息子を頼む。
影が言う。流れるように手を動かし、憂いの深い眼で彼女をみやって。
「……私でよいのですか」
問う。貴方は聞いているはず。我々の血統がどれほど……どれほど濁っているか。
「望んだわけではないだろう?」
静かな声だった。その名の通り灼熱を宿し、見る者の眼をくらませるほどの輝きを持つ男。そんな彼が、これほどに静寂を纏うと誰が思うだろうか。
それとも、と彼女は思う。強い光は影を落とす。ならば影も男の本質であろうか……と。
「私は狂っているのですよ」
本来ならば、子息の側に近づけたくないのではありますまいか。重ねて問いかけても、彼は口端を吊り上げるだけだ。
「あいつの味方は、ひとりでも多いほうがいい。そりゃあ、ここ数代は疎遠だったらしいが」
自らの祖父を排除した、その覚悟を買おう。
まじまじと彼を見た。多少の難はあろうとも、彼はグリフィンドール出身だ。己が路を信じ、光を求める。だからこそ、彼女が祖父を除いたことも、嫌悪するかと思っていたのだが。
――奈落の底に
封じ込めた。
『お前は背いたのだ』
『リアイスと結びつけと言ったのに』
『ブラックとの混ざり子に肩入れし』
『なんのために』
お前を生ませたと思っている。
恨み言ばかりだった。主家から遠ざけられ、再び舞台に上がることを――主に見初められることを夢見ていた。彼女に主家の男と番えと命じた。だから逃げ――力を蓄え、舞い戻り……。
『お前は純血の、誰よりも濃いリエーフなのに』
なぜわからぬ。
どこまでも見苦しい男であった。ノクトであった己は、このようなことを望んでいたのだろうか。主を、主の末裔を守りたかった。その一心でつないできた。産み落としたものが、これほど醜悪になろうと誰が思うだろうか……。
『さようなら』
もう会うこともないでしょう。
笑みすら向けず、扉を閉めた。そうして彼女はリエーフの長になったのだ。
「我が君のためだけではありません」
私には必要だったのです。あれは腫瘍でした。見ていたくなかった……。だってあれは――実の娘と息子に強いたのだ。禁忌を犯させたのだ。
「俺はとやかく言わないさ」
誰だって秘密も罪も抱えている。影のように引きずったまま。
「その力を、息子のために尽くしてほしい」
ずっと守ってやれるわけじゃないから。
瞼を上げる。汚れきった石床が眼に入った。
――助けにいかねば
主の父が、神秘部に……いいや……違う。あれは偽りで――。
捕らえられてしまったのだ、と思い出す。いよいよもって乗り込もうとした矢先に。しくじった……。
助けなければ。
「我が君」
呟く。口端がひどく痛んだ。血は止まっているが、裂傷はすぐには癒えないだろう。
殴られ蹴られ、磔刑の呪文を何度も行使された。だが、骨は折れていないし、内腑も無事だ。
「慣れない杖の割には」
厭になるほど使いこなしているが。性質が悪いにもほどがある。ブラックの血筋ゆえか……。滅法戦向きの者が生まれやすいのだあの家は。今代ならばベラトリックスと、主の父、シリウスがそうだろう。実力はほぼ同じ、監獄の闇にひたり、耐え抜き、折れなかった。だけれど。
――選んだ路は違った
ふっと息を吐き、じりじりと身を起こす。まだ動ける。動かなくてはならない。竜の館には、エリュテイアの主がいるのだ。
「これしき――」
立ち上がる。ベラトリックスはいない。どうやら違う玩具のほうへ行ったようだ。かすかな悲鳴はハーマイオニーのものか。
――クズどもめ
「サラザールは」
指を鳴らす。主の招請に応え、杖が手の中に飛び込んでき た。素早く癒しをかける。何度も呪文を受け、消耗している。傷もある。完治させている暇などない。応急処置で誤魔化すしかない。
「お前のような、酷い振る舞いまでは」
しなかったぞ。
吐き捨て、エリュテイアは歩を進めた。壁に影が躍る。牢に鍵はかかっていない。追いつめきったと慢心しているのか、脱出したところで、しとめればよいと思っているのか。ベラトリックスの腕前ならば、可能だろう。たいていの者なら殺せる。それだけの力は持っている。だが、エリュテイアを簡単に始末できると思ったら、大間違いだ。
松明のあかりのもと、闇をかきわける。悲鳴はまだ続いている。
――突き当たりか
広い地下、その一室。牢と呼ぶには広すぎるそれが、いくつか並んでいる。マルフォイの祖の誰かが、恨みをおそれて作らせたのか。それとも人狼を封じ込めるためか。廃するには手に余り、現代まで保持していたか。今では血を裏切る者や、純血主義へ反旗を翻す者のために使われているというわけだ。
昔はすりよっていたくせに。
くつくつと音が漏れる。富を得んと、非魔法族社会へすりよっていた時代もあったのだ。時の女王に恋慕をつのらせ……挙げ句に呪いをかけようとした莫迦者め。当時の主と己で阻み、宮殿から放り出したのも懐かしい 。マルフォイの連中は――それに他家も、都合よく『負の記憶』を葬り去っているようだ。でなくば恥知らずにも純血がどうこう、穢れた血が……などと言えまい。
「やめてえぇぇ!」
突き刺さるような叫び。エリュテイアはどれほど気を失っていたのか。いくら優れていようと、戦いも血も、汚泥も知らぬ娘には酷すぎる仕打ちだ。
足を早める。素早く手を動かし、伝達を送る。どこぞに潜んでいる鴉に向けて。
――我が君は任せた
用を片づけ、速やかに合流する。
主の救出が第一。だが――見捨てたとあれば、どれほど憤るかわからない。これ以上、主の心を欠けさせたくはなかった。
赦す限りの早さで、廊下、突き当たりにいたる。
「穢れた血め!」
汚染する者め!
高らかな笑い。扉は開いたまま。女にしては高いその背が、無防備にさらされている。
扉口から中に滑り込んでも、ベラトリックスは気づかない。獲物をいたぶるのに夢中だ。
牢は、剣や槍を振り回せるだけの広さがある。囚人をまとめて押し込むその場所を『穢れた血』のためにあてがったのだろう。
矢を番える。毒液にひたした鏃が、鈍く光った。
――なにが役に立つかわからないものだ
毒液はバジリスクのもの。主とともに『秘密の部屋』へ降りた際、密かに採取したのである。その毒液は、爆発的な痛みをもたらし、触れたものを朽ちさせるといわれている。
効力はいささか落ちているだろうが、使わない手はない。
弦を引き絞る。馴染んだ弓は、速やかにエリュテイアの意に従った。ねらいをつけ――銀の星がベラトリックスに吸い込まれる。傲慢なる者の首を、貫く――はずだった。
帝王の副官が身をよじる。考えてから動いたわけではない。本能がなせる反射だ。
「獣か」
毒づいた。相手の意識はがら空きだった。エリュテイアに気づいてもいなかった。だというのに、殺気を感知してのけ。ナイフまで放ってくるか!
銀の輝きが、恐るべき速度で襲い来る。頬に熱い感触がはしると同時に、壊れた悲鳴が耳朶を叩いた。
「あぁあああ!!」
ベラトリックスが転げ回る。肩には矢。血の代わりに、緑とも黒ともつかぬ煙が出ていた。
「おま、リエーフ!」
涙に潤む灰色に、エリュテイアはにっこりした。
「
覚悟なさい。
その片腕、必ず頂戴いたします。