【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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六十七話 すべてが終わるとき

 静寂と闇と、土の匂い。緑の香り。ゆうらりゆらりと揺れている。心地のよい揺れ――。

「なんと愚かな。無様に死ぬとは! ポッターも、リアイスも」

 ヴォルデモートの声に、薄く眼を開ける。禁断の森のようだ。呪文を受けたはずなのに。あれは――あの狭間の、黄昏の世界は……夢ではなかったのか。それともこちらが夢なのか?

「不死鳥も嘆いております。勝利は確実にございます」

 震える声。ルシウス・マルフォイだろう。この揺れは魔法の担架か。わけがわからないなりに、ウィスタは眼を瞑った。まさかウィスタが生きているとは思うまい。悟られたら殺されるだろう。

「……そのまま」

 眼を瞑って。囁きが滑り込む。ナルシッサだ。どれほど声を聞いたことか。勝利を手にした葬列は、悠々と森を抜ける。不死鳥が歌っている。じわりと胸の奥底が熱くなった。善なる者に祝福と勇気を与える歌。不死鳥はわかっているのだ。ウィスタとハリーの生を。

 葬列は進む。担架が傾き、石段を上っているのだと悟る。扉が開く重々しい音。そして悲鳴。

「ハリー、ウィスタ!」

 マクゴナガルの叫びを、高笑いが切り裂いた。

「選ばれし者は死に、リアイスは死んだ。希望はもはやない」

 リアイスは屈しない。誰かが叫び、閃光がいくつもいくつも花開く。獰猛な足音と、放たれる呪文。担架が傾き、ウィスタは転がり落ちた。そのまま死んだふりをして、混迷が深まったころを見計らい、そっと眼を開けた。透明呪文で身を隠す。そろそろと戦場を縫い歩く。

「お前の蛇なんて――」

 こうしてやる。ネビルがグリフィンドールの剣を一閃すれば、呪われた大蛇はあっさりと両断された。ヴォルデモートが獣のうなりを発する。ネビルに迫ろうとする帝王を、マクゴナガル、フリットウィック、スプラウトが阻む。ウィスタも参戦しようとして、甲高い声に意識が引き寄せられた。

「兄弟のように殺されたい? それとも従姉妹のように廃人に? かわいいフレディちゃんはお気の毒だね」

「お前だけは!」

 ベラトリックスとモリー小母が戦いを繰り広げていた。帝王の副官と良家の魔女では勝負にならないはず。だが、灼熱の怒りが、モリー小母に力を与えていた。緑の閃光がベラトリックスをかすめる。しかし、歴戦の副官も負けてはいない。すかさず死の呪文を返し――ウィスタは追い払い呪文でモリー小母を退避させる。透明呪文が解けても構わない。

 突如として現れた亡霊に、ベラトリックスが眼を見開く。ウィスタは灰色から視線を外さなかった。外すわけにはいかなかった。

「お前――霊め……どこまでも!」

 邪魔をするか。シリウス! 狂ったように叫び、ベラトリックスが杖を振る――そこに銀色が突き立った。硬質な輝きが弾き飛ばされ、床に落ちる。転がった義手を靴が蹴った。

「それくらいになさいな。みっともない」

 軽やかにもう一撃。今度は生身の――残った腕を、銀の矢が貫く。悲鳴を上げ悶える魔女に、ウィスタは容赦しなかった。

「息絶えよ」

 魔力が緑の光となって、ベラトリックスに突き刺さる。帝王の副官は、あっけなく倒れ伏した。

「――貴様!」

 怒声に振り返り、緑の閃光を捉えた。迎撃しようとし、しかし死は儚く散った。展開されるのは盾の呪文。

「無茶をするね」

「地獄へようこそ相棒……呪文はお前が?」

 いや、別の誰かだろう。ふ、とハリーが息を吐く。杖を構え、凝固しているヴォルデモートに向かい合う。蘇った死人に、帝王が唇を震わせた。

「馬鹿な」

「お前のおつむじゃわからんだろうさ」

 鼻を鳴らす。血潮が――双眸が――奥底に眠る力がたぎった。このときを待っていた。ずっとずっと待っていた。

「いい加減、決着をつけよう」

 トム、とハリーが呼びかける。二人と一人ぽっちは間合いをはかり、じりじりと動く。

「お前たちはわかっていない。俺様は死を超えた。今ではニワトコの杖まであるのだぞ」

「残念だな。お前の企みは木っ端みじんだ。なんも残ってねえぞ」

 教えてやろう。ウィスタはにっこりする。

「審美眼を磨いたほうがよかったな」

 一言だけで悟ったようだった。ヴォルデモートが蒼白になる。眼を見開き、杖を握る手に力を込めた。

「そんなはずが――」

「かわいそうに。ちなみにスネイプはこっち側だったんだなあ。人を見る目もないなあ」

 とにかく煽る。ヴォルデモートは青くなり、白くなりと忙しい。ひくり、と帝王を名乗る男の喉が鳴った。カップは偽物。『分霊箱』はもはやない。まさしく崖っぷち。だが、生き汚い男はどこまでも強気だった。

「ニワトコの杖があるのだ! このように――使えるのだ」

 息絶えよ! 轟くような詠唱とともに、緑の閃光が生まれようとし――落ち着いた声が、世界に響いた。

「武器よ去れ」

 紅と緑が衝突する。ヴォルデモートの手から、ニワトコの杖が飛んだ。

「スネイプは主ではなかった。ダンブルドアから杖をとったのはドラコだ。そして今は――」

 緑が紅に押し負けて、弾かれる。ヴォルデモートが驚愕に眼を見開いたまま棒立ちになり、倒れた。ハリーの手に杖が舞い戻る。

「僕のものなんだ」

 静寂が大広間を包む。だが、ウィスタは武装を解かなかった。ヴォルデモートから靄が噴き出す。穢れの魔法、混沌の証が。

「ヴォルデモート」

 ウィスタは床を蹴る。『冬の息吹』を――あらゆる偶然と必然、願いと祈りが依り合わさり、ヴォルデモートを殺すための武器となった剣を振りかぶった。

「お前は誰にも愛されず、ただひとりで」

 死ぬんだ。

 澄んだ輝きが、靄を――ヴォルデモートの首を、一撃で斬り伏せた。刹那、屍の山を築き、血と涙で世界を満たした男は凍り付き――砕け散り、欠片も残さず消え去った。

 ◆

 穴を掘る。獅子と蛇、鷲と穴熊が描かれた布で金属の欠片たちをくるんでやる。そっと入れ、土をかぶせてお仕舞いだ。

「――長い戦いだった」

 はあ、とため息を吐く。ホグワーツの墓地の片隅に、ウィスタはしゃがみ込んでいた。寝間着のままだから、少し寒い。城ではお祭り騒ぎだろうし、ハリーは絡まれているだろう。

「……怒られるわよ」

「これだけしたかったんだよ」

 ヘレナ、と振り向いた。遠い遠い祖は、頭が痛そうな顔をした。ぱちりぱちりと扇を開いては閉じている。困ったときにそうするのだと、ウィスタはもう知っていた。

「医務室に戻りなさいな」

 宿願を果たして一時間も経っていないでしょう! 叱られてもそっぽを向いた。ニワトコの杖はダンブルドアの同意のもと破壊して、さあ戦後処理だと動こうとしたら医務室に連行された。解せない。皆あれこれ忙しいので、脱走してきたのだ。別にいいだろうよ。

「なんで俺だけ入院なんだよ。ハリーは……ハリーは元気だけど」

 ぶつくさ言った。どうせヘレナしか聞いていないのだ。

「あなた、監禁されて拷問されて、それから忙しくて本当なら三年くらい休んでもいいのにまだ働くっていうの」

 ねえ私の騎士様。大変麗しい笑顔で、ウィスタの半分がやってきた。

――まずい

 ご立腹だ。怒っている顔もかなりいいが。いやそういう場合ではない。

「城の修復とか、えと、皆の治療とか、ええと……」

 なんだったか。頭脳明晰だと言われるが、ウィスタの頭なんてこんなものだった。一人の女の前では大幅に知能が落ちるらしい。

「ほら、行くわよ」

 差し出された手をとった。そのまま二人で歩いていく。背後でヘレナが「まあかわいいこと」と笑っているが無視だ。祖に見られる屈辱よ。

「休まなきゃ駄目よ。したいことはなにかないの」

 もう好きにしていいのよ、とクインが囁く。涙の膜が張っているのを、みない振りをした。紳士たれ。騎士たれ。

――したいこと

「……セドの墓参り、付き合ってくれよ」

 ぽろりと願いが飛び出した。クインが立ち止まり、小さく頷いた。

「ええ……皆も誘いましょうね」

 明日でも明後日でも、約束できるもの。

 そうだな、とウィスタは返した。

「怖がらなくていいんだ」

 昨日よりも悪い明日を、どこまでも続く絶望を。

 

 犠牲を払い――夜明けがやってきたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 布団をひっぺがされ、従者に引きずり出され、妻に追い立てられ、ウィスタは大急ぎで支度した。馬車に駆け込んだとたん、準備万端な子どもたちに叱られる。

「間に合うからいいだろ」

 古式ゆかしい馬車とはいえ、六頭立てである。天馬は第六分家の産。つまり俊足だ。マグルには車に見えるように細工済み。地上も駆けられるし、空ももちろん飛べる。これまたマグル向けに透明呪文もかけられるようになっている。

 地上か空か? 訊けばいつものように「地上がいい」と返ってきた。息子たちと娘は、マグルの町に興味津々なのだ。

 馬車は悠々と駆け、ほどなくしてキングズ・クロスに到着する。息子その一のトランクを下ろしてやり、息子その二がどこかへ行こうとするのをとっつかまえしているうちに、隣に車が滑り込んだ。下りてきたのは赤毛の魔法使いだ。

「やあ、大変だね」

「お前の運転ほどじゃねえよ」

 口が悪いな! 赤毛が返す。しかし、青い眼には茶目っ気があった。下りてきた子どもたちを誘導している。

「そっくりだな」

「君がそれを言う?」

「ロンの言うとおりよ」

 踵を鳴らし、魔女が下りてくる。栗色の髪をきっちりとまとめ、スーツを皺なく着こなしていた。

「セリィもレグもあなたに似てるし。イリスはあなたのお母さん似で」

「この人の血が濃いのよね」

 妻が補足する。ウィスタはなにも言えなかった。別に息子どもがやんちゃなのはウィスタのせいではない。絶対にない。ニフラーをほしがるのもウィスタのせいではない。

 軽口を叩きながら駅構内に入る。へばりついてくる娘を妻に預け、息子たちを引きずるようにして障壁を抜けた。白く煙る世界のなか、紅の特急が静かにたたずんでいる。

「父さん」

 小さな声。灰色の眼が、ウィスタを見上げていた。父にそっくりな色だな。何度目かわからない感慨を抱く。ウィスタが継がなかった色。代を隔てて現れた虹彩。

「僕、スリザリンに入ったらどうしよう」

「いきなりどうした」

「だって、ジェームズはグリフィンドールに入るだろうし。僕……一緒の寮がいい」

 頭をかく。どう言ったもんか。ジェームズと入りたい。それは本当だが、別のなにかも隠れていそうだ。たとえば、スリザリンに入れば弾かれるんじゃないか、とか。

「俺の母はスリザリンだったが勇敢だったし、父はブラックだがスリザリンを蹴ったし、もちろん勇敢だった。ついでに叔父貴も勇敢でな。あんまり気にするな」

 軽く言ったが、息子は不満そうだった。

「とか言いながら、父さんはグリフィンドールじゃないか」

 またも唸るはめになった。膝を曲げ、息子の耳に顔を近づける。

「実はな、俺は四寮どこでもいいって言われた。特にグリフィンドールとスリザリンを勧められたが」

「たが?」

「マルフォイの野郎と一緒だなんて厭だと蹴った」

 だから、希望したらなんとかなる。にっと笑って顔を離す。

「そんな理由で?」

「人生の選択なんてそんなもんだぞ」

 どこに組分けされようが、お前は俺の息子だよ。乱暴に黒髪をかき混ぜてやる。ぽんぽんと小さな背を叩いた。「髪がぐしゃぐしゃだよ!」と息子がわめき、特急に乗り込む。ウィスタはくつくつと笑って呟いた。

「今日も平和だ」




これにて子世代編完結です。
ここまでお付き合いくださった方々、ありがとうございました。

※追記
呪いの子編も掲載はじめました
https://syosetu.org/novel/329668/
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