【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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賢者の石⑦

 まだ入院しなさいと引き止めるマダム・ポンフリーを振り払い、ウィスタはなんとか医務室から脱出した。

――弱くないのに

 どうも先生方からしたら「病弱」らしい。心配性なのだきっと。孤児院の連中なんてろくに食わせてもくれなければ、怪我なんて舐めてりゃ治る、お前がやったんだろうなどなどの酷い態度だった。

 なんべん酒瓶で殴られかけたことか。悪夢を振り払い、大広間へ向かう。マダム・ポンフリーに粘られて、結局夕食時に退院となってしまった。

 薄暗い廊下を進む。どこからともなく鷲がやってきた。腕を差し出せばふわりと羽ばたいて止まる。爪を立てないように軽く跳びはねていた。

「篭手つけてるから遠慮すんなよ」

 ウィスタの言うことがわかったのか、鷲は金色の眼を瞬かせ、ぐっと足に力を込めた。ローブが破れたけど、あとでレパロすればいいか。

 鷲を道連れにしていると、すれ違う連中の眼が痛かった。夕食時間も後半で、食べ終わったやつらだろう。校則違反とか言わないだろうな。薄っすらと警戒する。ホグワーツはヒキガエルと猫とふくろうが持ち込める。鷲はだめなのだ。ほんとは。ウィスタが飼ってるわけじゃなくて友達なのだと押し通すしかないか……。

――それか

 ダンブルドアのところに行くか。校長室に連れて行かれたから場所はわかる。合言葉はお菓子だし、ひとまず手紙を出せば会ってはくれるだろう。相手は校長なのだけど、ウィスタにとっては「初めて会った魔法使い」で「迎えを寄越してくれたじーさん」だ。まさかサンタクロースやってそうな爺が校長とか思わないじゃないか。初対面のときは頭のおかしいじーさんがきちまったぜとか失礼なことを思ったもんだ。

 鷲のことでお墨付きをもらうのも大事だし、あとは……。

「禁断の森の件も……」

 昨夜のことを伝えたほうがいいのかもしれない。一角獣を狩っていたのはヴォルデモートだと。

 そもそも、人でも霊でも獣でもないってどういうことだ。魔物か悪霊ということだろうか。謎だ。ウィスタが遭遇した『あれ』は人の形をしていたのに?

 耳に痛みがはしり、我に返った。鷲が嘴の先で、そうっと噛んだらしい。いつの間にか玄関ホールに着いている。礼を言って「行っていいぞ」と放ってやる。食事の席に連れて行くわけにもいかない。

 大広間に入れば、あちこちから視線が飛んできた。俺ってば人気者! と喜べる浮かれ野郎ならよかったのに。こわごわ、おずおず、こそこそ……だろうか。あたたかいものではない。

――殺気はないな

 たとえばろくでなしのイージスのような。あれはウィスタが入学したときから機会を窺っていたのだろう。妙な視線がどこからか刺さるなあと放置すべきじゃなかったのだ。

 なんにせよ、イージスは退学してるし問題ないさ。

 鼻を鳴らしてスリザリンの席に滑り込む。なんだかしーんとしてる。マルフォイがなんとも言えない顔で……まずい菓子を食べたような顔で、ウィスタをみていた。他の同期たちも同じくだ。

「お前罰則の話どんだけ盛ったんだよ。みんなビビらせて楽しんでんじゃねーよ」

「違う!」

 ピシッとマルフォイに言い返され、ウィスタは片方の眉を器用にあげた。目立ちたがりの坊っちゃんだから、一角獣探しを大冒険に仕立てたのかと思っていた。お前は失神してただけだろ坊っちゃんよ。

「じゃあなんだよ。スリザリンの砂時計が空だって? 気にすんなよ」

 底まで落ちたら怖いもんもねえし。かるーく言っても反応が薄い。悪いもんでも食ったのか。まじまじと坊っちゃんと同期たちを見れば、みんな顔を引きつらせていた。素早く視線が交わされて、役目を押し付けられたマルフォイが口を開いた。

「お前を殺しかけたイージス」

 誰かに惨殺されたそうだ。

 お前が妙な呪いで殺したんじゃないか、とかお前の一族が手を出したんじゃ……と噂が花盛りだよ。

 はいそうですか、としか言えなかった。わけのわからない事態に、気の利いた答えを返せるほどウィスタは頭の回転がはやくない。

 どういうこったいとぼやきつつ、夕食を流し込むようにして食べた。さっさと席を立つ「だからお前はなんでひとりで」とマルフォイがキレていたが無視した。大広間を出て玄関ホールへ。地下へ行こうとしたとき、物置から声がした。

「ウィスタ」

 ひょっこり顔をのぞかせているのはグリフィンドールの才媛で、友達のハーマイオニーだ。

「もう大丈夫なの」

「再会して一言めがそれかよ」

 返し、ハーマイオニーが手招くままに物置に入る。ごちゃごちゃと掃除用具が並ぶなか、二人は向き合った。

「で、どうしたよ。スリザリンになにかされた? 殴っていいからな」

「そうじゃなくってね。あなたも知っておいたほうがいいと思って」

 例のあの人が狙っているもの『賢者の石』なのよ。さらりと言われ、瞬いた。

 なんでもハグリッドがニコラス・フラメルがどうこうを漏らし、突き止めたらしい。

「――ウィスタが先に貸してくれた本に書いてたの!」

 ウィスタは記憶を引っ張り出した。あのクソ重くて古くて分厚いあれか! なるほど納得だ。ハーマイオニーはちゃんと読んだのか。

「ハグリッド、なに生徒に漏らしてるんだよ。大丈夫かよ」

 うっかりドラゴンも飼うしな。たしかドラゴンって飼えないし、卵なんてまず手に入らないのに……とまで考え、強烈にいやーな予感がした。

 ハグリッドのうっかりと危険な生き物が大好きなところを知っていたら。

 ドラゴンの卵をちらつかせて、酒でも飲ませて。

 情報吸い出し放題じゃね?

「なんつーもんつくってんだよジジイ」

 図書館の片隅で、ウィスタはひとりつぶやいた。今は試験前で、暇をみつけては皆勉強している。ウィスタは試験そっちのけで調べ物をしていたのだけど。机に積み上げているのは魔法史や錬金術の本だ。あれこれ探してホグワーツに隠されている『賢者の石』がどんなものか掴んだ。

――なにが賢者だよ

 欲まみれの石だ。龍――ドラゴンではなくて、東洋の龍――の血をああしてこうしてできたのが賢者の石。黄金をつくり出し、命の水を飲めば寿命が延びるんだとか。つまり、不老になるらしい。欲の亡者ホイホイなのはわかった。ウィスタだってちょっとほしい。世の中金である。

 ないほうがいい種類のものなのはわかった。争いの元だ。よくニコラス・フラメルは六百何歳まで無事にいられたものだ。ウィスタが悪いやつなら、奥さんを拐ってどうこうするだろう。命の水を飲んで不老になっただけで、不死ではないのだ。手段を選ばなければやりようはありそうだ。

――けれど

 石をつくり、誰にも奪われずに生きてきたフラメルでさえヴォルデモートは警戒したわけか。

 ヴォルデモートがどういう状態かさっぱりわからないが、賢者の石を手に入れたら厄介なことになるのだろう。なにせ金と不老を約束する石なわけだし。「人でも霊でも獣でもない」のやつに使えるのかは知らないが。

 俺が動く問題じゃない。

 本を閉じる。オンボロ椅子に背を預けた。ギィィ、と椅子が呻きをあげる。眼を閉じる。

 まぶたの裏に、黒い森と伏せった一角獣の姿が蘇る。

 眉間に皺を寄せた。追い回され、切り裂かれ、殺されたのだ。ただ血がほしいからという理由で。ダンブルドアが賢者の石についてなにか手を打っているだろうし、ウィスタはなにもできないのだけど。

 機会があれば一発殴ってもいいかもしれない。

 ◆

 そうこうしているうちに学年末試験が始まった。朝から晩まで試験漬けで、マルフォイはぐったりしていた。ウィスタはぐったりどころかイライラしまくっていた。

「チクチクうっとうしい」

 男子トイレの壁を殴りつける。うっかり穴をあけてしまった。石の壁なんだけどな?

「……眠ってた才能が開放されたか」

 きっとそうに違いない。なんてこった。ナントカ拳の使い手になれるかもしんない。

「そんなわけがあるか」

 陰気な声に振り向いた。スリザリンの寮つきゴースト、血みどろ男爵だ。

「やあ閣下」

「よい夜ですねと言うのだよ」

 ウィスタなりの礼儀正しい挨拶は却下された。

「で、どうしたの閣下」

 男爵はため息を吐く。トイレと男爵なんて陰気すぎる組み合わせだ。

「異能でもなんでもない。魔法だよ」

 その気になれば建物を両断するような魔法の使い手もいるのだ、と男爵は言った。

「なにそれ。サムライみたいでかっけえ」

「いいから直す」

 ぴしゃりと言われ、レパロで壁を修復した。拳大の穴が綺麗にふさがる。魔法って便利だ。

「あんたトイレ使いたいわけじゃねえよな」

 訊いてみたが無視された。どころか鼻を鳴らされる。

「なにを苛立っている小さな獅子」

「俺、スリザリンだけど」

 変な呼び方もあったものだ。首をかしげれば、じろりと睨まれた。早く答えろと仰せだ。

「眼が痛くて」

 もう、とっちゃいたいくらい鬱陶しくて。四六時中チクチクするのだ。

「やめんか。えぐり出すなよ」

「どうにかなんない?」

「穏和しくしておけ。そのうちなくなる」

 かなり雑な返答だった。ウィスタは男爵を見上げた。

「わざわざ言いに来たの?」

「子守だよ」

 お前はひとりでふらふらするからな。何事かあれば顔向けできん。

 ぶつぶつと男爵は言って、ふうっと姿を消した。

 

 眼の痛みはおさまらず、それでもなんとかかんとか試験を終えた。

 ウィスタはどっと疲れ、さっさと寝室に上がり……寝付かれなかった。

 こういうときは夜の散歩だ。寝巻きを脱ぎ、さっさと着替える。外套を羽織り、するりと寝室を抜け出した。一人でうろつくなと言われてようが知ったことではない。

 寮を出て、ふらふらと城をさまよう。もちろん透明呪文をかけてひそやかに動いた。

 ふと、四階の廊下を見に行く気になった。三頭犬に変化がなければ、賢者の石は無事だということだ。散歩のついでに確かめるのもいいだろう。

 さっさと四階に上がる。階段に「静かに動け」と言ってみたら本当にそうなった。不思議な階段だ。まるで忠実なペットのよう。

 目的の場所にたどりつき、扉をそっと開いた。指三本分の隙間から、ぎらぎらと光る三対の眼が見える。よし。今日も大丈夫だ。

 扉をそっと閉じたとき、冷たい声が聞こえた。

「悪い子だな」

 ウィスタ。

 はっと振り向く。じん、と眼が痛む。背の高い影が――ターバンを巻いた影がいて。

 

 その眼は。

 燃えるような紅に染まっていた。

 

 

 

  銀色が、よぎる。白波……いいや流れる銀糸だ。ゆるく編み、束ねられたそれは背に流れている。

 伏せた顔はひどく白く、氷を思わせるその容貌のなか、両の眼だけが鮮やかだった。

――燃えるような紅

 空を染め上げる夕陽を思う。沈まんとする日の、最後の輝き。

 けして穢れたものではない。禍つ星ではなりえない、命の色彩だ……となぜだか思う。

 『彼』は瞬き、息を吐いた。澄んだ緑の長衣、袖に包まれた手が、なにかを掴んでいる。

 長さは男の身の丈ほど。細かな装飾が刻まれた、黄金色の杖である。巻き付くのは緑の両眼と一対の翼をもつ蛇である。

 彼は握りしめた杖をみやる。白い壁、白い床の円形の室。その中央には台がある。なにも置かれていないそこに、黄金色が突き立った。

「これでよかろう」

 ロウェナ。

 

 ふ、と意識が浮き上がる。眼に飛び込んできたのは白だ。壁も床も白く……円形の……室で。

 じわりと滲むのは黒。鼻先を臭気がかすめる。ものが腐り爛れる臭いだ。

 黒い影がこちらをみやる。ちかり、と紅色が閃いた。

「ようやくお目覚めか」

 リアイス、と男は――クィレルは言う。ウィスタはバカ面をして彼を見ることしかできなかった。なにせウィスタはようやっと気付いたのだ。己が床に転がっていることに。ついでに頭も痛む。

「てめえ人の頭遠慮なく踏みつけてくれやがって」

 ばらばらになった記憶がつなぎ合わさる。ばったり遭遇して逃げようとしたら拉致された。文字通り引きずられ、部屋に放り込まれ、杖もとられ、顎を蹴られ等々。這いつくばらされ、頭を踏まれた。それ以前に切り傷から血がダラッダラであった。

「君が暴れるから悪い」

 クィレルが冷たく言った。普段のどもり野郎とはえらい違いだ。

 ウィスタはなすすべもなく、クィレルを見つめた。両手足を封じられてはどうしようもない。頭の怪我のせいか意識はぼんやりしている。ついでに眼も痛かった。心臓が脈打つ間隔で眼も痛むのだ。

「取り出せない……」

 クィレルがうろつき、台座の前で立ち止まる。鏡――姿見のようだった。転がるウィスタは姿見の脚と縁くらいしかわからない。芋虫よろしく這えば、鏡の正面に行けるのだろうけど。

「どうあってもできまいよ」

 声がした。紫色の長衣が流れる。挿されたいくつもの星が、魔法灯にきらめいた。

――ダンブルドア

 なんでここに。

 ウィスタの驚愕をよそに、ダンブルドアは鏡を見つめている。無様に転がっているウィスタのことも、鏡を調べているクィレルのことも見えていないようだ。

 彼の手にあるのは紅の石。濁りのない、美しい色だ。

 似ているな、と思う。あの人の眼に……とまで考えて、眼を見開いた。

 ダンブルドアと同じく、台座の前に立っていた人がいたはずなのだ。彼はどこに消えたのだろう。

 拐われるし、クィレルは変だし、ダンブルドアの幻は出てくるし、あの人はいないし。いや、そもそも台座には鏡ではなくて別のものがあったのに……?

 事態は進んでいく。

 ダンブルドアは拳を突き出した。握った石ごと鏡に呑み込まれる。ほんの一瞬鏡が光り、ダンブルドアは何事もなかったかのように拳を引き抜く。その手に石はなかった。

「……お前も、お前の手下も」

 邪念にまみれておる。哀れなことよ。

 望みはけして叶わぬよ……。

 ダンブルドアの眼が光る。うっすらと冷たく鋭いライトブルー……。

 ふわり、と幻が解けていく。あとには爪を噛むクィレルと、物言わぬ鏡、そしてウィスタが残された。

――あれは

 たぶん過去だ。好き勝手に動きやがる力。眼を瞑る。ああ、ずっと痛む。誰かが怒っている。

 こんなザマになって、生き延びて。隠れ、獣のように命をすすり……あそこでしくじらねばよかった。赤子ごときに……なぜ。

 どろりとした感情が染みていく。手に入らぬ俺様はなんでもできたあの女を■■■もした。太陽を■■■■したのに。

 最も優れたるもの、歴史に名を刻む者。そうとも、死をも超えた……。

「お前ならばどうだ」

 眼を開ける。クィレルの手が伸びてくる。胸ぐらを摑まれ、引きずられる。たらたらと血が垂れ、床に細い筋を描く。

 台座――鏡の前に放り出された。

「なにが見える」

「あんたを殴って歯ぁ折ってるとこ」

 間髪入れずに返す。途端に衝撃がやってきて、ウィスタの頭が火を吹いた。硬い靴底に踏まれ、顔がゆがむ。

 鏡に映る、母親の姿もゆがむ。次から次へと像が切り替わる、不思議な鏡だった。リーマスが見える。明るい眼をした自分も見える。灰色の眼の男が静かに笑んで――。

「減らず口だな」

 どこからか声が響く。面白がるような響きだった。

「我が君」

「子どもの言うことだ。真に受けるなクィレル」

 それにあまり傷をつけるな。静かな声に、しかしクィレルは青ざめる。

「たしかにリアイスではありますが、我が君が執心することは……」

「これは俺様のものだ」

 そう定められている。熱を帯びた声に、ぞくりと震える。粘るような執着がウィスタに這い寄る。

 証拠などない。だけれど、ウィスタは直感のままに言葉を紡いだ。

「誰がてめえのものだって? ヴォルデモート。このペ■野郎」

 クィレルが悲鳴をあげる。ウィスタの身体が浮き上がり、壁に叩きつけられた。鋭い音がして、片腕が折れた。

「哀れかなマグル育ち……」

 躾がいるようだ。クィレルから、クィレルではない声がする。するするとターバンがほどける。

「我が君、我が君おやめください。私の身体を使わないでくださぃい!」

 子どものようにクィレルが泣きじゃくる。ターバンが床に落ち、クィレルが優雅に身を返す。後頭部の『それ』と眼が合った。

――人でも霊でも獣でもない

 なににもなれない何かが、にぃっと笑った時。

 軽やかな足音とともに、誰かが飛び込んできた。くしゃくしゃな黒髪。澄んだ緑の眼を瞬かせ、生き残った男の子が棒立ちになる。

 視線が滑り、倒れるウィスタとクィレルを捉えた。

「……な、」

「逃げて教師呼んでこい!」

 叫び、腕に魔力を通した。黄金の火花とともに、拘束を焼き切る。『狼縛り』を起こし、クィレル=ヴォルデモートを絡め取る。

「お前のためにイージスを殺し――」

「やかましい」

 蹴りを食らわせる。喧嘩に慣れていないのか、クィレルが転がった。ざまあねえや。

 壁際は不利だ。踏み出す。室の中央に駆けようとして、またも壁に叩きつけられた。

「――ッ!」

 『狼縛り』がほどける。ぼたり、と血が垂れる。眼だけを動かせば、肩からなにかが飛び出ていた。痛みは両肩と足から広がっている。

「ウィスタを離せ!」

 ハリーがクィレル、いやヴォルデモートに飛びかかる。ハリーの手が触れた瞬間、じゅっと肉の焦げるにおいがした。厭というほど覚えのある臭いが満ちる。クィレルが叫ぶ。叫び、身をよじり、すすり泣く。ハリーはクィレルにしがみつく。父親にすがる子にも似て、しかしそれは敵を逃すものかと思い定める騎士の姿であった。

――あぁ

 うらやましいな、と思ってしまう。やっぱりハリーはグリフィンドールなのだ。逃げろと言ったのに、ウィスタを救おうとして。

「ぁああぁあ!」

 クィレルが涙をこぼし、倒れ伏した。ウィスタの意識も途切れた。

「ウィスタ」

 緑の眼が、ウィスタを見ている。燃えるような熱に蝕まれながら、唇を動かした。

「鏡……石……回収……」

 壊したほうがいい。クィレルは死んだはず。いまのうちにどうにかしておくべきだ。

 力なく横たわったまま――ウィスタは室の中央に移動させられていた――ハリーが鏡に向かい合い、彼の手に石が現れるのを見守った。ほんとに取り出すなんて、ハリーはどうなっているのか。

「僕、先生を呼んで……」

 ハリーがローブを脱いでかけてくれる。石をしっかりと握りしめ、だけれど顔色が悪かった。出口へ行こうとしてよろめき、倒れてしまった。

――まずい

 これは詰んだ。待てよハリーならロンやハーマイオニーといっしょに動いてるはず。なにがどうしてこうなっているのかさっっぱりわからないが、助けは来るのだと思うべきか。

 いやいやでも、ウィスタの怪我はなかなかのものだ。一晩放置されたら……眼も痛んできたし……。

――痛んできたし?

 ざり、と音がする。靴が床を踏む音。

「おのれ」

 ゆうらりと影が立ち上がる。顔の半分を欠けさせて、身を焦がしながらも向かってくる。ウィスタとハリーを目指して。

「ヴォルデモート卿は不死なのだ」

 永遠なのだ。

「ポッターは始末し」

 お前は連れて行く。なぁスリザリンのリアイス。

「ふさわしき者」

 するすると、蛇のように滑らかにやってくる。

「服従せ――」

 なにをしようとしたのか。なんにせよ、ヴォルデモートの企みは、降ってきた影に砕かれた。黄金の煌きがヴォルデモートを――クィレルの肉を――胸を貫く。さん、と透明な音を響かせ、石床に悪なる者を縫い止めた。

 室が震える。叫びが木霊する。クィレルの身がほろほろと崩れ――黒い靄が吹き散らされた。

 衣の切れ端と白い灰のなかに、黄金はしずかに在った。

『これでよかろう』

 ロウェナ、と誰かが言っていた。銀色の男。彼が持っていた杖だ。

『この■■■■は置いていく』

 確か名は――。

「一時、従いなさい」

 靴音。スカートがふわりと揺れる。白い手が黄金を掴み取った。

「癒やしをもたらせ」

 螺旋杖(アスクレピオス)

 黄金――翼ある蛇を巻き付けた杖が、柔らかな光を放つ。命を祝福し、癒やしを与える輝き。それはウィスタに、ハリーに降り注ぐ。

 微睡みの腕がウィスタを包む。癒やしの光のなかに立つ影。顔はわからない。そいつはウィスタの前に膝を突く。

「遅くなって申し訳ありませんでした。我が君」

 ふ、と影が息を吐く。

「……なるほど、先代……なんにせよ……」

 この杖は貴方様のもの。とある男の良心と誇りの欠片。

 大事になさいませ。

 またお会いしましょう。

 ◆

「………………嘘だと言ってくださいよ」

「嘘のようなほんとの話じゃよ」

 病室で眼を覚まし、ウィスタはもう一度気を失いたくなった。

 なんで賢者の石がウィスタの杖と融合してるのか。あんだけボロ雑巾にされたのに擦り傷ひとつ残ってないのはどうこう。情報処理がまったく追いつかない。

「俺がグ、グ、グリフィンドールの末裔なんて法螺でしょ。ないないないないない」

「あるんじゃのお……それが」

「それで、」

 腕をかざす。柔らかな金色が巻き付いている。眼は緑。小さな翼を持つ蛇――腕飾りだ。めちゃくちゃスリザリンだ。

「サラザール・スリザリンの品が出てくるわけねえでしょうが!」

「観念したまえ。スリザリンと刻まれておるし」

「俺、一応グリフィンドールの子孫らしいのになんで??」

「父方の血筋じゃないかのぉ」

 ほれ、どこでどういう婚姻して何が混ざってるかわからんし。しゃあしゃあと言う爺は、何も吐きそうになかった。

「よくやったの」

 笑まれ、眼を逸らす。ウィスタはなんにもしていない。活躍したのはハリーだった。そのハリーはまだ寝ているけど。

「自分が助かるより、ハリーを逃がそうとしたのだから」

 それも勇気じゃよ。

 穏やかな声に顔を背けた。

「助けを呼んでこいと言っただけです」

 別に、それだけだ。勝ち目がなさそうだからそうしただけだ。

「君は騎士じゃよ。だから大丈夫」

 堂々としていなさい。

 

「……わけのわからんジジイだよ」

 つらつらと医務室での出来事を思い返し、ウィスタはため息を吐いた。

 窓の外は山ばかり。キングズクロスに着くまでしばらくかかりそうだ。

「意味がわからないのはお前のほうだ」

 リアイス。

 マルフォイはカンカンであった。そりゃあ、ウィスタが夜中に抜け出した挙げ句に風邪を引いて医務室に放り込まれたと聞けば怒るのがマルフォイである。

「夜の散歩とかふざけているのか! ポッター関連でうやむやになったが本来減点罰則だぞ」

「はいはい」

――こいつに

 賢者の石騒動に巻き込まれてヴォルデモートに遭遇したと言ったらどうなるかな。泡吹いて倒れるかもな……と妄想していたウィスタは、適当に頷いた。

「駅に着いたら父上母上が迎えに来てるから一緒に行くぞ。お前の保護者には話をつけてると父上が」

「はいはい……は?」

「だから泊まりに来いと」

 夏休みの予定が、強制的に埋まってしまった。

 キングズクロスに着き、ナルシッサに抱きしめられた。

「お世話になります」

「よくってよ」

 ドラコと仲良くしてくれてありがとう。

 にっこり笑まれ、ウィスタは己が流されまくっているとわかりつつ、頷いた。

 どうにかなるさ。

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