父様なんて。
険を帯びた眼が、まっすぐに向けられる。吐き捨てるように娘が言う。
「我が君と結婚なさればよかったのよ!」
「不遜なことを口にするな」
剣をためすすがめつし、鞘に収める。弓矢も同じく検分した。机に並べた短剣も念入りに。
主の護衛たる者、杖だけでなく武にも優れていなければならない。得物を万全の状態にしておくのも仕事のうちだ。
「私は仕える者で男。我が君は君臨する者で男。無理に決まっているだろう」
妻子もいるのに。
呟くように返し、執務室の扉口に眼をやった。正確には、すっくと立つ己が娘に。
「我が君がこの世で一番大切なくせに」
「悪いか?」
「……私の婚姻も勝手に決めたとか」
「そういうものだろう」
「父様にとって、私はなんなのよ。それに母様は? ねえ」
――わけのわからぬことを
は、と息を吐く。娘はなにもわかっていない。繋ぐことが使命なのだと。主家のためにあるのが、リエーフの誇りなのだと……。
「寝なさい。明日からホグワーツだろう」
「見送りにも来てくださらない」
「私の守りがなくとも問題なかろう」
通り一遍の技は仕込んだ。成年でこそないが、それだけともいえる。
――なのに
なぜ、棘のある眼を向けてくるのだろう。
「寄らないで」
触らないで。
ぱしん、と鋭い音が響く。エリュテイアは差し出した手を宙にとどめた。
よどんだ臭いのする路地、へたりこんだ魔女に笑んでみせる。相手は動転しているのだ。手を叩かれたくらいはなんてことない。
「お怪我は」
「来ないでよ」
ずりずりと魔女が後じさる。髪はほつれ、両の眼には怯えの色が濃くあった。ひ、と喉を鳴らし、うろうろと視線をさまよわせる。倒れ伏すならず者ではなく、エリュテイアのことをおそれているのだ。
――化け物を見る眼だ
いつかの娘から向けられたまなざしだ。あの時エリュテイアは――いや、かつての自分はひどくなじられた。人の情がないだとか、そんなに主が大事かだとか。
『狂っているわ』
血が濃いせいよ。私まで従兄弟と結婚するのはごめんよ。私にはわからない。どうしてそこまで主家に忠誠を誓えるのか!
『さようなら父様』
私はリエーフを捨てる。
そう言い捨てて、成人した娘は出て行った……血の臭いのする父親から逃れ、そして。
殺されたのだ、と思い出す。主家に仇なす連中が、娘を血祭りにあげた。彼は復讐を成し遂げた。一人一人追いつめて、全員始末し、ただの肉の塊となったやつらをグリフィンの餌にした。
「余計なお世話なのよ」
震える声にぶたれても、エリュテイアは「そうですか」としか返さなかった。
助けを求めていたのに。割って入った某かは伸されていて、女はいまにも危うい状況だった。エリュテイアが通りがからなかったらどうなっていたか、わかっていないはずもない。
それでも、女は男どもよりもエリュテイアを忌避している。本能で察知しているのだろう。
これは狂ったなにかだと。
「スリザリン系は狙われやすい。気をつけてお帰りを」
淡々と言えば、女はますます震えた。きつく拳を握り、ふらつきながらも立ち上がる。顔の痣も、裂けた衣もそのままに、逃げるように路地を抜ける。
エリュテイアはその背を見送って、ため息を吐いた。
「仕方がない」
よくあることだ。エリュテイアにしてみれば「優しい」処置でも、子羊たちにとっては恐怖の対象であるとか。
路地に転がる阿呆どもを蹴った。もう何本か骨を折ったほうがいいだろうか。
『調子こいた莫迦がわくだろ、絶対』
俺にはわかるね、と主は言ったものだ。戦が終わって約三年。一応は「平時」だが、あれこれとひずみが出ている。たとえばスリザリン系への風当たりが強くなっているだとか。
――主にグリフィンドール系が
図に乗っているだとか。
リアイスに関しては主が締め上げているから問題はない。が、純血名門でもない、いわゆる泡沫貴族連中が勝手をしている。臨時大臣キングズリー・シャックルボルトも頭を悩ませていた。
白昼のダイアゴン横丁、その裏路地で事件発生なんて聞けば、大臣の眉間の皺は深くなるだろう。
エリュテイアはせっせと仕事をした。ごろつきを縛り上げ、蹴り転がす。第三分家のルキフェルに連絡をとろう。闇祓いの精鋭だ。押しつけるに限る。
八人をきっちり拘束したのを確かめ、エリュテイアは転がっている男その九に歩み寄った。エリュテイアが路地に飛び込む前、女を庇っていた勇敢な一般人である。
かがみ込む。気付けをほどこそうとして、瞬いた。
「……あら」
顔を腫らし、頭にたんこぶを作っているのは知り合いだ。友人未満知り合いくらい、だろうか。八人を相手どっていたので、完全にそこらの一般人として処理していた。
杖を振る。ややあって、ぼうやりと瞼が開かれた。
「デイビース? ロジャー」
しっかりしてください。軽く頬を叩く。眼の焦点が合う。エリュテイアの灰緑をしかと見つめ、ロジャー・デイビースは口を開けた。
「真っ昼間から女の子に襲われる僕の図か……」
頬をひっ叩いた。
「殴られて頭のねじが行方しれずになりましたかデイビース」
「冗談だよ」
「もっとマシな冗談になさい」
「一応僕、君の先輩なんだけど」
「二つの差なんて誤差ですよ」
とぼけた魔法使いだ。ロジャー・デイビース。レイブンクロー出身で、主は「ロジャー先輩」と呼んでいたものだ。洒落者で面食い。エリュテイアの『姉』、フラーと一時期つき合っていたが破局。しばらく未練たらたらだった。フラーの美貌はたいていの男に有効なのだ。ロジャーがやられても仕方がない。
手を差し出す。「はあ、女の子に助けられる僕か……」とロジャーがぼやく。ぎゅっと手を握られ、エリュテイアは彼を引っ張り起こした。
「――で、これ君が全部やっつけたの?」
「そうですよ」
立ち上がったロジャーは口笛を吹く。エリュテイアは彼の横顔を見た。
「……怖くないんですか」
大の男を八人も、だ。戦い慣れている主や友人たちならともかくも、この優男には恐ろしいのではあるまいか。
『おかしいのよ』
狂っているのよ。
涙に濡れた眼が脳裏に過ぎる。娘にすらなじられたのだ……。
「どうしてだよ? 君とってもかっこいいじゃないか」
明るい声が、エリュテイアの澱みを祓う。なんの気なく、軽く差し出された言葉なのだろう。ロジャーに作為の欠片もない。
「まさしく」
白百合の騎士だね。
無邪気に、それこそ騎士にあこがれる少年のまなざしを向けられて、エリュテイアは肩をすくめた。
「口が巧いのですから」