因みに、今回の回想は真希、真依の母親が葬式の際に語っているという脳内設定の元に書き出しました。
泣き声が、木霊する。
びぇびぇと響き渡る大きな泣き声、大きく反響するように甲高く屋敷の隅々にまで届きそうな程に大きな大きな泣き声を上げる目の前の存在に、男はおろおろと狼狽していた。
何をして良いのか分からない、何をすれば良いのか分からない、そもそも何で泣いているのかが分からない…あれかこれかと脳内を巡る思考を前に、泣き声は止むことなく今尚も響き続けている。
その小さな体躯の何処にそんな力があるというのか…その幼い身体から飛び出しているとは思えないほどの大きな叫び声に男は大量の汗を冗談のように垂れ流していた。
───な…何なのだこれは…一体、どうすれば良いのだっ…!?
男…禪院扇は今現在、未曾有の危機に陥っていた。
時間は、約数時間前までに遡る。
男…禪院扇は、屋敷の一角で書物を読み耽っていた、ぺらぺらとページを捲る音だけが響く静かな空間の中で扇は読書に没頭していた。
最近、知り合いが面白いから読んでみろよと勧めてきた書物…所謂ところの漫画と呼ばれる代物を黙々と読んでいた扇はふとしたようにページから目を離し、深く息を吐き出した。
普段はあまりこういったものは読まない、活字系統の物は読むが漫画やコミックと言ったものにあまり興味を抱けなかった扇は、つい最近に至るまで興味が無いからという理由でそれらを敬遠してきた。
今回にしてもそうだ、別に興味が無いからと最初は断っていたし今後もそれを続けていくつもりであったのだが…その当の知り合いがあまりに強く勧めてくるので仕方がなく手に取ったのだ。
普段から呪具の手配や整備に一役買ってくれていたこと、質の良さそうな呪具を見つけては拾ってきて、しかもそれを己の元に持ってきてはこいつはどうだと品定めをさせてくれること…これらの貸しがあったからこそ、扇は知り合いの言葉を受け入れその勧められた作品の手を取った。
結果……禪院扇は盛大にハマった。
勧められ、手を取った作品のページを開いて数分後に叩きつけられるシンプルながらも力強い展開の数々、一種の執念のようなものさえ感じられる同じく力強い作画、それら含めた全ての要素が禪院扇という人間を虜としていた。
今ならば、兄がアニメのことになると煩くなるのも納得出来る…そう考えた扇は静かに漫画を閉じた、一つの巻を読み終えたのだ。
「あなた、いますか?」
それと同時に女が襖の影から顔を出す、黒い髪を肩まで伸ばしたその女は子供を一人抱えながら静かに扇へと声をかける、それに対して扇は身体ごと女の方へと顔を向けながら漫画を畳へと置いた。
「
禪院美希…扇の妻の立ち位置に存在する彼女は静かに扇の元へと近づきこれまた静かに腰を下ろした…その瞬間、扇は素早くそれでいて穏やかに美希の元へと近づき、その額へと手を当てる。
「…熱か」
「はい」
夫婦として過ごしてきたが故の直感、普段に比べて動きが少しぎこちないと感じた扇の行動と問いかけに美希は言葉少なくそう返答した、掌から感じる温度からして37℃は行っているだろうと感じた扇は目元細めて口を開く。
「すまない、無理をさせるところだったな」
「いえ、私も先程気が付いたばかりなのです、気に病むことはありません」
薄く笑みを浮かべながらそう言う妻の言葉に再びすまん…と謝罪を口にする扇、心底から気に病んでいるのであろうそんな夫の姿に美希は仕方のない人とでも言いたげな表情を浮かべた。
病院に行くなら部下に送らせよう…そう言って立ち上がろうとする扇、その手を美希は引き止めるように取った…笑みを浮かべたままの表情で美希は扇へと抱えていた子供を差し出す。
「お任せしても、よろしいですか?」
不安と信頼、それら複数の感情を織り交ぜたような笑みを浮かべながら双子の内の一人を差し出してきた妻の言葉に扇はゆっくりと、壊れ物を扱うような手つきで子供を受け取り…告げた。
「任せろ…こういう時に仕事をするのが、父親というものなのだ」
真っ直ぐと妻の瞳を見つめながら、これまたハキハキとした口調で真っ直ぐとそう告げる夫の姿に美希は安心したような笑みを浮かべながら、それではお任せします…と一言述べ…思い出したかのように口を開いた。
「気をつけてくださいね…真依はともかく、真希はワンパクというやつですから」
「うむ…気をつけよう」
そう言葉を吐き出した扇は、渡された子供を…真依を抱えながら、部屋を後にした。
「───キャッキャッ♪」
そして、今に至る。
泣き叫ぶ真依を全力で以て宥めた扇は一仕事…否、最早三つ仕事を終えたサラリーマンのような大粒の汗を手で拭いながら、深く息を吐いた。
───やはり、美希のようにはいかんか。
あの後、扇はありとあらゆる手を使って真依を宥めた、
真依が泣いていたのは母親が離れてしまったからだ…そう悟った扇はあの手この手で真依を宥めようと奔走した…具体的には真依の好んでいそうな物を片っ端から持ってきては目の前で振りまくったり等ではあるが…こんなことを常日頃から当たり前のようにやっているのかと、扇は妻への尊敬を深めた。
今にも寝転がりたくなるような衝動が湧き上がってくるが、まだ仕事は残っている…洗濯に昼時ということあって食事…食事は最悪部下か廻に頼み込めばどうにかなるが、任された以上は自分でやり遂げたいと思うのはいけないことだろうか?
そんなことを考えつつも、真依に意識を向けつつ次の仕事へと取り掛かろうとした…そんな扇の瞳へと映り込む、戸棚の上の物を取ろうとしている双子の片割れの姿。
何を取ろうとしているのだろうか…戸棚の上にある廻が何処からともなく持ってきていた狼を象った置物だろうか、それとも扇が趣味で買ってきた招き猫の置物であろうか…何方にしろ、そんなことはどうでも良かった。
片割れが…真希が手を伸ばして戸棚へと触れると同時にグラグラと揺れる置物達、何故か段差型となっていた積み重ねられた何かを土台に戸棚へと手をかけていた真希の動きに応じて更に強く揺れるその様子に扇の思考はほんの一瞬だけ停止し…即座にソレは足を踏み出すという形で再開した。
「───ウオオォォォォォォオッッ!!?」
柄にもない叫び声、子供が怖がるからという理由で極力出すまいと自粛していた大声を扇は今回に限っては胸の奥から思い切り吐き出した。
全力全開全力疾走、床を踏み抜かないように足への注意を払いつつもしかし行うことは疾走という非常に器用なことをしてみせた扇はその勢いのままに真希の元へと駆け出した。
グラリと揺れて落ちてくる招き猫と狼の置物、手を伸ばしていた物が近づいてきているその事実に真希は純粋な笑みを浮かべながら手を伸ばした、それが直撃すれば自分がどうなるかなぞ一欠片も考えていないその瞳は何処までも純粋だった。
そんな真希の手を遮るようにして扇の手が置物達を受け止める、結構な重さに思わず手が下へと下がってしまいそうになるのを堪えながら何とか置物達を受け止めた扇は、これまた深く安堵のため息を吐き出した…が、そこでは終わらない。
真希が不満そうな声を上げながら扇の掌に収まった置物達へと手を伸ばす、折角手に入りそうだった可愛い人形さんをお父さんに取られた…とでも考えていたのかもしれない。
必死に手を伸ばす、ぴょんぴょんっと飛びそう動きを繰り返していた真希はふとした拍子にずるっとその体勢を崩した、体勢を崩した先には何もなくあるのは段差に登ったが故に出来た高低差だけ。
「───っ!?」
扇の動きは速かった、瞬時に招き猫の置物を宙高くへと投げて片腕を空手とし、更にそこから流れるような動作で腰を屈めて足裏の動きで位置調整し、真希の体勢を崩した先へと自身の身体を置く。
その上で真希の身体を掴んで己の身体に衝突して怪我をしないように支えるのと同時に狼の置物を畳の上へと置き、その直後に落ちてきた招き猫を片手でキャッチする…この間、約二秒弱。
あまりに速い行動、もはや一種の美しさすら感じさせる動きで以て一連の事柄に対応した扇はこれまたため息を吐き出しながら真希へと視線を向けて、口を開いた。
「真希、高い場所にあるものを無理に取ろうとするな…危ないのだ」
そう冷や汗を流しながら紡いだ言葉を理解したかしていないのか…恐らくしていないのだろう真希は先程の不満そうな表情からは一転してニパッと笑顔で扇へと抱きついた…お父さんに構ってもらえて嬉しいのかもしれない。
そんな娘の片割れの姿に薄く笑みを浮かべた扇は、掴み取った招き猫を畳へと置いて真希を抱え上げる…その直後、グスッという声が響いた。
目を向ければ…真依がグズっていた、瞳に涙を溜めて父親を見つめるその瞳はうるうると潤みきっていた。
扇の顔が、迫真の表情へと変わる。
数秒後、再び禪院の屋敷に響き渡った大きな子供の泣き叫ぶ声に、扇は全力で取り組むのであった。
尚、帰ってきた美希によってそれらの後にも引き起こされていた双子騒動及び直哉によるちょっかいは全て一瞬の内に沈静化された…扇は美希へ尊敬の念を込めた本気の土下座を決行した。
禪院美希
お母さん、幸せそうである…因みにビンタを繰り出す速度が速すぎてパパ黒でさえ捉えきれない。