蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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Intelligent War

「あのさあ浦上」「 …… はい」

 両腕を組んで仁王立ちになったヒュウガの足元で正座したままうなだれる浦上は猛獣使いに叱られるサーカスのクマと言う図式がぴったりと当てはまる。「海幕補佐ともあろうあんたがそんな事でどうすンの? 被害者抱えた日本が真ん中に入って仲介役を務めなきゃって場面なのに一緒になってキレるとか ―― ルスラン中将が一刀両断でぶった切ってくれたからよかったもののもうちょっとでエラい事になるとこだったのよ? 」

「 …… 面目ない」

 

 ルスランの退場で物別れとなった全体会議、各々の国の幕僚はこの問題を自国へ持ち帰っての検討と言う形で解散と言う形に落ち着いたものの収まりがつかないのは主催した側の日米だ。特にその引き金を引いたアメリカ側の大戦艦姉妹、そして怒りに身を委ねて自分の立場もすっ飛んだ日本海軍幕僚に対しては身内から容赦のない叱責が待ち受けていた。

 壁一枚隔てた控室ではレキシントンが猛烈な剣幕で二人に雷を落としているのが聞こえる。旗艦の立場を譲った彼女 ―― いや譲ったからこそ今回の軽挙妄動がどうしても我慢がならなかったのだろう、メンタルモデル創世記に生まれた立場として先達の威厳をもって二人を叱り飛ばしていた。昔から彼女の人となりを知るイオナでもここまで激昂した姿は見た事がない。

「ニュージャージーはともかくとしてアリゾナっ! あなたは艦隊旗艦としての自覚がなさすぎっ! あなたの軽はずみな行動がどういう事になるかぐらいはわかるでしょうっ!? 」「「でも ―― 」」

「二人揃って「でも」じゃないっ! それといくら仲良くなったとしてもニュージャージーっ、暴走するアリゾナをあなたが煽ってどうするのっ!? もしあなたたちがあのまま突っ込んでいってタカオやリシュリューに傷でも負わせようものならこれはもう立派な国際問題よっ! 二人とももっと大戦艦級としての知性や忍耐を学びなさいっ! 今度コンゴウが来たら私が直々に彼女にそこのところを徹底的に指導教育してもらうからその心づもりをしておきなさい、分かったっ!? 」

「「 …… はぃ」」

「こえがちいさーいっっ!! 」

 

 懺悔部屋と化した控室の様子を知ることはできないが壁の存在をなかった事にするほどの声の大きさはレキシントンの怒りの大きさを物語る、自分達が怒られている訳でもないのについ反射的に首をすくめる群像達は部屋の隅に設けられた避難所がわりのソファでテーブルを取り囲みながらせめて見える範囲での様子へと目を向ける。

 ほぼエンドレスでくどくどと説教を続けるヒュウガと甘んじて受ける浦上の構図はとても身分や上下関係に則したものとは程遠い、見てはいけないものだが好奇心にも抗えずに様子を盗み見る401と駒城と真瑠璃だったがイオナだけはそんな二人の姿をまじまじとガン見しながらポツリと呟いた。

「ヒュウガ …… 嬉しそう? 」

 唐突に放たれたその言葉に出された飲み物を一斉に喉へと詰めてせき込む全員、だが同じ霧のタカオは彼女の言葉を受けて同じように視線を向けた。「ほんとだ、なんだろ? すっごく嬉しそう」

「いや二人とも、あれはどう見てもきっちり詰めてる最中にしか見えないでしょ? 」いおりの言葉に思わずうなづく面々、確かにいつもどんなピンチにもある程度は能天気 ―― いや余裕綽々で対応する彼女がそんな姿を一切おくびにも出さずに真剣に叱る様は、どこか不思議な感じはする。

「 …… 嬉しそう、ね。そうかどうかはわからんが」

 席の中央に陣取る駒城が不意に上げた声を隣の真瑠璃は違和感を持って耳にする、思わず向けたその目の先にある彼の顔はどこか懐かしそうだ。

「それにしてもあんなの何十年ぶりに見る景色だな …… ヒュウガの叱り方ってまるで中将の奥さんそのまんまだ」

 

 駒城が語る過去は401のクルーがこの世に生を受ける何年も前の話。

 まだ海技が士官学校ではなくただの海洋学校だった頃、駒城は入学したての学生で浦上は一等海尉へと昇進したてのバリバリの現役だった。だが当時の彼は今とは違って超タカ派の異端児であり、それが災いして周囲の仲間とのいざこざが絶えなかったそうだ。当時から騒がれていた正体不明の艦隊の暗躍に対して警鐘を鳴らす彼と事なかれを決め込む軍上層部と事あるごとに対立し、放言暴言による始末書自宅謹慎の類は数限りなし。

「俺ンちと中将の家は近所でな、共働きでいつもいない両親の代りに中将の奥さんがよく俺の面倒を見てくれてたんだ ―― で、そン頃の中将ってのがまーあこれがいろいろ何かとやらかす問題児だったらしくてたまーに謹慎処分なんか喰らってる時に俺が行くといっつも中将が畳の間に正座させられてて」

「それが今のヒュウガさんと中将の絵面に似てるんですね ―― あ、でも」口ごもる静の疑問はメンタルモデル以外のメンバーの表情を曇らせる。「 …… 呉、って」

 

 当時の海技は群像達も閲覧した事のある学校沿革に記されている通り横須賀ではなく呉、そこの鎮守府に隣接する形で存在していた。だがそれがなぜ横須賀に移転したのかを知る者は軍関係者以外にはいない、群像達がその事実を知ったのはタカオが群像の写真を収めるために海技に潜り込んでアーカイブを閲覧した時だった。

「今はもう海の中だ、海面上昇のあおりと霧の第一次侵攻に巻き込まれたあの港町は呉の鎮守府と一緒に消えちまった」

 最終防衛線を突破した霧の艦隊の目的は各国の海軍力の徹底的な破壊にあった。特に自分達に対して直接的な脅威となりうる外洋海軍力(ブルーウォーター)を保持する日米英に対する攻撃は凄まじくありとあらゆる軍港は一日にして壊滅の憂き目にあう。佐世保・横須賀・舞鶴そして呉、鎮守府の置かれた各管区の司令部は文字通り隣接する町ごと焼き払われたのだ。

「俺の両親と中将の奥さんはその攻撃に巻きこまれて死んだ。中将はその時たまたま中央の会議で東京に呼ばれててな ―― 慌てて帰って来たけどとっくの昔に状況は終了。骨も拾えなかったそうだ」

 

「いまでも …… あたしたちが憎い? 」チクリと刺す胸の奥の棘は群像と一緒に両親に墓参りに訪れた墓地で見た、誰か身内を失って泣き崩れる女性を見て以来の痛みだ。今は味方とはいえ同胞がしでかした罪の大きさを彼女は恐らくいつまでも忘れる事はない、それは霧とは違って終わりがある彼らがこの世からいなくなってしまっても、だ。

 恐る恐る尋ねるイオナと伏し目がちな視線を送るタカオだがそれに対して駒城は自分の迂闊さにバツが悪そうな笑顔で応えた。「人類には都合のいい言葉があってね、「昨日の敵は今日の友」っていう …… 憎いって思ってたとしたらこうして同じ所にいる訳がないじゃないか、俺達が憎むのは自分達に危害を与えようとする存在に対してのみであって自分達に力を貸してくれる誰かに対してじゃない。俺も中将も家族を失くしちまった事は辛いけどイオナちゃんやタカオやヒュウガが来てくれたのは、きっと死んだ家族達が自分達の代わりにみんなを呼んでくれたんだと思ってるよ」

「それはとても非論理的な考え、私は総旗艦の声に従っただけ …… でも」演算回路としてのイオナにその答えは理解の範疇を越えるのだろう、だが顔を上げて駒城を見る彼女に瞳にはありありとした確信がある。「今は、なんとなくわかる」

「そう。その『何となく』っていう感覚が生き延びるために最も大事なんだ、昔の人も言ってたもんさ「かんがえるな、感じろ」ってね」

「二佐、それっていつも見てる映画のセリフじゃないですか? 」真瑠璃に突っ込まれて思わず破顔爆笑する駒城につられてそこに集う一同が一斉に笑い声を上げる、場を和ませる効果は彼の人柄からであり、その雰囲気に毒気を抜かれたヒュウガはハア、とため息をついて懺悔のお開きを迷える羊と化した浦上に伝えた。

 つかつかと歩み寄ってくるヒュウガの影で小さく手を合わせる浦上に密かに親指を立てて答える駒城を見ているとどっちが階級が上なのか分からなくなる、だが互いに助け合うこの二人の関係が尊敬へと繋がって白鯨Ⅲの推進力となっている事を群像は知っている。離れた距離での狡猾な連係プレイに戦略と戦術の重要性を垣間見るほどだ。

「やってくれンじゃないの駒城ニ佐、ちょうど説教を収めるにはばっちりのタイミングだったわ腹立たしいったらありゃしない」ドッカとソファに座りこむなり手元のオレンジジュースを一気飲みするヒュウガにまくし立てられた仕掛け人は苦笑いを浮かべてどうも、と呟く。

「とりあえず今回なんとか全体を押さえてくれたルスラン中将にはちゃんと頭を下げに行かないとね」隣によっこらしょと腰掛ける浦上を横目で睨んだヒュウガの言葉に彼は小さく頷いた。「うむ、ルスランには俺の言いたい事を代弁してもらった事だし出港前に挨拶だけはしておかないとな」

「 …… ル、スラン? 敬称略ですか? 」驚いて尋ねる僧や401のメンバーは全員彼と面識がある。北極海へと向かう際に補給に立ち寄ったウラジオストクで埠頭まで直々に出迎えた人物が彼だった、言葉にするなら威風堂々を体現するその姿に伝説の数々をよく知る彼らは思わず気押されてしまったものだ。

「階級は同じ中将、なにを臆する事がある? それに奴とは昔からの知り合いだ ―― ちと無理なお願いもしなきゃならんしな」

「今から …… 会いに? 」どことなく怯えた顔のイオナは珍しい、怪訝そうに見る浦上に群像が代わりに答えた。

「イオナは中将がちょっと苦手なんです」

 

               *               *               *

 

「オオっ、イオーナっ!! 」

 出港準備の打ち合わせをノンナとしていたルスランがイオナの姿を見つけるなり歓喜の大声を上げて走り出す、微笑む彼女を背に一目散に近寄って来た彼はいきなりイオナを抱きかかえるとあっという間に持ちあげた。「ウラジオストクの港で会って以来、こうやって抱き上げるのもずいぶん久しぶりだっ! どうだ気分は、さっきの事で落ち込んでないか? あんな奴の言う事なんざこれっぽっちも気にしなくていい、世界の全部が敵に回ったって俺だけは絶対イオーナの味方だからなっ! 」

 大きな体に抱きかかえられてクルクルと回るその様はまるでおもちゃだ、彼にとっての彼女の存在は成した功績など関係のない、ただの可愛い少女らしい。はは、と苦笑いを浮かべたままなすがままにされるその光景を少し離れたところで眺めていた浦上は思わず隣の群像に小声で尋ねた。「 …… 霧の身体能力ならあんなおっさんの突進、ひょいって躱せるんじゃないのか? 」

「聞こえてるぞ浦上ィ、だーれが「おっさん」だ? そりゃもちろん俺の事が大好きだからに決まってるっ! なあ、イオーナっ。今日はどうしてこんなことまできた? 何か欲しい物でもあるのか、俺に出来る事ならイオーナのために何でもしてやるぞっ!? 我が敬愛たる過去のロシアの偉人に誓ってもだっ! 」

 そろそろスキンシップにきつくなってきたイオナが一生懸命ルスランの額を押してなんとか引き剥がそうと試みるが強烈な膂力が彼女を捉えて離さない、無人兵器を一撃で粉砕し群像をビンタ一発で気を失わせたその力がこの大男の前ではまるで通じない。明らかにパトロン風情のセリフ回しが出た所で後ろから歩み寄ってきたノンナが笑いながら言った。「閣下、お気持ちはわかりますがほどほどにしないと若い女の子からは嫌われますよ? 」

「おお、そうだったそうだった。ウラジオストクの後もそう言われたんだっけな」彼女の忠告を聞いた大男が名残惜しそうにイオナを地面へと下ろすと破顔したままで群像へと手を差し伸べた。「お前もだグンゾウ、さっきの堂々とした態度といいウラジオストクの頃とはずいぶん見違えた …… そういや少し背も伸びたのか? 」

「そう見えるのは閣下が少し縮んだからではないですか? 」手を握ってイオナをいたぶられたせめてもの仕返しを試みると彼はニヤリと笑った。「その物言い、ますます親父に似てきたな。だがいいぞ、気にいった。海軍はそうでなくてはな」

 いや民間会社なんですけどと心の中で突っ込みを入れながら辺りを見回すといつの間にか旗下の幕僚とホノルル港湾局の警備員が勢ぞろいだ、取り囲んだ人垣を一瞥しながら彼は言った。「蒼き艦隊中核メンバー全て引き連れての来訪だ、どうせただの旧交を温めるなんて話じゃないんだろう? ここでは人目がありすぎて落ち着かん、そっちの都合が悪くないなら艦内で話をしよう。その方が我が国自慢のお茶もふんだんに用意できるしな」

 

 蒼き艦隊からは群像とイオナ、そしてヒュウガとタカオ。それに浦上と駒城を加えた六人が食堂へと通された。できる船と言うのは掃除が生き届いているという昔からの言い伝えの通りK-581『ウラジオストク』の艦内は実に清潔で塵一つ見当たらない、攻撃型潜水艦としては比較的広い通路を歩いて食堂へと足を踏み入れた時一同は思いがけない人物の姿を目にして思わず足を止めた。

「 …… ヴァルマ、少将? 」すでに椅子に腰かけてカップの紅茶を嗜んでいた彼は蒼き艦隊の幕僚の姿を見てよっ、と軽く手を上げた。いささか無作法にも思えるが整った顔立ちに浅黒い肌の色はそれを感じさせない優雅さがある。

「奴とは茶飲み友達でな、たまにこうしてあった時なんかに国のお茶を融通してもらってる」「お茶はやっぱりインドが一番、ですがこうやってジャムを入れたりウォトカを入れて呑むのも悪くない。啓蒙を開いてくれた閣下に感謝です」

 呆気に取られながらも会合の目的に自分達と反対の立場を取ろうとした国の代表を交えるのかどうかを躊躇した群像達だが、その機先を制するかのようにルスランが言った。「少将、どうやら君の読みはあながち間違っていなかったようだ。こうして彼らが訪れた所を見ると」

「まあ楊中将のアレを見る限りでは、そうでしょうね」そう言うと彼はカップを手にゆっくりと立ち上がって群像達に席を勧めた。

 

「なるほど、兵站ねえ」 

 群像から蒼き艦隊なりの状況分析の結論を打ち明けられた時ルスランが漏らした呟きがそれだった。ヒュウガのラップトップに表示された戦闘データや詳細な状況を聞くだけでその疑問にたどり着く所がこの御人の恐ろしい所だ。幾度も霧の艦隊と戦った事のある彼はその中からある奇妙な事実をピックアップした。

「敵の兵装が全部が全部浸食弾頭じゃない、特に魚雷艇から放たれた魚雷は速度・破壊力ともMk44によく似ている ―― ナノマテリアルから造られた霧の船なら装備するのは全弾浸食弾頭搭載型のはずなんだがな」

「つまり彼らも今の霧の艦隊同様どこからかの国の支援を受けている、しかも西側の兵器を」推理の結論を締めたヴァルマが形のいい眉をしかめながらカップの紅茶を啜った。「 …… 八十億いた人類が今やたったの二十億足らず、それもその大半は海から遠く離れた内陸部に住んでいた人たちが主だ。俗な言い方だがこういう時にこそ生き残った人たちが力を合わせて世界のあるべき姿を造り変えなきゃいけないってのに」

「だが少将、理想と現実とは天と地ほどの差がある。世界のあるべき姿を造り変える事をよしとせず、世界のあるべき姿を取り戻そうとする連中もこの期に及んで少なからず存在すると言う事だ。いつの時代も既得権益という猛毒に冒された輩がな …… で浦上。お前達の立てた戦略は? まあ聞かなくても大体予想はつくが ―― 」

「国家か企業かは現時点ではわからんがここはまず奴らのバックを突きとめる必要がある。日本の内調(内閣調査室)には上陰次官補を通じてすでに調査を依頼しているし英国のMI6(秘密情報部)にも依頼する予定なんだが、どちらも海外調査に向けて割ける人員は限られている。しかも敵の懐に飛び込むともなるとその国の軍隊が相手になるかもしれん」

「威力偵察が可能な諜報部署 …… SVR(対外情報庁)のザスローン、か」

 第一総局に置かれた非公式の特殊部隊を動かすと言う事はすなわち大統領令が必要になると言う事、さすがの救国の英雄もこの難題には思わず眉を潜めて黙りこむ。

「それをロシアに持ちかけると言う事は我が国が敵視を止めないアメリカも同等の部隊が出動すると言う事ですか? 」

「すでに太平洋艦隊司令部がワシントンにCIA(中央情報局)の作戦行動を要請した、受理されればSOG(特殊作戦グループ)がただちに移動を始めるだろう」

 東西陣営関係なくこれだけの名だたる諜報機関が一同に会しての作戦行動など例を見ない、それだけの人員が集まれば一国が隠し通せる秘密などないにも等しいとヴァルマは思う。しかし、だ。「さっきの会合の話の流れからすると敵が本格的に動き始めるのにそれほど時間はないようにも思われますが、いかにこれだけの戦力を使ってもなにもない所から調査を始めるとなれば手遅れになる可能性もあります …… その辺りの見当はもうついているのでしょうね? 」

「英雄王ポロスの再来と謳われるのはどうやら眉唾ではないようね …… さて、旗色も定かじゃない人にどこまでしゃべっていいものか」

「これは手厳しい、さすがは蒼き艦隊の総参謀 …… 分かりました、我が国もその件に一枚噛みましょう」ヒュウガの駆け引きに乗った彼は人懐っこい笑顔を見せて頷いた。「出動させる虎の子のRAW(調査分析局)と引き換えにぜひともお教えいただけますか? 」

 

「さっきの会合で気になった点が二つ」

 会場内を捉える監視カメラの分割映像を次々にラップトップへと表示しながらヒュウガは説明を始めた。「このシーンは少将が立ちあがって意見を述べた時の会場の様子を捉えたものです。各国の代表が ―― つまりメンタルモデルを持たない国々の代表が一斉に少将の援護に回ってシュプレヒコールを始めた瞬間 …… ここです」

 映像を一時停止してそのスナップだけを画面へと表示する。「大勢が立ち上がる中この一角だけがなぜか大人しく席に座って様子を見守っている ―― というより」

「何かに脅えているようにも見える」率直に意見を述べるルスランに彼女は頷いた。「ここに座っていたのはフィリピン・インドネシア連合海軍の方々。私たちの提案に対して最も利害を被るであろう彼らがなぜこの時沈黙を守ったままでいたのか ―― 海面上昇でソロモン諸島の多くが海面下に没して自治権は崩壊したまま、本来であれば中国より距離の近い彼らが声高に鉄底海峡の権利を主張してもおかしくない話でした」

「それは国力の差によるものじゃないでしょうか? 二国と中国との戦力差はかなり開きがある、悪戯に事を構えた所で黄海艦隊が出動すれば空母も持たない彼らに勝ち目はない」「ならばあの瞬間彼らは中国と同じ立場で発言するべきでした、現政権は親中派。むしろ発言しない方がおかしい」

「まさか …… とは思いますが」

 行動の真意を掴みかねる一同の中で不意に呟く群像の声は何かの予言のようにも聞こえる、思わず耳を傾けた全員はその後に続いた彼の言葉に思わず目を見開く羽目になる。

「インドネシア政府もフィリピン政府も彼らが鉄底海峡を根城にする事を容認して …… いた? 」

 

 そんな事があるはずがないというのは誰もが持つ人の良心への願望であり、もしかしたらと思うのは人の持つ欲望が築き上げてきた負の遺産。それでも後者の可能性から目を背けようとする彼らに突きつけられる群像の過去歴から導き出される分析。「北極海でムサシと会敵する直前にイオナが海底に広く展開する霧のプラントを探知しました、彼女がそうであるように浸食弾頭などの兵装類はそれぞれのコアが保持する再生能力等で復元補充が可能なのですが一隻の霧の船を一から作り上げるためには大量のナノマテリアルへのイニシャライズの刻印が必要になります。彼らが艦隊を構成するためにはどうしてもそのプラント ―― すなわち場所が必要になるはずです」

「つまり君たちが遭遇した膨大な数の魚雷艇を生み出されたのはそれと同規模のプラントの存在によるものと …… 確かに話の辻褄は合いそうだがいくらソロモンの自治権が崩壊しているとはいえそれだけの物をこっそりと作る事なんてできるのか? 」

「プラントを作るためにはかなり大勢の軽巡と資材が必要、だからこっそりというのは無理。でもそれがもしそこにあるというのならかなり前からその周辺に人を寄せ付けないような工作をしていたのだと思う」ヴァルマの質問にイオナが答えてルスランが背後に控えるノンナへと目くばせする、彼女はすぐに母国にあるスーパーコンピューターへと回線を繋いでありとあらゆるデータから当該海域に関する情報を抜き出して解析を始める。もちろんそれと同じ事はすでにヒュウガも解析は終わってはいたのだが。

「 …… 閣下、これを」いくつかのデータをタブレットへと映した彼女が深刻な表情でルスランへと渡すとそれを見た彼は眉をしかめて呟いた。

「 …… アルゼンチン、海軍 ―― だと? 」

 

 アルゼンチン海軍。

 第二次大戦時には独ソと同様の海軍力を誇り、長きにわたり中立を保つ事でその戦力を維持していた彼の国が突然の没落へと至ったのは1982年に勃発したフォークランド紛争によるものだった。空母二隻を擁して南米大陸南端に位置する島の領有権を主張したアルゼンチンは同島の実効支配を画策して領有権を主張するイギリスと大規模な海戦へと踏み切った、結果艦船の損害こそ軽微だったものの多くの航空兵力と国民からの信用を失った軍事政権は崩壊して民政への移管を求めた国民がその手に成果を得る事は果たされないまま長き雌伏の時を過ごしていた。

 だが霧によって全世界の海洋封鎖が始まった時、地政学的にすべての主要国から距離を置いていた彼の国に政治的な変化が起こった。交易ルートの遮断によって始まった社会経済の衰退は文民支配の民主主義から軍部主導の武官政治を再び蘇らせ、生き残りの道を模索したアルゼンチンは民衆の反乱の鎮圧のためにその勢いを加速させる。そしてファシズムとも言えるアルゼンチンの方向転換は内陸部にて保全された農業と世界有数の埋蔵量を誇る鉄鋼・金属資源に支えられて、表向きは世界経済の発展に協力するという施政方針演説を謳いながら独裁国家運営を推進するという歪な政治が彼の国を牛耳っていた。

「現在オーストラリア海軍の代わりに南太平洋のシーレーン護衛はフィリピン・インドシナ政府の仲介を経てほぼアルゼンチン海軍が担っています、がオーストラリア軍のエシュロンに確認したところ当該海域でのはぐれ艦隊からの被害は確認されておりません。今回のリムパックに参加した事や情報提供という観点からオーストラリアはこの件に関して何の関与もしていない可能性が高いと判断できますが ―― 」

「なるほど、不自然だな。オーストラリアを挟んで反対側の海域では猛烈な被害が出ているのに …… それに今回リムパックに彼の国の海軍が参加していないのは参加打診に関して何のアクションも起こしていない、んじゃないか? ―― いろいろな状況証拠を合わせると疑わしいというわけか」

 それはヴァルマが参加して各国の顔ぶれを見回してみた時に得た素朴な疑問の解でもあった、霧との戦いが一応の終結を見た現在でも沿岸警備力の強化を名目に様々な国から艦艇を買い付けているアルゼンチンの噂を耳にして首を捻っていた所なのだ。

「とはいえまだアルゼンチンが本命と決まった訳ではない、だが独裁国家なので外部へと漏れる情報は恐ろしく少なくてな。それにもしかしたらアルゼンチンだけじゃなくその周辺国まで協力しているという可能性も残っている、ゆえに今使えるだけの諜報機関を南米地域に投入するというのがこの作戦の大まかな概要だ」

「もし本命だとしたら相手になるのは陸軍コマンド-部隊 …… あの国の特殊部隊を調教したのはお前達西側なんだがな? 」膨れ上がる難易度にルスランは大きくため息をついて皮肉交じりの愚痴をこぼす。いくら世界中の諜報機関をかき集めてとはいえ信用できる国はほんのわずかだ、その限られた人数で確たる証拠を掴むには南米大陸はあまりに広大だ。それに戦闘にまで事態が発展したなら徹底的に訓練を受けた軍の特殊部隊に諜報機関の部員が勝てるわけがない。

「お前の言わんとすることも分かる、だがこれはもう彼女達も知らない人の闇の部分の戦いなんだ。もし霧が奴らと手を組んでいたとしたら彼女達には彼女達にしかできない役割があり、俺達は彼女達にできない事をやらなきゃいけない。そのためには出来る限りの事をして彼女達をこれ以上失望させないようにしなきゃならないんだ …… これはここだけの話だがアルゼンチンにはモサドのツォメト(諜報活動専門の部隊)が行く、すでに米大統領の親書がイスラエルに向かっているはずだ」

 その名を聞いて驚かない者は軍という物を知る関係者の中には誰一人としていない。かつて第二次大戦終了後に大勢の同胞を殺した罪を償わせるために遥々アルゼンチンにまで飛んでナチス・ドイツの残党を狩り出した世界最大最強の諜報組織、この地上で息をする限り絶対に逃れられないと恐れられた別名『ソロモンの箴言(ミシレイ)』。

「なるほど、よく分かった」

 今までの逡巡はどこへやら、表情全体に覚悟という名の意志を張り付けたルスランが力強くそう告げて一つ頷いた。「この件に関して貴様たちがどれだけの覚悟で臨んでいるのか、そしてどれだけのリスクを背負って臨もうとしているのかよく分かった。SVRの件は俺の一存ではどうにもならんがせめて米大統領との電話会談が実現できるくらいの橋渡しはして見せよう …… さっきのセリフは響いたぞ、浦上」

 望みを聞きいれられた事で思わず破顔する蒼の艦隊のメンバーにルスランとヴァルマが同時にニヤリと笑った。「そうですね。私の国もロシアにもメンタルモデルはいませんがもしかしたらこれから参加を検討してもらえるかもしれない、将来海軍に参加してくれる彼女達に心から信じてもらえるようにあるべき背中を見せつけなければ」

 

 固い握手を交わす四人を見てほっと胸を撫で下ろす群像とイオナ、あの会議で紛糾した時にはそれこそ自分の努力が無駄だったんじゃないかという絶望感に駆られたがルスランとヴァルマの協力は少なくとも正体不明の敵に翻弄される現状を打破するための貴重な一歩になりうる。群像だけじゃなく人という存在は決して何かに仇成す者じゃなくもっと尊い存在なのだとイオナは一緒に席につくタカオとヒュウガへと微笑みを向けた。

「さて、これで非公式ではあるが協力関係が確認できたところで …… ヒュウガくん、もう一つの懸念材料とは? 」

 ルスランから水を向けられた彼女ははっと現実へと戻って手の中のラップトップを操作し始める、いくつかのデータをスワイプで画面の外へと弾き伸ばした後にお目当ての物を探り当てた彼女はより深刻な面持ちでその画面を差し出した。

「実はこの映像はホテルの防犯カメラから拝借してきたものなのですが」

 彼女が差し出した液晶画面には会合が行われている宴会場に設置された防犯カメラの映像が四分割で表示されている、ヒュウガはその中から一つの画面をタップすると指でピンチして全画面表示にして言った。

「 …… この壁際で控えている女性 ―― コンパニオンの事です」

 

 大勢の人が集まった宴会場では参加者から様々な要求がホテル側へと向けられる、その中には当然飲み物や雑用関連の物が多くホテル側としてもその要望に対応するために会場内に大勢のスタッフを配置していた。もちろん会議の内容は絶対に外へと漏れないように全員に緘口令が敷かれ、中でサービスを行うスタッフは事前に身元や身辺の調査を受けて完全に『消毒』を確認された人物に厳選される。

「太平洋艦隊司令部はこの会合を開く前に中でサービスを担当するスタッフの性別を『役職つきの男性』に限る、と指示しました。というのも霧のメンタルモデルはぱっと見人との区別がつかないのですが基本的に女性ですので。霧に関しての会合でしたのでここでの話が外部に漏れたら他所で活動を続けている他のメンタルモデルにも何らかの影響があるかもしれない、そう考えて外部からのコミットを遮断したはずでした」

「つまりはこの会議の間にリムパックに登録された女性以外が侵入する事はあり得ない ―― ふむ」ルスランが画面を近づけて目を凝らすと黒服に身を固めたその人影は確かに女性と思われる。顔形ははっきりと判別はできないが長い髪を両側で編み込んだ華奢なシルエットは男性と呼ぶには頼りない。

「いやそれはもしかしたらホテル側の不手際で事情を知らない職員が紛れ込んでしまったとか ―― 」

「あなたそれ、松代の統合作戦本部内に一般人が紛れ込んだんじゃないかって言ってるのと同じよ? それほど厳重に管理された場所に絶対にオミットされた女性が紛れ込むなんてまずあり得ないし、もしそうならこのホテルはアメリカ政府やらなにやらから一流ホテル失格の烙印を押されるわ。それに彼女の顔形を精細化してホテルの職員データと照合してみたけど該当従業員はヒットせず ―― さあ浦上はこの事実をどう説明する? 」

 

「 …… 閣下」

 ヒュウガに詰め寄られてほとほと困り果てている浦上の耳へと飛び込んできたのはいかにも何かの事態へと対処を始めたノンナの声だった。思わず目を向けた彼の先でルスランへと耳打ちをする彼女の言葉は早口でよく聞き取れない。だが彼女が顔を離した時に彼は不思議そうな表情でもう一度ラップトップの画面を見つめ、普段なら絶対しないであろう行動をとった。誰にも断らずに懐へと手を伸ばして煙草を取り出して火をつける、彼がそういう態度をとる時は非常に差し迫った事態に直面しているのだと知っている幹部連中は思わず立ち上がって指示待ちの体勢へと移行する。

「 …… 両側で髪を編み込んだ正体不明の女性 ―― もしかしたらその正体が分かるかも知れんぞ? 」

 煙草を一口吸ったルスランが懐から携帯灰皿を取り出して火口を揉み消すと室内の空気清浄機能が運転を始めて残煙が天井へと吸い込まれる、落ち着きを取り戻した彼は上目遣いに浦上を見つめてボソリ、と告げた。「貴様に面会、だそうだ …… ここへ来る事を艦隊以外の人間の誰かに喋った記憶は? 」

「いや、ここへは宴会場で米海軍と別れてすぐに来たからな。401のクルー以外は誰も知らないはずだ」

「ならば最大限の用心をしながら彼女を出迎えなければな …… もしかしたらお嬢さん方の力も借りる羽目になるかもしれない、世話をかけるがよろしく頼む」そう言うとルスランは直立不動で待機する幕僚の二人に目で合図する。腰のトカレフに手を添えたまま廊下へと消える二人の姿へと視線を送りながらルスランは言った。

「面会者は日本国の内調職員を名乗っていてな、今回の件に関して上陰次官補と北幹事長の双方から書簡を預かっているそうだ …… 一瞬追い返そうとも思ったのだがノンナから彼女の(なり)を聞いてな、ちょっと気が変わった」

「内調、ですって? まさか。この話を浦上にしてまだ一晩しか経ってないのに」スイートルームでのホームルームの後に浦上へと依頼した事を受諾したとしてもすぐに人員を手配するとはどれだけ彼の危機管理能力は優れているのだろう。しかしもしかしたら本当に他の霧のメンタルモデルが関与してきたのかもしれない、と心の中で警鐘を鳴らし始める三人の緊張はルスランの次の一言で一気に増大した。

「この女性 …… いや警備の話によるとどうもまだ二十歳にも満たない少女らしい、見た目はイオーナとそう変わらんらしいぞ? 」

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