あら、若いお父さんねえ。
笑み含みの言に、ただ口角を上げる。それだけでご婦人たちは「まぁ」と黄色い声を上げた。いいや、どこかのお嬢さんたちもか。中には小さく手を振ってくる子もいる。実父譲りの容貌は本当に罪作りだ。
「かわいいボクくんだわ」
そんな声に応えるのは、小さな手だ。ウィスタは鳶色の頭を見下ろした。お嬢さんたちに元気いっぱいに手を振っている。
――愛想がいいなあ
トンクス似かなあ、とぼうやり思う。興奮のあまり駆け出そうとするちびこい足。ぎゅっと手を握り頑として離さないようにした。もっとも、義弟かつ血縁の子には細い縄をつけてある。背負わせているリュックにとりつけているのだ。ひとまずウィスタの手首に結んである。犬の散歩のようでどうも好かないが仕方がない。幼児ってのはなにをしでかすかわからないのだ。
絶対に紐はいります! と断言したのはモリー小母だった。
「わかるでしょ。男の子ばっかり……しかもフレッ……」
男の子の育児について力説しようとして、涙ぐむものだから困り果てた。背をさすって茶をいれて小母を落ち着かせ、ぽつぽつとこぼされる思い出話に耳を傾けた。ひとまず語れるだけマシになったのだろうと思いたい。
「でかくなるわけだよ」
意味もなくちびっこい頭をなで回す。赤ん坊が立って歩いてまぁまぁしゃべれるようになり、油断をすれば興味のある場所へ駆け出そうとするようになったのだ。三歳児の奇想天外な行動には肝が冷える。車道に突っ込もうとするなよ。死にに行くつもりか駅のホームから身を乗り出すな。アンドロメダも疲弊するわけだ……。先日たまさか顔を出して「こりゃだめだ」と確信し、一日預かることにしたのだ。
灰色の眼がウィスタを見上げる。なあに? と問われ「好きなだけ籠に入れな」とだけ返した。店内には甘い匂いが漂っている。ウィスタはさして甘いものが得意ではない。むしろ苦手なのだが、子どもいえば菓子だろう。ダイアゴン横丁の一等地に店を構える『Rose Red』のものは質がよい。それに飾り付けや品物も華やかだ。義弟――愛称テディ、正式にはエドワード――は、チョコやらクッキーを籠にいれていく。ああ、甘いものが好きなのはリーマス似かなあ。
――買い物に
この店に二人で行けばよかった。口実なんてなんでもいい。きっとリーマスは楽しそうにしたろう。たらればだ。彼は遠いところに行ってしまった。ウィスタとテディをおいて。会計をすませて店を出る。からんころん、と軽やかな小鐘の音が義兄弟を見送った。空はどこまでも青い。目に痛いほどだ。
世間は夏休み。人通りは多い。食べ物のにおい、ふくろうの鳴き声、新入生だろうか。箒をねだる声もする。
「ねえお父さんいいでしょ。僕、チームに入るんだから」
「一年生はだめなんだ」
「あのハリー・ポッターは入ったって聞いた!」
――なあきょうだい
お前、喧嘩の種になってるぞ。闇祓いとなってルキフェルあたりにしごかれている親友に呼びかける。闇の帝王を倒した英雄殿は、とにかく話のネタになるのだ。
柔らかな手を握り、店前から通りへ踏み出そうとする。だが――。
「テディ?」
細い細い腕が伸びる。だが、養い親とその妻――ウィスタの又従姉が遺した欠片は、指をしゃぶっていた。澄んだまなざしは、喧嘩をしている父子を見つめている。
――いや
澄んでいるのではない、空洞なのだ。あまりにも虚ろで、だから澄んでいるように見えるだけだ。嘆息して、ひょいと抱き上げた。この間まで赤ん坊だったくせに重くなってやがる。
「おと……にいちゃん?」
柔い声。背を軽くたたき、そのまま歩き出す。
「特別だぞ」
普段俺がこんな風に甘くするのは女の子だけだからな。
――女の子というか
妻なのだが。こんな幼児に言ってもしょうがない。お前には夫婦のあれこれはまだはやい。将来、義弟はモテそうだが。母方の血が濃いのか、えらく整った容姿だし。おまけにかわいらしい性格だ。モテないものか。
「先輩、それにテディくんも」
「すっかりお兄さんですね先輩」
通りの端から手を振ってきたのは後輩たちだ。マグル生まれで、なにかとウィスタに懐いてきた。
「おまえら監督生になったんだって? おめでとう。で、先輩呼びはやめろ」
「やですよ」
「先輩は先輩だもの」
ね、と息ぴったりな後輩たちに苦笑を向け、手を振った。
肩口からかすかに甘い匂いがする。平和の匂い、幸福の香だ。それにおひさまの匂いも。
人ごみを縫い歩き、やがてたどり着いたのはパラソルが眼に鮮やかな場所だった。小さな店の、丸い窓から顔を覗かせたのは愛嬌のある――もとい、笑顔の男だった。
「やあいらっしゃい。すっかりパパだ」
「うっせえよフォーテスキューのおっさん」
こいつは弟さ。テディを下ろそうとして、しかしぎゅと抱きついて離れない。ひっつけたまま白木の椅子に腰かけて「アイスいらないのか?」と声をかける。テディがもぞもぞと身じろぐ。ウィスタはさっとテディをひっぺがし、膝の上に乗せた。やってきたフォーテスキューに適当に注文する。
「あのね」
頼りなげな声、細い背。小さな頭。どこもかしこももろく思えるテディが、ぽつりとつぶやいた。
「ぼくのお父さんじゃないの?」
誰が、とは言われずともわかってしまう。いまにもためこんだなにかがあふれそうな、幼く切ない声だった。
「テディ……エドワード、お前は」
「お父さん……」
ただ父を呼ぶ声。心臓が掴まれたかのように、なにも言ってやれない。
――きっと
幼すぎて覚えていないけれど、父を、母をこんな風に求めたこともあったのだろう。ウィスタは心のどこかで、誰かが迎えに来てくれないかと願っていたのだから……。
「リーマスは、」
お前のことを大事にしてたよ。お母さんだってそうだ。トンクスの明るいところ、俺は好きだった。
「置いて行ったわけじゃないんだ」
帰るつもりだった。お前のところに。夜明けを迎えようと言って戦った。
「さびしいんだな……」
再び抱き上げて、ぬくもりを抱えた。それでも、あいた穴は埋まらない。ウィスタもテディも。
「お父さんにはなってやれないけど。代わりにはなってやるから……」
呟いて、苦く笑う。子どもが欲しいのかどうなのか、妻は訊いてこない。離婚届けに署名捺印して「いざとなったら別れて逃げろ」と言ったら殴られたが。おまけに届けも破られた。いい女だ……。ウィスタよりも男前だ。
父親代わりもなにも、子どものことなんてわからない。愛し方もさっぱりだ。テディのことも慰めてやれない。こうして抱きしめてやることしか。
吐息がこぼれる。しがみついてくる熱の、その頭を撫でた。親を亡くした子。さびしくてたまらなくて、けれど我慢していた子。
――この子がいるから
ウィスタはかろうじて立っていられる。養父の遺した幸福の象徴。生きやすくしてやるために、後ろ指をささせないために、すべきことがたんとある。
背を軽く叩いてやって、喉を鳴らした。
きっとこの子がウィスタによりかかっているのではない。ウィスタのほうが離したくないのだ。なにが英雄だ。子どもの気持ちもすくってやれない。心の一片を吐き出すことしか……。
「テディ」
俺も父がいなくてさびしいんだ。
なんにも返せてないのに、逝ってしまったから。