※紙本をお迎えくださった方、ありがとうございます
「……世の中クソすぎる」
薔薇の園、魔法騎士一族の砦などの異名を持つ『谷』――ゴドリックの谷でウィスタはため息をこぼす。ランパント城の執務室、据えられた机には書類がたんまりと積んであった。
やれどこぞで小競り合いだ、闇の帝王は生きていたのだ、謎の教団の出現、帝王は復活するのだ、俺は死喰い人の残党だどうこう。
我こそは帝王の子である、スリザリン系なんてまとめてほろぼしてしまえ、手が足りんからよこしてくれんかね……等々。
卿と名のり帝王と呼ばれていたクソ野郎が死んでから、ざっくり五年ほど経っているのだが、まだまだ世間は騒がしい。
小競り合いは仲裁し、やつは死んだわボケと言い、教団はぶっ潰し、復活するわけねえだろクソがと黙らせ、騙り元死喰い人は泣かせ、やつの子がいるわけねえだろアホがと黙らせ、だからお前らは調子にのるなと謹慎その他の処分をし、忙しいのはわかりますが俺も忙しいんですよと文句を言い……だ。
戦時よりマシだ。それは間違いない。しかし……巨悪を滅ぼしたところで、世間ってやつがお綺麗になるわけではないのだ。知っていたはずなのにうっかり忘れていた。
――やつのせいで
歪みが一気に表面化しただけのことだ。そうとわかっていても苛立ちは募る。
一枚の書類を手に取った。ウィスタの頭痛の種は多いが、これはなかなかに面倒な案件だった。
「我が君が手を出さなくとも、誰も責めませんよ」
控えていた従者がさらりと言う。ウィスタの葛藤などお見通しといったところか。
「そりゃそうだが」
返し、眉間に皺を立てた。書類にはとある人物の姓名と、写真が載っている。隠し撮りなのだろう。買い物途中、商品を――ポケットにいれる場面が切り取られていた。れっきとしたスリだ。
「しゃあねえだろうよ」
ウィスタは椅子を蹴るようにして立った。形に沿う影のごとく、従者も動く。
「思うがままになされませ」
混ざり子に手を伸ばしたいのなら、そうすればよいのです。
◆
なんで。
どうしてよ。
ああにくいわ。
呟き、わめき、ものを投げる。
ママは血走った眼でリラをにらむ。「あいつに似ているから」と言って。
前は、金の髪も
わたしは全部捨てたのに。
あなたのために家を捨てたのに。
子どもも生んだのに。
愛していたのに。
「レストレンジなんて」
信じなければよかった。
「あの人はほかとは違うと思っていたのに」
しくしくと泣き、わんわんとわめき、リラをぶったり、髪を切ったり、ママは好き勝手した。
リラが泣けば泣くほど、嫌がれば嫌がるほど、ママは怒った。
どうすればいいのかわからなくて、ただ静かにした。
「起きないねえ」
ママはずっと寝ている。リラが起きてと言っても、パンを持っていっても。パンはお店でもらってきたのだけど。だってママが自分でなんとかしなさいって言ったから。
スーパーに行って、ポケットに入れてきた。リラが着ているのはパパのお古だ。きっと魔法の服なのだ。だってリラのためにちいさくなってくれたり、ポケットにたくさんものが入る。
いい子にしているのにな。寝室のママをじいっと見る。きれいだったママ。愛してくれたママ。つんとしたにおいがするから、寝台をお花で飾ったのに、静かなままだ。
おかしいな。ママは『魔女』で、パパは『魔法使い』なのに。リラはなんにもできない。ママを起こせない。パパが出ていくときも「待って」って言ったのに振り払われた。
「――だから金持ちかとおもったのに」
子さえ産ませればうまくいくと思ったのに。
期待外れだな。
じゃあなリラ、ママとたのしく暮らせよ。
そうして出ていったのだ。
「きっとリラが」
わるい子だからだ。
抱きかかえた友達――くまのペギーをなでてあげる。だあれも家にこない。朝が来て夜が来てまた朝がきてもだれも。
リラは一人ぼっちだ。
またペギーをなでる。パパがくれたのだ。首にはリボン。銀色のメダルがついている。ぜんぜんかわいくない虫……サソリだ。
「どうしよう」
なんでママは起きてくれないの。眠ったままなの。
「リラ……どうすればいいの」
わかんない、とつぶやいたとき、にぁあと猫が鳴いた。呼び鈴だ。にゃあにゃあと何度も鳴く。
リラはそうっと立ち上がる。ママはまだ起きない。寝室を出て、廊下を歩く。ペギーを片手にゆっくりゆっくり。階段を降りて居間に……埃が舞ってきらきら光る。玄関扉に手をかける。
誰かきても開けちゃだめよ。悪い人がいっぱいいるから。
綺麗だったママに言われていた。どうしよう? 開けちゃだめだけど……聞くのならいいのかな?
「誰ですか」
「お母さんはいるかい?」
男の人の声がした。
「……それにしても」
寂れてるな。『谷』から移動した先はロンドンの一角だ。どこの都市にもある吹き溜まり。せせこましい住宅地に窮屈そうに建っている一軒家は手入れもろくにされていない。
よくある恋愛話のたどり着いた先、愛の巣にしてはあんまりよろしくない。
陳腐すぎて欠伸が出る類の話だ。とある魔法騎士家系の娘が、蠍の一族の男と駆け落ちした。そして一族から放逐された。
『どこぞで勝手にしてればよかったのだけど』
すこしまずいことになってるみたい。
他人事のようなメモ付きで書類を寄越した魔女がいた。魔法省のお偉いさん。魔法法執行部の長をやっている、第六分家の魔女である。
あの莫迦な子には娘がいるのだけど云々、云々と事情が書かれていた。親が育児放棄しているようだが、第六分家は動かない。だって放逐したのだもの……。
石段をのぼる。呼び鈴を押せばにゃあにゃあと鳴いた。ウィスタは振り向き、従者を確認する。静かに待機している。防音その他もきっちりかけ、リアイスの女とレストレンジの男の愛の巣を隔離していた。
呼び鈴を鳴らし続けることしばらく。玄関扉の向こうからちいさな声がした。
「ママ、寝てるの」
ずっと寝てるの。
わずかに震える声だった。
「どれくらいかな」
俺は君のママの親戚なんだけど。嘘ではない。どころかパパの親戚でもあるのだ。かなり、けっこう遠いだろうが。
「わかんない」
ちょっとべそをかいている。
「それは大変だ。ママは病気かもしれない」
「にこにこしてたのに」
リラが気に入らないって怒るの。
――病気だな
ヘカテを呼べばよかったな、と第七分家の魔法使いを思い浮かべる。治療の心得はあるし、病院への繋ぎも早いだろう。
「ママが心配だから開けてくれるかい」
やさしく言う。リーマスのように。ああ、彼がいればな……。
うずく痛みを押し込めて、続ける。
「俺はウィスタ。ウィスタ・リアイス」
ぱっと扉が開く。広がるのは薄闇。漂うのは花の香りと……崩れ、朽ちるもののにおい。
「聞いたことある」
ママが言ってたの。
ウィスタはくすんだ金色を見下ろした。一心に彼をみてくるのは、薄紫色の眼だ。
「助けてくれるかもしれない、ひとって」
ウィスタは汚れた玄関に膝を突いた。細くて小さい女の子……テディより少し上だろうか。くすんだ顔、頬に触れる。ざらりとした感触。
「そうとも」
賢いママのところに、案内してくれ。
リラ、と柔らかく呼べば幼い顔がくしゃくしゃになった。ウィスタは英雄なんぞになるつもりはなかったが、こうして信用を買えたのなら悪くはない気分だった。
手を繋いで玄関から居間へ、そして寝室へ入る。
殺風景な室だった。埃が薄く積もった床を踏み、窓辺へ近づく。据えられた寝台からなんともいえないにおいがした。
「花は君が?」
寝台を――『ママ』を覆わんばかりの紫。『ママ』そのひとには触れず、
「ママが好きだったの」
リラの花だからって。
「いい子だ」
言って、布を――聖骸布を出現させた。美しい紫のそれを、眠る女にかけてやる。
「ママ、起きないの?」
「疲れて寝ちゃったんだ」
猫ちゃんみたいに寝たままなの。リラが訊いてきた。飼っていた猫なのか、野良なのか。それともニーズルか。ウィスタにはわからない。だが、リラはぼんやりとでも『ママ』がいなくなったことをわかっているのだろう。
薄紫は潤み、くちびるを噛んでいる。こんなときにかけてやれる言葉をウィスタは知らない。どんななぐさめも無意味だろう。この子は母親を亡くし、父親からは捨てられたのだから。
「ママとちゃんとお別れしなきゃいけない」
着替えてもらったり色々な。
手に力をこめる。リアイスとレストレンジの混ざり子。一族から忌まれるだろう。けれど、諸々を心配するのはあとにしよう。
いまはこの子に与えてやらねばならない。
「腹が減ってるだろ」
たんと食わせてやるからおいで。着替えもしような。
ちらと寝台をみやる。レストレンジにたぶらかされた愚かな女。破綻した愛にすがって、きっと壊れたのだろう女。彼女は一つだけ正しいことを言った。
「俺は君のママが見込んだ男だ」
そしてリアイスは魔法の徒を助ける者だ。
言って、リラの手を引いた。
飢えた子どもに光と希望を与えるために。