【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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六十四話

「……そりゃあできるが」

 リアイス一族第二分家当主ナイアード、号を《ステータント》は瞬く。ステータント城、奥の間――当主の私的な空間に、香気がくゆる。ウィスタは茶器を傾けながら又従兄弟を窺った。ひとまず、妙な汗は出てこない。距離を詰めればどうなるかはわからないけれど。

「俺がつくってもいいし、どこからか引っ張ってきてもいい」

 真贋のわからない連中を騙すくらいの品なら二日あればできるだろう、とナイアードは断言する。

「じゃあ頼む」

「そして詳細は話さない、と」

 ため息を吐かれても、ウィスタは肩をすくめるだけだった。『分霊箱』がどうこうなんて話はあまり広めないほうがいい。禁忌の術は永遠に葬り去られるべきであった。

「ろくでもない目的に使われているのは確かだよ」

 それだけを答える。『分霊箱』になっていなかったとしても、ハッフルパフのカップは折を見て取り戻さなければならなかったろう。

――ハッフルパフは

 緑の手を持つもの、と呼ばれていたとかいないとか。植物に親しみ、料理をつくる手際は魔法のよう。争うよりも調和を重んじた……とされる。よりにもよってそんな彼女の遺物を邪術に使われるなんて冒涜だ。

「錬金術師の件に関しても承知した」

「ああ」

「ただ……」

 契約が履行されるかは知らないがね。空色が細められる。寸の間、冷え冷えとした光が宿った。

「小鬼は欲深いから」

 骨までしゃぶりつくそうとする類の種族だ。

「ひとまず釣り上げるしかないだろう?」

「いいか。いくら魔法使いに恩があろうと、あいつらは土壇場で裏切る」

「なるようになるさ」

 グリンゴッツに手を伸ばし、内部からからめ取る時間はさすがにない。いまある手札を使うしかないのだし、ウィスタは小鬼を完全には信用していない。

「……まあ、なんだ。そもそもハリーは利用するために助けたんじゃないから。裏切るかもしれないが――」

 あそこから救われたら、かなり恩に着るとは思うよ。呟いて、悪寒を抑えようとする。小鬼たちは、ウィスタほど長い間とらわれていたわけではない。拷問もせいぜいが磔刑の呪文くらいのものだろう。それでも苦痛はわかる。わかってしまう。

「君に、いいや君たちに任せよう。少数のほうが動けるだろう」

 ナイアードはぎりぎりと歯噛みせんばかりだ。

「あんたは残って備えといてくれよ?」

「わかってるさ」

 彼の唇が弧を描く。

「ずっと前から、俺たちは」

 戦の準備を整えていたんだからね。

 ◆

――手はずは整えた

 すり替えるカップもどうにかなる。ステータント城をうろつきながら、頭の中を整理する。ハリーたちはパッサント城で呪文の練習やらをしているはずだ。ロンとハーマイオニーは新しい杖を見立ててもらったと聞いている。マルフォイ邸のごたごたで、杖を失ったらしい。代わりにベラトリックスたちの杖を強奪してきたらしいのだが、相手を打ち負かして得た杖ではないので機能を発揮しなかった。なので第四分家へ向かい、匿われているオリバンダーに依頼した。

「……第四分家がまるっと保管しといて正解だったな」

 ひとりごちる。といっても、どうせ陰からエリュテイアが護衛しているのだろう。エリュテイアもマルフォイ邸に囚われたひとりだが、彼女の杖は無事だった。「私と結びつきが強いので、呼べば来ましたよ」と言われた。ウィスタはなにも訊くまいと思った。

――本当に

 大丈夫なんだろうな。眉間をもみほぐす。ハリーも新しい杖を見立ててもらえばよかったものを。オリバンダーの杖は第四分家が回収していた。その中にはハリーに合う杖もあったろう。しかしハリーは首を振った。マルフォイ――ドラコ・マルフォイから奪った杖は、もはやハリーのものらしい。所有権の移行というやつだ。杖を勝ち取るどうこうなんて学校では習わない。ハリーからあらましを聞いて驚くほかなかった。

 忠誠心なあ。呟いていると、肩に重みがかかった。不死鳥である。

「俺に義理立てする必要はないぞ」

 何度めか、囁いた。不死鳥は黒真珠の眼でウィスタを見つめるだけだ。黒一色ではなく、不思議に揺らぎ、時折青や緑が顔をのぞかせる双眸。なにを考えているかわからない。

「……いや」

 ダンブルドアに義理立てどうこう、か。それともフォークスの気まぐれか。

「その割にお前、スネイプには戦意を持っていなかったな」

 バジリスクと戦うだけの能力をもった霊鳥なのだ。魔法使いごときどうとでもできたはず。だけれどもあの夜、フォークスは動かなかった。あの夜。ウィスタは遅れて到着して、詳細を聞いたのは、すべてが終わってからだった。北塔に着いたハリーとダンブルドア。ダンブルドアは危険を察知してハリーを隠し、マルフォイの武装解除を受けた……。

「……あれ?」

 はた、と立ち止まる。背筋がぞくりとした。待て。フォークスを何度も撫でる。変に期待しないほうがいい。だけれども、ウィスタは見ていないにしろ証言を付き合わせると――そういうことにならないか。

――これは

 もしかして誰も気づいていないのか? 断言するが、ダンブルドアも意図していない結果だ。

「あいつ強運すぎないか」

 いますぐパッサント城に戻って伝えるべきか。しかし、しかしだ。顔を見ておきたい。色々と限界だ。

「――なにを人の室の前で百面相しているのよ」

 私の騎士様。

 腕を組んで立っているのは白金の髪と藤色の眼の魔女。

「真っ昼間とはいえ、レディの室を訪ねるのは覚悟がいるんだよ」

「あなたがそれを言う?」

 人を引きずり込んで。

「あれは……あれは」

 視線がさまよう。一族とはいえよその家の廊下でウィスタはなにをやっているのか。こんな顔ナイアードに見られなくてよかった。とてもではないが晒せない表情をしているだろうから。

「不可抗力だと」

 ウィスタだってクインを寝台に引きずり込んで夜を明かすなんて事態は想定していなかったのだ。ああそうだとも。

 うろたえるウィスタとは対照的に、クインはいつもと変わりなかった。ふっと息を吐くと、ウィスタの手を取る。軽く引かれ、なすすべもなく従った。いつの間にかフォークスの姿もなかった。

 なし崩しに室に踏み入る。足許が頼りない。気づけば寝台に腰かけていた。隣にはクインがいる。そっと彼女の頬に触れる。幻ではない……。

「飲んで」

 差し出された茶器から、しっかりと現実の――つんとする匂いがした。これは不味いやつだ。とびきりに不味いやつだ。飲んだら泣くくらいのものだ、と確信した。クインの前で泣くなんて絶対に厭だ。ふいと顔を背ける。

「まだ全快とまではいかないでしょう。顔色が悪いわ……それとも口移しじゃないと飲みたくないのかしら、私の騎士様?」

 口づけならば大歓迎、と普段ならば言えたろう。ウィスタは口端を痙攣させた。

「煽ってるのかあんたは?」

 言いつつも、眼を細める。

『俺様とお前は家族なのだから』

 ざわざわと内側が――ウィスタの奥底が揺れる。思わずクインの手を掴んだ。きっと震えが伝わっているに違いない。惚れた女の前で、格好もつけられない。

「俺は、」

 そばにいたい。だけれども駄目なのだ。わかっている。幾度も幾度もあきらめようとして、できなかった。しないのではなくできなかった。

「ろくでもない血筋で、家庭のこともわからない。親も死んじまった……勢いのまま、進めるような育ちをしてない」

 吐息を漏らす。お気楽な男ならば、ここでクインとどうこうしていたろうか。最後まで。

「……し、あんたを安定剤みたいに使いたくない」

 ぼそりと呟く。急になにを言っているんだか己は。あきれつつ、クインから茶器を受け取る。悪夢を振り払うように、あるいは押し込めるように一気に薬を煽った。案の定ひどい味だった。せき込み、クインの手が背中をさする。それだけでずいぶんと楽だった。

「どうしようもない男なら、私は選ばなかったわよ」

「わかってるよ」

 涙をにじみませながら顔を上げる。そっと頬に手を添えられ、流れるように向きを変えられた。唇に柔らかいものが触れる。数秒か数十秒か。熱は離れていく。

「私がこうしたいのは」

 あなたにだけよ。

 

「……あんたも誘いたいとこだが」

 クインの髪を整えながら、呟く。そうして己の首許をさすった。あとで治癒させておかないと気づかれる。あからさまに見えるところにつけるのだから……。

「私はここでお世話になっておくわ。ナイアード先生、忙しいみたいだし」

 お手伝いをしているの、とクインは冷静だ。動揺しているのはウィスタだけか。女に唇を奪われるリアイス本家当主。流されまくる《ランパント》。笑えない。

「省に戻るよりか、ここにいてくれたほうがいい」

「そのときが来れば、ホグワーツで会いましょうね」

「そうだな」

 決着をつけるとしたらホグワーツになるだろう、とウィスタもクインも確信していた。英国魔法界の象徴ともいえる場所。闇の手に陥ちている現状をそのままにするなどありえない。ヴォルデモートはあの場所を死守したがるだろう。放棄はありえない。理屈を超えた執着。祖が放逐され、奪われたものを取り戻すのだとでも思っているのだろうか。きっともっと単純なこだわりだろうに。

 それから幾日か、準備の仕上げにかかった。物資はそろった。ウィスタは療養と訓練を繰り返し、体調を整えた。そうこうしているうちにステータント城に客人がやってきた。

「義弟ができたわけか。おめでとう養父殿……手え出すの早いなあんた」

 ひく、と養父ことリーマスが頬をひきつらせる。目許は赤い。ウィスタを案じていささか痩せ、ついでに再会して感情の箍がはずれたのである。

「私は死ぬほど心配したんだよ養い子くん……ぶちこわさないでくれるかな」

「新婚期間をしばらく楽しむかと思ってたんだが意外でね」

「……私たちの夜の事情を詳らかに話してやろうか」

「悪かった」

 両手をあげる。そうして、卓の上に紙片を滑らせた。

「出産祝いだ。入り用だろう」

 結婚祝いは受け取ってくれなかったんだから、これくらいはさせろよと釘を差す。

「大人になったねえ」

「義兄にもなったとも」

 存外リーマスは素直に受け取った。ここで突き返すほど野暮ではないらしい。

「で、名前は」

「テッド。男の子だ」

 ああ、と呟く。少しだけ顔をしかめた。テッド・リーマス・ルーピンか。ファーストネームの由来はトンクスの父だ。そして彼は死喰い人に殺されたと聞く。小鬼たちとディーンをかばって、ダークという魔法使いとともに始末されたのだ。

「勇敢な名だ」

 束の間、テッドとダークに哀悼を捧げる。死ななくてもいいはずだったのだ。ダークとは面識がないが、テッドとはある。トンクス家に預けられたとき、優しくしてくれたものだ。よくもまあ、妻の親戚とはいえ……当時は死喰い人の息子だったというのに……。

「――ニンファ……トンクスに似て七変化だ」

「いい加減別の呼び名を考えたら? 遺伝か……」

 軽く言いつつ、しかめっ面を取り繕えていない自信があった。七変化。見た目を自由に変えられる、生まれながらの才。リアイスの歴史上にもいたらしいが――たしか第四分家か――もっぱら諜報に生かされる。そうして権門に生まれたならまだしも、一般の家庭となるとあれこれと注意が必要だ。

「守りは敷いてあるし、少数にしか明かしていない」

「それがいいと思う」

 便利な能力なので狙われやすいのだ。特に女は――七変化は血統によるものとされている。つまり、七変化を生産できれば、とまで考えて片手で口を覆った。苦いものを無理矢理飲み下す。頭がじんと熱を持った。こんな惨いことを考えつく自分が厭だ。手に歯を立て――しかし、傷だらけの手がそれを止める。同時に背をさすられた。

「ゆっくり息を吸って」

 吐いて。言われたとおりにした。まるで引き取られたばかりの頃に、戻ったかのようだった。痩せて眼ばかりぎらぎらして、野良犬のようだった。リーマスもよく引き取る気になったものだ。

 段々と気分が落ち着いてくる。

「助けに行けなくてすまなかった」

「……そのかわり、あれこれやってたんだからいいよ」

 双子のラジオとか、と呟く。ポッターウォッチというのだそうだ。各地を転々として、ラジオを流す。ただのラジオではない。闇の勢力におびえる人のために情報を発信し、鼓舞していたのだ。杖をとるばかりが戦いではない。彼らだからこそできるやり方だった。

「微々たる助力だよ」

「とても勇敢だ」

 息を吐く。茶器で手をあたためた。席に戻った養父を見て、口を何度か開け閉めする。

「今度テッドを連れてくるから、抱いてやってくれ」

「俺は、」

 子どもには慣れていない、と言おうとしてけれども別の言葉が飛び出た。

「触れない……」

 ■■■■てるから、と呟く。リーマスの唇が動いた。

「それは、」

「あれと、あの女が――」

 続きは言わなかった。沈黙が落ちる。死んでも言うつもりはなかったのに。しかもリーマスは賢い。監督生を務めたくらいには勤勉で頭脳明晰だ。察しもよかった。莫迦ならよかったのに。

「……切れ切れだけど、たぶんそういうことだ」

 なんてことだ。リーマスが呻く。またもや目許が赤くなり、今度は双眸が黄金に変わった。力ある人狼の証。

「君の魂が損なわれたわけではない。なんら恥じることはない」

「ああ」

「十分頑張った。ダンブルドアの密命も、英国のことも忘れて逃げてもいいんだ。シリウスはもういないけれど、あれも私と同じように言うだろう」

 その前に、シリウスならば……ベラトリックスとあれを始末しに行くだろうが。

「あんたも状況が許せばそうするだろう?」

「もちろん」

 力強くうなずかれ、ウィスタは小さく笑った。人殺しを親にすすめるのか、と世間のお綺麗な連中は言うだろう。けれど、憤る養父を見て、心が軽くなる。

「ダンブルドアがあんたを寄越してくれてよかったよ」

 俺の養父はあんただけだ。囁いて横を向いた。

――そして翌日

 ウィスタたちは『谷』を出立した。

 ――あそこと同じ臭いがする

 寂れた空気と閉塞感。酔客。道ばたにはごみが散乱し、なかには汚物もあるだろう。どうしようもない掃き溜めになり果てたダイアゴン横丁に、ウィスタはため息を禁じ得なかった。

「どうかしたのか」

「いえ、レディ」

 灰の眼が射抜くようにウィスタを一瞥する。背筋が粟立ったがどうにか抑えた。ハーマイオニーの変装は完璧だ。ウィスタの古傷にもなっていない傷がうずくほどには。療養したのでどうにか叫ばずに済んでいるが、できることなら彼女の隣から去りたいくらいである。

――慣れた

 慣れた、と思うほかない。『谷』から移動してエリュテイアがハーマイオニーに魔法をかけた。その姿を見た瞬間、ウィスタは吐いたわけだが。変身の出来が良すぎたのだ。どうせ対決することになるのだから、と一時間ほど対面し続け――そこはとある森のなかであった――慣らしが終わってようやく横丁に移動したのである。

 黒髪、輪郭は鋭く、眼は灰色。はめている義手は、外套に隠されて窺い知れない。ハーマイオニーはすっかりベラトリックスに扮していた。城にいるとき何度も試し、踵の高い靴もお手の物だ。「私も吐きたくなるくらいには完璧だわよ」とのことだ。

 女主人に付き添って、ウィスタは横丁を往く。斜め後ろには怪しげな外国人に扮したロン、その近くには透明マントで隠れているハリーとグリップフック、どこかにはエリュテイアもいるはずだ。

 あちらこちらから呻き声と臭気が渡ってくる。路傍にいる物乞いたちだ。

「杖は奪われたんだ」

「魔法使いなんだ」

「お恵みを……」

 哀れにもほどがある光景だった。さらにやりきれないのは、早朝の横丁を往く数人の魔法使いや魔女たちが助けの手を差し伸べないことだった。いや、差し伸べられないだけであってほしい……。女王然としたベラトリックスが大通りを闊歩する。ウィスタは彼女の影のごとくついていった。物乞いたちは女王の姿を見るや否や、音もなく姿を消した。

「ふん」

 ハーマイオニーが鼻を鳴らす。いかにも本物がやりそうだ。そこに血染めの包帯を巻いた男が飛び出してきて、ハーマイオニーの前に立ちふさがった。

「私の子どもたち――」

 ウィスタは杖を一振りした。男が吹っ飛び、失神する。

「レディの行く手をふさぐのはまかりならん」

 男を軽く蹴り飛ばす。道の端に寄せ、何事もなかったかのように歩き出した。ロンが思わずといったふうに動こうとし、ハーマイオニーに一睨みされて止まった。

「そいつは物乞いだ。はぎ取るものもないだろう」

 靴音が高く響く。高慢な口調とは裏腹に、灰の眼には影があった。

――きついだろうな

 ウィスタだっていい気分はしない。だが、今は女王ご一行に扮しているのだ。妙な行動は控えるべきだった。

 一行は沈黙したまま大通りを突っ切った。誰も彼も、ハーマイオニーと付き人たちから眼を逸らす。まるで幽霊にでもなったかのようだ。やがて白亜の建物が見えてきた。そこだけは薄汚れた世界から切り離されているようだった。正面階段は清められ、堂々とした門番が二人立っている。制服も綺麗なものだ。さすがの闇陣営も、小鬼の領域に下手な手出しはできないようだ。

 門番が剣のように掲げているのは、潔白検査棒だった。グリップフックから情報は入手していて、ハリーが密かに錯乱の呪文をかけて通過した。いくら警戒してようが、やはりどこかに認識の甘さがあるものだ。グリンゴッツに何かを仕掛けようという莫迦がいるはずもないと……。

――クィレルの一件からなにも学んでいないな

 ヴォルデモートにとりつかれて死んだ学者先生を思い出す。ヴォルデモートの指示があったとはいえ、肉体はクィレルのものだったはず。つまり研究職であろうとも、警備を抜けて盗みに入ることは可能だ。

 行内に入ったとたん、ホールは水を打ったかのように静まりかえった。咳ひとつ聞こえない。沈黙に構わず、ハーマイオニーは堂々と受付へ向かう。

「レディ・レストレ――」

「黙れ」

 ハーマイオニーが舌打ちすると、老いた小鬼は縮こまった。卑屈な眼でハーマイオニーを見上げる。

「失礼を……」

「よく覚えておけ無能。レストレンジなぞ知らん。私はブラック。レディ・ブラックだ」

「かしこまりまして。本日はどのようなご用件でしょう。レディ・ブラック?」

「決まっているだろう」

 私の金庫へ通せ。

 

「……本人の杖を提示しなくてよかったわ」

 トンネルに滑り込み、ハーマイオニーが言った。

「私が敵方であれば、本物を提示した者は捕縛せよと言いますからね」

 エリュテイアが呪文を脱ぎ捨てる。ハリーも透明マントを脱いだ。老いた小鬼――ボグロッドは従順に突っ立っている。ハリーの服従の呪文が効いているのだ。

 ハーマイオニーが杖を抜いた。オリバンダーに見立ててもらったものだ。そして腰にはもう二本、杖がある。一本はベラトリックスのもの。もう一本が小鬼に提示するために持ち出してきた杖である。杖と見せかけて芯なしのものなのだが。

――曾祖父様にはおそれ入る

 グリンゴッツにウィスタたちが赴くのは、クロードの先視でわかっていた。ならば、と芯なしの杖を寄越したのだ。

『意外と騙されるものだぞ』

 どこか懐かしそうに言っていたものだ。いったいどこで芯なし杖が必要になる場面があったのだろ。興味は尽きなかったが、聞いている暇はなかったのだ。

 ボグロッドが口笛を吹く。音の尾も消えないうちにトロッコが騒がしく走ってきた。一行はどうにかこうにか乗り込み、トロッコは重みに唸りながら走り始めた。

 深く深く潜っていく。角を曲がると同時に滝が見えてきた。

「……げ」

 言ったのは誰だったか。どのみち確かめる余裕もなく、トロッコは滝に突入した。トロッコが傾く。投げ出され、滝壺に……。衝撃と痛み。もがき、上も下もわからなくなる。気づけば地面に――トンネルに着地していた。

「ご無事ですか」

 ああ、とかろうじて応えた。エリュテイアは水浸しだ。この場の誰もが濡れそぼっている。

「殺す気かしら」

 ぜ、とハーマイオニーが喘ぐ。外套に着られているような有様で、変身は解けている。片手はしっかり杖を握りしめていた。

「助かったよハーマイオニー」

 ロンがぼそぼそ言う。こちらは赤毛に戻っていた。

「盗人に容赦はいらない。それがグリンゴッツですので」

 グリップフックが小さく言った。

「ドラゴンもいるしな」

 ウィスタは応じた。杖を振って、一行から水を取り除く。ロンが叫びだそうとするボグロッドに全身金縛りをかけ、ハリーが服従の呪文で仕上げをした。

「――滝は知らなかったが」

「滅多に発動しませんので」

 ましてやリアイス一族は優良顧客。知るはずもなし。グリップフックの眼はぎらぎらしていた。障害があればあるほど燃える性質か。成功報酬に色をつけてもいいかもしれない。たいして信用していないが、働きに応じたものはくれてやるべきだろう。

 一行は地道に歩き始めた。ロンが「あーあ、こんなことでなけりゃ、グリンゴッツ見学ツアーとしゃれ込んだのにさあ」とぼやいた。呑気である。図太くないと強盗なんてやってられないのだ。

 ロンにあてられたのか、ウィスタは巨大な影をみても「ハグリッドが喜びそう」としか思わなかった。もしかして感覚が麻痺しているのかもしれない。

 鳴子が甲高い音を響かせる。ドラゴンが後ずさり、ぱらぱらと土塊が落ちてきた。唸り、頭を振る。それだけで鼓膜が痺れた。

 音がする。ドラゴンが後退する。音がする……後退する……。

「――あんたら、ドラゴンの運用をもう少し考えるべきだ」

 惨いことを。呟けば、グリップフックが肩をすくめた。

「財宝の番としては最適ですよ」

「そうだとしても」

 つ、とドラゴンの顔を見やる。傷のはしった面。鱗はところどころはげている。眼は白濁していた。

「俺は好かん」

「なんともはやお優しいことだ」

「てめえも拷問の痛みはわかるだろうに」

 グリップフックの顔から嘲りが消えた。同時にボグロッドが扉に手を突く。一行はレストレンジ家の金庫に踏み入った。闇に包まれ、ロンが灯りをつける。

――ここまでは予定通り

 無事に金庫まで着いたわけだが。ぐるりとあたりを見回す。ガリオンの山、鎧に魔法薬、毛皮に髑髏。宝石箱もある。

「どこに――」

 ハーマイオニーの手が、ゴブレッドをかすめる。とたんに悲鳴が響いた。そうして、金属音がいくつも反響する。

「双子の呪文と……燃焼の、呪いが」

「追加措置で――ッ」

 グリップフックが悲鳴をあげる。グリンゴッツは同族にも容赦しないらしい。ゴブレットが増える。ガリオンも増える。宝物があふれる。エリュテイアが杖を振る。ドラゴン革の外套が現れ、一行を守った。ウィスタたちは頭から外套を被り、眼だけをこらそうとする。だけれども増殖は止まらない。

「浮上せよ」

 ロンとハリーが唱える。一行は束縛から逃れ、天井すれすれまで浮いた。そうして見つけた。黄金のカップ――ハッフルパフのカップを。棚の上だ。下手に降りればまたぞろ財宝が増えるだろう。

――止めればいいか

 ウィスタは『冬の息吹』を顕現させ、一閃した。主の命に応え、リアイス伝来の宝剣は凍て風をもたらした。みるみるうちに財宝が凍っていく。と、と氷山に降り立ち、白い封じに閉ざされたカップを手に取った。同時にすり替え用のカップを置いていく。安堵したのも束の間、熱波とともに足下が崩れた。

「うっそだろおい」

 財宝に呑み込まれる。かろうじて外套にくるまった。

「ああぁあ!」

 ハリーたちの悲鳴。鈍い音。呪文が断ち切られたのか。そこから先は黄金の色しか見えない。流れていく。トンネルに放り出され、小鬼に囲まれていた。

「盗人だ盗人だ! 脅されたんだ」

 グリップフックが仲間のもとへ走っていく。泣きじゃくり震えながら、戻っていく。

――ああそうかよ

 立ち上がり、杖を構え、呪文を連射する。小鬼たちが倒れていき、グリップフックも失神した。いくつもの閃光とともに囲みが破れる。隙間に飛び込みながら、最後の慈悲で小瓶を放った。オレガノのエキスが振りまかれ、ボグロッドを癒す。そうして指を鳴らした。グリップフックが青い炎に包まれる。懐に入れた契約書は灰になっているだろう。

 一行は走り走り、ハリーが自棄になったように呪文を放つ。うずくまるドラゴンの、枷に向かって。

「まさかハリー……無謀す――」

「登って。これっきゃない」

 ハリーがぴしゃりと言う。ハーマイオニーが口を開けた。エリュテイアが浮遊呪文をかけ、一行はドラゴンに乗る。 「チャーリーに話してやらなきゃ」

「老後の自伝に『強盗編』入れるのは確定だなロン」

「そこ、ふざけないでよ。ドラゴンに乗るなんて無理に決まってぁあああ」

 ロンとウィスタがひきつった顔でバカな話をし、ハーマイオニーが絶叫する。

「さすがにドラゴンライダーまではいませんね。リアイスにも」

 エリュテイアは振り返り、飛んでくる短剣を弾く。ドラゴンが吼え、自由を求めて走り始めた。

 

 焼けるような痛み。にじみ出た体液が服とくっつく。舌打ちされ、乱暴に剥がされる。

「おかしいな」

 お前、ちゃんとストーブであっためたんだろうな。このガキの火傷……。

「治るの早くね?」

「パイプのほうが折れちゃったし」

 つうか魔女は火傷しないとか、取り替え子には火がいいとか誰が言い出したんだっけ。

「でもさあ」

 やっぱこいつ変だよ。

 

 眼を開ける。汗が額から頬へと流れ落ちた。寝台の上。テントの中。窓からは紺色の空が見える……。

――ろくでもない夢だ

 いいや、と思い直す。ろくでもない目には腐るほどあってきた。古い記憶の一つだ。ウィスタはもう孤児ではないし、己が何者なのかを知っている。それに、なにをすべきかも。

「お目覚めですか」

「どれだけ寝てた」

 ほんの半時間ですよ、と従者が言う。ほっと息を吐いて身を起こした。差し出された茶器を受け取る。

「被害は」

「全員無事。着替えて……夕食も済ませました。ドラゴンは湖で泳いでいます」

「俺は二度と金庫破りなんぞしない」

 薬を煽る。頭がじんと痺れている。あんな黄金の、しかも灼熱の波に呑まれてよく無事だった。

「第六分家にドラゴンの保護を依頼……はあとでいいか。とりあえず」

 口が痺れる。熱波を吸い込んだせいで火傷しているようだ。眉間に皺を立てながら、腕を振る。グリフィンドールの剣が顕現し、テントの床に突き立った。

「俺が飯やらしている間に、金のカップを頼む」

 誰でもいいのだ。グリフィンドールの剣は、真のグリフィンドール生が振るえる業物。この面子ならば問題ない。

 従者は一礼して剣をつかみ取る。テントの外へ出て行って戻ってきた。外では「ほんとこいつしつこい」「いいかこれは幻だ!」「やっちゃってロン!」とお祭り騒ぎだった。見学したい気持ちを抑え、スープパンその他諸々の夕食を平らげる。さすが第七分家。大変美味い。

 パンの最後の一欠片を飲み込んだ時、グリフィンドールの剣をひっさげて、三人が意気揚々とやってきた。

「はい、これ」

 ハーマイオニーが膝を突こうとするので、椅子を出現させて座らせる。彼女が差し出してきたハンカチを受け取った。包まれているのは黄金の欠片たち。ハッフルパフのカップの名残だ。革袋に入れてやる。事が終わったらホグワーツに埋めてやろう。創設者の品は在るべき場所に帰るべきだ。

「ありがとう」

 あとはレイブンクローの品か、と呟いた時、ハリーが呻いた。壁にもたれかかったまま、眼を瞑る。ウィスタの両眼もじんと痛んだ。

「金庫破りがバレた」

 ハリーが首を振りながら言い、ロンが肩をすくめた。

「派手にやったからなあ」

「でも、なにが盗まれたかはまだバレてない」

「ああ、グリフィンドールの剣の写しも盗んでおいたので。あとは使えそうな宝石その他も」

「……エリュテイア、よくそこまでできたわね」

 ハーマイオニーが小さく拍手する。

「剣も使えるだろエリュテイア。装飾品にしてはめとけよ」

 カップのすり替えで頭がいっぱいで、それ以上の偽装までは及ばなかった。多少の時間稼ぎにはなるか。

「グリップフックの記憶も多少いじったわよ」

 ハーマイオニーが胸を張る。もはやウィスタの出番はいらない気さえしてきた。

「で、あいつは混乱して怒って……呪文を連射……ニワトコの杖を手に入れてるんだ。ダンブルドアの墓を暴いたな」

 ハリーの視線がウィスタに向く。ウィスタはにやりとした。杖に関するとある情報は受け渡し済みだ。あいつも誰も気づいていないが、世界にただ二人だけ『それ』を知っている者がいる。

「ともかく」

 ハリーが一呼吸おいて、続けた。

「あいつはこれから各地を飛び回る。カップが本物か調べるのにいくらかかかるとして――」

「ナイアード作だ。一時間か二時間はあれこれ試させて時間を食わせると言ってた」

 すくなくとも一瞬で露見はしないし、そもそもなにが盗まれたかを調べる必要がある……。

「猶予は数時間か。一日欲しいが――」

 あまり欲張らないがほうがいい。ウィスタは寝台から降りた。エリュテイアが放った外套を羽織る。ドラゴン革を深紅に染め、毛皮飾りがついた逸品だ。ドラゴン革の長靴に足を通す。腰には杖。しばらく寝ていたかったが、いつものごとくだ。ウィスタは時の女神か運命の女神から意地の悪い笑みを向けられるらしい。万端な状態は望めない。仕方ない。人生とはそういうものだ。

「――最後の品はホグワーツだって」

「決まりだな」

 ハリーと視線を交わす。二人とも、なにをするべきかわかっていた。進むか戻るか。進むしかないことを。

「待って」

「何の計画もなしじゃ」

 ハーマイオニーとロンが慌てて動く。椅子ががたんと音を立てた。

「準備ならできてるさ。ずっと前からな」

 ナイアードならそう言うだろう。いまも待っているに違いない。ウィスタは唇を吊り上げる。

「エリュテイア。各家に通達を」

 決戦の時がきた。

 俺たちの故郷に集え。

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