【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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あなたを覆う土がどうか軽いものでありますように

――このようなことを

 私は望んでいたのだろうか。

 彼は呆と立ち尽くし――身をすくませた。

 とある館の一室。いけられた花は無惨に散り、黒く焦げた残骸が、鈍赤の血が振りまかれている。

 点々と見える白いものは爪だろうか。壁には亀裂。家具は吹き飛んでいる。そも、玄関から廊下、そうして居間まで足跡が入り乱れ、魔法の痕跡が刻まれ、いかに激しい戦いがあったかは明々白々であった。

「なんだいルシウス」

 お楽しみなら終わったよ。

 女の声に瞬いた。整った容姿は、女の血筋の恩恵である。眉目秀麗。双眸は灰の色。彼の――ルシウスの妻と同じ色だ。

 しかし、妻とは違い、女にはぬくもりも慈悲もない。美貌はどこまでも冷たく荒々しく、どこかが決定的にゆがんでいた。

「なんの意味がある」

 ぽつ、と問いかけた。消えた主。崩壊した陣営。今はともかくも慎重に行動すべき時であった。ベラトリックス以下数名の消息が途切れ――いったいなにをやらかすつもりか、とあちらこちらを探し、たどり着いてみれば……。

「我が君を探すためさ」

「その挙げ句がこれか」

 眼を背けたい。ルシウスがおかしいのだろうか? ベラトリックス――妻の姉、ルシウスの義姉も、ほかの連中もにやにやするばかり。

「吐かないからさ。別にいいだろう」

 壊したって。

 手傷を負ってもいる、顔といい身体といい汚れている。しかしベラトリックスは誇らしげだ。誇らしげに『それ』を……それらを見下ろした。

 元は華麗な装飾がほどこされていただろう敷物、その上に座る影たち。のっぺりとした顔。唇から漏れるのは意味のない呟き。壊れ果て、朽ちていた……敷物と同様に。

――敵手であった

 高名な闇祓い夫妻。ロングボトム夫妻。顔も名も知っている。その腕前も確かであった。厄介な敵ではあったが――それ以上のものではなく、憎らしいとも思わなかった。彼らは純血で、同族だ。選び取った道筋が異なるだけ。穢れた血贔屓とも聞いていない。

――あまりに

 ベラトリックスは狂っている。わかっていたはずだった。なにせ闇の帝王に心酔しているのだから。ルシウスのように半ば強いられ……従うしかなかった者とは違うのだ。

『終わったのね』

 やっとなのね。

 妻の、淡い笑みが脳裏を過ぎる。ブラック家の娘。息子を抱き上げながら、呟いた。

『平和な時代が来たわよ、ドラコ』

 ルシウスは闇の帝王の麾下である。父が帝王に仕えていた。息子たるルシウスもまた膝を折った。でなくばマルフォイ家を守れないから。穢れた血に魔法界を汚染されるのはたまらない。彼らは伝統を知らぬ。わけのわからぬ考えを持ち込む異分子だ。貴族家の権益を維持するためにも、勝手をさせるわけにはいかない。

 いくつかある理由のなかに、闇の帝王への信望なぞありはしない。ただ踏みつぶされぬため、甘い汁をすするために侍っていただけだ。

 蓋を開けてみればだ、帝王は狂っていた。魔法界の浄化を謳い、屍を築き上げた。殊にリアイスへの執着は異常であった。

 ひたすらに、帝王に眼をつけられぬよう立ち回り、身を縮めていた。気の休まらない日々が、数日前に終わりを告げたのだ。

――帝王が消えた

 いや、死んだ。闇の印は沈黙したのだ。生きているはずがない……。ベラトリックスは生きていると思いたいらしいが。

「離脱したほうがいい」

 用は済んだろう。唇が勝手に動く。誰よりもこの場にいたくないのは、もしかしなくてもルシウス自身だ。見る影もない二人を、人間だったものを目に入れたくなかった。

 ぷつぷつと何事かを呟く女――ロングボトムの妻が、顔を上げる。

 虚ろな眼が瞬いた、次の瞬間猫の鳴き声が聞こえた。

「……ああ」

 杖をもてあそんでいたベラトリックスが唇を吊り上げる。声のほう――上を見やった。

「そういえば」

 いたんだっけ。

「かあわいそうな子が」

 滴る毒で窒息しそうだ。同胞たちが歩を進める。年若い青年も彼らに従っていた。クラウチ・ジュニアだ。弾むような足取りだった。

「待て、離脱を――なにを……」

 鳴き声は止まない。廊下を進み、階段を上がり……ルシウスは歯を食いしばった。もしかしなくとも、これは。

――赤子の

 泣きじゃくる声ではあるまいか。ぎくりとしたルシウスなどかまわず、杖が何度も振られ、守りを破り、扉を開く。

「やあやあベイビイちゃん」

 高く怖気のする声で、ベラトリックスが歌う。

「パパとママはバカになっちゃってねえ。わかるかい?」

 なにも知らないままいったほうがいいだろうねえ。

 同胞たちはけらけらと笑うばかり。ルシウスは前へ出た。転がるようにして赤子とベラトリックスの間に立つ。

『ドラコ』

 私の可愛い子。妻の声が響く。

「なんのつもりだい、ルシウス」

「こちらの台詞だ。時がない。離脱するんだ――ここは外れだった。我が君をお探しもうしあげるのが、我々の本分」

 なめらかに舌が動く。私はなにをやっているのだと思っても、もはや止まれなかった。

「逃げた方がいい。この子は純血だ。狩っても楽しくなかろう?」

 おまえはもっと頑丈で、長くいたぶれる者のほうが好きだろうから。

 ベラトリックスの、同胞たちの視線が突き刺さる。ルシウスはあくまでも淡々とした風を装った。

「……ああ、我が君。我が太陽……いずこにいらっしゃるのか!」

 熱情を秘めた叫びであった。ふぅう、とベラトリックスは息を吐き、杖をくるくると回した。

「お前の言うとおりだ。こんなチビで遊んでも――」

 ね、と言い切る前に、館に轟音が響いた――上から。

 天井に穴があく。人影がちらりと見えた。

――来たか

 ルシウスは逃げを打った。すぐさま姿くらましをはじめ、渦に呑まれる間際、みたものは。

 燃えるような空色と、爆発的な魔力。

 とりどりの光と、ベラトリックスたちの嘲笑。

「お前たちなにを――!」

「みちゃったかいみちゃったかい。リアイスの坊ちゃん! はははははっ!」

 

 

「……最悪だ」

 ルシウスの気分は最低だった。最悪も最低もさして変わるまい。ともかくもやっていられないと思った。

 隣の独房から「ああ、私はセルウィンの」だとか「高等尋問官」だとか、壊れた笑いやらが聞こえてきたら、ルシウスとて参る。独房暮らしはいいとして――これはたまらない。夢見が悪くて当然だ。

 寝台に座り込む。どうせすることもないのだ。ルシウスは負けた側で、監獄に放り込まれた身の上。処刑されなかっただけマシだ、となんとか言い聞かせているのである。

 なんでこんなことに。

 つく側を間違えた。それに尽きる。かといってほかにどんな路があった。すべてを放り出して逃げることなど、ルシウスにはできなかった。

 ああすれば、こうすればと思ったところで後の祭りだ。ルシウスに未来はないのだ。

 ここからは出られない。もはや確定している。あの一族が――殊にあの青年が赦すまい。

 黒髪の青年。双眸は青と紅。誇り高き魔法騎士。そして英雄。

 そして――。

 ルシウスを現実に引き戻したのは、靴音だった。鋭く、乱れのないそれはまっすぐにこちらに向かってくる。

 つい、と眼をやれば、なめらかに格子が開いた。

 闇色の靴、闇色の衣、髪も黒く、双眸は鮮やかで。

「やつれたな」

 ルシウス・マルフォイ。

「あまりに快適な生活なもので」

 皮肉を口にしても、気分は晴れない。強烈な衝動が襲い来る。逃げたい、と。青年の前から逃げなければと。

「とって喰いやしないさ」

 青年は鼻を鳴らし、ついで苦いものを滲ませた。口元を手で覆う。

 拷問を受け、剥がされた爪はすっかり元通りになっていた。だが、深く深くに刻まれた傷は癒えてはいないのだろう。

 ルシウスとて全貌は知らないなりに推測はできる。ろくでもない真似をされたのだろうと。

「何の用だ」

 ウィスタ・リアイス。水を向けてやる。狂った義姉と狂った帝王のことなど考えたくもない。

「大臣のお供ののついでだよ」

 要は気まぐれということだ。ルシウスは息を吐く。壁にもたれかかった青年に問いかけた。

「……に来たのでは?」

「考えはしたが、夫人には借りがある」

 治療やらのな。青年の手が肩をさする。ベラトリックスに貫かれたほうの肩である。看病したのはルシウスの妻、ナルシッサ。そして息子のドラコであった。

「出してはくれないと」

「腕一本その他諸々、そして我らがハーマイオニー近辺の借りを合算しても無理だ。無理というかさせないね」

 わかってるだろ? 青年の手にはいつのまにやら煙草があった。流れるように口元へ持って行き、紫煙を吐き出す。腹が立つほど様になっていた。

 おちぶれたルシウスとは違い、青年はどこまでも駆け上がっていくだろう。歴史に名を刻むであろう。英雄として……なんたる差であろうか。

「縛りは生きている」

「俺は慎重なもんで。死喰い人はだーれも生かさない。あんたも含めてだ」

 永遠に出すものか。出ていけるのは死んだときだ。

「心配するな。マルフォイ家は潰さずにおいてやる。大臣閣下は慈悲深い。ただし、あんたが脱獄やら漏洩を企てたら――」

 聞かずともわかった。先からわかっていたことだ。あくまでも訊いてみただけだった。処刑の噂が監獄を席巻していた。死喰い人は次から次へと葬られている。ルシウスのように死にはあたらずとされても終身刑だ。つまり結末は変わらない。

 青年の血筋を知っている者は、すべからく始末されるのだ。

「あんたの妻子には手を出していないし……あんたのかわいい息子は、グリーングラスの女と結婚するらしいぞ。おめでとう」

「ありがとうと言うべきかな?」

「どういたしまして」

 肩から力が抜けた。

――そうか

 息子は自分の力で歩き始めたのか。

『かわいいドラコ』

 わたしの息子。妻の両腕に抱かれた、小さな赤子。彼らの息子。

 ただ、幸福を約束したかっただけだ。家を繁栄させたかっただけだ。差別主義だと言われようが、正義に反していると言われようが。その結果がこの有様。

 しくじりは取り戻せない。だが、最低限のものは守れたのだろう。

「なら、いい」

 うん、と青年は頷く。鮮やかな両の眼が、ルシウスをからめ取った。

 そして青年は言った。

 

 

あなたを覆う土が

どうか軽いものでありますように

 

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