【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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五十五話

「これほどにホラスの記憶を欲したのは、いったいいくつの『分霊箱』をつくったのか知りたかったからじゃ」

 ダンブルドアは机の前を行ったりきたりした。座る気にもなれないのだろう。ウィスタはソファから老賢人を見上げる。

「魔法数字の七」

「そういうことじゃ。魂の七分割。儂とリーンは、ずっと『分霊箱』を探しておった」

「母が――?」

 不意に出てきた名に、口を開きかける。しかし制された。

「ユスティヌの家名を出したであろう。『分霊箱』はユスティヌがつくりあげた術じゃ。君の伯母は死の間際に己の呪いのことと、『分霊箱』について言い残した。『分霊箱』を見つけるように。四強について言及したときに、呪いが発動して」

「死んだ」

 続きを引き取った。

「で、どうなんだいウィスタ。創設者ゆかりの品といったら、君が詳しいじゃないか」

 ハリーは青ざめていた。狂った野郎が不老不死だか永遠の命だかのために、殺人を犯して魂を分割どうこう言われたら、血の気も引くだろう。ウィスタときたら「あいつならそれくらいやるよな」としか思わなかった。歴史に語られる希代の犯罪者、グリンデルバルドもやらんだろうそんな真似。魂を裂くのは己を壊すことだ。まともではない。

「リアイスが所持しているものは無事です。まさかの『分霊箱』が七つ八つなんて事態にはなっていないでしょう」

「それで、つまり……『分霊箱』を六つ壊さないといけないと?」

「ああ、あと四つじゃの」

 ダンブルドアがようやく立ち止まった。

「秘密の部屋」

 ああ、と二人して声をあげた。あれか。

「トム・リドルの日記?」

「それにもう一つは儂が壊しておる」

 ダンブルドアが黒くしなびた片手を振った。はまっているのはマールヴォロの指輪である。

「壊すときに連絡くださったらよかったのに!」

 勝手な爺である。ダンブルドアは「すまんのお、爺はせっかちでのお」ととぼけた。なにかあったな?

「そのときに呪いを受けたんですね」

「即死せんくてよかったわい」

「先生」

 ハリーが嘆息する。ウィスタもハリーに倣いたいくらいだ。

「ハッフルパフのカップと、ロケットは確定ですね」

 話を先に進めた。

「グリフィンドールの品はほぼ除外していいでしょう。強いて言えばレイブンクローの品か」

 といっても、ロウェナ・レイブンクローは早死にした。病だったとかそうでないとか。

――髪飾りは

 失われたと聞いている。ロウェナがつくった傑作。叡智の冠。しかし、病身のロウェナが自らの手で破壊したそうだ。叡智があっても虚しいものだ。親友たちの仲違いも止められず。そう言って。永遠に失われた傑作を偲び、レイブンクローの寮に模造品があるそうだ。四人でつくった学び舎の理想が崩れれば、そうしたくもなるだろう。ちなみに寮のレイブンクロー像には「叡智を以て人を助けよ。されど叡智に拘泥するなかれ」と刻まれているそうだ。

「あと一つ足りません」

 ハリーが指を折って数える。ウィスタは唸った。まさかの大穴で知られざるグリフィンドールの品があったら最悪だ。確率は極めて低いけれど、ないとも言い切れない。頼むからヴォルデモートが知恵を働かせて『秘密の部屋』の装飾の一つ――蛇にはまったエメラルドを『分霊箱』にしていないだろうか。今すぐにでも壊しに行くのに。もういっそまとめて『秘密の部屋』に保管していろよ。蛇語使いしか、下手をすればスリザリンの血筋でしか開けられない部屋なのだ。相当に安全ではあるまいか。

「おそらく、蛇のナギニがそうではないかと思う」

「生き物に魂を?」

「魂という未知のものを裂いたあげく、蛇に入れるなぞ愚かの極みじゃが。蛇はスリザリンの象徴じゃ。『分霊箱』にしたがっても不思議はない」

「いっそ狂って弱体化してくれませんかね」

 聞いているだけでうんざりしてきた。せめて二分割ならばよかったのだ。それが七分割。六つの『分霊箱』と本人だ。

「本体を始末してから『分霊箱』破壊じゃ無理なんですね」

 念のため確認する。ウィスタは取り巻きを倒してから親玉を狙うより、親玉から始末する方なのだ。後が楽だ。

「『分霊箱』を壊してから本人じゃ」

「やっぱりユスティヌは滅ぼしておけばよかった」

 なんて厄介な。リアイスの身から出た錆ともいうが。

「もう滅んでおる。十分に報いは受けておるよ」

「わかっていますとも」

 伯母が手がかりを残さなければ、『分霊箱』にもたどり着けなかったろう。そこは感謝すべきだ。

「『分霊箱』のひとつの隠し場所に、あたりをつけておる。探索の際は君たちもついてきておくれ」

「いいんですか?」

 ハリーが瞬いた。ダンブルドアがくすくす笑う。

「そうでないと、せっかちな爺だと叱られそうじゃ」

 茶目っ気たっぷりに言い、静かな静かな声で、付け加えた。

「君たちは旅に同行する権利を勝ち取ったのだ」

 

 考えを整理しながら、『秘密の部屋』に降りた。ハリーは先に帰し、校長室の外で待っていたエリュテイアを道連れにした。

 二人がかりで延々と探し、挙げ句に過去視まで使ったが、収穫なしである。ヴォルデモートがホグワーツに職を求めに来た日に遡り、朝から晩まで視たが、無駄であった。

「……横着しといてほしかった」

 まかり間違って『分霊箱』にナギニではなくバジリスクを採用しなかっただけよいのだろうか。あんなもん、二度と相手にしたくないとハリーは言うだろう。

「戻りましょう我が君」

 従者に促され、『秘密の部屋』を後にした。

 

「そんなことで無駄遣いするな。貴重なんだぞ」

「でもさあ」

 マルフォイのやつ捕まえられないんだよ。図書館の一角でハリーがぼそぼそと言う。

「お前が全部授業欠席して張り付いたらどうにかなるだろうよ」

「僕に退学しろっていうのか」

「あまりあいつばっかり気を取られるなって言ってるんだ」

「来年は高等魔法試験だし」

 ハーマイオニーが真剣そのものの顔で言い「君ってほんと勉強のことばっかりだ」とロンが茶々を入れた。

「誰かと違って熱を上げていないもの」

「別れただろ!」

 めちゃくちゃ泣かれたけど。ロンが呻く。ウィスタはなにも言わなかった。ラベンダーとロンはついに破局したようだ。べたべたいちゃいちゃが無くなったうえに、ラベンダーからしょっちゅう「ロンはどこ行ったの?」と詰め寄られなくなっただけよかった。人の破局を喜ぶのはどうかと思うが、嬉しいもんは仕方ない。寮内でも誰も口には出さないが「やっとか」という雰囲気が漂っていた。やっとかよ。もっと早くに別れればよかったものを。

「ジニーとディーンも別れたみたい」

「なんだと人の妹を振っただと」

 自分の破局そっちのけで、ロンが目を吊り上げた。お前、妹を大事にしているなら、なんで二年生のときにもう少し気にかけなかったんだと言いたい。言いたいが堪えるべきだ。

「ジニーが振ったのよ」

「さすがジニーだね」

 ハリー、笑顔である。隠し切れていない。

「……お前さ、ごたごたの火種に気づいてる?」

「何がだよ」

 ふっとハリーの顔から笑みが消える。よしよし。ロンもきょとんとするな。気づけよ。

「チーム内の人間関係。ケイティが帰って来ないとレイブンクロー戦はディーンがチェイサーだぞ」

「そのときはそのときさ」

 考えていないな。ウィスタはキャプテンではないので知ったことではない。なぜか副キャプテンになっているけれど。マクゴナガルにも確認し「チーム申請の時にポッターはあなたの名前を副キャプテンとして記入していましたからね」とのことだ。しれっと事を進めるハリー・ポッター。

 マクゴナガルによると「特別な役目はありませんし、キャプテンの代理の側面があるだけなので、心配はいりませんよ」らしい。ウィスタはキャプテンことトラブルメーカーに何事も起こらないように切に祈った。チームを引っ張るなんて御免だ。グリフィンドールは我が強いのだし。とはいえ、レイブンクローはレイブンクローで癖があるらしい「この戦法は破綻しているぞキャプテン」だとかなんとか、賢い寮なので、作戦立案段階からああだこうだと重箱の隅をつつかれるようだ。それはそれで厭なものだ。実際、レイブンクローは強い。とにかく作戦が巧いし、反則なんて滅多にしない。

 久々にチョウとハリーの対決が見られるのか……と思考を遊ばせていると「ドラコ・マルフォイの話をしていたのでは」とエリュテイアがそっと言った。

「そうだった」

「ありがとうエリュテイア。だからねウィスタ、追加で調合すればいざという時も対応できるからマルフォイに使っても」

「教科書を読め」

 極めて端的に言えば、ハリーは素直に従った。表紙は新しく、中身は古い教科書を読み、うなだれた。

「ないよ。半年? いつもこうだ」

「下手な調合したらラリってえらいことになるからやめとけ」

 優しく警告してやった。ハーマイオニーもうんうんと頷いている。

「スラグホーン先生作なら安心だから、まだとっときなさいよ。なにがあるかわからないんだから」

 ◆

 クィディッチチームが昼メロめいた状況になる芽は潰えた。ケイティが復帰したのである。ディーンは思うところがあったようだが、素直に退いた。

 さて、歴戦のチェイサーの復帰と、愚か者のコーマック・マクラーゲン追放により、チームは正常化された。

 士気がぐんと上がり、ロンも安定し、よい流れだった。

――とはいえ

 取り残した問題があるのだが。結局ケイティを操ったのが誰か、はっきりとはしなかった。やはり背後から呪文をかけられたようだ。

「図書館に行ってから大広間に降りる……護衛はいい。滅多なことはないだろう」

 エリュテイアに言いおいて、談話室を出る。いつでもどこでも引っ付かれるのは疲れるものだ。慣れたとはいえ一人になりたい時はある。廊下は人通りが皆無というわけではないし、この状況下で死喰い人が現れるなんてこともないはず。もちろん絶対とは言い切れない。どこにでも穴はあるものだ。ただ、ウィスタは昔と違って戦う術を得ている。不意打ちを食らってもただでやられるつもりはない。

 早足で図書館まで行って、本を返却した。そうして大広間に向かおうとして、廊下の突き当たり――階段を上っていく影を見つけた。

「重症だな」

 見間違いでなければハリーだ。そろそろ忍びの地図を返してもらおうか。マルフォイ監視にどっぷりなのはいただけない。エリュテイアに炎を飛ばし「ハリーを引きずっていく」とだけ伝えた。聡い従者のことだ、これだけで事足りるだろう。

 小走りで廊下を抜け、階段を上る。八階までたどり着いたがいないではないか。

「なあ、ハリーを見なかったか?」

 肖像画の一枚に訊いてみればなんと階段を下りていったらしい。七階だよと教えられ、やれやれと首を振った。仕方なしに階段を下り、どこからともなく何かが弾けるような――強いて言えば陶器が壊れる音が聞こえた。まさかトロール侵入再び? ないだろうと思いつつ、杖を抜いて音の発生源に向かう。男子トイレである。思い切って開いた途端、せっぱ詰まった声と、閃光が飛んできた。

 咄嗟に杖を振って盾を展開する。しかし熱い痛みがはしり、顔をしかめ――。

「そんな!」

 悲鳴が鼓膜に突き刺さり、鼻腔を鉄錆の香が覆った。倒れる誰か。血しぶき。そして立ちすくむハリー。

「な――」

 なにが。口にしかけ、それどころではないと気づく。男子トイレに踏み込む。靴底がぬめる何かを踏んだ。照明の下に倒れているのはドラコ・マルフォイだ。制服もローブも血塗れだった。

「誰か! 人殺しよ!」

 女の叫び。ひどくうるさい。ああ、マートルか。呼吸が速くなる。

「マルフォイ」

 呼びかけても返事がない。視界が揺れた。こんなことが前にもあった。あのときはウィスタが倒れ、マルフォイが居合わせたんだったか。なるほど端から見ればこんな酷い有様だったのか。しかも場所が男子トイレときた。笑えない。

 腰につけた道具入れから小瓶を取り出す。栓を抜いて中身をかけた。

「お前純血の坊ちゃんの癖して、なんのお守りも持ってないのかよバカタレ」

 オレガノのエキスを首と腹に重点的に振りかける。

――効きが悪い

 鋭利な刃物で斬られたような傷――十中八九セクタムセンプラだろう。どうしたことか。オレガノのエキスで応急処置くらいはできるはずなのに。じわりじわりと血が……。

 癒えよと唱え、さらにエキスを振りかける。舌打ちし、首の傷にハンカチを当ててぐっと押さえた。腹も拙い。口に杖をくわえ、空いた片手で腹も押さえる。治癒の呪文を無言行使した。

 鎮痛の呪文もかけてやりたいが、余裕がない。目眩がする。くそ、傷が蛇行してやがる。そういった刃がなかったか。傷を治りにくくする……。

 誰かがへたり込むようにして膝を突き、ウィスタの手の上から、マルフォイの傷を押さえる。ハリーだ。

「なんで……僕は――早く……」

 誰か。祈るような声。扉が軋んで開く。

 ウィスタは構わず癒しを行使し続けた。

――死なせるわけにはいかない

 気にくわないやつだ。退学でもしてくれたら清々するだろう。性根もきっとよろしくない。

 だが、ここで見捨てるのも厭だ。

 なんだかんだで昔、ウィスタが襲われた時に男爵を呼んでくれたらしいし、ローブだって駄目にしてくれた覚えがある。夫人にも世話になった。

「……お前には親がいるだろうがよ」

 死ぬんじゃねえよ莫迦。

 どこかで冷たい声がする。

「あとは我が輩がやる」

 腕を掴まれ、引きずられる。返事をする前に、ぷっつりと意識がとぎれた。

 うっそりと誰かが笑う。背の高い影。酷く頭が痛む。冷えた空気、がらんとした廊下。

 場面が飛ぶ。ローブを掴まれ引きずられる。いいや、腕を掴まれているのか? ともかくもそいつに引きずられる。こんなやつどうにかできるのに。杖はある。無言呪文を使えばどうにか――どうにかできる、はずなのだけど。どうだったか。まだ使えないのだ。だってウィスタは一年生で、魔法界に慣れていなくて。

 キィ、と扉が開く。湿気とかすかな臭気。座り込んでいるいくつもの影。あれは不良たちだ。橙の灯が小さな星のように瞬いている。

 私生児め、悪魔の子め。お前なんて。

 そうして背の高い影も言う。お前の母親が、と。

 放り出される。腹を踏みつけられ、今度は違う誰かがウィスタをのぞき込んだ。誰だったか。つけているのは紅と金のネクタイだ。爛々と光る眼と、やけに赤い唇……。

「リーン・リアイスもなんで死喰い人と結婚したんだろうなあ」

「そりゃお前あれよ」

「強姦されたんじゃねえの」

 きゃらきゃらとやつらは笑う。幾重にも幾重にも木霊する。

「股開かされて」

 突っ込まれてさ。

 耳をふさぎたい、と切に思う。そんなことはなかったのに。望まれない子では。だが、だが――母は。

 強いられた交わりで産み落とされたのだ。

 ◆

 見慣れた天井が眼に飛び込んできた。頭をゆっくりと動かせば、淡い色のカーテンがかかっている。

――またかよ

 ほとほと嫌気がさした。もはや何度目だ。嘆息しつつ、あちらこちらを点検する。指は動く。足も動く。腹に穴が開いたわけではないようだし、おおむね無事だろう。

 しかし、眼には異常があるようだ。なぜに寝台の傍らに魔女が座っている。亜麻色の髪はいささかくすんでいて、眼の下はわずかな隈すらある。

「……キングズリーに説教でもされたのか、トンクス?」

「そういうわけでもないよ」

 明るく闊達で、髪はピンクだの紫だのを好んでいたはずの闇祓いは、どこか籠もった調子で答えた。体調不良だろうか。そりゃあ闇祓いは大変な仕事だと聞く。それにしても別人のようである。

「今日は非番?」

「愛しの又従兄弟くんが怪我したって聞いたからね」

 まったく答えになってない。しかし、深くは訊かずに流した。どことなくトンクスは心ここに在らずに見える。ただ、ウィスタの見舞いに来たのは本当なようだった。

「それにしても君はよく怪我をするねえ」

 うなされていたけど大丈夫? 訊かれ、じわじわと冷や汗が滲んだ。切れ切れの脈絡のない夢だったように思う。おそるおそる口を開いた。

「変なこと言ってなかったか」

 不義だなんだの口走っていたら大変である。寝言に禁則事項を設けられないだろうか。己への暗示をかける魔法があったようななかったような。

「いいや、よく聞き取れなかったよ」

 トンクスの手が伸びてきて、頭をぐしゃぐしゃにされる。あまり淑やかさを感じない、ちょっと乱暴な手つきだ。トンクスらしくていいが、あまり乱されると困る。

 身を起こす。トンクスが枕を背に挟んでくれた。

「ドラコ・マルフォイはちょっと入院だ。君は無茶をして倒れて……今は昼だ」

 事件から数えて翌日の昼ということか。半日以上ぶっ倒れていたらしい。軽く頷く。トンクスは続けた。

「君の怪我はおおまかに肩のあたりとか、顎のあたりとかで。多少は傷跡が残るかもってさ」

「今更だからいいよ」

 もはやどうとでもなれだ。

「マルフォイのほうは?」

「君の処置が早かったから、重体にはなってない。あちこち切り裂かれてるけどね」

「下手したら死ぬからな、あれは……」

 薄暗かったし焦ってもいたので、マルフォイの正確な状態は把握できなかった。しかし滅多切りにされていたのは事実で、マルフォイが幼かったならば事態はもっと深刻だったろう。

「ハリーに悪意がなかったからよかったものの」

 長々とした嘆息が落ちた。まったくトンクスらしくない。実はトンクスに成り代わった別人ではないか? しかも演技が下手な偽者とか。ウィスタの疑いも知らず、トンクスは唇を噛む。

「あれは普通のセクタムセンプラじゃない。改良――この場合は改悪かな――してあって、傷の治りが遅いみたいだ。マダム・ポンフリーが処置してどうにかなったけど」

 彼女の腕がよくなかったら、聖マンゴ行きだったろう。

 ウィスタは彼女の言に頷いて、同時に納得した。なるほど。

「傷口が変だと思ったし、ハナハッカも癒しも効きにくいし変だと思ったんだ」

「ついでにハリーのセクタムセンプラ改とマルフォイの呪文が衝突して、混ざって、君がとばっちりを受けたんだ」

「うわあ……」

 これだから魔法界ってやつは。

「あと、マクゴナガルが君によくやったってさ。ちょっと様子を見に来てたよ。普通の学生はハナハッカなんて持ち歩いてないし、癒しもそこまでできないってさ。君は癒者になるべきだ」

「あんまり興味はない」

 マダム・ポンフリーなら喜んで推薦状を書いてくれるだろうに。トンクスは眉を下げた。進路相談でも癒者を薦められた気がする。昨年にあれこれあった挙げ句に、とどめの神秘部だったので頭から吹っ飛んでいたが。

「――闇祓いは言わないんだな」

「危険だからね。君なら試験を突破できると思うし、素質はあるとも思ってるけど……」

 だいたい君は学生だってのに巻き込まれすぎてるし、私はとてもじゃないけど闇祓いなんて薦められないよ。

「のんびり家庭菜園でもやって暮らしてもいいと思うね」

「老後かい」

「いいだろう? ゆったりまったりな生活」

「金はあるからな」

「わあ嫌味だ。いつの間にそんな子になったんだ。でも、闇祓いになりたいなら止めないよ。推薦状も書いてあげるし、キングズリーだって書いてくれるだろう」

 君の人生だものね。灰色の眼は真摯な光を湛えていた。ブラック家の灰色。ウィスタが継がなかった色だ。

「……で、ハリーは?」

 視線を逸らす。なぜだかトンクスの双眸を見られなかった。何を言ってしまうかわからない。己の心もなにもかも曖昧だ。

「処罰を受けた。ちなみに退学処分にはならなかったよ。スネイプからの罰則だったかな」

「傷害じゃなく――?」

「事故で片がついた」

 エリュテイアが直前呪文で状況を再現したみたいだね。トンクスがさらりと続け、ウィスタは凍り付く思いがした。

――拙いのでは

 なにがどう、とはいえないが、拙いのでは。

 ごくりと唾を飲み込んだウィスタに、トンクスがにっこりした。

「ハリーに懇々と説教して、現場検証をして、ついでに君が怪我したから怒り狂ってまたハリーに説教してだったみたいだね。主思いのいい従者じゃない」

「あいつは重すぎるんだよ」

 ああよかった、男子トイレが吹っ飛ばなくて。これ以上考えるのはよそう。

 寝るからな、とトンクスに手を振って布団に潜り込んだ。何も考えたくない。

 うとうとしているうちに、トンクスが退出する。入れ替わりにやってきたマダム・ポンフリーに傷の具合を確かめられ、退院してよろしいと告げられた。顎のガーゼと肩やら腕やらの包帯は、後日様子を見て外してくれるようだ。

 迎えにきたエリュテイアに一睨みされ、ウィスタは口端をひきつらせた。

「なぜ我が君は私が眼を離したらいつもこうなのです。いえ、私が至らぬせいですが、寿命が縮む思いです」

 悪い。ぼそぼそと謝り、しくしく痛む胃を抱えて寮に戻り。

「お前武装解除が得意な癖してなんでよりにもよってセクタムセンプラなんぞ使うんだボケ!」

 ハリーに怒りの鉄拳をかました。

 

「先生……どうせ名前だけのことだから問題ないとおっしゃってましたよね」

「状況が変わりました」

 わかってるよ。言い返したいのをこらえ、茶器を手に取った。マクゴナガルの私室は、相も変わらず静謐に満ちていて、博物館か教会のようだ。もっとも、ウィスタはそんな高尚な場所に縁が薄いのだが。コーンウォールのとある村にも一応教会はあったのだが、寂れていたし。

「要は旗頭になればよろしい。チーム自体はポッターが鍛えています」

「そうおっしゃるなら」

 ああ、紅茶が苦い。全部ハリーのせいだ。いいや、ハリーの奇跡的な……あるいは悪魔的な才能のせいだ。

「キャプテン代理を努めればよろしいのでしょう!」

「分かればよろしい」

 マクゴナガルがにっこりした。ウィスタは何も言えなかった。どうにもこうにもマクゴナガルの手のひらの上で転がされている自覚はある。

「あなたは考え過ぎるのです。楽に構えなさい」

「グリフィンドールチームを信頼しすぎているのでは?」

 苦し紛れに返せば、智の神の名を持つ魔女は、涼しい顔で答えた。

「己の生徒たちなのですから。ポッターはたまに予期しないことをしますが」

 まったくだ。嘆息しながら紅茶とクッキーの礼を言い、マクゴナガルの室を辞した。

 医務室から寮に戻り、ハリーを殴り、マクゴナガルに呼び出され「ポッターが試合に出られないのですから頼みましたよ副キャプテン」と衝撃の宣言を受け、と忙しい。試合まで数日どころかあと二日である。どうしろって? どうしようもない。

 急いで寮に戻り、チームに「俺がキャプテン代理になった」と告げた。ついでに「こうなったら余計な小細工はなしだ」とも付け加えた。わらわらと集まったグリフィンドール生からジニーとディーンを名指しする。

「ジニーがシーカー、ディーンがチェイサーを頼む」

 ウィスタはわずかばかりの幸運に感謝した。シーカーの代わりがいなければ詰んでいた。その点、ジニーはシーカーの経験がある。加えてチェイサーとなりうる人材もいた。

 二人はそれぞれに「わかった」と返事をする。ウィスタはディーンに視線を投げた。

「都合で振り回してすまないな。頼りにしている」

 ディーンは肩をすくめ、談話室の隅で静かにしているハリーを振り返った。

「君が悪いんじゃないさ。副キャプテン――キャプテン代理」

「大人で助かる。さて――皆の衆、競技場へ急げ」

 は? と誰かが言う。チーム以外の誰かだろう。ウィスタが観衆でもそう言うだろう。確かに「は?」である。時刻は夜。外出は推奨されていない。

「予約をもぎ取った。ポジションの入れ替えしといてぶっつけ本番は嫌だからな」

 皆まで言う前に、チームは動いた。さすがである。一斉に肖像画まで行き、穴をくぐり抜ける。ハリーのことはまるきり無視であった。

――結局

「幸運だったんだなあ」

 相手がレイブンクローだったこと。ジニーやディーンがきちんと役目を果たしてくれたこと。

 バタービールを飲みながら、どんちゃん騒ぎを眺める。

「あら」

 あなたがチョウを妨害したお陰もあるわよ。隣に座ったジニーがにっと笑う。眼の端にディーンを捉えた。すまないディーンよ。俺はジニーにそういう気はいっさいないんだ。お前の勘違いだ。だからそんなに見ないでほしい。

 ああ、ともうんとも言えない返事をしていると、肖像画が開き、ハリーが転がるように入ってきた。頭を振りながら談話室を見回す。くっと眼を見開いた。

「優勝だ!」

「四百五十対百四十!」

 寮生が叫び、ロンが銀色の優勝杯を振りながらハリーの前に躍り出る。優勝杯に傷がついたらどうしよう。案じるウィスタをよそに、ジニーが立ち上がる。気負いのない、流れるような動きだった。そのままハリーに駆け寄っていく。

「大胆だなあいつら」

 黒髪の英雄殿と赤毛の魔女の熱烈な抱擁と、年相応のあれこれを苦笑いとともに見つめた。観衆なんてそっちのけだ。

「勢いよ勢い」

 いいんじゃない。ハーマイオニーは明らかに面白がっていた。

「あなたは隠すのが上手だけど」

「そりゃなあ」

 去っていく恋人たちを眺め、唇を噛んだ。幸せいっぱいの光景だ。

――羨ましい

 ふと思い、ひやりとした。羨ましい。そうできないからこそ。

「ウィスタ?」

 ハーマイオニーの茶色の眼が細められた。

「いいや」

 返し、立ち上がる。

「風に当たってくる。エリュテイア、ついてこなくていい」

 きつく命じ、談話室を出る。

「気をつけるのよ」

 婦人の声を背に流し、北塔に向かいながら考えをまとめる。

――俺は

 ハリーとは違う。あんな風にはできない。本当は手をとって離したくないけれど。わかっていたことだ。先延ばしにしていただけだ。このままではいられない。

 つきりと痛む頭に顔をしかめ、階段を上る。杖を振り、銀色の守護霊を飛ばした。階段が終わる。北塔の壁に寄りかかり、空を見上げた。星がちいさく瞬き始めている。今頃ハリーとジニーは楽しくやっているのだろうか。

――わかっているのだろうか

 それか、あえて眼を逸らしているのだろうか。ハリーが卒業するまで約一年。もしかして、それまでは平穏でいられるかもしれない。だがその先は? 卒業し、学校を出てしまえば庇護はなくなる。ジニーを残して「どうにか」なってしまう可能性もあるのだ。

 ウィスタの場合は相手が先に卒業する。だが、些細な違いだろう。つまるところ――ウィスタもハリーも恋人などいないという顔をするべきだ。それが安全だ。相手のためにも。

 軽い足音がして扉に顔を向ける。先触れの守護霊が飛んできた。ウィスタは喉が熱くなる。銀色のグリフィン。ウィスタと同じ。

「どうしたっていうのよ」

 柔らかな声が染みていく。ウィスタはいつの間にか膝を突いていた。のぞき込んでくるのは藤色の双眸。白金の髪が、陽の名残を受けて燃えるような輝きを帯びていた。

「クイン」

「ええ。呼び出しが急過ぎるわよ」

「あんたのことが」

 腹に力を込める。言わなければならない。互いのために。

 あんたのことが好きじゃなくなった。言おうとして、けれどもできない。喉がふさがり、舌が絡む。呪いにかかったように、ままならない。何度も何度も想定した。こう言おうああ言おう、と。だというのにどうして。

「――別れよう」

 結局、言えたのはそれだけだった。ぱちり、と藤色が瞬き――みるみるうちに蒼を帯びた。

「ウィスタ」

「うん」

 頭の痛みが酷くなる。なんだろうか。想像と違うのだが。別れを切り出されたら、双眸に涙の膜が張るものなのでは?

「そんなしみったれた顔で切り出されても説得力がないのよふざけてる? あなたが何を抱えているか知らないけれど」

 いい加減に吐きなさい。

 それもう、地を這うような声で言われ、ウィスタは喉が干上がった。明らかに失敗した。藤の魔女の怒りを買ったようだ。悲しませるよりはいいのだろうか。そうだこのまま振ってくれれば万々歳だ……。

「ほかに好きな人ができたの?」

 いや、とこぼした。考えて出た答えではなかった。つい、ぽろりと口にしてしまった。

――しくじった

 あんたより胸のでかい女がどうこう、とか最低な発言をすべきだったのだ。そうすりゃ振られたはずだったのに。別にクインの胸やら尻に不満はないし、そもそもそういう基準で選んで……いないはずだ。おそらく。美人だとは思っているが。

「人を呼び出しておいて、こんな茶番なんて」

 魔力を帯び、藤よりも蒼が克った双眸で、クインが笑む。あれよあれよという間に壁に押しつけられていた。

「正直に、全部、話して」

 長く息を吐いた。無言呪文を行使する。何者にも聞かれないように。邪魔されないように。

「俺はヴォルデモートに狙われ……なおかつ、秘密が漏れれば一族にも始末されるだろう」

 ぽつりと切り出し、己の出自を語った。グリフィンドールの末裔であること、なおかつハッフルパフやレイブンクローの血筋でもあること。

 そうして、罠にはまった祖母と、呪いのように産み落とされた母のこと。

「……だから、俺と別れてくれ」

 すっかり陽は落ちていて、紺色の空が広がっていた。後悔と奇妙な解放感が胸の内で混ざり合う。

 長い――永遠にも思える沈黙。淡い色の唇が、動いた。

「ウィス――」

「分かってる。もっと早く切り出すべきだったし、別れたって恨まないし、あんたは貧乏くじを引くことはない」

 暴れる心臓を持て余す。何を言われるのか怖かった。決定的ななにかを突きつけられるくらいならば、吸魂鬼に囲まれたほうがマシだ。

「別の道を――」

 行こう。言おうとして、唇を塞がれた。一分か数分か、放心しているウィスタに、彼女は言い放った。

「そんな弱気はらしくないわよ」

 私の騎士様。

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