蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
その場所の水温は優に70度を超え、熱を持つ海底によって暖められた海水はまるで陽炎のようにゆらゆらと景色を歪める。通常ではありえない環境と堆積する金属によって全ての探査機能から隔絶された地球上に点在する特異点 ―― ホットスポットと呼ばれるその場所で401はあろうことか艦首を真上にあげて直立したまま息を潜めてそのチャンスを待っていた。
ホームガードの機能でアリゾナの探査機能を眩ませた瞬間にアクティブデコイを射出して移し身とし、自らは無音潜航で海流に乗って浦上が指定したこの場所へと辿り着いた。水温の変化からこの近辺にそれがあるのでないかという推測を元に海底マップから割り出した地点だが前述の通り全ての探査機能が弾かれる環境ゆえに正確な場所は掴みづらい、潜水艦を設計する上で必須とされる世界中の海洋環境に精通する浦上ならではの推理がいかんなく発揮された成果だ。
「どうだ、イオナ? 」居場所のないイオナを抱きしめた群像がそう尋ねると彼女はくすぐったそうに体をもぞもぞと動かしてから周囲に演算処理のための黄色い帯を展開した。艦の制御を司る全てのウインドウを立ち上げて水温と海流による偏差修正を実行する。「 ―― 大丈夫、いける」
「お、おい群像 …… そんなことしてマジで大丈夫なのか? 」席から後ろを振り返った杏平の心配そうな声は静や僧の心の声を代弁している ―― 当然だ。群像の提案に頷いたのはイオナだけで後の三人はおいてきぼりだ、ついていこうにも賭場のレートが高すぎて想像もできない。
「マジで大丈夫」「いや、そんな近所のスーパーにおつかいに行くみたく言われてもよぉ」
のほほんと答える所がいかにもイオナらしいが杏平の憂鬱は治まらない、非常識の前に必ず行われるやり取りにクスリと笑った僧と静が隣で微笑む胴元へと視線を向ける。「すまん杏平、いつもの事だ。そろそろ覚悟を決めてくれ ―― じゃあ始めるぞ、全員耐ショック。イオナ、予測進路を毎秒12フレームでセンターに表示」
「表示する」イオナが復唱すると正面のモニターに真四角のトンネルが表示されたが一直線に伸びて先は見えない。当たり前だ、ここは深度1800メートルの海底なのだから。「座標までの針路修正完了、浮遊物なし。全部クリア」
「よし、これより本艦はフェイズ3 ―― 旗艦アリゾナに対しての陽動を開始する。重力子フロートオンライン、メインタンクブロー」
「ブロー」
米統制海軍は自国の領海内での海洋地形や海流等の完璧なデータを集めて演習へと臨んだ、故にアリゾナは自分の足元に何があるかという事を知っている。音波や超音波などの探査指標のことごとくが著しく低下するその場所は潜水艦が身を隠すには絶好のエリアだ。
ロイヒ海底火山。
マグマの体積と太平洋プレートの移動によって形成されるカムチャッカからハワイまで連なる海山列、その後継として今なお成長を続ける海底火山は1996年に山体崩壊を起こした事で周囲の状況を一変させた。比較的穏やかだった海底は暴露したマグマのおかげで水温が一気に上昇して以降治まる事がない、海底に開いたいくつもの
いずれはこの一帯も長い星の営みの間にハワイ島の次に生まれる新島としてその頂上を海面へと見せるのだろうがそれまでにはまだ万単位の歳月が必要だ、今だ海中にて地獄絵図を生み出すその場所は自分の探査を掻い潜るために必要な条件を満たしている。アリゾナはこの海域のどこかに401が潜んでいると確信して船を静止させ、海中探査の全てに全演算能力を集中させた。
姦しく鳴り響く噴水の叫び声と地殻の呻きが彼女の意志を妨げて探査範囲は予想以上に狭い、穏やかな波が舷側を叩き海鳥が鳴きながら大空を駆け巡る麗らかな昼下がりの光景の中で静かに瞳を閉じて頭を垂れる少女が描く絵画の世界。だがその静けさもほんのわずかに聞こえた違和感によって一蹴された。
「 …… ! ブロー音 ……? 」
瞼を開いたアリゾナが窓を開いてデータを確認するが探査結果は誤差の範囲内、しかし彼女の勘はそれを否定すると同時に人の持つ直感や洞察力の凄さに驚いた。今の人類ではこの先何世紀も実現不可能な超科学、それらを凌駕するヒトと言う形の持つ可能性 ―― 今の私はどちらを信じる?
「いおりっ! 機関最大フルバーストっ! 目標直上アリゾナ左舷っ! 」「 “ はいよっ! イオナあとは任せたっ! ” 」
「まかされた」
重力子の叫びとともにエンジンユニット外殻が大きく展開して青白い炎が泥を抉った。海底面をディフレクターにして推進力を全部つぎ込んだ船体は周囲を隠した泥土乱流から尖った舳先を突きだして矢のような勢いで地獄の井戸を後にする。
「VLA、目標直下401! 弾頭炸裂安全深度カットっ! 」
迷わず告げたその声とともに打ちあがるアスロックの束がブースターを外すのももどかしく次々にアリゾナの周囲へと降り注ぐ、遅れて海面に弾ける残骸の雨音の中で彼女の目は遂に像を結んだ三次元モニターへと釘づけになった。魚雷並の速度を持つハイブースト、今まで見せなかった彼女の最後の切り札を使ってこちらへと肉薄するその意図ははっきり言って掴み切れない。ただそれが相打ち覚悟と言うのならどちらが敵ののど元に刃を突き立てるのが早いか、こちらは受けて立つまでっ!
落下の勢いとともにモータを点火して素早く海中を目標に向かって突き進む魚雷、しかし彼らは目の前に現れた巨大な何かによってその正確な判断力を失った。
深海でのブローによって吐き出された大量の空気は三つの法則によってその形を変化させる。ボイル・シャルルの法則によって起こる水圧変化による体積の膨張、アルキメデスの原理による体積膨張による浮力増大。そしてストークスの定理によって浮上する物体にかかる抵抗の減少傾向 ―― 勢いと大きさを増した泡の中へと突入した魚雷群の探査機能は完全に混乱して体勢を崩し、次に海中へと戻った時にはアリゾナからの命令はすべてリセットされていた。思い思いの方向へと散って目指す目標も忘れた彼らはただ黙ってゆらゆらと海底火山が造り続けた泥の中へと舞い落ちる。
「え ―― 」
「気胞界面突入5秒前っ! 」「各員耐Gっ! いおりっ、出力そのままっ! 」
魚雷群が突入して機能を失ったばかりの気胞の中へと突入した401から全ての抵抗が消失して速度が弾ける。一瞬ではあるが亜音速の加速力をまとった5200トンの船体はその勢いのまま明るくなった世界へと飛び込んだ。
「200、100、50 ――
轟音とともに海中から発射された401の巨体が海面上へと屹立し、あまりの事に全身を硬直させたアリゾナの視界の中を一瞬で飛び過ぎた。フルバーストの青白い炎が水面を叩いた瞬間に巻き上がる熱波と水蒸気に全身を晒しながらそれでも彼女は全長122メートルのモニュメントの行方をただ呆然と追いかける。
「おいおいおいほんとにとんでるとんでる飛んでるってっ!! 」言いようのない気味の悪い浮遊感に慌てふためく杏平をよそにやはり肝をつぶしかけている群像が平然と抱きしめられたままのイオナに命じる。「みっ、右後部左前スラスター全力っ! 艦姿勢180度転回っ! 飛び越えたと同時に機関停止、再突入に備えろっ! 」
その非常識な景色に彼女の目は釘づけだ、見惚れていると言ってもいい。
自分とそれほど変わらない長さの船体が大空へと舞い上がって炎を噴きながら身を翻す、まるで棒高跳びの選手のように舳先を下にしてバーがわりのマストを飛び越えた401はそのまま頭を下にして再び右舷側の海中へと突っ込んだ。真っ白になった頭の中のまま瞬きを忘れた鳶色の瞳が突入の余波で大きく揺れる船の状態もお構いなしに泡立つ海面を見送る。
「 …… うそ、潜水艦、が …… 空飛ぶ、って ―― はっ!? 」
思わず口をついて出る呟きは突然鳴りだした接近警報によって遮られてアリゾナは我へと帰る、だがその空白の時間 ―― 演算能力が完全停止した状況は彼女にとって致命的であり、それこそがまさに囮の役を担った群像が狙った一瞬だった。突然401の消えた海面が巨大な波とともに盛り上がって嘴のように尖った艦首がせり上がる、波飛沫を被りながら瞳孔を全て見開いた彼女の前に勢いよく突きつけられたドリルがこの戦いのピリオド。
「旗艦、獲ったあっ!! 」
高らかに勝利を宣言するタカオの声を聞いたアリゾナはその場にペタンとへたり込んだ。
401のアクロバットが始まる寸前にアリゾナの想定される探査範囲外で待機していたタカオは、フルバーストを探知した時点でその艦体を海面下へと沈めて一直線にその地点を目指した。ヒュウガの割り出した計算では恐らく瀬戸際ギリギリ、しかし彼女は持ち前の根性と使命感でなんとかアリゾナの舷側へと取り付いて温存してあったマグマ採取用のドリルでメンタルモデルを狙ったのだ。船の撃沈判定としてバイタルパートへの深刻な打撃や艦上構造物の機能不全など多くの条件が設定されてはいたがバイタルモデルの取り扱いに関しては不透明でその一切が記載されてはいない、だが霧の船である限りメンタルモデルの喪失はすなわちコアの喪失でありナノマテリアルが統合できない船体は塵の様に崩壊する。そういう意味では撃沈に値するというのがヒュウガと群像の下した見解だ。
「これで後は情報収集艦がどういう判断を下すか丸投げってトコなんだけど ―― それにしても、さぁ」
「なによやらしいわねっ、変な笑い方してっ! 」たび重なる無理難題にゼイゼイと肩で息をして艦橋の窓から少女の姿を睨みつけるタカオが後ろに座るヒュウガにきつい声を投げかける。だがそれでニヤニヤをやめる彼女ではなかった。
「あーんなに嫌がってたわりにはすっかりそのドリルの使い方、上手くなったんじゃない? 」
「ハアっ!? 」
演習海域の南端でその戦いを見つめるパスファインダー級海洋観測艦T-AGS-63ヘンソンの艦内は騒然とした空気に包まれていた。メンタルモデルの戦意喪失という事態を果たしてどういう風に判断すればいいのかという予想外の出来事に慌ただしく本部へと連絡して裁可を仰ぐ現場の士官たち、そして事の結論について意見が真っ二つに分かれる中で一人の下士官が漏らした感想こそがそこに居合わせた全員の総意だ。
「もし仮にアリゾナの事が認められなくても、これ状況的にダメなんじゃね? 」
すでにニュージャージーは撃沈判定、そして対蒼き艦隊のために編成した駆逐艦を主体とする護衛艦隊は白鯨Ⅲの特殊攻撃によって海の中の耳目とも言えるソナー類を全喪失。対して蒼き艦隊の方はタカオ中破の判定のみに留まって後の二艦は全くの無傷、レキシントンがそう簡単に敗れるとは思えないがこの先どれだけの戦術の引き出しを持っているかもわからない相手に果たして勝利を上げる事などできるのだろうか?
それでも軍人としてのプライドが優先してかここから先のたられば話で喧々囂々の議論は白熱する一方だ。
音を立てずに傍にそっと近づく二つの影に気づく事もなく。
その瞬間にパッシブのヘッドホンを耳に当てていたソナー手はたった一人しかいなかったという事実はいかにこの世の中が平和に満ち溢れていたかという事を物語っている。その音を耳にした彼が慌てて艦橋へと報告した時にも艦の中枢機能は一時的に麻痺したままだった。
「 “ 緊急事態っ! パッシブにキャビテーション2、本艦直撃コースっ! ” 」
有事ならばすぐさま対応に乗り出せる海兵たちもこの時ばかりはその文言を理解する事が叶わなかった、頭の中で同じ言葉を繰り返してその意味を理解して想像する ―― まるで学生が試験中に問題に対して行うプロセスを経て自分達の身に襲いかかっている危機を知る ―― できる事はそこまでだ。
二本の航跡が行きつく先にある舷側、命中と同時に大きな水柱が立って艦が激しく翻弄され ―― なかった。命中した瞬間にその魚雷は弾頭に仕込まれた機能を全て解放してまるで船を喰らうように、大きく抉った。
* * *
その異変に最も早く気付いたのは封印が解かれる事なく微速前進で現場へと向かうニュージャージーだった。
オープンチャンネルで全海域へと発信されたSOSらしき断片、一瞬で海の藻屑と化したヘンソンの遺言を引っかけた彼女の演算機能がすぐに推測される文言の全文を解読して戦慄の叫びを上げる。「ウソでしょっ!? そんな事がっ! 」
予想外の事態に慌ててリンクを開く彼女、もう演習中などと言ってはいられない。「ニュージャージーから全艦に緊急電っ! ヘンソン撃沈っ、繰り返す情報収集艦ロストっ! 」
ニュージャージーからの連絡を受けた生き残りは一瞬の狼狽を見せたが立ち直りは早かった。元々は有事想定と言う事もあり心はすでに仕上がっている、そして群像達に関してはそういう事態に動揺するほど初心ではない。アリゾナはすぐに立ち上がってオアフ島の本部に連絡を取り、レキシントンはアリゾナの下へと向かわせていた10機の対潜機をすぐさま現場へと向かわせた。
「401、決着の判定はまだ出てはいないのだけれどお稽古はここまでよ。ホスト国として蒼き艦隊にはすぐに真珠湾への退避を要請します」らしい表現でやんわりと保護を匂わせるレキシントンだったが群像からの返答は意外なものだった。
「 “ こちら401千早群像だ。レキシントン、旗下の艦隊こそこの海域を離れて一刻も早く真珠湾の本隊に合流すべきだ。襲ってきた謎の船の相手は俺達がする ” 」
「申し出は大変ありがたいのですがここは立場をわきまえてほしい。私たちはリムパックを主催するホスト国であなた達はあくまでゲストです、それに自国の艦船が撃沈されたというのであれば私達が事態に対処するというのが筋」
「 “ なるほど流石はSクラスの正規空母、考え方も筋金入りだが ―― ” 」会話に割り込んできたのはスーパーキャビテーションを解いて堂々とレキシントンの真横に浮上してきた白鯨Ⅲだった。浦上は露天甲板のハッチを開いて上半身を出しながら甲板の端で見下ろすレキシントンに言った。「状況的に考えて今はこちらに任せる方が正しい、何の物音もせずに消えてしまった所を見ると相手は水上艦ではなく恐らく潜水艦、そしてそちらの対潜網はこっちの低周波魚雷で粉々にしてしまった。火力が圧倒的なのは認めるがこういう時の水上艦は敵が目に見えないだけ圧倒的に不利だ、ここはうちの千早に任せた方がいい」
「しかし情報収集艦が沈められたというのが問題です。私達の武装を演習モードにロックしたままヘンソンは沈んでしまった、相手をするにしても実戦モードの敵とどう戦おうと? 」
「そりゃお互い様だろう …… むしろ自分達が囮になって敵を引きつけておきますからその隙にお早くお逃げくださいなんて言われてあの群像が素直に頭を下げるかっての。それに言いだしっぺにはそれなりの勝算や算段があるって事だ、なぁ群像? 」
「 “ ヒュウガ、たのむ ” 」
「 “ はいはーい ” 」すっとぼけた返事と微かに聞こえるキータッチ、ほんの数秒の沈黙の後に演習に参加した艦の様子が変化した。損傷を受けたニュージャージーとタカオの機能は一瞬で復元して装備してある浸食弾頭は全てアクティブ表示に切り替わる。この演習に参加する霧の艦艇のためにMITの腕利き達が総力を上げて組み上げたプログラムを瞬時に解除された事にレキシントンは唖然とした。
「ヒュウガ、あなたまさか最初っから ―― 」
「 “ そりゃこの海域がやさぐれてるって説明を受けてからずっと仕掛けてあったわよ、いざという時に張り子のトラじゃ何にもなンないでしょ? ただし機能は元に戻っても使ったミサイルの数は増えないし、そっちの護衛艦隊の被害は物理的なモンだから当然無理 ” 」
「 と、言う事だ。ここは群像の言うとおりに ―― 」「 “ 浦上さん ” 」
割り込んできた群像の声に浦上は少し驚いていた。彼が人との会話に割り込んでくるほど下世話な性格ではないと知っているからこそ、その発言には何か彼なりの思惑が隠れていると分かる。席を譲った浦上に変わって群像が口を開いた。
「 “ レキシントン、アリゾナを一緒に連れて行きたいんだが許可が欲しい、構わないか? ” 」
ものすごい勢いで回転する彼女の思考が群像の言葉の裏を類推し、過去の行動や個人の性格までを分析要素に加えた上で最も確率の高い結論を導き出す。「 …… アリゾナ、弾薬は? 」
「 “ はっ、はいっ。浸食魚雷・弾頭とも残りは6割程度 ―― あの、レキシントン ” 」
「皆まで言わなくてもいいわ …… 分かりました、当艦隊旗艦の蒼き艦隊への帯同を許可します。ただし作戦行動中の全ての事に関してはあなた自身が責任を負いなさいアリゾナ、その覚悟はある? 」
「 “ あっ、ありますっ! ” 」「 “ ちょっとレキシントンっ! アリゾナをそんな危険に晒して ―― ” 」
「ニュージャージーはすぐにこちらに合流して一緒に護衛艦隊のエスコートに回って。沈没した船が言葉をしゃべってはダメ、分かった? ―― すまないわね千早群像、アリゾナの事お願いするわ」
「 “ 了解した ―― タカオ、アリゾナの護衛に回ってくれ。白鯨Ⅲはそのままレキシントンとともに真珠湾までのASW警戒、ロケーションマキシマムでコンディションネイブル ” 」
「白鯨Ⅲコンディションネイブル了解」
ネイブルとは警戒と臨戦のちょうど中間に位置する状態で『
「 …… 401、アリゾナをお願いね」
* * *
艦種の特性上なかなか見つけられないだろうと警戒レベルをマックスにまで引き上げていた401は重力子探知にあっさりと引っかかったその2つの光点に拍子抜けした。「あっ、と …… 捉えました、艦影2。潜水艦です」
二艦が並んでこちらの針路上に立ちふさがる格好は待ち伏せとは程遠い、群像は顎に手を当ててスクリーンを眺めた。「静、二艦のデータ分かるか? 級種艦名何でもいい、ある程度の元知識が欲しい」
「待ってください …… 重力揺らぎからの艦影捕捉 ―― マッチしました。二艦とも米海軍所属ガトー級」
「 “ ガトー級、はぁっ!? ガトー級ですってっ!? ” 」いきなりタカオの激昂した声がブリッジに響き渡る。「 “ 千早艦長、そいつらあたしが殺るっ! 絶対に五体満足であたしの前から逃さないっ! ” 」
前級タンバ-からの設計流用と工程の簡素化によって大戦中にもかかわらず建造計画数77隻をフルコンプリートした日本海軍にとっての怨敵、基本性能にそれほど秀でた所はないが住みやすく扱いやすいという点は長く海中に潜む潜水艦と言う艦種にとってはうってつけの長所だった。正規空母大鳳・重巡愛宕など彼らからの不意打ちで轟沈させられた船は軍艦・輸送船など多岐にわたる。
妹を沈められ自らも退場を余儀なくされた彼女にとってその名は体のどこかに刻まれた古傷なのだろう、瞬時に臨戦モードへと切り替わって増速するタカオをレーダーで確認した群像が慌てて役割を忘れた彼女を諌める。
「落ち着くんだ。君の実力はよく知ってはいるが重巡装備で霧の潜水艦二艦の相手はきつすぎる、今はアリゾナのサポートに徹してくれ」
答えこそ帰ってこないが上げた速度を落として再びアリゾナの左舷後方へと落ち着いた事を確認した群像は、おそらく艦橋の前で歯を鳴らしながら怒りを堪える彼女の姿を想像していたたまれない気分になる。「ありがとうタカオ、我慢してくれて」
「 “ ―― いいわよ別に、艦長の言う事を聞くのも船の仕事だから ” 」
ブスッとして渋々という心中を隠さない彼女がふと何かを思い出したように声音を変えた。「 “ そう言えば、さあ。こうやって自分のやりたい事を我慢した時ってなんかご褒美がもらえるって噂、聞いた事があるんだけど? ” 」
「ああ、俺も子供のころに父さんや母さんにわがまま言っては怒られて、その後よく貰ってた ―― 父さんにはよく海に連れて行ってもらってたなぁ」
「 “ そっ、それって部下とか仲間も適用範囲内? ” 」突然喰いついてきた彼女の声にたじろぐ群像。「あ、ああ仲間も家族も俺には同じものだから、一応そうなる」
「 “ じ、じゃあっ、あたしも千早艦長にご褒美貰える権利があるって事よねっ!? じゃあ日本に帰ったらあたしと ―― ” 」
「艦名判別。高脅威アルファ、SS-218アルバコア。同じくベータ、SS-227ダーター」
「 “ ちょっ! 401あんた空気くらい読みなさいよっ ―― って、ぬあンですってえっっ!? ” 」
艦名を聞いたタカオの声に火がついた。7隻の船と4隻の軍艦を沈めたアルバコアはともかくダーターは自分と妹の直接の仇だ、あまりの変貌ぶりに制止しようとした群像を遮って彼女の声が無線から鳴り響いた。
「千早艦長っ! ベータはこっちが頂くわ、401はアルファをお願い ―― ほらアリゾナっ! ちゃっちゃっとあのクソ野郎沈めに行くわよっ!! 」両舷から展開したドリルを振りまわして米海軍旗艦を煽りまくる彼女にふええと声を上げながら増速する二艦、モニターに映る二人の背中を見ながらガックリと肩を落として群像がため息をつく。
「大丈夫ですよ艦長。彼女はちゃんと自分の役割をわきまえてますし、どうして艦長がアリゾナを一緒に連れてきたかという事も分かっています。ほら」そういうと僧は手元のキーを操作してモニターを最大望遠で表示した。
「彼女の斜め後方に距離を取ってすぐに守れるように兵装は全て展開しています。でも主攻のポジションはアリゾナに預けたまま ―― 忸怩たる思いもあるのでしょうがさすがはタカオ、彼女も立派な蒼き艦隊の一員です」
* * *
「意見具申よレキシントン。どうしてアリゾナを連れていかせたの? 」
合流して一路真珠湾へと向かう海路の途上でニュージャージーは憤りを隠せないでいた。護衛する白鯨Ⅲは航路警戒で前方を探索中、この会話を聞く者はいない。
「随分とご立腹ね、そんなに気に入らない? 」
「当たり前じゃない。彼女はあたしたちの旗艦よ、それをよりにもよって
「 …… ちょっと見ない間にすっかりお姉ちゃん子になっちゃってまあ ―― アリゾナの事が心配なのね? 」見透かしたようにクスクスと笑うレキシントンに顔を真っ赤にした彼女が言い返した。「しっ心配なんかしてないわよっ! ただあたしは話の筋として本当だったら彼らとあたしたちは逆の立場にいなくっちゃいけない、それなのに彼らに主導権を取られて悔しくないのかって ―― 」
「悔しいわよ」
滲むようなその後悔を声に忍ばせた彼女はニュージャージーのそれ以上の反論を止めた。「でもね、ヒュウガがこちらの火器管制をハッキングした時に私たちは選択の余地を失くしたの。もし私達が無理やりにでも彼らを帰そうとすれば彼女は迷わずこっちの兵装だけを演習時の状態へと戻したでしょうね ―― だから私は彼らの提案を受け入れた」
「でも …… どうしてアリゾナだけ? あの子も撃沈されたんだから別に一緒に行くのはあたしでも ―― ううん、あたしの方が実戦経験があるんだからその方が」
「だから彼らはアリゾナを連れてったのよ」
「 …… どういう意味? 」ニュージャージーの問いかけに少し表情を曇らせて彼らが向かった南の空へと顔を向けるレキシントン。「 ―― 彼女は、戦争を …… 知らないから」
本当は自分が。
元旗艦としてその座を譲る私自身が教えなければならないのに。
千早群像は艦種の違う私が彼女に大戦艦としての戦い方を教えられないであろうと言う事を推測してその仮説を演習の中で確信し、そしてヒュウガやハルナ等の大戦艦を従えて多くの大戦艦級と戦った自身の経験を実戦を通して彼女へと伝えようとしているのだ。
そこにアリゾナの旗艦としての理想が存在する事を願って。
「 …… まったく」どこか自嘲の頬笑みを浮かべた彼女が呟く。「誰に育てられればあんなそら恐ろしい人間ができるのかしら? 生きているうちに一度
* * *
それは引きずり込まれるような感覚だった。
イオナの意識へと流れ込んでくる呼び声は確かに霧の潜水艦から。姿を晒したままじっとこちらの様子を窺う彼女たちの中にある確かな存在 ―― メンタルモデル。
だがそれはどこかが変だった。
例えばコンゴウに会った時。400や402と会った時。
例えばヒエイに会った時。ムサシと会った時。
霧のメンタルモデルとして敵対しながらも心の奥底で共有する親近感、同族として会話する事に何の違和感もなくお互いの考えている事までが手に取るように分かる絆。
―― なにも、ない。
「 …… 二人があたしを呼んでる」
センターコンソールで艦を操作しながら呟くイオナへと視線を送る401のクルー達、闘いの前に必ず始まる儀式のようなイベントはいつもの事で相手の考えを深く理解するには絶好の機会だ。
だが今回はなぜかいつもと違う。
それはイオナの表情を見た全員が感じ取った。怯えや恐れ ―― 今までのイオナが見せなかった負の感情が彼女の表情を曇らせ、自覚のない拒絶を表している。
「だめだイオナ、行かない方がいい」
異変を悟った群像がそう声をかけると彼女はその顔のままで頭を振って彼の勧めを断った。「大丈夫」
「なあ、本当にヤだったら行かなくてもいいンだぞ? 相手の事を知るのはいい事かも知ンないけど知りすぎンのも考えモンだぜ? 」群像の勘に同意して振り返った杏平の表情も曇っている、同じように心配そうに見る全員の顔を一通り眺めたイオナはそれでもセンターコンソールの上で立ちあがって概念伝達のリンクを開いた。
「ありがとうみんな。でも大丈夫、危ないって思ったらすぐに帰ってくるから」
* * *
そんな世界を彼女は知らない。
概念伝達のネットワーク上相手の意識に取り込まれないように設置されたローマ風建築の
「 …… 二人とも ―― どこ? 」
汚泥の床以外存在しないテラスの端でイオナは辺りを見回した。動くことすらままならないその場所には座るべき椅子も互いに距離を取るためのテラステーブルもなくただ平たいままだ、鏡のような黒い床が映し出す彼女の逆絵だけがかろうじてイオナの持つ概念伝達のイメージがまだほんのわずかそこにある事を証明している。
「アルバコア、ダーターっ。どこにいるの? 」
呼びかけに応じて姿を現した ―― いや湧きだした彼女たちの輪郭はなかった。
イオナが立つ対角の床が緩やかに盛り上がって二つの影が立ち上がる、ぬるりとした表面を走るおぞましい気配が小さな殺気と大きな欲望を携えて彼女に向かってかすかな聲を響かせる。
「 ……、、し 、、」
「どうして …… 今そっちへ行く」
心の底で鳴り響く大きな警鐘と怯えを勇気でねじ伏せて彼女はその耐え難い一歩を踏み出す。メンタルモデルとは個人の思考が色濃く形作るイメージで本来ならば例外なく愛らしい姿に生まれ変わるはず、その彼女たちがどうしてこんな姿でここにやってきたのか?
好奇心ではなく救済、苦しみの波動を自分へと届ける二人を前に目を背けるという選択肢がイオナにはなかった。もし群像だったら彼はどういう選択をするだろうか? 間違いなく彼が取るであろう行動を選んだ彼女は足を掬おうとする泥沼を踏みしめて泥の塊の前へと辿り着く。
「 ―― アルバコア、どうし ―― 」
泥の手が突然イオナの白い腕を掴んだ。突き刺すような氷の感触と少しづつ解けていく泥の中から現れる ―― 溶けた顔。
思わずヒッと叫んだイオナの手を取るもう一つの泥の手、傍へと近寄ってきたダーターが骨だけになった顎を動かして無い舌を回した。 「 …… す、、け、 ―― 」
恐怖。
今まで感じた事のない身の毛もよだつその感覚に全身が硬直し、それがアルバコアとダーターからコリドーに向かって伸びるある物をイオナに気づかせた。漆黒の細い鎖とよだつ怨嗟で幾重にも編み込まれた呪いの茨、二人の体中に巻きついて自由を奪う拘束と契錠。肉を千切って骨をもへし折るその強い力が彼女らを二度と逃がさない。「待ってっ! いまここからあなたたちを ―― 」
「! や、めっ! 」
鎖に手を伸ばそうとしたイオナを撥ねつける渾身、アルバコアのかすかに残った光はそれで終わった。まるで罰を与えるかのように体へと潜り込んだ多くの棘が中からズタズタに引き裂いて残った体液を泥の上へとまき散らす、失われる誇りと淘汰される自我をしり目に結ばれた契約は操り人形を思いのままに動かす。生者に冥欲の瞳を向けて肉の溶け落ちた両手を大きく広げるアルバコアの横でダーターが泥の上に膝をつく。
「 …… だれ、か たす、け、 ―― 」
「ダーターっ! 」彼女の願いが怖じけたイオナの心を再び揺り動かした。「どうすればっ!? どうしたらあなたたちを助けられるッ!? あたしが、あたしがきっとあなたたちをっ!! 」
「 ―― たすけて、助けてっ! たすけ ――