【完結】虹彩の奥底   作:扇架

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秘密の部屋①

「よかったのか?」

 とある館のとある室に放たれた言。澄んだアルトの幼気な印象を、声の主は見事に打ち消していた。

 黒髪に、灰緑の眼、齢十前後の魔女。席に着き、茶器を傾ける挙措は優雅そのもの。紡ぐのは上流階級の発音――しかも、いささか古めかしい響きを帯びている。ただの魔女でないのは明らかだ、と余人がいれば思うだろう。

 さらには、魔女が同輩に呼びかけるがごとく問いかけている相手をみれば腰を抜かすかもしれない。

 なにせ魔女が生意気な口を利いているのは、錬金術師ニコラス・フラメルなのだから。

 しかし、フラメルは頓着しない。魔女は彼の孫なのか? 否だ。フラメルの子孫はいるが、各地へ散っていることだろう。己がフラメルの血筋だとも知らないだろう。

 息子は命の水を飲むことを拒んだし、賢者の石にも否定的だった。争いを生むだろう。ないほうがいい、と。

 この偉業がわからぬか。フラメルは息子に手をあげ……息子は出ていった。

「もっと早く失くしてしまうべきだったんだ」

 ルーチェ、と魔女――友人の、古い古い名を呼ぶ。

「人狼を人に戻せないかと縋る男もいたしな」

 つ、と魔女は笑う。年頃にそぐわない苦い笑みだ。

「その時が来たら看取ってやる。我が友ニコラス」

 ありがたいな、と返す。何百年も生きながらえた錬金術師と、小さな魔女。友人と呼ぶには無理のある組み合わせだ。しかし魔女の内に満たされているのは記憶だ。幾代幾世もの人生だ。

 狂いに狂って死んだとある男は、フラメルの友人だったのだ。

『どうか』

 どうかエスター様を、我が君を

 助けてくれ!

 叫び、泣き崩れ、地に額をこすりつけ、男は願った。

 主を人狼から人に戻してくれ。救ってくれ。

 誇り高い男だった。それがフラメルなぞに頭を垂れ、すがる。あまりにやるせない光景であった。なにもしてやれないだけに……。

「こうなるさだめだったのだろう」

 ぽつりとこぼし、友人に視線を投げた。賢者の石は、夢は終わったのだ。そうすべきだとフラメルは思ったのだ。

 なぜならば――。

「君の主が、あの杖を手にした」

 数百年、オリバンダー家に眠っていた。杖は誰も選ばなかった。東の地の龍、その角からつくられた杖。とうとう主が現れた、と連絡を受けたときは驚いたものだ。そしてそれがリアイス姓の少年――フラメルがかつて錬金術を手ほどきした娘の、息子だったのだから。

『先生、私』

 うんと長生きするんです。髪の白いおばあちゃんになって……。

 茶目っ気たっぷりに言った娘。絹糸の黒髪に、至高の青色の眼をしていて。

 若くして、死んだ。殺された。あまりに早すぎた。髪が白くなるどころか、灰色になる前に散ってしまったのだ。

「あるべきものが、あるべき場所に戻ったのだ」

 そういう節目があるのだ。

「わかるとも」

 ふ、と友人が吐息をこぼす。灰緑が深い色を帯びた。

「……ただ、俺の――私のすべきことはひとつだけ」

 幼い雌獅子、卓越した狩人の声がフラメルを打ち据えた。

「我が君をお守りすること」

 

 屋敷しもべってのは変なのか。それともこいつがおかしいのか。

「ドビーは悪い子ドビーは悪い子!」

 叫びながら壁に頭を打ち付けている妖精が一匹。いや一人。匹よりも人だろう。二足歩行しているし、屋敷しもべは人間の縮小版みたいな格好をしている。背は小さい。幼児くらい。少なくともウィスタよりは低い。大きな耳をぱたぱたさせている。といっても、トールキンの話に出てくるような、エルフみたいな尖った耳ではない。で、美男美女というわけでもない。

 手足は奇妙に長くて眼は丸くて大きい。そして痩せている。ついでに襤褸切れをまとっている。

――あれは僕らが置いてやってるんだ

 とマルフォイ坊ちゃんは言ってたけど。

 屋敷しもべの扱いはひどいもんだった。よそはどうだか知らないが、マルフォイ家はひどい部類だろう。なんせしょっちゅう屋敷しもべが自分に「お仕置き」しているのだから。

「マゾかお前は」

 屋敷しもべの襤褸をひっつかみ、バカなことをやめさせる。

「これはリアイスの坊ちゃま!」

「血いダラダラ流しながら言うなよボケ妖精」

 つぅ、とデコから鼻、顎まで血が流れているんだからホラーだ。

「ドビーは悪い子ですので」

「主家の壁を汚すのいいんだ?」

 ちらと眼をやれば、マルフォイ家――本家の館の壁、蔦模様が美しいそれには血が点々と散っていた。

 あぁ! とドビーが悲鳴を上げる。

「かまどに手を突っ込むほうが」

「やめろ」

 ぴしゃりと遮った。素早く癒やしの呪文を唱え、ドビーの傷を治す。

「ドビーなんぞのために」

「どうせ食事をひっくり返したとか、掃除が甘かったとかだろう。そんくらいで自傷すんなよ」

 感激に眼を潤ませる妖精は、ぶっちゃけ気色悪い。哀れみも二割ほどあるが、わけのわからん行動に走る不気味さが先に立つ。それを受け入れているマルフォイ家の連中もどうかと思うが。

「俺はここの客だ。だから俺の前、目のつくところでバカはやめろ。んでんなヤバイ仕置もやめとけ」

「旦那様はトビーがみじめなほうが好きなのです」

「なに、あのひとエスなの」

 ドン引きである。ザ・貴族。孤児のウィスタが息子の『友達』になってもオーケーした謎の男。そんな……なんだったか……嗜虐趣味があったなんて。

「しもべは主に仕えるもので、足りなければしもべはお仕置きをするものです、はい」

 ため息が出る。魔法族の文化にはついていけない。いや、この文化にはついていきたくない。

「部屋の掃除頼むな」

 結局、それだけを言って階段を下りた。以前、轟音とともに階段が崩れる光景をみたので、心なしかおそるおそるであった。誰だよマルフォイ家の玄関ホールをぶっ壊した誰かは。化け物である。

「どうするラージャ」

 影は歌うように、そして冷ややかに言っていた……。

 玄関ホールに降りて、図書室へ向かう。マルフォイ家の図書室、まぁまぁの蔵書数がある。マルフォイ家の御曹司こと、ウィスタの『友達』らしい、ドラコ坊ちゃんは、たいして興味も持たずに庭で遊んでいる。なんでもシーカーになりたいんだそうだ。

 で、ウィスタは坊ちゃんの練習相手を仰せつかり、気まぐれに箒で飛んだり、クルミを魔法で飛ばして坊ちゃんに追わせたりしていた。毎日べったりは厭なので、今日は図書室だ。

 図書室は静かで、掃除が行き届いていた。ついでに『秘密の扉』を発見したが、開けてはいない。本棚の本を抜き出してああしてこうすれば出現するようだ。さすがにマルフォイの当主殿に暴露もできない。俺、過去視もできるんですなんて。

 またもため息を吐き、椅子に腰掛ける。脚の部分に蛇が彫られている、いかにもスリザリンな品だ。

 この館はたいていがスリザリン的装飾――蛇、緑、銀で占められていて、扉の彫刻はマルフォイ家の家紋、竜だった。

 いかにマルフォイ家が純血で、代々スリザリンということを誇りにしてきたか、厭でもわかる。

――逆に

 純血だとか身内認定した人物には甘くなるようだ。ウィスタに対するマルフォイの連中の態度がそれだ。

 なんでか知らないが招かれるし、ウィスタは学用品だけ持ってほぼ手ぶらだし、なんか服も用意されていたし、飯はうまいし、夫人は機嫌がいいし、当主もまぁ機嫌はいい……んだろう。

 食事の席で「マグル保護法についてどう思うかね」とか訊かれたが。ウィスタは「なんですか、マグルってそんな天然記念物でしたっけ?」とふざけた回答をしておいた、当主ことルシウスは、日刊予言者新聞のバックナンバーをどかんとウィスタの客間に寄越した。仕方がないので読んだ。

 アーサー・ウィーズリーか発起人になった法律で、マグルに対する悪質な呪文の行使、物品を改造してのどうこう禁止、というものらしい。まっとうじゃないか。ちなみにアーサーというと、ロンの親父らしい。ロンの親父『小役人』とバカに――記事に書いてあった――されていたが、法律を通すってことはかなり優秀なのでは?

 ルシウスに後日問われ「改善の余地がありますね」とだけ答えた。ルシウスの聞きたい答えは察しがついていたけれど、合わせるつもりはない。

 なんやかやで、マルフォイ家に招かれて一ヶ月ほど経つ。さすがに滞在費という名の食費とか入れなくていいのか? とマルフォイ夫人ことナルシッサに訊いてみれば「あなたの滞在費くらい端金よ。いえ、金銭のことを言うのは卑しいことだわ……。息子の友人を泊めているだけなのだから、気にせずにらっしゃい」と言われた。一度使ってみたい言葉、端金。

 さて。太っ腹なマルフォイ夫妻のお陰で図書室も使えるし、ほぼどこでも出入り自由だ。いくつか隠し部屋や地下への通路があるらしいが、気付かないふりをしている。マルフォイ家が古い家門というのは嘘ではないようだ。

 古い本を抜き出す。家系図一覧だ。主にスリザリン系のものだった。最新情報とまではいかないが、少なくともウィスタの親世代まではある。

 マルフォイは大陸から渡ってきた一族だとか、ナルシッサはブラックの出だとか、そういう情報が載っている。

「ゴーント……は絶えてるな」

 眉唾かもしれないが、ゴーントはスリザリンの末裔らしい。いくつか枝分かれして、そのひとつは北米に渡ったようだ。だが、英国にいる末裔は、絶えている。

 ほかにも有名なスリザリン系の名門がユスティヌで、これは祖がはっきりしない。大陸渡りだとか、氏を変えただとか諸説ある。謎めいた一族で、蛇語を操れたという説もある。ついでにウィスタの母方、リアイスと戦をした一族だ。こちらも絶えている。

「……俺の異能がどこかの血筋由来なら」

 ゴーントな気もするんだが。最後の名を叩く。メローピーとモーフィン。そして父親のマールヴォロ。

「父親は誰なんだ?」

 リアイスとつながっている家門は、主にグリフィンドール系だ。たとえばポッター、ウィーズリー、ロングボトム、マッキノン、プルウェットだとか。たどれば、ポッターをはじめとした五家門はブラック家やその他貴族家とつながっているので、リアイスにスリザリン系の血が入っていないわけではない。

 が、ゴーントは超血統主義、あるいは純血主義で、つまりゴーントはゴーントと結びついていた。いわゆる近親婚だ。そのせいもあって滅んだらしい。

 結論はこうだ。リアイスにゴーントもといスリザリンの血は入っていない。家系図の上では入りようがない。

「……で、」

 ウィスタは服の上から腕を――正確には腕輪をなでた。翼ある金の蛇。螺旋杖アスクレピオス。さすがにスリザリン過ぎると思ったウィスタの願いが通じたのか、今は金に緑柱石がはまった腕輪に変じている。

「お前、たぶんスリザリンのもんだったんだろう? 他人の俺にひっついてんじゃねえよ」

 肩やら腕やら貫通した大怪我を瞬く間に癒やした宝も、ウィスタには迷惑なだけだった。

「ちゃんとした末裔んとこいけよ」

 ちかり、と宝石が輝いた気がしたが、腕輪はだんまりを貫いている。ウィスタは舌打ちし、マルフォイ家の文献を漁るべく腕まくりした。

「畜生め」

 

「かなり無茶な人選では?」

「成り手がおらんかった」

 そして君を矢面にも立たせられん。ダンブルドアが言い、青年は唇を引き結ぶ。校長室から見える景色は、緑が眼に鮮やかだ。夏の日の、素晴らしい陽気。クィディッチ日和だろう。

「だからってロックハートですか」

 青年――ナイアードは、うんざりした様子を隠さない。ホグワーツ校長に対する礼儀をかなぐり捨てていた。窓辺から身を翻し、校長――ダンブルドアへ向き直る。老賢人は執務机で茶をすすっていた。

「クィレルの『不慮の死』が効いたらしい。賢者の石が奪われそうになったどうこうは生徒から保護者に伝わっておるし……ホグワーツに関わると死ぬのでは、と」

「わかってますよ。理事会がうるさいからお飾りを立てて俺……か他のリアイスを迎えたかった、と。聞いてますから」

 そういうことじゃの。飄々と言うダンブルドアの首を締めたくなった。きゅっと締めたらすぐころりだろう。なんせ老人の皺首だ。

「気に入らんかね?」

「あのバカでなければね」

 スパッと返した。ロックハート。ギルデロイ・ロックハート。レイブンクロー出身で、ナイアードより二つほど上だったか。顔はいいがお騒がせのバカであった。目立つことが好きだったのだ。

「……いや、気に入らないことはありますね」

 ナイアードは息を吐くと指を鳴らした。鋭い音とともにオンボロ帽子が出現した。ツギハギだらけの汚らしいそれを、ナイアードはかぶる。

「……なにが、視野を広げるためだふざけるなよこの無能。あぁ、先代がどんだけ苦労したかこの放送禁止用語!」

「お前のせいであの子はよりにもよってマルフォイの家にお泊りだぞ! ゴドリックめくそくらえ!」

 生まれも育ちも貴族の御曹司は、帽子を脱ぎ捨てた。空色の眼をぎらつかせ、組分け帽子をどう分解しようか目論んでいるようだった。ダンブルドアが、彼に狂気の影を認め、ぶるりと震えているのにも気づかない。

「……仕方なかろう」

 ダンブルドアはそっと、そーーーっと言った。今でこそ落ち着いたが、ナイアードは短気である。十一年ほどまえ、ロングボトム邸で闇の勢力に突撃したくらいには無鉄砲だった。

 従兄弟のルキフェルと組んでベラトリックスと戦い、血みどろになったと聞いたときには卒倒しかけた。闇祓いマッドアイと幾人かが激戦のさなかに現れて、ナイアードとルキフェルは命を拾ったのだ。

『……戻せないんですか』

 聖マンゴで、傷だらけの姿でナイアードはつぶやいた。ダンブルドアの手を握った。

『一族でも駄目で。フラメル先生の石なら……?』

 君もわかるじゃろう。賢者の石は不老と病による死を超えるもの。奇跡は……壊れた心には起こらぬのだ。

『こんなの』

 あんまりだ。年若いナイアードは呻いた。

 死ぬより酷い。俺の父も惨い目にあった。だけど。

『生きているのに死んでいるようなものです』

 彼らは、ネビルのこともわからないのに。

「とにかく」

 頼むぞ。ダンブルドアは言う。その静かな声に、カンカンに怒っていた青年は黙った。

「今年もあれの暗躍があるやもしれぬ」

 先程までの激昂はどこへやら、青年はにやりとした。

「ふふ。先生公認なら好きにしますよ」

 我らリアイスに、ホグワーツに手を出す輩は。

 滅ぼすのみ。

 ◆

「小父様、アーサーさんにるんるんで突っかかって」

 友達なんですか? 天気のよいある日、ダイアゴン横丁の大通りでウィスタは問いかけた。片手からは細い紐『狼縛り』が伸びていて、小父様ことルシウスの腰に巻き付いている。

「あんなマグル贔屓と私が友人だと」

 ふざけているのかねと睨まれても、ウィスタは涼しい顔だった。なんせウィスタたちの背後にはナルシッサがいて、夫に冷ややかな圧をかけている。ルシウスよりナルシッサが怖い。ついでにマルフォイ――坊ちゃんは母親のほうをこわごわ窺っていた。

「だって本屋で見かけて話しかけて――つうかアーサーさんがとりあえず挨拶で穏便に済ませようとしたのに」

 あなたがぶっ壊したようなものでしょ。

 好き放題言った。ちらとナルシッサを見たが「もっと言え」という顔をしていた。

「俺は純血どうこうはピンときてませんけど、あんな場所で、同じ職場の人の家族を……」

 侮辱、とナルシッサが囁いた。そう、侮辱だ。アーサー氏ことウィーズリー家は子どもが多い。ぞろぞろと買い物に来ているところにマルフォイ家+ウィスタは遭遇した。ウィスタはハリーたちと話したかったのに、坊ちゃんに口を塞がれ、もがもが言ってるうちに大人たちの乱闘が始まっていたのだ。

「貧乏ですねって侮辱したり。気に入らなければ無視すりゃいいじゃない、小父様」

 さすがにひどくない? ウィスタが言えばルシウスは沈黙した。

「ああいう者どもが秩序を」

「ルシウス」

 吼えるような声が、なんとナルシッサから飛び出した。

「子どもの前で範を示して」

「私も頭に血が昇っていた」

 まぁー謝らない。ルシウスも殴られてたから、謝る気にもならないのか。ウィスタは諦めて『狼縛り』を解除した。

「買い物はすませたし」

 食事にしようか。ぽつりとルシウス氏が言い、ダイアゴン横丁の中でも一等地に歩を進めた。

 ウィスタは首をかしげた。

「そういや、ロックハートの本は……?」

「あれはゴミだ」

「読む価値もありません」

 マルフォイ夫妻はそろって言った。息ぴったりだった。

「あれより良いものを買っておきましたから」

「それを持って行きなさい」

 夫妻は口々に言い、二人並んで先へ行った。ウィスタとマルフォイは視線を交わした。

「ロックハートの本はそんなに……?」

「父上たちはお嫌いみたいだな」

 僕も、あんな薄っぺらいどこの馬の骨かわからないやつは厭だね。マルフォイは鼻を鳴らし、ウィスタは肩をすくめた。

 新学期、どうなることやらである。

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