる。創設者たちが式を組み上げれば、冬は暖かく夏は涼しい城をつくりあげることもできたかもしれない。ただし、それを維持管理しようと思うならば、ホグワーツの障壁のどこかに脆い部分をつくるしかなかったろう。そして障壁の維持を選んだ……。ホグワーツは魔法の徒のための学び舎、最後の砦ゆえに。
――サラザール・スリザリンも
彼らの仲間だったはずなのだ。学び舎をつくり、魔法を施して。いったいどこで狂ってしまったのか。伝説に謳う。グリフィンドールとスリザリン決闘す。スリザリンは学び舎を去った。去ったのだ。他の三人を排斥することなく、どこかへと。秘密の部屋にバジリスクを残して。そうして彼の血は続き、ウィスタにたどり着いた。
『僕は特別だって知っていた』
幼い声が蘇る。ふ、と足が空を踏んだ。蹈鞴を踏み、どうにか草地で踏ん張った。ウィスタはいつの間にか中庭に移動している自分に驚いた。夜気に凍った息がたなびき、冴えた月の光に照らされる。固い草を踏み、ふらふらとベンチに向かった。腰を下ろし、なにをするでもなく、月を眺めた。満月だ。リーマスは狼の姿で穏和しくしているのだろう。誰かそばにいてくれればいいのに。いてやれればいいのに。それともウィスタの思い上がりだろうか。養父は立派な魔法使いで、ウィスタの助けなど……できることなんてほとんどない……。来年で成人するというのに、まったく親離れできていない気がする。
――リーマスまで
彼までどうにかなったら。脳裏をかすめた思考に、心臓が縮こまった。固く両手を握りしめる。
どうにか……父のように……ウィスタのせいで……。
「――月見かね」
深い声がして、真珠色の影が現れた。時代がかった装束だ。上着は刺繍がほどこされ、袖口には釦がきらめている。腰には短剣や杖がさげられていた。彼の姿でもっとも眼をひくのは、衣一面を飾る銀色――血であった。通称血みどろ男爵。本名は誰も知らない。
「あんまりにも綺麗なものですから」
心にもない言葉を吐いた。男爵は眼を細め、ウィスタを凝視する。
「身も心も凍えているくせにな」
「なんの――」
声が尖る。男爵の余裕が癪に障った。いいや、今日はなんでもかんでも癪に障る。赦されるならなにか壊してしまいたいほどに。
「誰かが誰かを哀悼するとき、その震えは我々に伝わるのだ」
お陰で落ち着けん。半ば愚痴のようであった。
「……哀悼」
そうか、と返した。喪ってから数ヶ月。思い出すのも苦痛だった。休む暇もなかった。嘆いていられる状況ではなかった。やっと……こうして一人になって、哀悼とやらができるようになったのか。
「なんで親父もおふくろも、霊になってくれなかったんだろう」
問いがこぼれ落ちる。誰にも訊けない問いだった。灰色のレディ、祖たるヘレナにも。
「ならないほうがいいのだ。私は『門』をくぐれなかった……次へ進めなかった……あまりに未練がありすぎた」
罪を犯したというのに、のうのうと進めようか。震え、ひきつれた声に眼を瞬かせた。血みどろ男爵は不気味で、しかし威厳がある男だった。お騒がせなピーブズも彼には絶対服従であり、つまるところゴースト社会では強者に分類される。そんな彼が、わすかなりとも感情を乱すとは。
「親父たちには未練がなかったと?」
そんなはずがなかった。あったはずだ。どちらも殺された。志半ばで生を断ち切られた。子を残して逝った。
「あったろう。お前の両親は殊に。お前のことも気がかりだったろう。それでも正常な流れというものはある。『門』をくぐるものなのだ。愚か者でない限り」
それともお前は、両親が永遠に地上をさまようことを望むかね?
鋭い言に、反駁を飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。残って、けれども食べる楽しみはなく、できることはあまりに少なく、しかし子を見送らねばならない『生』。ヘレナの神秘的な眼を思い出す。どこかに悲しみを湛えたあの双眸。
「わかったよ」
「うむ」
男爵がにやりと笑い、ふうっと姿をとかしていく。
「立ち上がれ、魔法騎士」
お前はまだ生きているのだから。
◆
「夜に出歩くなど。しかもあんな寒い夜に!」とエリュテイアに説教を食らい、ウィスタはすごすごと寝台に潜り込んだ。お前は寮監かエリュテイア、と言いたかったが口をつぐんだ。従者の心配は痛いほどわかっていたのだ。
翌朝、鼻をぐずぐずいわせるウィスタに、エリュテイアは薄めた『元気爆発薬』を差し出した。もはやなにも言うまい。
ほんの少しの熱っぽさを抱え、どうにか薬草学を終えた。ロンとハーマイオニーが言い合いをし、声が響いて仕方なかった。
――こいつら
いい加減素直になってほしい。ハーマイオニーのほうが押しが強いはずなのだけど、いつまで経っても進展しない。彼女の鼻っ柱の強さからして仕方ない気もする。かといって、どうにかなっていちゃいちゃされるのも困るのだが。見えないところでならいいけれど。
どうなるのだろうこの二人は。頭の片隅に懸念事項を書き留めしているうちに、うやむやになった。ひとまずロンもハーマイオニーも表面上は穏和しくなったし、スラグホーンのクリスマスの話も持ち出さなくなった。
ウィスタにも招待が届いているが保留である。顔を出すくらいならいいが、さてはて。
懸念はあれこれあった。ケイティは入院中で退院にもまだかかるようだった。なにせ即死級の呪いがかすった状態なのだ、少なくとも一ヶ月は入院だろう。つまり十一月のクィディッチシーズン開幕戦には間に合わない。代打はディーンに決まった。ウィスタはなにも文句はなかった。つい先ほどまでは。
――こじれそうだな
近道を使うんじゃなかった。ウィスタは壁によりかかり、烈火のごとく怒っているジニーと兄らしい過保護いいや……傲慢さを発揮しているロンを眺めやった。場所はとあるタペストリー、その向こうに隠された通路である。
「自分がまだいちゃついたことがないからって――」
「黙れ!」
さすがジニーだ。的確に致命的な点をついてくる。ロンは真っ赤だ。彼の手が杖に伸びかけ――止まった。
「ウィスタ!」
「後悔するからやめとけ」
部分金縛りをかけ、ウィスタは言い切った。妹に手をあげるロンなんて見たくもない。
ハリーがすかさずジニーを背にかばった。ちらとエリュテイアを振り返ったが、彼女は傍観の構えである。目配せをして、ジニーのもとへ向かう。
「任せたぞ」
ハリーに囁く。そうしてジニーに言った。 「彼氏でもないのに出過ぎかな?」
「いいえ。ウィスタならいいもの」
コーマックや親愛なるお兄さまは厭だけど。これまた切れ味のいいこと。ロンが吼えた。ウィスタもエリュテイアもジニーも無視した。
「じゃあ行くか」
さっさとその場を離脱する。ロンはまだ暴れていた。
「妹がキスしてたらなあ……」
「私だってところかまわずしてないわよ!」
「そういう破廉恥な子じゃないのは知ってるよ」
「そんなあなたはこっそりするのが上手よね」
「……なんのことかな」
クイン、と言われ。眼を逸らした。公言はしていない。していないのだが知っている者は知っている。
しばらく歩くと、ディーンが廊下の端で待っていた。軽くジニーの背を押して、現彼氏のもとへ押しやる。
「怒ってお腹が空いたわ」
「おい彼氏、なんか食わせてやれよ」
「厨房に行きましょ」
ウィスタは視線を滑らせ、ディーンを見やった。
「おまえら二人でいちゃいちゃしたい年頃だろうよ」
ウィスタとエリュテイアはお邪魔虫のはずだ。しかしディーンは苦く笑って首を振った。
「そういう気分じゃなくなったよ」
厨房の場所を知らないディーンを案内してやり、これでいいんだろうかと自問しつつ、軽食もとい、超軽食をつまんだ。全身に疲労を蓄積させ、足を引きずるようにして寮に戻り、就寝。
翌朝、荒れ狂ったロンがハーマイオニーに八つ当たりし、酷い頭痛がした。
誰かこのお子さまをなんとかしてくれ。
「――ああ、こいつは無視していいからな」
口許に笑みを貼り付け、背後に転がっている『それ』を軽く蹴った。赤毛のそいつはなにか呻いているが知ったことではない。
「ここは空気が悪いから、今日はもう寝たほうがいいだろう」
ちまちました一年生たちは、そろって頷いた。つっと目配せをすれば、察した五年生もといジニーが駆け寄ってきて、女の子に声をかけて女子寮へ誘い、猛烈に疲れた顔をしながらハリーもやってきて、男の子たちを男子寮に連れて行った。さすがだ分かっている。
ウィスタはソファに座り、莫迦を見下ろした。寮生は素知らぬふりである。ここで口を出すほど頭が悪いわけではないようだ。
「てめえな、監督生なら少しはマシな振る舞いをしろやボケが。少なくともお前の兄貴ならんなことしねえわ」
ロンが眼を見開いた。すぐさま顔が赤くなるのだから、わかりやすくて結構だ。どうせパーシーなんかと比べるなと言いたいのだろうし、拘束を解いたが最後、殴りかかってきそうな勢いだ。ロンにとっては不幸なことに、ウィスタは感情的な莫迦を野放しにするつもりはない。たとえ友人でも。
「……俺は寝るからな。自由になりたいなら、自力でなんとかしろ」
誰も解くなよ、と寮生に厳命する。ウィスタは監督生でもなんでもないが、どうやら皆頷いてくれたようだ。なに、一晩くらい転がしても死にはしない。
男子寮への階段を登り、自室に入る。さっさと寝台に潜り込んだ。腹の中を見えない手でひっかき回されている気分だった。眼を閉じる。傲慢で、けれど幼いトム・リドルと、情緒不安定で当たり散らすロンの姿が重なった。どちらも自分よりも幼い子を……いや、ロンは八つ当たりだが……。
「……最低だな」
えずきそうだ。うなりながら布団を被る。固く眼を瞑った。耳鳴りがする。口の中が泥の味だ。
――あれは幼かった
たぶん生まれながらの悪だった。孤児院はさほど酷い場所ではなかったろうに。あれは自ら堕ちたのだ。消しておくべきだった。
けれど。
悪の片鱗が見えたとはいえ、ウィスタは幼い子を殺そうとしたのだ。たとえ記憶の中でも、ウィスタの抱いた殺意は本物だった。
『君が消したいのは、君自身じゃないのかね』
ダンブルドアの問いが蘇る。すべてを見透かすようなライトブルーの双眸も。
ああそうとも。きっとウィスタは己を疎んじているのだ。あれの血が入っているから。あれのような性向を持っていないと言い切れないから。あれがウィスタの『もしも』の姿ではないと、誰が断言できるだろう? なにかの悪の因子が入っていないと保証できないのだ。
「……あれを滅ぼしたいだけで」
その先のことなんて、なにも考えてはいない。なにも――思い浮かばないのだ。
◆
翌朝、ロンはげっそりしていた。意気消沈といってもいい。青い眼を怒らせてウィスタを睨んできたが、冷ややかに無視した。自業自得だろう。
下級生を攻撃することはなくなったが、情緒不安定は収まらなかった。比例するように、クィディッチでも荒れた。
「湖に放り込んだほうがいいか?」
「協力するわ」
「……真冬だよ?」
ウィスタ、ジニー、ディーンは、ハリーがロンを引きずっていくのを見送った。ロンはクアッフルを一つも防げず、チェイサーのデメルザ・ロビンズに八つ当たりした。ウィスタが即座に沈黙呪文をかけ、エリュテイアに命じてデメルザを医務室に連れて行かせた……が、雰囲気は最悪だ。
「代わりのキーパーがいるんじゃない」
「そりゃハリーが決めることだ」
箒を担いで寮へ向かう。ぞろぞろとチームがついてきた。ジニーはお冠だった。
「――なんせ試合が近い。交代は無理だ」
辞めるとなっても引き留めないが――と言いかけて、眉間に皺を立てた。
「情緒不安定野郎と傲慢コーマック……究極の選択だな」
コーマックは七年生だ。ロンとキーパーの座を争ったこともある。とにかく口も性格も悪く、己が一番だと思っているわ、周りを見下すわ。いつか正面から事を構えることがあれば、徹底的に潰して誰が上か分からせる腹積もりであった。ああいうのが一匹いると、雰囲気が悪くなるのだ。
さて。ロンの情緒は試合が近づくにつれおかしくなっていった。ウィスタもほかの面子も我関せずであった。もはやロンはいないものとして考えるほうがいい。そもそも技術にむらがある選手は、やりにくいのだ。ハリーはどうにかこうにかロンを安定させようとしていたが、ジニーが「無駄よ無駄」と切り捨てていた。妹だから一つ上の兄の短所はわかっているようだ。すなわち鈍感だが、一度折れると立ち直りが遅い。
試合当日の朝、ウィスタは大変少ない朝食を口にしつつ、考えを巡らせていた。もしも、万が一、グリフィンドールがスリザリンに負けることになったとしよう。そしてハリーが頑固にロンをチームに残留させるようなことになれば、ウィスタはチームを抜けてやる。お友達人事をするようなキャプテンなど御免である。
ある程度の方針を固めたとき「ロン、それを飲んじゃだめ!」と叫びが聞こえた。ハーマイオニーである。つっと声のほうを見ると、ハーマイオニーが栗毛をふくらませ、ロンはきょとんとし、ハリーは澄まし顔をしていた。
ハリーとハーマイオニーが言い合っている。ウィスタのいる場所からはいささか遠い。机の下で伸び耳を使い、声を拾った。
「僕に命令するのはやめてくれ」
「あなた、退校処分になるべきよ。こんなことを――」
「コーマックを錯乱させたひとに言われたくないね」
嘆息して伸び耳を回収した。ハーマイオニーが足音も荒く出て行く。
――退校処分相当、クィディッチ当日、なにかを入れた……
まさかな、とハリーを見る。ハリーは素知らぬ顔である。
「ウィスタも行こう」
「クロワッサンを食べてから行く」
返し、グリフィンドールチームが出て行くのを見送った。
「エリュテイア、検知薬はあるか」
返事はポケットから取り出された小瓶であった。彼女はロンの空になった杯に薬を落とす。一滴……二滴……しかし鮮やかな青から赤に変わるはずが、なにごとも起こらない。つまり杯にはなんの薬も入れられていないことになる。
ふりか、と呟いた時グリフィンドールの席がざわめいた。「マルフォイ欠場」やら「チェイサーも欠場」やら聞こえてきた。
「……どうなってんだ」
杯を見て、エリュテイアを見て、杯を見る。
「入っていませんでしたよ?」
従者は淡々と続けた。
「幸運の薬は」
ロンは絶好調だった。おそらく人生で最も充実している。寮内はクィディッチ勝利の祝いに湧いていて、ウィスタの気分とは正反対だ。
「……ここは、今日は上級生区画だからな」
試合の話を聞きたがる下級生――一年生から三年生までに宣言する。どいつもこいつも「どうして?」と首を傾げた。
「次の試合について作戦を練るべきだからな。大人の、秘密の、会議だ」
いい子だからあっちに行ってな。
「秘密の!」
「いいなあ秘密の」
「大人の!」
わあわあ言いながら散っていく。なんとまあ可愛らしいというか純粋というか。少しは疑えよ。
念のため杖を振り、秘密の大人の会議もとい、いちゃついている男女二名を視界から消した。手をつないで密着してその他諸々。まだ唇を永久粘着するくらいでマシだが、それ以上に進もうもんならよそでやれと叩き出す。寮は盛り場ではないし、ウィスタは誰それが誰それをはらませた等々の問題が巻き起こるのは御免である。七年生女子の情報網によると、そういったことがあるらしい。滅多にないけれど、皆無ではないといったところか。
「ウィスタはそういうヘマはしないだろうしきっちりしているだろうし、たとえそういうことになっても責任とるでしょうけど!」と先輩方から篤い信頼を得ていた。信頼が大変重い。なんだか罪悪感すら覚える。といっても、責任もとらない野郎になるつもりはないし、そもそもそういった事態に陥るつもりもないが。父親になるような危険など犯すつもりもないし。
ロンとラベンダーが手を繋ぎ合いながら、紗から飛び出してきた。そのまま談話室を出ていった。フィルチに捕まっても知らないぞ。
数十分後、なぜかロンが切り傷だらけで戻ってきても、ウィスタは知らぬふりを貫いた。
人の恋路に首は突っ込まない主義なのだ。
「オリバンダーは見つからず……」
自室の窓、雪が乱舞する景色を眺めつつ、ウィスタはスプーンを動かした。ぬくぬくとした室で食べるアイスは最高である。どこぞで匿われているフォーテスキューは、詳細不明だがアイスの移動販売をしているとかいないとか。第二分家を通じて双子とウィスタにアイスが贈られたのである。大変美味い。そろそろフォーテスキューを呼び戻してもいいかもしれない。どうせアイス屋の店主のことなど、闇の陣営は忘れているだろう。が、彼のためを思うのならば、現状維持のほうがよいのだろうか。なにせ闇の帝王は滅びていないのだから。
「マルフォイの動きも不明瞭か」
「どうやらセブルス・スネイプにも口を割らないようで」
「よほど脅されているか……」
マルフォイが不自然な動きをしているのは明らかだ。しかし、ウィスタもエリュテイアも四六時中見張っているわけにもいかない。なおかつ優先度は低い。闇の帝王が悪趣味な目的でマルフォイに印をつけ、いたぶっているに過ぎないのだろうし、飛び抜けた実力者でない限り――たとえば叔父のレギュラスだとか――彼はブラック家の直系かつ優秀だったと聞く。兄の影に隠れがちだが、あながち誇張もされていないだろう――あれが温室育ちの坊ちゃんに、重要な任を与えるとは思えない。博打もいいところだ。マルフォイを無能とは思わない。学生としては優秀なほうだろう。しかしそれだけだ。成人かつ実力もある死喰い人たちを抱えているのだ。マルフォイなどお呼びではない。本来ならば。
「下手すりゃ死ぬように手を打っているかもしれない」
どちらにせよマルフォイ夫妻は絶望するだろう。ただし、あれは分かっていないが、息子を害そうものなら、あの夫妻は平気で裏切るだろう。息子を溺愛しているのだから。ルシウスには印があるので、身動きがとれないかもしれない――が、ナルシッサは別だ。
「捨て駒として、自爆魔法でも仕掛けてダンブルドアのもとに向かわせるやも」
「あのな」
アイスを食べ終わり、顔をしかめた。振り返り、首を横に振る。
「思ってても言うなよ」
「我が君も考えていたわけですね」
ああそうとも。マルフォイのことは好いてはいないし、オパールの首飾り事件ではそれなりに疑っているが、さすがに自爆で肉片になるような事態は喜べない。まったくありえない想像でもないのだ。
「ひとまず現状維持だ」
「畏まりまして。ところで我が君」
椅子に座り、身をひねったまま、物騒な従者を見やった。
「クリスマスに乗じて、複数の愛の妙薬が使われるという情報を入手しました」
「……俺に?」
「マグダラの令嬢がお教えくださいました。忘却呪文をかけておいたから大丈夫よ、とのことです」
「さすが」
女って怖い。
「どうせ市販の惚れ薬程度なら効かねえけどな」
リアイス式スパルタ教室で慣らされたのがひとつ。なおかつウィスタはヴィーラの血筋である、フラーの強烈な魅了にも耐えきった。
「双子作ですので、油断は禁物でございますよ」
「あいつらなんで薬品関係に進まなかったんだ。どうせ解毒薬もセットで梱包しているんだろうが……」
無駄に優秀である。双子作ということは、一定時間で効能が切れる類のものだ。玩具の範囲だろう。そんなもん気軽に使うなよ、とマグル出身のウィスタは思うのだけれど。
――どいつもこいつも
どこかの浮ついた女どもといい、愚かなメローピーといい。鈍く頭が痛み、歯を食いしばる。
「――されます?」
「ん?」
眼を瞬かせる。エリュテイアは再び口にした。
「クリスマスはいかがなされます。出るのならば、衣装の発注か仕立て直しを」
「スラグホーンも無理強いはしないみたいだから、いい」
クリスマスパーティの招待を受けているのだが、どうにも気が乗らない。元々宴はたいして好きでもないのだ。
◆
クリスマスは着々と近づき、城の中は飾りたてられていた。心なしか、いつもよりも華やかに思える。明るい話題がないので、せめてもといったところだろうか。
相変わらずロンはラベンダーと絡み合うばかり。二人の世界でべったりである。見ていて鬱陶しいのでウィスタは視界に入れないようにした。ハーマイオニーもまた、ロンを無視した。ハリーは二人の仲を取り持とうとしていた。
「……あのな」
冬期休暇前日の夕食時、ウィスタはハリーをたしなめた。
「ロンは……ラベンダーもだが……」
発情してんだよ。発情。フォークの先で二人を示した。数席隔てて、諸々そっちのけでよろしくやっている。
「あけすけ過ぎない?」
「あいつらこそあけすけだよ。こんな公衆の面前で絡みやがって」
「ほんとにね」
ジニーが、侮蔑の眼で兄を見やった。ディーンは沈黙を守った。ぼそぼそと「僕だってさ……僕だって……許されるんなら」とぼやいている気がするが、ウィスタはなにも聞かなかった。よそでやれ。
時と場合と場所をわきまえない二人は、下級生には見えない仕様になっている。ウィスタが幼いといってもいい時、談話室や大広間でこういうあれこれを見なかったのは、きっと配慮がされていたからだろう。今のウィスタのように遮断の術をかけている上級生がいたはずだ。
「それはそうとハリー、ルーナがとっても喜んでいたわよ。パーティに招待したんですって?」
「ああ」
どことなくハリーの声が強ばっていた。しかしジニーは気づかない。にっこりしてハリーの肩を叩いた。ウィスタは友の内心を察して、口を閉じていることにした。
――なんにせよいいことだろう
ルーナは奇抜だが、ああだこうだとハリーに迫りたがっている下級生――ロミルダ・ベインを誘うよりはいい。ああいう女は面倒だ。
「それで? あなたは行かないの、ウィスタ」
するりとパーバティが割り込んできた。頑なにロンとラベンダーのほうを見ないようにしている。パーバティは親友のラベンダーののぼせ具合にうんざりなのである。正確には、グリフィンドール六年生はたいがいうんざりしていた。
「興味ないしな」
そう、と残念そうだ。
「行きたいのか?」
「だって素晴らしいそうじゃない」
しばしパーバティを見つめた。彼女の目許に影がある。ホグワーツを中退させたい両親と最近ゴタゴタしていたらしいと聞いていた。
「俺の招待状が余ってる。持って行け」
鞄から封筒を取り出した。パーバティは受け取り、片眉を上げた。
「そこはあなた、僕と行きませんかと言うところよ」
「俺がいつから女たらしになった。パートナーは現地調達するか、パドマと行けよ」
ウィスタはパーバティのことはまったく心配していない。どうせ洒落た服くらい持っているだろうし、男は見繕うだろうし、どうとでもするのだ。四年生の時のダンスパーティだって楽しそうにしていた。
「ありがとう」
パーバティがにっこりする。そして笑顔を維持しながら、少し離れた場所にいるハーマイオニーの許へ行った。昼間、変身術の授業のときにあれこれあったのだ。ハーマイオニーがロンの失敗をあざ笑い、ロンがそれを倍返しにし、ついでにパーバティたちも笑い……と。かなり酷だった。そもそもロンがハーマイオニーに理不尽な八つ当たりをしなければよかっただけの話だ。ロンは「なんで僕がカナリアに襲われなきゃいけない? ここは自由恋愛の国だ」と宣って、被害者ぶっていたけれど。そういう問題じゃねえんだよド阿呆が。
そんなこんなで、パーバティは昼間のことを水に流すだか、女同士の独特の社交だかに向かったのだろう。耳を澄ませれば、和やかに会話が進んでいるらしい。
「あら、あなたも行くのね……ええ、私はコーマックと待ち合わせて」
「は?」
耳を疑った。席が離れている。聞き間違いだろう。そんな莫迦な。どこかでかたんと音がして、凍り付いた顔のロンが、ラベンダーから身を離した。
「……ねえ、いま……ハーマイオニー、コーマックって」
ジニーはハーマイオニーとロンを見比べ、なんとも言えない顔をした。
「そこまでやる? やるのかジニー? 女の子って!」
「でもねえディーン、あの愚兄が悪いわよ。私でも……うーん」
コーマックはねえ……とジニーは思案顔だった。ディーンは震えていた。ハリーは十字を切った。
「女の子は怒らせたくないものだね」
ウィスタはなにも言わず、深く頷いた。