【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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九話

――母子でこんなところまで似なくてもいいだろうが

 苦々しい思いで担架を見下ろす。切り刻まれ、血塗れの無惨な有様は掛けられたローブで隠されている。黙り込んだままセブルスにひっついてきているマルフォイ――ドラコ・マルフォイがかけてやったものだ。青白いを通り越して真っ白な顔色だ。無理からぬことだろう。ホグワーツでこんな荒事など――殺人未遂などあってはならない。

 ちぎれかけた指は仮止めし、首の深い傷は止血した。とはいえ応急処置だ。専門職に任せるほかなかろう。セブルスの手に余る。処置に際して邪魔な生徒たちと愚かなイージスを放り出し、やむなく血塗れのぼろきれと成り果てた衣をめくり天を仰いだ。聞き取りをするまでもなくイージスが有罪である。強力な殺傷呪文を使ったのだろう。最上級生が一年生を襲う。しかも呪文が呪文だ。事故で言い逃れはできまいしセブルスがさせない。それほどにリアイスの遺児は傷つけられており、しかも――。

「スネイプ先生」

 そっと呼びかけられ振り向いた。ディゴリーとフリントは何をみたのか顔をひきつらせる。彼らはイージスの担架に付き添っていた。

「こっちはいいんですか」

「死にはしない。そんなもの軽い傷だ、フリント」

 事実上の放置宣言である。フリントはつべこべ言わずに頷いた。

「――悪いのはウィスタと言わないでしょうねスネイプ先生?」

 警戒するように声をあげたのは優等生のディゴリーである。ちら、と担架のリアイス――ウィスタ・リアイスを見やる。まるで兄のようだ。

「我が輩をトロール並の頭だとみくびっておるのかねディゴリー? イージスが起きそうになったら失神呪文で黙らせておけ」

 なにをしでかすかわからん、と締めくくる。担架は傷に障らないぎりぎりの速度で進んでいる。常は奔放な階段たちも従順に道を開いた。最短経路を繋いでいく。そう、ホグワーツはわかっているのだ。傷つけられたのがどこの誰かを。

――昔も

 こんなことがあった。血塗れの女。いいや、少女と女の中間だった。セブルスの友人。深い傷を負って大量の血を流し担架で運んだ。あのときローブをかけたのはあいつで、虚ろな眼をしながら手持ちの薬を塗り処置をしたのがジェームズ・ポッター。セブルスは友人を――リーン・リアイスの頬を何度か叩いて、意識を失わないようにしていた。

『待て、死ぬなよリーン僕は嫌だこんなの』

 傲慢極まりなく、秀才ともてはやされていたポッターは、まるで幼い子どものようだった。

 セブルス、と声がかかる。円卓の騎士のひとりだ。マダム・ポンフリーとポモーナが待機しているよ。額縁にはほかの騎士たちも詰めかけていた。セブルス、セブルスはやく、はやくと。わかっていると頷いて、切り開かれた路をゆく。医務室前にはマクゴナガルがいて、担架を――リアイスを見るなり小さくうめいて顔を覆った。 

「セブルス、はやくお行きなさい」

 ええ、と返すこともせず医務室に踏み込んだ。

 ◆

 まんじりともせず処置が終わるまで待機した。仕事はたんまりあるが、自寮の者がしでかした不祥事だ。放り出して去るなど論外だ。途中、廊下で騒ぎ声がしたが、邪魔なので黙らせて血みどろ男爵に監督させて帰らせた。事件を聞きつけてやってきたポッター一味とウィーズリーの面々だった。吼えるしかできないバカどもが。

 ついでにディゴリーとフリントとマルフォイも帰らせた。どうせなにもできることなどないのだ。

「イージスの処分はそちらに任せますよ」

 二人そろって椅子に腰掛け、セブルスはマクゴナガルに話を振る。

「ええ、ええ……聞き取りはしなければなりませんが」

「どうぞご自由に」

 聴取役はフリットウィック先生とスプラウト先生にお任せしましょうと提案する。見るに見かねてハンカチを差し出せば、マクゴナガルは掠れた声で礼を言った。彼女のハンカチはぐっしょりぬれていた。

「むごいことです。本当に……あのときのようではありませんか」

 黙して頷く。今回の事件とは動機が異なるが、友人も似たような目にあった。たしか二年生のときだ。複数のグリフィンドール生に荒唐無稽な言いがかりをつけられ、暴力を振るわれたのだ。廊下に散らばる黒髪と、震えながら身を丸くしていた友人と、転々と落ちた血痕。動機はスリザリン寮に入った裏切り者だから。スリザリン生は悪辣だと言われるが、マグル生まれに対してもあそこまではしない。友人の憎まれっぷりは異常であった。スリザリンからはのけ者にされるだけで済んでいたし、中でも物のわかった令嬢令息たちがそっとかばってもいた。道理が通じないのはグリフィンドールのほうであった……。

「イージスは放逐なさるとよろしかろう。あれは魔法使いではない。ただのクズだ」

 言い切った。あれの親を友人が殺したのは事実だ。それは死喰い人だったから。けれど幼年のイージスを保護し、しかるべき孤児院にいれたのも友人だったと聞く。

――子に罪はないでしょう

 そう言ったらしい。いかにも友人が言いそうだ。

 きっと友人こそがかけてもらいたかった言葉だろう。母親から疎まれ、リアイスの誇りを穢したとなじられ、お前など産むのではなかったと言われ。

 世界を恨み一族を憎む資格を誰よりも有していた。けれどそうはしなかった。いくら闇祓いになるなと言っても聞かず、むざむざと死んだのだ。悲劇の果てに。

 死の一報を聞いたとき、冗談を抜かせと思った。あれが死ぬはずがないではないか。長い時間をともにすごし、困ったときは手を組んだ。

『先輩はリーン先輩とつき合っていないのですか』

 後輩に言われても鼻を鳴らした。あれはそういった対象ではなかった。恩もある。女としては見られなかった。あらゆる災禍をはねのけ、苦しみ抜いても立ち上がり、茨の路を進んだ魔法騎士。清濁併せ呑む真のリアイス……。

 『谷』に駆けつけてみれば鐘が鳴っていて、嘆きの風が吹いていた。はらりはらりと紅の花弁が散っていた。世は闇の帝王が去ったのだと浮かれていて、けれども『谷』には死にも似た静寂と、それを切り裂く鐘の音だけが響いていた。どこかで信じ切れていなかった。なにかの策かもしれない。あれが簡単に死ぬものか。だが、ひっそりと葬儀に――部外者も入れるそれに――もぐりこみ、柩をのぞき込んで呆然とした。薔薇の褥に横たえられ目を閉じているのはほかならぬ友人で。

 なによりもあのダンブルドアが涙をこぼしていたのだ。そのことがセブルスに友人との別れを実感させた。

 あのときから鳴り続けている。

 弔いの鐘が。不死鳥の嘆きの歌が。

 

 

 英国西方『ゴドリックの谷』。大領地と呼んでも差し支えがない広大さを誇り、彼のゴドリック・グリフィンドールの出身地でもある。とある一族の本拠地として有名であった。

「――《ランパント》が害されたとか」

 パッサントの名を冠した城の一隅、深紅の絨毯が敷かれた広間には長方形のテーブルが据えられている。用意された席は八。それぞれに魔法使いと魔女が座し、上座に座る老魔法使いを見やる。

 口火を切ったのは五、六十になろうかという魔法使い。彼は眸の浅葱色を陰らせて一心に言葉を待つ。

「あれはまだ《ランパント》にあらず。あくまでも候補だ《ドーマント》」

 老魔法使い――ダンブルドアともにグリンデルバルドを倒した英雄、リアイス一族最長老アシュタルテ――異名を獅子公――は釘を刺す。そして言を継いだ。

「害したのはイージスの倅だ。ウィスタは目下治療中。全身を切り裂かれたようだ」

 赦せぬ、と押し殺した声。リアイス一族第七分家当主《ドーマント》である。

「イージス……大陸にでも追放すればよかったものを」

「致し方あるまい。先代が保護したのだ」

「見逃してやったのに」

 めいめいに口を開く。ふ、と笑声が落ちた。冷えた声が広間の空気を裂いた。

「ただやられたと? 先代の息子とも思えませんね」

 言って鼻を鳴らしたのは菫色の眼の魔女。傲慢にアシュタルテを見やる。

「まだ子どもよ、ネメシス」

 やんわりと魔女を制したのは銀髪の魔女である。彼女は薄青の眼でネメシスを睨めつける。

「反撃できただけで十分でしょう」

 銀の魔女に加勢したのは金髪紫眼の魔法使い。闇祓いの装束をまとったままだ。急ぎ参じたらしい。

「そうそう」

 くすくす笑い、けれども空色の双眸を鋭く研ぎ澄ませているのは、黒髪の若者だ。

「沈黙呪文をかけられて、壁に叩きつけられた挙げ句にセクタムセンプラ――ご老体が言うとおり、イージスは完膚なきまでに潰しておくべきだった」

 ね、曾祖父様? と若者は笑顔である。

――たいそう怒っている

 アシュタルテは嘆息した。片手を上げ、一族の重鎮とその名代たちを眺めやる。

「ネメシス、そなたは口が過ぎる。クロード、ルキフェル、ナイアード落ち着け」

 第六分家の魔女と曾孫たちは睨み合った。昔から反りが合わないのだ。

 そこに畏れながら、と声がかかる。《ドーマント》であった。

「今は《ランパント》――いいや候補の傷と、対応を論じるべきでしょう。イージスを追放するか否か」

 それに、と彼は続ける。眸が暗い青色を帯びた。

「誰ぞホグワーツに寄越してもよいのでは。先代の折には不干渉を貫きましたが。身の安全のためと、ウィスタがいかなる子なのか知るために」

 我々はなにも知らないのです、と《ドーマント》は眼を伏せる。

「ならば俺……私が行きましょう」

 生き生きと挙手したのはアシュタルテの曾孫のひとり、空色の眼の魔法使い――第二分家当主。号を《ステータント》。名をナイアード。

「遊びに行くんじゃないんですよ、ステータント」

 彼に肘鉄を食らわせたのは第三分家シージャントの次男、ルキフェルである。紫眼を眇め、嘆息している。

「今すぐには無理でしょう」

 教員として派遣できないかしら、と言ったのは筆頭分家パッサント当主、クロードであった。

「来年には席が空くでしょうよ」

 どうせクィレルは死ぬんだから、と投げやりにネメシスが言う。相変わらず血も涙もない。

「じゃあ闇の魔術に対する担当でいきましょう。空くんならいいでしょう。一年限定で」

 遠足か、と誰かが言った。遠足だろうよ曾孫にとっては。お前は第二分家当主の自覚はあるのかと説教をかましたくなったが、次の一言で口をつぐんだ。

「ウィスタが本家当主たりえるか検分する。ついでに――」

 ダンブルドアを辞めさせたがる理事どもも、牽制しましょう?

 今までの笑顔はどこへやら、にぃっと笑った(かお)は紛れもなく当主のそれであった。

 ◆

 潮騒のように近づいては遠ざかる。柔らかな子守歌。どこか悲しげな旋律だ。

 ひやりとした感触に眼を開けた。あたりは暗く、真珠色の影が覗き込んでいた。はらりはらりと落ちた滴がウィスタに触れ、冷たさだけを残して消えていく。レディと言おうとしても口が動かない。なんでいるんだろう。なんで泣いているんだろう。月の光に照らされて、とても悲しそうにしているけれど、この世のものではないくらい綺麗だ。

――もう死んでるんだっけ

 話せて心もあるのに死んでいる。不思議だ。身体だけがないのだ。

「まだだめよ、坊や」

 死神に連れて行かれるところだったのよ、私の子、私の雛。レディは囁いて、ウィスタに触れようとしてすすり泣く。

「もはやこの手は慰めも与えられない」

 痛ましいこと、雛。

 手を伸ばそうとしてそれもできない。身体が鉛を詰められたかのように重かった。首も、どこもかしこも痛んで仕方がない。

 せめて平気だよと言ってあげたい。怪我は慣れてるよと。

 なるべくゆっくりと息を吸って、吐いて、ずきりとどこかが痛む。ばらばらになった記憶を繋ぎ合わせようとする。

 襲われたのだ。呪文をかけられて、でも反撃して。やつは転げ回って。殺していたらどうしようか。

――前もあった

 どうしよう、こんなつもりじゃなかったのに。そう思った。人殺しにはなりたくない。これ以上ろくでなしになりたくない……。なにより怖かったのだ。自分のせいではないけど自分が引き起こしたことが。悪魔め、化け物め、妖精の子、あっちに行けと言われるのもしかたないと思った。

 ホグワーツに来てまでしでかしたのか。どうなるんだろう。マクゴナガルはわかってくれるだろうか。危険な目に合わない限り、暴力はだめだとリーマスは言っていた。その通りにしただけなのだと。

――大人は信じてくれない

 子どもも信じてくれない。そんなものだ……。

「ミネルバは賢い子よ」

 ウィスタの考えを見透かしたように、レディが囁く。神秘的な――なぜだかそう思った――眼がウィスタを貫いた。

「安心なさい。悪いようにはなりません……さあ雛」

 透ける手が伸ばされて。魔法にかかったように瞼を閉じた。

 ここはあなたの家なのだから。

 お眠りなさい。ゆっくりと。




ドーマント…リアイス第七分家
当主は《ドーマント》の号を冠する。当代当主はヘカテの父。(ウィスタの大伯父)
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