「頼むよ閣下」
「……親戚の伯父にものを頼むくらい軽いな」
いつの間にか臨時魔法大臣になり、ずるずると『臨時』の看板を引っ提げている男は言った。
「遡れば親戚だろ?」
しれっと返され紅茶を飲む。卓を挟んで向かいに座る、青年がいれたものだ。他人の邸――キングズリー・シャックルボルトの邸だろうと、たちどころに美味い紅茶をいれてみせる青年は、まさしく親戚の甥っ子よろしく軽く、なんなら愛嬌たっぷりに振る舞っている。
どうすれば年上に受けがいいか知っているのだこの青年は。性質が悪い。
「何代遡ればいいやら」
鼻を鳴らす。
「リアイス当主からの正式な要請なら受けざるを得ないとわかってて」
あえて『頼む』ときたか。わざと冷たく言ってやっても青年は薄く笑うだけ。
――当主ですとは
言わないか。権門リアイス、それを束ねる当主がいるとされている。だけれど表には出てこない。いや、世間もたいして気にしない。リアイスには有名人が多いから。
獅子公アシュタルテだとか。その娘、闇祓い局創設者のアリアドネ。その娘の闇祓いリーン。そして、闇の帝王を討ち取った英雄の一人、ウィスタ。ウィスタ・ブラック=リアイス。ほかにも錬金術師のナイアード、高名な癒者、薬学師、ほかにもたくさん。
勇猛果敢な魔法騎士一族。あらゆる分野に進出する一門。先の戦でも活躍し、現在の魔法界を牽引する存在だった。
「当主サマはお忙しくてね」
ちびに構っちゃいられないし……。
「リアイスが動くわけにはいかないと仰せだよ」
キングズリーは茶器を置く。口端をわずかに上げた。省から邸に帰宅したら、青年が待っていた。「もう二時間はお待たせしてます」と侍女に耳打ちされ、嫌な予感はしたのだ。青年ならば、事前に約束をとりつける。ふらりと訪ねたとしても、空振りなら出直すはずなのだ。それがわざわざ訪ねてきて、待っているのだからなにかがある。警戒して臨めばこれだ。
「どうかしてるんじゃないか。私に女の子を託したいだと?」
「当主のとこじゃ引き取れないだとさ」
わかるだろう? 青色が――至高の青とも呼ばれるそれが、キングズリーに向けられる。青年の母親と同じ色。そろそろ、青年は母親の年を超す頃か。
――あまりに若かった
早い死だった。任務で組んだのは数えるほど。彼女は主にジェームズと組んでいたから。
『先輩といると落ち着けていいわ』
ジェーだと騒がしいから。
そんな他愛もない会話を思い出す。そしてもうひとつ。
『子どもに罪はないでしょう』
イージス家の子は孤児院に預けます。だって。
『親が死喰い人というだけだもの』
まだ大丈夫なはずよ。だから。
常は淡々としている『後輩』の、感情的なその様。血に塗れながらもキングズリーに言い募り、イージス家の死喰い人ならびに家人を皆殺しに――子だけを除いて始末した手で、キングズリーの手を掴んだ。
『闇祓いは秩序の守り手なのよ』
ため息を吐く。過ぎた話だ。彼女は死んだ。殺された。その息子が仇をとった。
「リアイスの子だからか」
「レストレンジが半分混ざってる」
「冷たいものだ」
女の子を保護したから頼むと言う。それはリアイスの子だが、父がレストレンジ――ロドルファス、ラバスタン兄弟の従兄弟。
「今のリアイスじゃ、あの子をどうにかするか追放するかだろう」
「悪魔か」
「しゃーねえだろ。そういう一族だし。闇側なんて隙あらばどうにかしたいやつらも多い」
「英雄たる君が歯止めをかけたんだろ」
「言ってるし締めてるし、当主も同じくだけど」
ただ、感情を完璧に制御できるやつなんていないだろう? 青年は物憂げだ。窓から差し込む黄昏色が、彼の眼を紫に染める。
「……理論的には引き取れる。リアイスの中でも良心的なのはいる。だけどな」
やっぱり疎まれるだろうし風当たりもきついだろう。
「よりにもよってレストレンジなんぞと駆け落ちし、家を棄てた出来損ないの娘。レストレンジとリアイスの混ざり子」
ぜってえなんか言われるだろうし、俺も全部は庇えないし守ってやれない。
実感のこもった言だ。そうして気付いた。
青年はリアイスと死喰い人の子だ。父の冤罪が晴らされるまではそうだった。一族から陰口を叩かれたこともあったろう。
私とトンクスが監視していたときは、とキングズリーは思い出す。何年も前の夏のことを。当時の長、ルーファス・スクリムジョールに命じられて監視した。
『……なにかあれば』
あとはわかるな、と言われた。監視して、もし不当な扱いを受けているならば、介入してもよいと。過剰に「死喰い人の息子」を「シリウス・ブラックの息子」を怖れるファッジをなだめるための、ゆるい監視。その実、リアイスの子が一族から虐げられていないないか気にかけていたのだろう。スクリムジョールは。
――リアイスの冷酷を知っている
輝ける一族は闇も深い。異端とみれば排除する。だからこそスリザリンに組分けされた娘をも放逐した……。
ただ、スリザリンに組分けされただけで。その存在を疎んじた。
青年もまたわかっている。己が一族がけして善でも正義でもないと。
「だから託したい。レストレンジんとこもゴタゴタしてるらしいし、あっちもリアイスの子なんぞお断りだろう」
「……結婚もしてないぞ私は」
「あんたならいくらでもいるだろうが相手。リーマスも独身だったけど子育てしてたよ」
俺がその証明さ。青年は笑おうとしたのか、奇妙に顔をゆがませた。
目の前で養父を亡くしたのだという。
『盾の呪文が』
間に合ってれば。一瞬だったんだ。たったそれだけの差で……。
戦が終わってしばらくして、ひどい顔でそう呟いていた。
傷だらけになりながら、養父と又従兄弟の忘れ形見の世話をし、魔法界も駆け回る『英雄』。きっと空白が完全に埋まる日は来ないのだろう。痛みは引いていくだろうが、不意に顔を出して心を苛む。いつまでも。
「……知らないぞ。男の子ならともかく」
さすがにためらう。リアイスとレストレンジの子だからではない。そんなものはどうだっていい。よりにもよって小さな女の子を引き取る己を、キングズリーは想像できない。
「うちのが視たんだよ。だからなんとかなる」
なんとかしてほしい、と祈りにも似た言葉が潜んでいる。青色がひたとキングズリーを見ている。
『子どもに罪はないでしょう』
後輩の声がまたも響く。そしてもうひとつ。
『あんたはガキの扱いが巧いな』
どこか羨ましそうに言う男。研ぎ澄まされた灰色。端正なその面。
『……俺にはわからん』
父親なんて。
君は立派に父親をしているとも、とあのとき言ってやればよかったのか。
――父親だった
シリウス・ブラックは。息子の――息子たちのために戦って死んだ。きっと十二年だんまりで投獄されていたのも、死喰い人の汚名が晴らせないと確信したから。静かに死ぬつもりだったのだろう。息子に傷をつけないために。
無責任に手を出すべきではない。守りきれるとも限らない。むしろ、大臣のキングズリーが側に置けば、いらない厄災を呼ぶかもしれない。
理性はそうささやく。だけれど。
「その子の名は?」
小さな手をとれなくて、何が大臣だろうか。たまたま生き残っただけの男が、助けを求める者を撥ねつけるのか。
青年は眼を見開き、ついで双眸を明るくした。
「リラ」
キングズクロスの雑踏の中、その名を呼ぶ。細い背が振り向いて、金の髪が射し込む陽に輝いた。
ライラックの眼が見開かれ、明るい色を帯びる。
「父様」
なんで、とその眼が言っている。キングズリーは周囲の囁きやざわめきに頓着せず、娘に歩み寄った。
「見送りくらいさせてくれないか」
「だって」
じりじりと娘は下る。特急がいるから、ホームから転げ落ちる心配はない。
「仕事が忙しいって」
北米に行ってたんでしょう。誰にも聞こえないように囁かれ、嘆息した。
「移動くらい苦じゃない」
いやまあ、煙突飛行で中継したり、姿くらましを駆使して極限まで時間を切り詰めたが。娘にそんな裏話をするつもりもない。
多少は格好がよれてるが、娘に気づかれないだろう。
「ただ行ってくるだけなのに」
「最終学年になった娘がね」
胸に輝く首席バッジに眼をやる。青年に押し付けられた娘。手元において、侍女たちや妖精の手を借りて、なんとか育てた。娘は努力家だった。キングズリーの名に傷をつけないように優秀であろうとした。
頑張らなくてもいいんだよ、と何度も伝えても。
「一人で送りたくなかったんだ」
ゆっくりと柔らかく言えば、娘は唇を引き結ぶ。そんな資格ないのに、と全身で語っていた。
珍しくも抱きついてくる。細くて小さな娘だ。青年に――いまや三子の父に言わせれば「あんたがでっかいんだよ」だが。
「大好きよ」
今日は珍しいことが続くものだ。ハグですらあまりしないのに。妙に控えめなのは、魔法騎士一族の血なのか。
くすりと笑い、娘の背を軽く叩いた。
「行っておいでリラ」