今回はガチの箸休め、暫く番外編ばかりかもしれない、だって鹿紫雲戦以外のネタが沸かねぇんだもの。
「不味いよねぇ、これ」
ふと、何気無いように、他人事のように女は呟いた。
人の居ない都市、電灯や灯りの類がまるでついていない静かで暗いまるで廃墟のような雰囲気を宿した都市…そのビルの一角で女は…五条菫は、さも当たり前のようにそれらを見下ろしていた。
「最初に放たれた呪霊は二万かそこら、逃げ延びた呪霊の数は大凡三千から三千五百体、そしてそこから更に各地の術師に狩られて数は今の所は千から千六百体…これで終わってれば何事も無く済んだんだろうけど…流石にアイツ相手だとそうもいかないよねぇ」
白と菫色の長髪が風に靡いてゆらりと揺れる、座り込んだ先でグビリと緑茶を一口飲み干し、なんてこと無いようにあちらこちらへとゆらりゆらりと視線を動かす。
「羂索はともかく、三途を逃がしたのが痛かったかなぁ…あの子が取り込んだ呪霊はボクの知る限りでは百万程度は安々と超える、そこに羂索が契約してきた呪霊を含めたとなると…まぁ、大凡一千万程度は普通に超えるんじゃないかな?」
それも一緒に放たれてたらもう大変だねと、菫は笑いながらそう言ってのけた…そこには他者への配慮等一欠片も存在していない、それどころか何処か愉しんでいそうな雰囲気すら醸し出していた。
悲鳴が聞こえてくる、嘆き叫ぶ人間の声、死にたくないと命からがらと言った様子で泣き叫ぶ誰かの声、視線を向ければそこにいるのは魚のような呪霊から必死な様子で逃げる男の姿。
服装的に学生なのだろう、肩に掛けたカバンをそのままに足をもたつかせながらも必死に足を動かして逃げようと足掻く学生の姿を菫は捉え、それを見て愉快気に笑みを浮かべた。
「いやはや必死だよねぇ、死にたくないから当然なんだろうけど」
足をぶらりぶらりと動かして、見世物でも見るかのような心地で菫は逃げ惑う学生を見やる、未だヒーヒーと過呼吸を起こしながらも必死に逃げている学生の姿を肴にでもするかのように緑茶をグビリと飲み込み、ふとした時におっ…と視線を向ける。
学生の逃げる先に呪霊がもう一匹…姿からして同種と思われる呪霊が学生の向こう側から挟み込むようにして現れた…学生の表情が絶望に歪んだ。
あららと軽い口調でその様子を観察していた菫は、まるで仕方がないなぁとでも言うように、ダルそうに腕を掲げてパチンッと指を鳴らした。
虚空に静かに響く指の音…それが響くと同時に学生の目の前に現れた呪霊の肉体が唐突に弾け飛んだ。
紫色の血液と臓物を撒き散らして霧散する呪霊の姿に学生は動きを止める、眼前で起こったあり得ない出来事に思考が停止しパチクリと瞳を開け閉めする。
それを狙ったかのように後方から追いついて来た魚の呪霊が大きく口を開けて学生へと飛びかかり…それとほぼ同時に再び鳴り響いた指の音と共に、呪霊は弾け飛んだ。
再び起こった二度目の怪事、あまりに唐突に起こされたソレに学生は目を白黒させることしか出来ず、戸惑いを隠せない。
そんな学生の様子を菫はニタニタと壊れかけの玩具でも見るかのような目で眺め、次第に飽きたのかそこから目を逸らし、菫は大きく身体を伸ばした。
うーんと声を出して、猫が身体を伸ばすのと同じように腕を上へと突き出して大きく大きく身体を伸ばす…それとほぼ同時に、悲鳴が再び菫の耳にまで届いた。
「…あっ」
間の抜けた声、思わずと言ったように出てきたような声、そしてそんな声を出した視線の先で激痛による悲鳴を上げながら呪霊に咀嚼されている先程の学生の姿。
目を離したのはほんの数秒、そのほんの僅かな時間の間に学生は横合いから飛び出してきた別の呪霊にその身体を咀嚼されていた。
生きたまま、ゆったりと味わうように肉体に歯を突き立てる呪霊の姿、咀嚼され痛みによる悲鳴を上げながらも必死に生き延びようと手に持った何かで呪霊を殴りつける学生の姿…そしてそれを、あちゃーと言ったような表情で見下ろす菫の姿。
助ける気なんて毛頭無し、現在進行系で腸を喰らわれている人間の姿に感じる感情等それこそ皆無、五条菫という人間は目の前で非業の死を迎えようとしている人間をいとも容易く見捨てる。
精々が気まぐれで手助けしただけの存在、死のうが死ぬまいが菫にとってはどうでもいい存在でしかない…故に、五条菫という人間は容易くその命を容易く見限った。
残っていた緑茶をグビリと完全に飲み干し、次は何処に行こうかなーと間延びしたような声と共に菫は術式を起動、その場から一瞬にして消え去った…未だ呪霊に咀嚼され続けている一人の人間を置いて。
悲鳴が薄くなっていく、ゆっくりゆっくりと魅惑の美食を楽しむように歯を突き立てる呪霊、そしてそれに抵抗していた学生。
叩いていた腕は今やぐったりと垂れ下がり、手に持っていた何かは地面へと転がり落ちている、最早彼には抵抗する力も意思も残っていなかった。
脳裏に過るのは今までの人生、所謂ところの走馬灯が彼の脳裏を駆け巡り、そこにある幸せに必死に手を伸ばそうと涙を浮かべながら腕を上げようとする…しかし、届かない。
動かない、届かない、過ぎ去る日々に少しでも想いを馳せようとしていても目の前から聞こえてくる音と気配、そして明確に近づいてくる死への恐怖がそれを許さない。
死ぬ、死んでしまう…それを分かっていても、今の彼に出来ることは何一つとして存在せず、当然のようにそこから生きて帰る術もまた存在しない。
「…たす………けて………」
今際の際に掠れるような声で漏れ出た言葉…死にたくない、死にたくない、死にたくない…未だやり足りないことで溢れ返っている人生の中で、こんな形で死にたくないと本能が本音を吐き出す。
誰でもいい、人間でも神様でも悪魔でもいい…助けて欲しいと必死を通り越すような心持ちで彼は願い……そしてそれはいとも容易く叶えられた。
蹴飛ばされる、目の前で自身の身体に歯を突き立てていた怪物が徐ろに横合いから蹴り飛ばされる。
まるで石ころでも蹴り飛ばすかのように、まるでゴミ袋を蹴飛ばすかのような手軽さと乱雑さで蹴り飛ばされた呪霊はその勢いのままに暴落した建物の中へと突っ込み、その衝撃によって崩れ落ちた瓦礫によって押し潰された。
あまりに唐突、自身を喰らっていた存在のあまりにも唐突な退場に彼はうめき声を上げることしか出来ない…そんな彼の視界に、黒い髪の毛が入り込んだ。
「チッ、随分と食われているな…治すのには一苦労か」
苛立たし気な声色、黒い長髪を揺らして自身の喰われた箇所へと手を当てる誰かの姿…それに対して彼が何かするということはない、やろうとしてもそもそも何も出来ないという方が正しいのだが。
何をする気なのだろう…そう考える彼の視界に淡い光が灯り、それが自身の肉体を包みこんでいく。
温かな光、何処か安心感を覚えるようなその光に彼の視線は釘付けになり…次第にそこから目にする光景に目を見開いていく。
傷が塞がっていく、巻き戻るように逆再生でもするかのように、喰われた肉が千切られた血管や内臓が次から次へと瞬く間に修復されていく。
痛みは消えて朧気だった思考力も回復し、更にはこうなってから抱え込んでいた足の痛みに至るまで、文字通り全てが快調に向かっていくその感覚を前に、彼は不思議と涙を流し───
「───ありが……とう……っ…!!!」
礼の言葉を呟いて、意識を失った。
「…ちゃんと助かってから言うべき言葉だろう、それは」
呆れたように女は…雪姫は目の前で眠る男へと呟いた。
偶然だった、偶然通りがかった先で偶然食われている姿を見つけた、涙を流しながら助けてと掠れた声で呟いているのが聞こえた…次の瞬間には既に助けていた。
何故かと問われれば自負と雪姫は答えるだろう、今まで培い養ってきた経験と誇りと責務、民を守る為に生まれ民を守る為に力を振るう…そのように教えられ刻み込まれてきた経験が雪姫を動かした、救えと。
「はぁ…アンタまた助けたの?」
疲れない?…そう言って雪姫の隣に降り立った女…烏鷺亨子はこれまた呆れたような目で雪姫へと視線を投げかける、その瞳は相も変わらずとでも言いたげな様子で雪姫を映していた。
「…別に良いだろう、私が誰を助けようが」
「悪くはないけど…少しは顧みなさいよ自分を、それで死んだら目も当てられないんだから」
それとも死にたいの?…そう言いながら治癒した男を担ぐ烏鷺の言葉に雪姫はほんの僅かに顔を伏せ、小さく仕方がないだろうと呟き───
「───だってここで見捨てたら…その、アイツに顔向けが…その……」
乙女か何かの様に、何処かもじもじとした様子で、そう呟いた。
普段の姿から…大凡千年前の雪姫からはあまりにも想像出来ないその立ち振舞い、あまりに唐突に吐き出された自身ですら自覚していないだろう本音を目の当たりにした烏鷺は大きくため息を吐き出し───
「───うっさいのよ、爆発させるわよ」
呆れたように、おかしなものを見るかのような瞳で雪姫を半目で睨みつけ、その頭に手刀を落とした。
あいでっと、何処か間抜けそうな雪姫の声が、都市の中に静かに響き渡った。
烏鷺さん
苦労人、無自覚な惚気の被害者、原作とほぼ同じ目的で受肉しているがそれはそれとして別の目的も持っている…ナンダロウネェ。