蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
イオナ達が帰港した時ホノルルは出撃してからすでに丸二日が立っていた。リムパックは勝敗を判定するヘンソンの沈没により勝者未確認のまま終了し、タイトなスケジュールをやりくりして各国から参集した艦船は簡単な解散式を終えて帰途に就く ―― と思っていたのは出撃していた日米の艦隊だけだったようだ。
事の顛末を見届けるまでは国に帰っても寝覚めが悪いと言わんばかりにリムパックに参加した全ての国と艦艇がいまだに湾内に停泊して彼らの帰りを待ちわびている、という内容の通信が太平洋艦隊司令部から届いて目を丸くするアリゾナ。「? どういう事でしょう? 確か出港の際に私たち抜きで解散式をしていただくようお願いしておいたはずなのですが」
「 “ 好意的に捉えればあたしたちの安否を気遣っての事でもう一つ掘り下げて考えるなら主力不在の太平洋艦隊司令部を全戦力で防衛をしていただいてたという事、でも少し穿った考え方をするなら ” 」
「 “ ちょうどホノルルからの航路上に当たる西太平洋海域での安全を見極めようと言う事が狙いだったのかもしれないわね。もしあたしたちがあそこで負けてレイサン島付近の海域を押さえられてしまったら西側部分でのシーレーン確保が難しくなる、そうなった場合の対策を残った国の連中で考えようって思ってたんじゃない? ” 」
レキシントンとニュージャージーの冷静な意見は正しいとは思うのだが。「 …… なんとも後味が悪いですね、できれば皆がレキシントンの発想で居残っていただいたと思いたいのですが」
「 “ そうでなければ軍人とは言えないのよ。一番最悪な結果に対して対策を考える、だから人類は千早群像や401が総旗艦を沈めて平和を取り戻すまでの間に二割もの人口を維持できていたのでしょう ―― 覚えておきなさいアリゾナ、千早群像の人となり全てが人類の本質なのだと私たちは考えがちだけど、そうじゃない ” 」
生まれて間もない自分をまるで腫れもののように扱い接する研究者や多くの軍人たち、解き放たれて始めて一人で立たされたその目の前に彼はいた。「 “ あれはレアよ、人類とかそういう枠組みに納まるようなタマじゃない。そうでもなければあれだけの霧が ―― そして私たちが彼とともに行動しようなんて考えっこないじゃない? ” 」
あの時自分を突き動かした湧き上がるような衝動、ニュージャージーの答えにアリゾナは胸を押さえながら震えて小さく頷いた。
始まった時と同じ数の艦艇が停泊する真珠湾に曳航するキリシマを気遣いながら進入してくる二つの艦隊、曳航索を切り離されたキリシマはそのままタグボートの導きで湾の端におかれた乾ドックにまで運ばれる。アメリカ側が備蓄しているナノマテリアルを使って艦の修復を行おうというのだがイオナの修理や補給も含めて提示された金額は会社を営む群像でも見た事のない桁が並んでいた。もっとも希少価値が高くいまだに採取方法すら限定される貴重な素材を譲ってもらうのだ、それなりの覚悟で米財務省の係官との交渉に臨んではいたのだが。
「 …… やはりすごい金額だな、ちょっとした小国家の防衛予算くらいはある」宿泊所としてあてがわれているスイートルームの机の上に請求書を置いたままイオナとともに肩を並べて難しい顔をする群像だがこれは彼が一番危惧していた事態でもある。ムサシとの戦いにおいて全てのナノマテリアルを放出した蒼き艦隊において戦傷行為はすなわち多額の出費へと直結する、世界的な相場すら決まっていないそれを融通してもらう事は相手の言い値でしか取引ができないという事。ゆえに自ら仮説を立ててナノマテリアルの鉱床が存在しているかも知れない場所を世界中の海域からピックアップして密かに蒔絵達に実証と調査を依頼していたのだ。
「ディスカントプリーズっていかないのかねえ、イッツベリーエクスペンシブ、プリーズって」あきれ顔で請求書を手に取るいおりもどこか諦め顔だ、通常弾頭やら振動弾頭・一般補給に関しては日本統制海軍のバックアップがあるとはいえ艦艇の補修費に関しては会社負担という事が契約で決められている。とはいえ直さない事にはキリシマの船はアメリカに押さえられてしまうし今回の蒔絵の治療費の事もある、蒼き艦隊を治外法権として運営していく上で代表として背に腹は代えられない。
「 …… 仕方ない、僧。なんとか払えそうか? 」意を決して向かい側でラップトップを開く会計責任者の一人に尋ねると彼は事もなげに画面を群像の方へと向けた。「現状うちの会社にはこれだけの余剰資金があります、これくらいなら十分に大丈夫かと」
「 …… これ、なんだ? 」見た事もない二分割の画面と一番下に記載された長ーい数字は請求書どころか群像の予想をはるかに超える金額だ、驚いて口が半開きのまま固まる彼にもう一人の会計責任者である静がにこやかに言った。「頂いた報酬の何パーセントかをヒュウガさんに預けていろいろ運用して頂いてたんです、おかげで当座の軍資金としては十分すぎるほどの額を稼いで頂きました」
「ほんとはねー、こんな事に演算能力使うのどうだかって思ったんだけど世界を救った救世主様がお金ありませんから出られませんじゃいかにも風がわるいでしょ。言っとくけどなーんも悪い事なんてしてないからね? ちゃーんと人間社会のルールに法って稼いでるし税金もそれなりに収めてるから、やましい事なんて一切なし」
「ヒュウガ、すごい」感動して褒め言葉をイオナが発した途端に彼女の声が対イオナモードへとシフトチェンジする。「も、もっとっ! もっともっと褒めてくださいましイオナ姉さま、わたくしこれでも褒めそやされてとことんまで伸びるタイプ。姉さまにお褒め頂くためなら私いくらでも研鑽に研さんを重ねまして必ずやイオナ姉さまのお役に立ちたいと常日頃から考えておりますので是非ともっ! 後生ですからぜひとも私をお褒め頂いてっと言うかもっともっと褒めてよ褒めんかゴラァっ! 」
「あー、依存型のドMが実は究極のドSって分かる典型的なパターンね。ていうかまあやっと平常運転? 」
やっといつもの空気に戻った仲間の姿に苦笑いを浮かべるいおりが同じように笑う杏平に視線を送ってから、ふとある事に気づいて群像を見る。「そう言えばさ、ハルナどうする? 」
テーブルに置かれたハルナのコアはヒュウガの調べでどこにも異常がない事が分かっている、だが彼女の船体をもう一度再構築するほどの資産はさすがに持ち合わせてはいない。「それはさっきハルナと相談して解決済みだ ―― ハルナ」
「 “ とりあえず私のメンタルモデルが再生するだけのナノマテリアルがもらえればそれでいい、なにせこの姿では蒔絵の警護もままならないからな。それにメンタルモデルが再生できればキリシマに同乗してどこかの機会で船体を再構築する事も可能だ、はぐれのナガラを何隻か拉致してしまえばこっちのイニシャライズに書き換えて取り込める ” 」
「北極海に入る直前にその話はお伺いしましたが …… そんな事が本当に可能なのですか? 」ベーリング海で霧の生徒会艦隊と遭遇した時、窮地に陥った401を救うために援護を買って出たタカオとハルナ。横須賀での戦闘において艦体を喪失したはずのハルナが完全な形で復帰してきたその姿に一同は驚き、その理由を問いただした際に彼女が漏らしたその一言。
「 “ あの時はあわただしくてちゃんと説明できなかったが私はナノマテリアルに刻まれる個別認識パターンを書き換える事ができる能力を持っている、本当は同型艦の間でのみ可能なやり取りなのだがそれだと戦闘が発生した場合に共食いを起こしてどちらも動けなくなる可能性がある。だから私は姉妹艦四艦の中で唯一その能力を特殊機能として保持する艦になった ” 」
「そっか、だから蒔絵の家で特殊部隊と戦闘になった時にコアだけになったキリシマが動けたのか、ハルナが彼女にナノマテリアルをあげる事ができたから」彼女たちに訪れた窮地を救ったその日の事を思い返したイオナがしみじみと呟く。「 “ そう言う事だ、だが今回は本当に迂闊だった。私のせいで蒔絵やキリシマを危険にさらしてしまって本当に申し訳ない ” 」
「みっ、水臭い事を言うなハルナっ、私の船が実体化するまでの無防備な間をお前と蒔絵が踏ん張ってくれていたおかげでなんとかあいつらから逃げる事ができたんだ。私の方こそお前たちを無傷で連れ出す事ができなかった、本当にすまないっ! 」
我も我もとお互いに謝りまくる二人の様子を周りで眺めながら微笑む蒼き艦隊のメンバー、思えばどこか個人主義の集まりであった霧の艦船が相手を責める事なく自らの非を詫びるなど誰が予想していただろうか? なんとも和やかな光景に目を細めていたイオナだったがこのままほのぼのと一日を終える訳にもいかない。
「二人とも。今はこうしてなんとか全員揃って帰ってこれたんだし、結果オーライでいいじゃないか …… と、落ちついた所で本題に入ろう」
仕切りが入った群像の声に一同が真顔に戻って彼の顔へと視線を向ける、全員が一堂に ―― 蒔絵は意識が戻ったもののいまだにICUで隔離治療中だが ―― 会しての『ホームルーム』は実に久しぶりだ。「一応航海のログはハルナのメモリから提供してもらった。今から五日前の深夜、ハルナ達はソロモン諸島マキラ島の北側からインディスペンセイブル海峡に進入。シーラークチャンネルを通過して目標海域に到達した」
「 “ そうだ ” 」
「その後同海域に停泊、海水サンプルを採取している最中に突然キリシマのコアにイニシャライズが発動。ナノマテリアルの収束を確認したキリシマはただちに艦を降りてハルナ右舷の海上で艦体構成を開始、直後に敵からの攻撃を受けた ―― ここまでが航海ログから読み取れる情報だ」
「 “ 今思えば恐らく私たちの動向はソロモンに到着する前から誰かに監視されていたような気がする、実際最初の被弾は艦砲じゃなく上空からの急降下爆撃だったしな。それにキリシマの船体復元と同時の攻撃タイミング、こちらが防戦一方になる事を見越しての完璧な作戦だ ” 」
「千早群像の予想通りあそこには間違いなく大量のナノマテリアルの鉱床が眠ってる、だがそれはすでにどこのどいつかもわからない霧の船に押さえられているという事だ。奴らの目的はわからんが」
「 …… 嫌な感じだ」ハルナとキリシマの発言を受けた群像が眉をしかめて呟く。「レイサン島で戦った重巡が口走った言葉を覚えてるか? ―― 『わが主の贄』だ。という事は奴の上にも誰かがいて、その船が何かの目的のためにキリシマやハルナを沈めようとしたという風にも見て取れる …… じゃあ奴は何を必要としていたんだ? 」
「コアね」珍しく真剣に考え込んでいたヒュウガが言った。「船体を構成するナノマテリアルはふんだんに用意されているけどそれだけで船は造れない、霧の船である事たらしめナノマテリアルよりももっと希少で手に入らないもの ―― ユニオンコアを奴らは必要としている」
「でもよ、ユニオンコアならはぐれの軽巡やら駆逐艦とかも持ってンだろ? なんで自分達に対して抵抗してくる船のモンをほしがるってンだ? 」杏平の質問は全員の疑問を代弁している、だがヒュウガはそこで全員が身の毛もよだつ推理を展開した。「目的意識もなくただ海を徘徊するだけの連中じゃ意味がない。自らの意志を持って行動を決められるメンタルモデルが付随したユニオンコアはそれなりの戦闘力や戦歴を持つ武勲艦が多いイコール当たり前の倫理観を持っている子たちだわ、奴らは全部込みでそれが欲しいのよ」
「という事は今回であった敵と霧とは確実に敵対関係にあると ―― でもそんな、わざわざ強い相手を沈めて回収したコアが主義主張をひっくり返してまで敵に寝返る事なんて出来るんでしょうか? 」
静の疑問。メンタルモデルを獲得しているからこそ善悪の良し悪しはともかくアドミラリティ・コードによって明確な線引きがなされている、それを否定するという事は霧としての存在意義をも失うという事。
だがヒュウガの思考は違っていた。
イオナが最後の総旗艦命令を全世界へと発信して以降彼女たちを縛り続けていたアドミラリティ・コードの効力も失われた、自由意志による未来の選択は多くのはぐれ艦隊を産んで世界の海を今だ混沌のままなし崩しに時を費やしている。だがもしその世界に彼らを束ねようという新たな指針が生まれたとしたら、どうなる?
彼女の中で繋がる二つの事象、それこそが兆し。澱みと深みを増したその言葉が彼女の口を吐いて出る。
「 ―― 言う事を聞かせる手が、あるのよ」
イオナの脳裏に真っ先に浮かんだ二人のメンタルモデル ―― だったもの。
その言葉にイオナの異変の現場に立ち会ったメンバーが思わず顔を見合わせた。「お、おいみんなどうしたんだ? なんでそんな怖い顔を ―― 」
「そいつらに操られたであろう霧の潜水艦に俺達は演習中に出会った」「 “ え? ” 」
リムパック最終日での衝撃的な事件を群像とイオナは不在であったハルナとキリシマにできるだけ詳細に話した。何かに操られたアルバコアとダーターが情報収集艦ヘンソンを沈めた事、概念伝達を操作されてイオナがその中に引きずり込まれた事。そして奴らの傀儡と化した二人が見るも無残な姿でイオナに殺される事を切望した事。
「 “ なんて痛ましい。そんな事はアドミラリティ・コードに背くも同然の行為だと言うのに ” 」「霧の風上にも置けない連中だ、腐れ外道とは全く奴らのために作られた言葉のようだな」
一歩間違えればそれは二人の身にも降りかかる厄災だった、にもかかわらず恐れるどころか憤慨する所に大戦艦としての理由があるのだろうと群像は思う。そんな彼らの輪の中から一歩外に足を置いて今まで口をつぐんでいたタカオがポツリと言った。「敵の姿が一本に繋がったのはよしとして問題はその後だわ。鉄底海峡に奴らが潜んでいる事はみんなにどう説明するの? 」
* * *
「という事で各国代表者には緊急でここに集まっていただいた訳ですが」エスパシオの大広間を貸し切って行われた会合の進行役を務めるレキシントンの口から開催の口上が流れると会場の空気はピンと張りつめた。
会合に先立って行われた日米間での話し合いでは今回の事件の発端について最も焦点が当てられた。浦上でさえも知らなかった蒼き艦隊の極秘行動によって起こった領海内での紛争について日本側は速やかに詳細を説明する義務が生じ、責任者である群像は第七艦隊幕僚の面々の前でその動機と理由を包み隠さず打ち明けた。霧の船を配下に抱えるどの国もが目の色を変えて探しているナノマテリアルの鉱床が実は第二次大戦時に沈んだ船の残骸から生まれている事 ―― それはつまり人類の愚行の象徴として後世にまで残さねばならない祭祀を暴く事であり、不敬の罪に問われる犯罪だ。もしこの事が露見してしまえば世界中の海はナノマテリアルを求めて墓暴きを繰り返すならず者の縄張りになってしまう。
しかしこの事実を伏せて何事もなかったかのようにしらを切ることも難しい、事実霧の大戦艦であるキリシマは陸地にある乾ドックで補修待ちの無残な姿をさらけ出して置かれたままだしあの401ですら少破認定の損害を受けている。リムパックで無敵を誇った蒼き艦隊旗艦を襲った悲劇の詳細について知りたいと思うのは当然のことだ。
「やはり隠し通す事は難しいですね、むしろそんな事をして他の国から疑いをかけられる事だけは何とか避けないと」
端的に結論だけを口にするレキシントンだが歯切れが悪いのは打開策が見いだせないからだ、そしてそれは艦隊幕僚や浦上を含む日本統制軍のメンバーにしても同じ。領海を伴う埋蔵資源の取り扱いというのならこれはもう軍事の範疇ではなく政治レベルの決断になる、極めてデリケートな判断を要する事案へと姿を変えたこの問題を今この場で結論付けていいものだろうか?
「じゃあ私たちだけじゃなくこの問題はここに集まってる全員で考えると言うのはどうでしょう? 」妥協ともとれるアリゾナの提案にその場のほぼ全員が押し黙って次善策を模索し続けようとする、がその言葉の深い意図を読み取った者が二人いた。
「 …… なるほど、いい発想だわアリゾナ。要するにこんなややこしい問題は密室じゃなくみんなの前に丸投げしちゃえってことね? 」ニュージャージの問いかけに小さく頷く南部の少女。「確かに鉄底海峡の今後の取り扱いを全員で決めてしまえばその約束を破りにくいし、何よりも全員がその海域を監視する事になる。この話をすることで一番おっかないのは誰かが抜け駆けをしようとして敵の手に落ちてしまう事、だからその事について全員で考えて決めたという既成事実があれば誰もそこに手出しが、あ? ―― ところで」
突然ヒュウガが何かを思い出したかのように自分の言葉を遮って七艦幕僚に向かって尋ねた。「 …… 今あそこらヘンの安全保障担当ってどこの管轄でしたっけ? 」
「 …… 中国だ」
「 …… 道理でさっきから皆さん浮かない顔で話を聞いてると思った。そっか、中国ね ―― どうしよ、レキシントン? 」
「私に振ってこないでよ …… とにかく海軍の幹部連中にはこの事を伝えて軽挙妄動は慎むようにと念を押す事しかないんじゃない? 」苦虫をかみつぶした二人が言葉を交わすその隙間をこじ開けてイオナが尋ねた。「それで中国は私たちの言う事を信じて絶対にその場所には手を出さないって約束してくれるの? 」
「「ぜーったい、むり」」
ハモって返す二人の答えにイオナはキョトンと目を丸くした。
「 ―― 以上がこの度西太平洋海域で起きた紛争の詳細になります。被害を受けた蒼き艦隊のメンバーからの証言からこの敵はセイロン諸島東方 ―― 通称鉄底海峡を活動拠点としている節が濃厚であり是非とも各国海軍の連携によってこの海域を物理的に封鎖、以降対抗策が整うまで監視区域として海路図上に表記する事を提案します」
もうこうなったら大国の威厳でも虎の威でも何でも借りられるものは借りまくって問答無用を強引に押し付けようと試みるレキシントンだったがそれで引き下がるような相手たちではなかった。中国のみならずメンタルモデルを抱える諸般の国も群像達と同じ悩みを抱えており、ナノマテリアルの巨大な鉱床が存在するというのならたとえどれだけ分割される事になろうとも喉から手が出るほど欲しい。
「ほんとは国に持ちかえってビスマルクの意見を聞かなきゃなンだけど ―― 一ついいかしら? 」ざわざわと喧騒の波が広がるなかでプリンツ・オイゲンと一緒に黙って話を聞いていたシャルンホルストが手を上げた。「 ―― どうぞ」
「
「その可能性は一番に考え、最初に抹消しました。というのも今回レイサン島付近で遭遇した敵はほぼ無限に湧いてくる魚雷艇と指揮艦の重巡一隻であり、しかもその者の口から更に上の命令系統が存在している事を確認しています。加えて件の戦力で大戦艦級が一隻撃沈・一隻大破という事実を鑑みれば一体どれだけの戦力を擁しているのか分からないままに作戦行動をとるのは非常に危険だと思われます」
「でも聞いた限りではハルナは不意をつかれてやられた訳でしょう? 最初から受け身じゃなく攻め手の側に立って圧力をかければ結構いけるんじゃないかしら? 」
「イラストリアス、そこが問題なのです」
「いくらサプラーイズとはいっても大戦艦級の索敵網に感づかれずに当てる、なんてこと私には想像もできまセーン、一体どういうからくりなのかぜひともお会いしてブン殴りがてら聞いてみたいデース」イラストリアスの隣でにこにこと笑いながら毒を吐くアークロイヤル。多分彼女の方が腸が煮えくりかえっているのだろう、自らがヒーローと認める401に疵を負わせた連中を絶対に許すまじという気迫が満ち溢れている。
「ちょっと議論の途中で申し訳ない、さっきから聞いているとすっかりメンタルモデル保有国間での申し合わせで進められているように見受けられるが」
やっぱり来た、とばかりに眉根をわずかに動かしたレキシントンが中国海軍中将・
「楊中将、私たちは決して中国海軍を蔑にしているのではありません。むしろその逆です、いまだに世界最大の火力を保持する閣下の艦隊を危険な海域に投入して万が一戦力が漸減されてしまったとしたら中国本土の守りが手薄になります。今回同じように広大な国土を持つロシア海軍にも同じように傍観の姿勢をお願いしているのはそのためです」
「ま、俺達は出ても構わんのだが彼女の言う事にも一理あると思って今回は要求を受け入れた。それにウラジオストクからソロモンでは補給なしではちと遠いしな」大きな体を椅子二つにもたれかからせたルスランが武人の余裕で諭すように言う、だが何よりも体面やメンツにこだわる楊は忠告には耳をかさずに食い下がる。
「君のその目線が我が海軍にとって大きなお世話だという事が理解できんかね? 君の物言いは私たちを心配しているように見えて実は見下しているという事に」
会場に漂い始めた不穏な空気は瞬く間に隅々にまで伝播して各国がひたすらに押し隠していたそれぞれの旗色というものを鮮明にした。持つ者と持たざる者の間に存在していた小さな深い溝、それは楊の一言をきっかけにして大きく広がった。
「大国はいつもこれだ、そうやって自分達が優位に立つと何かに理由をつけて主導権をとりたがる。だが君たちのその行為がいつも世界に紛争と混乱を巻き起こして小さな国家が守ろうとする幸せを踏みにじってきたのだとどうして分からないのだ?」
ヴィシャル・ヴァルマインド海軍少将。今回奇しくも自分と同じ名を冠するヴィシャル級最新鋭正規空母を駆って参戦したインド海軍の誇る重鎮の一人で『ムサハ-ル』と呼ばれるカースト制度の中でも公には記載されないほど底辺に位置する身分からここまでのし上がってきた乱世の奸雄である。今回宗主国に敗れはしたものの中国・ロシアとともに人の持てる力のみで霧の脅威に対抗した数少ない名将として名高い。
「ヴァルマ少将、落ち着いてください。これは大国からの要請ではなくあくまで提案です、インド軍・中国軍の力を軽視している訳ではないのです。ただ今回遭遇した敵は大戦艦級を二隻も戦闘不能にしているほど強くて、しかも彼らの背後にまだ上位が存在する。その全貌を解明するために私達が先鋒となって当該海域の情報を収集するための封鎖を ―― 」
「だからなぜそれを貴艦が率先して推し進めようとしているのだという真意を私は問いただしているのだよ。建前ではなく、本音で」
「 ―― おっしゃっている事がよくわかりませんが」
楊の言葉にレキシントンの語気が変化した。さしもの歴戦艦もここまで自分達の好意を疑われては平常心に波風が立つ。「どういう意味でしょうか? 」
「君の国が今まで辿って来た歴史というものを読んだ事があるかね? 古くはベトナム戦争に始まってアフガニスタン紛争への介入、そしてイラク戦争と貴国は世界の警察を名乗って参戦・支援を行ったがその裏では鎮圧した後にもたらされる膨大な利権を目当てにしていたそうじゃないか。そのような下心を持って軍事行動を起こしてきた国から出された提案を誰がどのように信じろと言うのかね? 」
あまりの物言いに思わず腰を浮かせかけた群像の腕を隣に座る駒城がぐいっと引き戻した。「お前は出るな群像」「ですがっ ―― 」
抵抗するその腕を軍人の膂力で跳ね返す駒城はその様子を険しい横目で窘めた。「この騒ぎの原因はお前が立てた仮説にある、だが一民間会社を国家間の騒ぎの渦中に置く事を憂慮した米軍があえて火中の栗を拾う事を望んだんだ。ここでもしお前が出ていけば彼らの厚意とレキシントンの挺身全てを無駄にする事になる、それだけじゃない」
「今ここで対立している国の非難の矛先が蒼き艦隊だけではなくお前たちを抱えている日本にも向けられる事になる、事なかれ主義を気取る訳ではないがここは彼らの考えに従うしか、ない」
駒城の後を受けて言葉を繋いだ浦上だがその口元の髭が小刻みに震えている、どうしようもない怒りに身を焦がしているのはこの世界の姿を作り出そうと総旗艦に臨み志半ばで同胞の手によって殺害された翔像の想いまでも踏みにじられているからだ。だが今の彼の立場がその一言を放つ事を許さない。
「 ―― さっきから黙って聞いとりゃあカバチばぁたれやがって、おどれらが出てってもあんなラの餌にされるっちゅう事がなんでわからんのじゃ! ほうじゃけうちの神輿がそれ心配して前に出ちゃろう言うとンのになんならその口のきき方はっ!! 」
聞き覚えのある南部訛りと裂帛の殺気に思わず日米側の全員が驚いた。完全にブチ切れたアリゾナが椅子から立ち上がって戦慄の眼差しで睨みつける。「! アリゾナっ!? 」
「レキシントンはこの際黙っとってつかあぃ、ワシがこンならによお言い聞かせますけぇ …… おどれらが束になっても敵わんかった霧の大戦艦が二隻もやられた言うとるんじゃ。シナとインドのお偉いさんに聞くがのぉ、そんなン相手におどれらの
「こっ小娘の分際で生意気な口を利くんじゃないっ! 米海軍旗艦か何だか知らんがこれは高度に政治的な問題だ、戦争しか脳のない軍事カ●ワは黙って大人しく座ってろっ! 」
「ほお」今度はアリゾナの隣に座っていたニュージャージーがすっくと立ち上がって楊の方へと向き直った。「差別用語を駆使してまでの我が艦隊旗艦への暴言痛み入ります ―― で、旗艦? 」スカートの中へと手を差し込むアリゾナの隣で彼女は敵意を露わにした嗤いを浮かべた。「これはどう落とし前をつけさせます? いっそのこと奴の薄汚い頭の皮でも剥いで港の掲示板にでも張り出しますか? 」
「ちょっと二人ともやめなさいっ! 」だがレキシントンの静止にも関わらず一旦牙をむいた二人の怒りは収まらない、このままでは本当に血の惨劇になると踏んだタカオが慌てて傍にいるリシュリューとともに楊と二人の間に割り込んで壁になる。「ヒュウガっ、あんたも手を貸してよっ! 私たち二人じゃあ ―― 」
「行きたくってもいけないのよっ! こっちは浦上押さえるので手いっぱいなんだからっ! 」「ええっ!? 」
驚いたタカオが浦上の方を見ると顔を真っ赤にして全身を震わせる浦上の腿を隣のヒュウガが渾身の力で抑えている、メンタルモデルとはいえ大戦艦の圧力を跳ね返すこの男の怒りは相当なものだと彼女は歯を食いしばって耐え続ける。隣で阻止を諦めた駒城が浦上の耳元で「あなたは中将あなたは責任者あなたは日本の代表」と小声で呪文を繰り返してなんとかこの統制海軍の重鎮の特攻をとば口ギリギリで押さえていた。
「 …… どうして」
この大騒ぎを真顔で眺めていたイオナの口からか細く零れたその声に隣に座る群像と前に陣取った他のクルーは思わず振り返る、大粒の涙をぽろぽろと零しながら彼女はその先の言葉を口にする。
「 …… あたしは、こんな未来が欲しくて姉と妹を殺したんじゃ、ない」
* * *
総旗艦の系譜を受け継ぐ彼女の言葉にあわや全面戦争一歩手前の会場はしんと静まり返りイオナの零す小さな嗚咽だけが残される。自分達がこうして諍っていられるのも全ては彼女を始めとする蒼き艦隊のおかげ、救世の輩が告げる後悔にいたたまれなくなった群像は気まずさで押し黙ったままの楊とヴァルマを振り返って姿勢を正した。「楊中将、ヴァルマ少将。お話したい事があるのですがよろしいでしょうか? 」
自分達の代りに敢えて非難の的となる事を覚悟した群像の決意に気づいたレキシントンは慌てて彼を止めようとして声を失う。世界が諦めた敵を相手に正々堂々と闘いを挑んだその背中が語る不退転は何人たりとも寄せ付けない。
「自分は確かに自らの立てた仮説に基づきナノマテリアルがかつて第二次大戦中に戦没した多くの船から生み出されていると考え、その最も濃度の濃い場所の一つとしてソロモンにある鉄底海峡を選択しました。極秘裏に調査を行いその仮説を実証するために旗下の艦隊を派遣したのは紛れもない事実であります」
「 ―― 一民間企業がなんたる専横、その海域の安全保障を担当する我が国やソロモンの自治区にすらその旨を発信しなかった事は海洋法にも抵触する重大な協定違反だ」群像と話す事で少し落ち着きを取り戻した楊の言葉尻にも柔らかさが漂う、ヴァルマもここでは腕を組んだまま一人立ち上がって仲間の盾となる彼の勇気を見守っている。
「おっしゃる通りです、その事は蒼き艦隊代表としてお集まりいただいた各国の代表の方々にも謹んで陳謝いたします。ですがこの件を極秘裏に進めていたのはナノマテリアルの使用目的が限定的であり、しかもいまだにそのあらゆる事が謎に包まれた希少資源だからであります。最期の総旗艦命令によってアドミラリティ・コードが解除された多くの霧の船達は存在意義を見失っていまだに世界の海を徘徊しています。そしてその中でも自分で確固たる意志を持ち、人類に与する事にその意義を見出したメンタルモデル達が向後を憂う事なく私たちとともに未来を守ってくれる事を信じて自分はこのプロジェクトに着手しました」
「よろしい、見事でかつ大胆な模範回答だ。だが君はそこで大きな失念を犯している ―― それほど希少価値のある資源であればそこには経済的な概念が介入する、君はその鉱床が一体どれだけの資産として計上されるのかを試算した事があるのかね? 」
「埋蔵量が判明した訳ではないので正確には。ですが現在国家間で融通されるナノマテリアルの金額から換算しておよそ40兆ドル」
「4、0兆ドル? 」それはドイツのGDPの約10倍、国家予算規模でも断トツの一位を誇る金額だ。静まり返った会議場が息を吹き返したようにざわめきはじめる。人々の背後で動き始めた欲望の影、それに囚われた魂がどういう選択をするのかという事など群像は振動弾頭をお披露目した時から知っている。
「ですが自分はこの資源を決して私物化する事なく、あくまでメンタルモデルの活動目的に応じて保有国間での正当な取引にこそ使用される事を望んでいます。この試算はあくまで鉄底海峡を埋め尽くした沈没船の残骸が全てナノマテリアルに変換されたと想定しての金額で他にも鉱床が発見されればその埋蔵量に応じてレートは漸減します、決して皆さんが考えているほどうま味のある代物ではありません」
「うま味があるかどうかは君ではなくこちら側が決める事、私見など聞いてはおらん …… だが君からの説明を聞いてはっきりした事がある」楊はそう言うといやらしい顔を面相に張り付けてほくそ笑んだ。
「やはり資本主義など信用ならん、君たちの謳い文句などしょせん詭弁にすぎないと言う事がな」
「楊中将っ」これだけの事を打ち明けてもなおこちらの意見に耳を傾けてもらえなかったという事実は群像と日米側の顔色を残らず変えた。「どうかご理解ください、平時ならばともかく現在その海域は未確認かつ強大な敵の潜む本拠地と化しています。今そこに向けて何らかの作戦行動をとると言う事は悪戯に敵を刺激して不確定な事態を誘発しかねません、ぜひ私達にご協力を」
「ばかばかしい、君たちの利益を得るための手伝いをなぜ我々がしなくてはならないのだね? 各国に所属する軍隊は常に国益を目的として行動し、いかなる外圧であろうとも全力を持ってこれにあたるという暗黙の不文律がある。我が中国海軍は当然その本質に則り当該海域の治安を確保するために安全保障担当国としての責務を全うさせてもらう」
「とんだ茶番だばかばかしい、俺は帰るぞ。これ以上付き合っていられるか」ガタンと大きく椅子を鳴らして立ち上がったルスランは楊の顔を一瞥すると不機嫌そうには鼻白んで勢いよく踵を返した、配下の5人も彼ほどではないがいかにも呆れかえったといううすら笑いを浮かべながら後へと続く。「ど、どういう意味だルスラン中将っ! なにを茶番と」
「茶番だから茶番だと言ったまでだ、楊中将」出口の扉に手をかけて立ち止まったルスランが肩越しに楊の方へと振り返る。「安全保障担当? はっ、今の今まで黄海の奥で戦力を温存してきた奴らがよく言う。もしその話が全て本当だとしたらグンゾウの仮説はあんたの国がとっくの昔に見つけてしかるべき事案のはずだ、だが実際にはどうだ? 」辛らつな言葉を投げかけるルスランの周りで忍び笑いを漏らすライオンの群れ。
「あんたは自分が軽蔑している資本主義の尻馬に乗っかっておいしいとこ取りを狙ってるだけだ、おまけにあんたはこんなかわいい子を後悔させて泣かせた。世界を憂いて仲間を裏切り人類に与して死に物狂いで自分の長と戦ったいたいけな少女を、だ。我々にとってその尊い決意を称えこそすれ泣かすなど同じ武人のやる事とは到底思えん」
まるでイライラを沈めるかのように懐から煙草を取り出して口に咥えるルスラン、ドアマンの制止も聞かずに火をつけた彼は思いっきり一服した後半分にまで焼き縮んだそれを紫煙ごと掌で握りつぶしてから最大限の侮蔑を顔に貼りつけて止めの一撃を吐き捨てた。
「あんたがこれから何をしようと俺は知らん、勝手にするがいい。だがこれだけは言っておいてやる」それは遠目に見る群像にでもわかる圧倒的な威嚇だった。ルスランの目が精一杯虚勢を張ろうとする楊の自尊心を叩きつぶすように睨みつける。
「 ―― あまり、霧を舐めるな」