と、と降り立つ。初夏の匂い。夕暮れの空はまだ明るい……と思う間もなく耳をつんざく音が響いた。
――そりゃそうだな
物陰に駆け込む。ハーマイオニーが素早く杖を振った。幻影があちらこちらに飛んでいく。さすが才媛。一族に引き込みたいくらいに優秀だ。だが、彼女とは友人でいたいのでそれはできない相談だった。
あちらこちらから死喰い人の怒声が聞こえる。す、と項を撫でるのは穢れ者たちの冷気だ。堅く心を閉じる。現在、ホグズミードには多数の人間が詰めているはず。住人もいるし、死喰い人もたんといる。数人ぽっちが現れたところで、吸魂鬼が即座に居場所を特定するとは思えない。
息を潜める。なぜだか笑みがこぼれた。昔は追いかけ回されたものだ。ウィスタは隠れるのが上手かった……己が壁にならないかと念じたものだ。ひょっとしたら、なにかの魔法のお陰で本当に壁になっていたのかもしれない。
「どこだ――」
「誤報じゃないだろうな」
「わからん」
なんにせよ生け捕りだ。死喰い人が散っていく。包囲は固まっていない。いまのところは。
「仕切り直しましょう」
「姿くらましもできない。逃げるのは無理だ」
ハーマイオニーが囁き、ハリーが断固とした口調で言う。ウィスタは肩をすくめた。
「駆け込むしかねえだろ」
ホッグズヘッドに。召集をかけた際、曾祖父から返信がきた。ホグズミードに行ったらホッグズヘッドに行け。バーテンには話を通しておく。しかも、なぜかダンブルドア家の不死鳥紋があしらわれた金属板もついてきた。貴族家が持つ
冷気が強くなる。物陰から飛び出しても捕まるか? しかしここで引っ込んでても埒が明かない。
「守護霊を分散させましょう」
エリュテイアが杖を振ろうとしたとき、悲鳴が渡った。とりどりの閃光が壁に映る。ふ、と血の臭いも流れてきた。
「ネメシス・リアイス!?」
あああ! 絶叫が木霊する。ハーマイオニーが青ざめ、ロンも青ざめていた。仲がいいな。ウィスタの感性は壊れているのかもしれない。羽ばたきの音もするので、ネメシスはグリフィンを連れてきたようだ。さすが獣使い。
足音が入り乱れる。ネメシスとそのほかの人員もいるようだ。
「この場は任せて行こう」
腕を振る。飛ぶように走り、どうにかホッグズヘッドに到着した。扉を叩く。
「アシュタルテの遣いだ」
「おいてめえお上品に叩きやがれよ」
指二本分ほど、隙間が開く。青い眼が――まじまじと見てようやっと気づいたが――驚くほどダンブルドアに似た眼が、ウィスタを貫くように見ていた。目つきはダンブルドアに似ていないな。むしろウィスタと同じ匂いがする。
――ということは
ドラゴン革の外套をひっつかまれ、中に引きずり込まれる。されるがままになりつつも、ウィスタは問いかけた。
「俺の曾祖父と繋がりがあって、あのクソ爺に似た眼ってことは」
あんたアバーフォースか。
舌打ちが答えだった。滑ってきた椅子に腰かける。ふん、とアバーフォースが鼻を鳴らした。
「口の悪いクソガキがよ。見た目は親父だな」
「あんたなんでこんな汚ねえとこで店やってるんだよ。待てよ……つうか、ダンブルドアの遺産整理なんで俺と曾祖父がやってんだよあんただろ仕事押しつけるなよ」
「ほんとに口が悪いな! 汚くてもここは俺の店だ。そもそもアシュタルテが押しつけてきたんだぞ!」
クソガキとお上品ではない爺はぎゃあぎゃあと言い合った。互いに息を切らせ沈黙する。アバーフォースは嘆息した。
「……で? アシュタルテからは、お前らを手引きしろと言われたが」
「してくれるのか」
「あのなあ」
アバーフォースは眼を光らせる。つくづくダンブルドアに似ていない。
「愚兄から押しつけられたんだろうがやめとけ。あれは人を駒扱いする。無駄死にするだけだ」
「どうしてそんな」
ハリーが前のめりになって訊く。アバーフォースは眉間に皺を立てた。
「あいつが妹ですら見捨てたからだ……聞いてないかアシュタルテから」
全然、と両手を上げた。アバーフォースは唸った。
「言いたくないかあいつも」
ライトブルーの双眸が、壁の肖像画へ向かう。汚らしい店には似つかわしくない、女の子の肖像画だ。
「今となっちゃほとんど忘れられているが、ダンブルドア家には女の子がいた。アリアナという。あの子は……」
アバーフォースは唇を噛み、そうして首を振った。ライトブルーの眼は獣のように光っている。
「マグルのクソガキどもに襲われ、心を病んだ……ああ、そこのお嬢ちゃん。心配するなそういうことはなかったから――ともかく、父はガキどもに報復してアズカバン行きとなった。そして獄死したんだ」
眼を瞬く。苦いものがこみあげた。惨い、と一言で表せるような易しいことではなかった。ただの女の子が「おかしな子だから」といって襲われる。胸くそ悪いがありえない話ではない。現代でさえも。ウィスタも覚えがあるくらいなのだから。
「俺たちは『谷』に越した。母はアリアナを外へ出さないようにした。病気だと言って。聖マンゴに連れて行ったところで、心の病気が治るとは思えなかった。隔離され、かわいそうなことになると思った……俺たちは母と妹を残してホグワーツに行った」
ぽつりぽつりと話は続く。遠い過去。封じられた秘密の話が。
「そのうちアシュタルテが訪ねてきた。あのとき、助けを求めてれば――ともかくも、アリアナはひっそりと育てられた。一方、あのクソ兄貴はおかしな考えに染まっていった。マグルの保護や管理、大いなる善のために」
ひく、と誰かの喉が鳴る。音の出所はハーマイオニーだった。
「グリンデルバルドの――?」
「聞いたことはないか? あいつとクソ兄貴は親密だった。反吐が出るね」
あれは兄貴をおかしくしやがったんだ。アシュタルテが唸る。
「兄貴にそういう考えが欠片もないとは言えない。誰だってそうだろうよ。あいつは心の隙間に入り込んで、巧く煽るんだ……とんだ詐欺師で扇動家だ。なんとか卿よりある意味面倒だ」
アバーフォースの片手にいつの間にか煙草が現れていた。星のように朱が灯る。紫煙がくゆる。しかし、ウィスタたちの許には流れてこない。
「さて。兄貴とグリンデルバルドが選民ごっこをしている間に母が死んだ。アリアナが魔力を暴走させたせいだった」
そして、とアバーフォースは煙草を握りつぶした。一瞬のうちに消えていく。
「あの日がやってきた」
ライトブルーが虚空をみやる。奇妙に陰った色をしていた。
「母の葬儀が終わっても、アシュタルテは家に逗留していた。雨の日だった……あいつがやってきた。リアイスの魔法使いと知るや、あいつはひどく喜んだ。そうしてアシュタルテを誘ったが、当然ながら断られた。あとはまあ、乱闘だ。俺とアシュタルテ対あいつとクソ兄貴。死の呪文が飛んだ。防衛呪文もほかの呪文も。そしてアリアナが死んだ」
アバーフォースはうなだれた。椅子にもたれ、己の膝を見つめながら呟いた。
「誰のせいで死んだのか、わからず仕舞いだった。誰もはっきりさせられなかった。恐ろしかったんだ」
ぐいっとアバーフォースの頭が持ち上がる。ウィスタとハリーを眺め、彼はきつい口調で言った。
「妹を顧みず、闇の思想に浸かった阿呆の言うことなんて聞くんじゃねえ。逃げろ。ろくでもない目に合う前に。俺が逃がしてやるから」
「ダンブルドアは、」
ハリーが呻くように返した。
「妹さんのことを後悔していた。赦してくれって」
お前は、とばかりにウィスタに視線が向けられる。
「俺はリアイスだ。わかるだろうあんたなら?」
「クソッタレ」
アバーフォースは歯噛みする。やおらに立ち上がり、杖を振った。柔らかな声が響く。
「呼んできてくれ」
肖像画の主は小さく笑むと、兄に背を向ける。その姿が小さく小さくなっていく。どこかへ向かって。
「――ああ、なるほど」
エリュテイアが声を漏らす。ウィスタは口を開けたまま、アリアナが連れてきた誰かを見つめた。この店は押しつけられたものだとアバーフォースは言っていた。その意味がわかった。ここは通路があるのだ。ホグワーツへの……。そうしてアリアナが連れてきたのは。
満面の笑みを浮かべたネビルだった。
「一年生の時、お前がばあちゃんから贈られた物は?」
ネビルの姿をした誰かに、紅の杖を突きつける。アバーフォースが「おいおい」と言ったが無視した。
「思い出し玉」
ウィスタは杖を下ろす。ネビルの肩を軽く叩いた。ほんの少し、彼の頬がひきつったのを認め、エリュテイアに目配せする。従者は察して小瓶を取り出した。
ひとまずネビルを座らせる。見れば見るほど酷い有様だ。瞼は腫れているし唇は切れている。頬は青黒い。ほかにも傷はあるだろう。
「とっとと脱げ」
「感動の再会はないわけ?」
ネビルがぶつくさ言う。こいつはこんな性質だったろうか。ちら、とハーマイオニーとエリュテイアを窺うので、ウィスタは顎をしゃくった。二人は背を向ける。ネビルはぼろ切れのような服を脱いだ。うわ、とハリーとロンが声をあげる。ウィスタは肩をすくめ、手を伸ばした。
「折れてはねえな」
ぐ、と押して検分する。蹴られたようだが、内出血を起こしているだけだ。肩は切られたか。
オレガノのエキスをぶっかける。エリュテイアが投げてきた軟膏を塗り、ガーゼを当てたり包帯を巻いたりと働いた。その間にアバーフォースがパンやら飲み物を出してくれる。エリュテイアが魔法のように金貨を出現させて支払った。アバーフォースは四の五の言わずに受け取った。
「ネビル……いったいどういう――?」
ハリーが問いかける。ネビルは息を吐いた。
「反抗してたらこうなった。でも僕は純血だから痛めつけられるくらいだし」
さらりと言ってくれたものだ。応急処置が終わったのを見ていたかのように、今度は服が放られる。できる従者だよまったく。ネビルに手渡し、カウンターの向こうに追いやった。ネビルはごそごそしながら現状を説明する。闇の魔術を教える学校になっただとか、マグル学はひどいものだとか、防衛術は実際に磔刑の呪文をどうこう。
「……クソな教師どもは全員爆破すればいいな?」
笑みがこぼれて仕方ない。人の先祖が代々せっせと整えてきた学校になにをしてくれているなにを。
「相変わらず物騒だね」
「リアイスは戦争屋だからな」
俄然殺る気になってきた。そうこうしているうちにネビルがカウンターの向こうから戻ってきた。眼をきらきらさせながら「じゃ、行こうか」ときた。
「……ホグワーツに?」
ロンが首を傾げる。ハリーが「まさか直通なの」と引き取った。
「緊急経路なんだな?」
ウィスタはアバーフォースに一瞥をくれる。彼は鼻を鳴らした。やはり正解か。
「俺も眉唾だとは思ってたんだが。小僧が夜中に転がり込んできたもんで、立証されちまったわけだ」
パブやらなんやらと店の形態は変化してるが、代々の主は番人なのさ、とアバーフォースは続ける。そして眦を険しくし、ウィスタの外套を引っ張って引きずった。
「おらとっとと行け。てめえは軽すぎる。ちゃんと食ってんのか」
「あんたも数ヶ月監禁されろよちゃんと歩けるからやめろ爺」
されるがままに肖像画の向こうに放られる。扱いが雑だ。ネビルがアバーフォースに手を振った。
「アブ、あと何人か来るかもしれない。よろしくね」
「おいてめえよろしくするんじゃねえ」
爺の抗議をネビルは無視した。肖像画が閉じる。誰かが灯りをつけ、一行の影が岩壁に躍った。つらつらとネビルの話を聞きながら、ひたすらに歩いた。状況が状況でなければ遠足のようだと思っただろう。いいや、長い旅をしていたのは確かだ。十数年前から――ヴォルデモートが凋落したあの時から、ずっと旅をしてきたのだ。なんにせよ今夜決着がつくだろう。
「――で、僕は隠れることにした」
角を曲がる。石段が延びていた。ウィスタの眼がじんと熱くなる。
『もし』
学校が危機に瀕したとき、心正しき者のための路を。
銀の輝きが眼を射る。落ち着いた声音に耳を傾ける間もなく、今度は明るい声が響いた。
『いいんじゃないか。俺の天才的な魔法でつくった通路だ。間違いなく作用するさ、サラ』
『通路の先はお店にしときましょ。番人を置けばいいものね』
ゆるやかに波打つ金髪と、穏やかな声。女は、黒髪の魔女を見やる。
『真実の眼を仕掛けておいたことだし』
魔女は呟き、眼を瞑った。
『いつかどこかで』
この路は使われるだろう。
立ち上がる者がないのならばないでいい。そこでホグワーツは終わるべきだ。
気づけば、耳を聾する歓声の中にいた。三つの寮のタペストリー、いくつものハンモック、本に杖、クッション、箒、洋服掛けもある。しかし、ちらと見ただけで終わった。ウィスタたちはもみくちゃにされていた。乱暴に背を叩かれる。落ち着いて、とネビルが声を張り上げ、ようやく解放された。
何対もの眼が、喜びを湛えてウィスタたちを見ていた。処理が追いつかないウィスタをそっちのけで、ネビルがにやっと笑った。
「ようこそ必要の部屋へ。いいや――」
お帰り、みんな。
――時間がない
ウィスタはエリュテイアを連れ、城内を走った。ヴォルデモートは一つ目の『分霊箱』を確認し終えた。どれほどの猶予があるのか。『炎』が躍る。先遣隊が入ったか。リアイス一族の本家および七分家には、鏡がある。みぞの鏡の兄弟鏡だ。緊急経路として利用でき、ホグワーツと各家を繋ぐ。次の報せはホグズミードを掌握したというもの。各家は俄然張り切っている。それでこそリアイスだ。
ハリーとネビルが地下組織を動かしているうちに――ウィスタはマクゴナガルに報せを飛ばしていた――すべきことがあった。鍵を握る人物に話を聞くという重大事項が。
「まったく気まぐれなレディだ」
嘆息する。こういう時に限って出てきてくれないのだ。仕方ない。女心は秋の空と言うではないか。
「ヘレナ」
虚空に向かって呼びかける。ともすれば風の音に紛れてしまいそうなほど、かそけき声だった。しかし、ウィスタは確信していた。彼女が呼びかけに応えないなんてことはない。なぜならば、ウィスタは彼女の血脈の子でもあるからだ。
「……なぜ」
帰ってきたのです。淡い影が顕現する。扇を口許に当て、憂いの深いまなざしが注がれる。
「尻尾を巻いて逃げると思われたのは心外ですね……ただいま、レディ」
「お帰りなさい。私の子……しかし、私はただの影。過去の欠片。戦の助力はできないわ」
「いいや」
ウィスタは遙か遠くの祖を見つめた。扇がほんの少し揺れ――次の一言で停止した。
「貴女は――髪飾りをどこへやった?」
「あれは、失われ――」
扇が落ち、床に当たる前に消えてしまう。あとには戦慄く唇だけが残った。ウィスタは眼を瞑って開いた。伝説の髪飾り。叡智の冠。ロウェナが自身の手で壊したと伝わっていたが――それが偽装ならば? たとえば、娘に盗まれたことを隠すために。レイブンクローの品といえば、もはやそれしか心当たりがない。そして、ヘレナは見事にカマかけに引っかかった。
「俺は場所を知りたいだけだ、レディ」
「軽蔑しているのでしょう……私は、母を超えたかった……見返したかった。子まで捨てて……逃げて」
追ってきた血みどろ男爵に殺されたの、とレディが呻く。
「そりゃああんたの母親が隠したがるわけだ」
衝撃の告白に、ウィスタは天を仰いだ。ホグワーツの廊下でこんな暴露をされるとは思ってもみなかった。
「私のことを恥だと――」
「いや。ロウェナは心配してたし後悔してたよ。欲しいのならあんたに髪飾りは譲ろうと思っていたし、話し合いたいと思ってた」
「なにを――」
ヘレナは口を開け閉めする。ウィスタを初めて見る者のように凝視していた。
「過去を視た」
端的に告げる。エリュテイアが盗聴防止をかけているのは承知している。それに、ここにはヘレナとウィスタたちだけだ。問題はない。
「まさか――サラザール先生、の」
沈黙が答えだった。ヘレナが喘ぎ、両手で顔を覆う。そうして青ざめた。真珠色でしかないが、確かに青ざめたのだ。耳鳴りがする。窓がわずかに震えた。
「ではあの青年が? 紅の影なぞ、気のせいだと……」
「俺の祖母を壊し、母を産ませた」
硝子にひびが入る。ヘレナがきつく拳を握った。
「なんてことを。私は――なんて男に秘密を……口車に乗って……」
「仕方ないさ。女をたぶらかすクソだから」
一拍、二拍。沈黙が場を満たし、ヘレナが片膝を突いた。古い古い礼法。相手への贖罪を示すものだった。
「アルバニアの森に隠しました」
ふ、ととある場面が蘇った。墓場と影。細い指が触れた。
『時がくればわかるわ』
■■の森――封じが解ける。アルバニアの森。だけれどそこにはもうないの。ホグワーツを探しなさい。そうしてあいつを滅ぼすの。お前ならば視れるはず――。
手がかりは、とっくのとうにもたらされていたのだ。ポケットに手を入れる。在るのは鏡。覗くのは過去。
たぐり寄せるのは――真実。