蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
全速力で持ち場へと駆け込むクルーが席に着くのももどかしく電源へと手を伸ばすとあっという間に息を吹き返す艦橋、同時に湧きあがる重力子の唸り声が久しぶりに緊張の高まる彼らの体を身震いさせる。「静っ、キリシマへ通信! こちらもただちに救援に向かう、ランデブーポイントはっ ―― っと …… 中間地点レイサン島! 」
「だめですっ、当該区域での衛星回線が不安定すぎて繋がりません! 外部からのトラフィックが強烈な輻輳を起こしてます! 」静の報告を聞いたイオナがすぐさま立ち上がって黄色い帯を展開する、概念伝達は霧特有の伝達手段であるが故に人類側のテクノロジーには不干渉だ。だがその入口に立つ前に群像が彼女を押しとどめた。「だめだイオナっ! それは使うなっ! 」「でも群像っ、キリシマが ―― 」
「使っちゃだめだっ! 少なくとも敵の仕掛けが分かるまで我慢するんだっ! ―― 静っ、全周波数帯オープンチャンネル! 超短波でもモールスでも全ての手段で送信しろっ、繋がってなくてもいい! 」
返答する間も惜しいと静が設定を変えて必死にキリシマと連絡を取ろうとする背中になす術を封じられたイオナの厳しい目が注がれる。相手との繋がりを断たれたと言うだけで湧き上がる焦りはいつしか彼女の心を ―― 顔色すら変えていく。
「それよりも今は一刻も早くレイサン島へっ! イオナ少し無茶するけど頑張ってくれっ! ―― いおりっ、機関最大両舷前進強速! フルバーストも使うぞっ、多少エンジンが悲鳴を上げてもかまわない。とにかく飛ばせっ! 」
「 “ 言われなくてもっ! イオナ、ちょっとしんどいけど我慢してっ!? ” 」「大丈夫っ」
意を決して立ち上がる彼女の足がセンターコンソールの床を強く踏みしめる、速度を上げた401に先を譲るかのように教導艦隊最後尾のヒエイが針路を明け渡す。掠めるように過ぎ去る401の艦影を険しい表情を浮かべた彼女が見送った。
「到着予定時刻
「杏平っ、全兵装スタンバイ! 401潜航ベント開けっ、ダウントリム10.針路340深度40っ! 」
「
「 “ 千早艦長っ、天候が安定してるンならこっちの水偵を出すわっ、状況見るならそっちの方が早いっ! ” 」「たのむタカオっ! 」せっかちなタカオのカタパルトが声を待たずに動き出し、搭載された二機の零式水偵はカートリッジの炸裂音とともに艦の左右へと弾き出された。時速370キロで14時間の航続距離を誇るこの機体ならば現場の様子をいち早く掴める。
「 “ 千早群像、401.気をつけろ、コンゴウ型が背を向けて逃げるような相手だ。一筋縄ではいかぬぞ? ” 」
針路を譲る先導艦コンゴウからのレーザー通信に群像は喉をゴクリと鳴らして小さく頷く。「わかっている、想像はできないが理解はしているつもりだ。忠告感謝する」
「 “ こちらも今回の教導巡回が一段落したら自分のルートでこの件を調べてみる、それまではいつものような無茶は控えろ。ヒエイも後から言っていたがどうも今まで私達が関わってきた霧とは様子が違う ” 」
メンタルモデルが操る ―― それも大戦艦級のハルナをして敗北させる戦力など霧以外にはありえない、だがそもそも同族内でもほぼ頂点にある彼女を勧んで襲おうとする霧の船など存在するのだろうか? 「 “ 悟い貴様の事だ、薄々感づいてはいるだろう …… 一枚板だと思われていた霧内部での再びの下克上、もしくは造反。もしそれが現実のものだとするなら事は貴様たちだけの問題ではなくなる ” 」
「コンゴウ …… どうしてあたしたちは」
イオナの顔が湧き上がる苦悩で大きく歪んだ。命懸けで掴みとった人類との共存と進化、戦いの果てに見えた未来の形に背を向けて再び闘争へと舵を切ろうとする同胞 ―― どうしてあたしたちは幸せを求められない?
求めては、いけないの?
「 “ その答えを出すには私たちはまだ若すぎるのだ、401。人は心があるが故に間違いを犯してアドミラリティ・コードの怒りを買った、そして彼らのせいで心を得た私たちは彼らの二の轍を踏まないように心掛けねばならない。だがそのやり方を知るにはまだ足りない、時間も。経験も ” 」
甲板の上で両腕を組んだままドレスを靡かせるコンゴウが海へと消えていく401の姿を追う。「忘れるな401。人は長い闘争の果てに今の世界を手に入れた ―― その中で私たちは私たちのあるべき立ち位置を見つけなければならないという事を」
* * *
「ちょっとぉ、このご時世になんでうちの航空装備は昔のまんまなのよっ!? いまどきレシプロなんて ―― 」貿易風に煽られながら幾度も針路変更を繰り返すルーティンには操るヒュウガも癇癪を起しそうだ。オーパーツともいえる浸食弾頭やら重力子エンジンやらを装備する彼女たちにとって一番の不満は航空兵装のチープさだ、確かのこれだけの武装を誇る霧の船にとって戦闘機などの武装は不必要とも言えるのだがいざこの通り必要に迫られるとその使い勝手の悪さに辟易する。「おまけに夜間装備も持ってないなんて21世紀にもなっていうセリフ!? 」
「ぐだぐだうっさいっ! 速度が出るだけありがたいと思いなさいよっ、こっちは置いてかれないようにするだけで精一杯なんだからいちいち文句いうなっ! 」ナノマテリアルの帯を展開して前のめりで操艦するタカオの表情は険しさを増している、401の足は知っていたが限界ギリギリで飛ばすその速さには驚きと緊張を隠せない。いくら造波抵抗のない海中を進むと言ってもこんな無茶をして彼女は最後まで持つのか?
「とにかくヒュウガまだっ!? 早く見つけないとハルナよりこっちの体の方が持たないかもっ」「焦ンないで、もうすぐ接触予定地点 ―― いたわっ! 」
高度を変えて捜索する二機のうち、俯瞰高度を取っていた一番機がその索敵視界の中に引き波を引きつれて疾走する黒い影を捉えた。月明かりだけでははっきりとは確認できないが高速戦艦特有の細長いシルエットと微かにうかがえる四基の主砲がヒュウガに艦級を教える。「401っ、会合地点北北西の海上で島に向かうハルナを発見! 」
「聞いててくれたかっ! 」
一報を受けたクルーは一様にかすかな安堵を表情に浮かべた、たび重なる通信エラーに苛まれ続けた静などは思わずコンソールへと額を預けてため息をつくほどだ。「 “ これから二番機で彼女の様子を見てみる、映像をそっちへも送るわっ ” 」
低高度を維持しながら徐々に相対距離を縮める二番機の映像を自らの演算領域で確認するヒュウガだが、夜闇に浮かびあがるかすかな光のトライバルに思わず眉をしかめて何度も確認して思わず呟く。
「 …… 違う」
「 “ 千早群像、ごめんハルナじゃないっ! ” 」ヒュウガの報告と同時にイオナもその船がハルナではない事を知った、愕然とするその口から零れ落ちる艦名にクルーが思わず二番機から送られてくる映像を二度見した。
「キリシマっ、どうしてあなたが」
「どっ!? どういうことよキリシマってっ! ハルナはっ、ハルナはどこいったのっ!? 」「うるさいっ、あたしに分っかる訳ないでしょっ!? 」談判を一蹴したヒュウガが速度を落として近づくとその惨状はより一層明らかになる、艦後部の構造物は飛行カタパルトも含めて惨憺たる有様で二門の主砲は撃てるかどうかも怪しい。ただチェレステブルーの綺麗なイデアクレストだけが彼女の生存を主張し続ける。「 “ ヒュウガっ、二番機で中継してなんとかキリシマと連絡が取れないかっ!? 詳しい状況が知りたいっ! ” 」
「いわれなくてもやってみるわよっ! 」マテリアルを活性化させ静からの接続コードを受け取った彼女がそれを繋いでキリシマへと放り投げると待ちわびた様に繋がる通信回線、メインモニターに映ったピンクの熊はあちこち煤だらけでしかも艦橋は壊れた機材でごった返している。「 “ 来てくれたか401っ! “ 」
「キリシマっ、どうして君の船が」「 “ すまんが喋ってる余裕がないっ。ハルナは敵の攻撃で大破、蒔絵は撃たれて大腿部に3度の裂傷っ。応急処置はしてみたが出血がまだ止まらないっ! 私の事はいいからなんとか二人だけでもそっちで ―― ” 」
「 “ キリシマ聞こえる? 今水偵を横付けするからすぐに二人を乗せ換えてっ、とりあえず船を止め ―― 」
ガン、と強烈な衝撃を喰らって意識が遠のく。何が起こったのかもわからないままコントロールを手放しそうになった彼女をタカオの檄が繋ぎ止めた。「どうしたのヒュウガっ! しっかりしなさいっ! 」
はっと我に返った彼女のリンクが再び活性化して済んでのところで立て直し、自分の不明をあざ笑う彼女の表情がいかつく変わる。「ちょっとドローンのコントロールにのめり込みすぎたわ、これじゃ姉さまの事叱る資格なんてないじゃない。 ―― 千早群像っ、二号撃墜。対空レーザーっ ―― キリシマの近くに霧の船がいるっ! 」
砂嵐から復旧したメインモニターを見上げた群像の頭の中が熱を帯びて次の展開を模索するが展開は彼が思っている以上に早かった、残った一機でなんとかキリシマとの接触を計るヒュウガだったが今度は船体へと近付く暇もなくあっという間に敵の餌食となる。元には戻らない砂嵐の再生とともにヒュウガの悲痛な声が飛ぶ。「 “ 畜生っ、一号もやられたっ! キリシマとの回線断絶っ! ” 」
まるでこちらの手の内を知っているかのように翻弄するこいつは確かに強敵だ、そして手の内に残った選択肢は行くか還るか ―― 助けるか見捨てるかの二つしかない。だが敵の情報が全く分からないまま戦場へと飛び込む事は愚策以前に自殺行為、
「 …… いおり、フルバースト。目標レイサン島っ」
「 “ ばっ ―― ” 」彼女の体の事を一番よく理解しているいおりをして絶句させるイオナの決断は群像を含めて全てのクルーの耳を疑わせる。「 “ バカ言ってンじゃないよイオナっ! そんなことして ” 」
「いいのっ!! 」
激発する感情と意志がイオナの小さな体を支配してそれは船体へも及んでいる、小刻みに震えるそれは彼女に生まれた新たな感情だ。「いおり手伝ってっ、お願いだからっ!」
「 “ 群像
「イオナっ!? 」
「群像っ、あたしはあなたの船だとあの時言ったっ! でももしあなたが今そうじゃないって少しでも思ってるならあたしを行かせてっ!! 」押さえられない怒りと悲しみが錯綜する彼女の目がまるで群像の心と鏡映しに渇望を映し出す、それは建前に守られたいい訳ではなく突き動かされる本心。
イオナへと視線を注いだまま続く無言の葛藤、険しい表情を崩さない彼の口が開いた時固唾を呑んで見守っていた艦橋の沈黙が一変した。
「 ―― いおりっ、フルバースト! 目標レイサン島近海っ! 」
「 “ あんたら二人揃ってバッカじゃないのっ!? 意見具申どころの話じゃないわよそんな命令断じてお断りっ! ” 」
「いおり頼むっ!! 彼女たちを救うにはもうこれしか手がないんだっ、島影が見える所まででいいっ! そこまでエンジンを持たせてくれっ! 」「 “ できないしヤなものはヤダって言ってんじゃんっ! あんた艦長としてイオナのことどう思ってンのっ!? 家族をヤバい目にあわせて万が一の時にどう責任取るってンのよっ!? ” 」
「聞いてくれいおりっ! 」
それは彼女も家族だと思っているが故の心の発露だ。
横須賀で出会い、多くの命懸けの戦いを経て得た繋がり。しかしそれは群像の中で船と役割という関係以上に大きな意味を持っていた。
「401はみんなの船だ、だけどイオナの船でもあるんだっ! イオナがそれを望むのなら俺は彼女の意志を尊重 ―― ちがうっ!」
これが言葉なんかで紡げるものかと群像は大きく頭を振った。それは横須賀のあの丘で巡り合った奇跡に向かって純粋に捧げた誓いであり ―― 自分にかけた呪い。
群像の目が真っ正面からそれを冀う彼女の表情へと注がれる。「 ―― イオナの願いを叶えなきゃだめなんだ!! 」
群像の口から飛び出した強い思いと気迫に沈黙する401の艦内、だがその切迫した空気をこじ開けたのは何気ない杏平の静かな問いかけだった。
「なぁいおり? 」
火器管制のモニターを睨みつけたままの杏平が突然憤懣やるかたない彼女に尋ねた。「 ―― とりあえずどンくらい魚雷を捨てりゃ島まで持つ? 」「 “ はぁ? ” 」
その言葉をきっかけにいきなり動き出すブリッジのメンバー、思わぬところから始まったイオナへの賛同は火がついたように伝播する。「 ―― 今アメリカの海洋局とリンクを繋ぎました、ここから島までの詳細なマップと海流データをダウンロード中」
「そこから最もイオナさんに負担の少ないルートを選択して ―― 行きましょう、群像」静と僧の提案に思わず辺りを見回すと全員の目が二人を見つめている。「 …… みんな」
「いおり、俺さぁ …… お前の両親の事つくづく偉いと思うんだ」「 “ ちょっ、ここで親の話出すなってのっ ” 」機関室で慌てる彼女に杏平が装填済みの魚雷を海中へと投棄しながら語りかけた。
「お前がたった一人で海技に入学するの、ほんとはやめさせたかったと思ンだよ。でもお前のために ―― お前がそうしたいって言うからお前の父ちゃんや母ちゃんは助けたいのを我慢して見守ってたんじゃないのかなぁ。それは今の俺達がイオナに持つ気持ちとどう違う? 」
「 “ 杏平、あんたねえ ―― ” 」二の句も返せないいおりの怒りがスピーカーを震わせて艦橋へと漏れだすが子供のころからの付き合いである杏平は委細構わずにスタイラスを動かし続ける。「ま、とりあえず
「 “ なっ、なにやってンのあんたっ!? これから敵のいる所へ行くってンのに ―― ” 」
「決まりだな」いおりの本心を引き出した杏平がニヤリと笑って手を止めた。「行こうぜイオナ、とりあえずお前は何も考えずにぶっ飛ばせ。後の事はいおりがちゃんと面倒見てくれっから」
「 “ ああもうっ、ちきしょう杏平後で覚えときなよっ! ぜーったいに修理手伝わせてやンだから、分かったっ!? ” 」へいへいと呟きながら肩をすくめる彼の背中にイオナがにこりと笑って感謝の意を表した。「ありがとう、杏平」
「コース出ました、レイサン島までフルバーストで一時間ですが …… 行きましょうイオナさん」優しい僧の声と静の視線に包まれた二人が思わず頬笑みを浮かべて顔を見合わせる、大きく頷いた二人が向けた視線の先に浮かぶのはメインモニターに表示された航路図。
「行くぞいおりっ、フルバーストっ! 目標レーザン島接続海域っ! 」
「 “ ホントにもうどうなっても知ンないからねっ! イオナ大丈夫っ!? ” 」「大丈夫っ!! 」力強く応えたイオナがセンターコンソールの天板を力強く踏みしめて叫んだ。
「いおりっ、やってっ!! 」
* * *
温暖化によって極地の氷が解けた事によって激変した地球環境、多くの島が海面下へと没して海は広がり地面は狭くなっている。一時的に氷塊の溶融が止まっているとはいえこの環境が元通りになるのはそれこそ天変地異クラスの災害が地球全体を覆い尽くさないとなし得ないのではないかと言われている。
各地の気候変化に大きく関与する海流もその例にもれず流れを大きく変えた彼らが各地に異常気象をもたらして多くの被災者が至る所で苦難の生活を強いられている、だが今はその変化した海流にイオナは助けられることになった。エルニーニョ現象によってチリ沖から大きく赤道を回り込む北赤道海流の流れは今、ハワイ諸島を巻き込んで大きく右へと舵を切る。ちょうど追い潮となったことでフルバースト連続使用によるイオナの負担はわずかながらに軽減された形だ。
「 ―― 見えたっ、レイサン島だっ! 」メインモニターに黒く映る島影を視認した瞬間に群像が声を上げてイオナはドサリとメインコンソールへと突っ伏した。息も絶え絶えに全身から発する高熱に耐えながら401をここまで導いた、それが彼女への代償だった。「イオナっ!? 」
「 “ 僧、僧っ!? ダメコン要請っ、炉を早く冷却してっ! スラスタのブレードが溶けて左側はほぼアウト、使えるのは右側だけだよっ ” 」
「わかりましたすぐにっ! いおりさんは大丈夫ですかっ!? 」「 “ ああ ―― ” 」
顔面を覆うマスク越しにエンジンを少しづつ絞っていくいおりは周りに転がる制御キャップの破片を見下ろしながら苦笑いした。「ギリギリなんとかってところかナ? とりあえず炉が冷えたら機関室の換気もよろしく」
重力子エンジンの冷却材には水銀が使用されている。融点-35度・沸点356度という特性は高温高圧になる炉を冷やすには有利な特性であり、発電システムは少々複雑にはなるが生み出される力の大半を減衰する事なく艦内に供給する事ができる。霧の船が突然出現して人類を滅亡の道へと導いた際に彼らは一体どういう造りをしているのかという論争が巻き起こったのだが、その際一部の海洋学者は海水中に含まれる有機水銀の含有量が著しく低下したデータを提示しながら一つの可能性を指摘した。その時は眉唾ものだと揶揄されて物笑いの種にされた彼らだったが、イオナが横須賀で拿捕された際に調査された外殻の非破壊検査報告結果が彼らの仮説の一部に説得力を与えたのは有名な話だ。
―― 霧の船体は全て海洋に含まれる様々な要素で構成されているのかもしれない ――
だがこの水銀という物質は人類にとって有害な物質であり、霧の船ならばたとえ撃沈されたとしても船体を構成する物質はロトの妻のごとく全てが塵と化して再び海洋成分として溶け込むだけだが人が絡むとそうはいかない。フルバーストの連続使用による過負荷で臨界に到達したエンジンは次々に制御を失い、それを一つづつ緊急停止スクラムへと導いている最中に起こった事故 ―― 冷却管の破損による水銀流出は一歩間違えばいおりの命を奪いかねないほど重篤なアクシデント。標準温度で容易く気化が始まる水銀はヘモグロビンや血清アルブミンと結合して毒性を持ったまま血流に乗って脳を破壊する、致死性のガスが充満した機関室でいおりは文字通りイオナのために死と隣り合わせで彼女の願いを聞き届けたのだ。
「あたしのことよりイオナっ、大丈夫っ!? 」
僧のダメコンで熱を下げつつあるイオナがいおりの声で重い瞼を開いた。「い、おり …… ありがと、う」
荒い呼吸の合間にそう言うのが精いっぱいの彼女だったがにっこりと笑って呟くのは少し余裕が出てきた証拠だ、それに今船がどうなっているのかはこの二人にしか分からない。「 “ ダメコンが効けば少しは動けるようになるとは思うけど ―― もう自分で分かってるよね? 絶対に無茶はできないよ ” 」
「うん …… わかって、る。いおりもはやく、そこ、から ―― 」「 “ お気づかいどうもって言いたいんだけど残念ながら生き残ってる炉を再調整して少しでも使えるようにしないとね ” 」
モニター表示がクリアをさして機関室の酸素濃度が標準へと戻ったことを確認したいおりは窮屈な酸素マスクを外してコンソールへと預け、キーを叩いて主機の状態を確認しながら報告する。「群像、さっきも言ったけど生き残ってンのは右のスラスタだけ、出力は40パーを切ってる …… 悪いけど上積みなんて期待しないで、一刻も早くキリシマ達を迎えに行って」
「すまない、いおり。感謝する」「 “ あー、そう言うのはやめてって何度も言ってンでしょ水臭いって。そう言う風に思うンならさっさとみんな助けて真珠湾に帰るわよ ” 」
「わかった …… イオナ、いけそうか? 」隣で突っ伏したままのイオナが群像の呼びかけに応えるように両手で上体を持ち上げる。「もう、大丈夫」
「よし、もうひと踏ん張りだ。頑張れ …… メインタンクブロー、針路140.両舷前進第二戦速。本艦はこれより付近で待機しているであろうキリシマと接触する」
* * *
数年前まで海面下へと没したはずのその無人島が北と西にあるプレートの影響で活発化した造山運動によって再び海面上へと姿を現したのはつい最近の事だ、とはいえ潮汐の関係で干潮時にしか姿を見せないレイサン島は海抜0メートルというひどく危ういその姿で401の到着を静かに見守っていた。
島の周囲は沖合100メートルまでは人の背が立つほどの遠浅で、しかしそこを境界として深度は一気に変化する。まるでそそり立つ崖のように険しい岩棚はそのまま深度500メートルまで沈降して緩やかなすそ野を描きながら海底までの道を辿る、島に接近した401が辺りを捜索するまでもなく傷だらけのコンゴウ型4番艦は浅瀬の手前ギリギリの岩礁近縁に息を潜めて佇んでいた。
辺りをくまなく警戒しながらそっと傍へと近寄った401がキリシマのバイタルパートに隣接する形で接舷するとすぐにアンカーを落して艦体を固定する、機関のアイドリングを確認した群像がすぐに立ち上がって足早に艦橋の出口へと向かった。
「イオナと僧と杏平は周辺警戒、戦闘配備のまま待機していてくれ、静はすぐに医務室を立ち上げて使えるように。蒔絵の血液型はAB型Rhマイナス、保存バンクの中にあるはずだ」
「待って群像、あたしも ―― 」ふらつきながら立ち上がろうとするイオナに振り返った群像は優しく笑いながらそれを断った。「大丈夫だ、イオナはもうそこで休んでいてくれ。受け取るだけなら俺と静で十分だから」
「そうですよイオナちゃん? 」医務室へと向かいがてらにイオナの傍で足を止めた静が震える肩に手を置きながら優しく慰めた。「二人の様子が落ち着いたら今度はあなたが医務室で休む番です、船の事なら僧君と杏平君に任せておけば大丈夫」
「そーそー、大丈夫っ。ヤバくなったらいつでも起こしてやるから今ンとこは少しそこで寝転んどきな? 今ンとこ周囲に重力振反応はないンだし ―― それにしても」
「ええ」医務室へと走る静を見送った僧が再び正面のスクリーンへと顔を向ける。
「 …… なんでキリシマの船が、元に? 」
群像が露天甲板へと姿を現したと同時にキリシマが蒔絵を抱きかかえて待ちきれないとばかりに飛び降りてくる、キュキュッというヌイグルミ独特の着地音を響かせた彼女はまるで壊れものでも扱うかのように荒い息で意識の薄い蒔絵をそっと群像へと差し出した。「すまない千早群像、私やハルナがついていながら」
「艦長、私が運びますっ」受け取ろうと腕を伸ばした群像を阻むように艦橋下の気密ドアから走り込んできた静が、まるでひったくるように蒔絵を抱えると風のように扉の向こうへと姿を消した。呆気に取られて見送る群像に向かってキリシマは背中のファスナーを開けてごそごそとそれを取り出して彼へと見せた。「 ―― これがハルナだ」
ハルナのイデアクレストが刻まれたユニオンコアがそこにあるという事は彼女が船体の維持もできないほど致命的な損傷を受けたという証拠、驚きに目を見張る群像に向かってキリシマの沈痛な声が続く。「 …… お前の予測は正しかった」
「? え? 」
「ナノマテリアルの発生源 ―― かつての大戦で海へと沈んだ数多の軍艦が何らかの不確定要素によって分解されて海中へと溶け込んでいるのではないかという仮説。では世界の海の中でその濃度が最も濃い場所こそがナノマテリアルの鉱床になっているのではないかという可能性の一つ …… 鉄底海峡」
鉄底海峡。
太平洋戦争最大の激戦区となったソロモン諸島、ブーゲンビリア島から聖クリストバル島に至る
だがそこを舞台に日米間で繰り広げられたソロモン海海戦を始めとする七つの戦いによって沈んだ艦船は総数52隻、撃墜された航空機も含めると30万トン以上の残骸が眠る海の墓標はその凄絶な様子から人々の間で『
「 …… あたしのナノマテリアルがそこにあったんだ」「君の? 」
小さく頷いたキリシマがすぐ隣で威容を誇る四番艦のシルエットを見上げる、黎明を過ぎて仄かに明るくなった空へと浮かぶそれはまさに鋼鉄の城と呼ぶにふさわしい。「海域への到着と同時にその存在を感じ取ったあたしは半信半疑でコマンドを立ち上げて艦体を修復しようと試みた。ナノマテリアルの収束が始まると同時に私はハルナを降りてすぐそばの海上で艦体のコアとしての役割を果たそうとして ―― くそっ! 」
「キリシマ ―― 」
「船を立ち上げるまでの私たちは無防備だ、そしてそこへ正体不明の敵が現れていきなりハルナを撃った! あいつと蒔絵はあたしを守るために敵の盾になって ―― 潰されたっ! 」
俯いてぶるぶると震える肩が彼女の無念を物語る。「なんで蒔絵までっ!? あいつが一体何したってンだ畜生っ、ハルナもハルナだ、あたしのことなんざほっといて彼女を連れてさっさと離脱すればよかったのにっ!! 」
「できなかったんだよ ―― 彼女は …… 蒔絵は多分そうしたくなかったんだ」悔しさに打ち震えるキリシマの頭上から群像の優しい声が降り注いでその手がヌイグルミの頭をそっと撫でた。「それに二人はまだ死んだわけじゃない。うちにはヒュウガもいるし真珠湾はすぐそこだ、まだ何とかなる ―― とにかくよく無事でここまで辿り着いてくれ ―― 」
「千早群像」
強い口調で言い放つキリシマがまるで群像の労いを振りほどくように突然後ろへと飛んだ。距離を置いて対峙するヌイグルミを追うその指の先で彼女は呟いた。「 …… すまない」
「? キリ ―― 」 戸惑う群像が思わず呼びかけようと口を開く、しかし彼の言葉を上書きするように遮ったその聲は耳にするだけでも彼らの心の底に眠る何かを逆撫でするほど下品で ―― 不愉快だ。
『 アレアレェ? せーっかくいきたママおよがせてアゲたンですケドねェ。みつけたのはこーンなちぃっちゃいノだけデスかァ? 』