【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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六十一話

 次々と呪文が飛んでくる。マグル生まれどもめ、と誰かが叫んでいる。なるほど善良なる省員の皆様か。多少は死喰い人も混じっているとみた。

 暖炉から中継点の小部屋――トイレの個室に移動し、さあ姿くらましをするかと思えば追いつかれた。仕方なしにトイレを脱出し、追いかけられているわけだ。

 ハリーが後ろに向かってインスタント煙幕を投げる。彼はシーカーだけでなく、チェイサーの才能もありそうだ。悲鳴とともに闇が広がる。エリュテイアはやっとのことで杖を振った。

「――行きますよ!」

 三人の手が伸びてくる。転移の力が発動する寸前、あてずっぽうに放たれた呪文が飛んできた。気が逸れる。誰かが光線を弾く。景色が滲み、跳んだ。

――まずい

 制御を取り戻そうとする。しかし、手綱はするりと抜けていく。暴走の代償か、ひどく頭が痛み、意識が混濁する――。

 ◆

 ルクスが生まれたとき、父はいなかった。戦場から主を逃がすために囮となり杳として行方は知れない。だけれどもルクスは知っている。父は死んだのだと。ルクスは父だったときの記憶がある。ところどころ虫食いの記憶。その中でもひときわ灼きついた思いがある。

――ユスティヌが、と

 あちらこちら欠けた記憶。白銀の髪と青と紅の双眸。魔女である。主の首。きらめく短剣。なにかを語り、父を殺した。鉄錆の香り。呼吸もままならず、あふれ出たもので溺れ、もがき、息絶えた。

 父は最期に祈ったのだ。

 どうか。

 この記憶を引き継いでくれ、と。

 

 

 

 ティア、と誰かが呼んでいる。

「エリュテイア! ウィスタが呼んでるわよ!」

 まどろみが吹き飛んだ。眼を開ければ、茶色の双眸がエリュテイアをのぞき込んでいた。鼻腔を薬の香が刺激する。

――ハナハッカか

 呻きながら身を起こす。寝台の上だ。どうやらテントのなかにいるらしい。

「……どこに」

 頭が揺れた。問いは最後まで言葉にならない。しかし、ハーマイオニーは意図を察した。

「どこかの森。たぶん北のほうかしら。あなた、ちょっとばらけちゃって……とにかくテントを組み立てて寝かせたのよ」

「ありがとう」

「無理をさせたのは私たちだもの」

 ハーマイオニーは肩を落とす。杯に薬を満たし、差し出してきた。

「けっこう酷かったようですね?」

 中身は強力な魔法薬だ。失血を補うたぐいのものだった。

「足が半分ちぎれてて……」

 怖かったわよ。グリフィンドールの才女は涙目であった。彼女はマグル生まれであるし、刃傷沙汰にも慣れていない。ばらけのような怪我にも不慣れだろう。混乱したろうに、よく的確に治療をしてくれた。初期の治療によっては、エリュテイアはまだ昏倒していたろう。

「大丈夫ですよ」

 努めて穏やかに返したとき、テントの扉が叩かれた。やってきたのはハリーとロンである。

「エリュテイア、目が覚めたんだね」

「いやあ、血みどろ殺人現場みたいだったんだぜ」

 ちゃんと証拠の隠滅はしといたよ。ロンは胸を張る。

「魔法省で雨降り部屋をどうにかしてたとき、掃除のおばさんが助けてくれてさ……掃除の魔法も教えてくれたんだ」

「防護の魔法もかけてある」

 それぞれに椅子に腰かけ、エリュテイアを見やる。

「どうする? ロンドンに戻る?」

 もちろんエリュテイアが回復してからだけど。ハリーの問いに、エリュテイアは首を振った。彼が身につけているロケットを見つめ、返す。

「『分霊箱』は手に入れました。危険を冒して戻る必要もないでしょう」

 

邪悪なるを封じ(ソー・マルム)

災いを退ける(ディフェンシオ・アドウェルサ)

 詠唱とともに、手のひらを切り裂く。地に置いたロケットの周りを紅の円が囲んだ。

万全の守りを祈る(ラレ・プロデコ・マキシマ)

 いびつな円が輝く。燃えるような真紅に輝き、中空に浮かぶ。寄り集まり、ロケットに吸い込まれていった。

 エリュテイアは息を吐く。成功したようだ。

 震える手でロケットをすくいあげる。かつての己――ノクトがみたときは、エメラルドはすべてはまっていて、Sの字が鮮やかであった。いまでは宝玉は欠け、闇の魔術の品となり果ててしまった。

――失われていたほうが

 よほどよかったろうに。サラザール本人に訊きようもないが、顔をしかめることであろう。決闘にもつれこむ前――若い頃の彼ならば、きっとそうであった。

「狂ってしまった貴方。口にしてしまった呪いの言葉も、きっと……」

 友情が壊れ、親友と戦い破れた末の、激情のままに言っただけだったのだろう。あれはただの言葉であった。サラザールとて心が乱されていたのだ。まさかあのときの因縁が、ここまで続くとは誰が思うだろうか。

 スリザリンは憎い。あの決闘さえなければ、なにかがもう少し巧くいっていれば、結末は違ったかもしれない。狂ったサラザールが子に憎しみと呪いを吹き込んだのは確かで。連綿と引き継がれていった。あげくにゴドリック様の子孫は子孫でスリザリン毛嫌いし、裏切り者を輩出し……ユスティヌが誕生した。ままならないものだ。

「きっと破壊しましょう」

 誇り高き癒し手が大切にしていた品だ。このように辱められてよいものではない。

 ノクトは覚えている。後年災厄の種になってしまったけれど、ぶっきらぼうな彼が、ノクトを治療してくれたことを。そして。

「ゴドリック様もお望みでしょうから」

 立ち上がる。テントのほうへ歩みつつ、顔をしかめた。『分霊箱』を壊さねばならない。危険きわまりないものだ、と記憶が囁きかけている。

 ナハトであったとき、『分霊箱』のために殺された。捧げられた。そして、次の代でなにかを見ているはず。だというのにぼやけている。灼きついた思いだけが警鐘を鳴らす。

 あれはこの世にあってはならぬ、と。

 消さねばならぬ。

『もう』

 助からない。

 信じられるものか。証を……。

 遙か彼方から聲が聞こえる。意識が塗りつぶされる。

 青と紅の双眸。強靱な意志を秘めたそれ。柩。耐え難い痛み。願い、祈り。応え……。

 はじまったと同時に過去は消え、エリュテイアはエリュテイアに戻った。

 目眩がしてしゃがみ込む。

「ああ……」

 思い出さねばならぬ。なんとしても。

 

 じっとりと汗がにじむ。エリュテイアは唇を噛んだ。痛みが冷気を凌駕する。陰々と響く聲。出所は『分霊箱』だ。肌に直接触れぬよう、小袋に入れて替えの鎖を結んで首から下げている。それに封印もほどこしているというのに、無力化するには至らない。

――ユスティヌめ

 とんでもない代物をつくってくれたものだ。そもそも、魂を裂くなんて発想がどこから生まれたのか。グリフィンドールにも秘術はあるが、あれは贄を必要としない。突き詰めればただの祈りである。

「――吸魂鬼ね」

 ハーマイオニーが窓の外に視線を投げる。食料を手に入れようと、町の近くに姿くらまししたのだが、無駄なようだ。人里には吸魂鬼がうろついていると思っていい。

 ハリーとロンが戻ってきたら、すぐに移動したほうがよいだろう。

「……ものすごくいけないことをした気分だよ」

 髪をしめらせ、衣も湿らせて、ハリーとロンが帰ってきた。

「お金を置いていったろう? マグルのお金はよくわからないけど」

「足りるようにはしたけどね」

「吸魂鬼さえいなけりゃ、もっと買い物したかったなあ」

 じゃれ合いながら、二人は次々と物品を取り出す。検知不可能拡大呪文は便利にすぎた。肉に野菜に卵にそのた諸々。缶詰もある。上手に詰め込んであった。芸術的だわ、とハーマイオニーがほめれば「ダーズリーんとこの家政婦やってた甲斐があるよ」とハリーは遠い眼をした。

「僕だってフレッドとジョージに鍛えられてくすねるの――」

「さっさと行きましょう」

 手早く荷物をまとめる。『冥夜の灯火』のおかげで吸魂鬼を退けられるが、なにがあるかわからない。人里近くから離脱するのが賢明だ。

 各地を転々とした。もはやダンブルドアはいない。さすがの彼も残りの『分霊箱』を見つけだす余裕はなかった。

――残り時間を悟っていて

 どうにか手がかりを――あれの過去と内面を教えることに注力したのだろう。

 躍る火を眺める。人里離れた森の中。ロンは腹が満たされて機嫌がよいし、ハリーは静かだった。ハーマイオニーはうつむいている。おそらくだが不調と『分霊箱』の影響が重なっているのだろう。同性なのでそれとなく訊いてみたら、苦々しげに頷かれた。そしてロケットを引き受けようとしたら拒否された。『分霊箱』は公平に分担しないと。そうでないと、後で絶対喧嘩になるわよ、と。

 エリュテイアにできることは痛み止めやらをつくってやることと、心地よく眠れるように配慮することくらいだった。彼女は強い魔女だけれども、夜はひっつかないと眠れないようだ。もちろんロンには秘密である。彼は嫉妬深いので。さっさと告白すればいいものを。ハーマイオニーが受け入れるかは知らないが。手に入れたいのなら、思いを告げるしかないのだ。

――その点

 ヴォルデモートもといろくでなしは愚かであった。主が生まれた――もとい、主の母先代《ランパント》が生まれた経緯は想像がつく。あれはグリフィンドールの女を屈服させたかった。支配したかった。先代はその証。本来、あれが不死にこだわるのならば子はいらないはずだった。だというのにわざわざグリフィンドールの女を手籠めにしたのは執着ゆえだろう。本人は矛盾に気づいてもいないやもしれない。もとからスリザリンは血族の結びつきを重んじ、家族を大事にする性分であった。あれの場合はかなり歪んでいる。アリアドネも面倒な男に目をつけられたものだ。壊れても仕方がない。

 たき火に手をかざす。夕暮れ時。森の中だけあってあたりは暗い。そのせいだろう、心が沈んでいるのだ。なんの兆しもないのだから。エリュテイアはただ待っているだけ。なにもできていない……。

『ノクト』

 震える聲が耳朶を震わせる。

『遠い遠い未来、あなたの子孫は苦悩しているようでした。けれど、予言しましょう。時きたれば思い出す。すべてに意味はある。点と点はつながり、欠けたものは満たされる』

 神秘の紫。絹糸の黒。希代の予言者にして預言者。未来を見通す者。ロウェナ・レイブンクロー。

 寝台に横たわり、ノクトの手を掴んでいる。枯れ枝のような手。あれほど瑞々しかったのに、と心が痛む。

『どうかお願い。ゴドリックの子孫……いえ』

 ふ、と紫眼がさまよう。唇が動いた

『わたしたちの子孫を、守ってあげて……酷く苦しんでいるわ……哀れな――陰がある……。共にいてあげて。幾世隔てるかわからぬ、遙かな先の話だけど』

 わたしはもう、ゴドリックの莫迦を見守ってあげられないから。出て行ったサラザールはどこに行ったのかしら……。

『彼が出ていかなければよかったのに』

 喘ぎ喘ぎ、先視が言う。そこで過去は終わった。

「誰か来る」

 ハリーの声が、エリュテイアを引き戻した。

「息を殺して。防護はかけてあるけれど」

 呼びかけに、一同は言うとおりにした。ロンが素早く火を消す。あたりは暗闇に覆われた。月と星の光が、影を浮かび上がらせる。

 話し声と水音。足音は五人分か。ひとつは軽い。そして森を歩き慣れていない。小枝が折れる音が響く。

「それでテッド、君はどうして家を」

「マグル生まれでね。妻は純血だから問題ないし、ひとまず身を隠そうかと」

 そしてディーンと会ったのさ。

 ハリーとロンが息を呑む。ハーマイオニーは手で口を覆った。エリュテイアたちがいるとも知らず、一行の会話は弾んでいる。

「僕は生まれを確かめようがなくて。ホグワーツにも戻れないし」

 友達の家を頼ったら、どんなことになるか知れないし。

「巻き込みたくなくて、それで。ダークさんはどういった?」

「私は連行されそうになったんだが、不真面目な闇祓いが逃がしてくれてね」

 ついうっかり拘束がゆるくなっていて。笑い含みに男の声が言う。

「なんやかんやで彼らも一緒にね」

「魔法使いにも話が分かるものはいるものだ」

「それに比べて上が腐っているともわからぬ狗どもは」

 侮蔑の声は小鬼のものだ。

「意趣返しはしてやりましたよ」

 今度は別の小鬼である。

「なにを――?」

「若い魔法使い。君はグリフィンドール生だとか。ならば剣のことは」

「校長室にあるんだろう?」

「だが、スネイプがグリンゴッツに移したとか」

 ダークの声が言い、小鬼たちはくつくつと笑った。

「あれはよくできた写しです。一流の錬金術師の作ですな」

「で、訊かれなかったので言いませんでした」

 大いにあり得るな、とエリュテイアは頷いた。写しを作ったのはナイアードだろう。それか、リアイスに写しなどたくさんあるのだから――甲冑でも剣でもなんでも――どうとでもなる。下手をしたら、ゴドリック様がつくった試作品が残っているかもしれない。あれはどこに行ったんだったか。

――剣

 なにかが刺激される。眉間に皺を立て、考え込んでいるうちに一行は去っていった。

 穴だらけの記憶が語りかける。

――剣がいるのだ、と

『あなたは思い出す』

 隻眼となった主。同じく隻眼となったスリザリン……それを成したのは輝く剣。紅に染まり……。

「ハーマイオニー」

「なあに? まだ交代しないわよ。しないったらしないわよ」

「フィニアスの肖像画を」

「だからしな――肖像画?」

 ハーマイオニーの手元が狂い、たき火が大きく燃え上がった。ロンが悲鳴を上げ、ハリーが彼の服を払ってやる。幸いにして火の粉が炎となることなく終わった。

「ああ、ごめんなさいロン!」

 ハーマイオニーは早口で謝りつつ、バッグから肖像画を引っ張り出した。ハリーは素早く杖を振る。肖像画は目隠しされ、わめいた。

「なにをする、無礼な!」

「必要な措置です」

「リエーフ!」

「あなたの子孫のためになることですよ。ええ、我が君はあなたのことを見直すかもしれませんし祖父様と言うかもしれませんよ」

「あんな駆け落ち婚の……けしからん……しかし……」

 時に身内すら切り捨てるリアイスとは違って、案外スリザリンの系統は御しやすい。家族愛もたまにはよいことをする。

「ブラックの当主のため、あなたの子孫のために働きたくないと!」

 煽ってやれば沈黙した。

「……なにが訊きたい」

「剣の所在」

「さてなあ。スネイプしか知らん。写しはグリンゴッツであるし……移送の前に、莫迦どもが剣を奪おうと忍び込んだが。赤毛のウィーズリーだとか、ロングボトムだとか、頭のねじが飛んでいそうなレイブンクロー生だとか」

「妹が?」

「その声はウィーズリーの末息子か。けしからん。まったくけしからん。貴様たちは落ち着きがない。私が校長だった時なんぞ、天馬で大広間に突入しおるわ、ほかにも……くそ……頭が……」

 本気の苦悩がうかがえて、エリュテイアはロンに首を振った。老骨の傷口に塩を刷り込んでいる場合ではない。

「森に行かされたようだ。校長室への侵入だというのに、スネイプは甘い!」

「森――?」

 暴れそうなロンを、ハリーが黙らせた。エリュテイアは無視した。

「最後に本物が取り出されたのは?」

「ダンブルドアが指輪を開いたときだ。彼は言った」

 血は強力な魔法媒介。術を編み、術を壊すもの。

「そして鍵となるは――」

 剣、とエリュテイアは続きを引き取った。記憶があふれる。片手で顔を覆った。

――ああ

 このことか。彼女は昔に言ったのだ。

『ゴドリックの剣が鍵となる』

 視たのです、と希代の先視は告げた。

『剣を持ち、邪悪を砕くところを』

 いつの日か、あなたは思い出すでしょう。

 

 それが宿命なのですから。

 

 

 

 

――ああ神よ

 これが宿命だと言うのなら、どれほど過酷なものをお与えになったのでしょう。

 薄暗い室。かつての己も閉じこめられた場所。鎖でつながれる。父が死んだその場所に。鎮座する柩、傍らには魔女がいて……。

「リエーフも血族婚をするだけあって、似ていること」

 娘、おまえは父を知らぬのだったか。青と紅がルクスを見やる。

――あの魔女だ

 ルクスの――父の主を殺し、父を殺した女だ。時から切り離されているかのように、容貌は衰えていない。

「お前の父はどのように語られている? まだ行方知れずか」

 残念だなあ。魔女の唇が弧を描く。

「獣に食わせたよ。愛しい主の首と一緒だから、あれも満足だろうよ」

 ルクスは黙したまま。いまさら父の――己の末路に心を動かされるものか。ふ、と魔女は嘆息する。

「つまらん。娘、お前は父のような灼熱はないらしい」

 誰か私を視てくれぬものか。

 いささかの感情がこもっていた。しかし、ルクスにとってどうだっていい話だ。

「私をどうするつもりだ」

「話せるではないか。ふふ、私たちへの憎しみを歌うか? それとも歴代のリアイスとリエーフの死に様を語ってやろうか」

 もはや娘すら、私をおそれる。

「そんな時間はない」

 戯れ言を切って捨てる。

 杖は奪われた。計算の内だ。杖なしでも魔法は使える。小さく唱える。人差し指にはめた指輪が熱を帯び、魔法が発動する。鎖が砂となって崩れていった。魔女は眼を見開き、にぃと笑った。

「そうでなくては!」

 歓喜する魔女の手を蹴り上げる。純白の杖が放物線を描き、床に転がった。

「――ナハトをこうやって殺したのだったな」

 距離が近すぎる。弓矢よりも素早くしとめられる得物。中指にはめた指輪が短剣となる。獣を狩るように、静かにしかし素早く一閃した。弾力あるものを引き裂く感触。一拍遅れ血が噴き出す。魔女は喉を鳴らし、溢れるもので衣を濡らし、くず折れた。

――倒した

 なんとあっけないことか。相手はリエーフを、ナハトを見くびっていた。だからこんなことになるのだ。

 首を落とそう。持ち帰り証とするのだ。転がる白の杖を手に取ったとき、室が軋み不協和音が奏でられた。

『愚かしい』

 私は不死だというのに。

 どこからか聞こえる魔女の声。莫迦な。今し方死んだのだ。影武者だろうか。だけれど、どこに。室を見回す。あるのは柩と亡骸のみ。生きているのはルクスだけ。

 視界が揺れる。内から灼熱が噴き出した。悲鳴がほとばしり、血で濡れた床を転がり回る。

――溶ける

 燃える。燃えてしまう。なにもかもが。

『『分霊箱』があるかぎり、私は死なぬ』

 かすむ眼に、闇色の霧が映った。濃くなり薄くなり、集まり、解け、絶えず揺れ動くそれに、魔女の顔を見て取った。

――ペンドラゴンの末裔は

 化け物に成り果てた。あってはならぬもの。滅ぼさねばならぬもの。あれは秩序に反する。壊さねば……だが、時間が……。

「ご機嫌よう母様」

 凛とした声がルクスの痛みと熱を、つかの間和らげた。ついで硝子の砕けるような儚い音。そうして魔女の叫び。

「貴様……ユピテル! 娘のくせに、後継者だというに……邪魔をするか」

「血族を信じすぎるのは、わたしたちの悪い癖ね」

 銀の髪に燃える双眸を持った魔女が剣を振りかぶる。冴え冴えとした切っ先が、黒い霧を裂いた。室に風が吹く。悲鳴が木霊しやがて消えた。同時に、ルクスの苦痛もやんでいた。仰向き、こちらを見下ろす魔女を捉えることしかできなかった。

「ああ……ナハトによく似ているわね」

 魔女は片膝を突く。白い杖を拾い上げ、ルクスに癒しを施そうとして首を振った。

「どうしてわざわざ捕まったの。死ぬとわかっていたのではないの?」

「あの魔女を殺すためだ」

 もはや死は間近だ。城に残した主と、自らの子を思った。ルクスがいなくなっても主はきっと大丈夫だ。先に行く不忠者にお怒りになるかもしれないけれど。

「なぜ」

 短い問いに、魔女は静かにこたえた。

「戦を終わらせるためよ。あまりに長く戦いすぎた……ねえ、もうすぐ平和がやってくるわ。生きなさいよ」

「信じられるものか」

 寄るな。掴まれた手を振り払おうとする。けれど、もう指一本も動かせない。終わりがくる。

「どうすれば信じてくれる?」

 実の母親を始末した魔女と思えぬほど、頼りなげで幼く思えた。ルクスは息を吐く。どうして今、ペンドラゴンを思い出す。性別も姿も違うのに。

「証を……『分霊箱』について聞かせ……」

「あなたは死ぬのよ」

「無駄には、ならない」

 リエーフは続く。ルクスの記憶は後に引き継がれる。

 どうか未来の己よ。

 この記憶を、思い出せ。

 

 情報量の多さに目眩を起こし、エリュテイアは一旦仮眠をとった。

 夜明けの仄かな明るさのなか、たき火はもういらなかった。エリュテイアたちは円を描いて座る。

「グリフィンドールの剣が鍵です。あれは『分霊箱』を破壊できます」

「ダンブルドアが使っていたから?」

 慎重にハリーが問う。ロンはどこかふてくされていた。ハーマイオニーはエリュテイアの顔からなにかを読みとろうとしていた。

「それもあります」

 なんと話そうか、いささか迷う。ユスティヌの関連は省けばいい。重要なところだけ口にしよう。

「血は強力な魔法媒介です。魔法を編むことも、壊すこともできます。特に古い魔法の場合は血というものが重要になります。ハリーの血の守りもしかり……」

「それと剣に……?」

「スリザリンと敵対する者の剣だから、不思議な力でも」

 ハーマイオニーとハリーが食いついてくる。ゴドリック様の剣は、サラザールもといスリザリンと仲違いする前からの愛用品である。なにを思ってか、とある力を付与したのは後年のことだ。

「魂を裂いた愚か者には、スリザリンの血が流れています。そして血というのは魔法媒介にも成り得ます」

 最初の『分霊箱』を作ったものは、ある仕掛けを組みました。

「『分霊箱』を破壊できるのは、自らと同じ血を持つ者のみ。最初の術者は血族を信用していた。反するはずがないと思っていた。だからこそそういった式を組んだ」

「……つまり」

 ハリーが声を出さずに、唇だけ動かした。ウィスタかヴォルデモートの血か?

「ほかにも血族がいるとか?」

 エリュテイアは肩をすくめた。北米のほうにもしかしたら末裔が残っているかもしれないが、のこのこ出かけるわけにもいかない。

「結論から言いますね。グリフィンドールの剣は、情報を読みとり吸収する力が付与されています。そして、千年ほど前、サラザール・スリザリンの血を吸収しています」

「……は?」

「あ、決闘したってホグワーツの歴史に。でも、一行か二行だけで細かいことまで書いてなかったわよ」

「我が主家はリアイスですよ」

「納得した」

 ロンが両手をあげる。

「省かれた細かいことを言いますとね。ゴ……グリフィンドールとスリザリンは決闘しました。スリザリンはグリフィンドールの片眼を魔法で傷つけ、グリフィンドールは剣でスリザリンの眼を裂きました」

「そのときに吸収したと」

「……のはずです」

 はず、どころかノクトは目撃したのだ。ただし、当時の主ゴドリックが吸収の特性を付与したのは、決闘を見越してのことではなかったのだが。

――ああそうだ

 ロウェナ様が「あなたが錬金術で剣をいじって、よくわからないけど吸収特性をつけてたわよ」とゴドリック様に言ったからだ。思い出した。やたら乗り気になったゴドリック様がはりきって錬金術を使ったのだった。黙っていよう。

――ともかく

 分霊はグリフィンドールの剣で片づけられる。あとは本体か。あれはあれで鍵が必要なのだが、今は保留だ。

 つらつらと考えを巡らせていると、唸りが聞こえた。

「それで、どこにあるとも知れない剣を探すわけだ。浮浪者みたいに!」

「ロン」

 ハリーが立ち上がる。ロンの肩を掴んだ。

「ねえ座るんだ。話はまだ」

「ジニーに探させるのか? そしてまた森に連れて行かれるのか。たいしたことないんだよな君たちにとっては! 『分霊箱』も見つからない、僕たちはなにをしているんだ」

「そんな簡単になんとかなると思ってたのか」

「なんでダンブルドアから全部聞いてないんだよ」

「聞いた。漏れはなかった。先生は精一杯やってたんだ。剣をすり替えたのは奪われないためだし……無事に帰れていたら、きっとロケットを壊せてた」

「できなかったじゃないか」

 ロンが皮肉った。ハリーの顔色が変わった。

「駄々をこねるなら出て行ってくれてかまわない。ママのところに帰れよ!」

「そうしてやるさ」

 ロケットが草地に落ちる。ハーマイオニーは凍り付いたように動かない。そしてエリュテイアは止める気がなかった。

 赤毛の魔法使いが杖を振っても、姿くらましの軽い音ともに消えても、なにもしなかった。

 甘ったれは必要ないのだ。

 

 ロンが行ってしまってから、ハーマイオニーはよく泣くようになった。もちろんハリーが見ていないところでだが。

 ハリーは黙りこくるようになり、旅に軋みが生じはじめた。

 『谷』――アシュタルテに報せを送り、返ってきたのは「本物のありかは私も知らない。あれのことだから、しかるべき時と場所に現れるよう手配していることだろう」という答えだった。わかっていた。なんだかんだでダンブルドアの考えを読みとっているのがアシュタルテなのだと。

 じりじりと日が経っていく。ロンは戻らない。実家に帰ってぬくぬくしているならそれでもよい。

 網から情報を吸い上げていく。芳しいものはなし。

 苛立ちを抑えつつ、ひたすらに待って、待って、待った。

 そうして『炎』とともに羊皮紙が舞い降りた。

 描かれているのは竜の紋。それと主の紋と、剣。

――見つけ、準備は整った

 いつでも戦える。

 エリュテイアは羊皮紙を燃やす。どうしてこんなに遅くなった、と本人がいれば殴りたいが、エリュテイアもてんで役に立っていないのだ。責められまい。

「主の居場所を掴みました」

「どこに」

「竜の館です」

 ハリーとハーマイオニーが飛び跳ね、両手をとりあってぐるぐると回る。明るい声でハリーが言った。

「よし……助けに行こう。もちろんヴォルデモートがいないときにね」

 希望に満ちた言葉を、軽い音がかき消した。いくつも、いくつも。

 エリュテイアたちは、死喰い人に囲まれていた。

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