「……さすがレディのものは美味しい」
あなたのご子息のものなんて、飲めたもんじゃない。
「お黙りなさい。立場がわかっているですか、貴方は!」
「囚人ですとも」
鉄格子のはまった、しかし調度の整えられた室。据えられた寝台に半身を起こし、ウィスタは呟いた。マルフォイ邸――の、地下だとあたりをつけている。しかしながら、予想でしかない。なにせ目が覚めたら寝台にうつ伏せになっていて、どうやって移送されたか記憶にないのだ。
「薬もお飲みなさい」
「甘くしてくれないと飲みませんよ」
「……立場がわかっているの?」
「重傷人」
まったくばかげたやりとりだ。看守ことマルフォイ夫人――ナルシッサは眼を怒らせている。彼女をからかわないとやっていられない。息子も息子でいじり甲斐があるのだが、あまりやりすぎると包帯を乱暴に巻かれて痛い思いをするのだ。
「あんたの姉のせいで、肩から腕がちぎれかけた重傷人。ついでに親父も殺されたっけ」
あとなんだっけ。あんたの姉のレディ・ブラックときたら、ブラック家当主の肩もとい怪我を、踏んづけやがったな。お陰で治るもんも治らないね。
立て板に水のごとく言えば、くらりと目眩がした。本当は身を起こしているのも辛い。聖マンゴに放り込まれてもいい傷だ。それを忌々しいスネイプの薬と、ナルシッサとマルフォイ――息子のほうだ――の看護でどうにかしている状況だった。
傷の治りで日数をはかることもできない。ベラトリックスが景気よくひとの肩をぶち抜いたせいだ。せめてどこかを綺麗に斬られたくらいなら、傷口もふさがりやすいのだが。
「もう黙って」
「失礼を、夫人」
看守のくせに、ナルシッサのほうが惨めそうだ。紛れもない勝者の側。リアイスの御曹司を手の内におさめ、もっと勝ち誇ってもよいはずだった。だけれども、マルフォイ一家はやつれていた。息子も似たようなものだ。マルフォイ当主もそうだ。いつも何かに怯えている。
「――なぜ私たちに世話を命じたのですか」
「俺が『ベラ』に脱がされたいと思います?」
「ふざけないで」
理由は色々ある。紅茶を一口飲む。飲んでいる間に考える。毒でも入っていれば苦しむかあの世にいくのだが、マルフォイ一家は無駄なことをしない。貴族ならば、多少の耐性はあるものだし、闇の帝王ことろくでなしが、ウィスタの殺害を望まない。今のところは。
そう、マルフォイ一家はまだ話が通じるのだ。
「あんたらがマシだから。フェンリールとかよりよっぽどな。消去法だ」
ビルの顔に傷を残した狼の名を挙げれば、ナルシッサは顔をしかめた。
「あのようなならず者と同列に語られたくありませんね」
「そんなやつらと一緒の陣営なんて、かわいそうに」
唇をつり上げる。ナルシッサが立ち上がり、近づいてくる。たった数歩の距離を詰め、繊手が振り上げられた。乾いた音。頬が熱を持つ。かしゃん、と鎖が鳴った。ウィスタは避けなかった。もとより避けられるはずもない。両の足首は寝台に繋がれ、首と無事なほうの腕は、鎖で壁につながれている。寝転がったり身を起こすことはできるが、戦闘は無理だ。緑の杖も取り上げられた。指輪と、父がつくった腕輪ははまったまま。拘束しているのだから、多少の魔法具ではどうにもならない、と見逃されたのだ。
「あなたになにがわかるのよ」
英国魔法界の守護者、勇敢なるリアイスに!
拳で胸を叩かれる。突き抜ける痛みに涙が浮かんだ。
「頭を垂れるしかないのよ。私たちは息子を守らないといけないの! 立ち向かえないの! あのお方は……お方は……」
どれほどの血を流してきたことか。
「マッキノンは滅ぼされ、あらゆる名門が傷を負い……狂ったものも……リアイスだって……リーンだって殺されて――シリウスも……どうして、」
どうして。ナルシッサが呻く。両の手で顔を覆った。貴族の女ではなく、ただの市井の女にしか見えなかった。
「こちらに、来ていれば……死なずに」
「できるわけがねえだろう」
母親ほどの年齢の女に告げた。
「父母が屈するものか。あの人たちは真のリアイスだった。やつに膝を折るくらいなら戦う。戦って死ぬ――死んだ」
捨てたくないもの、守りたいものがあったから。
「あんたが息子を大切に思っているように」
「……莫迦な人たち」
逃げていればよかったのに。
戦慄く声。滴が落ちて床に染みていった。
よろめくようにナルシッサが出て行った。出て行く前にもう一発平手を食らった。ベラトリックスよりマシだと思うしかない。
身体は疲れ果てていたが、眠る気にもなれなかった。起きて、これが夢ではないと確認するのが怖かった。
――最悪
死んだら利用されないように、亡骸を消すべきだ。下手をしたら亡者として使われる。あと杖も破壊しなければ。葬儀はなし。考えたくもないが、ある程度は見込んでおくべきだ。
熱が上がってくる。ちゃんとした癒者を寄越せと言おうか。今までもあれこれ文句をつけて、暴れてヴォルデモートの眼がウィスタに向くように――死喰い人も集中させるように――したのだが。囚われたからには、ウィスタにできることは、人手を割かせることくらいだ。
癒者はだめだ。どうせどこからかさらって、治療が終われば処分するだろう。そういうことを平気でするのだ、ヴォルデモートは。
ともかく、ヴォルデモートの手にかかるなんてまっぴらだ。そうなるくらいなら『冬の息吹』で己の首を刎ねる。土産にやつの首も持って行きたいが『分霊箱』がある限り無理か。
「……死に方くらい」
己で選ぶ。
呟いたとき、ウィスタの耳は靴音を捉えた。ひどく乱れた歩調。靴をたたきつけるような歩み。ナルシッサではあるまい。彼女は静かに、しとやかに歩く。息子のドラコでも、当主のルシウスでもない。
激しい音を立てて、格子が開く。背の高い影。血の匂いが牢を塗りつぶした。
「おのれ……」
ぼたり、と何かが垂れる。影が放物線を描いて、ウィスタの寝台に落ちた。転がったのは首だ。眼を見開いたまま。切断面は綺麗なものだ。
――スクリムジョール
息を詰め、訪問者を見る。見ることしかできない。
「おのれ、闇祓い……あの者ども――」
ぼたり、ぼたりと落ちて、床がじゅっと音を立てる。魔法の灯がヴォルデモートの顔を照らした。
――これは誰だ
全身を切り裂かれ、牙にえぐられたような様。あげくにあちこちが溶けている。トム・リドル・シニア譲りの秀麗な面もまた同じ。絡みつくのはどす黒い闇――あれはきっと呪詛だ。きわめて強力な。ヴォルデモートでさえ傷を負わされるほどの。
「生意気な。己の肉体すら賭けおった!」
闇祓いめ闇祓いめアリアドネめ忌々しい俺様のものにならぬなぜ!
軋む声。眼帯で覆われた顔を、もはや変わり果てた面を――燃えるような紅を、ウィスタに向ける。貫くように、リアイスの群青を捉え。
向けられるのは狂ったような熱。
「――さあ屈しろ。壊れろアリアドネ!」
クルーシオ。
夜明け頃、中空に炎が現れた。報せを一読し、息を吐く。
「……厄介な」
いい報せもあり、悪い報せもあり、だ。諸々ひっくるめて主がどこに囚われているか不明なのが最悪だが。以前より、主だった闇の陣営側――貴族家に草を潜らせてはいる。が、彼らをもってしても、尻尾を掴むには至らない。頻々に使用人の入れ替えがあり、潜り込んでも放り出されることしばしば、である。裏方のあれこれは主に伏せているので、もちろん彼は知らないのだけど。
――ヴォルデモートは
各家を転々としている。一ヶ所に長くとどまっていれば、あたりをつけることもできる。しかし、だ。それを逆手にとってわざと長く滞在し、救出に来た者たちを――つまりエリュテイアたちを――罠にはめる可能性もあるのだ。罠だろうがなんだろうが叩き壊すが。エリュテイアから主を奪った罪は重いのだ。
畢竟、今は『待て』の状態だ。悪い想像ならいくらでもできる。殺されないまでも、腕やら足やらを落とされている、だとか。ヴォルデモートにとって主は手駒であり執着の対象だ。滅多なことはしなかろうが……。
「子孫があれほど狂うだなんて、貴方も思わなかったでしょう」
サラザール。
とっくのとうにいなくなった癒し手の名を呼ぶ。段々と歪みはしたし、最後は主と決闘し――出て行った。呪いの言葉を吐いて。捨てぜりふだ。そのはずだった。千年後まで因縁が続いているとは、サラザールも主も思っていなかったろう。
挙げ句に出現したのがヴォルデモートだ。勝手気ままに振る舞う子どもそのもの。愛をねだる獣にすぎない。サラザールのような志もなく、ただ祖の血筋を誇り、力を求め、輝ける太陽を射落として壊した男。
巧くいかぬものだ。懐かしい面影たちと、現代の有様の落差に胸が痛む。
ハーマイオニーを起こさないように室を抜け出す。廊下を進み、洗面室の扉を開く。灯りがともり――緑の眼とかち合った。
「お早いご起床で」
「朝型なんだよね僕」
エリュテイアは腕を組む。暗い洗面室でうずくまっておいてそれか。いいわけが下手である。朝型どころか普段は寝坊気味でしょうに。
「疲れが出ましたか」
あれこれ言いたかったがこらえた。多感な年頃である。刺激もしていられない……。
しゃがみこみ、ハリーの眼をのぞきこむ。母親譲りと聞いている、鮮やかな緑。本来は生き生きとしているそれに、影があった。名残の火がちらついている。昔々は、命の彩、と呼ばれていたはずだ。癒し手一族の清澄なる白銀の髪とぬくもりのある紅は敬われていた。
今となっては禍つ星の
「――なにを見ました」
質問ではなく詰問であった。ハリーとヴォルデモートの間に繋がりがあるのは明白だ。前代未聞の呪いによる繋がり。まるでヴォルデモートの一部が、ハリーに寄生しているような。
つきり、と頭が痛む。寄生。一部……欠片――とまで思い浮かび、しかしハリーの言にかき消される。
「あいつが怒ってる。僕を取り逃がしたから。逃がしたし……どこもかしこも痛くて、焼けるみたいで」
巧くいかなくて。
「手に入れたいのに手に入らなくて、八つ当たりしてたんだと思う」
呟くようにハリーが言う。唇を噛んでいた。エリュテイアはハリーをざっと検分した。主は過去視の反動で、時折傷を負うことがある。しかしハリーの場合はそういったことはないようだ。
――強いて言えば
遠視の能力に近いか。それか憑依。多少の時差はあろうが、ヴォルデモートを覗き見る。異様なほどの魂の近さ。
単なる浸食ならば、言動が段々と闇の帝王のものになっていく。いわゆる身体の乗っ取りだ。エリュテイアもといノクトの時代ですら、御伽話に近かった。やはりハリーの繋がりは呪いによるものか。それにしては、いささか強い繋がりに思えるのだけど。
「朝食をつくりますから」
ハリーの腕を引いて、一階に降りる。杖を一振りして、最低限整えた。それでも床や壁の爪痕は消えない。
厨房の埃も払い、簡単な食事を用意する。ブラック邸の食料はそのままであった。合間に、フラーや双子たちから渡された革袋をあらためた。
マグルの貨幣や、真珠などの貴金属、薬や透明マントも入っている。そしてデラクール家の徴も。さすが我が姉夫妻。
双子たちからのものは、鍵開けナイフや悪戯もとい攪乱グッズ、ついでといわんばかりに愛の妙薬、とどめに真実薬だ。気が利いている。
――これからどうするか
主の探索も急務。『分霊箱』の探索も急務。できることをしなければ。となると本物のロケットを突き止めなければならない。
まったく、本物の『分霊箱』を奪取し、偽物を置いていった者は天晴れというほかない。破壊までしていてくれれば仕事が減るのだが。
手紙に書いてあったイニシャルを呟く。筆跡は優雅で、少し硬質。金のロケットには削った跡があった。家紋でも刻まれていたのだろう。となれば、それなりの家格の出。そして闇の帝王を出し抜けるほどの実力者。
盆にトーストとソーセージ、紅茶にサラダを載せていく。スープもつけたかったが割愛した。
浮遊させ、厨房を出る。
「B……」
家名がBで始まる家系。あれこれとあるが、既に氏が絶えたものも多い。祖の血筋を誇り、あえて名乗る場合もあるだろうが。いいや、闇の帝王のふところに潜り込むのならば、今でも家格が高く――。
食堂に入りかけ、立ち止まる。
「……まさか?」
無意識に除外していなかったか。もし『彼』ならば、確定してしまうことになる。主にとって唯一といってもいい、父方の親しい血族が――。
扉を開ける。盆が卓に載った。しかしハリーはいない。どこに、と思いつつ、頭は別のことでいっぱいだ。
広間、誇らしげに飾られたかつての栄光の証へ歩み寄る。純血よ、永遠に染まらず濁らず色褪せずと描かれたタペストリー、その末端に。
純血の大名家、スリザリン系の筆頭。かつてユスティヌを戴いていた臣の血筋。にも関わらず、間諜として闇の陣営にもぐり込み、頭角を現した。今もって消息は知れない。
『亡骸だけでも連れて帰ってやりたいが』
いつか、主の父が呟いていた。あれにはまだ内緒だぞと言って、オートバイを修理していたときだったか。
『家督を俺に、俺が死んでいたらウィスタにと遺書まで残していたから。そういうことなのだと思う』
弔ってやりたくても亡骸がないんじゃな。困ったやつだ。
『不器用で、莫迦な……』
靴音がする。振り向けば、眼を爛々と輝かせているハリーがいた。
「僕……見つけたかもしれない。二階の室――」
「ええ、きっとそうでしょう」
エリュテイアは頷き、その名を呟いた。
レギュラス・アークタルス・ブラック
「――灯台もと暗しね」
ハーマイオニーはトーストにかぶりつき、紅茶で流し込んだ。エリュテイアとハリーが呆然としていたのが十分前。ほどなくしてロンとハーマイオニーが「ハリーがいない!」と駆け下りてきて一悶着あった。エリュテイアは主をしばしば説教しているが、己がされるのは久々だった。ノクトの時代はあったかもしれないが、記憶が蓄積されるにつれ「人間離れしている」だとか「人形のよう」だとか言われるようになり……今世は親もきょうだいも祖父も壊れていたので、エリュテイアは一人で育ったようなものだ。
新鮮な気持ちで説教に耳を傾けていると「反省しているの? 心配させないでよあなたたち」とさらに叱られた。ハーマイオニーがひとしきりぶちまけて落ち着いた頃を見計らい、ハリーが「ロケットの持ち主がわかったんだ」と切り出した。しかし、ロンの腹の虫が緊迫した空気を破ってしまった。仕方がないので朝食をとりながら話そう、となり今に至る。
「早く気づけばよかったのですが」
その一言に尽きる。すべての符号がぴたりと合ったというのに、まったく思いもしなかった。
「仕方ないよ。思いつかないときはほんとに思いつかないもんだし」
朝食をあっという間に平らげ、ロンが返し、ハリーが続けた。
「……で、偽物の主がレギュラス・ブラックだとして」
本物はどこだ?
「銀食器などはありましたし、たいていの家財道具その他もあらためたものですが」
ブラック家当主は主である。家督、ひいては本邸も別邸も資産も手に入れている身だ。本邸一階は主が景気よく壊したせいで悲惨なことになっているが、ブラック累代の宝はしかるべき場所に安置されていて無事であった。宝石類や短剣、鏡、魔法具や書物。おぞましい品もあった。価値あるものは運び出し、たいした値につかないものは放置した。その中にロケットはなかった。
「……騎士団本部設立の際、軽く片づけも――」
記憶を探る。打ち捨てられた邸であったので、人が住める状態にするのは骨だった覚えがある。古い写真やマーリン勲章、黴びた本などは主の父――シリウスが捨ててしまえと言っていた。
「言って……それで――」
ブラック家を呪っていた男。純血を誇る己の家系を忌まわしく思っていた。あらゆる品が嫌悪の対象で、できれば邸ごと燃やしてしまいたかったろうと思う。憎むにしろ愛するにしろ激しさを秘めた魔法使いであった。しかし、ブラック家にすがり、依存する者もいたのだ。
「クリーチャーが持っているやも」
主は妖精の行いに眼をつぶっていた。どうせいらないものなのだから持って行くぶんには構わないと。主なりに妖精を一個の人格として認めていた。認めていたというのに。
「吐かせましょう」
声に熱が宿る。当時の感情がまざまざと蘇る。あらゆる理不尽をエリュテイアの主になすりつけた妖精。あの場で始末しなかっただけ誉めてほしい。
『坊ちゃまが言ったのですよ』
腐った笑み。濁った両眼。主の顔から血の気が引き、眼は燃えるような紅に輝いた。些細な言葉が、致命的な結果を引き起こしたのだと突きつけられて。
「乱暴はしちゃだめ……」
「さて。あれの態度次第ですよ」
言うや否や立ち上がり、厨房へ戻る。隅の納戸が妖精のねぐらである。邸とともに放置していたので、もしかしたら死んでいるかもしれない。相当な高齢であるし。遺体が――頭部が残っていれば、多少の情報を集めることができるだろうか。難易度が高いうえに不確実で、あてにはできないのだけど。しかも新鮮な遺体でなければならない。最悪、回収して第三分家か第四分家に押しつけるか。
段取りを考えながら、納戸を開ける。ざっと見た限りがらくたの類はない。エリュテイアは手を伸ばし、つんとした臭いのする毛布をはがした。
「雌獅子め……ここを誰の邸だと。穢れた血と血を裏切る者まで――」
しわだらけの、老いた妖精がエリュテイアをにらみあげる。エリュテイアも負けじと冷ややかに言い切った。
「ブラック家の当代当主はウィスタ様です。そして彼らはウィスタ様のご友人。口を慎みなさい」
反駁する暇を与えず、次の矢を打ち込んだ。
「ロケットはどこです? ブラックに所属するものは、塵芥にいたるまで当主のもの。おまえがかすめ取ったのなら、返しなさい」
「あれは――あれは、レギュラス様のものだ。ブラック家当主の」
「そのレギュラス様は、兄君へ家督をお譲りになった。そうしてレギュラス様の甥が当主とおなりだ」
「クリーチャーの主は、レギュラス様だ」
杖を握る手に力を込める。小さな、忌々しい妖精。同じ空気を吸うのすら厭だ。主のためでなければ口も利きたくない。
「お前はレギュラス様を殺した者の陣営に協力した。レギュラス様の兄を殺し、甥を深く傷つけた」
情けなどかけるものか。いかに妖精が虐げられていたとしても、断固としてかけるものか。不満をため込んでいた。それはいい。ため込みもするだろう。だが。
「復讐をしたいのなら、己が手でなせばよかった! ウィスタ様を壊して楽しかったか妖精。己のせいで父が死んだと思わせてさぞ満足だったろう!」
ひくり、と妖精の喉が震える。
「ブラックよりリアイスを選んだ人です。そして坊ちゃまはリアイスとの混血です」
か細い声だった。震える手が、すがるように毛布を掴む。
「悪い子でした。だから」
「お前は己が主と思う人間を裏切った」
「クリーチャーはレギュラス様を裏切ってなど」
「裏切った」
ゆっくりと、噛んで含めるように続けた。
「彼が家督を譲ってもいいと思ったひとを、お前が殺した。彼の甥の言葉を盾にとり、言い訳をして死ぬようにし向けた」
レギュラス様は、お前に失望なさるだろう。
とどめの一言を突き刺せば、妖精が痙攣した。
――これで戯言を抜かすようならば
心をこじ開けるしかあるまい。やりすぎると壊してしまうが、構うことはない。反吐が出るような裏切り者の命など頓着しない。
「クリーチャーは、レギュラス様の命も守れず、裏切った……坊ちゃまのことも――」
壊せなかった。ぽそりとこぼされた呟きは涙に濡れていた。ハーマイオニーがハンカチを差しだそうとするが、エリュテイアは一睨みしてやめさせた。
「命とは?」
「本物のロケットを壊せと。最期に命じられたのに」
話は行きつ戻りつした。十数年前のとある日に、ヴォルデモートが妖精が必要だと言ったこと。レギュラスが妖精を差し出したこと。洞窟に連れて行かれ、毒薬を飲まされ、本物のロケットが盆に入れられた。妖精は放置されたが……。
「帰ってくるようにとレギュラス様はおっしゃった。だから帰って……」
なにがあったのか、事細かくお話しました。水盆とロケット――エメラルドでSがかたどられたロケット。強力な守り。わざわざ妖精を使って確かめるほどの。
「レギュラス様は、洞窟に自分を連れていくようにおっしゃいました。クリーチャーは従いました。そして」
己が薬を飲むから、お前はロケットを奪取するのだ、と。
「やらねばならないからと」
「レギュラス・ブラックは」
死んだのですね。
問いかけても、妖精は答えなかった。どのみち嗚咽に紛れて聞こえなかったろう。エリュテイアは堅く眼を瞑った。湖の中央に小島があり、毒薬の守りがある。周りを固めるのは亡者だ。レギュラス・ブラックは『分霊箱』をかすめ取り、しかし毒薬で弱り切っていた。亡者に引きずり込まれたのだろう。誰にも――妖精以外誰にも知られることもなく。
「彼は勇敢だった」
厳かにハリーが言い、妖精の前に片膝を突いた。
「教えてくれ。レギュラス様のロケットはどこにある?」
精一杯の優しさを込めた問いに、妖精は首を振った。
「あの盗人が……マンダンガスとかいう盗人が! 奪っていきました」
エリュテイアは後悔した。それはもう後悔した。
いつだったかのホズミード村で、卑しい盗人を締め上げなかったことを。
「あの恩知らず」
エリュテイアは毒づいた。ならず者に情けをかけるべきではなかったのだ。主の意向に背いてでも、マンダンガスから物品を奪還すべきだった。
「クリーチャーが捕まえてくれるわよ」
ハーマイオニーが『吟遊詩人ビードルの物語』から顔を上げた。ロンは火消しライターをもてあそんでいる。ハリーは温めたミルクを飲んでいた。ブラック本邸にこもって早数日。下手に出入りするわけにもいかず缶詰である。
「あと一日経って帰還しなければ、増員します」
なにせ老いた妖精である。レギュラス様――ブラック家のロケットのために奮戦するだろうが心許ない。リエーフからも応援を出すべきだろう。盗人一人捕まえるのには十分すぎる措置だ。エリュテイアが出向いてさっさと片づけたいのだけど、あちらこちらから情報が飛んでくるので、詰めている必要があった。
――それに
エリュテイアが不在の時に、何事か起これば目も当てられない。三人とも若いのだ。おびき出されたり、なにかの罠にかかったり、不測の事態が起こらないとも言い切れない。
また『炎』がやってきた。羊皮紙を掴み取り、一読する。
「スクリムジョールは公的には辞任。実際は殺害……」
報せを読み上げる。情報伝達の『炎』は遠隔地と瞬時にやりとりが可能だ。不死鳥の『炎』を元に、第三分家が開発した。人と人を結ぶ術式を場所と場所――暖炉を繋ぐものに改変したのが『煙突飛行ネットワーク』。これもまた第三分家が噛んでいる。
リアイス一族およびリエーフ一族の情報伝達は速い。数日前の結婚式襲撃から、断片的に情報は入ってきていた。しかし、はっきりしたことはわからなかったのだ。
「闇の帝王が直接乗り込み始末したものと思われる」
「――目撃者はいないの?」
「スクリムジョールはいち早く人払いをしたようです」
ある程度予期していたのだろう。闇祓いをすべてそろえて迎撃すれば、決して勝てないこともなかった。しかし、完璧に戦場を整えるには状況が悪すぎた。
「みすみす殺されたのか?」
ロンの声が高くなる。またも火消しライターをいじくり、邸の灯りが消える。ハーマイオニーがロンをにらみつけ、ロンは縮こまった。
「……大臣室は血の海で、使える状態ではないようです。肉塊がいくつもあったとか」
ウィーズリー一家の無事や、騎士団員の無事自体の伝達は速かったのだが、省は混乱し、あらゆる情報が錯綜して事実を洗い出すのに時がかかったようだ。
「後任はシックネス。服従の呪文にかけられている。本人はスクリムジョールから指名されたと主張……なお、スクリムジョールの亡骸には首がなかったとか」
「見せしめとか?」
ハリーは今にも吐きそうな様子だった。ロンはロンで「僕はしばらくトマトスープを食べられそうにない」とぼやいていた。慣れれば肉でもトマトスープでもなんでも飲み食いできるのだが、それを求めるのは酷だろう。
「いえ。そういった動きはありません。あれは暗躍するようですし」
ヴォルデモートは大臣就任宣言をするほど愚かではなかったようだ。傀儡を立てておけば、正式な辞任と就任という体を押し通せる。限りなく黒に近かろうが、ひとまずは民衆を封じられる。
「就任してしまえば反乱が起きますし、外――大陸や亜にも英国が陥落したと明らかになります。傀儡を立ててしまうのが一番いい」
相当な無理筋だ。無理筋でも公権力は強い。しばらくは保つだろう。
「リアイスが暴れるんじゃ?」
「まだ穏和しいですね」
「あなたたちの穏和しいは世間では暴動なのよ」
「かわいいものです」
魔法法執行部の長、ネメシスは軟禁を受け入れ、傀儡政権が用意した宿では満足せず、無理難題をふっかけているのだとか。どこぞの王族のように振る舞っているようだ。腹心ともいえる部下は「海外留学中」で消息不明。死喰い人が追っているが捕まっていない。
闇祓い局に属する、ルキフェルを始めとしたリアイスおよび関係者は「休暇中」。長のガウェインは「一気に有休を消化したいと言われれば断れないだろう」と死喰い人に告げたそうだ。頭に血が上った某かが呪文を放ってきたので罪人として引っ立てた云々。
ほかの部署でも休暇中の人間が続出している。それはリアイスに限ったことではない。
――スクリムジョールが逃がしたのだろう
大臣室から轟音が聞こえる前に、駆け抜けるいくつもの光を見た、といいう目撃証言も記されている。
「ほかには?」
「マグル生まれ登録や……」
それ以上口にせず、ハリーに羊皮紙を差し出した。どれどれとロンとハーマイオニーものぞき込む。一秒か二秒か。三人そろって怒りの声を上げた。
「めちゃくちゃだわ」
「逆行しているのは確かですね」
ハーマイオニーは毛を逆立てているが、エリュテイアにとっては驚くべきことではなかった。声高にマグル生まれ排斥を言う輩は常にいた。穢れた血と口にすることが、珍しいことではなかった時代もあり、リアイスは敬われながらも「穢れた血贔屓の武門」と陰口を叩かれることもあった。何年もかけて混血が進み、マグル生まれの魔法使いや魔女も増え、ようやっと魔法界に倫理がそなわったのだ。
「そうして政策の転換にともない、傀儡政権が心おきなく動こうと思えば、ハリーやリアイスを貶めるのは必至……我が主家を、どこまで怒らせるつもりですか」
よりにもよってハリーとリアイスが結託してダンブルドアを殺害どうこうの流言が日刊予言者に掲載されているようだ。誰が信じるかと言いたいが、百人のうち数人は信じるだろう。
「学齢児童はホグワーツに通うこと――血統書……」
ロンは唇を噛んだ。エリュテイアは肩をすくめる。これも主家の怒りを買いそうだ。魔法省がくちばしをつっこんできて、マグル生まれの排斥や義務化を要求してきたこともあった。挙げ句に強引に介入してこようとしたので丁重にお帰り願ったものだ。
「こちらは実効性に乏しいですが……」
血統書の偽造が横行するであろうし、海外に居を移す者もいるだろう。そもそも、入学名簿に名前が載れば資格があるのだ。それが原則だ。ホグワーツ側が把握していないはずがない。どうとでもなる――が。
「マグル生まれは入学を控えたほうがよいでしょうね」
ため息が漏れる。手続き上は問題なかったとしても、今のホグワーツに入学するのは得策ではない。なにせ校長はスネイプで、マグル学の教授も死喰い人の兄妹だ。危険にすぎる。
一旦海外の学校に入り、すべてが無事に片づけば英国に帰還するか考えさせればよい……と考えていると、またも炎がやってきた。ホグワーツ側が密かに動き、ひとまずマグル生まれの生徒を逃がすのだとか。イルヴァモーニーや諸々の魔法学校と連携するようだ。
――スラグホーンはここぞというときに役に立つ
彼の人脈も一役買っている、と書かれている。各界に教え子がいるスラグホーンのことだ。マグル生まれの留学という名の避難に、密かにしかしすばやく動いている。
「少なくとも、マグル生まれの子どもたちが虐殺されることにはならないでしょう」
今はこれで満足するしかない。
◆
ハリーが震える手でエリュテイアに羊皮紙を返したとき、かすかな音がした。玄関ホールか、と杖を抜く。立ち上がり、ハリーたちを振り返る。唇に指を当てれば、彼らは穏和しく黙った。
音を立てずに玄関ホールに踏み入る。罠も警報も発動していない。古びた外套を着た魔法使いが片手を上げる。
「私だ。リーマスだ。ウィスタの養い親、ニンファドーラの夫……」
ふ、と彼の顔が陰った。エリュテイアは彼を眺め回す。姿はリーマス・ルーピンそのものだ。が、油断大敵だ。
エリュテイアは片手で杖を突きつけたまま、空いた片手を口許へ持って行く。指を噛み、滲んだ血を己の額になすりつけ、ルーピンを名乗る男にも同じようにした。
「なにを……」
「
眼を見開いているルーピンをよそに、古い呪文を唱える。血が淡く輝き、不可視の糸が二人を繋ぐ。エリュテイアは杖を下ろし、ルーピンに一礼した。
「失礼を致しました。証はここに立てられました」
どうぞお上がりください。
エリュテイアはルーピンを居間に招いた。ハリーたちが歓声を上げる。しかし、喜びの気配はあっという間に消え去った。
「……駄目だよ」
身重のトンクスの側にいてやらなきゃ。
ハリーの拳は震えている。なんて莫迦なことを、と緑の眼が言っていた。彼に相対するルーピンも似たようなものだ。眸に金の影が差している。
――どうしたものか
ルーピンがハリーたちを心配してやってきたのはいい。ダンブルドアの密命がなにかわからないにしろ、旅に同行したいというのもまあいいだろう。しかし、だ。まさかニンファドーラ・トンクスが身重だとは。
「私は結婚すべきではなかった。間違いだった。ドーラは実家で安全だ……」
深くうなだれるルーピンの姿は、主を思わせる。狼人間と混ざりもののリアイス。蛇の血をまぜられた幻獣。
「トンクスのことを好いているのでしょう?」
「彼女を世間ののけ者にしてしまった……」
手を離すべきだった。
ルーピンは叫び、椅子を蹴る。脚が一本もげて吹っ飛んだ。
「親子でそんなとこまで似なくていいよ」
ハリーが唸る。ルーピンの胸ぐらを掴んだ。もうそうできるだけの身の丈になったのだ。
「ウィスタはウィスタでやっかいな血筋でぐだぐだ悩むし! あなただってそうだリーマス。トンクスは幸せそうにしてた。僕にどれだけ指輪を見せびらかしていたか。だいたい彼女は厭なら結婚しないだろう。覚悟の上だ」
腹をくくっていないのはあなただ。ハリーはぴしゃりと言い、歯を食いしばった。
「僕は信じたくない。あなたが腰抜けだなんて」
次の瞬間、ハリーが吹っ飛んだ。壁に激突する寸前で、エリュテイアは滑り込み細い身体を受け止める。衝撃で息が詰まる。生理的な涙がにじむ。
ぼやけた視界に、悩める人狼の姿はなかった。