蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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When one door shuts another opens.

 柔らかな日差しと穏やかな波の音を聞きながらその老婦人はガーデンチェアに腰を下ろして眼の前へと置かれたティーカップを取り上げる、世界を襲った未曾有の大災害によって遂にその歴史の幕を閉じたイギリスの名陶ウェッジウッドが残した薄くて軽いボーンチャイナは華やかな意匠をその周囲に纏ったまま色褪せずに年の割には艶やかな唇を彩る。メルローズの『クイーンズダージリン』の香りをじっくりと楽しんだ彼女はゆっくりと歩み寄ってくる二つの気配にほんのりと笑いながら穏やかに言った。

「いらっしゃい千早君、イオナちゃんも」

「お久しぶりです四天首相」「 ―― 桃花」

 嬉しそうに駆け寄るイオナを見た彼女が両手を広げるとすかさずイオナがその中へと飛び込む。他のメンタルモデルが蛇蝎のごとく彼女を忌避するのに反してイオナだけはこの老婦人の事をひどく気に入っている、銀色の髪を撫でられて嬉しそうに笑う様はまるで里帰りで祖母に会った孫のようだ。

「わざわざごめんなさいね、こんな所にまで呼びつけて ―― でも元気そうで何よりだわ。リムパックの話を耳にしたので少し気にはしていたのだけど …… イオナちゃんはもう大丈夫なの? 」

「うん、もうすっかり元どおりに治った。群像のおかげ」

 あらそう、よかったわねと言いながら猫のようにイオナを撫でる彼女と背後にある洋館へと目を向けながらそののどかな光景に目を細めた。「しかしまさかこの場所がまだ残っていたとは驚きです、海面上昇の影響でてっきり沈んだものだと思ってましたが」

 

 グラバー邸。

 古くは江戸時代、安政6年に建てられたトーマス・グラバーを主とする歴史的建造物である。木造洋風建築の祖として居留地にあてがわれたこの地にこの建物を築いた彼は貿易商人という立場でありながら明治時代の日本の近代化という大役の一翼を担い、大阪造幣局やキリンビールの創設という大業を成し遂げて明治の終わりとともにこの異国の地で客死を迎えた。以降この建物はたった一度の改修工事を経て当時の面影のまま長崎湾を臨むこの丘の上で過ごしている。

「なんとかね。他の建物もすっかり海に取り囲まれてしまってもう人の行き来もほとんどないのだけれど、これはこれで私はとても気に入ってるの。何か考え事をしたり隠し事をしたりするのに、ね」にっこりと笑って向かいの席を進める彼女の勧めに応じて群像とイオナは席に着く。

「お茶は私と同じ物でもいい? すぐに用意させるからちょっと待っててちょうだい …… ところで船は見てもらえた? 」彼女の問いかけに即座に無言で頷く二人、その先の答えを頬笑みで促す彼女にイオナが言った。

「あれは間違いなく霧の駆逐艦、シラツユ型二番艦『シグレ』」

 

               *               *               *

 

「 …… 迷い込んで? 彼女の判断にしては珍しいな。霧の船相手だとそういう時は確実に『皆殺し』(キルゼムオール)の方針なんだが ―― 扱いに困ってるのか? 」首を傾げる浦上と隣で微妙な表情を浮かべるヒュウガとタカオ、彼女の人となりを知るのは人間だけではなく攻め込もうとした元第二巡航艦隊にしても同様であった。第一次侵攻の後に鎮守府を立て直そうとする統制軍の動きを察知して何度も攻勢をかけた霧の艦隊だったが完全に壊滅した呉を除いた残りの三府のうち最も困難を極めた場所が、彼女が首長を務め始めた佐世保鎮守府を中心とするこの長崎一帯だった。太平洋戦争末期、沖縄方面より押し寄せる米軍の動きに呼応するようにその数を増やした陸海の軍事拠点は終結以降も一定の数を維持し続け、『南管区』と呼ばれる南西方面は自然の要害とも言える地形を利用してそれ以降の侵攻に頑強とも言える抵抗をし続けたのだ。

 内陸部に設置された太刀洗・筑後・黒石原・八代から放たれる地対艦ミサイルの飽和攻撃に加えて海面下に沈んだ端島に設置された機雷システムによって撃沈こそ免れたものの多くの軽巡以下の艦艇が中破以上の損害を受け、当時旗艦であったヒュウガは苦渋の退却命令を旗下の船に命じる羽目になった。演算処理も追いつかないほどの高密度の絨毯爆撃は ―― もちろん受けて立った側の日本統制軍も甚大な被害を被ったが ―― 決して霧の船が人の手に届かない無敵の存在ではないという事を内外に知らしめ、反間苦肉とも言える迎撃作戦の陣頭指揮に当たった四天桃花の名は畏怖と尊敬の念とともに全世界へと知れ渡り二十世紀より脈々と受け継がれている『鉄の女』の称号に最も近い女傑として各国の指導者からも一目置かれる存在になっていた。

「詳しい事は何も、ただ俺とイオナに来てくれとだけ …… ただ霧の船なので401だけで行くのは ―― 」

「あたしは行かない」「 …… あたしも」

 口を揃えて随伴を拒否するヒュウガとタカオを不思議そうに振り向くイオナ。「 …… どうして? 」

「こればっかりはいかにイオナ姉さまのお願いと申されましてもなにとぞご勘弁を。あの人間の傍に近寄れと言われましてもあたし、あ奴の半径20キロ圏内には一切踏み込まないと心に決めておりますので」

「401は知らないからだと思うけどあいつ、とんでもないわよ? きっとヘラヘラ笑いながら相手に刃物を突きたてるタイプなのよ、きっと」

 記憶のトラウマにカタカタと震えながら口々にそう告げる二人を前にそんなことないのにと呟くイオナ、一方で今だ人類が駆逐の目途も立たない戦力を単独で保持する霧の怯えっぷりを眺めた駒城が口端に上る人物の姿と武勇伝を思い浮かべてポツリと呟いた。「霧の大戦艦をして震え上がらせる四天桃花首長恐るべし、だな」

「言ってくれるけど駒城、あんたあいつのやり口を味わったことがないからそんな事が言えンのよ。狭い湾内に閉じ込められた後にものすごい数のミサイルが降ってきて一度やり直そうと思って外に出ようとしたらいきなり海底の廃墟から墳進機雷のつるべ打ちよ? 容赦の欠片も隙もないあんな酷い攻撃受けたら誰だって近寄りたいなんて思えなくなるっての」

 心外だと言わんばかりにまくしたてるヒュウガの説明にものすごい勢いで相槌を打つタカオの姿に苦笑いを浮かべてため息を吐く駒城。「じゃあ俺達がって言いたいところなんだがリムパックの報告をしなきゃならないからお供は無理だ、だがその人をして佐世保に受け入れてるってンならそれなりに根拠があるんだろう。リムパックでずいぶん無理したってこともあるし、ここは素直に南管区の誇る『長崎諸島』巡りってのもいいんじゃないか? 風光明美で骨休めにはとってもいい場所だぞ、あそこは」

 

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「そう …… 軍の関係者にそういう説明を受けてはいたのだけど。佐世保にその子が迷い込んできたというのもきっと何かの巡り合わせなのね、きっと」

『呉の雪風、佐世保の時雨』と評された二隻の幸運艦、最優秀武勲艦の栄誉に浴した雪風と彼の船を隔てたのは一本の魚雷だった。マレー半島で戦没した彼女がどういうわけかふらふらと五島列島沖に姿を現したとの報を受けて桃花はただちに全軍に対して迎撃命令を発令、緊張の高まる中構築された三層の単横陣を顧みず単独で突破を図った彼女は全軍からの一斉攻撃に対して目の覚めるような全弾回避を披露した。クラインフィールドも使わずに一線を突破しようとするシグレに対して艦隊司令は切り札とも言える振動弾頭の使用を桃花に打診、しかしそこで彼女は回避のために幾度も転進を繰り返すシグレが最後には必ず同じ方向へと舳先を向けている事に奇妙な違和感を覚える。一点を目指すシグレの前を塞ぐ形で第二次防衛線を引いた桃花はすぐに海上保安庁に在籍する巡視船『ほうおう』と『こうばい』を現地へと派遣、南管区最速を誇る二艦をいちかばちかの捨て駒扱いで説得に当たらせた。

 その時の光景はイオナが初めて横須賀沖に姿を現した時とよく似ていた、武装を封印した二艦からの説得に全兵装をロックという形で応じた彼女は数多の護衛艦のエスコートを受けて佐世保鎮守府への帰還を果たす。海没により烏帽子岳方面へと移設された新鎮守府の埠頭へと係留された彼女はその後一切の乗船調査をクラインフィールドで拒絶したままの状態で401の到着を迎えた。     

「もしかしたらと思って船体に直に触れてはみたのですが、彼女が探している物はどうやら別にあるようで何の反応もありませんでした。残念ですがイオナが中に入れない以上、これ以上の事は」

「でも近づいてみた感じでは拒まれている感じはなかった …… ごめん桃花、うまく表現できない」

「 ―― お、お待たせしました四天様、お客様に」

 

 声を聞いた途端に反射的に開くヘキサゴンシールドはメンタルモデルが持つ攻防一体のマルチタスク、イオナの領域へと足を踏み入れた未確認の異分子は対抗する間もなく一瞬で排除される定め。だが彼女が無意識で処理したはずのそのメイドはあろうことか空間移動ともとれる鮮やかな足さばきで一連の攻撃を躱しきると間合いのギリギリ外で金色の壁と対峙したまま目をぱちくりさせて言った。

「え、えっと …… ごめんなさい、驚かせるつもりは全然 ―― 」

 あれだけの激しい動きにも手の中のティーセットを落とすどころか崩すことなく支えているその少女は紛れもなくメンタルモデル以外の何物でもない、驚嘆と疑惑の視線に晒されたその少女は困惑した表情で群像とイオナと桃花の顔を代わる代わる見返した。

「彼女に今の所害がない事は私が保証するわ。まあちょっと ―― 」桃花が小さく頷いて仕事の再開を指示すると彼女はぎこちない仕草で足を踏み出すが、どういうわけかいきなり足を滑らせて手の中の物を空中へとぶちまけた。

「きゃあっ! 」

 あれだけの身のこなしを目の前で見せつけられた後での信じられない光景にびっくりする二人の目の前を舞う入手不可能な年代物のセットの数々、だがもっと驚いたのはメンタルモデルの反応速度を持っても至難とも思えるそれらの救助を目の前に座ったままの老婦人が担ったという事だった。あれよあれよという間に次々と手の中へと収まる什器の数々、最後に残ったティーポットに至っては日傘の柄で地面すれすれで受け止める妙技を見せた。まるでジャグラーのパフォーマンスを彷彿とさせる大道芸に対して思わず手を叩いてしまった二人に悪戯っぽく小さく頭を下げた桃花が笑った。

「おっちょこちょいな子ではあるのだけれど ―― 『シグレ』、こちらは『蒼き艦隊』の代表の千早群像君とイオナちゃん。ご挨拶なさい? 」

「は、はい …… 初めまして。シラツユ型二番艦シグレと申します。よろしくお願いします」

 最初に見せた警戒モードも桃花のパフォーマンスで毒気を抜かれたように消え失せた二人は無言で小さく頭を下げる、だがギャップに驚いたままの群像とは違ってイオナは霧の船ならではの絶対則に基づいて警戒を解いた訳ではない。それはメンタルモデルが成立するための条件によるものだった。

 軽巡級以下の小型艦は原則としてメンタルモデルを持てない、ただそれでもイオナとその姉妹を含めた400や402が存在した理由は彼女達が『総旗艦直轄』であったこと。その理屈で考えればシグレも総旗艦とは言わないまでも大戦艦からの命を受けて顕現している事は明白でレイサン島での紛争を後にしているだけにその何者かの影を彼女が警戒するのは当然の事だ。

「幸いなことにお茶は無事だったのだけれどカトラリーは新しいものを用意しなくてはね ―― シグレ、悪いけどもう一度キッチンから新しい物を持って来て頂ける? 」

 はいただいまとメイドらしい受け答えで踵を返し、建物の裏手へと遠ざかっていく背中をじっと見つめたまま意味深な言葉に引っかかりを覚えた群像が尋ねた。「 …… 今の所? 」

「そう、なぜなら彼女には記憶がないから」

 

 船から降りてくる少女を取り囲むように重機関銃を構える統制陸軍の兵士と五体の岩蟹が控える囲みの中へと足を踏み入れた桃花は迷子のような顔で見上げるそのメンタルモデルと対峙した。兵士達にはもし彼女が何かおかしな動きを見せたら自分に構わず一斉射撃を行うように通達してある、取り囲む銃口と緊張の中でシグレに対する彼女の取り調べは行われた。

「自分がどこでどうやって生まれたのか、どんな命令を受けていたのかすらわからない。ただ何もない海の上でどういうわけか佐世保のある方向だけはわかっていた」

「慣性航法機能は生き残っていた …… でも霧とは本来巨大な外部ストレージを保有する高性能の量子コンピューターと同義です、修復不可能な損傷を負わない限り記憶がなくなるなんて考えられない」

「兵器として生まれた私達が何かのアクションを起こすためには必ず外部からのコマンドが不可欠、佐世保を目指したのにはなにか理由があるはず」

 彼女がそこにいる事に対して次々と浮かび上がる疑問、難しい顔でその理由を模索する二人に桃花は穏やかに笑いながらその理由を口にする。

「帰らなきゃ、って思ったそうよ」

 霧も兵器も関係ない、そのあまりにも人然とした答えに群像とイオナはえ? と驚きを露わにした。「なんの記憶もない彼女の心にただ一つ残っていた佐世保の景色 …… 緑と色とりどりの花に囲まれた港とのどかな街並み、自分はそこに帰らなきゃいけない。なんとしてでも」

「前の記憶? ですか? でも霧と前時代との軍艦は形が似せてあるだけで全くの無関係なはずです、本当にそんな事が ―― 」なおも疑問符を綴る群像だったがその時イオナは以前に交わしたアリゾナとの会話を思い出して呟いた。「 …… 群像、あたしその話ハワイで聞いたことがある」

「え? 」

「レセプションの最中にアリゾナと話をした時に彼女は前の戦いで沈む瞬間までの記憶があると言っていた …… シグレも多分それと同じ」 

 前例があると言うだけでその不可思議な現象は現実味を帯び始める、元々霧の何たるかもはっきりしないまま共に戦い続ける群像にとって『そういう物』を一切合切まとめてのみ込む事など今更な話だ。「ただしアリゾナは大戦艦クラスでコアの容量的にメンタルモデルとして現界できる能力を持っているがシグレは駆逐艦だ、失くした記憶の中に彼女をここへと送り込もうとした誰かの意志はあると考えてもいいだろう」

「それを蒼き艦隊で見つけ出してほしいのよ」桃花が口にしたその頼みに群像の表情がかすかに変わった。

「少なくとも今の日本でメンタルモデルを所持している組織は千早君の所しかない、そして霧のユニオンコアを分析できるのは君の所のヒュウガだけ」

「シグレの失くした記憶をサルベージして彼女が佐世保を目指した真の目的を問い質す ―― ですが僕達を呼んだのはその手続きをするためだけではない」

 

 言葉にはできないが群像には桃花の提案に隠されたいくつもの理由が分かっていた。

 シグレを蒼き艦隊で保護することで同族との協調を目指す彼女がユニオンコアの分析に対して同意を示すかもしれない。国内最大規模の演算能力を誇る横須賀のスパコンに大戦艦ヒュウガ、そして米統制海軍の『ビッグブラザー』が同時並列で分析を始めれば駆逐艦のコアの内容など一瞬のうちに白日の下へと晒される。

 そして桃花が収めるこの南管区は一連の霧の攻撃に対して日本で最も頑強な抵抗を繰り広げた重要拠点、だがそれは上げた功績に比例するだけの大きな犠牲を払ったという事でもある。群像や浦上達と同じく肉親を失い住まいもなく、今も貧困にあえぐ大勢の人々がこの船を見たら胸中ただならぬものになるだろう。そのためには一刻も早く佐世保から他所へとシグレを移動させる必要がある。

 しかし。「万が一彼女の記憶に人類を害する類の物が隠されていたと分かった時に、その処理を我が艦隊に押しつけるおつもりですか? 」

 

 緩やかな海風がグラバー邸に咲き誇る花を微かに揺らして含んだ香りを三人の元へと届け、花いきれと呼ぶにふさわしいその空気も非情ともいえる桃花の下した決断に凍りついてしまいそうだ。だが帳のように三人を押し包む沈黙を破ったのはふと群像から背けた桃花の視線だった。そのはるか先で慣れない靴を履くのに悪戦苦闘しているシグレの姿がある。

「彼女達がまるで私達と同じ姿で現れた意味って …… 何かしらね」

 それは人間の体を極限まで再現した人工人体を生成し、それに意識を移すことによって人間の感覚と思考をトレース・その結果として人間的な思考や感覚 ―― そこから発展する戦術戦略理論を獲得しようとして作られたのだとイオナの証言が資料として残されている。「人の生き死にには必ず意味がある。役目を全うしたものは天からお迎えが降りて来て生を終え、そうでないものには必ず続きが待っている …… だからイオナちゃん達やシグレもきっともう一度生まれ変わった事にはきっと何か意味があると思っているの。人と変わらぬ容姿を与えられて人に関わるというのなら」

「生まれ変わった …… 意味? 」

 それはシグレだけではなくイオナにも突きつけられた命題だった、深刻な表情で目を伏せる彼女の横顔を群像は不思議に思った。「でも今のままではシグレは何も変わらない、もし彼女が背負う宿命が皆の幸せのために役立つならそれもよし。たとえ人を害する類のものであったとしても ―― 」

 

 彼女が浮かべた表情を群像とイオナは忘れる事ができなかった。

 頬笑みの中に浮かび上がる悲哀と憐憫、為政者としてそうあらねばならない自分と桃花個人が持つ感情の狭間で揺れ動く葛藤が現れたのかもしれない。まるでそれを薄めようとするかのように目を細めた彼女が言った。

「 ―― それが彼女の望みだというのなら、叶えてあげたい」

 

             *              *            *

 

「 …… 分かりました」

 噛みしめるように承諾を呟く群像を桃花が意外そうな表情で見つめる。「もし彼女の真の目的が人に害を与えるものであった時に四天首相の依頼が遂行できる出来るかどうかはわかりませんが …… シグレを蒼き艦隊でお預かりします」

「いいの? あなたはともかくイオナちゃんや他の子たちにも相当な負担を強いる事になるのだけれど」「自分は」

 桃花の言葉を遮る彼の口調は確信に満ちていた、その理由に気づいたイオナが穏やかに微笑む。「キリシマ達を助けにレイサン島へと赴く前、クルーにあなたと同じことを言いました」

「 …… ? 」

「自分は横須賀の海軍墓地でもう一度イオナと出会った時に心に誓いました。彼女は全てを捧げて自分の願いを叶えてくれた、だから今度は自分が彼女の望みを叶えてあげたい、と」

「うん」はにかみながら小さく頷く彼女はまるで人間のようだと桃花は思う。「メンタルモデル ―― いえ霧に対してそういう気持ちで接する人が彼女の素状に疑問を抱くとはどうしても思えないのです。四天首相が彼女を信じると言うのなら自分達もそれを信じます」

「もし彼女が私達を裏切ったとしたら? 」

「どうするかはその時決めます、ですが ―― 」

「群像はきっと彼女を諦めない」

 

 それは隣に座る群像が驚くほど力強い声だった。「群像は必ずシグレと桃花の願いを叶えてくれる ―― 群像だけじゃない。ヒュウガやタカオや蒔絵達、蒼き艦隊のみんなが彼女をきっと助ける。シグレがたとえ敵だったとしても」

「なぜ? 」

 

            *            *            *

 

 自分の選択に間違いはなかった。

 桃花は悔いばかりの残る自分の人生の終わる間際に初めて救いを得たような気がした。

 配属される先々で仲間を失い、いつも一人ぼっちで帰還を余儀なくされる彼女は陰陽の大家を一子相伝で継がなければならなかった自分だ。才能のある者は大勢いた、自分よりふさわしい者も何人もいた。でも命懸けの選別の過程で彼らは全て落命して自分だけがここにいる、生き残った事の理由づけなど何の確証もなく、ただ曖昧な想いだけに縋りついて自分の生きざまを肯定し続けるだけの日々。

 余生とも言える終焉までの道のりを過ごす日々の最中に佐世保の港で彼女を目にした瞬間に溢れる思い ―― 救いたい、と。

 

 救われたい、と。

 

 だがこの地を預かる者としてがんじがらめに縛られたパラダイムを覆す事などできない、それをするには自分はあまりにも大勢の人々を見殺しにしすぎた。霧とは未だに人類の敵と言う言葉と同義であり、シグレを見て巻き起こる怨嗟の声を押さえる資格が自分にはない。

 

 でもこの子たちなら。

 

            *            *            *

 

「仲間だから」

 イオナの放ったその一言が桃花の頭を大きく動かして何度も頷かせる。目じりに灯る小さな光を人差し指で拭いながら傍へと歩み寄ってきたシグレに笑いかけた。

「カトラリーをお持ちしました …… あの、四天様。どうかなされたのですか? 」

「何でもないわ。ちょっと ―― そう、ちょっと嬉しくてね。涙腺が緩んでしまっただけ。それよりお二人に紅茶をお出ししてあなたも私の隣に座りなさい」桃花の言葉にシグレは素直に従って群像とイオナへと紅茶を注いでから隣の席へとちょこんと座る、不思議そうな表情を浮かべる彼女の前に桃花は自分のカップを置くとそこに手ずから紅茶を注いでポットを静かに置いた。

「あ、あの四天様。これは一体どういう ―― 」「第二水雷戦隊所属、白露型二番艦時雨」

 彼女が強い声でその言葉を放った時シグレの体が見事に反応して椅子の傍らで直立不動の姿勢を取る、右手を掲げた彼女に向かって桃花が見上げながら告げた。「貴艦はこれより南管区首相四天桃花の判断により千早群像氏が代表を務める蒼き艦隊への配属となる」

 シグレの体がびくりと震えてそのまま収まらない、眼下の主の顔をじっと見つめながら彼女は告げる言葉を失っている。「どうしましたシグレ? 復唱なさい」

「 …… それは ―― ご命令でしょうか」尋ねる彼女の瞳からみるみる涙があふれて頬を伝う、その二人を見ただけでこの短い間にどれだけ心を通わせ続けたかが群像には分かる。「そうです、これは私からあなたへの命令です。あなたも軍艦としての自覚があるのならこの命令の意味はわかるはず ―― 復唱しなさい、シグレ。それでも誇り高き二水戦の兵ですか」

「はいっ」流れる涙を何度も袖で拭いながらもう一度きちんと姿勢を正した彼女は大きな声で言った。

「シラツユ型二番艦シグレっ、四天桃花首長様からの下達謹んで拝命いたします …… 今まで愚艦を庇っていただき、ありがとうございましたっ! 」

 

 離別の光景を目にしたまま群像とイオナは席を離れて小ぶりなガーデンテーブルを回り込んだ。立ちすくんだままの彼女の背中からほんの少し離れた場所に立った群像は彼女が決心を固めて振り返るまで黙って待っている。やっとのことで息を整えたシグレは紅潮したままのの笑顔に真っ赤な目で二人の方を振り返った。「駆逐艦シグレです、微力ではありますが全身全霊で貴艦隊のお役に立てますよう粉骨砕身をお約束する所存です。ぜひとも旗下への編入よろしくお願いいたします」

「こちらこそ。蒼き艦隊代表の千早群像だ、ぜひとも君の力を貸してほしい ―― 『蒼き鋼』へようこそ」

 『蒼き艦隊』ではなく『蒼き鋼』。この名を名乗る事には大きな意味がある。元々イオナと二人だったレジスタンスの歴史は横須賀ドックを強行突破した時に名付けたこの名前から始まった、世間的には艦隊と認知されて人も船も増えた今でも群像とイオナの中での艦隊の呼び名は変わらない。

「ようこそシグレ、あたしはイオナ。蒼き鋼の旗艦としてあなたの編入を歓迎する」差し出されたイオナの手を目にしたシグレが思わず目を丸くする。「401 ―― 潜特型が旗艦ですか。これは奇妙な」

「侮ってはダメよシグレ。こう見えても彼女はたった一艦であなたの所の総旗艦をぶっ飛ばした強兵なんだから」

「え、そうきかん …… えええっ!? 」あまりのギャップに驚いたシグレが飛び上がったはずみに芝生で足を滑らせて地面へと尻もちをついてしまう、慌てて助け起こそうと手を差し伸べる群像の手を握って上体を起こした彼女の背中に向かって桃花がため息まじりに呟いた。

「まあおっちょこちょいでそそっかしい子ではあるのだけれど千早君、シグレの事をよろしくお願いね? 」

「桃花」いたたと顔をしかめて立ち上がったシグレの影からイオナが言った。

「さっきよりシグレの形容詞が一個増えてる」

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