「珍しいのは間違いないね」
あたたかな居間に落ち着いた声が響く。
「……そんな馬鹿なとは言わないんだ?」
目立ちたがり屋のホラ吹きとかね。茶化して続けても、リーマスはにこりともしない。ふかふかのソファに腰掛け、二人でお茶をしていても……どことなく張り詰めた空気が流れている。その源はリーマスだった。
「君は嘘つきなんかじゃないさ」
孤児院でなにがあった? とリーマスは訊いてこない。ただ暗い眼でウィスタを見るだけだ。
「蛇語使いがいないわけでもなかった。あれはいわゆる獣使いの一種でね。鱗まとう者だとか、蛇遣い座に愛されし者だとか、色んな風に呼ばれてる」
「じゃあなんで」
マルフォイの親父は誰にも言うなって。疑問をぶつければ、さらりと返された。そもそも、パーティから帰宅して話を切り出したときから落ち着いていたが。
――いや
どうなのだろう。リーマスがなにを考えているか、読めない時はある。なにかを抑えてるから、落ち着き過ぎているのか。予想していたのかどうなのか。なにもわからない。
「蛇は嫌われやすいのさ。特に英国では」
闇の魔法使いはスリザリン出身が多い。そのせいもある。
「リアイスが君の能力を知れば、ややこしいことになりかねない」
「父親の血筋のどうこうってのは?」
というか父親は誰なんだよ。まさかマルフォイの親父とか言わねえだろうな。ウィスタはとても真剣だったが、リーマスが紅茶にむせた。
「ごほっ……それは、ない、ないから。君の父親に関してはとても繊細な話題だからまだ駄目だ」
「いつならいいんだよ? つか死んでると思ってたんだけど? 生きてるわけ? どっかのマフィアに刺されて路地裏で死亡とかじゃないんだ」
リーマスが天を仰いだので黙ることにした。知りたいっちゃ知りたいが、そこまで隠したいならいいさ。それにしてもここまで口が固いと勘ぐりたくなる。不義の子だとか、どっかのお偉いさん……たとえば魔法大臣とか、海外のいいとこの隠し子とか。まさかね。
「君の父親の家は代々スリザリンで、つまりまあ……異能の筋が混ざっててもおかしくないんだ。だからルシウス・マルフォイはそう言ったんだろう」
誰もが納得する理由だからね。
ウィスタは「ふうん」とだけ返した。相槌ってのは便利だ。なんとなく間を保たせてくれる。
「俺にはあんたがいるからいいさ」
◆
妙な能力があるらしいけど、悪魔の子だとか邪悪の証とかでなくてよかった。
ウィスタはのんびりと校庭をうろついていた。早めにホグワーツに戻ったのだ。
まだ休みなので人はまばらだ。もっぱら城にこもっている。ウィスタは校庭や森の縁で好き勝手するほうが楽だった。そもそも、一人遊びしか知らないのだ。
――あんな風に
雪合戦したのは初めてだったなあ。マルフォイ家での一幕を思い出す。いつもは貴族だなんだと鼻にかけているマルフォイも、本気で雪を投げたり当てられたりだった。当てたのはウィスタだけど。
雪まみれになって館に戻り、マルフォイの母親――ナルシッサが魔法で乾かしてくれた。
汚らしい孤児なんてお嫌いかと思いきや、親切なひとだ。
『あなたがスリザリンに入ってくれてよかったわ』
きっとこちらのほうが安全だもの。柔らかく囁かれた。
「くそっ」
変な気分だ。ナルシッサに優しくされるとケツがかゆくなる。母親が生きていればあんな風だったのだろうか。
雪を蹴る。火照った頬に冷えた風はちょうどよかった。吐く息が白く凍る。
ウィスタは揺らめく湖面を眺めた。オオイカは冬眠中なのだろうか。あたたかい時なら、脚をくすぐって遊んでやるのに。
ざく、と軽い足音がした。十二月後半だってのに、外をぶらつくもの好きが他にもいたなんて。振り返ろうとして――熱い衝撃がはしる。声も出せずに膝を突く。ぱたぱたと血が垂れた。
――なんだ
思いながらも身体は動く。頭を上げ――また衝撃。蹴られたのだ。仰向けになる。暗い影がにぃっと嗤っている。
みぃ つ け た
音が聞こえない。だけれどもそう言ったのだとわかった。
獣のような眼だ。よくみた眼。ウィスタを憎むやつらの……。
唇が閉じる。手足が縛られる。冷えた感触。鎖が巻き付いている。
なにを。唇を動かそうとしてびくともしない。沈黙呪文だ。
痛い。血が流れている。これはヤバイ。本気で、こいつは俺を殺す気だ。
みしみしと音がして、一本一本腕を、足を折られる。悲鳴すらもあげられず、ウィスタは蹴られ、転がり、滑り落ちる。
濁った空、跳ねる影。どこかで鳥が鳴いている。
――畜生が
影を睨む。一秒にも満たない刹那、獣の眼を捉えた。黄金の花が咲く。咆哮が響き。
その時には、湖面に飛沫が上がり、禍々しい紅が。
静かに静かに紋様を描いていた。
花が咲く。濁りの中でただ白く。いくつもいくつも咲いては散って。広がるのは紅だ。
水に囚われ沈んでいくばかり。暗くなっていく視界。重いばかりの身体。
誰か。
声を出そうとしてままならない。
――迎えなんて
来ないのだ。助けの手なんて差し伸ばされない。死ぬのだろう。なるほどこんな終わりなのか。
ほんのちょっとの幸運があっただけ、あの場所から抜け出せただけよかったじゃないか。
痛みと熱と、鋭い冷たさに侵されながら、諦めようとする。望んではいけないのだと。それは贅沢なのだと。所詮捨てられたのだ。いらなかったのだ。何年も放っておかれたのだから……。
落ちていく沈んでいく。水は驚くほど柔く、身を包む。
遠く遠くに影がみえる。なんだろう、と確かめることもできず、今度こそ意識が暗転した。
◆
「……爺に何やらせるんだか」
彼はぼやきながらも少年を背負う。応急処置を施したがそれでもひどい有り様だ。水魔に乗り、腹を蹴る。守護霊を飛ばしたので医務室の支度は整っているだろう。
問答無用で捕まえしたがわせた水魔は従順だった。彼の意を受けて校庭を駆ける。
雪の中転がっているごみは放置だ。黄金の炎に灼かれて死んでいないだけマシだろう。あとで回収すればいい。問題は昏倒している少年……とある令嬢の忘れ形見だ。
――ぬかった
せめてホグワーツに着くまでは護衛を、と頼まれ手も空いていたので受けた。ついでに何日か様子を見て、さあ帰ろうかと思えばこれ。嫌がらせか。ああ、そういえば育児は眼を離してはいけないのだったか。別に彼は父でもなんでもないが。
正面扉を開け放ち、水魔で飛び込む。玄関ホールで待っていたのはマクゴナガルだ。水魔を、侍女に扮した彼を、そして血まみれの少年をとらえ手で口を覆った。しかし己の役目を思い出したのか、すぐさま踵を返す。
速やかに少年を運び込み、待機していたマダム・ポンフリーとスプラウト、スネイプが動く。
廊下をフリットウィックとダンブルドアが駆けていく。下手人を回収しに行ったのだろう。
マクゴナガルがくずおれるように椅子に座る。彼も椅子を出現させて腰かけた。
「よく……よく間に合ったものです」
「運がよかっただけですよ」
ひとつ、第二分家の若造お手製のローブを着ていたこと、ふたつ、危機に際して、少年がとっさに守りの力を使っただろうこと。
「すぐに引き上げましたし」
水魔が呼ばれたように現れたことは伏せておく。少年が水の繭に包まれてゆっくりと漂い沈んでいたことも、口にする必要はないだろう。
十年前のあの日、少年は死の呪文を受けて生き残った。それは『お嬢様』が最期の力を振り絞り、古い魔法を解き放ったから。守りと離脱……。
現場の痕跡からはそう読み取れた。ならばなんらかの影響が少年にあったのではないか。たとえばあのろくでなしの力の一部が移った、とか。
だからこそ。
水の繭は蛇の姿をしていたのだ。
誰かが泣いていた……ように思う。それは美しい真珠の影だったのかそうでないのか。
いくつもの夢をみた。
「よかろう。もはや必要もないものだ」
どこかの部屋、きらめくなにかを突き立てる影。銀色の髪は流れるようで。両の眼は紅の色。
「この■■■■は置いていく」
それでよかろう? と彼――そうだ彼――は誰かに尋ねた。
ぱちり、と眼を開ける。淡い色のカーテンが眼に飛び込んできた。消毒液の匂い。それに薬草の匂い。
あ、とかああ、とか声を出そうとして、しゃがれた音しか出なかった。
なにかを視たのだけど、なんだったか。名残が消えていく。ゆっくりと頭を動かせば、寝台のかたわらに、マルフォイがいた。椅子に座ってうとうとしている。
さっとカーテンが開く。友達の鷲に頭を突かれながら現れたのはスネイプだった。
「世話のかかる」
初手から嫌味を飛ばしてくる。なにがなんやらわからないうちに、ずかずかと近づいてきた。
背の高い影。じんわりと汗が浮かぶ。心臓が鼓動を打つ。
みぃつけた、と三日月の口で笑む誰か。
「なにもしない」
お前は安全だ。言いながら、スネイプはウィスタを検分する。手首から首からあちこちに触れ、熱をはかる。
「マダム・ポンフリーが戻ってきたらみてもらうように。なにせ七日も寝ていたからな、お前は」
お前は逆恨みで殺されかけたのだ、となんとも親切に教えてくれた。
下手人はイージス家の孤児でどうこう、お前に以前呪いを送ったのもあれだとかなんとか。マンゴに放り込んだし退学させたし、どうせアズカバンにぶち込まれるから会うこともなかろう等々、流れるような説明だった。
用は済んだとばかりにスネイプが出ていって、今度はマルフォイが眼を覚ました。
「だからふらふらするなと言ったろうが」
こんなことになるならマルフォイ家から一緒にホグワーツへ行くか、僕も早めに休みを切り上げればよかったと大騒ぎだ。
こいつは俺のきょうだいかよって騒ぎっぷりだ。
見舞いの菓子がたんとあったのでマルフォイにひとつやり、のそのそやってきたマルフォイの幼なじみズたちにもやり、耳を傾けた。
「僕はイージスなんて家意識したこともなかったぞ。どうも没落したらしい。なぜかというと……」
こほん、とマルフォイが咳払いする。こわごわとウィスタをみた。ウィスタはマルフォイの眼がときたま灰色を帯びるのに気づいた。
「イージス家は犯罪者の家で、先代夫妻はリーン・リアイスが……その、始末して、イージスは孤児になった、らしい」
お前は完全なとばっちりを受けたんだ。マルフォイは早口で言って「僕の家は代々スリザリンだが! イージスとは違うからな!」とそりゃあもう力説された。ウィスタが小さな声で「お前の親父もお母さんもたしかに美男美女だな」と意味不明な返しをしたら、マルフォイはそっくり返った。そして、どこかへ行って帰ってきたら、鳥籠を持っていた。
「これ、父上母上からのお見舞いだ。ありがたく受け取れよ」
籠の中には真っ黒いふくろうがいて、金色の眼でウィスタをみていた。
「……どうなってんだ」
図書館の一角でウィスタはため息を吐いた。手紙をたたみ、きちんと封筒に入れる。差し出し人はナルシッサ・マルフォイだ。ふくろうの礼と「いくらなんでもお見舞いにこれはやりすぎでは」とそれとなーく、ウィスタなりに知恵を絞って返信したのだ。その返事が来たのである。流れるような綺麗な字で「よくってよ」と。つまりマルフォイ家にとってはふくろう一羽くらいたいしたもんじゃないらしかった。
なぜにふくろうかというと、マルフォイが両親に漏らしたそうだ。あいつふくろうも持っていない、と。余計なことしやがって。それならもらうしかない。
――にしても
マルフォイの父、ルシウスはただのお人好し野郎ではないだろう。いかにも紳士な振る舞いをしてはいるが、気を許せるかと言われればノーだ。怪我をしたとはいえ、わざわざ息子の友人(!)かつ孤児に、見舞いをよこすか?
かわいそうな孤児だからというだけで、他人に手を差し伸べられる人間ばかりではない。かわいそうな孤児……ではなくて、かわいそうだけど賢いだとか、見た目がいいとか性格その他諸々がいいのが「売れる」のだ。世の中ってのは平等なんかじゃない。
だからルシウスには狙いがあるはずなのだ。たとえばリアイスと「それなりに」仲良くしといて保険にするだとか。あっちこっちの縄張りに渡りをつけとくやつってのはいるものだ。ルシウスはその類なのかもしれない。
「……夫人はほんとに」
わかんないんだよなあ。なに考えてるか。
頭から夫人のことを締め出し、机に積み上げた本の山にげんなりする。寝込んでいた間に、課題がたまったのだ。死にかけても勉強は待ってくれない。
スネイプは「留年したいのなら止めないが」と言い放ち、ウィスタを地下まで連行した。課題は治療薬の調合。ついでにオレガノのエキスの抽出もやらされた。さっさと採点して「邪魔だ持って帰れ」と押し付けられた。ザビニは「……先生、お前のこと嫌ってなかったっけ?」と眼を丸くしていた。
まだ熱もあるし包帯が取れきってないのに課題させるクソ野郎なんだけど? と聞き返せば世界一のアホを見る眼で見られた。女の子にキャッキャされてる顔面の持ち主にされるとムカつきが増す。
「治療薬使えってことだろ」
そんなバカなと思いつつ、せっせと薬は使っている。マダム・ポンフリーによれば傷跡は消えないようだけど仕方ない。元々ボロボロだし。
首をひっかく。ざっくり切られ、跡が残っている。スリザリンの同期たちの意見は一致した。気になるなら、マフラー巻いて隠せ、と。ダフネあたりは「傷跡隠せるファンデーションとかもあるのよ」と言っていた。そこまではしたくない。面倒な。
せっせと課題を片付け――マクゴナガルのものは難しかった――夕食前に図書館を出た。今日は日曜日で授業は休み。廊下を行き交うひとは少ない。寮にこもって温まっているのだろう。
階段を下りようとして、布のかたまりをみつけた。いや、それは人間だった。
「ロングボトム?」
なんでか知らないがうさぎ跳びをしている。汗びっしょりでひどい有り様だった。
「ウィスタ」
「……罰則かどんくせえ野郎だな」
違うよぉ。ロングボトムが悲鳴をあげる。見ているだけでイライラしてくる。どうしてもっとうまくできないのか。そんなだから罰則を受けるしめんどうなことになるのだ。
「呪いをかけられたんだ!」
「とろすぎて?」
泣かれた。ウィスタは鼻を鳴らして階段を下りた。ロングボトムはべそべそ泣いている。うっとうしいのか、階段がぎいぎい動く。転がり落ちそうなロングボトムの襟首をひっつかみ「黙れ」と階段に言った……ら、止まった。
「誰にかけられたんだよ。つか……助けてくれなかったのか。人いたろうよ?」
みんなくすくす笑うばっかりで、からかってただけだったよ。ロングボトムの眼は真っ赤だった。
「嘗められてんなあ」
どんくさくて、いかにも気弱そうで、つまりまあいびられやすいのだろう。嘗められたら仕舞いだ。
ただ、ロングボトムは坊っちゃんなのだ。どんくさかろうがなんだろうが、殴る蹴る炙られる沈められるなどなどの虐待は受けて来なかったのだろうし、嘗められないように動く必要もなかったろう。
呪いはなんだ。足縛りか。さっと解除してやった。とろい子豚だが、誰にも助けられないのは――あまりにも。
――ひどい
こんなのまだ軽い嫌がらせだ。ひどいだなんて思うウィスタは、少しばかりあまちゃんになったのではないか。ただの足縛りだ。別に放っていてもよかったのに。
「ありがとう」
「スリザリン生がいじめてるなんて思われたら面倒だっただけだ」
ロングボトムから眼をそらす。泣いてやがったくせに笑顔になってやがる。ちょろいやつ。
「君はいいひとだ」
おんなじ寮だったらよかったのになあと、ロングボトムは肩を落とした。ウィスタはそれに答えずに、再び問いかけた。
「で? こんなしょぼい呪いかけたのどこのバカだよ」
おずおずと口を開いたロングボトムに、ウィスタはにっこりした。
「お前な、普段僕は貴族だ純血だ言ってるくせにあの弱っちいロングボトムに呪いかけて遊ぶって悪趣味にもほどがあるだろうが」
「ちょうどいい練習台――」
談話室、暖炉の前でマルフォイは固まっていた。杖を突きつけられていれば当然だ。青ざめてウィスタを見ている。
「自分がなにしてもいいと思ってんだろ。いるんだよ勘違いしたやつ。親が偉いから自分も偉いとかな」
貴族ってのはそこらのクソどもとおんなじようなことするのな。やっっすい誇りだな。ビシバシ言えば、マルフォイが頬を赤くした。ウィスタは軽蔑の眼を向け、止めを刺した。
「お前のことをちょっとはいいやつと思った自分に腹が立つよ」