賢者の石①
「てめえ」
ホグワーツ城大広間に、地を這うような声が響く。
声の主は十……いいや、八、九歳にも見える少年だ。群青の眼を光らせ、彼は憎々しげに『それ』を睨む。ボロ切れの塊だ。古ぼけた椅子に鎮座している。輝く砂時計、四つの寮のタペストリーが飾られ、何本もの蝋燭が浮く華やかな大広間には似つかわしくない。
が、ここは千年あまりの歴史を誇る魔法魔術学校。ボロ切れはただのボロ切れではなかった。
「俺は厭だって言ったろうがクソが」
「スリザリン!」
「黙れ燃やしてやるふざけんな。あの流れでなんで希望を聞いてくれねえんだああん?」
少年ことウィスタ・リアイスは怒りのあまり頭痛がしてきた。目眩もしてきた。
――なんで
なんでなんだよ。
ウィスタは両親を知らない。最近魔法界に『帰って』きて、養父のリーマスにあれこれ教えてもらった。母親はスリザリンの出身だったとか。母親は代々グリフィンドールの一族の出で、とか。いやこれはアンドロメダが言ってたんだった。
母親がどうこう、ウィスタの謎の一族がどうこうはおいておこう。
「組分けなんてやり直せボロ雑巾が」
よりにもよって、スリザリンに。マルフォイなんかがいる寮に組分けなのだ。ありえない。親がいないのをバカにしてきたり(ハリーに言ってたのだけど)、貧乏なのをバカにしたり(これはロンに向かってだ)、とにかく性格が悪いのだあの坊ちゃんは。しかもなんとか卿とかいうこじらせ野郎の出身寮らしいし、そもそも犯罪者輩出率ナンバーワンらしいではないか。
「冗談じゃねえ!」
「そうだそうだ」
「絶対グリフィンドールだ」
叫びに合いの手があった。眼を返してみると、寮テーブルのひとつで誰かが騒いでいる。赤毛が二人。双子だろうか。そっくりである。
――ロンの兄貴たちかな?
「異議あり!」
「帽子がボケたんだ」
「ボロいしね」
「洗濯してるのあれ」
「おだまりなさいウィーズリー!」
マクゴナガルの雷が落ちた。目まぐるしい展開に、ウィスタは叫ぶ気力が吹っ飛んだ。それでも、ボロ椅子とボケ帽子の側から離れなかった。せっかく友達ができたのになにが悲しくて別の寮なのか。スリザリンなんて気取り屋ばかりにしか思えないんだけど。
ウィスタは孤児でド庶民どころか貧乏だ。合うわけがない。
「お行きなさいリアイス」
「帽子が悪いんです」
厭ったら厭だ。マクゴナガルを睨み上げる。いかにも四角四面、厳格そのものの魔女はしかし、眼を泳がせた。
「……リアイス」
あなたの寮は決まったのです。
なぜだか悲しげに言われた。
「で、なんで俺」
ウィスタはつぶやいた。さっきまで大広間にいなかったか? なんで寝台にいるのか。
「スネイプ先生がしびれを切らして」
魔女が――校癒が、ウィスタの手首やら首やら頬に触れ、あれこれと確認している。ウィスタは半身を起こしたままじっとしていた。この魔女はなんにもしてこないひとだ。安全なひとだ。だから我慢しないと……。
「あなたを失神させてここに運び込んだのですよ」
ヒステリーを起こしたと言って。
――酷くないか
お手軽に失神させるのが魔法界の常識なのか。それともスネイプとかいうやつがおかしいのか。
新入生にする仕打ちではない。
「ちなみに今は九月二日の朝です」
「ねえ俺の記念すべき入学初日どこいったの?」
「疲れていたのでしょう」
最低だ。ウィスタは布団に潜り込んだ。なんにもしたくない。帽子のバカ野郎。
マルフォイは厭だとごねたら言いやがった。
小さな獅子、世界を識りなさい
――ぜってえ
組分け帽子がおかしい。
緑の銀のネクタイを締め、蛇のエムブレムと緑の裏地がついたローブを着て、ウィスタはスリザリン生のなかに紛れ込んでいた。
寮監のスネイプに医務室から連れ出され、大広間にぶち込まれたのだ。インドアの陰気野郎のくせに力が強く、引っ掴まれた腕が痛い。痣になってるに違いない。
おまけにウィスタのことを厄介者と思ってるようだ。これみよがしに舌打ちされた。まぁかわいいものだけど。育った場所での扱いはひどいもんだった。腹いっぱい食べられるだけありがたい。
あのリアイス、とか場違いな……とか、リーン・リアイスがどうこうと聞こえてきたけれど無視だ。俺は悪くない。
だーーーれもウィスタに話しかけてこない。白い羊に紛れた黒い羊の気分が味わえること間違いなしだ。なるほど、あっちもこっちも変わらない。毛色の違うやつには敏感なのだ。
リーマス、こうなることがわかってたんじゃないだろうな。
眉間に皺を寄せながら、ベーコンやらスープを片付けていく。近くでは「ニンバスを買ってもらうんだ。父上に言えば」とかなんとか、偉そうにマルフォイがしゃべっている。父上なんて言うやつ、はじめて見た。いいところの坊ちゃんらしいしな。スリザリンの連中は顔色もよく、唇もガサガサしていないし、髪はツヤツヤさらさらだ。間違っても酒乱のとうちゃんや「ふしだらな」かあちゃんなんていないのだろう。ふしだらってどういうこと? と村の牧師に聞いてみたら「お前の母親のような女だ」と返された。腐れ聖職者め。ウィスタはそれ以上訊かなかった。
なんて手紙を書こうかな、と天井を見上げる。腹が立つような快晴だ。曇りのが多いのにどういうことか。
フォークをいじいじと噛む。リーマスにはやめろと言われたけど、癖なんだからしょうがない。
と、音が降ってきて顔を上げる。小さな影がいっぱいだ。ふくろうの群れだった。目的の場所に舞い降りていく。マルフォイのもとにも一羽飛んできたようだ。
「母上からだ」
瞬き、ちょっと笑いながら包みを開けている。性格の悪い坊あらため、ただのいいとこの坊にしか見えなかった。マルフォイの母親は美人だったなあ……と思い返していると、ウィスタの頭上に影がさした。くるくると回るふくろうたちが……。
――何羽だ?
五、六は確実にいる。下手したら十羽以上。そいつらがウィスタめがけてやってくる。
「いやいやいや」
まさか俺宛じゃないよな、と凝視する。ふくろうの模様が見て取れるようになってもまだ思い、彼らが封筒を次々と落とした段階になって――ひらひらと舞うそれらから、黒い『なにか』がこぼれ、ひょう、と奏でられる楽を耳にしてようやく、自分宛てのなにかだと腑に落ちた。
ひょう、ひゅう。黒い風が牙を剥く。半ば反射で身を捩る。熱い衝撃が頬に、肩にはしりどこからか悲鳴が上がる。
「嘗めてんじゃねえよ」
ふくろうどもを睨みつける。あとからあとらやってきて、さらなる爆弾を投下しようとしていたろうが、ちいさく鳴いて羽ばたいた。人間だろうが鳥だろうが、ガンをつければひるむもんだ。田舎育ちかつ不良校培養なんだよこっちは。
ふくろうはまごまごしていたが、中でも真面目くんだかちゃんが仕事を果たそうと手紙を落とそうとし――弾き飛ばされた。乱入者は甲高く鳴き、ふくろうを追い立てていく。
鷲だった。
「配達の鷲なんているの?」
思わずつぶやく。
「鳩や鴉は聞いたことがあるが……いやいや待てリアイス、怪我! 血! 死んじゃう!」
どこからともなく答えが返ってくる。数席離れたところにいたマルフォイが真っ青になっていた。立ち上がってわざわざやってくる。
「こんぐらいじゃ死なねえよ」
「どんな育ちなんだこれだからマグル育ちは野蛮だ」
「いんや俺が野蛮なんだなたぶん」
ぎゃあぎゃあ言いながら、マルフォイがハンカチを首に押し当ててくる。そこも切れてたかと他人事のように思った。入学二日目の朝からとんだことになった、とも。
そうこうしているうちに、鷲が降りてくる。金色の眼がウィスタを見つめ、誇らしげに胸を反らしていた。
「お前どこの子だよ?」
尋ねても鷹はくちばしを鳴らすばかり。そっと手を伸ばそうとして「動くな!」とマルフォイが怒鳴った。
ふ、と焼け焦げた紙に眼をやった。
『穢れの子め』
ひきつれた文字は、ウィスタに対する拒絶そのものだった。
◆
英国西部、とある一族の大領地。薔薇の香も芳しい『谷』――聖堂の頂。
風に遊ばれる銀糸を片手で押さえ、魔女は唇を噛んだ。
先を見て、使いを放った。鷲は空の王者だ。ふくろうごときに遅れはとらない。彼女は稀代の先視であるが、祖の血筋からちょっとした賜りものをしていた。鳥と意を通じる異能である。特に鷹や鷲とは相性がよかった。頼れる友達だ。
「ひとまず」
締め上げないとね。
少年に贈り物をした連中を、彼女は――彼女たちは許すつもりはない。
情けないこと。
どうやって仕置きしてやろうかしら。考えを巡らせながら、鐘を撫でる。
「いえ」
情けないのは私かもしれないわね。
「……あの子がグリフィンドールに組分けされるのをみたのに」
なんで外れてしまったのかしら。
ウィスタに友達らしい友達もできないまま、数日が経った。
なんでかマルフォイと朝昼晩飯の席が隣になるのだが、あれは友達に当てはまるんだろうか。たいてい「僕の家には孔雀が」だとか「今度招待してやる」「純血としての立ち居振る舞いは」などなど、かなりどうでもいい話を垂れ流していた。面倒だから放置している。
――あいつがなにを考えてるか
さっぱりわかんないな。
はあーーとため息を吐き、棚に手を伸ばす。ホグワーツの図書館は蔵書がうなるほどある。それに厭なやつらにも会わない。スリザリンの談話室は居心地が悪いのだ。入学二日目にやらかして……いや、やらかされて、ますます遠巻きにされている。なんやかんや積極的なのはマルフォイくらいだ。
背表紙に指をひっかける。抜き出そうとして、軽い足音に眼を返した。
「久しぶり、ハーマイオニー」
教科書で膨らんだ鞄を斜めかけにして、グリフィンドールのハーマイオニーがいた。茶色の眼は本棚に向けられている。
「ええ、お久しぶり。このまえの怪我、大丈夫だったの?」
「心配してくれるんだ?」
俺はスリザリンなのに。そんな含みを察したのか、ハーマイオニーは顔をしかめた。
「あなたあんなに嫌がってたし。仮に腹が立つ相手でも、怪我まではね」
やっぱこの子は賢いな。しかも優しくて常識的だ。まともな親に育てられたのだろう。
「お優しいことで」
つい、皮肉めいた口調になる。しまった、とハーマイオニーの様子をうかがうが、彼女は肩をすくめただけだった。
「ひねくれてるわねえ」
「世界が斜めなだけだよ」
互いに軽口を叩く。ああ楽だな。ハーマイオニーと話すのは。意地の悪さがないし、やりやすい。
「そんで? どうしたんだ」
探しものかと訊けば、ハーマイオニーはもじもじした。やたらハキハキした子にしては珍しい。ウィスタは指をかけた本を見て、ハーマイオニーを見た。
「俺以外に、これ読もうなんてやつが……」
古くて厚くてでかい本である。表紙は革で、四隅に金具がついている。題は金文字がはげかけていて読めない。
「古代の魔法なんて面白そうじゃない?」
「わかるけどさ」
返し、本を抜き出した。片手で支え、それでは足りなくてもう片手も使った。クソ重い。
「先に読めよ」
ぽんと渡して――奪い取った。
「えっと……?」
「寮まで持ってく」
ウィスタでクソ重いのだ。ハーマイオニーだと言うまでもない。あぶなっかしい。
「譲ってもらったのに、そんなこと――」
できないわよ、と言うハーマイオニーを置き去りに、通路を進む。
「ウィスタ」
小走りにハーマイオニーがついてくる。うん新鮮だ。あのゴミ溜めみたいな場所なんて、ハーマイオニーみたいな女の子はいなかった。たいがい不良だったわけで、校舎裏で煙草をもくもくしていたし、カラフルなおくすりもたぶん飲んでたやつもいたかもしれない。それに堕ろすどうこう、ヤリ逃げされたどうこう……とか。
俺はたぶんアダルトな世界を覗いちまってたんだ。どうもリーマスが思っている「健全な十一歳」とは違うらしいし。
結局ハーマイオニーは「ありがとう。お願いできる?」と折れて、ウィスタは彼女の案内でグリフィンドール寮へ向かった。ひたすら階段を登りまくる。スリザリンは好きじゃあないけど、寮の立地だけはマシだった……としみじみ思う頃に、やっとのことでグリフィンドール寮の前に着いた。門番が「あら坊や。私はあなたを迎えるのを楽しみにしていたのよ」と豊かな声で言う。声どころか身体も豊かだった。彼女は『太った貴婦人』というらしい。
「本当にありがとう! あなたとってもいいひとね」
たいしたことじゃないよ。つぶやいて、古くてでかくて枕になりそうな本を渡す。いい鈍器になりそうだ。
と、そのとき肖像画がぱっと開いた。出てきたのは赤毛だ。彼は穴を降り、ふうと息を吐く。そうしてウィスタとハーマイオニーに気づいたようだ。
「ロン――」
久しぶり、と言おうとして、口を閉ざした。ロンの青い眼は棘々していて、まったく歓迎ムードではない。
彼はウィスタとハーマイオニーの間をすり抜けた。二人なんて見えないように。
「スリザリンに、面食いのガリ勉かあ」
小さく呟いたのだろう。けれども、ウィスタの耳もハーマイオニーの耳もばっちり機能していた。
「ハーマイオニー、あんた面食いなの? ん? 俺の顔ってそんなにいいの?」
「いいんじゃないかしら? きっと……いえ、それはどうでもいいわよ!」
なんなのあの子、とハーマイオニーは歯ぎしりした。
「失礼だわ!」
「ガリ勉はないよなあ。でも勉強好きな子って浮くよなあ」
「違うわよ」
ハーマイオニーの髪がふくらんだ。なんだか怒った猫みたいだな、とウィスタは思った。
「スリザリンだからって」
あなたのこと嫌ってるのよロンは。
ぷんすか怒っているハーマイオニーに、ウィスタは肩をすくめた。
「どうしようもないね」
なんせ寮でも厭な視線を感じるのだ。いわゆる殺気だ。
それに比べたらロンなんてかわいいものだ。