子世代編終了後の話です。
谷のひととき
すべて世はこともなし。
マグルがつくったという詩、その一節だ。
たいした事件もなく、数年前のようにどこそこのビルが崩壊しただの、橋が崩れただのもなく。行方不明者もいない。まさしく平和だ。
――すくなくとも
一部を除いては。
「……癒者を呼ぶか?」
ゴドリックの谷はランパント城、当主の私室を訪ねてみれば、ナイアードの又従兄弟はソファに沈没していた。寝転がり、片腕で眼を覆っている。靴は脱ぎ散らかしていて、行儀が悪い。
「別に」
頭が痛くてね。片腕を外すこともなく、又従兄弟は言うばかり。
室の片隅に控えた、白百合の騎士を見やる。ナイアードの手の中に書類が現れた。報告書である。一瞥し、笑いをこらえた。
「しばらく寝といていいぞ、ランパント」
あれこれとどうでもよくなるはずだ。書類の中身は「隠し子の訴え」がどうこう、というやつだった。それも軽く十件はある。
「俺さあ、まだ十九なんだけど」
「あー……たいてい通る道さ」
白百合の騎士こと、リエーフが椅子を出現させる。ありがたく腰かけた。ふてくされている少年――いいや青年に語りかける。
「十四、五で「あなたの子よ」とか言って迫られたしね、俺も」
「おいおい」
青年ことウィスタ――リアイス一族本家の、若き当主が身を起こした。相変わらず痩せている。細い、というにはいささか不健康な印象だ。あれこれ忙しいわ、戦時のあらゆる傷の影響か、休まるときがないのだろう。
「でっかいお腹抱えててなあ……」
思い出すだけでうんざりである。闇の帝王が去り数ヶ月経った頃だったろうか。ナイアードは五年生で――五年生だったはずだ。なんせ荒れていたので、記憶がおぼろである。
「責任とってくれだのなんだの」
「んで? どうしたわけ」
「失せろで仕舞いだよ」
下手すれば半殺しにしていたかもしれないが、それは言わなくていい話だ。
「妊婦にも容赦ねえな」
「わけわからんやつとヤってはらんだ挙げ句に、俺の金やら容姿やら能力やらを目当てに来たんだぞ? 知るか」
相変わらず傲慢なことで。ウィスタが嘆息する。
「事実だからな。そこらの連中よりはできるさ……今の俺なら、もう少し優しかったかもしれないが、なんせガキだったからな」
親友のビルいわく「寄らば斬る、寄らなくても斬る」のような硝子の十代だったのである。変な異名も頂戴していた。正直、五年生あたりの記憶なんぞ、喧嘩しかない。たいていがスリザリン系統の連中が相手で、もちろん後悔させてやった。
父親は惨殺されるわ、母親は病むわ、弟――そう聞いていた――は流れるわ、でナイアードの十四、五歳頃というのは最悪だった。
特に、帝王が去ってから、世間は呑気に浮かれ騒ぎ、ついでにクソ女どもまで現れた頃なんて……だ。
「親に知られたくないとか彼氏に捨てられたとか、色々あったんだろうよ」
ウィスタが言い、ナイアードは鼻でわらった。
「優しいね」
少々の嘲りを、ウィスタは無視した。
「どうしようもない深みはまったやつらって、そんなもんだ」
「見てきたみたいに言うな」
まだ若いのに……と続けようとして、ウィスタの育ちに思い至った。いまでこそ貴族然――騎士然としているが、成育過程は過酷だったことだろう。
消息不明になり、発見されるまでの約十年、なにがあったのか……ウィスタは語ろうとしない。それが答えだ。
「ヘカテもルキフェルもそういうのあったみたいだし」
「男連中はそういう宿命か? 通過儀礼か?」
「平時ならともかく、あんときは戦時だとか事が終わった直後だとかで」
リアイスのみならず、名門にはままある話だ。ナイアードたちの世代は、状況が状況なので、交際には慎重だった。戦でごたごたしているのに、お家騒動なんて御免だったのだ。
――そして
気づけば十数年経っていたわけだが。ついでに又従兄弟がでっかくなって、いまや英雄だ。
「この間まで赤ん坊だったのに、結婚なんてなあ」
しみじみと言えば舌打ちされた。かわいくないな。
「じじいかよ」
「兄さんと言ってくれてもいいんだぞ」
「ヤダね。兄貴呼びするならビルがいい」
親友、大人気である。
「ジニーと一緒になったら義兄だぞ」
「あ?」
悪かった、と両手をあげる。眼光の鋭さは曾祖父ゆずりだろう。
アシュタルテ・リアイス。リアイスの最長老。ホグワーツでの戦では、巨人の両足を斬り飛ばし、始末した魔法使い。爺だというのに『巨人殺し』の異名を新たにつけられている。
そんな元気すぎる爺は、今や臥せっている。決着がつき、張りつめていたものがゆるんだのだろう。ウィスタの結婚まで保つかどうか。
「それで? いい加減に決めたのか」
「サイズは測ったよ」
ウィスタがソファから降りる。すとんと椅子に腰かけた。卓にはティーセットが並んでいる。添えられている菓子は、ナイアードの手みやげだった。
「シリウスの子らしからないな」
「見ただけで測れるか俺は無理。それに、どうせ……」
指にはめないし。
「片づいたんだぞ? いいのか」
「残党もいるし、俺は英雄でリアイスだ。ほんとなら妻帯も……」
だから、首からさげるだけでいい。
きっぱりと言われ、首を振った。
「伴侶は持った方がいい」
「自分はいないくせに」
「痛いところをつかないでほしいな」
かわいくないクソガキである。ナイアードの場合は忙しかっただけだ。ヴォルデモートが戻ってくると予想していたし、十数年せっせと備え、鍛えていればあら大変。年を食っていた。びっくりだ。
そして、かわいくないガキを捜すのと、己を鍛えるためにあちこち旅もしていたのだ。当主業は押しつけて。曾祖父には殴られたが。そんなわけで、女の子との多少のおつきあいはあったし、縁談もあったのだが成就しなかった。
――切り捨てていたのだな
それどころではない、とほっぽりだしていたのだ。
「今は君の話だ、ランパント」
「指輪ははめない。クインもいいって」
――とびきりいいものにしてやるか
細鎖も、指輪もとことん力を入れてやろうではないか。ナイアードの配下たちがはりきる。
「ドレスは――」
「どれでも似合うだろ」
襤褸を着ていたって、と言いかねない。こいつはどんだけ将来の妻――現婚約者に夢中なのか。一途である。
満身創痍のなか、彼女に向かってひた走り、抱きついて失神しかけただけのことはある。きっと愛。
「じゃあ、クインの好きなものにしよう」
それで、曾祖父様にお見せしよう。ついでに写真も撮るからな。さっさと決めてしまう。これでは誰が新郎かわかったものではない。
「ほんとは――……の顔も」
ウィスタが言いかけ、眉間に皺を寄せた。細かく震える手が、茶器をとる。
――子どもの顔も
だろうか。聞き返しても、ウィスタは言葉を濁すだろう。そのあたりのあれこれを、ウィスタは忌む傾向にある。どうしようもない遊び人のろくでなしになられるよりはいいが。
それにしても、過剰なまでに嫌がるのだ。成育過程と――監禁された悪夢の数ヶ月の影響だろう。まったく口を割らないが。すくなくとも、爪はがしやらの拷問一式は受けているはずだ。
よくもここまで復活したものだ。偉大なる祖に感謝を。
「急がなくていい」
結局、そう言ってやることしかできなかった。ナイアードもあっちこっちからせっつかれ、うんざりすることしばしばなのだ。弟分にいらない気苦労をさせたくはない。
「なるようになるさ」
「つってもあんたのほうが、伴侶がいりそうだけどな」
「……なるようになるさ」
あなたといると怖いの、と言われて関係が消えることもあったし、縁談も同じく。どうせ、戦場の匂いでもするのだろう。
面倒になってそういったあれこれは遠ざけていたのだけど。
『あら、あなた』
乱戦になったホグワーツ。気づけば背中合わせになって戦っていたのは、緑の眼の魔女であった。
『高名な騎士様にお会いできてうれしいわ。しかも、こんな戦場で』
互いに軽やかに杖を振り、踊った。
『私はリディア。グリーングラスのリディア――』
あれから手紙のやりとりは続いているし、どうなることやら。
戦場で輝く女、殺しても死なないような女ならば、まったく不足はない。大歓迎である。多少年の差はあるがいいだろう。
といっても、ナイアードのあれこれは、若い当主が落ち着いてからでもかまわないだろう。
闇は祓われたのだから。