九月一日はあいにくの天気だった。というより、ホグワーツが近づくにつれ崩れたのだ。けっこうな雨が降り、新入生が多少湿っている。
「あのみすぼらしい赤毛」
ウィーズリーの妹か。スリザリンの席でマルフォイがせせら笑う。
「下級生の女の子をいじくるなんてサイテーよ坊ちゃん」
組分けが進む中、ウィスタはぼそりとつぶやいた。マルフォイは顔をしかめた。
「純血なら純血らしい格好を」
「あらヤダわ。坊ちゃんってば家庭の事情に口を出すど阿呆だったの」
やあねえとまで言ってやる。
「笑わせるなよお前」
「無駄に巧くってよ」
ザビニが顔を震わせ、ダフネがくすくす笑っている。ウィスタはにやりとした。マルフォイは黙り込んだ。最初っからそうしてりゃいいもんを。ルシウスといい坊ちゃんといい、ウィーズリー家に絡まないと死ぬのかよ。
ロンの妹――ジニーというらしい――が組分けを終え、グリフィンドールのテーブルに行く。しかし、燃えるような赤毛たちのなかにロンはいない。ついでにハリーもいなかった。
そういやハーマイオニーが走り回ってたな、と思い出す。マルフォイに連行されてコンパートメントに監禁されていたので、話せず仕舞いだった。ウィスタもザビニや他の二年もマルフォイが「新型ニンバスの素晴らしさ」について語るのを聞く羽目になった。みんな適当に相槌を打ち……いやパンジーだけは熱心に聞いていた。もの好きだ。
なんか罰則でも食らったのか。それくらいしか思いつかない。今日は変な日だ。ハリーとロンはどこにもいないし、上座は席がひとつ空いてるし、さっきはどこかで轟音がした。ちなみに雷は鳴っていない。今晩はただの雨だ。
ダンブルドアが立ち上がり、きらきらした眼で大広間を眺める。人の好さそうなじいさんだけど、ウィスタにはなんにも教えてくれないのだ。父親のこととか父親のこととか父親のこととか。よりにもよってウィスタにくっついている螺旋杖のことも謎のままだ。
ダンブルドアが注意事項をいくつか話し(廊下で魔法を使うなとかクソ爆弾がどうこう)、新任教授の紹介をはじめた。
「闇の魔術に対する防衛術を教える、ギルデロイ・ロックハート先生じゃ」
すっとロックハートが立ち上がる。にっこりと笑顔を振りまき、ひとりひとりと眼を合わせるように顔を向け――ウィスタを見たとたん挙動が怪しくなった――話し始めた。
書店で会ったときも変だったなあ。ルシウスとアーサー小父の殴り合いで吹っ飛んでたが、確かにロックハートはウィスタを避けていた。一瞬眼が合って逸らされたのだ。
ロックハートのあいさつを聞くともなしに聞きながら、心は宴会へと飛んでいた。中身のない挨拶だ。こいつは顔だけだな、とウィスタは切り捨てた。
「ダンブルドアはなにを考えてるんだ」
誰かが言った。スリザリンの上級生だろう。まったくだ。誰かが返す。
――クィレルは死んじまったし
自業自得なんだろう。たぶん、ヴォルデモートを引き剥がしても駄目だったろうな。そんな気がする。まんまとヴォルデモートは逃げて、どこにいるかもわからない。
人でも霊でも獣でもないなにか。ただただ邪悪な影。あれを滅ぼす方法はあるのか。
形がないのなら、形を与えてから壊すしかないのか。つまり……。
深くに沈んだ思考を、重い音がさえぎった。気づけばロックハートの演説は終わっていて、大広間の扉が開いていた。
佇むのはすらりとした影。外套をまとい、顔は頭巾で窺い知れない。雨に打たれたのか、衣は濡れそぼって滴がしたたっている。
「遅かったの」
ダンブルドアが親しげに呼びかける。影は無言のまま歩を進めた。床に濃い筋を残しながら、上座へと。
影が手首を翻す。とたんに蒸気が立ち昇り、床の筋は消え、衣から滴が落ちることもなくなった。
「杖なしか」
「しかも無言で……?」
ひそりひそりと声がする。ウィスタは影をみつめ、舌を巻いた。いわゆる詠唱破棄というやつだろう。杖なしの魔法はもちろんあるが、精度が落ちるらしい。しかも一瞬で衣を乾かした。何者だろう?
影が頭巾を跳ね上げる。黒髪と、空の色が現れた。
かつ、と靴が鳴る。影が反転し、生徒の群れへと向き直った。
「新任の先生じゃ。ロックハート先生の補佐――助教授の」
ナイアード・リアイス先生じゃよ。
「よろしく頼むよみんな」
ナイアードは先生らしからぬ軽さで言い、にっこりする。つ、と視線を滑らせてウィスタと眼が合った。
ふと、空色がやわらかさを帯びたような気がした。
遠くに、よじれた枝を広げ、どこか化け物じみた姿の『暴れ柳』が見える。貴重な樹らしい。世界遺産級かは知らないが、学校の所有物なのは間違いない。そいつはあちこち枝が折れ、幹も傷ついているのがわかる。
――車が墜落したのだ
そりゃあ無傷とはいかない。
「……で」
なーんで朝っぱらから禁断の森に入ろうとしているのかな?
ウィスタを引きずりながら、にこりとしているのはナイアードだった。笑顔はただのポーズだ。まぁまぁ怒っているらしい。その証拠に、ウィスタの手首から、戒めを外してくれない。ナイアードに犬のように引っ張られる始末だった。
「墜落したフォードがあるかなあと」
フォード・アングリア。ウィーズリー家の車だ。そいつが日刊予言者を賑わせている。
アーサー小父はマグル贔屓でマグルに興味津々なオタクで、どこからかフォードを手に入れた。で、空飛ぶ車にしたのだ。よりにもよってロンとハリーは改造フォードに乗ってドーンと登場し……詰めが甘く、墜落。『暴れ柳』に激突。
なんでもキングズクロスで特急に乗り遅れたようだ。そんな噂が流れてきた。ウィスタはスリザリンだし、ハリーたちとなかなか接触できないのだ。
――バカじゃねえのとは思うけど
保護者を待てばいいだけだ。それで解決だ。ザビニなんて「そんなもの、昼飯食べてゆっくりして親に姿あらわしで送ってもらえばいいだろう」と断言していた。そしてマルフォイが「あいつらは低能な穢れた――が、入ってるに違いな」と言いかけて黙った。ロンたちがおバカなのは確かだが、マルフォイはいつも言うことがきついのだ。きついというより差別的なのだ。なんでもマグルに結び付けないと蕁麻疹でも出るのかてめえはよ。
あいつ、俺が純血じゃないとか、もしかしたら不義の子とか私生児とかならどういう態度に出るんだろうか。対等なお友達扱いされてるっぽいが、それはウィスタが名家の子(らしく)、純血(らしい)からだ。そんなもんだ。
育ちも悪い。坊ちゃんお嬢さんのなかは居心地が悪い。ザビニのほうが気楽に話せるってもんだ。ザビニの母親は女優で、つまりいいとこの方々からは「浮ついた職業」で下手したら「商売女」だ。夫が次々死んでいるのも最悪らしい。
ザビニ曰く「別にあの人が鼻の下伸ばしてるバカどもを食ったわけじゃない」「勝手に寄ってくるだけ」「いちいち手を下してられるかよ」らしい。「たしかに自分の母親ながら美人だと思うけどな。性格きついけど」とも言ってた。ザビニも苦労しているのだろう、きっと。一部ではザビニの母は魔性の女呼ばわりだとか。
「森の深いところに行ったんじゃないか?」
なんでまた、とナイアードが言う。ウィスタは答えをひねり出した。新学期早々、しかも夜が明けるか明けないかの時間に、森に飛び込んでも不自然じゃない理由を。
「フォード、どんな風に改造してたのかなって」
別に嘘ではない。興味はあった。
「やろうと思えばできるんだぞ? それをしてしまうのがアーサー小父なんだが」
知っているような口ぶりだ。ちらとナイアードの横顔を見れば「あそこの長男と俺は竹馬の友なのさ」と返ってきた。だからアーサー小父のマグル好きは知っているし、車の改造くらいじゃ驚かないと。
「あまりふらふら出歩くんじゃない」
「はあい」
よくわからない人だ。少し遠い親戚らしい。又従兄弟……ウィスタの母とナイアードの父が従兄弟だそうだ。ホグワーツに赴任したのは「先学期に騒動があったから、様子見」が理由。
――本気で心配されてるっぽいな
いくら親戚とはいえ、繋がりが薄いガキ一匹、名門の御曹司が気にかける理由もない。リアイスは代々グリフィンドール。例外はウィスタの母とウィスタだけ。そして母はリアイスから爪弾きにされたと聞いている。ますますウィスタに構う理由がない。
「あの森は、ホグワーツの一部だが厳密に管理してるわけじゃない。昔は密猟者もいたくらいだ」
懇々とナイアードが言って聞かせる。迷うと出てこられないかもしれない。あまりにも広いから、と。密猟者ですら奥深くには行かなかったようだ。もう駆逐されたから関係ないか……。
別に俺がいなくなって心配するやつなんていないさ、と言いたくなった。いや、リーマスは心配しそうだ。すると思う。だけど実の親はいない。母親は殺されたし。
――父親は
俺のことがいらなかったんだろうな。孤児院でよく聞いた。親父はヤリたいだけで、母親をどうこうで、子どもなんていらなかったとか。再婚で連れ子でどうこう、継父から、それか継母からどうこう、とか。
確かなのは、血の繋がりなんて脆いものだし、なければないで玩具で邪魔者なのだ。母親であるより女でありたい「産みの母」もいる。父親なんてやりたくない、欲だけしかない男もいる。
だから、リーマスがウィスタに情を持っているのだろうと感じても、それがとてもあたたかいものでも、時たま居心地が悪くなる。どうせ、とどこかで思ってしまう。ウィスタを手元に置いても、リーマスにはなんの得もないのに。
軽く唇を噛む。
「迷子になるようなヘマなんてしないね」
「次見つけたら罰則だからな」
「どうぞ」
可愛くねえなと言われた。可愛げのないクソガキやら、その他諸々罵詈雑言を聞いて育ったのだ。可愛くなくて結構だ。
「一生徒にかまってる暇なんてないでしょ先生?」
「君には要注意だからな」
グリフィンドールに入ってくれれば、こんなに気を揉まなかったものを。ナイアードの嘆きは真剣で、どこか後ろめたさもあるようだった。眼が合って、ふいと逸らされる。誰かから逃れるように。
いったい何を――誰をみているのか。訊こうとして思い出した。
本当は呪文の練習がしたくて森に入り、影を見た。擦り切れたローブを纏った影だった。縦にも横にも大きくて、やさしい声で誰かに呼びかけていた。
『ああよかった』
お前さんが逃げられて、俺はうれしい。アラゴグ。
ん? いいんじゃいいんじゃ。俺のことは。どうせ勉強も苦手だ。不器用だ。
はあ、と影がしゃがみこむ。
『……でも』
あの子はかわいそうだなあ。怪物ってのにやられちまって。
俺の退学なんていいから。
あの子を生き返らせてやってくんねえかなあ。
「解いてくんない?」
「逃げるだろう君」
「そりゃね。俺朝飯もまだだし」
「安心しろ。ちゃーんとスリザリンのテーブルまで送ってあげよう」
くだらないやりとりを重ねつつ、ウィスタはナイアードに連れられた。拘束は解かれない。ウィスタがひとりでふらふらしていたのがお気に召さないらしい。校庭を抜け、玄関ホールに。そして大広間へ……と思えば。
「やあセドリック」
ハッフルパフの四年生、セドリック・優等生・ディゴリーがいた。ローブを脱いで軽装だ。彼は口をへの字に曲げ、眉も下げ、ナイアードとウィスタを交互に見た。
「ウィスタ……と、ナイアード先生……なにを……?」
確かに第三者が見たらびっくりもするだろう。教師に手首縛られて連行されている生徒の図。いまから監獄行き、みたいな光景。魔法界の監獄はなんて言うんだっけ。確か――。
「ウィスタ・リアイスとアズカバンの囚人ごっこしてるんだ」
軽口のつもりだった。が、空気が凍った。セドリックは眼を見開き、灰色に険を宿す。なんで? と思ってナイアードを見上げれば、凝固していた。ちゃらそうな兄ちゃんだなと思った男が凝固していた。眼が死んでいた。
「こんなのブラックジョークのうちにも」
入らないと言おうとしたが、セドリックに問答無用で手首を掴まれ――拘束は解けていた――ぐいと引き寄せられた。
「なにやってるんですか先生」
セドリック、なぜだが知らないがキレている。おいおいと見上げれば(セドリックは背が高いのだ)、眼をギラギラさせていた。優等生が怒ると怖い。
「悪趣味な――」
「待て待て」
ようやくナイアードが動いた。ぎくしゃくと手を突き出す。
「俺がそんなこと――」
「そもそもなんですかあれ、縄かけて連れるなんて」
セドリック、止まらない。ウィスタは唖然として口も挟めない。ナイアードは押されていた。しれっと返せるだろうに、なんだかおかしなことになっている。
「何事です」
大広間から、マクゴナガルがやってきた。カンカンに怒っているセドリックと押され気味なナイアード、なんでかナイアードから庇われている(ように見える)ウィスタ、という珍妙な光景に瞬いた。
結局マクゴナガルがセドリックを落ち着かせ、事情を明らかにしアズカバンの囚人どうこうで凍りついた。
――なんなんだ
マクゴナガルが鋭い眼でウィスタを見やる。
「感心しない冗談です。それに、禁断の森に行った?」
罰則ですと言い渡されてしまった。ナイアード先生は罰則にしませんでしたと言っても無駄だった。
――ウィスタはなんの地雷を踏んだのか
学期が始まって数日。ウィスタは相変わらずひとりでふらふら歩いていた。もちろん校内を、だ。禁断の森に行くのはしばらく控えよう。クサカゲロウとかその他諸々、森で収穫したいのだけど。生徒用の棚に行くのは面倒だし、好奇心を満たしつつ薬草も採りたいのだ。ほとぼりがさめたら動けばいい。
――また怒られるのはごめんだ
妙な空気になるのも厭だ。どうしてとも訊けない。はぐらかされるだけだから。
隠し事ばっかりだ。眉間に皺が寄る。孤児院と学校はウィスタに殴る蹴る浴槽に沈める熱湯を浴びせる等々のあれこれをして、ウィスタを排除しにかかったものだが、魔法界――大人たちは、まるで見てはいけないものを見るような、触れてはいけないものに触れるような態度だ。
マグル界でも「あいつに関わると呪われる」と言われたものだけど、それより堪える。ウィスタは厄介の種なんだろうと思ってしまう。
図書館にこもっていよう。今日は休日。マルフォイは朝から出かけていった。クィディッチチームに入ったのだとご機嫌だった。
マルフォイの父、ルシウスはなにをとち狂ったか、財布の紐がガバガバなのか、新型ニンバスをチームに寄贈したようだ。そんなもんでスリザリンチームは鼻高々だった。寮に帰ってきたら、ニンバスがそろったチームの強さがどうこう、グリフィンドールなんてぺしゃんこどうこうで盛り上がるのだろう。
間違っても仲間だと思われたくない。
「貧乏人」
「みっともないローブだな」
せせら笑う声に立ち止まる。幼稚な嘲り。
廊下のど真ん中に、赤毛の女の子がいる。それを囲むようにして――スリザリンのクソどもがいた。一年生たちだ。
ウィスタは無言で杖を抜いた。ばらばらと散る学用品。きっと女の子はこづかれたのだろう。古びた羽根ペンは折れている。踏んで折られたのだろう。
「ノートもボロだな。しかも穢れた血のやつじゃないか?」
一人の手が、ノートを掲げる。装丁は黒。ノートというより本に近い厚さだ。
ウィスタはそのまま進む。
「吹っ飛べ」
杖を一閃し、囲みの一角を崩した。手を突っ込み、女の子の腕を掴む。引きずり寄せ、もう一撃。
「通行のじゃまなんだよクソガキども」
一年生たちは廊下に転がり、ひんひん泣き始めた。六人が六人ともだ。なっっさけねえ。
「なんなんだよお」
「あなたおんなじ寮の――」
「ウィーズリーなんてかばうのか!」
「……ん、おんなじ寮…………だけど」
誰かが涙を引っ込めた。おそるおそるウィスタを見上げる。
「闇狩りのリーン・リアイスの息子だぁあ!」
「ええ、パパとママに近づくなって言われた!」
「いやだ僕監獄に行きたくない」
――クソなうえにアホだ
「どけや」
じろりと睨めば、クソガキどもは泣きながら逃げて行った。ウィスタは彼らの顔をきっちり覚えた。
「あの」
小さい声に、手を離す。青ざめた顔の女の子。ロンの妹だったか。
「ありがとう」
「置物をどかしただけだ」
俺の前をふさぐのが悪い。鼻を鳴らす。散らばった学用品を呼び寄せる。ノート――日記だろうか――羽根ペン、インク壺、カバン。まとめて渡してやる。
「ロンがあなたのこと、素直じゃないって言ってたけど」
ほんとに素直じゃないんだ。
「だから置物どかしただけ」
くすくす笑われて、居心地が悪くなってきた。ついでに手を差し出された。
「私、ジニーよ。ロンの妹の」
笑顔に押され、渋々手を握った。
その瞬間、熱いものがウィスタに入り込んできた――気がした。